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「ちょっとおいで」 私が呼ぶとわんこがやってくる。
「これっ!」 私が注意するとわんこは振る舞いをただす。
「あらっ!えらいねぇー」 私が感動するとニマーっとほくそえんで尾を振る。
飼い主の指示を無視し、吠え続けるわんこに私が制御を行うと、反抗もせず叱られることを受け入れ、じっと許しを請うわんこの姿を見るにつけ、“ぐぅっとくる”。
だが、人はそれを『人を見てんだねぇ』の一言で片づけることがある。
『人を見る』というのが、北海道特有の言い回しなのか全国共通の認識のひとつなのかは分からないけど、長いものには巻かれろ的な、あきらめ・ずるさ・巧みさを含んだ意味合いとなる場合がある。辞書にはない。
わんことの暮らしは、ホイッスルと手の合図でジャンプしたりヒレを手のようにして拍手する動物の“調教”とは違い、生活全般と社会との関わりを総合的に育む“教育”であると思う。
『人を見て』わんこは育つ。 ある意味で人の子供よりも純粋に育つと思う。 むろんその人の性別・外見や肩書および社会的背景に関係はない。
ごめんなさい。 もう少し話を展開したかったけど、久々の深酒でこれ以上頭が回らない。 最後に、おこがましいのは重々承知のうえで一言。
わんこに『見られる』飼い主、否、せめて『見られてもいい』飼い主になりませんか。
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