From the North Country

続Hさん 2004年06月18日(金)

  ケイのパピーウォーカーは羊が丘の農業試験場に勤務されていたSさんだった。謙虚で知的で穏やかで笑顔が絶えないご夫婦であり、すべての生き物を包み込むような優しさを備えておられた。生活の中心にケイがいて、溢れんばかりの愛情をケイに注いで下さった。協会に勤めて3年ほどでまだ十分な経験もなかった私はSさんとケイを担当しながらスーパーバイザーとしての知識と経験を身に付けていったようなものである。育てられたのはケイだけではなく私自身も同じである。

絞りたての牛乳をこぼさないように自宅まで咥えて運び、ご褒美としてそれを飲んでいたケイ。試験場の丘や野原を自由に駆け回りながら、多くの同僚の方にも可愛がられていた。ラブラドールとしては長毛の優しい手触りの犬だった。
あっという間の1年が過ぎ、さらに1年が過ぎてケイは盲導犬となりHさんとめぐり合うことになる。

「先生、私ね、結婚してから今までずぅっとお父さんのお世話になって生きてきたでしょ。何処へ行くにも手を引いてくれたし、何も出来なくても文句一つ言われなかった。そのお父さんが病気になってケイちゃんが来てくれた。だから私毎日病院に行って、今日はケイちゃんと何処そこへ行けた、今日はケイちゃんとこんなことしたって報告してるの。そしたらお父さん退院して家に帰るのが楽しみだって喜んでくれるの」。
パピーウォーカーSさんから受け継いだ愛情はケイを通じてHさんに届いていた。

道北の冬は時に激しい猛吹雪を呼ぶ。外出先から戻る頃、雪はHさんが通い慣れた道を閉ざしていた。何処に足を踏み入れても膝まで雪に埋もれてしまったという。
どれほど彷徨ったか分からないがHさんは「ケイちゃん、お家帰るよ、ドア探してよ」と言い続けた。ケイがぴたりと止まったのは、やはり深い雪の中だった。既に腰の辺りまで埋まっており「もうダメか」とHさんは思ったらしいが、手を出した先に何かがあり、それが自宅の玄関であることが分かった時からHさんはケイを絶対的に信じることにしたと教えてくれた。

それから12年、老犬となり協会に戻ったケイはパピーウォーカーのSさん夫婦が見守る中、静かに息を引き取った。
『瞳(め)となりて支えてくれたるケイ号の形残れる手のひらのうち』Hさんの短歌である。長年ケイと歩くうちにしっかり握り締めたハーネスが自分の手のひらの形を作っただけでなく、ケイと共に歩んだ様々な思い出を刻んでいるという惜別と感謝を込めた歌である。
しかし私にはケイの死を告げた時、静かに聞いてくれたHさんが受話器を置いた後ひとり号泣し、己が人生を振り返りながら「目が見えず、支えてくれた主人にも先立たれ、その私をさらに支えてくれたケイが何故私より先立たねばならないのか!」という慟哭の末に、静かに悟りを開いた天使の歌声のように聞こえるのである。
 

Hヨシエさん 2004年06月16日(水)

  「Hさんのことで是非お話を伺いたい」という内容の丁寧な手紙が今日届いていた。差出人は北海道新聞社の道北にある小さな町の支局長さんからであった。

Hさんとはその町に住んでおられた盲目の女性である。話し方がとてもチャーミングで少女のような響きがあり、そのことを褒めると「先生、いやだぁ。恥ずかしい!」と照れに照れ、その姿がまた素敵だった。

その明るい声が何処から発せられるのか、彼女の生きざまを知った人は誰しも自分の人生を振り返るに違いない。
20数年前彼女と出会った私もその一人だった。
記憶が確かかどうかは時の流れのためで、今日はアルコールとは関係ない。はずだ。

20代の頃、彼女は動員された工場で空襲に遭い、視力を失った。後のご主人と出会ったことで彼女は生きる力と、世間の偏見に耐えつつも冷静に正義を見る心を培った。血の滲むような生活の中で3人の子供を立派に育てあげたに違いない。
そして夫婦だけの暮らしが再び始まった時、「盲導犬を使ってひとりでこの町を歩きたい。」と協会に連絡してきた。
しかし本当の目的は別のところにあったと後年彼女が教えてくれた。
「先生、本当はね、お父さんに手作りのお弁当を作って持って行ってあげたかったの。だから訓練中、もう足が動かなくなってトイレにさえ這って行く状態だったのに誰にも内緒で必死で頑張ったんだぁ。それと私一生忘れないけど、あの時先生がこう言ってくれたからやりとおせたんだよね。」
その時私が何を言ったのか記憶にはなく、今となっては全く思い出すことも出来ないが、帰宅してから彼女がご主人のために作ったお弁当には確か卵焼きとウインナーが入っていたはずだ。
ご主人はガンに犯され入院生活を送っていた。それまで彼女の歩行と人生を介助してくれたご主人に美味しい手作り弁当を届けるため、盲導犬ケイ号が毎日の病院への道のりをサポートするようになった。

その年ご主人が亡くなってから、彼女は思いを託した短歌を添えて毎月私に点字の手紙を送り続け、私も始めは点字で返信していた。「先生、返事は要らないよ。私のボケ防止のために書いてるんだから読み飛ばしてくださいね。」と優しい心遣いをいただいて以降、返事は電話での会話となり、それは一昨年まで続いた。(明後日頃につづく)
 

基礎から学ぼう 2004年06月15日(火)

  いつの間にかガーデンのニセアカシアには白い花房が咲き始め、折からの強い風に揺られていた。天気は良かったが真夏日の昨日と打って変わって寒い一日だった。

午前中には二組の夫婦がそれぞれ別々に来店された。おひと方は1年前にゴールデンを亡くされ、犬恋しさにカフェを訪ねてくれた。もうおひと方は引き気味なゴールデンとハイパーな黒ラブと過ごされているため、この店に連れてきても良いものかと、とりあえず下見に来られたご夫婦であった。それぞれにある種の決心をして来られたのだと思うと、ついつい声をかけてお話を伺いたくなり、あっという間に時間が過ぎていった。お泊り犬のラッセルやトリミングを終えたシーズー、スタッフのアメリカンコッカーが会話の隙間を立派に埋めてくれていた。

午後には初見参の生後6ヶ月のチワワちっちちゃんの飼主の方からお話を伺ったが、小型犬と大型犬のスタートラインからの違いを考えさせられた。
相談の内容はトイレのしつけであった。普通6ヶ月といえばトイレのしつけは完璧なはずである。と思うのは大型犬の飼主であって、小型室内犬の場合はそうでもないことが多い。実際このちっちちゃんはそのほとんどが失敗の連続であるというのだ。
大型犬の場合、たとえ仔犬といえどもオシッコの量は「わぁっ」と思わせるものであるから、最初のしつけはトイレットトレーニングになる。しかし小型室内犬を飼われた場合はどうやらそうではないらしく、小鳥やハムスターを飼われたような感覚になり、犬はペットシーツでしてくれる分、楽に暮らせるという発想が生まれる。だからケージの外に出して遊んでいても、「そろそろオシッコに連れ出さなければ」という考えが浮かばないようだ。
そのうえペットショップでも家庭での暮らしを想定せず、ショップでのシートの上にしかオシッコが出来ない状況を作り出し、単にそれだけで『トイレのしつけ済み』などと宣伝して売りつけているから、家庭に入ったとき問題が生じる。

トイレのしつけとは、人が指示した場所でかけられた言葉に従って用を足すことであり、その時間以外にもよおした時には、何らかの方法で人に伝えることが出来るようにすることである。そして人は犬が我慢する前にその要求を満たしてあげなければならないのだ。
失敗を叱りつづけると、犬は「この人の前では出来ない」とさらに排尿便に神経質になり悪循環が始まる。
どんな時にするのか、時間的な間隔はどうなのか、犬の動きで分からないのか、その時どうすればよいのか等などが分かっていれば、簡単にしつけられることである。

犬がトイレをする時は無防備な状態であるから特に神経質になる。そのために人がどう振舞えばよいのかも決まってくるのだ。そして何より、このしつけによって犬が只者ではないことを飼主は知り、犬は知能を働かせシンキングアニマルへと変貌するのだと思う。

犬のことが分からずに暮らし始めた方々、これから暮らしたいと考えている諸氏。まずはカフェを訪ねて基礎知識を身に付けることをお奨めする。
犬無しでのご来店も大歓迎である。時間が空いていればゆっくりお話もできるだろう。
悪意を持って犬と暮らそうと考えている人などまずいないのだから、きっと楽しい時間が共有できると思っているし、互いの勉強になりこの輪が広がることを心から願っている。
 

ラッセル君 2004年06月14日(月)

  今日札幌は真夏日を記録したらしい。
とはいえ此処里塚緑ヶ丘は何と言ってもテレビ塔とほぼ同じ高さにあるため、風通しがよく爽やかな一日だった。

暑さを感じるのは、急遽昨日からお泊りのゴールデンのラッセル君が傍に来た時だ。とにかく身体を密着させて人を恋しがる。おまけに発火点が低く、「ああ、よしよし」なんて声をかけようものならすぐに着火し、尻尾と腰を同時に振ってのた打ち回りながら興奮の嵐を巻き起こす。普通に接していれば、居るか居ないか分からないほど大人しいので、この対照的な反応は一見の価値はある、が夏はむさくるしい。
たぶん散歩の時など奥さんは前方を見据え、誰か知ってる人が現れないか戦々恐々であろう。
「おおーい!ラッセルゥ!」などと声をかけられたら
「呼ばないでぇ〜!」と言い終わる間もなく、バターンズルズルズルと引きずられるかも知れない。

ところがこのラッセル君、今日の散歩では実におりこうに歩いてくれた。去勢したおかげでマーキングも全くなくなったし、臭い取りも要所要所で許可しておけば、後はゆったりである。一昨年の冬に何度かレッスンしたときから比べてずいぶん良くなっている。ちゃんと成長していたんだと思うとうれしくなった。
童顔でとても可愛らしく、コートは産毛のように柔らかいとなると、家族の方はついつい幼い子供のような接し方になってしまうのだろう。そのことが精神的な成長を少し遅らせることになっていたとしても、ラッセルはちゃんと成長していた。
あともう少しだ。一人にされた時、鼻から発する笛のようなピーピー音がなくなることを期待してる。

明日か明後日、お母さんがお迎えに来たら、その時は思いの丈甘えてお母さんの手を煩わせてやるといい。密着してずっと寄り添ってあげればいい。実のお父さんを亡くした悲しみを君なら誰よりも癒してあげられるかも知れないから。
 

カフェの声 2004年06月13日(日)

  初夏の陽気の中でたくさんの犬たちが遊んでくれた。今日はカフェを利用される飼主の方々の共通した言葉、ベストスリーを発表しよう。

第1位:「家の犬がこんなに上手に楽しそうに遊べるなんて思ってもみなかった。他所でだったらワンワン吠えてうるさいのに、此処だったらこんなに犬がいても声も出さずに遊んでるんだから」
これには私どもスタッフの緻密な配慮が隠されていることをお察しあれ。

第2位:「思えば最初の頃とはぜんぜん違うよね。初めの頃なら人にも犬にも警戒してたのに、今なんか遊ぼう遊ぼうだもんね。でも、家に帰るといつもと同じになっちゃうのよね。ちょっとだけ前より引っ張らなくなったし、吠えるのも少なくなったかもしれないな。」
学べるドッグカフェですので通うだけでも着実に変化しているはずです。今、大人気のショートレッスンをお申し込みになれば更なるステップアップが期待できますよ。

第3位:「此処にくるとウンチ出るよね。普段はこんな時間に絶対しないのに、1週間分の宿便すべて出してんじゃないかと思っちゃう。」
開放的になると犬って安心して出しちゃうんですよね。
これから夏場に向かい臭いや衛生面でも気を使うことが一杯あるが、ガーデンの土の下には備長炭が敷き詰められていて、そこにはたくさんのバクテリアが生息している。彼らはもっとたくさんの糞尿を要求しているのでご安心下さい。それから表面にある白い石のように見えるゼオライトだが、これも脱臭作用や水分調整それに下痢止めの働きがあるのでさらに効果的だ。

犬たちを中心に話題を進めているが実は我がカフェには更なる特徴がある。
ボルカンアスールというコーヒーが美味しいだけでなく、特製カレーは絶品だし、今月のパスタはまず間違いなく旨い!それに今月からはスタッフが勝手にアイデアを絞り、作り始めた『白たまクリームきなこ』とやらが大ブレイクしている。もちろん、ニセコルヒエルのジェラートは感激に値する。
他にも取り扱っているドッグフードには絶対的なこだわりがあるし、トリミングにはノンちゃんという手抜きを許さない職人がいる。

そうそう、トリミングと言えば15日から月末までの平日午前中爪切り無料サービスの張り紙をカフェの前に出したその日からトリミングの予約が入り始め、今日慌ててその張り紙をはずした。ところが、たった2日の張り紙でも近所の人はちゃんと見ておられた。
「ただで爪切ってもらえるんですよね」
「は、ハイ!でも予約が入ってまして」
「何時だったらいいの?」
「そ、それじゃ、10時ちょうどなら…」
「じゃ、ピッタリに行きますからね」
失敗した!あの張り紙にはこう書けばよかった。
爪切り無料!『出血』大サービス!と。
 

シンキング・アニマル 2004年06月12日(土)

  昨日、犬の言語能力の話題について少し触れたが、いずれ科学的に解明されるであろうことは他にもある。

1.犬は考える動物であるということ。これについてはごく当たり前のことに思う人と、否そのように見えるが実は彼らの行動は、単に刺激に対する反応や経験に基づく学習行動の反復であると言う人がいる。後者には心理学者が多く、確か14年前に亡くなったスキナー博士の理論の継承者であると思われる。彼らによると人間もまたそのような生き物であるらしい。給料という報酬を得るために、せっせと働き少々嫌なことがあっても我慢し、ボーナスでも貰おうものなら「頑張っちゃうぞ!」と忠誠を尽くす。
『考える』の捉え方が違うのだろうか?当然定義されているはずだから酔っ払った私に詳しいことはいえないが、盲導犬の国際会議でイギリスの盲導犬使用者でもあり心理学者でもあるブルース・ジョンストン博士は彼の盲導犬の働き振りを見て「壁に立てかけられた板は障害物として回避するが、同じ板を川に渡せば橋として利用するなど、具体的に教えられていないことまで彼らは状況を判断し即座に行動に移す。コンピューターでも相当なプログラムが必要な突発的な判断を行うことが出来る彼らを『考える動物』と呼ぶことにどんな不思議があるだろうか」と言っている。

2.犬には遊び心があり冗談が通じる。遊び心は『生きる喜び』に含まれると思うし、それを犬たちが見逃すはずはないと私は思っている。さっきも愛犬スーは私が与えたガムを見せびらかせながら、「ねえ、このガム私から取り上げて、どっかに隠したいと思わない?でもそう簡単には渡さないわよ」とばかりに私の前をうろついている。実際それを行動に移すと、「ヤッター」とばかりに探索を始め見つけたときにはニコニコしながらやってくる。

3.犬は寛大で人の過ちを許してくれる。間違って尻尾を踏んづけても根に持つことはないし「ごめん」と言えばまた寝なおしてくれる。人間のようにそう簡単にキレることもない。

だんだんと話題を短く切り上げようとしている雰囲気を察しておられることだろう。実はもう夜中になってしまったからなのだが、ガムのかくれんぼを楽しんでいたスーも、そのガムを顎の下にしまいこんで傍で寝息を立て始めた。
明日は軽い話題が提供できるといいなと私も思っている。
 

爪切り 2004年06月11日(金)

  犬の爪は適度に切らないと、血管と神経が追っかけるように伸びてきてあとが厄介なことになる。特に前肢の親指は直接地面に触れて磨耗することがないため、羊の角のように曲がり、時には皮膚に食い込んでしまう。自然に割れて剥がれ落ちることもあるが、そうそう期待出来るものではない。(おそらく野生動物の場合はそうなるのだろうけど)
そこで爪切りが必要なのだが、これを嫌がる犬がとても多い。
・拘束されたうえ敏感な足を触られることを嫌う
・過去に神経を切られ痛い目にあった等が主な理由のようである。
まず足先を触らせることに普段から慣れさせておくことと、失敗しない爪切りをすることが大切である。自分でできない時は動物病院やショップで成功例を重ねるなどしてさらに慣らしておくことも大切だ。

ところがどうしても極度に怖がる犬がいる。聞いてみるとショップなどでは血管や神経にはお構いなくばっさりと切り取ってしまうことがあるというのだ。特にショードッグではそのようなことが当たり前に行われているらしい。
何処に視点をおいて犬と生活しているのだろう。
そんな奴ら(下品で失礼)は犬と関わるべきではないと思う。
去勢や避妊などで全身麻酔をする機会もあるだろう。やむを得ない場合はそのような時に獣医に依頼するべきだ。
牛の焼印程度にしか考えていないのだろう、そう思って正当化しているのだろう。反論する絶対的根拠を私はまだ知らないが、今日のニュースに、犬の言語理解能力は人間の3歳程度のものがあると出ていた。そんなこと私には何十年も前から分かっていたけど、科学的に解明されることも大切なことだ。いずれ犬の痛みが心に及ぼす影響と家畜のそれが違うことが証明されるだろうが、それまでは犬の気持ちを代弁して感情的に振舞うことを許してもらいたい。

私の膝が痛いとき、スーは決して引くことはなかったし、ちょっとした動作の中でもチラリと心遣いを私に見せてくれた。そしてそれはスーだけではなくこれまでに訓練してきた盲導犬候補犬のほとんどすべてが私に残してくれた、犬としての優しい心であった。
たかが爪切りといってもいろんな思いがある。
 

今日はいい天気 2004年06月09日(水)

  まずはお知らせから。
今月15日火曜日から月末まで(定休日と25日を除く)平日の午前中にご来店いただければ、爪切りの無料サービスをいたします。但しトリミングのためトリマーのノンちゃんが手を離せない場合もありますので、予めお電話で確認して下さい。それと爪切りの時に『絶対に噛む』というワンちゃんは…ムリです。

この1ヶ月膝痛に悩まされ、医者からは棚障害だから手術が必要と言われて躊躇し続けてきた。レッスンも行えず日常生活にも不自由していた。
先週の土曜日、ワイワイ仲間がやってきて、このことを話したら「あら、いい健康食品があるよ。私もずっと膝痛で苦労してたけど、これ飲んだら1ヶ月もしないで治った」と言いさらに「騙されたと思って飲んでごらん。私もそのつもりで飲んだんだから」と頼もしい。
早速その日から飲み始めた。1ヵ月後を楽しみにし、これでダメなら手術と決めていた。
昨日のショートレッスンあたりから痛みが減ってきたように感じていたが、今朝は不思議なくらい何ともないのだ。少しためらいもあったが午前中に3頭のレッスンを行った。
痛くないのである。
「天候のおかげだ」とまだため口をきく奴もいるが、私は明日に期待を寄せている。確か低気圧が通過するはずであるから…
ただ、飲み始めてまだ4日。不安半分と「やっぱ若さかな」との自惚れが交錯している。
これで完治するとは思ってないが、当面を凌げるならありがたいことこのうえない。
「わか子!君のおかげだ!」と言えるようになって欲しいと願う。

そんなこんなで今日は晴れやかな一日だった。
そのうえ新しい発見と出会いがあった。
Mシュナウザーとは出会うたびに吠えかかる犬種であると思い込んでいたが、今日出会った3頭は人にも犬にも優しい子達で、一緒にいて楽しく何処へでも連れて行ける感じがした。社会性が豊かなことが共通していたが、果たして私がいつも言うように、社会経験というものが、仮に悪い血統や犬種特性があったとしてもこれらを駆逐することが出来るのか。しばらくは多くの犬たちをみて学んでいきたいと思っている。
 

今日のショートレッスン 2004年06月08日(火)

  午後になって昨日のようにリラ冷えとなった。夕方はストーブを焚き、閉店後の散歩も早々に切り上げた。

今日は膝の調子も良かったので、ジャックラッセルのケイトちゃんのショートレッスンを行った。
これまでにも何度かサービスチェックとアドバイスを行い、だいぶ良くなったとご主人は言われたが、散歩に出かけた時、落ち着くまでに数分かかってしまうのでそれを何とかしたいという相談だった。

このような時は玄関を出た時に数分の服従訓練を行えばよい。散歩に行こうとはやる気持ちを少し落ち着かせるだけではなく、飼主にも犬に対して「マジだぜ」という気持ちを持つことが必要だ。
犬は既に舞い上がっている訳だから、スワレ・フセ・マテという課目すら安定してできない。これをきちんと行うことが難しいのだが、その責任は犬にあるよりも飼主の接し方にあることが多い。
とにかくやたら声をかけすぎて、さらに犬を興奮させている。とにかく黙って制御することを身に付けよう。
次に褒めることをやめよう。これも同じ理由だ。出掛けるというだけで犬は喜んでいるのだ。火に油を注ぐことはない。
排尿便のための散歩をしているのなら、何をしても無駄である。とにかく出すものを出すまで犬は落ち着くはずがない。この場合普段のトイレタイムと散歩を明確に区別する必要がある。

ともあれ服従訓練を済ませてケイトちゃんのレッスンを始めた。
姿勢を保持する必要性とそのためのリードコントロール。歩きながらも『聞く耳を持つ』ためのイエストレーニング、言葉のかけ方などを、説明し、やってみせて、やってもらった。
「なるほど」と興味を持って感心されていたので、次回の来店が楽しみである。
ただ、もう一つの相談であった「ちゃぶ台にダイビングして上のものを掻っ攫ってしまうんです」というケイトちゃんだから、相当手強いと予想している。
 

有料レッスン 2004年06月07日(月)

  肌寒い一日だった。
お店の周辺は住宅街で緑も多いが、街の中心部に住んでいた頃とは季節感が違う。ライラック祭りはとっくに終わっているのに、この辺りでは今が見頃になっている。古くから住んでいる人に聞くと、ここは札幌テレビ塔とほぼ同じ高さにあるらしい。それで合点がいった。気温は中心部より2度ほど低いし、風はやたら強い。以前はそのテレビ塔が見えたというから相当住宅が増えてきたのだろう。

カフェの周辺を毎日たくさんの犬たちが散歩している。小型室内犬とレトリーバーが多いが、中にはアイリッシュウルフハウンドとニューファンさらにはブリアードを引き連れて散歩をされている方もおられる。ただ皮肉なことに近辺の方がカフェを利用されるケースは少ない。その主な理由はわかっている。カフェの前にアクリルボードに書かれた『ご利用案内』という掲示板があるのだが、そこには「基本的な制御が出来ること」「攻撃的でないワンちゃん」という項目があり、毎日のお散歩途中にそれを読まれている方の多くは「ありゃ、家の犬は無理かも?」と二の足を踏まれていると近所の常連さんが教えてくれた。
それに比べて口コミで遠方から来られる方は、看板を見ることもなく一気に駐車場に入って来られるのだ。そのうえ、カフェで興奮したり落ち着かない犬は許可を得て私が制御するから、ガーデンで他の犬たちと遊ぶ頃には、落ち着いて仲良く遊ぶことが多い。白いフェンスと白樺それにニセアカシアに彩られたガーデンでそうやって遊ぶ犬たちを散歩の途中に外から眺める近辺の方々は「やっぱり家の犬じゃダメだ」との思いを深くされているに違いない。

あの文言は万が一に備えて必要ではあるが、制御の許可さえ頂ければ、そしてご自身で制御の意思さえあれば、ファイターのような積極的攻撃性のある犬は別にして対応は可能である。それが『学べるドッグカフェ』の所以である。

今日、どう見てもパグと黒ラブのハーフと思われる血統書付きの『純血のパグ』がやってきた。太い声で吠えつづけるのでご主人が抱きかかえている。私が近寄ると牙をむいて吠え立てとても威勢がよい。しばらく様子を見ていたが、ご主人はコントロール出来ないと諦めているのか抱きしめるだけで、犬は相変わらず吠えている。他のお客さんの迷惑を考え、制御の許可を申し出た。リードを預かりガーデンに出て5分後にはそこそこに落ち着いたので店内に戻り、しばらく制御を続け飼主に戻した。
「家の子がこんな風に大人しくなるとは信じられない。初めてこんな姿を見た」と喜んでいただけたようだが、私は以前のコラムで反省の弁を口にしている。
そうだ!経営のためには『街の電気屋さん』にならなければいけない。
「店内で静かに過ごすお手伝いは無料で行いますが、それから先は有料レッスンになります」
今日、高らかに宣言するゾ。
 


- Web Diary ver 1.26 -