From the North Country

言うことをきくわんこと、きかないわんこ 2013年09月01日(日)

  明後日(3日)から臨時休業がありますのでお間違いなく。

さて、0歳から1歳までの『わんこ育て期間』というのがある。
トイレのしつけに始まり、あま噛みやいたずらをいなしながら飼い主や人間に対する信頼を育み、これから生きていく社会への順化を促すとても重要な1年である。

その時期における飼い主としての知識とテクニックを多くの方は知らずに可愛がってばかりいるが、実は根気と忍耐と寛容それに将来を見越した誘導が求められるのである。

しつけ相談において、どちらかと言えば厳しい対応を私がしているのは、飼い主が『わんこ育て期間』を悠長に過ごし、“子育て失敗”をした結果いい気になってしまってるわんこに“喝!”を入れ、思い上がりを自覚させて身の程を知り、分をわきまえることを促している。

つまり『わんこ育ての時期の接し方』と『失敗した後の対処法』は違うということを申し上げているのだ。

今夜は、『なぜ、わんこはいうことをきかないのか?』という『わんこ育てを失敗した飼い主』にちょっとだけアドバイスしておこう。

ここでいう『いうことをきかない』というのは命令に従わないというのじゃなく、『制御できない』という範疇のことである。
例えば『ダメ!』っていうのに散歩中に吠えるとかの…

答えは明快である。
『ダメ!』ってどういうことか、言葉で従わなければその先があることをわんこに体験させていますか?

口先で『だめ!ダメ!ノー!イケナイ!』って叫んでいるだけじゃないですか?

コントロール・制御というのはそういう時のために、飼い主が身につけなければならない技術なのだ。

群れの一員としてわんこが他犬を排除しようと吠える理由はある。
その気力たるや『ダメ!』の生ぬるい言葉を凌駕していることにまずは気付くべきだろう。
つまりそのエネルギー量をまずは想像し、それを超える飼い主としての『ダメ!』のエネルギーを制御によって放出し“本気度”を示すことで相手は我に返り、真意を探ろうとする。

あなたが本気ならたとえ『わんこ育て』の時期を失したとしても、育て直しは可能です。
相当なエネルギーと反省と強い意志が求められますが…
 

与えるべきを与え、教えるべきを教う 2013年08月27日(火)

  夕方の散歩があまりにも心地よかったので、戻ってからガーデンの温度計を見ると18度だった。
晴・雷・豪雨の日々を繰り返しているうち季節はすっかり秋に変わり始めていたようだ。

夜半になると再び地球が怒り出し、テレビでは頻繁に大雨洪水・雷・竜巻に関する情報が更新されていた。
窓から外を見ると、まるで戦時中の映画を見るように遠くの町が戦火にまみれ時には空襲されてるように夜空を稲妻が数秒ごとに明るく照らし出していた。

「よし、今がチャンスかな」
23時を過ぎた頃、私はわんこのトイレタイムのためKに声をかけた。
まだ小雨が降っていたが、それまでから比べたら外は格段に静かだったから。

初めてのお泊り犬8か月のバーニーズがいたので、Kと私の協力体制は万全だった。

まずは今夕、カフェの閉店後、このどでかいバニちゃんを狭くて急な階段を使って2階の自宅に上らせた。

カフェを始めて10年。
Kと私のわんこを“その気にさせる”意思疎通と呼吸とテクニックは、ユーチューブで一部始終をお見せしたいほどのプロフェッショナルでスマートでパーフェクトなものだった。

その逆の階下へ降りて、夜の排泄を促し、さっさと用事を済ませてまた2階に上がるのが最後の日課である。

バニちゃんは私たちを信じ、補助を受けながら急な階段の上り下りと、小雨の中の排泄をさっさと済ませてくれた。

まさにパーフェクト。
あとは明朝までリビングでぐっすり寝ているだろう。

ところで、このバーニーズに限らず我が家でお預かりするわんこ達は“粗相(室内での排泄)”をすることなどまず最近は記憶にない。

トイレのしつけのことでカフェに相談に来られる飼い主さんは多いのにと不思議に思う。

わんこと暮らすうえで最低限のさらに最低の『トイレのしつけ』のことについてくらいのことはちゃんと把握しておいてくださいね。

この欄で何度も言ったけど、トイレのしつけというのは、わんこが勝手にペットシートではみ出さずに排泄するというのじゃなくて、飼い主が『そろそろシッコ(ウンチ)だよ。シーシー/ベンベン、そうそうこの辺でしなさい。はい、いい子だったね』というものなのだ。

日本国中の犬の業界の人間ですら、こんな当たり前を8割の人が理解していないのが現状ですが、私のカフェのお客様は9割方が常識どころか何も考えずにトイレタイムが生活に含まれています。
だって、わんこと暮らしてるんですから、わんこが我慢しないうちに促し、それなりの場所で用を足すトイレタイムは当たり前ですよね。

わんこにしてみれば『そんなに頻繁に言わなくてもいいのに。でもまあ、気分転換にもなるからシッコだけでもしておくか』ということになるのです。

室内での粗相なんていうのはわんこにとっての屈辱であり、観察力と想像力・理解力・知識力・責任力のない飼い主への警告だと受け止めて良い。

無垢なわんこたちに成り代わって申し上げた次第でございます。

もう夜中の1時半。
シッコして寝ようっと。
 

一歩前へ 2013年08月25日(日)

  地球が怒ってますね。
晴れ・雷・豪雨、その連続の日々が続いている。
国と地域によっては干ばつ。

原因はみんな知ってるはず。
自分たちだけがよければ何でもありを許してきた私たちが招いた必然の姿だ。

孫を抱きながら『ごめん』とつぶやき、『次代をしっかり担え』と願う。

想いは共通しているはずなのに各論になると、多数決で地球破壊の道筋を選択している。
何とも浅はかで悩ましい。

で、今日のカフェは事前の予報通り、盲導犬関係のわんこたちで賑わい、それはそれは楽しい時間を過ごしていただけたと思う。
地球も怒りの矛先を午前中はおさめてくれたことに感謝である。

さて先日、出版社の方の来店があり「札幌でドッグカフェとして特徴的といえば貴店を含め2店ほど」だという話を伺った。
その理由を問えば『飼い主に物申すカフェ』ということであった。
それって、他のカフェは泣き寝入りしてるってことなのだろうか?
それともなんでもありの無法地帯を楽しんでいる?さらにそれとも寛大な隠れ家?

カフェのお客様からもそんな話が聞こえてくる。
『あそこっておりこうなわんこしか行けないんでしょって聞かれるんだよね。うちのわんこが通ってるのにね』って笑う。
私は真顔で『そうだよっていってくれればいいのに』と口を挟む。

改めて宣言します。
ドッグカフェナガサキは、ちゃんとしたわんことの暮らしを求める方を応援しています。
今の愛犬の姿ではなく、飼い主さんの適性と本気度がすべての始まりです。
敷居が高いか低いかはわんこにあるのではないということです。

地球と同じように、今のこの国の方がわんこと暮らす姿勢と感性に異議を唱え、共感する人々を応援しています。
そんなに難しいことじゃないのにね。
 

『お知らせ』で括ってしまいます。 2013年08月18日(日)

  お知らせを二つ。
1.前回のこの欄で書いた9月の臨時休業のこと。
2.次週25日の日曜日は協会のパピー関係の集まりで、午前中混雑が予想されますのでお昼ちょい過ぎからご来店いただいたほうが無難です。
そういう雰囲気がお好きな方は、席が用意できないかもしれないことをお含み置きの上ご来店ください。

さてと、カフェ周辺の気温は変動が激しい。
24度だったり29度近くになったり。
内地の方からすればそんなに高くないように思われるかもしれないが、このところとにかく天候が安定せず湿度が高いから不快感が続いている。

北海道らしい夏の気温だけど、北海道らしくない湿気と天候不順ってな表現がふさわしいかもしれない。

「ペロ!いい加減にせえよ、お前」
お客様の愛犬を呼び捨てにして、『お前』呼ばわりする私の警告がガーデンに響く。
普通なら険悪な空気になるのだろうがカフェではちと違う。
「ペロ!あんたいい加減にしなさいよ!」との飼い主さんの言葉が後に続くのだ。

別に犬同士のトラブルがあったわけではなく、私も飼い主さんも単にペロの下心を見透かして『事前の警告』を発していただけなのである。

わんこが何を考え、次にどう出るか、その結果相手はどう反応するか…
そんな当たり前の行動予測を、知ってる飼い主と知らない飼い主が混在するのがこの社会である。

私は『知ってる飼い主』と楽しく付き合い、『知らない飼い主』に、知る必要性と知り方の感性を伝える。

わんこを徹底的に擬人化し、犬の気持ちを日本語に置き換える訓練はとても大切な作業である。
その翻訳の正誤は目の前のわんこが示してくれるから、容易に勉強になるはずだ。

犬の発想とそれに伴う行動を知るのはとても面白い。

残念なのは、それを知ったうえで適応させる意識を持った飼い主と、それを知ることで犬に寄り添うあまり、社会に適応できないわんこと暮らす飼い主が存在し、どちらも愛情を武器にしていることである。

ヘヘヘ、酔っちまってますね。
 

臨時休業のお知らせ 2013年08月11日(日)

  9月3日(火)4日(水)を臨時休業とし、定休日と合わせて6日(金)までカフェの夏休みとせていただきます。
この間はお泊りもお受けできませんので、ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願い申し上げます。

さて、わんこと暮らしていると家族旅行や特別な用事あるいは急な出来事でどうしても愛犬をどこかに預けなければならない事情が出てくることがある。

そんな時に利用するのがペットホテルやホテルサービスのある動物病院であるが、普段の暮らしぶりとの落差のあまり、体調を崩したり吠え過ぎて声をからしたりと気の毒な結果を度々耳にする。

『そんなことがあるから、日頃からわんこを慣らしてしつけておきなさい』との言葉には一理あるが、家庭犬として暮らしていると、『預かり方にも工夫や配慮があってしかるべきだろう』と思う。

うさぎやカメレオンなどペットを預けるなら
・ケージに入れたまま
・空調を管理し
・適宜、給餌し寝床の掃除をしてくれれば
問題なく預けられるだろうが、家庭犬となるとちと違うはず。

そんな飼い主の気持ちをどこでどう誤解したのか知らないが
・テレビつき個室
・スマホで映像が見れます
なんていうホテルサービスを展開しているところがある。

ケージに入れたまま吠えっぱなしにし、格子に顔をこすりつけて傷だらけになるような一般的な預かり方よりは確かにマシだ。

でも私なら
・繋がれててもいい
・トイレだけは我慢させないで
・適度に解放して
・興奮した時は『大丈夫、静かに』と声をかけて落ち着かせ
何より、人の気配を・生活感を感じさせていて欲しいと思う。

友人知人に頼むと、その家の愛犬と同じように接してしまい、結果的に問題が生じ、トラブルとひんしゅくを買う。
だから、どんなに心通じた友人のわんこであっても、預けるとしたら数日は基本係留し、様子を見ながら必要な『我が家のルール』を教え込んで慣れさせてもらう。

そんな約束事が理解できる仲間を日頃から持つことも飼い主にとっては必要なことだと思う。
 

甘い備え 2013年08月09日(金)

  猛暑を観測した地点が全国で今年最多となったらしい。一方、集中豪雨で被災された地域もあり心よりお見舞い申し上げます。
幸いにもカフェ周辺は小雨模様で湿度こそ高かったものの最高気温は22度と涼しかった。
縦に長い日本列島の地域差をあらためて感じさせられる。

とはいえ九州や西日本から始まった豪雨が徐々に北上し、今日は道南でもかなりの被害が出た。
次に豪雨があれば札幌でも…との覚悟と備えをしたい。

で、『あなたの愛犬は避難所で暮らせますか?』と以前この欄でわんこのしつけを問うた。
だが自分に当てはめてよくよく考えると、私には無理だろうという思いに行きつく。

アモのしつけについての心配ではなく、私自身が耐えられないと思うし、Kやアモとそのような生活は無理に思えるのだ。
だから同じ思いの中で、今も避難生活をされておられる方々の心中を察するといたたまれなくなる。

もし幸いにも家族が無事でいたなら、当座の生活拠点は、壊れたとしても自宅か車での生活を選ぶことだろう。
情報や支援物資が届かず、行政の支援さえ難しいと聞いてはいるが、なんとか同じ思いで暮らす人たちと協力し合いながら切り抜ける道を模索するだろう。

甘い!それができないのが災害なのだ。と分かっていても、そのための備えというのをまずは考えて我が家の防災計画を漠然と立てているように思う。

火山・津波・洪水・土砂災害は直接的に考慮しなくてよい地域だから…とか
ドッグフードだけは売るほどあるから非常食になる…とか
先日ご近所ドライブ中に飲用湧水を見つけた…とか

あまいあまい空論ばかり。

でも、アモとKがいてくれれば心だけは折れずに工夫しながら生き延び頑張れそうな気がする。
それも甘いと言われれば、潔くあきらめる。
 

ファーガス基金2013年7月 2013年08月02日(金)

  '12年9月20日開設:目標額150万円

【入金報告】
7月22日;○田 友○子様:5,000円
7月31日カフェ募金:14,067円(内お札は5,000円)
      
7月31日までの中計:505,529円
目標額まであと:994,471円

目標額がついに100万円をきりました!

これまでファーガスのために使われた金額は205,000円です。
北海道の風土に適応するための医療費と、身体に合うドッグフード選びに最初の1年はお金がかかってしまいました。
おかげで現在はむったし(とってもの意;じぇじぇじぇ、みたいな方言)元気です!

で、ファーガス基金の残高は300,529円となっています。

これからもたくさんの方々の月々のご支援をお願い申し上げます。
振込先
※ゆうちょ銀行(郵便局・郵便口座)からは
記号;19050 番号;33999621
※他金融機関からは
【店名】九〇八(読み キュウゼロハチ)
【店番】908
【種目】普通預金
【口座番号】3399962
名義は郵貯銀行の規定上、『介助犬ファーガス』で開設できないため、ナガサキフミアキとなってしまいますが間違いなくファーガス基金として管理いたしております。
なお、この基金について詳しいことをご存じない方は、このページ上部にある『タイトル一覧』をクリックし’12年9月20日・29日付のこの欄をご覧のうえご支援くだされば嬉しく思います。
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ファーガス基金を管理している通帳はカフェにありますので、いつでも開示いたします。

さてと、介助犬ファーガスの基金へのお願いをしている私がこんなことを書けば多くの誤解と結果的に非協力をもたらすことの懸念を抱いておりますが、
…書きます。

ただ、今夜は“問題提起”という形で。

オランダの裁判所で、ある老女の訴えが審議され、認められて、老女は家族が見守る中、安楽死した。

老女は病気と老化により自分らしく生きられなくなったことを理由に安楽死を裁判所に求めたという。

私がオランダの裁判官ならきっと尋ねたと思う空想をしてみた。

・本当に死を選ぶのですか?

・自分らしく生きられないことは、この世の多くの人に当てはまることだとは思いませんか?

・あなたの行動は、力強く生きている病人や高齢者それに障害者に対して尊厳を傷つけることになるとは思いませんか?

・介護が大変であっても、『生きてそこにいてくれるだけでいい』と願う家族の気持ちを本当に考えているのですか?

・なにより、新たな自分を受け入れて苦しい中でも生きていく気持ちは本当にないのですか?

お気遣いありがとう。
他意はないのです。
それでいいんです。

と老女は毅然と言ったのだろう。
死を見守った子供たちは『素晴らしい母だった』と新たに生まれた感情を言葉にしたようだ。

翻って我がニッポンの老犬介護の番組が今夜あった。
初めて読んだ時に感動を覚えた『犬の十戒』という作者不詳の詩歌(少なくとも私にとっては詩歌)が歪められ、おかしな根付き方をしているこの国の現状に恐れを抱く。

おまけにドイツのティアハイム(日本でいえば民営動物管理センター)
人の命・動物の命・人はどう生きるべきか。

今一度自分の頭で考えるのも悪くない。
 

夕べの続き 2013年07月31日(水)

  腰の調子がいまいちだった私は、電話予約を入れ、Kさんから頂いた名刺の裏の地図を頼りにS治療院を訪ねた。
「長崎さんですね。」出迎えてくれたSさんの顔を見てもピンとこなかった。

そもそもSという名前に聞き覚えがあった程度で、どんな顔をしている人か、私の記憶の底にある人なのかすらはっきりしていなかったのだから。

「腰が悪いのですか」
入口から歩いてきた私の様子だけで彼はそう言った。
その後は、お医者様でもそこまで詳しくは聞かないであろう問診が続き、彼はパソコンにカルテを打ち続けた。

「ズボンは脱いだ方がいいですか?」と私
「ええ、これに着替えてください」と彼が持ってきたビニール袋には2Lとサイズが書かれていた。
目が見えない彼は、入口で私を迎えた時に私の声の位置で身長を把握していたのだった。

「Sさんって盲導犬協会で生活訓練受けられたことあります?」
思わず私は尋ねた。すると
「ええ、え?!長崎さんって…長崎さんですか?」と彼。
お互い『やあ、失礼しました』と相成ったのだが、私は「ごめんね、顔見ても誰だか分からずにいて」と謝った。
「いやぁ、もうこんなに頭が白くなったし」とSさん。

そして彼の話を伺ううち私の記憶も蘇ってきた。
もう20年が過ぎていた。

同期の入所者の記憶も戻り、私が宿直の時に夜の飲み会を毎晩やって気分を盛り上げていたこと
(今の時代にあんなことやってたら、懲戒処分だね。嫌な時代になったね)

Sさんは私の治療をしながら問わず語りを始めた。

辛かったね。30そこそこで失明して…
すぐにバツイチになって…
長崎さんの感覚訓練の授業の時も『見えてりゃ、こんなの簡単にできるのに』って悔しかった…
でも、歩行訓練受けて点字もちょっとは勉強できた

あの頃身内が親身になってくれるのが却って辛かったなぁ
函館の視力障害センターで職業訓練(あん摩・鍼・灸)の勉強をするとき、点字の教科書がうまく読めなくて苦労した。
カセットテープもあったけど『ここで点字を身につけなければ俺は一生字が読めなくなる』と頑張ったんだ。

3年後彼は国家試験に合格した。

凄いと思う。
バリバリ現役の30そこそこでベーチェットで失明し、離婚を経験し、2年のうちに切り替えて新たな進路に踏み出し、身の回りのことは自分でできる、歩ける、点字もパソコンもできる、国家試験のある職業技術で自立している。
なにより、その物腰と語り口の優しさは彼の人生から導き出されたような暖かさに包まれている。

そんな彼のような視覚障碍によっても生き抜いている人を私は何人も友人に持っているのがちょっと自慢であり励みだ。

「まだ、一人なの?」
「いいえ、籍は入れてないけど一緒に暮らしてる人がいます」
その言葉に彼の今の安らぎを感じ嬉しくなった。
一緒や!一緒や!
 

ちょっといい話かな 2013年07月29日(月)

  4年前の9月、古くからのつき合いで長年治療院を営み当時北海道盲導犬協会の会長をしていたSさんが、無責任にもあれよあれよという間に死んじまった。

深い悲しみとは別に、私は腰と膝、いや全身のメンテナンスをすっかりSさんに任せていたものだから、以降ぎっくり腰など起こさないよう細心の注意を払う羽目となった。(先月と今月やっちゃいましたけどね)

その思いは同じくSさんの治療を受けていたヒメちゃんの飼い主Kさんと共通していて、
「どっか近くでいい治療院ないかな」という話を何度もしていた。

「結構良かったよ」
4年が経ってようやくKさんは、ある治療院に出会ったようだ。
Kさんから頂いたその治療院のS先生の名刺を見た私は『もしかしたら?いや曖昧だな』との思いがよぎった。

話はおもいっきりぶっ飛んでしまうが…
1990年に入り、私が勤めていた北海道盲導犬協会では盲導犬の訓練だけでなく、視覚障碍者の早期リハビリテーションに力を入れ始め、私はその部門の長も務めていた。
デリケートでややこしい話を手身近に言えるかどうかわからないけど、つまりは、『今あなたの目が見えなくなった』という状況を想定して以下を読んでください。

1.見えなくなるなんて絶対受け入れられない!
誰しもそうでしょう。『まさか自分が』ってみんな思ってたんです。

2.じゃ、何年医療にすがりつきますか?
・きっと治る
・いい治療法があるよ
・医学の発達も期待できる
そうやって当時は見えなくなった方々が障碍を受け入れ次へ踏み出す気持ちになるまでにおおよそ5年から8年かかっていました。

3.仕事は?収入は?生活は?
・仕事を辞めざるを得なくなり、収入がなくなるのに医療費や交通費生活費はかさむ。
・自分の精神状態を保つだけでも大変なのに、離婚問題、人間関係の問題で家庭は崩壊する。

4.死にますか?
・首つりする準備を見られてることすら見えないんですよ。「お父さん何してるの!」って。
・橋から飛び降りるために白い杖での歩行訓練を受けた人も、確かにいました。

5.医療におけるリハビリテーションの観念が構築されていなかったのです。
・医療は『もうあなたの目が見えるようになることはありません。』ときっちり告知し、終わりを告げるのではなく次への情報を提供し、福祉やリハビリ部門へと引き継ぐべきだったのに、患者を思うあまり思わせぶりな態度を取り続け、結果的に社会復帰を遅らせ家庭崩壊へとつなげてしまった。

6.視覚障碍のリハビリテーションってなに?
・目が見えなくても身の回りの殆どのことはできるようになります。(細かいことは省略)
・読み書き、パソコン・携帯なんかもできます。
・(ちょっと大変だけど)自分一人で(頑張ればどこへでも)出歩けるようになります。
・大きくくくって20位の喪失があるけど、20の回復も用意されています。(見えないという事実だけは受け入れるしかありませんが…)

で、非常に大雑把だけど、盲導犬協会で私たちは
1・医療機関を啓発して協力体制を築き、協会として専門知識と技術を習得した職員を養成して受け入れ態勢を整え、外部機関との連携を密にし、行政の理解と支援を取り付けた。

2.医療機関の反応は上々だった。
医療も苦悩していたのだ。
とりわけ病棟の看護師たちの苦悩は深く、目だけが見えない健常な患者の今後の生活に、なすすべなく悶々としていたところに一条の光が射したのである。
看護師の思いは医師へと伝わり、経営母体に反映する。

ちょっと長くなって、酔いも回り、今夜中には書ききれそうもない。

今夜どうしても書いておきたいのは、
ふつう、リハビリっていうのは機能回復で、また歩けるようになるためにとか本人が頑張るモチベーションがあるでしょ?
でも、視覚障碍のリハビリはそうじゃない。
見えなくなったから、こうしよう、ですよ。
モチベーションどころか心折れちゃいそうですよね。

だから、障碍を受け入れるためにも医療や福祉・協会のような専門機関との連携が不可欠なのです。

それまで見えなくなってから5年から8年かかった混沌とした状況だったのを、1990年代に北海道盲導犬協会で私たちは2年の間に様々なステップに繋がる基礎的な情報や技術を伝えることができる仕組みを作り、職場復帰を果たした方もいれば、普通の主婦業ができるようになった方もおられるし、あんま・鍼・灸の先生として活躍されるようになる方もおられたのだ。

そして、先日Sさんとの再会があった。
もう無理、おやすみ。
 

嗚呼、おやぢ。 2013年07月25日(木)

  「いってらっしゃい。愛してるわ」と見送る妻。
「パパお帰り!」と迎える子供。

それから10年
見送るのも、どんなに遅くなっても出迎えてくれるのは、わんこだけ。

「お帰り」の代わりに「今日は早いのね」とか「お酒臭い」と言い、無言なのにインパクトある所作で”加齢臭”を嫌う表現をする。

仕事で疲れたおやぢは、いちいち反応しないように演じているけど、実は全部お見通し。
だって、昼間の仕事のほとんどが、そんな関連の緊張に包まれているのだから。

そんな時でもわんこだけは『パパー!』と舐めて応えてくれる。

会社で厳しいこと辛いことがあっても、家族には弱音を吐かないのに、頑張った自分を見透かしたように癒してくれるのはいつもわんこ。

そんなわんこなのに、『おやぢにどうしろというのだ!』
というのが、前回のこの欄の最後の言葉である。

女性がヒステリックになった時、いさめる言葉が無意味であるのと同じように、おやぢがわんこを溺愛しているのを誰も戒めることはできない。

生きていると不条理を条理として受け入れねばならないこともあるのだ。

おやぢに私流の犬育てを共感してもらうには、まんず一緒に飲みながらうだうだとした時間を過ごすのが一番の近道だと今夜なら信念を持って言える。

おやぢにわんこのしつけを期待してはならぬ。
といのが今夜の結論。
ああ無情。
 


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