From the North Country

アプリで調べる前に自分で感じ・考えよ! 2012年05月21日(月)

  「強制を用いた訓練を受けた盲導犬の行動は的確だよねぇ」
「確かに。でもあんな厳しい方法を取らなくても犬はちゃんと指示を受け入れて行動してくれるんじゃないか?」
「なに甘いこと言ってるんだよ。褒めてしつけるという西洋流の話だろうが、あんなの“いざ”という時には役に立たないんだよ」
「そうかなぁ。犬ってもっと凄い理解力と喜求心があって、作業意欲が旺盛なんじゃないの?そこを刺激すればきっと応用力がついてもっと素晴らしい盲導犬を訓練することができると思うし、感受性が豊かだとご主人だって心が解放されて前向きになれると思う」

40年近く前、駆け出し訓練士が北海道で学んだことである。

先輩と共にその想いを実現するために考え試行錯誤し名犬を育ててきた。

例えうまくいかないことがあっても『どうすれば?』と悩み、『繁殖段階から見直そう』と新たなチャレンジもした。

時代が変わり、現役を引退しカフェを営む今。
私は二通りの反応をしている。

ひとつは、いろいろ苦しみ試行錯誤し思い悩んだうえで相談される方や、同じ思いを共感される方からの話には過去の経緯を踏まえ意見交換しながら対応している。

もうひとつはただ黙って苦笑いか、仕方なしの対応である。
『吠えるのですがどうすれば?』
『ミミズに体をこすりつけるのは何故?』

まるでスマホのアプリを利用するように、自分で深く考えることない人間から答えを求められた時、私の怒りが頂点に達し押し黙る習性が身についた。

議論や質問は大いに結構。
遊び半分・気まぐれも十分楽しめる。
だが、中途半端な意識でまじめに問いかけられるのだけは受け入れられない。

盲導犬時代はいつも本気で様々なバリエーションを考慮しながら真剣に訓練し、胃の中は血みどろになっていた私です。
あの頃の想いが染みつき、今でも変えられない自分がいるのです。

携帯社会の現代人には理解できないことなのだろうが、今の時代に確かに私どももいる。
 

強い犬のエネルギーをどうするのか 2012年05月19日(土)

  『何でこんなことしなきゃなんないのだろう?』
人生の中で誰もが一度や二度どころか何度も悩むことに今わが身が置かれている。

『問題児のフレンチブルをよろしく』なんていうお気楽な紹介をする人間が身近にいたものだから、診るだけは診てみようと診ると、初回で私の肉体と精神がボロボロになるようなわんこだった。

1回目のレッスン
プロの私が暴れん坊の超大型犬に接する時の気迫とエネルギーを投じてみても、そのフレブルが他犬に対する興奮を完全に抑えることはできず、リングに立って吠えまくるK1の選手を相手に闘った状況だった。(大げさな表現だと思っていたら大間違いですぞ。私は真剣です)

2回目のレッスン
前回私はダウン寸前だったが、相手のフレブルも相当なダメージを受けていたらしく、2回目は吠えたてる姿が消えていたのは驚きだった。
だが、眼は他犬をフォーカスし油断すると無言で飛びつく動作が見られた。
フォーカスする行動を許さないためだけにも、ボクシングのノックダウンを奪うような連打が必要だった。

他犬に対して飛びつくことは興奮度の高い多くの犬に見受けられる。
口や前足で突っついて遊びを誘発する行動だ。

今日3回目のレッスン
このフレブルの行動が遊びなのか攻撃性があるのかをはっきりさせるために、我が家の愛犬アモを用立てた。
以前からアモの反応がおかしいことに私は気づいていた。
『こいつは明らかに異常だよ』とアモは距離を置いていたのだ。
だが、飛び掛かるだけなのか攻撃するのかの確認をする必要があった。

あっという間にアモは噛まれた(後に右目の上であることがわかった)。

攻撃性があると確認した私は、即座にフレブルを叩きのめした。
歯が折れようが顔面から出血しようが『命あるだけありがたいと思え!』という気迫で叩きのめした。

フレブルは無傷だったが戦意を喪失しアモの近くにも寄れなくなった。

アモは傷ついたがその犠牲でフレブルも“気づいて”くれれば無駄ではなかったと私には思えたかもしれない。

だがその後の行動を見れば悲観する状況だ。

恐らく闘犬としての血がこのフレブルには流れているのだろう。そう理解すればすべての行動が理解できる。
それを何とかして欲しいという思いなら、負けた時の死を覚悟して欲しい。

命を懸けて振る舞う犬と接した経験は私にもある。
哀れだが精神の異常でなく本性であるならサル山のボス争いを体現させるしかない。

身の程を知り分をわきまえよ!さもなくば命を懸けい!
できるならそんな切り札を出さずに君とつきあいたい。

今日の私のレッスンを見た方は躊躇なく『動物虐待』の通報をすべき事案である。
私は見事に制御したはずなのに相手が無傷であることに驚いている。
そんなはずはない!
我が家の愛犬アモが噛まれたことを知っている私が、相手のわんこを無傷で許すはずはない。

次に変化がなければこのフレブルはどうなるかわからないだろう。
闘犬の血を変えることなんて滅多にできることじゃない。
犠牲者を出さずに4回目を受けるよう準備だけはすすめておこう。
 

究極の一部に触れておこう 2012年05月14日(月)

  本当に情けない。
『こうまで日本人の人間力は地に落ちているのか』、と嘆くことしきりの昨今である。

イヤホーンを耳に入れたまま左右の確認もせず交差点を横断する人々。
『安全は他人が守ってくれるべきもの』とでも思っているのだろうか?
国によっては現実として存在する“地雷原を歩く”ということの想像力を働かせたことはないのだろうか?

『青信号の時に手を挙げて渡る』という風潮の中で、私は子供の前で左右を確認しながら赤信号でも横断させた。
『防護柵がなかったから池に転落した』と裁判沙汰になる時代に『バカ!気を付けろ!』と怒鳴りながら子供たちをそんな場所に連れて行った。

どっちが道徳的で倫理的で教育的で従順な国民なのかは知らないけど、ともかくそう教えてきた。
自分で命を守り、判断できることこそが一番大切なことなんだと、ひょっとしたら米軍基地の隣で育った私自身が親から教えられていたのかもしれない。

話は変わって、このところ愛犬相談でカフェを訪ねてくださる方が多い。
『吠えるんです・噛むんです・興奮がひどいのです・怖がるんです』
そんな症状による相談が多い。

ほとんどの方が今流の『動物行動心理学』に基づいた古典的『青信号手を挙げて横断しよう』という観念に感化され、『多くのしつけ方は誤りであり虐待である』という強迫観念に支配された人々である。

私の仕事は飼い主からその呪縛を解き放ち、『ちゃんとしたわんこの子育て』の指針を明確にすることであり、そんなことを知らずに育てた揚句、問題児を抱えてしまった飼い主に『いいか!今日から我が家のルールが変わったんだぞ!』とわんこに宣言できる飼い主を育成することである。

つまりは人間力の回復である。

怖いですぞぉ。そんなカフェに関わることは…

今日ご来店のマルチーズ
吠える・噛むとの相談でしたが、結局わんこは猫のごとく静かでお利口さんでした。
きっとカルチャーショックを受けていたのでしょうが、その程度のショックで静かになれるのなら、自宅でも猫をかぶれるわんことして育てることが可能でその結果いろんな体験を積みながら芯からお利口なわんこになるでしょう。

どんな性癖を持った犬かが問われているのではなく、どんな犬にしたいかという飼い主の人間力と知識が試されているだけなのだ。

ペットショップや安易なブリーダーはそんな良心に付け込んで商売し、不用品となった犬の処理までしているけど、ともあれ目の前の可愛い花をちゃんと咲かせてあげましょう。
 

何があっても人生は終わるんじゃない、変わるんだよ! 2012年05月11日(金)

  「私の友達なんです。どうか手助けをお願いします。」
そんな電話を以前カフェに通われ本州へ引っ越された方からいただいて、どれほどの時間/年月が経過しただろう?

話せば長くなるが、つまりは、五体満足で元気に働いていた女性が追突事故に遭い、下半身と上肢の一部が不随となって車椅子生活となった。
子供を二人抱えていたのにその女性は将来を悲観し死ぬことばかり考えていた。
せめて以後の生活の最低保証が受けられるはずの保険だったろうに、ドロドロとした保険会社の言い分がまかり通って最悪の判断しかなされなかった。

裁判を継続すれば展開があったはずなのに、精神的に疲れていた彼女はそれを放棄し落ち込み投げやりになってしまっていた。

そんな彼女が勇気をもってカフェに来店し、馴染のお客様と触れ合ううちに“こと”は急展開していった。

すなわちつい先日の9日、彼女のもとに介助犬がやってきた。

で、『よろしく!介助犬ファーガス(黒ラブ)です。』

新米だし、まだ若い(人も犬も)からくれぐれもよろしくお願いいたします。
何があっても面白そうだと私は思っている。

複雑なことはいっぱいあるけど、ともあれ庭先に花が咲いた。
庭先の花は可愛いし大事に育てなきゃね。
みんなよろしくね。
 

酔っぱらってこそ憂うこともある 2012年05月07日(月)

  東日本大震災とその後の原発による大人災からほぼ1年と2カ月が経とうとしている。

原発に関しての私の見解は明快だ。
1.人間がやることだし自然界も相手だから必ず事故は起こる。
2.人間社会では過去にも様々な悲惨で甚大な事故があり、被害者と遺族の苦悩は計り知れずいつも心が締め付けられる。
3.だが、火災や爆発は消し止めることができるし、竜巻で街が潰されても再建の希望を失うことはない。また津波で国土が流されても必ず復興できる土壌が残されていると誰しも信じることができる。
4.しかるに放射能に対しては消すことはできず、手の着けようがない現実が横たわっている。
5.よって、火事を消すがごとく技術と科学をまとってから原子力を活用すべきであり、それがない現代ではアンタッチャブルな毒りんごである。

さて、現実を直視してみよう。
第1原発の事故があり『それでもこの国の産業・経済ひいては国を守るために原発は絶対必要なんです』と、国や経済界・当該自治体・恩恵を受けた住民は声高に叫び、それに加えて純粋に『この国の発展に寄与してきた』と自負する原子力科学者や技術者の声が聞こえてきている。

それぞれに言い分があり、私たちにはこれまでの生活水準の維持と向上か、電力減少による『豊かな文化的生活からの撤退』と『経済的困窮』の踏絵が提示されている。

『それでもこの国の産業・経済ひいては国を守るために原発は絶対必要なんです』という役所・電力会社・経済界の『国と国民を憂う』真剣な訴えに心動かされそうになり、『本当にそうなんですか』とよろめきそうになる。

『じゃ、発送電を分離し電力の自由化を受け入れ、限定的に原発を再稼働し、将来的に原発をなくす方向を模索してください。』という案を出すと
『それは受け入れられない』とおっしゃる。
そこにドロドロした一面があるのだ。
『原発が必要なのは国家国民のためと仰っいましたよね。でも実は会社のためなんじゃないのですか?』という不信感である。

30数年前に過去の生活を捨て、原発の恩恵を受け、それでも精一杯の生活してこられた地元地域の皆さんには言葉を失う。
今の生活を失い、再び変化を強要され、しかも困窮を突きつけられる選択なのだから誰がイエスと言えよう?
『でもそんな寒村はこの国にはいくらでもあり、それぞれが安全な国を支えているのですよ』と安全地帯にいる私には言える資格などない。

福島第1のメルトダウンは東北の事故ではなく日本の事故であり、私たちは地元の方々におこがましくも共有すべき事案である。

原発地域への“危険手当”ともいえる手厚い金銭補助が長い歴史ある港町を変化させ漁業を変えてきた。
電力消費地域の都会では“電力不足”という強迫で料金への加算を受け入れていた。
だが実際は、国家のためにと起業していた会社は、私企業の営利を守ることに窮々とし、本分からそれ始めてしまっているように思う。
巧みに庶民を“つなぎ”のように練りこむ手法が悔しくてならない。

さて、国内最後の原発が北海道で止まった。
『さよなら原発』と祝したいところだが、現実がこれから始まる。

1.バブル崩壊の債権問題で見せしめにされ破たんした北海道拓殖銀行
2.食中毒によって企業破たんさせられた雪印は北海道の名門企業だった。同じような事件を起こした全国区赤福餅や不二家は潰されなかった
3.自治体破たんも数ある中から北海道の夕張市が見せしめにあった

国内原発停止の中、次は橋下市長率いる大阪で関西電力は大停電させたいところだろうが、それでは影響が大きすぎるはずだからまずは再び北海道で“試し打ち”をするかもしれない。

受けて立つ心構えだけはしておこう。
想定外は庶民の常識なのだから。
 

わんこもOKのお店がいい 2012年05月04日(金)

  降る時は降るもんですね。
『今日が定休日でよかった』なんて喜んでいたら、明日も明後日も明々後日も予報は雨マークに変わってがっかり。
せっかく駐車場の一本桜が咲いたのに、晴れ間の輝きを見ることなく散りそうで気の毒だ。
今年のGW後半は重苦しい気配が漂っている。

昨日は平岡公園・高速道路のパーキング・小樽での食事と散策を一緒に楽しんだアモだったが、今朝は外の雨を見て表情が冴えない。
「どっか連れてって行くとこないかなあ」と、私たちも曇りがちになる。

で、ふとKとの会話で盛り上がったのが
『私たちいろんなドッグカフェに行ったけど、本当に行きたいのは実はドッグカフェじゃなくて、わんこもOKという普通のお店の方だよね』という結論だった。

まとめてみると
1.わんこと一緒に入れるお店が欲しい
2.別に他犬と触れ合いたいわけではなく、美味しい飲食がしたいだけ
3.一般的にドッグカフェは“ドッグカフェ”というのが売りであって、出来合いのそれなり以下の飲食物しか提供しないし、何より臭いしうるさい
4.したがって我らのニーズはドッグカフェにあるのではなく、我らが欲する料理を愛犬同伴で食することができるお店である
ということだった。

そういう意味において我がカフェはいずれ“ドッグカフェ”というヘッドを返上し“わんこもOK”というスタイルに変貌する可能性を確認した。

悩まされるのが
1.わんこ育ての相談とレッスン
2.そのわんこと飼い主に修練の場を与え、その後の喜びと環境を共有し共に分かち合えるという目的をどうするかである。

本来両者は共存するべきであり、そのための想いを込めてドッグカフェを開店した経緯がある。

そして今思う。
わんこもOKの店は、飼い主に対し積極的にルールとマナーを求めて欲しい。
ドッグカフェはそんなお店に負けない料理と快適空間を競って欲しい。

『あそこはドッグカフェだけど美味しいっていう評判だよ。臭くもうるさくもないらしいから一度食べに行きたいね』

降り続く雨の中、そんなことをちょっと考えてみた。
 

釣りっていいな。 2012年04月28日(土)

  5月3日と4日は祝日ですが、定休日(木・金)に当たりますのでカフェはお休みさせていただきます。

さて、GW直前の昨日の定休日は好天に恵まれた。
「ごめん、釣りに行ってくる」

釣行は天候に左右されるし休日の込み合った時期に出掛けるのは嫌なので、私は突然言い出すことが多いのだが、そんな時でもKはいつも快く送り出してくれることに感謝している。
天気がいいのだから釣れない時間でもリラックスできるし、釣れ始めたら気分は最高に気持ちいい。

ホッケとカレイが程よく釣れた昨日は、リラックスと充実感を春の日差しを浴びながら満喫できた。
釣果だけが目的なら時合いは夜から明け方だったろうし、日中には足元に群れるホッケの浮き釣りをすれば相当の数をあげることができたはずだが、敢えてのんびりとする手法を選びそれでも満足してきた。

この時期に多いいわゆるローソクボッケと言われる20センチほどの小型のホッケは釣らず、30数センチ以上に狙いを定め、さらに春だからカレイも標的とした。しかも日中の投げ釣りという条件で…

釣れなくてもいいから試したい方法があといくつかあり楽しみは尽きない。
GWが終わった頃、今度は予め天気を調べ準備をしたうえで『釣りに行く』とKに予定を伝えられたらいいなと思っている。
その仕掛け作りを考えただけで楽しくなってしまった今夜だ。
 

犬じゃない!あなたのことを一緒に考えましょう 2012年04月23日(月)

  このところ新しいワンちゃんとの出会いが続いている。

お友達からのご紹介だったり、月刊誌O-tonやじゃらん別冊をご覧になった方、あるはこの欄をネットで知って…という方々が多く感謝しております。

正直に告白すれば、すべては無料の媒体であり、これらをうまく活用することで地味に宣伝しているというわけだ。
基本的に我がカフェでは有料広告は行っていない。
だって、小さなカフェだからこれだけでも十分なのです。

例えば月火限定の“無料お散歩チェック”を目的に、それぞれの日に3組のご来店があったとしよう。
それで私の体力は限界になってしまう。
体力というより気力、いや“気の力”が吸い取られてしまうと表現した方が正しいように感じる。

だって、相談に来られる方にはたくさんの悩みがあり現実があり、相棒のわんこにも相当なエネルギーがある。
その話を伺い、わんこと歩き、評価を説明し今後に向けてのことを真剣に話すと何かが吸い取られていく感覚があるのだ。

1.吠えてどうしようもないというわんこ。
凶暴なのかという不安もあったが、歩いてみたら気のいいわんこだった。
だがシープドッグ。
その犬種の気質が働いての吠えであり異常行動ではなかった。
『吠えさせるか、吠えるのを拒否するのか』という飼い主の意識と人間力の欠如の典型である。
つまり訓練されるのは犬ではなく飼い主であるということを、飼い主の心を傷つけることなく説明するのが難しい事例であった。

2.16か月齢のわんこ。
『何か影がありそうだな』と心の準備をしていたら、思い切って告白してくださった飼い主。
『1か月前に我が家に引き取ったわんこです。それまで山の中でケージに入れられて暮らしていたようです』
歩いてみると、とんでもない状況である。

『このままイヌという形で天寿を全うさせた方がいいのかな』と思った。つまり、人間に寄り添う感性を発達させた犬ではなく、野性としてのイヌのまま生涯を“飼育”した方がいいのかと…

だが飼い主さんは仰った。
「室内で一緒に平穏に暮らせるようになるでしょうか?」と。

私は無料お散歩チェックの距離を伸ばし、様々な刺激をそのわんこに与え、時に抱きしめ、じっと冷静になれる時間を与えた。
『今まで生きてきたこの子の16か月と同じだけの時間をかけての育て直しが必要でしょう。そのくらいの気持ちで取り組む覚悟があれば…』と私は応じた。

同じような課題を抱えた7か月齢のわんこを、10日ほどでリハビリしているが、飼い主にはやはり長い目で見ていただきたい。

シーザーミランのいう『犬にはリハビリを。飼い主には訓練を』という言葉が再び新鮮に聞こえ私の中へ入ってきた。
 

夢見る春だ 2012年04月20日(金)

  狂犬病予防接種の時期なのに急に春が来たものだから…

『接種後は安静に』という時間がモッタイナクて今回の定休日も病院行きを先送りにし、アモと春を楽しんできた。

昨日は半日長沼を満喫し、今日はタイヤ交換をしてもらってる間に公園でボール遊びに興じ、その後長い散歩をしていると「アモちゃーん!」と開店前のレストラン/パデリーナの窓からイタリア人ママのナナさんが手を振ってくれた。

さらに平岡公園を1時間ほど散策し、カフェに戻って冬タイヤを下してから恵庭の道の駅に車を止め、漁川沿いの遊歩道と一般道を2時間ほど歩き回った。

11歳になったアモだが『どこまでも付き合うぜ!』と勇ましい。

道の駅に戻り“えびすかぼちゃのソフトクリーム”を二人で分け合い、心地よい疲れを感じながらカフェに戻った。
私がKの愛車のタイヤ交換をしている間、アモは心地よく疲れた体を癒していたに違いない。

次は私とKが身体を癒す番であり、定休日最後の時間は里塚温泉でシメとなった。

昨日の長沼はよかった。
運河にたむろするハクチョウ、中空を飛行するアオサギ、水芭蕉・座禅草・福寿草…
長沼のカフェからの眺望は最高で、右から小樽の○○崎(ど忘れ)・手稲の連峰・手前に藻岩山・焼山・無意根・恵庭岳・風不死(たぶん間違い)そして左端には苫小牧を過ぎた辺りで樽前山の見事に緩やかな傾斜があった。

山並みを見て、どの角度からでもその名前が分かるようになりたいと夢を抱いた。
そこに行ってみたいと思った。
雑草ではなく野鳥で括るのでもない生き物たちの名前と生態をもっと知りたいと思った。
美しさと感動を感じるために、まずは地元での名前を知りたいとこれまで以上に強く思った。
すべては個人で感動し社会に遺すためである。

予防接種は定休日以外にしよう。
休みの時間はやっぱ、昨日今日みたいに使いたい。
 

アモ11歳 2012年04月18日(水)

  今日、我が家の愛犬アモが11歳の誕生日を迎えた。

数多くのレトリーバーを見てきた私の目には、外見上は年よりもやや若く見え、機能的には『まあ、それなりかな』と映っている。

ともあれ元気で今日を迎えられたことに感謝。

さて今夜は、いつ何時アモに何があってもいいようにこれまでのプロフィールをまとめておこうと思う。

1.2001年4月18日生まれ
2.父シェル(ラブ)×母スウィート(ゴールデン)
3.同胎犬8頭。アモ・アスター・アクセル・アトレーユ(以上オス)アスカ・アラン・アミー・アリエス(以上メス)
4.盲導犬候補生として生まれ、Y家で1年間パピーウォーキングを受けるも、吠える性質のためリジェクト(優しく言い換えればキャリアチェンジ)となる。当時盲導犬協会での担当は私だった。

5.海の街、(当時の)瀬棚町の名士N家(私の友人)に入籍し、犬生において至福の時を過ごすも、寵愛を受けた末体重は43キロにもなり、それでもボール投げによる回収を得意としていた。
6.2005年11月N氏が急逝し、しばらく我が家で預かることになった。
7.我が家の愛犬スーが死んでから1年余り、次のわんこを飼う予定はなかったが、こんな流れの中でKはアモを引き取ってもいいと言い出した。
8.2006年1月12日。我が家にアモがやってきたが、カフェのソファーには飛び乗るわ、インターフォンに反応して吠えながら階段を駆け下りるわ、車に乗れば『ハーハー』と息遣いが荒くなり大変な思いをした。
9.おまけに2か月後、太った体でボールを追い回した過去のツケが回ったのか、普段の散歩途中に3月には左後肢・7月には右後肢の前十字靭帯を断裂し手術を繰り返した。
10.でもその3か月後には現在と同じ素晴らしい看板犬アモに育て上げていたように思う。

11.そして現在、体重はしばらく測ってないが33〜34キロ辺りか、ひょっとしたらこのところの溺愛もあってちょっと増えているかもしれない。
12.老犬に多く見られるイボやしこりなどの所見はなく、食欲旺盛・快便で顔色や被毛にも問題はない。
13.どこへ行くにも一緒で迷惑をかけないわんこの基礎を築いたつもりである・

たぶん健康で幸せに暮らしていると思っている。

2階で暮らすアモだからつまずきや転落が最大の危機である。
車の乗り降りの負担もあろう。
それぞれに配慮し、不注意による突然の死や障害を防ぎたいと思っている。

大災害の時でも人に寄り添い、人の迷惑にならないようなわんこに育てたつもりでいる。

階段には滑り止めと色のコントラストをつけた。
でもアモの老い・病・それと死は必ずいずれ訪れる。
普通なら私よりも速いはずと勝手に思っている。

そんときゃ・・・

長く、そしてたくさんのわんこと暮らし続けた私の経験と美学(死生観)がある。
すべては織り込み済み。想定外も織り込み済み。
お互い残された時間が迫ってきているけど、今日を生きようぜ。

けど、あんまり想定外の長生きはするなよ。
ほどほどでないと僕だってついていけないからね。
 


- Web Diary ver 1.26 -