From the North Country

いよいよ春だ! 2004年04月23日(金)

  「いやはや、昨日の一日が一週間にも感じた」と定休日後の今日を待ち望んでくださった常連さんが笑顔をたたえて詰め掛けてくれた。私はと言えば昨日から忙しく動き回っていた。昨年12月にオープンしてようやく冬が終わり、春の準備にかからねばならなかったからだ。
ドッグガーデンを緑一杯にしたい!
くつろげるガーデンチェアとテーブルを揃えたい!
犬たちに遊具を作ってあげたい!
それに冬タイヤから夏タイヤにも替えなければならない。物事はひとつひとつ片付けるしかないので、タイヤ交換は業者に任せ、ガーデンチェアとテーブルを購入した。庭の緑はどうしよう?「7月になったらこのままでも立派なドッグガーデンができる。ガハハハ」と言った飲み仲間の言葉は『あいつのことだから、来年の7月のことかも知れない』と疑い始めた。そこで思案した挙句、庭に5坪程度の立ち入り禁止区域を設け、そこをラティスで囲い集中的に緑を育成しようと考えた。これを移動しながら何度か繰り返すことでドッグガーデンは緑になる。計算した結果、3年で出来上がるはずである。たぶんそのくらいは我がカフェは持ちこたえているだろうとの仮定上の話ではある。
朝から杭を打ちラティスで囲ってみた。相方とスタッフは「また、チマチマしたことを始めたな」と冷たくも遠慮深い視線を送っていた。「オレには今1万円しかないのだぞ!これで特売品のラティス6枚、杭を6本、牧草とホワイトクローバーの種を購入し、緑のガーデンを作っているのだ!」杭を打つ手につい力が入ってしまった。
輸送費と組立て費を節約したガーデンチェアとテーブルの組立てには、強力な助っ人が現れた。柴犬陸クンのオーナーであるケン君であった。彼は冷たい強風が吹き荒れる中、実によく働いてくれた。おかげで組立ては2時間ほどで終わり、あとは設置場所に移動するだけだったが、この時ばかりはケン君に頼れなかった。30キロもあるテーブルの片方を必死に持ち上げているようにも見えるが、彼はまだ小学校にも入っておらず、テーブルを持つというよりぶら下がっていたのである。その回りをジャックラッセルのウランが走り回ると「ほんとに、この子は落ち着きがないんだから」とお母さんそっくりの言葉を吐いてため息をついた。
かくして我がドッグカフェは春への一歩を踏み出した。
 

ドッグフードに思うこと 2004年04月21日(水)

  まずはお知らせから。
今月29日は木曜で定休日にあたりますが、祝日ですので通常どおり営業いたします。狭いカフェですがご来店のうえ楽しいひと時をお過ごし下さい。
さて、カフェで相談を受けることのひとつに愛犬の食べ物のことが上げられる。そして、どういうわけかほとんど共通している知識が『ネギ類や鳥の骨などはやってはいけない』に続き『ドッグフード以外の物は与えないほうが良い』というものである。前者はともかく後者については、本当にそうだろうかと思う。「獣医さんにそう言われましたし、フードメーカーも栄養のバランスを崩してしまうと言っています」というのが理由らしい。この問題はとても複雑であり、立場が違えば主張が違うし、何より受け取り方によっては犬の虐待にまで話が広がってしまうから厄介である。だから、科学的に獣医学的に検証したうえで書くべきなのだろうが、そんなこと言ったら一生書けないなどとグダグダ考えていた時、とたんに私は膝を打った。「酔いに任せて書く方法がある!」と。だからそのつもりで読んでいただきたい。
1.獣医さんやフードメーカーが心配するのはもっともである。
愛犬のグルメブームの中で肥満や糖尿病、虫歯に留まらず、そのように育てられた犬はドッグフードも食べようとせず栄養バランスは滅茶苦茶になる。さらに犬も飼主も鼻持ちならぬ傲慢者でお高く止まり、自分は特別な存在だと思っており、治療しようとすれば噛み付くし、制御すれば飼主からクレームがつく。「ああ、何と嫌な奴らだ!」このような方には「ドッグフード以外の食べ物を与える人は虐待者だ」と言ってやってよい。
2.本当にドッグフードだけでよいのですか?
犬の必要栄養素は人とは違う。それらのバランスを考え毎日愛犬の食事を作ることは大変なことだ。その意味においてドッグフードは大変ありがたいと思う。特に最近のナチュラルフードは品質の良いものが多い。けれど、疑問がふたつある。一つは『本当によい原材料で安心か』ということである。人の食料を供給するうえで使えない副産物がたくさん出ている。産業廃棄物となるものを有効利用したのがドッグフードだった。「犬なんだから別にいいじゃん」。ある意味で私も理解できたがドッグフードだけを食べ、何世代にも渡って繁殖を繰り返した結果を見ればそうとも言い切れなくなった。複合汚染による繁殖能力や臓器・病気の変化をメーカーは知っているはずである。二つ目は、百歩譲ってドッグフードが完全食品だとしよう。しかし、同じ物を毎日食べ続けると始めは身体に良いものであったとしても結果的に悪くなってしまわないかといことである。日本人は米を主食として毎日食べているがおかずは様々である。親が同じ物ばかりを食べ続けても一生を送れるかも知れないが、何世代にも渡ってそれを繰り返せばいずれ子供にその影響は現れる。
結論の前に:犬をグルメ犬にすることを罪と思わなければならない。しかし、飼主にも美味しいものを健康的に食べさせてあげたいという欲求はあるし、自分に当てはめれば1日30品目以上の食材を摂取しているとは言えないが健康な日々を過ごしている。病と死は必ず訪れるものであるからそれをすぐに食生活に結びつけることもない。
結論:必要栄養素を考えなくて済む良質のドッグフードを主食にし、季節ごとの旬の野菜や果物・魚・乳製品など副食として混ぜる。ただし、体質に合わないものや与えてはいけない物は避け、後は臨機応変。
人が食べている時に与えるのも厳禁。やりたければ専用のお皿にとっておき、味付けを落として次の餌の時に混ぜてやればよい。
シラフになったら足したり引いたりしたい書き方だったと思うが、ちょっと胸がすいた気がする。
明日はカフェの定休日。はじめてこの欄を休ませて頂く。
 

ムツゴロウ動物王国 2004年04月20日(火)

  ムツゴロウさんのスペシャル番組を見た。私はずっとムツさんの大ファンである。少年記、青春記、結婚記の三部作や大勝負、教育論などは私の人生にも大きな影響を及ぼしている。「え?ムツさんって作家なんですか?」と王国に行った時そこで働く女の子に言われた時はショックだったと同時に王国の懐の深さを感じた。残念ながら直接お会いして話をしたことはない。動物王国ではいつも石川さんのお世話になっている。10数年前、石川さんから盲導犬協会に電話があり、王国のラブ(Lレトリーバー)に仔犬たちが産まれ、もし適性があるなら盲導犬候補生として使ってみませんか、という内容であった。そこで私が浜中にある王国を訪ねて以来のお付き合いである。母親のラブを長い散歩に連れ出し「この子の子供なら」と期待を膨らませ、さらに仔犬の観察をした上で2頭の仔犬に目星をつけた。レミーとローラと名づけられた仔犬は、後に別々の運命を辿った。ラブの子供には遺伝的と思える症状が出てしまった。血液中にカルシウムが溶け出す難病である。ローラにその症状があらわれ彼女はパピーウォーキングの途中から歩行困難になった。石川さんは彼女を引き取り、王国流のリハビリを開始した。一方のレミーは私が訓練し、無事盲導犬となった。レミーには自宅で吠えるという欠点はあったが、彼女の誘導振りと人の言葉を理解する能力にはすばらしいものがあった。
それから10年以上が過ぎ、レミーは盲導犬を退役した。
さらに数年後、レミーは老後の楽しみを満喫した後に逝ってしまったが、とっくに亡くなっていると思っていたローラに再会した時私は目を疑った。老いは隠せなかったがローラはしっかりと歩いていたのである。少なくとも一昨年の今頃は元気だった。
ムツさんや石川さんの動物たちとの暮らし方は大好きである。考え方もさすがだと思っている。でも、私にはあんなスケールの大きなことはできないし、何よりスタンスが違っている。彼らは動物王国であり、私は都会で暮らす伴侶を対象にしているのだ。以前にも書いたがそれぞれの犬には愛情を注ぐ飼主がいる。
テレビでは犬たちと長く暮らしたほうが人に優しくなれるとムツさんは言っていた。同時に映像ではある犬が複数の犬に噛まれるシーンが映っていた。私にもいろんな経験がある。産まれてまもなく初乳も飲めず、ほっておけば必ず死に至る状況である。その仔犬に蘇生を施し2時間おきの授乳と排尿便を促し、保温をする。これまでの経験上、とてもすばらしい犬が育つのだ。
犬にもインプリンティング、鳥のような刷り込みがあると感じている。人と暮らす犬は早くから人の手を煩わせたほうがよいと私の立場では考え、種としての犬と暮らしたいならムツさんの考えに従うべきだと思う。
私の方法では、安心して動物王国には行けないが、ムツさんの方法では、安心して都会で散歩をしたりドッグカフェには行けないのだと思う。
石川さんと酒を飲むときは楽しい。お互いの立場を理解したうえで新たな発見があるからだ。そして犬たちの心配をする前にお前たち酔いつぶれた男どもをどう処理すべきかと思案する奥さんがまたタマランのである。
王国での話はまだまだある。シロテテナガザルのナナちゃんは実は…。今夜はもう止めておこう。最近4リットルの焼酎が1週間も持たないではないか。
 

愛するって難しい 2004年04月19日(月)

  今日カフェに甘えん坊の5歳のゴールデンがやってきた。入店の時からお母さんにおんぶされ、着席した後もお母さんによじ登ろうともがいていた。「とても困っているんです。」と相談される顔にはしかし笑顔があった。
「コントロールしてもよいですか?」
「はい、勿論です。」
私はリードを預かり店内を歩いた。犬はお母さんが気になるようだが素直に従ってくれた。
分離不安という言葉を最近よく耳にするが、もしそれに病原菌があるとすれば私は迷わずそれは飼主だと答える。愛犬に対して愛情を注がない親はいないし、犬はそれに応えようとする。それ自体はすばらしいことだと思う。が愛情のかけ方と日頃の接し方がどこか違っているのだ。犬のことが気になるあまり、常に観察し、すぐに言葉をかけている。そして残念なことに観察結果と言葉のかけ方が的外れであり擬人的であり、結果として犬は落ち着くことなく飼主の呼びかけに応えるべく動き回り、何か不安の前兆ではないかとうろたえることを日々積み重ねている。さらに悪いことに、カフェなどに来て犬の気が散ってしまっている状態の時に、我に返すコントロールもせず、聞かない命令を何度も繰り返しいつのまにか諦めてしまっているのだ。
幸いにも今日のゴールデンはそのような分離不安ではなかった。外に連れ出し散歩をしてみた。やはりお母さんが気になるようであったが、取り乱して駈け戻る動作もなかったし、5歳なりの社会経験を身に付けたおりこうなワンちゃんだった。しかしカフェに戻り母親に引き渡すと、「母さんの喜びと私の愛情表現はこれなんだ!」とばかりによじ登っていた。
「治るでしょうか?」
「無理です。あなたはワンちゃんのこの動作に、満更ではないものをどこかで感じている。本当に辞めさせたいなら、よじ登る動作を結果的に10秒も20秒も許しながら言い聞かせることはしません。もし、この状態があと5秒続いたら、身体に巻きつけたダイナマイトが爆発すると想像してください。言い聞かせますか?」
奥さんは黙ってしまった。「可愛い我が子にそこまで仰々しく考えなくてもいいんじゃないですか?」そう思われたのかもしれない。
確かにそのとおりだろう。だが、私はあまりにも多くの犬たちを見てきた。犬が年をとり心臓や呼吸器も弱ってくる。その時、一時でも犬から離れまた戻ってきた時、愛犬は興奮状態になり呼吸困難をおこす。愛犬の安楽を望む飼主が彼らを日々苦しませる結果になるのだ。
我が子を思わぬ親はいない。様々な愛情表現があることも知っている。ただ、今自分が愛犬に対して何をしているかは知っておくべきであろう。
 

健康について考える 2004年04月18日(日)

  先日、胃カメラを飲み大腸検査も受けた。数カ月おきにトイレが真っ赤になっていたからだ。盲導犬の仕事をやっている頃に十二指腸を患っていた。今思えばあの頃の激務と神経戦の中でよくその程度の状態で済んだものだと、丈夫に生んでくれた親に感謝している。当時は2〜3年に1度痛みに耐えかね検査を余儀なくされたが、古い潰瘍と出血している新たな潰瘍がゲーゲーと横たわりながら覗き見るモニターに映し出されていた。「まだガンにはなっていないな」と妙な自信を持って職場に帰っていったものだった。
大酒飲みで麻酔が効かなくなっているため、今回の胃カメラも喉にスプレー麻酔を使用してからやってもらったが、モニターを見て驚いた。綺麗である。酒、煙草による緩慢なる自殺行為を日々強烈に行っているにもかかわらず、私の胃は5年前より綺麗になっていた。
内視鏡で胃壁の一部を摘まみ取って検査したところ、幼い頃劣悪な衛生環境で育った50歳代以降の人に多く見られるピロリ菌という可愛い名前の菌が見られたものの、何処にも炎症もポリープも見当たらなかった。
ところが、大腸検査の日は最悪だった。朝から下剤を飲みトイレに駆け込む作業を根気よく繰り返したのに、神は助けてくれなかった。痛くないはずの検査に私はのた打ち回り悲鳴をあげたあげく、検査室からは車椅子に乗り検査後1時間以上ベッドで安静状態を指示された。
これには思い当たることがあった。私は以前、盲腸の緊急手術を受けた。近くの医院に下腹部の痛みを感じて診察を受けに行った時、医者は「虫垂炎です。散らしましょう」と言って太い注射をしてくれた。「手術しなくて済むのならよかった」と安心して、会計を済ませようと待合にいた時、看護婦が私に耳打ちをしてくれた。
「長崎さん、病院に行ったほうがいいですよ。」と。
一瞬ギクッとしたが怒りと不安はなく、痛みと噴出しそうな笑いが交錯していた。結局その夜私は救急病院へ運ばれた。
その病院にはインターンの若いスタッフが揃っていた。気のいい私は1時間もかけてエコーの見方の実習に耐え、盲腸程度の基本的手術の仕方を若いスタッフに指導する先生の教材になることを了承していた。3時間にも及ぶ単なる虫垂炎の手術を受けた私は、死人のような顔をして手術室から出てきたと後から聞いた。
長い説明になってしまったが、その結果の癒着が大腸検査の痛みだったのだろうと思っている。
さて、大腸検査にも致命傷はなかった。トイレを真っ赤に染める原因は、憩室(けいしつ)とよばれる大腸内のくぼみが多く、そのいずれかの炎症であろうという診断だった。
思えば私は健康である。
少々の傷も犬たちから受け継いだばい菌や常在菌に対する抵抗力で跳ね飛ばしている。何より現在の日々は適度のストレスと犬に囲まれる生活で健康的で快適なのである。
きっと私は心も身体も犬たちからの贈り物で守られているのだと思う。そしてこの喜びと健康は犬と暮らす人々が知らず知らずのうちに享受しているはずである。
 

男はつらいよ 2004年04月17日(土)

  4月も17日だというのにミゾレにアラレに雪という寒い一日だった。北海道の季節のせめぎあいにはいつものことながら一喜一憂させられる。
朝のレッスンはトイプードルのドレミちゃんだった。もうすぐ1歳になるというのに、おどおどして落ち着かないという相談を受け今日が2回目のレッスンだった。ドレミの家にはこの他にもシーズー・ハスキー・ジャイアント?トイプードルがいるけれど、相性の関係からシーズーの与作と行動を共にしていおり、カフェにはいつも与作と一緒に来ていた。レッスンを始めるに当たり、「今後しばらくドレミだけでの散歩の時間を取れるなら」と念を押して引き受けた。ドレミはお兄ちゃんの与作に依存していた。私と二人で歩き始めても拠り所となる与作がいないため、最初は落ち着かなかった。励ましながらおだてながらイエストレーニングを用いて、とにかく歩きつづけた。不安におののきながらもドレミは好奇心をもって頑張って歩いた。
私のレッスンの基本は社会経験を積みながら、世の中を見聞し自分の立場をわきまえることにある。その中で飼主との信頼関係を築くものである。
飼主の努力もあってドレミの歩きには少し変化が見えていた。不安ながらも社会を見る眼が出始めていた。臭い取りやむやみに吠えながらキョロキョロしたりマーキングを繰り返す犬は社会を見ていないが、ドレミは勇気と好奇心それに励ましに支えられながら社会経験を積んでいた。その結果としての変化を飼主はこう表現した。「家では私に甘えながら噛み付いていたのがなくなりました。それに車に乗ると外を見て吠えていたのに、それもなくなりました」と。
いたずら、引っ張り、噛み付きなど様々な問題を抱えている方がおられるだろうが、根本をいじればいろんなところに波及効果があるものである。
ただ、私には辛いものがあった。いくらレッスンとはいえ、50になろうとするおじさんが、トイプードルを相手に「ドレミ、いい子だねえ」などと言いながら、土曜日のスーパーの前で立っているのである。人々の視線に絶えながら「私は変人ではありません」と心の中でつぶやいた。
 

続ゴン太君 2004年04月16日(金)

  昨日からお泊りのゴン太の話。
預かるときに1食あたりのフードの量を伺って驚いた。飼主さんは「24時間フードを与えっぱなしにしているからわからない」という。
「今日は食べないな」と思ったら、案の定、匂いを嗅ぐだけであった。
それならばと、我家の愛犬スー(Gレトリーバー)に「食べていいよ」と促し、同時にその姿をゴン太にも見えるようにした。
「え!ボクのまで食うのかよ?おまえ卑しいな」という顔をして見ていたがスーはお構いなしにコリコリと食べた。
そして、今朝を迎えた。昨日と同じようにフードに缶詰の肉を混ぜた食事を準備し、ちょっとした配慮から隣の部屋にそれとなく食器を置き、ドアを少しだけ開けておいた。そろそろ食べるだろうと予想はしていたが、ゴン太にも面子があるのを認めていたからだ。
「どうせ腹が減っただろうから食え」というのではゴン太の面子が立たない。
さりげなく隣の部屋において「ここに置いたからね。よかったら食べなさい。誰も君が空腹に耐え兼ねて屈服したとは思ってないからね。それにこの部屋じゃ君がガツガツ食べるのを見ることもできないだろ?」」というメッセージだった。
ゴン太はドアの隙間からこちらを気にしながらもきれいに平らげた。
これでいいのだと思う。食事前にはお腹が空いた状態になっていて、何でも美味しいと感じながら食べることができる。ゴン太はそんな当たり前な喜びを感じたと思う。
預り犬でありながら今日一日看板犬も務めてくれたゴン太。カフェ閉店後、長い散歩から戻り、食事の準備を始めると足元で私を見上げながらお座りしていた。フードに水洗いをした残り物のアジの身と皮それに一切れのパンと豆乳を少し混ぜて与えた。美味しそうに食べ終えると今日の疲れが出てきたのか、布団の上で長くなって眠り始めた。
 

ゴン太君 2004年04月15日(木)

  今日から1週間我家に新しい仲間が増えた。
シーズーのゴン太君、預り犬である。我家では預り犬も家族の一員として共に暮らす。そのためせいぜい2〜3頭しか預かれない。ゴン太は去勢されていないので心配していたが、「室内では決してマーキングはしない」という言葉を信じて預かった。確かに室内ではマーキングはなかった。ところが、夕方の散歩に出ようとドアを出た途端、鍵をかけている私の横でジャッジャとやってしまう。その後も黙ってみているとひっきりなしにマーキングを行い、すれ違う犬たちなど目にも入っていない。ややしばらくして我に返ると、通り過ぎた犬を残念そうに見送っている。
去勢しないオスと都会で暮らす方は大変だなあとつくづく思う。
去勢していればオシッコは1〜2回のうちに出し切ってしまい、散歩の時も冷静に周囲を見渡しながらの社会経験を積む可能性も高くなる。これに対し未去勢のオスは、内から込み上げるマーキングに明け暮れなければならないから、飼主とのコミュニケーションもまた違ったものになる。
犬を飼う方の好みやスタンスの問題であるから、それがいいとか悪いということでは勿論ない。ただ、何も知らずに犬と暮らし始めた人たちの中には、去勢によって家庭犬としての暮らし易さが格段によくなるという情報は伝わりきれていないようだ。ただ漠然と、『不要な犬を誤って増やさないために去勢したほうがよい』程度ではないのかと思う。この問題については後日改めて。
 

春のガーデンから 2004年04月14日(水)

  暖かな春の一日だった。ドッグガーデンでは犬たちが元気に遊び、カフェではのんびりとした時間が流れていた。テラスに出したディレクターチェア-に腰掛け、戯れる犬たちを見ていると幸せな気分になる。私のカフェでは犬たちの争い事がない。飼主の方の気配りもあるが、一目見れば相性がわかるという特技を持っているからだ。仲良く遊べる犬、お互い不干渉の犬、自分から臭いを嗅ぎたいけれど相手にしつこくされるのは嫌いな犬など様々だが、中でもおもしろいのが『変なことしたら怒るぞ』と緊張している犬の変化を見ることである。そのような犬が現れた時、すべての犬にリードをつけるようお願いする。そして、以前にも書いた私流の「家庭犬としての挨拶」を行い、一通りの挨拶を終えたら、制御しやすい犬たちからリードを放し遊ばせる。もし緊張している犬に近寄ってきたら制御し、向きを調整する。正面からあるいは横からの臭い取りはさせない。緊張した犬の背中の毛はベッカム状態になっているが、リードをつけたまま庭を歩いているうちに緊張が解け、初めて冷静に庭で遊ぶ他の犬たちを観察し始め、徐々に興味を示すようになる。そのあたりで相性の良さそうな犬の接近を許し、安全で面白そうだという思いを抱かせる。そしてリードを放し遊ばせるが、おもしろいのはここからである。多少当たりの強い犬がモーションをかけると、顔を引きつらせるが、そこに悪意がないことを瞬時に読み取るとホッとた仕草を見せ、これを繰り返すうちに徐々に気を許すようになる。そしていつしかガーデンの一員になっている。満員電車に後から乗った人は、始めのうち内部から意図的な圧力を受ける。動き始めて揺られるうちに混んでいた車内には共同体としての秩序と空間が生まれる。そんな感じである。
カフェにいるだけで犬たちは成長している。特に常連さんの犬を見て、数ヶ月前を思い返せば家庭犬として格段の成長を遂げているのがわかる。開店から閉店まで腰を据えていただいている方は2人や3人ではない。居心地において追随を許さない学べるドッグカフェの面目躍如である。
あとは経営のために彼女たちから如何にお金をいただけるサービスを展開するかである。ね、皆さん。
 

注意すべき3つの対応 2004年04月13日(火)

  誤った犬への対応が浸透してしまっているようだ。カフェに来られる方の様子や話を聞いたりしてそう感じる。
ご自分の愛犬が天真爛漫人畜無害という方は今日のこの欄は読み飛ばしていただきたい。
1.引っ張り合い:この遊びは神経質で我侭な犬に対しては、唸ることを訓練するための遊びである。「うちの犬は反抗的でひょっとしたら人を噛むかも知れない」とご心配の方は避けたほうがよい。
2.咥えた物を取り出すのに時間をかけてしまう:物欲が強い犬に対し、くわえた物を言い聞かせながら引っ張り出そうとする方がいるが、これは犬に唸ること・噛み付くことを訓練しているようなものである。本当に咥えて困るものであれば、時間をかけず一気に取り出す方法を学ぶべきだろう。犬が逡巡している様子を楽しみながら、言い聞かせ教育もできるが、それは犬に対して全くの信頼がある場合に限るべきだろう。
3.吠えたりいたずらした時両手で口を抑える:余程従順な犬か毅然とした態度を犬に示すことができる人でない限り、この方法はとってはいけない。これは正に逆ギレの訓練をしているようなものである。
「そんなはずはない」と勇ましい反論をする方もおられるだろうが、自分が出来ることではあったとしても、安易に人に勧めて手痛いしっぺ返しを受けるのは良心的な飼主であることを忘れてはならない。
 


- Web Diary ver 1.26 -