From the North Country

続ゴン太君 2004年04月16日(金)

  昨日からお泊りのゴン太の話。
預かるときに1食あたりのフードの量を伺って驚いた。飼主さんは「24時間フードを与えっぱなしにしているからわからない」という。
「今日は食べないな」と思ったら、案の定、匂いを嗅ぐだけであった。
それならばと、我家の愛犬スー(Gレトリーバー)に「食べていいよ」と促し、同時にその姿をゴン太にも見えるようにした。
「え!ボクのまで食うのかよ?おまえ卑しいな」という顔をして見ていたがスーはお構いなしにコリコリと食べた。
そして、今朝を迎えた。昨日と同じようにフードに缶詰の肉を混ぜた食事を準備し、ちょっとした配慮から隣の部屋にそれとなく食器を置き、ドアを少しだけ開けておいた。そろそろ食べるだろうと予想はしていたが、ゴン太にも面子があるのを認めていたからだ。
「どうせ腹が減っただろうから食え」というのではゴン太の面子が立たない。
さりげなく隣の部屋において「ここに置いたからね。よかったら食べなさい。誰も君が空腹に耐え兼ねて屈服したとは思ってないからね。それにこの部屋じゃ君がガツガツ食べるのを見ることもできないだろ?」」というメッセージだった。
ゴン太はドアの隙間からこちらを気にしながらもきれいに平らげた。
これでいいのだと思う。食事前にはお腹が空いた状態になっていて、何でも美味しいと感じながら食べることができる。ゴン太はそんな当たり前な喜びを感じたと思う。
預り犬でありながら今日一日看板犬も務めてくれたゴン太。カフェ閉店後、長い散歩から戻り、食事の準備を始めると足元で私を見上げながらお座りしていた。フードに水洗いをした残り物のアジの身と皮それに一切れのパンと豆乳を少し混ぜて与えた。美味しそうに食べ終えると今日の疲れが出てきたのか、布団の上で長くなって眠り始めた。
 

ゴン太君 2004年04月15日(木)

  今日から1週間我家に新しい仲間が増えた。
シーズーのゴン太君、預り犬である。我家では預り犬も家族の一員として共に暮らす。そのためせいぜい2〜3頭しか預かれない。ゴン太は去勢されていないので心配していたが、「室内では決してマーキングはしない」という言葉を信じて預かった。確かに室内ではマーキングはなかった。ところが、夕方の散歩に出ようとドアを出た途端、鍵をかけている私の横でジャッジャとやってしまう。その後も黙ってみているとひっきりなしにマーキングを行い、すれ違う犬たちなど目にも入っていない。ややしばらくして我に返ると、通り過ぎた犬を残念そうに見送っている。
去勢しないオスと都会で暮らす方は大変だなあとつくづく思う。
去勢していればオシッコは1〜2回のうちに出し切ってしまい、散歩の時も冷静に周囲を見渡しながらの社会経験を積む可能性も高くなる。これに対し未去勢のオスは、内から込み上げるマーキングに明け暮れなければならないから、飼主とのコミュニケーションもまた違ったものになる。
犬を飼う方の好みやスタンスの問題であるから、それがいいとか悪いということでは勿論ない。ただ、何も知らずに犬と暮らし始めた人たちの中には、去勢によって家庭犬としての暮らし易さが格段によくなるという情報は伝わりきれていないようだ。ただ漠然と、『不要な犬を誤って増やさないために去勢したほうがよい』程度ではないのかと思う。この問題については後日改めて。
 

春のガーデンから 2004年04月14日(水)

  暖かな春の一日だった。ドッグガーデンでは犬たちが元気に遊び、カフェではのんびりとした時間が流れていた。テラスに出したディレクターチェア-に腰掛け、戯れる犬たちを見ていると幸せな気分になる。私のカフェでは犬たちの争い事がない。飼主の方の気配りもあるが、一目見れば相性がわかるという特技を持っているからだ。仲良く遊べる犬、お互い不干渉の犬、自分から臭いを嗅ぎたいけれど相手にしつこくされるのは嫌いな犬など様々だが、中でもおもしろいのが『変なことしたら怒るぞ』と緊張している犬の変化を見ることである。そのような犬が現れた時、すべての犬にリードをつけるようお願いする。そして、以前にも書いた私流の「家庭犬としての挨拶」を行い、一通りの挨拶を終えたら、制御しやすい犬たちからリードを放し遊ばせる。もし緊張している犬に近寄ってきたら制御し、向きを調整する。正面からあるいは横からの臭い取りはさせない。緊張した犬の背中の毛はベッカム状態になっているが、リードをつけたまま庭を歩いているうちに緊張が解け、初めて冷静に庭で遊ぶ他の犬たちを観察し始め、徐々に興味を示すようになる。そのあたりで相性の良さそうな犬の接近を許し、安全で面白そうだという思いを抱かせる。そしてリードを放し遊ばせるが、おもしろいのはここからである。多少当たりの強い犬がモーションをかけると、顔を引きつらせるが、そこに悪意がないことを瞬時に読み取るとホッとた仕草を見せ、これを繰り返すうちに徐々に気を許すようになる。そしていつしかガーデンの一員になっている。満員電車に後から乗った人は、始めのうち内部から意図的な圧力を受ける。動き始めて揺られるうちに混んでいた車内には共同体としての秩序と空間が生まれる。そんな感じである。
カフェにいるだけで犬たちは成長している。特に常連さんの犬を見て、数ヶ月前を思い返せば家庭犬として格段の成長を遂げているのがわかる。開店から閉店まで腰を据えていただいている方は2人や3人ではない。居心地において追随を許さない学べるドッグカフェの面目躍如である。
あとは経営のために彼女たちから如何にお金をいただけるサービスを展開するかである。ね、皆さん。
 

注意すべき3つの対応 2004年04月13日(火)

  誤った犬への対応が浸透してしまっているようだ。カフェに来られる方の様子や話を聞いたりしてそう感じる。
ご自分の愛犬が天真爛漫人畜無害という方は今日のこの欄は読み飛ばしていただきたい。
1.引っ張り合い:この遊びは神経質で我侭な犬に対しては、唸ることを訓練するための遊びである。「うちの犬は反抗的でひょっとしたら人を噛むかも知れない」とご心配の方は避けたほうがよい。
2.咥えた物を取り出すのに時間をかけてしまう:物欲が強い犬に対し、くわえた物を言い聞かせながら引っ張り出そうとする方がいるが、これは犬に唸ること・噛み付くことを訓練しているようなものである。本当に咥えて困るものであれば、時間をかけず一気に取り出す方法を学ぶべきだろう。犬が逡巡している様子を楽しみながら、言い聞かせ教育もできるが、それは犬に対して全くの信頼がある場合に限るべきだろう。
3.吠えたりいたずらした時両手で口を抑える:余程従順な犬か毅然とした態度を犬に示すことができる人でない限り、この方法はとってはいけない。これは正に逆ギレの訓練をしているようなものである。
「そんなはずはない」と勇ましい反論をする方もおられるだろうが、自分が出来ることではあったとしても、安易に人に勧めて手痛いしっぺ返しを受けるのは良心的な飼主であることを忘れてはならない。
 

犬の社会化について 2004年04月12日(月)

  マメシバの紅葉(もみじ)が初めてカフェを訪れたのは、2月下旬、生後3ヶ月を過ぎた頃だった。可愛い盛りであったが、その表情は恐怖と警戒に満ちていた。飼主のKさんの懐にしがみつき他人の接近を許さない雰囲気が漂っていた。
当店では基本的に生後4ヶ月未満の仔犬は入店できないことにしているが、紅葉には早期社会化が必要と判断した。
Kさんに「まだ充分な免疫ができてないから病気感染の心配はあるけれど、この子との将来を考えたら今から人馴れ、犬馴れ、社会慣れの準備を始めたほうがよい」ことを話し、Kさんもそれを望んでくれた。
チワワやミニチュアダックスなどの小型犬は、もちろん血統にもよるが、注意深く、神経質でないとカラスにでもさらわれかねない犬種である。だから多くの場合、普通に育ててしまうと良き愛玩犬ではあるが、来客には吠え立て、散歩の時にも人や犬に吠えかかるようになってしまう。それはそれでよいと思われる方もいるだろうが、実はそうでもない。家族と家の中だけで暮らすのならば問題ないが、散歩の時やドッグラン・カフェに連れ出したときに、人や他犬とトラブルを起こし「傷つきの連鎖反応」(噛んだほうも噛まれたほうも身体と心が傷つき、次の犬ともうまくやっていけない悪循環)が始まることになる。これを防ぐには、社会化が必要であり、その時期は早いほど良い。
ここで言う社会化とは、人間社会において初めて見るもの・初めて聞く音をどんどん経験させること、すなわち未知のものを既知の状態にすること、換言すれば「おや!何だ?」から「ああ、あれか」という反応を導くことである。そしてこの過程で、犬が怖いあるいは不安に感じたものを察知し、それがなんでもないということを分からせることが大切なのである。間違っても将来のトラウマとなるような恐怖体験をさせることが無いように注意しなければならない。
これらの手続きによって、犬は自信と人に対する信頼を獲得し、分をわきまえ、身の程を知り、社会性を身につけた良き家庭犬の基礎を築くことができる。
面倒くさい難しいプロセスだと思うかもしれないが、実は多くの方は自然に行っている。
皆さんと愛犬との毎日の散歩がそれであり、私のKさんと紅葉に対するアドバイスはプロフェッショナルとして手順を踏み、効率をよくし、飼主に今自分がなぜ、何のために何をしようとしているのかを理解していただくことである。
始めは他人がリードに触れただけで、「キャン!キャン!」と叫んでいた紅葉が、2回目からは興味を示すようになり、生後5ヶ月となった最近では来店と同時に人にまとわりつき、大型犬の足元で平然とし、次はどんないたずらをしようかという素振りを見せている。この間、いろんな方に抱っこをしてもらうなどの協力をいただいた。当面は紅葉を図に乗らせ、精神的に逞しくしたうえでガツンと身の程を知らせる予定でいる。Kさんもいろんなところへ散歩に連れ出している。
しかし、紅葉の過剰ともいえる警戒心は犬種特性ではなく明らかに血統である。
育て方が血統を超えることができるのか?
私の持論は、盲導犬のような『適性』は先天的要素が必要だが、暮らしやすい犬は育て方で変えることができるというものである。
果たしてその結末や如何に。
 

Mさんとの思い出 2004年04月11日(日)

  三日坊主の私にとって、この欄が6日間も続いたのは驚きである。
感動のあまり今夜は4時間もかけて原稿を書いていた。
読み返し「よし、これでいい」とホッとした。
我慢しつづけたトイレから戻り、ホームページにアップするはずだった。その時ボタンを押し間違え、4時間が無駄に終わってしまった。原稿はリセットされ、すべて消滅してしまった。
この悔しさが分かるだろうか?しばらくは床を叩きながら、のた打ち回った。
「きっとどこかに残っているはず」と探しつづけたが、私の知識ではどうしようもなく、酩酊寸前で今日のこの日を終えようとしている。
悔しい時、私はほのぼのとした出来事を考えるようにしている。だから今日は過去に書きとめたMさんとの思い出を紹介することにしよう。
 病院へ通勤するFさんと朝の散歩を楽しんでいた年配のMさんが道でバッタリ出くわしました。それぞれの足元には盲導犬がいてなにやら挨拶を交わしていたそうです。世間話もそこそこに通勤・散歩と別れた二人は、その日の天気も良くいつもより快調な歩行をしていました。Fさんは電車に乗り降車駅から病院までを、通学する高校生の間を縫うように歩き、何事もなくその日1日の仕事を終えました。Mさんも市役所から商店街を抜けるいつもの散歩コースを快適に楽しんだそうです。ところがFさんが帰宅すると迎えに出た娘さんが驚いたように言いました。「おかあさん!この子ジーニじゃなくてパールだよ」。そう、朝の挨拶の時にそれぞれの盲導犬が入れ替わってしまっていたのです。しかもパールはこの町で電車に乗るのはもちろん、病院にも行ったことがなかったのです。
Fさんを交えお酒を酌み交わした時、額に汗を滲ませたMさんがためらいがちに、でもこらえ切れずニコニコと話してくれたエピソードです。いつも明るく、「おーほっほっほ」と『笑うセールスマン』のような声を私に残して逝ったMさんとの思い出ですが、きっとその日1番楽しんだのは2頭の盲導犬であったに違いありません。
 

ドッグガーデンから 2004年04月10日(土)

  カフェに併設したドッグガーデンは、予算の関係で自分たちで造成した。飲み仲間を見渡すと造園業者、重機オペレーター、機械いじりの何でも屋、それに居酒屋のマスターを筆頭とした独活(うど)の大木が揃っていた。業者見積もり百数十万を30万弱で作り上げた。しかもそれらの一部が原材料費で、当別の土、暗渠の資材、オーチャード、チモシー、ホワイトクローバーの種であり、残りほとんどは酒盛り費用だった。盲導犬協会で働いていた頃から遊び心はあったが、個人事業となると思いっきり遊べた。
それが悪かった。3月に入ると札幌は50日あまりの雪解け期を迎える。昨秋、種から芽生えたばかりの庭の牧草は雪に覆われ冬を越したが、3月下旬には泥沼になり、しかもお構いなく犬たちは走り回った。田んぼ状態である。犬たちのオーナーは始め庭に出すのをためらっていたが、最初の泥浴と愛犬の歓喜の姿を見てすぐに諦めてしまっていた。シャワーの設備を整えていたため店内の被害は最小限で済んだ。それから3週間、田んぼは畑となり、荒野となってきた。
一昨日、「近くの現場に来たから」と飲み仲間の造園業者がカフェに顔を出した。一緒に庭を歩きながら、心配げな顔をしていた私に「よぉし、これでいい。7月には立派なドッグガーデンができるぞ。グァハッハ」と言って彼は帰っていった。見渡すと、犬たちに踏み荒らされた庭に、青い芽がそこここに顔を出していた。自然の摂理に対抗して都合のよいことばかりを望んでいた自分を恥じた。
そして、どこか犬を育てることに通じるものを感じた。
 

権勢症候群に思う 2004年04月09日(金)

  今日、権勢症候群について書かれた1枚のプリントを見た。チラと目をやっただけなので正確ではないが「犬はグループを作る動物で、そこには順位がありリーダーには絶対服従の社会…」云々とあり、「すべての犬はリーダーを目指すから、小さいうちから服従させることが必要」というようなことが書かれていた。
ウソだなと思う。ほとんどの犬はリーダーを目指さないし、そうなったら困るからと気合を入れた小さいうちからの服従訓練は結果的に順位を強く意識する犬を作ってしまうことになる。確かに犬の祖先であるオオカミの習性を用いて理論付けると説得しやすいが、現代の一般家庭犬にそのような危機感をもって対処する必要性はほとんどないだろう。言うことを聞かない、引っ張って歩く、吠えるなどは犬がリーダーになっているからではなく、人に対する信頼と社会経験が不足した結果、我侭で内弁慶で身の程を知らず、いい気になってしまったこと、それに親から譲り受けた血統が主な原因であると思う。
生後3ヶ月から6ヶ月の時期は噛むものであり、怒られる事ばかりしでかすものである。それ以降についても飛びついたり、引っ張ったりするかもしれない。これらをうまくかわしながら、叱りながら、褒めながら、人と人間社会を優しい眼差しをもって経験させることが1〜2歳までの時期には必要であって、決して犬がリーダーにならないように屈服させることに躍起になってはならない。座ること伏せること待つことは小さいうちからいくらでも教えることができるしある程度必要でもあるが、それは屈服させるためではなく、社会経験を積ませるため社会に出るのに必要だからである。
若いうちから服従を強要され、犬らしい心を人に対して開かず、自分の存在と行動に自信が持てない犬たちのケアに心砕くが、その修復には訓練された日々の数倍の時間がかかっている。
 

本日定休日 2004年04月08日(木)

  我が家の愛犬スー(Gレトリーバー)と預かり犬のジェニー(レオンベルガー)を連れて、苫小牧近郊の海へ出かけた。風は多少強かったが波は穏やかで心地よい。砂浜から波打ち際へ犬たちは走り回り、初めての海を体感していた。水のしょっぱさに怪訝な顔をしながらも、そこが安全と分かると次第に波に洗われるようになり、ジェニーは水しぶきを上げながら疾走していた。
ここへ連れてきたのには実は訳があった。荒くれ者だったジェニーと知り合って6ヶ月。彼女は生後6ヶ月までペットショップで暮らしていたらしい。行く末を案じたHさんがたまりかねて手に入れ面倒を見ていたが、大人しく従順なはずのレオンベルガーが勝って気ままな振る舞いをしてしまう。ゴールデンクラスの大きさであれば何とか制御もできるだろうがこの犬種ではそうはいかない。そのうえ逃亡癖があり、私が初めて歩いた時も従順な振りにだまされ、まんまと逃げられてしまっていた。根底にはあきらかな人間不信と社会性のなさがあった。それから数ヶ月、
何度かつきあう中で、私はジェニーが徐々に変化していると感じていた。人を信頼し社会のことが少しずつ分かりかけていると肌で感じていた。基礎訓練はある程度行っていたので思い切ってフリーの状態を無性に作りたくなった。私のカフェにも50坪ほどのドッグガーデンがあるが、フェンスのない自由空間でどのような反応を示し、私の指示にどの程度反応するかを知りたかった。そのためには万が一のことがあっても対応できる無人の海岸が最適だと思ったのである。
ジェニーは疾走した。その距離はあっという間に100メートルほどになった。次の瞬間大きく回り込みながら、うれしさを伝えるかのように私の元へ戻ってきた。興奮状態にあるジェニーに私は穏やかに『マテ』と命令した。彼女はすぐに従った。大博打に勝った気分である。命令に意味をもたせるため写真を撮ったり親愛の情を込めて身体を叩いたりした。その後犬たちは満足そうに海岸を歩く私たちにまとわりつきながら水辺の散歩を楽しんだ。
煙草を燻らせながら「やはり街では放せないな」「いくら戻るといってもあっという間に100メートルも走られたら、こっちの心臓がもたないよな」と心の中でつぶやいた。
 

あなたの求める犬は? 2004年04月07日(水)

  曇りがちな一日ではあったけど気温はちゃんと春だった。一面の雪景色から、あっという間に枯草の大地が現れる感動を、愛犬と共に味わえることを感謝している。北海道に住む犬と人でよかったと。
春は生き物たちの躍動と雪への惜別の季節。若い犬たちはご飯の前に、空腹による胃酸過多で胃液を戻し、もっと早くメシにしてくれと身体で訴える。
散歩の時には枯草の臭いを嗅ぎながら歩くくせに、トイレだけは残り少ない雪を惜しむように探し、満足げに用を足し、時に冷たい雪に身体を擦り付ける。
「イヌ」としての行動を「家族の一員」である愛犬にも無条件で認めることができる一コマだと思う。
私は基本的に「イヌ」と「家族の一員である犬」、言い換えれば、イヌの生態を主眼に置くことと、都会などで人と共に暮らす犬を育てることは明確に区別されなければならないと思っている。
用途が違うと犬に対する考え方や接し方が変わるということで、さらに言うなら立場が違えば考え方も違ってくるということである。
例えば、麻薬探知犬やアジリティに用いる犬ならば、多くの場合作業意欲が高い反面、興奮度も高くなる。家庭犬ではこれらのことは飼主を困らせる大きな要因になっているであろう。また、獣医によっては免疫ができるまでは外に出さないよう指示したり、去勢はしたとしても時期は1歳以降のほうが良いというかもしれない。一方私のような者は、できるだけ早い人間社会での社会経験を求めるし、繁殖予定のないオス犬は6〜7ヶ月での去勢を当然と考えている。いずれ詳しく述べたいと思っているけど、自分のスタンス(どんな生活を犬としたいのか)を考えれば、世に氾濫する犬の専門書の意見の違いが理解できるのではないかと思う。
 


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