From the North Country

気持ちの整理 2013年02月24日(日)

  1月11日わんわんわんの日にカフェが賑わったかどうかは忘れてしまったけど、2月22日ニャンニャンニャン以降カフェはとってもおヒマになっているのは分かる。

そんな言葉遊びが関連するんだろうかって思われるでしょうが、いわゆる○○ノミクスっていうのはそういうこと。

有力者が騒ぎ立てれば市場は反応し、みんながその気になって何かしらの動きを始め、数が集まれば市場はさらに反応する。
すると実体でもないのに経済は動き、景気は良くなり、いずれ弾け、ひょっとしたらまた良くなり悪くなるの繰り返し。

人生の短さを勘案すると、バブルを享受し/それが弾け/またバブルなんて醍醐味を味わえるから現代資本主義社会は続いているのだろう。

「もしもし、こちらはソーシャルネットサービスを行っている会社です。お宅様の事業をもっと発展させるお手伝いができます…」
そんな電話やメールが頻繁にある。

「結構です。露出は控えておりますので」と私はお断りする。

経営は大事だし常に考えておかなければならないけど、経営のために生きているのではなく、信念という原点を忘れたら経営は何の意味もなさないことを改めて初心に帰って留め置きたい。

必要とされるものは時代に翻弄されつつも、しぶとく生き残るものだ。

踊らされ踊ることなくドッグカフェナガサキを淡々と10年続けております。
カフェのコンセプトは私の誇りであり、存在の意義でありますからね。
もうしばらくは楽しませていただきますので趣旨にご賛同の方はご利用の程よろしくお願いいたします。

愛想なく飼い主に厳しいカフェですが…
変わりなく今のところ存在しております。
料理だけは美味しいはずです。
 

秘密のケンミンショーに投稿すれば気付いてくれるのだろうか? 2013年02月19日(火)

  本当にもういい加減にしてほしい!

北海道のドライバーは『悪意なき違法運転』を日常にしていることを告発しなければならない。
本人に自覚がないし違法であることも知らないようなので根は深い。

この欄では3度目か4度目の告発になると思うが、毎日毎日散歩し、車を運転するたびに不愉快な経験するのは、“方向指示器を出さない”あるいは“曲がる直前で指示器を出す”ドライバーのことであり、私は翻弄され怒り心頭に達する日々を送っている。

・所構わず大声でしゃべる
・飛行機の中でも大喧嘩をする
・唾や痰を平気で吐き捨てる
・トイレを汚す
・並ばない
・絶対に非を認めない

そんな某国の観光客に不満を感じる前に、日頃の自分の運転を再認識して欲しい。

脇道に差し掛かった時、100メートルほど先ではあったが右から車が来ていたので私はアモに「マテ」と指示を出す。
ところがその車は2メートル手前になって左折の方向指示器を出して平然と曲がっていくからムカッと来るのだ。

交通法規通り30メートル手前で指示器を出せば不満はない。
ただ、もし私がその車の運転手だったら、前方で私の車が直進すると思って待ってる人や車がいたら、100メートル手前であっても早めに指示器を出して『私は左折しますから渡ってもいいですよ』というサインを送る。

これは犬育てにおけるある種の極意でもある。
相手(わんこ)のことを考えずして、わんこのしつけなんぞ絶対にできはしませんからね。

思い当たるドライバーは大いに反省して欲しいし、『何のこと?』と意味が理解できない方は決してわんこを飼ってはなりません。

北海道民の皆様、もし関西に行って運転することがあれば気をつけなさい。
夜の交差点で信号待ちした時、ヘッドライトをつけたままだとパッシングされて怒られますよ。
『眩しいだろ!向かいにいる相手のことを考えろ!』と。
失礼ながら、あの関西人にさえ怒られる行為以上のことを我々は日常行っているのです。

でも北海道では平気。
『まあまあまあ、いいんでないかい。細かいこと気にせずに、なあ』てな道民気質。
だって通常警戒のパトカーさえも直前で指示器を出していますから。

だから、おかしいのです。
昔の北海道は、こんなんじゃなかった。
 

キャバリアのクゥちゃん 2013年02月18日(月)

  降り続く雪にちょっとした覚悟と警戒が交錯しはじめている。
いつもの冬より何かちょっとおかしい。
去年は降雪量こそ少なかったものの、低温で降った雪が解けず結果的に積雪量が多かった。
今年は降雪も積雪も多いようだ。

そんな人間の心配とは関係なく、とりわけ中・大型のわんこたちが冬を満喫している姿を見て癒される。

お泊り犬キャバリアのクゥちゃんが面白い。
最初はシッコとベンベンの意思疎通がうまくいかなかったから心配していたが、一度も失敗したり室内のペットシーツですることもなく要するにマイペースであることが分かった。

お互いを理解しあってから、クゥちゃんはちょっと無理してガーデンで排泄する回数が増え、私は無理してまで排泄を促さなくなった。
おっとりしているから普通のわんこよりもともと回数が少ないんですね。

数日はリードをつけて2階の居間からガーデンまでの往復をしていたけど、リード無しにしても、居間からゆっくりと階段を下りガーデンで排泄を済ませ、再びゆっくりと階段を上り寄り道することなく自分のベッドへ向かう。
そして数分のうちに『ビーブー、ビーブー』といびきをかいて寝ている。

朝夕の食事の準備をしている時も『ビーブービーブー』。
「ごはんだよ」と起こして、出来た食事を伏せたままのクゥちゃんの両手の間に置くと、そのままの姿勢できれいに完食。

食べた食器を洗ってお水を入れる間に、再び『ビーブービーブー』といびきをかいて寝てしまっている。

なんとも手のかからないお泊り犬だ。

大雪が降れば除雪作業に汗を流し、明日の天候を心配する私とは大違い。
クゥちゃんは食べて寝て排泄し、時々遊んで満足している。
その姿が私たちに喜びというか癒しをもたらしてくれるのだからキャバリアは高齢者にはうってつけの飼いやすい犬種と言えよう。

隣のベッドで寝ていた我が家の愛犬アモが『おめぇのいびき、うるせいな』と一瞥して寝返りを打った。
因みにアモは、いびきではなく“寝言派”のわんこであり、マイペースというより自己主張をさりげなく巧みに行う切れ者である。
 

人である前にヒトであれ。そののちに見えてくる人をこれから考えようじゃないか。 2013年02月10日(日)

  「私ね身体が悪くなってさぁ、一日おきに通院してるんだよね。でも留守の間にうちのマルチーズが吠えまくっているらしくて近所から苦情がきてるのさ。何とかならないものだろうかねぇ」

地域のフリーペーパーで私のことが紹介されたものだから、そんな電話相談が今日も舞い込んだ。

『なんでそんなことも想定せずに犬を育ててきてんだ!』との思いをグッと飲み込み、「マンションではよくあることなんですよ」と応対した。
すると「市営住宅なのさ。あんまり騒がれるとよくないんだよね」
「あれ?わんこを飼える市営住宅ってあるんですか?」と私。
「飼えないのさ。だから困っているんだけど、周りの人も結構飼ってるんだよね」と電話の向こう。

はて、皆さんならなんと対応しますか?

「獣医さんに相談したら薬出してくれてたんだ。でも、もう効かなくなってねぇ」と相手。
たぶん、軽い鎮静剤から徐々に強くしたんだろうけど限界がきたのだろう。
根本を解決せずに目先の対症療法だけで済ませる獣医は結構多い。
不安や興奮がつのればそんな薬は効かないし害になることだってあるのに。

「他犬を見ては吠えたて、車内でも外の人や犬を見れば吠えるものですから…」
昨日そんな電話相談を受けた飼い主とわんこが今日カフェにやって来られた。

「吠えるものだから、散歩中に他犬がいたら避けるように道を曲がり、車内では外が見えないようにクレートに入れています。」
そんな飼い主はゴミ箱をいたずらされないように高い所に上げるだろうと思って聞くと、やはりそうしておられる。一流の愛犬雑誌にもそんな対応が薦められている。

ひょっとしてあなたたち、『犬ってバカ』だと思っていませんか?

バカだと思ってるから、吠えて迷惑かけないように散歩コースを変更し、悪戯されては困るゴミ箱を高い所に隠してるんじゃないですか?

一生そうやって犬に振り回され犬の尻拭い的な生き方をするつもりなんですか?

彼らは動物です。
私たち人もまたヒトであることを忘れてはなりません。自覚を失わずに動物同士として対応し、さらにヒトではなく人として人間社会の息吹を吹き込むことで彼らは素晴らしく社会化された相棒になるのです。

私たちの多くはイヌの生態を楽しむためにわんこと暮らし始めたわけじゃない。
愛犬との暮らしに対して魅力を持ち暮らしているはず。
だけどそのために必要なのが、ヒトとイヌの差を知ることであり、私たちは明らかに神のごとく彼らの優位に立ち彼らを導く資格と責任を負っている。

酔い潰れそうな私の叫びの先に何か見えて来るものを感じていただければ幸いである。
50数年前、九州で暮らしていた時、何が原因か覚えてはいないが『おかあちゃんのバカ!』と叫んだ記憶がある。
母は『あんたがバカたい!』と返してきた。
そのエネルギーの凄さに私はたじたじとなった。
なに、昭和の古い話だ。
だけど私は今でも覚えている。
 

滅多にない白魔も長い人生では織り込み済み 2013年02月08日(金)

  ひと冬にたまにある“白魔”の世界が今夜幅を利かせている。
ゴーゴーと唸りを上げる風の中では、まともに目を開けて歩いていられないし、降りしきる雪が均等に積もるわけでなく、どこかにとんでもない“吹き溜まり”を築き上げる。

日中の天候は穏やかで、雪まつり期間に合わせるようにカフェ周辺では『パートナーシップ排雪』が行われていた。
パートナー…というのは、町内会と札幌市が費用を分担して一冬に一度行われる排雪作業のことである。
『こんなに丁寧に作業して大丈夫なの?』と感心させられるほど、本格的で地域密着の仕事をしてくれる。

カフェの定休日だから私たちは全く困らることはない。
きっと事前に定休日まで確認してあるのだろうと毎年感謝している。

その作業車がカフェ前で仕事を始めた。
昨夏、周囲を石積みの枠に囲まれた駐車場に造成したのだが、冬はその場所を雪捨て場にしたものだから雪に覆われてその姿は見えない。

積み上げた石を重機で破壊されては困ると考えた私は、現場責任者に声をかけた。
すると「大丈夫ですよ。去年の工事の後こういう形で石が積み上げられてますよね」と的確に把握していることを伝えてくれたのだ。

凄いですね。
プロフェッショナルな地域密着だと感心いたしました。

ただ、嫌なジンクスが続いている。

この排雪作業の後には大雪が降り、結局、道路は元の埋もれ雪に戻ってありがたさが半減するというものである。
こればかりはプロと言えどもどうしようもない。

今年も大当たり!
おまけに大雪よりひどい白魔の世界で、明朝の除雪には気合が必要なようだ。

明日からの3連休、孫を授かった爺婆は今ではプロの木っ端だろうけど昔の自負を持ってそれなりに頑張ります。
どんなに悪い運勢や占いやジンクスがあろうとも。
 

人生が変わる日なんだろうか。 2013年02月07日(木)

  クジラ山は苦難の連続だった。

風雪でルートが消え、アモが痕跡を見つけて歩いた上を私が歩いて道をつける作業が続いていた。

定休日の今日、横殴りの雪だったけど山に出かけた。

新雪の上でゴロンゴロンとのた打ち回って喜びを示していたアモだったが、道なき道の途中でついにギブアップ。
先頭を私に譲り、後ろからとぼとぼついてくるようになったその時、『生まれたよ!』とKからメールが入った。

大雪の日の12時半、娘のまりが男の子を出産した。

Kはついにバビー(婆ちゃん)になり、私はギジー(義理の爺さん)となった。

母子共々それぞれに元気だったのが何よりだった。

ただ、他者からの影響で日常生活を変化させるのが何より苦手な私である。
言い換えれば自分本位で身勝手な男である。
めでたいのは分かるけれど、どう考えても自分の生活が変わることは明白となった。

まりがチワワのらむを連れてきたときも悪寒が走った記憶がある。
どうしようもない血を受け継いで、野生動物のように振舞うらむをそれなりの家庭犬に育ててきたけど、もう一度あの頃を繰り返すのか?

こんなひどい書き方をするのは、普段から私は人間の子供には『甘ちゃん』であることを自覚しているからである。

わんこには毅然と接していた私がこれから崩れていくかもしれない。
ああ、これまで偉そうに言ってきたことの土台が崩壊するかもしれない。

生まれたばかりの赤ちゃんと対面してきたら、なんか自分の人生を伝えるより、どんな人生を歩むのかを見てみたくなった。

生まれてきてくれてありがとう。
素直にそう思った。
 

ドッグカフェは“はけ口”じゃなくて社会の入り口 2013年02月04日(月)

  初めて来店された方が多かった先日のカフェ。

この雰囲気を『どう受けとめるべきか?』
初めてのわんこたちは戸惑っていたことだろう。
慣れるまでしばらくは静かだったわんこが、時間と共に他犬や人の動きに反応して吠え始める。

静かで穏やかなカフェにおいて、人や他犬の動きに反応し吠えるようになったわんこの飼い主さんはさぞかし困惑されたことだろう。

『あのう、こんな風にいつも吠えるんですけど、どうしたもんでしょうか』と相談される方はカフェにとって決して迷惑な存在ではないことを、まずはお知りおきください。(ショップコンセプトをお読みいただければ、ご理解いただけると思います)

商売上こんなこと書いていいのか分からないけど、迷惑なのは『ここはわんこのためのドッグカフェだから…』と、自宅同様の悪い振る舞いをする愛犬に対して無頓着なお客さんである。

私はドッグカフェというのを『社会が広くわんこを受け入れるための“入口”』と考えており、決して『社会から受け入れられないわんことその飼い主のための“はけ口”』とは思ってはいない。

“わんこもOK!”という店やホテルがどんどん増えていくための足掛かりがドッグカフェなのだと思っている。

だからそんなドッグカフェとして一つの流儀がある。

わんこの行儀が良いか悪いかではなく、飼い主さんがそれをどう感じどうなって欲しいかを考え、自らが関わることを受け入れてくださる飼い主さんを応援する、ということ。

吠えたり行儀の悪いわんこと暮らしていると、いつの間にかそれに慣れてしまう。
それが良くない。
吠えられる相手の不快さを感じなければいけないのに、吠える我が子の立場に立って同情的な対応をしてしまう飼い主は多い。
それが良くない。

同様に良くないのは、家庭犬としてではなくただの“イヌ”としてしつけもせず(できず)オス犬の去勢もせず飼っているのに、そんなことに配慮が及ばず社会参加させようとする無知な飼い主である。

酔いが回りこれ以上の判断がつかなくなりかけてきた。失礼すぎることを書いていたらごめんなさいです。
ちゃんと私なりの犬育てのこともう一度書いてみようかな。
ブログじゃなくてマニュアルを
長くかかるだろうな。
ただ、今夜はもう寝ます。
 

あの日あの時 2013年02月01日(金)

  あなたと愛犬との暮らしはもうどのくらいになりますか?

なぜかふと過去を知りたくて、2006年辺りに戻るうち7月6日と1日のこの欄に出会い読み返してみた。

あの日があったから今があると思える記載があった。

あの頃、年だ年だと言いながらも36キロのアモを2階まで吊り上げ、叱りつけたというエネルギーに驚いた。
おそらくその時は首と腰の皮を持っていたはずから、アモにとってもひどく痛く辛かったはず。

普通のわんこなら噛みついてくるに決まっている。

『そんなことはない』という信頼はもちろん私にはあったが、万が一を承知の上での心構えもしていた。

2階まで黙って吊り上げられるアモに、私にとって絶対的な信頼が確立され、アモには私の真剣さが伝わった時間が生まれた。

あの日あの時があったから“今”っていう記憶は誰しもが持っていますよね。

今夜、ちょっと思い出したから書いてみました。
それだけ。
 

今年もファーガス基金をよろしく! 2013年01月28日(月)

  【ファーガス基金】2013年が始まりました!

'12年9月20日開設:目標額150万円

【入金報告】
1月10日オオ○ユ○コ様1,000円
1月28日:カフェ募金15,664円
      
1月28日までの中計:339,511円
目標額まであと:1,160,489円

これからもたくさんの方々の月々のご支援をお願い申し上げます。
振込先
※ゆうちょ銀行(郵便局・郵便口座)からは
記号;19050 番号;33999621
※他金融機関からは
【店名】九〇八(読み キュウゼロハチ)
【店番】908
【種目】普通預金
【口座番号】3399962
名義は郵貯銀行の規定上、介助犬ファーガスで開設できないため、ナガサキフミアキとなってしまいますが間違いなくファーガス基金として管理いたしております。
なお、この基金について詳しいことをご存じない方は、このページ上部にある『タイトル一覧』をクリックし’12年9月20日・29日付のこの欄をご覧のうえご支援くだされば嬉しく思います。
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今日そのファーガスとNさんがカフェにやってきた。

追突事故の後遺症で現在もなお動けなくなってしまうことがあるNさんの日々の生活をフォローし、買い物にも同行し、雪で動けない車椅子を引き上げるなど大活躍のファーガスだが、カフェに来るときはどちらかといえば“自由時間”で息抜きとしての大切なひとときである。

そして私はファーガスが卒業した日本補助犬協会からその時間の管理を任されている。

今日、初めて来店の5.5か月のグレートデンがガーデンを駆けていた。
ファーガスも童心に帰って駆けてみたが相手の方がちょっとパワフル。
このままだとテンションが上がり過ぎてたじたじになってしまいそうだったのでファーガスは名誉の退却とした。

でも、使役犬って立派なんですよ。
こうやって遊んでいても、ご主人がいざ『ヘルプ!』となればさっと我に返って果たすべき仕事に喜びを感じるのですから。

Nさんは私たちと同じように生活していた。
そのNさんが追突事故に遭い生活は一変し、子供二人と母子で暮らすようになった。
事故による車椅子生活なのに保険会社は『症状が出たのは直後ではない』と因果関係を否定し、保険金の支払いを拒んだ。

障害者となったNさんは受障のショックと裁判を継続する過程で保険会社を相手にする恐ろしさで小さな小さな自分を感じるしかなかった。

実際のところは私には分からない。

ただN家を今は知り、介助犬ファーガスが来てからの生活を知っている。
そして応援を決めた。
介助犬との生活がNさんの経済的負担にはなって苦しめてはいけないのだ。

制度がないならそれが整うまで私たちはできることを継続します。
大きな声ではなく小さなことをとにかく続けます。

カフェに通うお客様はHさんとファーガスを目にしているから、いつも地道に応援してくださっていますが、この欄をお読みの全国の皆様にも遠くから趣旨をご理解して、『カフェに咲いた花』を支援していただきたいとお願い申し上げます。

ってなわけで、今年も1月が終わろうとしていますがファーガス基金の目標達成まで頑張るつもりでおりますのでよろしくです。
 

いい加減から始まる覚悟って面白い 2013年01月26日(土)

  今日はわんこ無しのお客様が数組おられた。

将来は“わんこもOKのカフェ”にするしかない当店にとってはありがたいことである。
だって犬好きだけの素人若夫婦が“ドッグカフェ”なんて継続できるはずもないし、やったところで妥協の日々を送るか後悔するだけだ。

なんてね。
偉そうに、『俺がいなくなったら平穏なドッグカフェの維持はできない』って脅しをかけて、だから『俺のこと大事にしろよ』ってなことを本気で私が思っていたら大馬鹿もんである。

『お前がいなくなったらどうにもならなくなる』
『あの人がいなくなったらおしまいだ』
人生の中で人は本当にそう思うことが度々ある。

家族や近しい友人の関係においては確かにそうだろう。
大きな痛手ということ以上に精神的なダメージがぬぐいきれず、本当にダメになってしまうことだってある。

だが、こと組織や仕事においては違う。
部活の重要人物が退部したいと申し出るってな経験や、退部でなくともその人が卒業した後の不安を昔感じた方はたくさんおられるだろう。
職場のキーマンが転職したり急逝することの経験をされた方もおられよう。

でも、外部からは必要とされ内部では有意義で楽しいと感じられる活動の多くはその後も脈々と続いている。

変化はあろうが何とかなるものなのだ。

例えばドッグカフェ。
わんこを社会が受け入れ、しつけについても必要性が認識されつつあってから30年は経つ。
つまり当時の現役訓練士が引退し、老後をつまらなく送っていることだって考えられる。
その方たちを発掘しタッグを組めば、給料なんて二の次で生きがいとして熱い想いと的確なサービスを現代の愛犬家に提供できることもあるはずである。

『これから犬を飼おうと思っています。その前にいろんなわんこを見ておきたかったのです。』
わんこ無しでご来店の皆様。
本当にありがとうございます。

でも、カフェのわんこ達だけを見て飼う決心をされる前に注意点をひとつ。
わんこだけを見ていませんか?
是非、飼い主さんたちの言動をよ〜く観察してください。

おりこうとか、そうでもないということではなく、作品なのです。
完成形は滅多に見られませんが、カフェでは制作途上の意図が様々に見えると思います。
皆さんがどう感じるか分かりませんが、犬任せで暮らしている方より私にはずっと輝いて見える。

誰も『私がいなくなったらこの子たちは…』なんてことを考えてはいない。
だけど、無意識のうちにカフェのお客様はそれでもなんとかなるわんこを育てようとしておられる。

わんこを見て感じることもあるでしょうが、飼い主を見て“わんこと暮らす覚悟”を知っていただければ嬉しく思います。
 


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