From the North Country

1カ月遅れの種まき 2012年06月22日(金)

  明後日24日/日曜のカフェは臨時休業ですのでお間違えないようお願いします。

さて、駐車場というか広場というか花壇・菜園というのか、とにかく雑草だらけだった空き地に素敵な空間が生まれた。(工事の完了はちょっと遅れて25日を予定)
1個数百キロはあろうかという5段に組まれた横幅16メートルの石垣がポイントで“見てくれ”だけは満足している。

バラを植え、クレマチスでアーチを描き、いろんなハーブや愛らしい色をした花が足元を埋め尽くす…

そんな風にもできよう空間に、今夕私はそそくさと枝豆・すじなしインゲンの種を蒔き、ニタッとした。

夏は枝豆でビールでしょ!
やわらかインゲンがあれば最高じゃん!
あの広さなら祭りのやぐらだって組めるけど、枝豆とインゲンはやっぱ欠かせない。

せっかくの工事だったけど、不似合いなおつまみ畑になりそうでごめんなさいね。

ただ、ひょっとしたら5〜6年後石垣の間から新たな感動が見られるかも。
いろんな思いはあるが、ともあれ今日種を蒔いた。
 

我が家の愛犬アモの裏側 2012年06月18日(月)

  アモは私に似て分かりやすい犬だ。

普段は他犬とりわけ日本犬と初対面の時に『おまえ、突然飛びついたり吠えかかったりするつもりだろう』と用心深いのに、今日のお泊り犬である黒柴/宗一郎とは旧知の仲なものだから、先輩犬として鼻にもかけない。

遊ぶときは遊んで“あげる”けど、いよいよの時には“すんく”と立ちあがり威厳を見せる。
宗一郎もそのあたりは重々分かっており『へイ!承知しやした』と、その関係を受け入れているようだ。

今夕の散歩でも二人の関係を楽しむことができ、『イヌ社会』の決まりごとは『暮らしやすい家庭犬』の中でも脈々と受け継がれていることに安堵し、『やはり犬は飼い主が制御し、振る舞いを教えるのが基本』だとニヤリとした。

制御なんかしなくても生まれながらに暮らしやすいわんこはたくさんいるけど、そうじゃないわんこと暮らす可能性の方が今はまだ高い。
だから飼い主は『犬を飼育するのでなく、育てなければならない』という意識を持つ必要があり、そこに喜びを感じて欲しい。
アモと宗一郎はそんなわんこでもある。

夕食の時。
先に食べ終わったアモは、まだ食事中の宗一郎の前にあからさまに横たわった。
普段お泊り犬に対してそんなことはしないのに…

意を察している宗一郎は『ヘイ!分かっておりやす』と、まるで舎弟としての配慮を喜ぶようにトッピングの野菜一切れとフードを2粒残し親分に献上した。

『ようし、システムは正常に作動しているな』
今日の仕事を終え、満足したアモはベッドで眠り始めた。
 

小さなカフェには不相応な駐車場のワケ 2012年06月15日(金)

  13日から駐車場の工事が始まりご迷惑をおかけしております。

埃っぽい作業は昨日で一段落し今日からは石積み。
札幌まつりということもあり、早めに作業を切り上げた職人さんたちは社長さんの計らいでBBQだそうです。いい職場ですね。
明日からの土日も工事はお休みです。

駐車場を広げる理由は足りないからではありません。
たまに込み合うこともありますが、お客様のご協力でこれまでもやり繰りできてましたし、何といっても小さなカフェだから満席でご迷惑をかけることもありました。

1.女性のお客様がほとんどなので、より安全にゆったり駐車していただくのがひとつです。(これまでの駐車場でも駐車しているのは1〜2台ってのは頻繁にありますから、広くなるとさらにさびしく感じることになるのでしょうか?)

2.駐車場に花壇と菜園を作って、暇な時間を活用し老後の趣味にも役立てよう、というのがふたつめの狙い。(長年楽しませてくれた“枝豆横丁”は今日解体されました)

3.そして最後が雪国ならではの悩みである『雪捨て場』の確保です。
空き地だったカフェ周辺に家が立ち並び、少しでも除雪でご迷惑をかけないよう配慮するつもりです。(冬は駐車台数が減ることになります)
問題は風。冬は西風が強いのに、その西に向かって雪を飛ばさなければならず…ああ、苦労は多い。

ともあれ来週末には完了予定です。
 

野性を知りつつ感性を磨く 2012年06月10日(日)

  ちょうど10年前の4月、人生をリセットすることになった私は道東のムツゴロウ牧場の石川家で数日お世話になっていた。
そして今夜、シロテテナガザルのナナちゃんを飼育していた高橋家に行った時のことをふと思い出した。

当時テレビにもたびたび登場していたナナちゃんは高橋家の居間に置かれたケージで暮らしていた。
その脇に座った私はナナちゃんに声をかけたが、初対面だったこともあり全く無視され警戒された。
『ああ、そういうことね』と、感じた私は同じ場所に座ったまま高橋夫妻と世間話を始めた。

10数分後、ナナちゃんが私に興味を示し始めたので私はさりげなくケージに手をかけ、それでもナナちゃんを無視するふりをしてご夫妻との会話を続けた。

するとナナちゃんが私の指に触れたり、身体を寄せたりしてきたので自然な指の動きをしてみせつつもご夫妻との会話を優先した。

ナナちゃんは一気に気を許し、私に更なる興味を示し始めた。
私は反応を確かめつつケージの外から触れるだけ触りまくった。

「驚きです。実はナナが触るのを許したのはムツさんと石川それに高橋だけだったんですよ。長崎さんが4人目です。」とその時聞いた。
あの時はそれなりに嬉しかったが、今は違う気持ちでいる。

『あら、可愛い!』とか『やあ、こんにちわ』とか、普段から人々は一方的に自分の感情に従った振る舞いをしやすい。
相手の心理や生態を無視した短絡的な振る舞いをするから拒否され警戒されるのだ。
『そんな基本的な感性を自覚できないのが、現代の人間社会なんだな』と、あの時気づくべきだった。

つまり、ナナちゃんは誰にでもなつくサルだったのに、それをさせない人間の性急な対応と生態を無視した失礼な振る舞いがあったのだろうと思うのだ。

話をわんこに展開させよう。
わんこはさらに先の関係を容易に人間と構築できる動物なのに、それすらもできず他犬や他人を見ては吠え“させる”あるいは吠えることを“許容”している飼い主が多いことを嘆く。

人間社会に適応することを得意とするわんこたちを深く理解すれば野生動物との関わり方が見えてきて、さらにわんこを『躾ける』という意味が理解できると私は思っている。
ごめんなさい。深夜2時。酔っぱらいました。真意はカフェで…
 

高齢者物語 2012年06月02日(土)

  11歳と1か月半になった我が家の愛犬アモ。
先週、狂犬病の予防接種と血液検査を受けてきた。

カフェでは眠ってばかりで老化が進んでいるように見えるアモだが、あれは嗜眠ではなく若い頃から身に着けた忠犬としての振る舞いだ。
3歳の盲導犬も仕事以外の時はああやって寝ているし、先月から共同訓練に入ったNさんの介助犬ファーガスだってカフェで同じように寝ている。
ま、アモの場合は少々年季が入っていますがね…

そのアモを連れ、定休日を利用して1泊2日のドライブに出かけてきた。
あの弾け様をカフェのお客様がご覧になったら驚かれるでしょうな。

ところで、アモよりも年季が入っていたのはお昼ごはんの鹿追蕎麦をご馳走になった“おふくろさん”のおばあちゃん達だ。
平均年齢75歳というけど、あの日の厨房のおばあちゃんは85は優に超えてるようだった。
おばあちゃん。注文してから随分待たされたけどその時間がとても楽しかったし、何より美味しゅうございましたよ。
お店の再開おめでとうございます。
おばあちゃん達の入れ替わりは仕方ないけど、これからも鹿追の蕎麦の味を引き継いでくださいね。

『冗談じゃねえ!』
蕎麦を食べてる間、車で待たされていたアモは不満だったようだが、それは序章であり神田日勝記念館と福原美術館ではもうちょっと我慢してもらった。

それでも時間を見ながら“放牧”すると緑の芝生でのた打ち回りながら喜びを表すアモであった。

糠平温泉郷の中村屋さんの露天風呂では目の前でエゾシカが草を食んでいたが、同じ頃アモは部屋で爆睡していた。
ともあれ、高齢者による高齢者のためのドライブを高齢者同士で楽しむことができた2日間だった。

帰宅すると郵便受けにアモの血液検査の結果が届いていた。
去年と同じく、私の検査結果よりはるかに良い数値が並んでいた。

どうやらアモは私より長生きする気らしい。

負けるもんか!
俺はお前の葬式を出せるけど、お前には俺の葬式は出せねえだろう!
 

犬っていいね。おしっこしただけで褒められるんだから 2012年05月25日(金)

  「このままじゃどこにも遠出できない」
排泄に神経質なチワワのココアは自宅のペットシーツでしか用が足せないらしい。
外出しても10時間以上おしっこをせず、帰宅後慌ててて用を足し、避妊手術で1泊の入院をしても『飲まず食わずで排泄もしなかった』という。

そういえばカフェでもおしっこしないしレッスン中にもしたことがない。

たっての願いもあり『自宅以外で排泄するお泊りレッスン!』を今回の定休日にお受けすることにした。

1.23日(水)の昼前にお預かりし閉店後に散歩をしたが排泄なし。
2.夕食後の19時にガーデンに出して粘ること20分。初めてのおしっこに成功!思いっきり喜んで見せた。
3.翌朝まで室内での失敗はなく、7時過ぎに他犬と共にガーデンに出すとすぐにおしっことウンチに成功!

以後ガーデンでの排泄は順調だったが、長い散歩に出かけても他所ですることはなかった。

今朝はリードを付けた状態で排尿に成功!フリーにしてウンチもできた。

食事については、朝は少し残すが夜は完食ですこぶる元気である。

明朝はもし雨が降ってなければ駐車場での排泄に挑戦し、雨が降ってればその状況下でガーデンでのチャレンジの予定。
ともあれ明日帰宅だが、以前からレッスンを続けていたココアだったから楽しかったよ。

カフェとはいえ少なくとも自宅以外で排泄できてよかったね。
そのテクニックをお返しする時に説明することにしよう。
 

アプリで調べる前に自分で感じ・考えよ! 2012年05月21日(月)

  「強制を用いた訓練を受けた盲導犬の行動は的確だよねぇ」
「確かに。でもあんな厳しい方法を取らなくても犬はちゃんと指示を受け入れて行動してくれるんじゃないか?」
「なに甘いこと言ってるんだよ。褒めてしつけるという西洋流の話だろうが、あんなの“いざ”という時には役に立たないんだよ」
「そうかなぁ。犬ってもっと凄い理解力と喜求心があって、作業意欲が旺盛なんじゃないの?そこを刺激すればきっと応用力がついてもっと素晴らしい盲導犬を訓練することができると思うし、感受性が豊かだとご主人だって心が解放されて前向きになれると思う」

40年近く前、駆け出し訓練士が北海道で学んだことである。

先輩と共にその想いを実現するために考え試行錯誤し名犬を育ててきた。

例えうまくいかないことがあっても『どうすれば?』と悩み、『繁殖段階から見直そう』と新たなチャレンジもした。

時代が変わり、現役を引退しカフェを営む今。
私は二通りの反応をしている。

ひとつは、いろいろ苦しみ試行錯誤し思い悩んだうえで相談される方や、同じ思いを共感される方からの話には過去の経緯を踏まえ意見交換しながら対応している。

もうひとつはただ黙って苦笑いか、仕方なしの対応である。
『吠えるのですがどうすれば?』
『ミミズに体をこすりつけるのは何故?』

まるでスマホのアプリを利用するように、自分で深く考えることない人間から答えを求められた時、私の怒りが頂点に達し押し黙る習性が身についた。

議論や質問は大いに結構。
遊び半分・気まぐれも十分楽しめる。
だが、中途半端な意識でまじめに問いかけられるのだけは受け入れられない。

盲導犬時代はいつも本気で様々なバリエーションを考慮しながら真剣に訓練し、胃の中は血みどろになっていた私です。
あの頃の想いが染みつき、今でも変えられない自分がいるのです。

携帯社会の現代人には理解できないことなのだろうが、今の時代に確かに私どももいる。
 

強い犬のエネルギーをどうするのか 2012年05月19日(土)

  『何でこんなことしなきゃなんないのだろう?』
人生の中で誰もが一度や二度どころか何度も悩むことに今わが身が置かれている。

『問題児のフレンチブルをよろしく』なんていうお気楽な紹介をする人間が身近にいたものだから、診るだけは診てみようと診ると、初回で私の肉体と精神がボロボロになるようなわんこだった。

1回目のレッスン
プロの私が暴れん坊の超大型犬に接する時の気迫とエネルギーを投じてみても、そのフレブルが他犬に対する興奮を完全に抑えることはできず、リングに立って吠えまくるK1の選手を相手に闘った状況だった。(大げさな表現だと思っていたら大間違いですぞ。私は真剣です)

2回目のレッスン
前回私はダウン寸前だったが、相手のフレブルも相当なダメージを受けていたらしく、2回目は吠えたてる姿が消えていたのは驚きだった。
だが、眼は他犬をフォーカスし油断すると無言で飛びつく動作が見られた。
フォーカスする行動を許さないためだけにも、ボクシングのノックダウンを奪うような連打が必要だった。

他犬に対して飛びつくことは興奮度の高い多くの犬に見受けられる。
口や前足で突っついて遊びを誘発する行動だ。

今日3回目のレッスン
このフレブルの行動が遊びなのか攻撃性があるのかをはっきりさせるために、我が家の愛犬アモを用立てた。
以前からアモの反応がおかしいことに私は気づいていた。
『こいつは明らかに異常だよ』とアモは距離を置いていたのだ。
だが、飛び掛かるだけなのか攻撃するのかの確認をする必要があった。

あっという間にアモは噛まれた(後に右目の上であることがわかった)。

攻撃性があると確認した私は、即座にフレブルを叩きのめした。
歯が折れようが顔面から出血しようが『命あるだけありがたいと思え!』という気迫で叩きのめした。

フレブルは無傷だったが戦意を喪失しアモの近くにも寄れなくなった。

アモは傷ついたがその犠牲でフレブルも“気づいて”くれれば無駄ではなかったと私には思えたかもしれない。

だがその後の行動を見れば悲観する状況だ。

恐らく闘犬としての血がこのフレブルには流れているのだろう。そう理解すればすべての行動が理解できる。
それを何とかして欲しいという思いなら、負けた時の死を覚悟して欲しい。

命を懸けて振る舞う犬と接した経験は私にもある。
哀れだが精神の異常でなく本性であるならサル山のボス争いを体現させるしかない。

身の程を知り分をわきまえよ!さもなくば命を懸けい!
できるならそんな切り札を出さずに君とつきあいたい。

今日の私のレッスンを見た方は躊躇なく『動物虐待』の通報をすべき事案である。
私は見事に制御したはずなのに相手が無傷であることに驚いている。
そんなはずはない!
我が家の愛犬アモが噛まれたことを知っている私が、相手のわんこを無傷で許すはずはない。

次に変化がなければこのフレブルはどうなるかわからないだろう。
闘犬の血を変えることなんて滅多にできることじゃない。
犠牲者を出さずに4回目を受けるよう準備だけはすすめておこう。
 

究極の一部に触れておこう 2012年05月14日(月)

  本当に情けない。
『こうまで日本人の人間力は地に落ちているのか』、と嘆くことしきりの昨今である。

イヤホーンを耳に入れたまま左右の確認もせず交差点を横断する人々。
『安全は他人が守ってくれるべきもの』とでも思っているのだろうか?
国によっては現実として存在する“地雷原を歩く”ということの想像力を働かせたことはないのだろうか?

『青信号の時に手を挙げて渡る』という風潮の中で、私は子供の前で左右を確認しながら赤信号でも横断させた。
『防護柵がなかったから池に転落した』と裁判沙汰になる時代に『バカ!気を付けろ!』と怒鳴りながら子供たちをそんな場所に連れて行った。

どっちが道徳的で倫理的で教育的で従順な国民なのかは知らないけど、ともかくそう教えてきた。
自分で命を守り、判断できることこそが一番大切なことなんだと、ひょっとしたら米軍基地の隣で育った私自身が親から教えられていたのかもしれない。

話は変わって、このところ愛犬相談でカフェを訪ねてくださる方が多い。
『吠えるんです・噛むんです・興奮がひどいのです・怖がるんです』
そんな症状による相談が多い。

ほとんどの方が今流の『動物行動心理学』に基づいた古典的『青信号手を挙げて横断しよう』という観念に感化され、『多くのしつけ方は誤りであり虐待である』という強迫観念に支配された人々である。

私の仕事は飼い主からその呪縛を解き放ち、『ちゃんとしたわんこの子育て』の指針を明確にすることであり、そんなことを知らずに育てた揚句、問題児を抱えてしまった飼い主に『いいか!今日から我が家のルールが変わったんだぞ!』とわんこに宣言できる飼い主を育成することである。

つまりは人間力の回復である。

怖いですぞぉ。そんなカフェに関わることは…

今日ご来店のマルチーズ
吠える・噛むとの相談でしたが、結局わんこは猫のごとく静かでお利口さんでした。
きっとカルチャーショックを受けていたのでしょうが、その程度のショックで静かになれるのなら、自宅でも猫をかぶれるわんことして育てることが可能でその結果いろんな体験を積みながら芯からお利口なわんこになるでしょう。

どんな性癖を持った犬かが問われているのではなく、どんな犬にしたいかという飼い主の人間力と知識が試されているだけなのだ。

ペットショップや安易なブリーダーはそんな良心に付け込んで商売し、不用品となった犬の処理までしているけど、ともあれ目の前の可愛い花をちゃんと咲かせてあげましょう。
 

何があっても人生は終わるんじゃない、変わるんだよ! 2012年05月11日(金)

  「私の友達なんです。どうか手助けをお願いします。」
そんな電話を以前カフェに通われ本州へ引っ越された方からいただいて、どれほどの時間/年月が経過しただろう?

話せば長くなるが、つまりは、五体満足で元気に働いていた女性が追突事故に遭い、下半身と上肢の一部が不随となって車椅子生活となった。
子供を二人抱えていたのにその女性は将来を悲観し死ぬことばかり考えていた。
せめて以後の生活の最低保証が受けられるはずの保険だったろうに、ドロドロとした保険会社の言い分がまかり通って最悪の判断しかなされなかった。

裁判を継続すれば展開があったはずなのに、精神的に疲れていた彼女はそれを放棄し落ち込み投げやりになってしまっていた。

そんな彼女が勇気をもってカフェに来店し、馴染のお客様と触れ合ううちに“こと”は急展開していった。

すなわちつい先日の9日、彼女のもとに介助犬がやってきた。

で、『よろしく!介助犬ファーガス(黒ラブ)です。』

新米だし、まだ若い(人も犬も)からくれぐれもよろしくお願いいたします。
何があっても面白そうだと私は思っている。

複雑なことはいっぱいあるけど、ともあれ庭先に花が咲いた。
庭先の花は可愛いし大事に育てなきゃね。
みんなよろしくね。
 


- Web Diary ver 1.26 -