From the North Country

愛犬自慢その1 2004年06月05日(土)

  愛犬自慢になって恐縮であるが、我家の愛犬スー(ゴールデンレトリーバー7歳)はこれまでに出会った犬たちとはかなり違っているように思う。あまりに身近すぎて深く考えたことはなかったけれど、彼女との生活はやはり普通の犬との生活ではないように思える。取り立てて何が、と言うわけではないが、トータルで不思議な犬なのである。ちなみに彼女の様々な反応は7歳と言う年齢から来ているものではなく既に2歳の頃から定着している。数回に渡って親バカぶりを紹介させていただくことにする。

朝、7時頃に私たちが活動を始めても彼女は私のパートナーのベッドでまだ眠っている。
「スーゥ、シッコ行くよ!」と声をかけると、迷惑そうに重そうな瞼を上げるが、また布団に潜りなおししばらくは出てこない。
「早く、行くよぉ」。何度目かの呼びかけにようやく出てきた彼女の頭には人間並みにしっかり寝癖がついている。

「スーゥ、ご飯だよ!」
「どうしようかなぁ」とまた面倒くさがっている。食器のところまで行くと美味しそうに全部食べてしまうのだが、それまでの腰が重い。

朝のテレビ番組で『今日のわんこ』というのがあるが、これは好きで最後までじっと見ている。テレビを見る犬は何頭も知っているが、スーの『みる』は人間のそれと同じ『観る』である。夜の動物番組はとりわけ大好きで、ナレーションの中に自分が知っている言葉を聞き分けては「なるほど、そうか」という顔をして1時間でも観ている。

基本的に日本語が通じる。
散歩の時は社会的なこともあり人前ではリードを着けるが、本来何処へいってもノーリードで問題なく、「ちょっと待って」「いいよ」はやく・ゆっくり・帰るよ・猫いるよ・ボール捜してもっといでなど多くの犬たちがやるようなことも普通に出来る。
困るのはスーが用事があるときに私たちに話し掛けることである。
「ごめんなさい、このドアもう少しちゃんと開けてください」「たしか、昨日のガムが残ってたはずだから、持ってきてくださる?」「ねぇ、お母さんどこか知らない?」「この高さじゃわたし届かないから取ってくださる?」「ベッドに上がりたいんだけど、お布団のこの辺り抑えて上りやすいようにしてくれない?」
そのすべてが、対象物に視線をやりながらの「ヒ**ーン」の一言だ。解読には時に想像力が必要だが、間違えても心配ない。当たるまで言いつづけるのだから。

家にいて『スーがいるから』と配慮することはない。ちゃぶ台に食べ物があっても心配ないし、いたずらは皆無だ。
静かに歩き一歩ずつ階段を昇り降りし黙って寝ている。

つい先程スーがやってきて私を試すようなことを言った。例によって「昨日もらったガムのことだけど、何処にあるか知らない?」「さっきジェニーが持っていって全部食べたでしょ。」「あら、あれ私のガムだったの?」
知ってたくせに一応とぼけて見せて新しいガムを貰おうとの魂胆だった。いつもなら「早くもってきてよ」としつこいのに、今晩は「でひぇっ、ダメか」とばかりに引き下がっていった。(つづく)
 

共に学ぶ 2004年06月04日(金)

  愛犬の問題行動を治したいとしよう。さて、皆さんならどうするだろう?
「そんなの自分でビシッとやって教えりゃいいのよ。」
「しばらくは苦労するだろうけど愛情もって時間をかけて言い聞かせながら暮らしていれば、犬はそのうちいい子になるものよ。」
「いろんな本を読んだり、しつけ教室なんかに通って教えてもらって勉強してるの。」
「うちは訓練所に半年でも預けて治してもらいます。」などなどいろんな声が聞こえてきそうだ。

それぞれに一長一短があり、犬の性格や、問題行動の種類によって「何とも言えない」というのが正直なところだ。

仮に私に相談があった場合、私は複数の事柄を考える。
1.犬の健康状態に問題はないか?
2.犬種・年齢・性別その他特性はどうか
3.生活環境はどうか?
4.飼主に問題はないか?
5.経験によるものかそれとも先天的なものか?
などがスタートであり、同時に犬に様々な刺激を与えてその反応を見る。
つまり問診と刺激を繰り返し診断の仮説を立てるのである。
難しいのはその次だ。
プロとして相談を受けているわけであるから、そこそこの結果を出さなければならない。よい結果をお見せすることは簡単であり、ほとんどの場合可能であるのだが、ここに問題点が少なくともふたつあるのだ。

ひとつは、飼主が長い間困っていた事柄なのだから、元々初対面の私がすぐに解決するにはどこかに無理がある。つまりは、きちんと挨拶を済ませ信頼関係を築く数回の「無用の用」の時間が必要なのだが、それを端折ってしまいがちなことである。
ふたつ目は、私にできることであっても飼主が出来ないことをやって見せても全く意味がないということである。
確かではないが、山本五十六だったか誰かが「言い聞かせ、やって見せ、やらせてみせねば兵は動かじ」と言うようなことを言っていたが、飼主に対してどの方法が対応可能かを判断する能力とより多くの解決策を提示できるかが問われている。

魔法のような訓練は簡単であるが、飼主にそれを教えるのはとても難しい。言うことを聞く犬を訓練しても、心通わぬ(閉ざした)犬にしてしまったならその訓練は失敗である。
ここから共に学べたらと願う。
 

3度目の満月に 2004年06月02日(水)

  今日も暑い一日だった。ワンちゃんたちの最後のオシッコのため夜11時半にガーデンに出た。ひんやりとした空気が日中に蓄熱した身体に心地よい。いや蓄熱だけではなく焼酎による発熱も加わっているため、尚更気持ち良く感じた。大きく背伸びをすると南の空には綺麗な満月が輝いていた。そういえばこのホームページをアップした夜も満月だった。あろうことか筆不精の私のコラムが3回目の満月を迎えていることに身震いして部屋に駆け上がってきた。

月曜からお泊りのゴールデンは、以前この欄で『奥さんによじ登る』犬として紹介したことがある。
「とても困ってるんです」という奥さんの顔には満更でもないものも混じっているように感じていたが、やはりそうだったと思う。
まる3日間私と寝食を共にしたが、とても落ち着いたいい子である。
ただ、犬が苦手で、接近された時に不安を感じて私に助けを求めるように飛びつくことと、昨夜のジンギスカンパーティーのような賑やかな雰囲気の中では、自分に注目を集めるため甲高い声で吠え、両手をかけることがあった。
私は「君はいい子だ。目をそむけず、ちゃんと見据えて自分で解決してごらん。」とばかりに突き放し悟られぬよう見守っていた。

恐らく、この子と奥さんとの間には過去のどこかで次のようなことがあったのだろうと予想できた。
犬の不安に対しては、抱き上げることで守ってあげた気分になり「ああ、怖かったの?大丈夫大丈夫、もう大丈夫だよ」と小型犬に対するような接し方があり、成長を続ける中でもそれは続けられ、人も犬もその対応に満足する部分を強く持っていたのだろう。
また、公園などで他の犬の飼主さんと立ち話をしている時に、犬は注目を集めるべく吠えてみたら「あらまあ、この子自分に注目して欲しくて吠えてるんだわ。きっと焼きもち焼いてんのよねえ。あっはっは。よ〜しよしいい子ねえ」と言って抱きかかえることもあったに違いない。

「それのどこがおかしいの?可愛い我が子に対して当然のことで微笑ましいじゃない?」という方もおられるだろう。
犬によっては飼主の思いやり以上に過剰に反応したり、別の結びつけ方をする場合が多いのを知っておこう。

人のほうが利口なはず。自分の愛情表現と相手がどう育っているかは別物だ。冷静に我が子の性格を振り返って今一度、接し方を考えてみるのも犬と暮らす楽しみの一つである。
 

予想はよそう 2004年06月01日(火)

  朝からガーデンの日当りにある温度計は29度を指していた。けだるくなるような午前中、心地よい午後、爽やかな夕方だった。
この野郎!詐欺師!ペテン師!嘘つき!この1週間は晴れるって予報してたじゃないか!
あまりの天気の良さに閉店後パートナーの息子と彼の彼女を招いてジンギスカンパーティーを急遽計画した。
ところがガーデンで炭火を起こし始めた頃から急に雲行きが怪しくなり、二人が到着した頃には激しい雨になっていた。
私のカフェは良くできたもので、どのような気象条件でも即座に対応できるため、ウッドデッキで肉を焼き、店内でのんびり食べることができたが、本当ならアウトドアでのパーティーが楽しめたはずだった。
予報されていたのだったら明日に伸ばすこともできたのに。気象予報諸士これから心せよ!「ようわからん!」と言ってくれれば我々の自己責任において対応できたのだぞ。

私は犬の相談を受けた時はっきり「見てみなきゃ、ようわからん」という。今朝も遠慮がちに入店された方は、犬をお連れではなかった。ラブとダルメシアンのハーフでとてもハイパーなため、同伴するのを遠慮されたようだった。
話を伺いながら、どのような犬か想像を広げたが「とにかく一度連れてきてください」とお話して明日の朝来られることになった。

街の電気屋さんの話をご存知だろうか?
「テレビが故障したので見に来てください」という依頼があった。電気屋さんが出かけてみると故障の原因はすぐに分かったそうだ。でも、あっという間の作業で片付けてしまっては、依頼主は何か損をしたような気分になってしまうし、有り難味もない。だから少しは「ああでもない、こうでもない」といじくるのだという。そしたら大いなる感謝の気持ちで支払ってくれるというのだ。

もし私にそのような商売のテクニックが備わっていたら、この店はもう少し潤っていたに違いない。
気象予報士のように、外れたとしても皆から許されるような雰囲気と、街の電気屋さんのような憎めないテクニックを今後は探ってみようと真剣に思っている。

それにしても、ドッグカフェに漂うこのジンギスカンの匂いに、明日訪れる犬たちはどんな反応を示し、私はどう対処すればよいのだろう?
「気のせいだよ」とさらリ言ってのけ、明日訪れるラブとのハーフの犬を迎えたいと思う。プロフェッショナルとして。はて.出来るかなあ?
 

オープン半年に思うこと 2004年05月31日(月)

  皆さんにまず感謝しなければならない。
カフェをオープンして今日でちょうど半年が過ぎ、この間大きなトラブルもなく、何よりまだこのカフェが人手に渡ることもなく存続し、私たちが食い繋げていることを。

この半年の間にいろいろ学ばせていただいた。それまでが盲導犬というどちらかと言えば特殊な世界での経験であったがために、学ばなければならない多様な犬種と家庭犬のニーズと対応についての経験ができたことが一番の収穫であった。

2002年のサッカーワールドカップの年に退職し、車での生活をしながら4ヶ月の間日本を旅した。
次の展開を決めかねていたつもりだが、今になって思えば旅の始めに旧知のムツゴロウ動物王国の石川さん宅に5日間居候した時に「やはり犬に関わっていこう」と決めていたのだと思う。
一気に九州に渡り、時間をかけてのんびり北上しているうちにその気持ちは徐々に膨らんでいった。

人生とは人と人のつながりで成り立っていると実感し感謝した頃でもあった。
たくさんの方々に支えられてきたが、とりわけ瀬棚のN先生とそのお母さんの
物心両面にわたる援助にはどんなに感謝しても尽きることはない繋がりを感じている。いつまでもこの気持ちを忘れることはないだろう。
たとえお二人に直接の恩返しはできなくとも、犬を愛する方々への私なりの支援で、感謝の気持ちを届け続けていきたいと思う。

これからもまたいろんな方々との出会いが待っているはずである。次の半年へ向けて恥ずかしくない時を過ごしたいと願う。
 

ドッグカフェナガサキ育ち 2004年05月30日(日)

  昨日は寒くてストーブを焚き、今日は半袖でちょうどよかった。また季節のせめぎあいが始まった。

札幌では今日が運動会のピークであり、家族で参加するためワンちゃんをカフェに預けて行かれる方もおられた。その中に生後5ヶ月の黒ラブのドルチェがいた。

2ヶ月ほど前に、かじる・いたずらする・落ち着かない・トイレのしつけができない…と困り果てたような問い合わせがあって、カフェに連れてきてもらった犬だ。観察しているととてもラブらしいラブで大きな問題は見受けられなかった。常連さんからは「可愛い!なんていい子!」との声もあがってその時からドルチェは社会性を身につけ始めた。

飼主の方に生後3ヶ月のラブがどういったものなのか、今後さらにどれほど凄まじいものになるのかということを伝え、対処法をアドバイスすると安堵の表情を浮かべられたことを今でもはっきり覚えている。経験のない/少ない方々にとって「この犬の行動は異常ではないのだろうか?」と不安に思うことを「これが当たり前なんだ」と思えるだけで心が楽になることがあるが、ドルチェの家族が正にそれであった。一度だけお泊りをしてしつけをしたことがあったが、ドルチェは順調に育っていると思う。思慮深く落ち着いており、しかも大型犬が居並ぶ中で堂々と渡り合っていた。

カフェの入り口に飾ってあるパンジーとビオラのフラワーポットの前で、咲き終えた花を摘んでいた時、下の道を小学校2年でジャックラッセル・エス君の相棒の大我(たいが)君が友達と歩いていた。
「ここは何?」と友達。
「ドッグカフェだよ」と大我君
「ドッグカフェって何するところ?」
「犬を預けたらおりこうさんになって帰ってくるところだよ」
「ふぅ〜ん」という会話だった。

私もふぅ〜ん。大我君はそんな風に思っていてくれたのかと感心しうれしくなった。3ヶ月前まで大我君の服を引きちぎり、手足をかじっていたエス君も今では大我君の立派な相棒になって、ふたりで近所を散歩する姿を最近見かける。
これからも幸せな愛犬との暮らしのサポートができたらうれしく思う。
 

我に返すその4 2004年05月29日(土)

  引っ張りや興奮、吠えること、落ち着かないなど諸々の状態を改善し、コマンドを受け入れる態勢を作るためのコントロールの一つとして『犬を我に返す』ことが必要だと書いてきた。そのキーワードとして『リードショック』『毅然とした態度』までを解説してきたが、仕上げは『えらいぞ』である。

犬を制御する時、大別して4つのタイプがあると思う。

1.飼主と愛犬との信頼関係が成立しているか、とにかく従順な犬に恵まれたことで、愛犬が容易に制御を受け入れてくれる状態。
2.周囲に気をとられることがない時や、おやつがある時など都合のよい時は制御を受け入れるが、結局は愛犬に甘く見られている状態。
3.日常的に権威と力で強制的にねじ伏せる状態。
4.犬を我に返し、その上で指示を与える状態。である。

タイプ1が家庭犬の理想であろうが、良い犬に恵まれる確率と、そこまで育てあげるには様々な苦労もある。ただ、このような家では何頭犬を育てても、ほとんどが良い犬に育つことを考えれば、飼主の適性も大きな要素になっていると考えてよい。問題が一つあるとすれば、人と犬との関係が良好であり対等過ぎて、肝心な時に言うことを聞いてくれないことがある。

タイプ2が最も多く一般的家庭犬と飼主の代表選手である。恐らくこの状態が日本において犬たちの社会参加を遅らせている第1の要因だと考えている。「まあまあ、犬だもん仕方ないじゃん」。
だから日本の犬はバスにも乗れないしカフェにも連れて行けない。基本的に周囲の人は犬嫌いだと考えたら、最低限の制御はいつでもできるようになって欲しいと願う。

タイプ3は本人は得意げなのだろうが周囲の人を不愉快にしていることに気付いていないのが悲しい。犬という生き物はどのような状態で暮らしていても悲観することなく飼主に愛着を示す。それを逆手にとるような強制による強引な方法は家庭犬ならば尚更控えたほうがよいと思う。

タイプ4はタイプ1以外の犬に用いる私が主張する方法である。リードショックと毅然とした態度は普通なら犬を緊張させてしまう。我に返すのが目的であり、ビビらせたり恐怖心を持たせるのは本意ではないが一時的に緊張させることがある。リードショックの時に叱ったり声をかけなかったのは、威圧的になったり怒ったりしてるわけではないことをさりげなく示していたのだ。その仕上げとして「えらいぞ」という言葉がある。褒めているのではない。コントロールによって緊張気味に飼主の反応を伺っている犬の、心と筋肉の緊張を弛緩させているのだ。そして一時的に油断させ、再び羽目をはずして我を失いそうな状況を誘発し、さらに無言のリードショックと毅然とした態度で緊張を与え、えらいぞの繰り返しによって、飼主が愛犬に何を要求しているのかを自身に考えさせているのである。

恐らくこの方法だけを用いてもうまくはいかない。
犬とは利口なもので飼主には懐柔を促す振る舞いをするだろうし、訓練士には一部心閉ざす振りをする。
そこで私が考えたのがプレトレーニング(訓練前訓練)からトレーニングまで幅広く応用が利く『イエストレーニング』である。犬に『聞く耳』とやる気を感じさせるオペラント学習理論(説明は難しいがヒトは勿論ネズミやウサギにも意図した行動を起こさせることができる方法)に基づいたアイデアが、この壁を乗り越えさせてくれるだろう。
大きなことは言えないが少なくとも私の中では大きな力になっている。
ここからはCM。ホームページのトレーニングの中で『イエストレーニング』テキストを取り上げていますのでよろしく。
 

骨休み 2004年05月28日(金)

  定休日と合わせた初めての連休を十勝で過ごしてきた。お世話になったゲストハウスには、何と19歳のオールドイングリッシュシープドッグとこれまた12歳のセントバーナードが自力歩行をし生活を楽しんでいた。オーナー夫妻の人柄と十勝の自然が、寿命短いといわれる大型犬の生命力をここまで育んできたのだろうと感激した。
3時過ぎにチェックインした愛犬スーを含む私たち3人はと言えば、眼前に広がる草原を楽しみながらも駆け回る元気はなく、ひたすら惰眠をむさぼっていた。オーナーが自分で作ったという草原を見下ろす丘の露天風呂を満喫し、美味しい食事をいただく時だけゴソゴソと起き出したが、この半年の疲れがたまっていたのか、とにかく眠りつづけた。
朝4時にカッコウの乾いた響きに目を覚まして外に出たが、草原の空気を思いっきり吸い込み煙草を一服したらまた眠くなって…。結局3人とも8時半に予約しておいた朝食に間に合わせるのがやっとだった。

『無用の用』という言葉が好きだ。無用の用を知らぬものは有用の用を知らずという風に用いられるが、昨日から今日にかけて私たちはそんな時間を過ごすことができた。

心地よいドライブ疲れの今夜は難しい話は無しとしよう。
憧れの『逃げない猫』に大接近できたスーも大満足で今は寝息を立てている。
不在通知のあった宅配便の再配達をしてくれたおじさんが「昼間もお客さんが来てたよ。今日も定休日か?って聞いてた」と教えてくれた。
今日訪ねてくださった皆さん、申し訳ありませんでした。
明日からまた頑張りますので、ご来店をお待ちしております。
 

我に返すその3 2004年05月26日(水)

  最終案内です!明日と明後日はカフェはお休みです!

初夏の陽気の札幌だった。カフェにいるよりもガーデンのほうが心地よく、半袖姿の方も多かった。
午後になって私の膝の痛みが消えた。昨日の治療がピタリと当たり、苦しみに耐え我慢した成果が上がったと密かに喜んでいたら、「天気のせいだよ。下り坂になったらまたシクシク痛むよ」と常連さんは言い、スタッフは「誤魔化さないでさっさと手術の決心をして下さいよ」と、にべもない。
昨夜の反省も省みず、ここから強引に本題へと進むことにしよう。

「よし、膝は治った!もう心配ない。手術も不要だ!」と毅然とした態度で宣言できないのは、私が優柔不断で自信がないからではなく、こうしたらこうなり、こうなったらこうするという確信に至る経験と知識がないからである。

犬を我に返す2つめのキーワードは「毅然とした態度」であった。
多くの犬と接してきた私に誇れるものがあるとすれば、普通なら経験に基づいて断定的になり自分の考えに頑固なまでに固執する人が多い中で、私は犬たちの多様性を学び、様々なタイプの犬に対応できるツールを道具箱の中に持ち、さらに柔軟に考えることを戒めとしているということである。
カフェに来られて相談される飼主のほとんどは、愛犬の問題行動に対して、こうすればこうなるという知識・経験が少ない。だから自信がなく毅然とした態度がとれないという一面がある。それに加えて「愛しく可愛く守ってあげたい我が子」との想いが、悪魔のささやきに耳を貸してしまう。「そこまで仰々しく考えないで。相手は可愛いワンコちゃんだよ。厳しくしなくてもあんたがちょっと我慢すれば済むことよ。」等々である。

今日、パピヨンの飼主が「相談がある」と言ってカフェを訪ねてくれた。入店の前から悲鳴に近い泣き声が静かな住宅街に響いていた。初対面の挨拶もせず、ガーデン越しに「とにかくキャリーから犬を出しなさい」と言って慌てて外に飛び出し、すばやく犬を観察した。『病的な兆候はない』と判断した私はリードショックを使った。パピヨンはこれまでの経験からさらに大声を出して自己主張を続け正当性をアピールした。私は無言ながらも毅然とした態度で我に返すコントロールを数秒続けた。
「話のわからない人ね!」という顔をしたがパピヨンは静かになった。彼女は「いいこと、私はね、いままでこうやって思い通りに飼主を操ってきたの。で、あんた誰?」と続けていたが、私は彼女の主張を一切無視した。
幸いにも、彼女は人に優しく他犬に対しても寛大なパピヨンで、ちょっとしたカルチャーショックは受けたようだが、すぐにガーデンで遊んでいた。

その姿を見て「もったいない」と私は思った。冷静になった時の彼女はちゃんと周囲を観察している。キャンキャンとわめいている時は周囲に目もくれず自己主張だけで何ら発展性はない。
『学習とは経験による行動の変容』である。
彼女が冷静になってさえいれば周囲を観察し、経験し、学び、彼女の行動にはとてもいい変化が起きていたに違いないと思ったからである。

飼主に丁寧に話しコントロールの指導も行った。もちろんすぐに出来るわけもない。私にはたやすいことであっても、経験と知識のない方にすぐにやれるはずもないからである。初めての来店にも関わらずパピヨンのお母さんは会員になってくれた。「これから私自身が『学習』するためにこの店に通います」というメッセージである。
カフェに通いいろんな犬への接し方を経験し、いつの日か毅然とした態度の意味が理解していただけるものと期待している。
恐らく今日一日では知ることも出来なかったパピヨンの問題点もあるのだろう。でもそんなことをくよくよ考えても仕方ない。まずは一歩を踏み出したことに大きな意義があると思っている。
 

我に返すその2 2004年05月25日(火)

  今週の金曜日は臨時休業です。

明日営業すればオープン後初めての連休を迎える。せっかくの連休を有意義にするため、痛めている足の治療をと朝から鍼灸院に行ってきた。痛みに耐え切れず外まで聞こえるのではないかという大声をあげてきた。
私は拷問のような治療のあとに「ありがとうございました」と言って、お金を払ってきた。
今日のコラムはここからが強引である。

例えば散歩中に前方から犬が歩いてきたとしよう。
その犬に向かって飼主を引っ張る犬や、吠えかかる犬が多いが、そこでの「ノー!いけない!ダメ!」は無意味どころか「がんばれ!私がついているゾ!負けるな!」に等しいことを知るべきである。何故なら相手の犬に夢中になっているときには聴覚は遮断され飼主の言葉など脳にまで届くことはなく、一部届いたとしてもそれは制御にはならず、犬が強気になって引っ張る吠えるの『後ろ盾』となっていることが多いからだ。
そこでリードショックで我に返すことが必要となるのだが、これが鍼灸院の先生の治療の雰囲気と似ているのだ。

先生は私を拷問する気など毛頭ないことを私は知っている。だから少々の痛みがあっても「これでよくなる」と信じて耐える。本当は逃げ出したいのだが「うつぶせになって」と言われればそれに従い、「よおし、今日はこれでおしまい」と言われてホッとし身体が楽になる。
悪気があるのではなく、良くしようとの一念で思っている。憎いからでも虐待したいからでもないのだ。そこらあたりの臭いが犬の接し方と共通しているように思える。

リードショックは叱るのでもなく、憂さ晴らしでもなく、憎しみでもなく、いつもの我が子に返すのが目的である。声は一切必要ない。ショックとは引っ張り返すことではなく、短く鋭いスナップであリ次の瞬間にはリードが弛んでいる状態である。強さは犬の興奮度によって変わり、3回目のショックで我に帰る強さが初期の目安となる。1回で効けば強すぎるし5回やっても効かなければ弱すぎることになる。
効いたかどうかは引っ張るのを止め、吠えるのを止め、飼主の顔を振り返る仕草があるかどうかが目安になる。
その仕草を3回のショックの内に確認できた後、愛犬に静かに言葉をかければよい。「引っ張るな、ゆっくり」「うるさいぞ、静かに」と。

読み返して「今日のコラムの出来は悪い」と思う。犬をコントロールし快適に歩くに相応しい当店オリジナルのリードの宣伝が含まれてないし、治療のこととリードコントロールを無理に結びつけて、結果的に苦しい文章になってしまったからである。以後の反省となることを期待してアップするが心は既に連休に飛んでいるのである。
 


- Web Diary ver 1.26 -