From the North Country

おやぢ街道まっしぐら 2011年12月23日(金)

  「またアモの言いなりになって…」そんな陰口が聞こえてくるけど、昨日今日の定休日は原始林を散策してきた。

枯死した老木では5匹のエゾリスが忙しそうに冬の晴れ間で遊び、それを見つけたアモは根元に駆け寄り悔しそうに見上げる。

先に目をやると焦げの強い茶色をしたキタキツネが私たちを発見し、そそくさと森に逃げている。
残り香でアモは異変を感じるだろうと予測していたのに全く反応なし。
そこらじゅうにある野ウサギの足跡にも興味はない。

アモは笹薮の根元辺りに生息しているヤチネズミに的を絞っているようだ。
微かな臭いも見逃さず、『絶対いる』と確信した地点では尾の振りが明らかに違う。

傍観している私の視界にヤチネズミが逃げるのが見えた。いろんなトンネルがあってゲリラ戦を熟知しているようだ。
アモは気づいていない。

以前、弱ったヤチネズミをアモが見つけたことがあった。
尾をびゅんびゅん振ったものだから私は『どうするつもりだろう?』と不安になったことがある。
舐めでもしたらエキノコックスの心配をしなきゃいけないから。

でもアモの反応は違った。
『ね、いたでしょ。』と得意気に言いつつ、じっとネズミの動きを観察していただけで、「アモ、もう行くよ」と私が言うと満足そうに次を探し始めていたのだ。

アカゲラがドラミングをするとアモはちゃんと定位して私にその方向を教えてくれる。
今日は遠くでクマゲラの声が聞こえたけど姿を見ることはできなかった。

膝のサポーターとタートルネックそれに靴下が必要だった私は帰宅後、近くのショッピングモールへ出かけて具合が悪くなった。
今日は祝日だったんですね。
あのような人ごみの中で私は生きてはいけないことを改めて感じた。

目を伏せ、小さくなることでしか過ごしようがなかった。
あの時のヤチネズミそのものだ。
別に何をされるわけでもないのに…
 

幸あれ、ブーちゃん。 2011年12月19日(月)

  「ここ数日風邪のような症状が続いて苦しかったものですから病院で診てもらったら『犬アレルギーで、ぜんそくの一歩手前です』と診断されました。残念ですけどブーちゃんを手放すことにしました。」

悲痛な電話が今日あった。

「えっ!」
今年、ぜんそくの苦しさをKを通じて知っていた私は呆然となった。

「それは大変ですね。で、ブーちゃんはどうするんですか?」

ぜんそくの苦しみを知っていたはずなのに、私は飼い主さんへ一声かけただけで、わんこの行く末を心配してしまったことを後になって恥じた。

「ブーはブリーダーさんが引き取ってくれます」との言葉に大きな安堵を覚えた。
とってもいい子だし、まだ生後5か月だから未来はいくらでもある。と思えたからだ。

ごめんなさい。
人間第一が当然なのに、私の頭は瞬間、妙な計算をしてしまった。
アレルゲンから離れる人間は回復する。
でも離されたブーちゃんはどうなるの、って。

ペットショップで購入したわんこならこうはいかなかっただろう。
やっぱわんこは良心的なブリーダーから手に入れるべきである。

途中経過としては良くない状況ではあるが、ブーちゃんに幸多かれと願う。
『あなたはここ2カ月ほどカフェにおいて貴重な体験を積んだので、飼い主にさえ恵まれれば立派なゴールデンになることを保証いたします』
そんな証書を発行したくなった。
 

人と在りてこそ 2011年12月13日(火)

  私がエッセイを書いているローカル月刊誌『O.ton』(オトン)が15日に発売される。
今回が2回目の掲載だ。

だが、ここ数日私が頭を悩ませていたのは次回の原稿である。
スラスラ書けるはずのテーマだったのに、いざ書き始めると全く書けない。
理由は簡単。
制限された文字数だ。

山ほどある言いたいことを限られた文字数で表現しようとすると、何をどう書いても総崩れになってしまうのだ。
『物書き人の才能とは大したものなんだなぁ』と改めて思った。

長く生きているから、行き詰った時の対処法はある程度分かったつもりでいる。

『最初に書いたものを如何に捨て去るか』の決断はその一つであろう。
分かっちゃいるのに信念や過去の努力それに思い入れがあってなかなかできないものだ。
そんなときは『一旦離れる』のが良いのも分かっている。

意識不明になるまで焼酎を飲んだ翌日の今日、とことん考え、思い詰め、文字にした第二稿をYさんに渡した。
そしたら「140文字ほど足りません」とYさんからのメールが届いた。

足りない言葉を補う余裕を与えられた私は有頂天で補足の言葉を加えた。
そのうれしさを何と表現しよう?

そう、『月末に余ったお金のありがたみ』そのものだ!

だが、明日には修正の要求がまた来るのでしょうな。
人生日々成長 己の力ではなく 人と在りて
 

やっぱ最悪商品だよ 2011年12月10日(土)

  夜11時5分頃には皆既月食って言ってたけど、ずっとお月さんがくっきり見えているってどういうこと?
お月さん消えました?
少なくとも我が家ではお月さんがずっと見えてたんですよねぇ。

これって宝くじが当たる前兆でしょうか?
年末がますます待ち遠しくなりました。

さて、カフェのHPがちょっとだけリニューアルしました。
私のウィンドウズ7では全く反応せず、これまでのHP画面を表示しましたが更新ボタンを押すと新たな画面が見られました。

何かにつけウィンドウズ7は不便で使いづらくてたまりません。
導入して数カ月が過ぎますが、ストレス溜まりまくりです。
あれって企業対象のOSで、庶民を全く無視していますよね。

『余計なお世話をされちゃうと反感すら覚える』ということの典型です。

買ったら必然的についているわけだし、自分への戒めとして仕方なく利用させていただいておりますが、稀にみる最悪商品だと感じている。
 

便利にした責任ってあるでしょ。 2011年12月09日(金)

  今回の定休日はお泊り犬がいるにもかかわらず、Kに託して久しぶりの釣行に出かけてきた。
冬の積丹。平日で誰もいない港。
爽快感・解放感、日が沈むにつれての孤独感・不安感。
最高だったね。

そういえば15年近く前、子供とこの港に来た時、警察が遭難者の捜索のため警戒線を張って立ち入りできなかったことを思い出した。
行方不明になった釣り人は名探偵コナンと同じ名前の工藤新一さんで、その名前が張られた車が駐車場にあったのを子供の驚きから記憶していた。

そんな港での釣りは、波の高さや風の強さを自然と意識させてくれるので、荒天時の“引き時”を否応なく教えてくれるものだ。
だから私はKに電話を入れて安全を知らせようと思ったのだが、携帯は最初から“圏外”の表示。

日が暮れてこれから釣果が上がる時間帯に入ったのに、音信不通となればKは何をしでかすか分からない。
だってこれまでのAU携帯では通話できていたのだし…
繋がらないことで余計に心配しているかもしれない、という不安が走った。

結局私は途中で釣りを諦め、電話が通じる町まで車を走らせることになった。

「捜索願を出すとこだったよ」というKの言葉に、Sバンクさんどう答えてくれますか?
積丹は人口が少ない地域だけど、たくさんの釣り人が出かける町なんですよ。

何とかしてください。お願いしますよ。
このままじゃ、のんびり釣りもできゃしない。
 

興奮に潜む危険信号を知りなさい。 2011年12月05日(月)

  我が家の愛犬アモと暮らしたこの6年、私はいくつかの身勝手なアモの興奮を許さなかった。

1.車内での興奮
我が家に来た当時のアモ(3歳)は車に乗るとハーハーと荒い息をし落ち着かなかった。喜びというより過去に車内で不安を感じた経験があるような息遣いだった。
私は急発進急ブレーキ急ハンドルを絶対に避けたうえで、「うるさい!!静かに!」と怒鳴りつけた。
それはしつこいまでに繰り返し、許容範囲になるまで4カ月はかかったかも知れない。
今となっては懐かしい状況だ。

2.来客への興奮
同じく当時、インターホンが鳴るとアモはワンワンと吠えながら階段を駆け下りて行った。
警戒意識半分弱・歓迎気分半分強という割合だったが、それも私は許さなかった。
吠えながら階下に降りた当時42キロもあったアモの首根っこと尻をつかみ、私は火事場の馬鹿力で2階まで引き吊り上げ「2度と勝手なマネはするな!」と、どやしつけた。(決してマネをしないでください。普通に育てたつもりのわんこだったら噛まれますよ!)

その後のアモは身勝手な行動はしないけど、来客を誰よりも早く自分が察知しないと気が済まない性格なので、私は最初の一声で知らせることだけは容認するようにした。
カフェのアモが縫いぐるみを咥えているのは、察知した時大きな声が出ないように自ら工夫しているのです。

3.他犬への興奮
アモは普通の人が飼えば“とんでもないわんこ”の部類に属す。
全く危険でないどころか、すこぶる頭も性格も良いのだが、他犬意識が強い。
だから散歩中には外飼いのわんこにハーハーと、わざと息遣いを荒くして刺激するし、途中で出会ったわんこには『お前俺に吠えかかるつもりだろう』と余計なことを言う。
好きにさせればカフェのアモでは想像もつかない振る舞いをするのだ。

よからぬ興奮を戒め・抑えるのは飼い主の役目である。

興奮させたり興奮を許すのは『制御できる』という前提の上で許されることなのだが、あなたは愛犬の振る舞いを許しすぎてはいませんか?
 

育てるということ 2011年11月29日(火)

  いいわんこと巡り合えば幸せで、そうじゃなければ『こんなはずじゃなかった』と博打みたいなことにチャレンジしたいですか?

わんこと暮らす生活を宝くじのような当たり外れでとらえるのはよろしくない。
だけど実際はそんなことが繰り返されている。

『わんこは育つのではなく、育てるものだ』という観念と知識と努力が希薄だということをまずは申し上げておこう。

『よくわかんないけど、わんこのことで困っている』という飼い主の方はカフェの“無料お散歩チェック”を受けてみてはいかがだろう。

月火限定のサービスではあるが、私にとっては商売と社会貢献を両立させる提案でもある。

そんな今日は、5か月のゴールデンのチェックを行った。
評価はよろしくなかった。

脅しているわけではなく、今のままでの将来像を評価しただけのことだ。
悪徳占い師と思われれば致し方ない。

あのままではゴールデンは世間知らずで人の話も聞かず、興奮度が高いまま人に飛びつき、つまりは感情に任せたKYな振る舞いをし、拾い食いで体調を崩しての病院通いが続くことになってしまうとの評価だ。

今からならなんとでもなるが、どうするかは飼い主の判断である。

犬との暮らし方は多様であっていいし、飼い主の家庭事情や意識・経済的な側面もあろう。
それに加えて例えば私が実践するわんことの暮らし方だと、万が一自宅が火事になった時にも、吠えたてケージを破ってでも火災を知らせるわんこにはならず、共に焼け死ぬわんこを育てているように思うこともある。

悲しい予測だが、そんなわんこと今暮らしている。
普段から吠えたてる犬との違いが分かりますか?
 

アントキノイノチ 2011年11月26日(土)

  昨日の定休日、映画『アントキノイノチ』を観てきた。
原作さだまさし、というのが前から気になっていたし…

私はグレープ時代からのファンだから、さだまさしの唄は大好きだし、カラオケで『何か歌え』と言われれば彼の唄がほとばしり出てくるくらいだ。

さだまさし=マザコンとか少女趣味とか言われるので照らいはあるけど、どうしようもなく彼の感性と洞察に共感し心打たれ続けている。

そんな彼の原作の映画だからある程度覚悟はしていたけれど、想像以上の想定範囲を取り繕うのにえらく苦労し、それでも涙を抑えきれなかった。

人々の感性と涙管の刺激を知りつくし、見事なまでに心を奪ったうえでクライマックスに登り詰め、エンドロールの間に心を静めさせ涙をぬぐう時間を与えたかと思うと、直後に映し出された“優しさの焼き付け”で観る者をおろおろさせる設定に『作家さだまし』を改めて見せてもらった。

処女作『精霊流し』や『解夏』なんかも彼にしか書けない作品だとファンの一人として思う。

いい映画を見た後は、しばらくの日々気持ちがよい。

これでもか!これでもか!
と、私もわんこの世界でいい作品を作る努力を続けたいと力をもらった。
だって“アントキノイノチ”以上に短いスパンで犬たちとの命のやり取りは繰り返されているのだから。
 

受け継がれることを考えてみる 2011年11月23日(水)

  好天に恵まれた勤労感謝の今日だったが、夜になってごうごうと風雨が襲っている。
これが雪だったらえらいことになっていたと思うし、北海道のどこかでそんな状況になっているのではないかと心配もしている。

だけど異常気象みたいな状況になった時でも『自分たちの地域は大丈夫だろう』という心理が働いていることも正直感じている。

だってその確率というか“これまでの現実”がそうだったから、今もこうしていられるのだし…

そんな前提が崩れた今年だった。

未だなお私たちは被曝者になった現実を否定しようともがいているように思う。
被曝量が高い低いというレベルで同胞を差別化し、自らはより低いレベルの人間であり家系であり、またそういう地域に住んでいると、そんな形で安堵を得ようとしていないだろうか。
だからこそ“福島の物が食べられない”のだ。

もう一度言う。
私たちは、世界に地球に迷惑をかけた被曝国の一員なのだ。
被曝したらどうなるのかさえ知らされていない悲しい生命体であるが、この国に生まれ結果的に原発を容認し、場合によってはその恩恵を受け入れてきた“主権在民国家”のひとりひとりである。
原発に反対した科学者と市民がいたなかで、その発言に耳を閉ざした当事者である。

バブルに踊り、札びらで頬を叩かれることを喜びと感じた道化師だ。
そんな享楽が子供たちの世代と自分たちの老後に一体何を残したのか!

私たちはすでに被曝者である。
そのことが何を意味するのか?

体と命そして生き様を後世に残し、検証してもらうしかないではないか。
もはや、宣告とか告知という段階を超え、受容の中での闘いが始まっているのではないかと思う。

私服を脱ぎ病衣に着替えた途端私たちは患者になる。
そうやって世界の中で長寿社会を築いてきた。
今後は丸裸になって被曝者の検体となろう。

国の借金ばかり増やし、被曝による恐怖を子供に残してしまった。
一体私たちは何をやってきたのだろう!
 

冬こそ外へ 2011年11月21日(月)

  夜11時半の外気は氷点下6度。
昨日から軽く降った雪は解けることなく銀世界を守り続けている。

これからの季節、カフェでは小型犬の来店が減る傾向にある。
『寒がって歩かない』とか『雪玉が身体について』なんていうのが主な理由である。

そんな中でもチワワのらむとチビは、今夕大好きな散歩に長々と出かけていた。
冬だろうが雪だろうが、暑さに慣れたメキシコ産のチワワであっても、外に出かけるのが大好きなふたりなのだ。

商売柄わんこのTシャツを販売しているけど、犬の防寒対策など考える必要はないと私は思っている。

外飼いのわんこなら防寒対策をとってあげたほうがよいけど、室内暮らしのわんこのために服を着せたり夜通しストーブをつけておくなんていうのは過剰対応だと申し上げたい。
ここは南極じゃなく北海道ですぞ。
日本のどこの寒冷地よりも暖かい室内が備わっているじゃないですか。

北海道の人なら冬の内地に行けば、みんな寒い思いしてるでしょ。
わんこの寒さを案じるあまりひ弱なわんこを育て、揚句に半年も社会から隔絶して内弁慶なわんこを育てていませんか?

旭山動物園の素晴らしさは、それぞれの生態にあった環境を整えたうえで展示しているところにある。

私たちの愛犬はペット社会で暮らすわんこだから、それなりのしつけやマナーが求められているけど、その見返りとして“快適すぎる”処遇の中では虚弱で世間知らずなわんこに育てる懸念があることも知らねばならない。

冬の間に引きこもりで排他的なわんこにならぬよう、小型犬の飼い主は注意しよう。
 


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