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夜9時を過ぎても室内は蒸し暑い。ガーデンの温度計は22度を指していた。照明を入れるとクリーム色の花房をたわわに抱えたニセアカシアの木々が波打つように揺れ、まるで高千穂の能舞台を演出するような神秘的な雰囲気を醸していた。
昨日3人の盲導犬ユーザー(使用者)がカフェを訪ねてくれた。3年ぶりの再会である。 Yさんとは1頭目の盲導犬クリ号を担当して以来20年近いお付き合いで、年齢が近いことや肌が合うというのか二人とも無類の酒好きなため意気投合することが多く、個人的な付き合いも長い。「家の主人は糖尿病なんだからあまり飲ませないでくださいよ。」知り合って間もない頃、奥さんから怒られたこともあったが、その顔には「こんなに楽しく生き生きした亭主を見るのは失明して以来初めてですよ」と書かれてあった。それから20年以上元気で歩いてるんだからやっぱり酒は百薬の長だと思いたい。
Hさんはまだ私が大学生の頃、協会のボランティアとして札幌にやってきた時、既に盲導犬を使用されていた大ベテランである。視覚障害リハビリテーションが日本で始まった頃の優秀な生徒であり、現在わが国を代表する視覚障害教育者のS先生をして「俺な、まだ若くて未熟な頃、視覚障害者の誘導の仕方を生徒のHに習ったんだよ」と言わしめている。聡明で空間認知力や記憶力・応用力に優れ、私はある種天才であると思っている。 もうひとつ彼女を見続けて感じていることがある。『老けるというのは周囲の人々が老いるのを見ることによって、自らもそれなりに風貌の変化を起こす、あるいはそれを加速するのではないか』ということである。幼くして見えなくなった彼女は、老いの状況を視覚的に脳に刺激しないからなのか、私より少し年上にもかかわらず20以上は若く見えるし、実際気持ちも若くあり続けているのだ。
Kさんは私とめぐり合って本当に良かったと私自身が密かに思える人だ。とてもおこがましく生意気ではあるが、視覚障害リハビリテーションの知識と技術を習得した円熟期に彼女と出会えたことによって、私は彼女に将来の方向性・可能性・情報・知識を紹介できたと思っている。彼女自身は生来の楽天家ではあったが、二人暮しのお姉さんは彼女の将来をとても案じておられ熱心に話を聞いてくれた。たぶんあの日からお二人の人生は動き出したと思う。勿論私はちょっと背中を押しただけであることに変わりはないのだが、私にはあの頃の自分を刻んだ喜びでもある。チューハイが好きで「一緒に飲もうよ!」と誘われていたが、糖尿病による人工透析を週に3日受けていたこともあり実現できなかった。その後お姉さんの腎臓を移植して「オシッコがでるようになった」と喜んでいたからちょっとはつき合ってもいいなと思っている。
それぞれに思い出のある方たちが訪ねてくれたのだが、日曜日で店内は混みあっており、ゆっくり話す時間がなかったのが残念でならない。 「今日は雨、雨が降ります。台風が近づいています」またも天気予報が誤報とも言える情報を流し、晴れ間も見えた今日訪ねてくれたら、心ゆくまで話が出来たのにとヤケ酒を飲みながら考えた。
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