From the North Country

盲導犬の訓練時間 2004年07月11日(日)

  意外と知られていないことだが、盲導犬を一人前にするための訓練時間は、国際基準で80時間以上と定められている。個々の判断にもよろうが、「そんなに早く訓練できるの?」との印象を持たれるだろう。
日本では盲導犬を何か特別な犬として扱う象徴のように『長く厳しい訓練』という曖昧な表現が一人歩きしてしまっているから、ちょっと肩透かしを食らった気分になるようだ。

盲導犬の候補犬はご存知のように1年間パピーウォーカーの下で育てられるが、この時盲導犬の訓練を行うことはあまりなく、盲導犬となるために必要な社会性と経験それに人間に対する信頼感を身に付けるのが主な目的だ。

適性検査に合格した後、訓練に入るわけだが、この80時間以上の訓練を行うために、国際的に見ても4ヶ月から12ヶ月という風に、学校によってその期間が異なっているのは特筆すべきことである。
その理由のひとつに、専門職と『何でも屋』の違いがあげられる。つまり、訓練士として職務に専念できる態勢が取られている学校と、犬の給餌や管理などケネルスタッフを兼務しさらに募金や広報活動も行う何でも屋では、訓練できる時間が当然変わってくるのだ。

イギリス盲導犬協会の繁殖システムを確立した今は亡きフリーマン氏の家に泊めてもらった時、私の仕事が多岐にわたっていることを話したら、彼の娘たちが
「Jack!」と叫んだ。ジャック、何でも屋である。皮肉なことにイギリスのことわざにJack of all trades and master of none.というのがある。多芸は無芸という意味で当時私は少なからず恥ずかしさを覚えたものだ。

しかし、数年後、かの国の訓練士たちと話をした際「私たちは盲導犬を訓練することしか学んでおらず、あなたのようにトータルで盲導犬の育成を考えることができないのが恥ずかしい」と言われ、北海道で専門職化を進めていた私は目から鱗が落ちる思いだった。(つづく)
 

スーの下痢 2004年07月10日(土)

  昨日の明け方3時頃からスーがお腹をこわしてしまった。例によって「ふゅ**ん」の一言でKを起こし、「トイレ」と催促した。雨降りのガーデンに出ると激しい下痢を数回した。
原因は分からないが思い当たることはあった。前日、Kの実家で3時間ほどスーを預かってもらっていたのだが、恐らくその時に食べたものがスーのお腹に合わなかったのかもしれない。
普段食べ慣れないものを与えられると、お腹がビックリして対応できないことが犬の場合多い。ドッグーフードを別銘柄に切り替える際、混ぜながら数日かけるのはその為である。スーのように7歳にもなると少々のことではお腹はこわさないから、余程のご馳走を頂いたのだろうか。

このような時、すぐに病院に連れて行く方が多いようだが、下痢をすることなど生きていれば当たり前に起こるものだ。我が家ではほかに大きな症状がない限り、家庭療法で対応するのがまずは筋だ。
スーの朝食を抜き、胃腸の負担をやわらげた。通常の下痢ならゲンノウショウコを煎じて食パンに含ませると食べてくれるのだが、今回は食べようとはしなかった。「手強そうだな」と感じていたら、嘔吐が始まった。異物は混じっていない。
夕方になって下痢の回数と量が減り、多少血が混じるようになった。出すものがなくなったのと、腸に負担がかかっていたからだろう。まだ、嘔吐があったので夕食も抜くことにした。その後、夜中に一度吐いたが今朝の顔は辛そうではなかった。念のため朝食を抜きビタミン剤を与えて様子を見ることにした。
「午後までに治らなければ病院だな」と思っていたら、昼前から顔色がよくなってきた。K特製のおかゆを少量与えるとペロリと食べ、「もっと」と催促したらしいが、30分は嘔吐がないかを観察してもらい、その後数回に分けて食事を与えた。
一旦よい方向へ向かい始めた時の犬の回復力にはいつもながら驚かされる。夜にはすっかり元気になり、お泊りのジェニーが持参した大きなガムに興味を示していた。
明日のウンチが良好であればOKである。

スーには出来るだけ薬を使いたくないと思っている。長生きをして欲しいからだ。人より確実に早く年を取り、いずれ病に犯されるだろうが、その時、普段から安易に薬を使っていないと必要な時に投与した薬が効果的に作用すると考えているからだ。
 

がんばれ、石川さん! 2004年07月09日(金)

  暑い暑いとニュースになっているのが信じられないほど、今日も長袖が必要な寒い一日だった。何やら太平洋高気圧の勢力が強くて、梅雨前線を北に押し上げているのが原因らしい。涼しくてカラッとした北海道の夏は今や昔の話なのだろうか?

東京ムツゴロウ王国があきる野市にまもなくオープンすると伺った。エキノコックスに関する検疫などで動物たちは長い間隔離生活を送ったらしい。
北海道しかも道東という、とりわけ涼しい地域からの移転でなので、隔離中はエアコンが効いてるだろうが、オープンした後の日中の彼らが大丈夫なのだろうかと心配していた。

1990年にほぼ半年間、私は視覚障害リハビリテーションを学ぶため大阪で暮らした。仲間がアイマスクをしての白杖歩行の実技中には36度を超えたこともあり、暑がりな私は休憩時間の喫茶店でエアコンに張り付いていたことを思い出す。とにかく過酷な暑さだった。

しかし、私は覚えている。あの夏にも犬たちはちゃんと散歩をしていたことを。苦しそうでもぜーぜーしているわけでもなく普通に散歩をしていた。もちろん日中ではなかったが夕方というわけでもなかった。見ると北海道で暮らす犬と違って、お腹の毛はなくちゃんと環境に適応していた。

心配なのは石川さんのことである。動物王国のこれからを担う彼に、犬たちのような環境に適応する肉体的能力がまだ備わっているかが心配なのである。
女は元気でしたたかだから奥さんのことは心配していない。今後は彼女が石川さんを支えてくれることを祈っていると言ったら、奥さんも石川さんも奮い立ってくれるだろうか?。
健康と成功を心から祈りたい。
 

微生物の力 2004年07月07日(水)

  カフェのガーデンにとって最高の援軍が今日届けられた。
10リットルタンクのバクテリアである。

もう7〜8年前になるだろうか、盲導犬協会では犬たちの排便所に消臭消毒のため、ブリーチやハイターなどの次亜塩素酸系の薬品を散布していた。10坪程度の排便所に毎日20数頭の犬が6回以上も用を足すため、夏の暑い日はとりわけ丁寧に散布していた。
しかし、土は死にフェンスは錆びおまけに犬のパッドはつるつるになっていた。

「長崎君、おもしろいものがあるよ。使ってみないかい?」と大学の先輩が無料で提供し続けてくれたのが、このバクテリアである。
原液を数日飲み続け、身体に異常が無いことを確認してから、排便所の土を入れ替え、微生物が住みやすいように炭を入れた後、散布した。
同じ頃、協会の前に養護学校が建築されたが、ヒヤリとしたのは排便所の前が給食室だということであった。
「失敗は許されない」と私は意味も無いのに必要以上のバクテリアを撒いていたのを思い出す。
その後、犬の食事にも混ぜ、老犬ホームにも散布した。

結果は上々であった。薬品と同様の効果があるだけでなく、数日撒かなくても平気だったし、何より安心して犬たちにも散布できた。

少々値は張るが、ガーデンに常在する微生物に加え、このバクテリアを散布することにする。牧草やクローバーだけでなく人や犬たちにも安心だからである。
「自分でも毎日飲んでごらん。調子いいよ。」先輩はそう言うけれど、そこまで今の健康食品ブームを私は信じてはいない。
ただ、脳裏をよぎったのは、手術が必要とされた私の膝は友人のアドバイスで飲んだ健康食品で急激に改善されたことだ。
宣伝や広告には乗せられないが、友人のアドバイスにはちょっと耳を傾けてもよいかなぁと思っている。
 

花と犬 2004年07月06日(火)

  ヴォーノの父さんと母さんが開店前のカフェに来てくれた。
カフェのフラワーポットを管理して頂いてるジャーマンショートヘアーポインターのオーナーだ。

私のパートナーKは花や置物などの美的感覚に優れ、顧客であったロイヤルガーデナーのヴォーノの父さんから「花を置かないか?」とカラー写真の載ったチラシを見せられてすっかり気に入ってしまった。

「花がしぼみ始めたら、その花を摘んでくださいよ。種をつけるようになったら養分がどんどんそっちへ取られてしまうから」とヴォーノの母さんに言われていた。
花の管理はKがするものと思っていたが、オープン前のカフェの掃除には殊のほか時間がかかり、何をしていいか分からずうろうろしている私にそのお鉢が回ってきた。
草花のことには全く疎い私だったが、「お花に水あげてくれた?しぼみかけた花も摘んでね。ヴォーノの母さんに怒られるぞ」と毎朝のようにKに言われて、徐々に生活習慣が出来上がった。

「ヴォーノの母さんに怒られるからな」と念仏のようにつぶやきながら水を与えて4ヶ月。付け根に種子を持ち始めた花を摘み取るうちに、摘んでも摘んでも花が増えてどんどん綺麗になっていくことに感動した私は、少なくともビオラの花に愛着を持つようになっていた。

「そろそろ次の花にしようか」と今朝ヴォーノの父さんが言った。
「えぇっ!まだこんなに咲いてるのに?」と私はパピーウォーカーが1年暮らした犬を引き渡す時のような感傷を覚えてしまった。
「じゃぁ、半分だけ取り替えますか?」今月イギリスでロイヤルガーデニングの勉強に出掛けるという優しいヴォーノの母さんが言ってくれた。
飛行機嫌いで留守番をすることになっている父さんが、次の花は****だと言う。
私には聞いたこともない花の名前だったが、新たな出会いを楽しみにする気持ちに少し驚いた。

ガーデンでは、近々嫁さん候補の仔犬が来るかも知れないと聞かされていたヴォーノが、そこ此処にオシッコを引っ掛けていた。

草花を愛するヴォーノの父さん母さんにとっては、脈々と生命が受け継がれることが自然であり必然である。一方、都会で暮らす愛犬にするため「去勢、去勢!」と騒ぐ私が居て、且つお互いを理解している。
人と花、人と犬のより良き関係を目指していること、そしてそれぞれが商魂ではないしっかりした考えをもっていることが共通点である。
 

去勢の効果 2004年07月05日(月)

  久しぶりにワイヤーヘアーMダックスのクー太クンがカフェを訪ねてくれた。
「去勢したんですよ」
奥さんの顔が妙に明るい。その理由はガーデンで遊ぶクー太クンの姿を見れば一目瞭然だった。

オス犬として虚勢を張っていた頃のクー太くんは、メス犬を見つけてはただただ夢中で追い掛け回し、ヒンシュクを買うことが多かった。
繋がれたカフェの中では「俺を放せ!さもなくば殺せぇ!」とばかりにワンワン吠え立てていた。その度に飼主のTさんはクー太を叱り、「すみません、すみません」と周囲の方に謝っていた。
そのクー太クンが今日はガーデンで仲間たちと楽しそうに戯れ、陽気に愛想よく振舞っている。本能によって突き動かされていた行動が姿を消し、冷静に社会を観察するようになっていた。
叱られることが多かったために、人に食って掛かるところもあったが、一旦よい方向へ歯車が回り始めるとクー太も満更ではなく「わあ、クー太こんなにおりこうで可愛かったんだ」と言われると、もうニコニコしている。

去勢を勧めていた私もこれほど劇的に変化するとは思わなかった。まるで別犬である。
「オシッコもまとめてするようになったので、散歩の時のマーキングがうんと減ってきています」とTさんも散歩が楽しめるようになっているようだ。
また一組、『人間社会での犬』と暮らす仲間が増えたと嬉しくなった。
 

ガロ社長 2004年07月04日(日)

  午後からは久しぶりに長袖に腕を通すほどの心地よい気候だった。私のカフェにはクーラーがなく自然の涼風を窓から取り入れているだけなので、今日のように晴天でありながら肌寒いほどに涼しいのはとてもありがたい。
あと1ヶ月が北海道の夏本番だから、このまま無事営業できることを今夜も祈る。

「長崎さん、これから伺ってもいいですか?」
昨年12月のオープンを心から祝福してくれたガロ社長の娘さんから電話があった。社長は私より10歳年上で、飲むほどに親しみやすく、酔うほどに弁舌が冴えるレオナルド熊に似た優しい方だった。オッチという愛犬を子供のようにこよなく愛し、家族であり社員として過ごしておられた。オッチの最期を迎える前から自宅に伺って、ケアについてのアドバイスをしたこともあり家族ぐるみのお付き合いをさせていただいた。
オッチが亡くなった後も、飲み屋で思い出話が登場する度、オッチは幸せな奴だなとつくづく思ったものだ。

その社長がカフェをオ−プンして間もなく、家族と共にお店に除雪機を届けてくれた。特製カレーを美味しい美味しいと言って食べてくれた。
数日後、不慮の事故で社長が死んだと聞かされた時、私はこれまでに無い、初めてとも言えるショックと悲しみを感じ自分でも信じられないほどの涙が流れ続けた。

「悔しくて悔しくて。どうしてもこの大きな穴を埋めれない」と嘆いていた奥さんと娘さんが7ヶ月の時を経て、ようやくカフェを訪ねてくれるまでになったことを私は喜び、大の犬好きであるお二人にお泊り犬のゴン太を手渡してささやかな幸せの時間を共有した。
二人とも人気のパスタではなく思い出の特製カレーを食べていたのがちょっと切なかったが…

「長崎さん、これお願いします」と、白い布を渡された。千人針のように一針縫って下さいということだった。
納骨を決意されたと聞き、惜別の思いを込めて3針縫った。
私なりの思い入れは現在車庫で休んでいる除雪機に、社長の愛称である『ガロアラシ号』と刻んであることだ。
冬が来るたび、優しい眼差しの社長を思い出し、犬たちにも優しくすることができるとこの夏に思った。
 

続7月 2004年07月03日(土)

  途中、薬局で消毒薬とテラマイシン(これしかなかった)を購入し、行きつけの居酒屋の氷で傷口を冷やしながら酒を酌み交わし体の内部からも消毒した。ジェリーは傍に繋いでいたがとても愛想がよく人気者となっていた。

翌日から軽い訓練を行い、服従心と楽しみを教え始めた。
とても冷たい言い方になるが『病的に人を噛むような犬は深く関わる前に処分したほうがよい』というのが私の考え方である。せっかく善意と希望・喜びをもって犬と暮らし始めたのに、そのままでは自分だけではなく子供までが犬恐怖症になってしまうからだ。
動物管理センターでいわれもなく殺される犬を引き取り、共に暮らすほうが余程よいのではないかと思う。

しかし、目の前の花、水を与えた花は他の花とは違うものである。Tさんもそう考える一人だった。
そこで、ジェリーには悪かったが、彼の命を守るためそれに家族の安全のため外飼いを勧め、Tさんもそれを望んだ。

あれから2年が経ち、先日久しぶりのSOSがTさんから届いた。
「去年もそうでしたが7月になると、おかしくなるのです」
花火の音などが引き金となり、そのうち様々な音に過敏になって、ついには家族を見ると凶暴になるらしい。
物欲やわがまま、あるいは図に乗って噛むのではなく、何かでスイッチが入ると突然人格が変わり凶暴になってしまうようだ。
そのような時でも私が姿を見せると大喜びして従順になり狂喜乱舞することからみて、私は不安の裏返しではないかと思った。
つまり、強く不安に思うことがあった時、通常、誰か頼れる存在が傍にいれば、その不安を乗り切ることができるものだが、そう感じないジェリーの場合、身近な弱いものに対して我を忘れるような行動を起こすことで、不安から逃避あるいは転嫁しているのではないかと思えるのである。

相談に行った獣医は精神安定剤を投与した。しかし私はもっと他に目を向けなければならないところがあると思っている。
深く関わるには重苦しく、できるなら忘れてしまいたいことだが、目の前の花、水を与えた花と思っているのは、どうやらTさんだけではないことが辛い。
 

7月 2004年07月02日(金)

  頂き物の芋焼酎が身体の中で燃焼し始めたのか、西側を除く三方向の窓を開け放したにもかかわらず今夜は暑い夜となっている。

その話は2年前の7月にさかのぼる。
協会を退職し4月から車上生活をしながら全国を巡り、札幌に戻ってきて間もない頃、1件の相談が舞い込んできた。
オスのウェルッシュコーギーが突然狂ったような目になり家族を噛んでしまうというのだ。
恐らく甘やかしてしまった結果、いい気になっているのだろうと思いつつ、Tさん宅を訪ねてみた。

奥さんの顔が暗い。中学生の娘さんの顎から下唇にかけて痛々しい傷跡。いつもどおりの問診を行うが「この人は実情を理解し、私の訴えを真剣に考えてくれるだろうか?」とTさんの眼は不安気である。
ほぼ半日犬と歩き生活を共にしてみたが異常はない。Tさん宅の居間に上がって「恐らくこの子は」と説明を始めて間もなく、犬の目が変わったことに気付いた。

制御するには既に手遅れである。私との距離は1m20しかなく、私は床にどっかと座っている姿勢だった。
「この状態ですね」
「ええ、そうです」奥さんは柱に隠れるようにして答え、子供たちは部屋へ逃げていった。
じわじわとにじり寄って来るが、自ら飛び掛る素振りはなく、私の動きを完全に封じ込めるのが狙いらしい。牛を制御するコーギーの務めであるかのように。

膠着状態の中で妙なことに気付いた。柱にしがみつくように隠れていた奥さんに僅かながら余裕がでたように感じたのだ。「今まで近所の犬好きな方や獣医さんにも相談したけど誰も現実を理解してくれず、『対応が甘いのでは?』という程度の反応だった。長崎さんはこれで分かってくれますよね。」と確かな理解者を得た思いからの僅かな余裕だったと思う。
そこで「タオルを用意してください」。身動きできない私は覚悟を決めてTさんに指示した。

左手を噛ませて右手で首を押さえ込む作戦はあっけなく終わり、犬は急に大人しくなり素直にリードに繋がれた。
私の左手は肉が裂けて出血がひどかった。
思春期の娘さんが二人いる家に、このまま犬を残しておくことはできず、左手にタオルを巻き、すっかり冷静になった犬、ジェリーを車に乗せて私は約束のあった飲み屋へ急いだ。

今夜で完結させようと思ったが、そろそろ酔いが回ってきたので(つづく)
 

YさんとJクン 2004年06月30日(水)

  「今日は雨だしどうせ暇なんだから、ノンちゃんに頭のトリミングでもしてもらったら?」とKが言った。
「えぇっ?」
「だってお母さんの髪も切ってあげてるらしいわよ」
「明日、床屋さんに行くよ。だって髪切って爪きりして肛門絞りまでされたらタマラン!」

バカな会話をしている頃、YさんとJクンがやってきてくれた。先週の小旅行の写真を届けてくれたのである。さすがプロ。ナイスショットの連続である。
Yさんの専門が私には何やらよく分からないが、プランナーでありデザイナーであり写真家でもあるらしい。ただ、はっきりしていることは彼女のすばらしいキャラクターと素人の私にでも分かる才能を世の会社は軽んじており、つまりは今日に限って言えばプータローというもったいない状況にあるということである。明るくニコニコとそんな話をしてくれる彼女だから、そのうち「見る目のある会社と契約したよ」と報告してくれるに違いないと思っている。

そんな彼女から今日はJクンのことをゆっくり聞かせてもらった。Jクン、Gレトリーバーの確かまだ5歳だったと思うが、人畜無害、大人しく置物のような、見るだけでこちらの顔がほころぶとてもいい奴である。
ところが、生後4ヶ月から暮らし始めた頃は手に負えない凶暴者で、初めて犬と暮らしたYさんは困り果てた末、翌月から訓練所に3ヶ月預けて訓練をしてもらったらしい。だから、可愛い時期のJクンをゆっくり見たことがなく、次に出会ったときにはその身体は巨大な成犬になっており、JクンにはYさんが飼主であることも分からなかったという。

歩行の際の指示には的確に従ったが、帰宅してからの日常生活は、身体が大きくなった分、以前以上に凄まじいものがあった。逃げ場のないマンションの通路では体当たりを受けてもんどりうつし、ご飯の時には唸り、それを止めさせようとするとした時には、血が流れるほど足に噛み付かれたというのだ。
訓練所に連絡すると「飼主が学ばなければ犬は変わりませんよ」とあっさり言われらしいが、それからYさんは訓練というものを身に付けていった。

今のJクンを見れば、結果的に良かったのだろうが、私にはあの3ヶ月がもったいない気がしてならない。初めからJクンではなくYさんが学んでいれば、成長の過程を楽しみながら、また一味違った関係を築けたかもしれないからだ。
「あの頃、こんなカフェがあったらなぁ」Yさんがふと漏らしてくれた。

愛犬のことで困っている方。あなたの対応で犬はビックリするほど変わってくれますよ。まずはあなたが学ぶことをYさんとJクンは教えてくれています。
 


- Web Diary ver 1.26 -