From the North Country

ともあれ、新年です。 2012年01月03日(火)

  淡々と過ぎていく時の流れに、ご先祖たちは“1年ずつ”という区切りをつけてくださった。
現実は昨日からの流れを引きずっているのだけれど、大震災があったあの日に『一旦の区切り』をつけて新たな年を迎え、次に進む気持ちが芽生えることを思えば、正月は人類最大の発明と思えてくる。

『気持ちは前へ。だけどあの日のことは永遠に忘れない。そして今も被災者は被災している』
この現実を正面から受け止めて今年も生きていきましょう!

だから、明けましておめでとうございます。

今までの自分を継続するもよし、ちょっと変えるもよし、リセットするもよし。

あの日を思えば、もともと自分が願ってた自分になれるはず。
今年を良い年にしたいですね。
特別な思いを込めて『頑張るじょ!おー!』
 

良いお年を 2011年12月31日(土)

  生まれて初めての人間ドックで戸惑い、その翌日の骨折で始まった2011年だった。

カエラ似の看護師がどうしたこうしたのと悠長なことを書いていたら、あの大震災と大津波に第一原発の放射能で頭は大混乱。

ポポポポーンに耐えられなくなった時期もあった。

『自分たちができることを』と呼びかけて、岩手県大槌町の吉祥寺にピアノを届ける活動もし、たくさんのお客様のご支援をいただいた。

その後もそれぞれの支援を継続しておられると思うが、私は原点に帰って『盲導犬』と『北海道に避難されている方々』への組織に募金という形で支援を今なお継続している。

熱が出て腹が痛くなったと感じたら、即、入院という事態も経験した。
「大腸は穴(憩室)だらけです」との評価を『耐え難きを耐え』受け入れた。

「骨折した指の手術は平均点以下の失敗でした」という医師の言葉にも『東北の人たちに比べたら…』という気持ちで耐えた。

それでも、Kの娘夫婦がカフェで働き始めてくれてから気持ちは前向きになった。
私の娘が独立し、思い通りのカフェのリーフレットを作ってくれたのも心強く感じた。

できることを一つずつ積み上げていくことしか私たちには出来ない。

その繰り返しを明日からも重ねていきたい。

2011年
その年がどんな年だったかを忘れたくない。
忘れるのが怖い。
だから今年いろんなわんこ達との出会いと結びつけて、記憶に残したいとの想いがある。

今年、巡り会えたすべての皆様に心からの感謝を捧げます。

ありがとう。良いお年を!
 

心に届け! 2011年12月27日(火)

  大震災のあった年の瀬を前にしてこんなこと書くのははばかられるけど、気になっていることを飲み込んだまま年を越したくもない。
だから正直な気持ちを書いてみる。

あの震災から立ち直ろうと様々な活動が行われる中、 
『報道の日』と題する昨日のテレビに感動しつつ決定的な違和感を感じてしまった。

それは以前から感じていたことの結集でもあったように思う。

“ある曲”が被災者の心に響き、『明日へ』という想いに添えたことは素晴らしいことだと思う。

その曲を被災地の吹奏楽部・合唱団・和太鼓サークルが一つになって演奏していることには感銘したのだが、合唱団のあの表情(笑顔)をどうしても受け入れることができなかった。

昔から気になっていたことである。
私は学生時代の10年を吹奏楽部で過ごしてきたし、様々な楽曲に思いを込め演奏してきたけど、思い出と写真に残る演奏中の姿にはあんな笑顔は一つもない。

和太鼓も好きだけど、イメージしたワンショットと言えば振り下ろすバチと共にほとばしる汗である。

なのに、合唱団はまるで1週間前に逝去したかの国の代表の死を悼む国民のような演技(表情)をずっとずっと昔からコンクールの中で演じており今も続いている。

『歌は心よ』
そんな想いは分かるが、同じ音楽をやってた人間でも大いなる違和感がある。ちょっと違わないか?と

長い歴史のあるこの国の“合唱”というものに、ミッチーミラー合唱団やサウンドオブミュージックのトラップ家のような自然な姿での歌声を求めるのは酷なのだろうか。

合唱コンクールの最終評価は視覚障害のあるプロフェッショナルに審査してもらいたい。
大切なことは目には見えないんだよ。
 

メリークリスマス! 2011年12月25日(日)

  『クリスマス寒波で60センチの大雪!』

そんな気象予報だったが、幸いにもカフェ周辺は寒かったものの青空に恵まれ降雪すらない2日間だった。

感謝の気持ちに加え、岩見沢・小樽後志地区の皆様には心より豪雪のお見舞いを申し上げます。

ただ、今夜から降り始めた雪と夜空の色を見ると、明日の朝ここら辺りはとんでもない状況になっている予感がする。
目覚ましは6時半にセットして、明朝からの除雪を覚悟している。

ところで、クリスマスランチいかがでしたか?
お褒めの言葉にあぐらをかくつもりはありませんが、ゆうちゃんシェフとパティシエMそれに前菜その他諸々担当のKとまりは笑顔で疲れ果てておりました。
もちろんトリマーのさおちゃんは忍耐と肉体労働の連続でした。

おかげさまで私だけは楽をさせていただいております。

言い訳は簡単。『司令塔があたふたしてちゃいかんじゃろ』ってね。

せめてもの償いとして除雪とスタッフ出勤前の掃除機かけを日頃より心がけているから明日は出番がありそうだ。

意欲満々な張り切り若夫婦と『まあ、いいんでないかい。ぼちぼちやるべ。』の老夫婦が混在した状況にようやく慣れつつある。

今年のカフェの営業は残り3日間。
いろんなものが混在し、そん中で当たり前にわんこがいる風景を皆様と共に共有することができました。
これからも当たり前を当たり前と感じれる空間を提供して参りたいと思っています。

ともあれメリークリスマス!
 

おやぢ街道まっしぐら 2011年12月23日(金)

  「またアモの言いなりになって…」そんな陰口が聞こえてくるけど、昨日今日の定休日は原始林を散策してきた。

枯死した老木では5匹のエゾリスが忙しそうに冬の晴れ間で遊び、それを見つけたアモは根元に駆け寄り悔しそうに見上げる。

先に目をやると焦げの強い茶色をしたキタキツネが私たちを発見し、そそくさと森に逃げている。
残り香でアモは異変を感じるだろうと予測していたのに全く反応なし。
そこらじゅうにある野ウサギの足跡にも興味はない。

アモは笹薮の根元辺りに生息しているヤチネズミに的を絞っているようだ。
微かな臭いも見逃さず、『絶対いる』と確信した地点では尾の振りが明らかに違う。

傍観している私の視界にヤチネズミが逃げるのが見えた。いろんなトンネルがあってゲリラ戦を熟知しているようだ。
アモは気づいていない。

以前、弱ったヤチネズミをアモが見つけたことがあった。
尾をびゅんびゅん振ったものだから私は『どうするつもりだろう?』と不安になったことがある。
舐めでもしたらエキノコックスの心配をしなきゃいけないから。

でもアモの反応は違った。
『ね、いたでしょ。』と得意気に言いつつ、じっとネズミの動きを観察していただけで、「アモ、もう行くよ」と私が言うと満足そうに次を探し始めていたのだ。

アカゲラがドラミングをするとアモはちゃんと定位して私にその方向を教えてくれる。
今日は遠くでクマゲラの声が聞こえたけど姿を見ることはできなかった。

膝のサポーターとタートルネックそれに靴下が必要だった私は帰宅後、近くのショッピングモールへ出かけて具合が悪くなった。
今日は祝日だったんですね。
あのような人ごみの中で私は生きてはいけないことを改めて感じた。

目を伏せ、小さくなることでしか過ごしようがなかった。
あの時のヤチネズミそのものだ。
別に何をされるわけでもないのに…
 

幸あれ、ブーちゃん。 2011年12月19日(月)

  「ここ数日風邪のような症状が続いて苦しかったものですから病院で診てもらったら『犬アレルギーで、ぜんそくの一歩手前です』と診断されました。残念ですけどブーちゃんを手放すことにしました。」

悲痛な電話が今日あった。

「えっ!」
今年、ぜんそくの苦しさをKを通じて知っていた私は呆然となった。

「それは大変ですね。で、ブーちゃんはどうするんですか?」

ぜんそくの苦しみを知っていたはずなのに、私は飼い主さんへ一声かけただけで、わんこの行く末を心配してしまったことを後になって恥じた。

「ブーはブリーダーさんが引き取ってくれます」との言葉に大きな安堵を覚えた。
とってもいい子だし、まだ生後5か月だから未来はいくらでもある。と思えたからだ。

ごめんなさい。
人間第一が当然なのに、私の頭は瞬間、妙な計算をしてしまった。
アレルゲンから離れる人間は回復する。
でも離されたブーちゃんはどうなるの、って。

ペットショップで購入したわんこならこうはいかなかっただろう。
やっぱわんこは良心的なブリーダーから手に入れるべきである。

途中経過としては良くない状況ではあるが、ブーちゃんに幸多かれと願う。
『あなたはここ2カ月ほどカフェにおいて貴重な体験を積んだので、飼い主にさえ恵まれれば立派なゴールデンになることを保証いたします』
そんな証書を発行したくなった。
 

人と在りてこそ 2011年12月13日(火)

  私がエッセイを書いているローカル月刊誌『O.ton』(オトン)が15日に発売される。
今回が2回目の掲載だ。

だが、ここ数日私が頭を悩ませていたのは次回の原稿である。
スラスラ書けるはずのテーマだったのに、いざ書き始めると全く書けない。
理由は簡単。
制限された文字数だ。

山ほどある言いたいことを限られた文字数で表現しようとすると、何をどう書いても総崩れになってしまうのだ。
『物書き人の才能とは大したものなんだなぁ』と改めて思った。

長く生きているから、行き詰った時の対処法はある程度分かったつもりでいる。

『最初に書いたものを如何に捨て去るか』の決断はその一つであろう。
分かっちゃいるのに信念や過去の努力それに思い入れがあってなかなかできないものだ。
そんなときは『一旦離れる』のが良いのも分かっている。

意識不明になるまで焼酎を飲んだ翌日の今日、とことん考え、思い詰め、文字にした第二稿をYさんに渡した。
そしたら「140文字ほど足りません」とYさんからのメールが届いた。

足りない言葉を補う余裕を与えられた私は有頂天で補足の言葉を加えた。
そのうれしさを何と表現しよう?

そう、『月末に余ったお金のありがたみ』そのものだ!

だが、明日には修正の要求がまた来るのでしょうな。
人生日々成長 己の力ではなく 人と在りて
 

やっぱ最悪商品だよ 2011年12月10日(土)

  夜11時5分頃には皆既月食って言ってたけど、ずっとお月さんがくっきり見えているってどういうこと?
お月さん消えました?
少なくとも我が家ではお月さんがずっと見えてたんですよねぇ。

これって宝くじが当たる前兆でしょうか?
年末がますます待ち遠しくなりました。

さて、カフェのHPがちょっとだけリニューアルしました。
私のウィンドウズ7では全く反応せず、これまでのHP画面を表示しましたが更新ボタンを押すと新たな画面が見られました。

何かにつけウィンドウズ7は不便で使いづらくてたまりません。
導入して数カ月が過ぎますが、ストレス溜まりまくりです。
あれって企業対象のOSで、庶民を全く無視していますよね。

『余計なお世話をされちゃうと反感すら覚える』ということの典型です。

買ったら必然的についているわけだし、自分への戒めとして仕方なく利用させていただいておりますが、稀にみる最悪商品だと感じている。
 

便利にした責任ってあるでしょ。 2011年12月09日(金)

  今回の定休日はお泊り犬がいるにもかかわらず、Kに託して久しぶりの釣行に出かけてきた。
冬の積丹。平日で誰もいない港。
爽快感・解放感、日が沈むにつれての孤独感・不安感。
最高だったね。

そういえば15年近く前、子供とこの港に来た時、警察が遭難者の捜索のため警戒線を張って立ち入りできなかったことを思い出した。
行方不明になった釣り人は名探偵コナンと同じ名前の工藤新一さんで、その名前が張られた車が駐車場にあったのを子供の驚きから記憶していた。

そんな港での釣りは、波の高さや風の強さを自然と意識させてくれるので、荒天時の“引き時”を否応なく教えてくれるものだ。
だから私はKに電話を入れて安全を知らせようと思ったのだが、携帯は最初から“圏外”の表示。

日が暮れてこれから釣果が上がる時間帯に入ったのに、音信不通となればKは何をしでかすか分からない。
だってこれまでのAU携帯では通話できていたのだし…
繋がらないことで余計に心配しているかもしれない、という不安が走った。

結局私は途中で釣りを諦め、電話が通じる町まで車を走らせることになった。

「捜索願を出すとこだったよ」というKの言葉に、Sバンクさんどう答えてくれますか?
積丹は人口が少ない地域だけど、たくさんの釣り人が出かける町なんですよ。

何とかしてください。お願いしますよ。
このままじゃ、のんびり釣りもできゃしない。
 

興奮に潜む危険信号を知りなさい。 2011年12月05日(月)

  我が家の愛犬アモと暮らしたこの6年、私はいくつかの身勝手なアモの興奮を許さなかった。

1.車内での興奮
我が家に来た当時のアモ(3歳)は車に乗るとハーハーと荒い息をし落ち着かなかった。喜びというより過去に車内で不安を感じた経験があるような息遣いだった。
私は急発進急ブレーキ急ハンドルを絶対に避けたうえで、「うるさい!!静かに!」と怒鳴りつけた。
それはしつこいまでに繰り返し、許容範囲になるまで4カ月はかかったかも知れない。
今となっては懐かしい状況だ。

2.来客への興奮
同じく当時、インターホンが鳴るとアモはワンワンと吠えながら階段を駆け下りて行った。
警戒意識半分弱・歓迎気分半分強という割合だったが、それも私は許さなかった。
吠えながら階下に降りた当時42キロもあったアモの首根っこと尻をつかみ、私は火事場の馬鹿力で2階まで引き吊り上げ「2度と勝手なマネはするな!」と、どやしつけた。(決してマネをしないでください。普通に育てたつもりのわんこだったら噛まれますよ!)

その後のアモは身勝手な行動はしないけど、来客を誰よりも早く自分が察知しないと気が済まない性格なので、私は最初の一声で知らせることだけは容認するようにした。
カフェのアモが縫いぐるみを咥えているのは、察知した時大きな声が出ないように自ら工夫しているのです。

3.他犬への興奮
アモは普通の人が飼えば“とんでもないわんこ”の部類に属す。
全く危険でないどころか、すこぶる頭も性格も良いのだが、他犬意識が強い。
だから散歩中には外飼いのわんこにハーハーと、わざと息遣いを荒くして刺激するし、途中で出会ったわんこには『お前俺に吠えかかるつもりだろう』と余計なことを言う。
好きにさせればカフェのアモでは想像もつかない振る舞いをするのだ。

よからぬ興奮を戒め・抑えるのは飼い主の役目である。

興奮させたり興奮を許すのは『制御できる』という前提の上で許されることなのだが、あなたは愛犬の振る舞いを許しすぎてはいませんか?
 


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