From the North Country

私の主張 2011年08月31日(水)

  何がどういう流れを生んで、愛犬の飼い主の方がカフェにご相談に訪れるのか分からないけど、このところ新規のお客様が多いと感じる。

その方々の話を伺う中で公表しておかなければならないと確信した項目を今夜は書いておこう。

1.ペットショップで言われたこと
@ごはんは1日2回与えてくださいね。

冗談じゃない、生後2か月程度の仔犬に一日2回の給餌しかしないなんて最低限の命をつなぐ行為にほかならない。
ショップの話を信じてこれまでそれを実践された方には本当に辛い話になるが、あなた方はあなたの愛犬をネグレクト寸前の飼育状況で過ごしてこられたということになる。

ペットショップで売られている月齢のイヌは、本来最低一日3〜4回の給餌を受ける必要がある。
だって、人間でいえばまだ乳幼児の成長レベルですから。
でも、一日に3〜4回“えさ”を与えなければならないなら、勤めに出ている人は犬を飼えなくなてしまう。
だからショップは皆さんに罪悪感を抱かせないように、『1日2回』と命をつなぐ最低限を“本来の姿”のように偽って販売している。

生後3か月、乳歯が当たり前だから人間でいえば幼児である。
そんな子に“えさ”が1日2回なんて、考えただけでもおかしいでしょう。
朝夕、黄色い胃液を吐いていませんでしたか?
健康なわんこなら、空腹なのにお腹が空っぽだったら分泌された胃液で胸焼けして吐いてしまうのです。

もっと想像力を働かせて欲しい。
仔犬が自分の便を食べてでも空腹を満たそうとする行動があったとして誰が責められようか?

給餌が1日2回となるのは生後7か月頃からだと私は考えている。

A 『3回のワクチン接種が終わる(生後4か月頃)まで外に出してはいけない』とショップの人がまるで獣医のように言ったから、その通り“箱入り”で育てた。

これこそダメ犬を育てる典型的な事例である。

4か月といえば乳歯が抜け始める頃まで外に出さずにいるということ。
人間でいえば年長組か小学校低学年まで、社会と触れさせずにいるということである。

それだけで障害児を育成しているようなものだ。
障害があったから見つかった人生もあるけど、無いほうがいい場合だってあるでしょ。
仔犬は抱っこしてでもこれから生きていく人間社会の空気に触れさせるべきなのだ。

チワワのチロルちゃんの飼い主は手探りの中で、その思いを実践されてこられた。
だが、知識が足りなかった。
他犬に慣れさせようとの思いで、無法地帯のドッグ乱に連れ出してしまい、恐怖体験を何度もチロルに課してしまったのだ。

その結果、チロルは自らの命を守るため殻に閉じこもり、家族以外の人間と他犬を排除する生き方を選んだ。

今この国の多くの人々はペット社会と言いながら、実際にはイヌ社会との区別が分からず、混沌とした中でその不協和をなんとか安定させようと悶々としている。

つまり、専門家に言われたように育ててきたのに現実的には大きな問題が横たわったとしたら、その原因を自分に課し、責任は『うまくやれなかった自分にある』とごまかすことで心の安定を求めているのだ。

あなた方が感じる気持ちは間違ってはいない。
騙しているのじゃないのだろうけど、あなた方が信じている人々の観念と知識が未熟だったり商魂に覆われているだけのことなのだ。

何を・誰を信じるか?
決めるのはあなただ。
一回しかない人生を正直に生きていただきたい。

ちなみにわんこのレッスンをしている私は、原子力発電に対して『万が一放射能漏れがあった場合、それを即座に無能化できる技術ができるまで稼働してはならない』という考えを持っている人間です。

何を信じるか、どう生きていくのか、そんなスタンスをマスコミに操られることなく政治を愚痴る前に、自分はどうなのかをはっきりさせなきゃわんこなんて育てられない。

そう、わんことの暮らしというのは、自分という曖昧な存在をあぶり出して明確に映し出し、これからを決める今を教えてくれる鏡なのだと思う。

酔っぱらってフラフラになりながら書いているけど、どうか真意を汲み取っていただけたら本当にうれしい。
 

ため息ばかり 2011年08月28日(日)

  「見てごらん、困ってるよ。目を合わせないようにして通り過ぎようとしてる。おりこうなワンちゃんだね。ほれ、あんたたちが吠えるから困った顔してるよ。」

昨日アモと公園を散歩してたら、吠えかかる小型犬の飼い主がそう言いながらご自分のわんこに言い聞かせていた。

いい人そうだっだその方の横を、私は憮然としながら通り過ぎた。

吠えかかる自分のイヌを結果的に制御することもできず、まるで自分のイヌは言葉が理解できるかのように口先だけでたしなめている飼い主に嫌気がさしたから。
ただ、アモの心理だけは的確に言い当てていたのは事実だ。
『私は犬の気持ちがわかるのよ』というなら、ご自分のイヌの無礼を即座に治すほうに目を向けていただきたいと心底思った。

もう、いい加減にしないかい?

犬というのは吠える機能が備わった動物だけど、吠えさせるかどうかは飼い主の意思が反映していることにそろそろ気づいてほしい。

イヌが吠える時のエネルギーを感じたことはありますか?
小型犬だからという甘い気持ちが潜在的にありませんか?
「黒い犬に襲われたことがあるから・・・」と言い訳してませんか?その黒い犬の責めを他の黒い犬が負うのですか?

心理的に恐怖を感じるのは理解できる。いわゆるトラウマであったりPTSDといわれるものだ。単に自分より大きいということだけで恐怖を感じることもあるだろう。

猫は息をひそめて相手をやり過ごすが、ガラガラヘビやイヌは音や声を上げて『来るな!』と警告する。
ガラガラヘビをしつけることができるかどうかは知らないけれど、イヌは飼い主が胸を張って育てればペット社会でどこでも通用する愛犬に育てられることをもっと知るべきだと思う。

“ペット社会”であるはずの公園やドッグカフェ・わんこと泊まれる宿に、“イヌ社会”でのしつけしか知らない無垢な人々が主導権を握って利用しているのがこの国の現状だ。
もうちょっと私も頑張らなきゃならないようですな。

・ワクチネーションが完了するまで仔犬を外に出してはいけないというペットショップと同等の考えを持つ獣医の意識改革
・家庭犬として暮らす場合の適切な去勢時期
・イヌを犬に育てる方法・・・ハァー、山積みの課題ばかり

イヌはちゃんと育ててこそ犬になるのですぞ。
その意味を後悔する前に知っていただきたい。

いっそのことこの欄を公開講座にして私の考え方やノウハウをまとめようかなあ。
でも、酔っぱらった状態で書けるわけないか。
 

サポートカルテのこと 2011年08月24日(水)

  レッスン依頼を受けると個人的に作成したカルテにプロフィールや相談項目・レッスンの内容とその経過を書く習慣が過去にはあった。

が、2〜3回のレッスンでわんこの状態がある程度改善されるとカフェに現れなくなる飼い主がほとんどだったものだからいつの間にか私はカルテを書かなくなった。

一部の飼い主は頻繁にカフェに通われるので、こちらもカルテを見ずともわんこの状態が把握でき、カルテの必要性はさらに薄れていった。

ところが最近、5回6回と来店され、本気なのか一時的なのか分からない飼い主さんのわんこのレッスンが続くものだからカルテへの記録を再開せざるを得ない状況になっている。
記憶力の低下が甚だしい私は『あの飼い主さん見たことある。で、あのわんこの名前なに?相談内容なんだったっけ?』の繰り返しで、自分自身にうんざりしている日々だ。

たまたま先日からカルテを書いていたものだから、今日来店のポメラニアン/ルルがどんなわんこで前回のチェックで何を感じ、今日がレッスン日になっていることを知り、飼い主さんに何をアドバイスすべきかを確認することができた。
あれがなければ『さあ、レッスンに行きましょう』と言わなかったし、飼い主さんは『はあ?今日レッスンじゃなかったっけ?』ということになっていただろう。

皆さんにご迷惑をかけないように今一度カルテの記入を心がけようと思う。
数少ない本気の方々の意を汲み洩らさないために、無駄な面があっても面倒くさくてもカルテの記録は続けようと思った。

年取ると本当に忘れるからささやかな努力が必要のようだ。
頑張るじょ。
 

あっちこっちにあるパソコンに悩む 2011年08月20日(土)

  パソコンが壊れてから10日余り。
メーカーに問い合わせたら「おそらくマザーボードの交換が必要で修理費用は7万数千円からになります。」とのこと。

がっかりしていた時に、「パソコンの“天才オタク”知ってますよ」という柴犬/宗一郎のTさんの言葉を思い出してから事態は展開していった。

新しいパソコンを買い何とか使えるようになったものの不便を感じていたら、修理に出した“天才オタク”から連絡が入った。
「やはりマザーボードの交換が必要なのですが、メーカーではすでに保障期間が過ぎていて在庫がなく、中古の転用品を探すのに時間がかかります。ついては3年前の中古パソコンを格安で提供しますので、それにデータを移し替えるのが最速で割安なことと思います」とのことだった。

で、我が家にはKのパソコンと私が買ったばかりのパソコン、それにデータを移植された中古パソコン計3台が稼働することになった。
おまけに、Kの以前のパソコンは壊れたわけでなく容量が重くなって頻繁にフリーズするようになったから買い換えたのを思い出し、ほこりを被ったKの古いパソコンを昨夜リカバリーしたら快適に使えるようになった。

つまり、二人で暮らす我が家にはネットに繋がるパソコンが3台と普通に使えるパソコン1台、おまけにIPADまであった。

当初の半額でパソコンが戻ってきたけど、子供が増えたみたいに戸惑いばかりが増えている。
バカだねぇ。
そうは思うけど、もうちょっと状況を受け入れるのに時間がかかりそうだし、メールの送受信をどうすればいいのか混乱している。

まあ、この欄はどんなパソコンからでもネットにさえ接続されていれば書けるのがいい。
ともあれこれからもよろしくです。
 

フォローワーに感謝 2011年08月16日(火)

  「やっぱり私の育て方が悪かったんだ」
お散歩チェックを終え、私からの厳しい評価を聞いた飼い主さんが落ち込む。

「これでもレッスンを始めてから家ではずいぶんお利口になったし、散歩の時もパニックを起こさなくなったんですよ」という飼い主さんに「まだまだ、進歩が遅い。始まったばかり」と私の辛口評価が続く。

落ち込み戸惑う飼い主さんたちを、そんな試練を乗り越えてこられた常連の皆さんがガーデンで慰めフォローしてくださっているようだ。

何をどんなふうに話されているのかは知らないが、暗く真剣な表情が徐々に明るくなり、会話が弾んでいるのがカフェの大きな窓ガラス越しに伝わる。

『助けられているなぁ』って感じる大好きな光景である。

今年のお盆は雨に見舞われたが、初めて来店される小型犬の飼い主さんが多かった。
振る舞いは別にして土台(本来持ってる性格)の良いわんこが多かったように思う。
もちろん素晴らしく育てておられる方もたくさんでした。
遠く何百キロも離れた釧路や網走からもご来店いただきましたが、そんな情報を何気に聞き出してくださったのもお店の常連さまたちでした。

本当にいろんな形でカフェを支えていただき改めて感謝申し上げます。
スタッフの励みになりますし、犬しか知らない私はたくさんの社会勉強をさせていただいております。

私は私なりの知識と経験から導き出した“わんこワールド”を精一杯発信します。
失言は多々『九州男児でB型なもんで』・・・(旬を逃した?)
んだども、これからもフォローよろしく頼むべ。
 

2011夏に思う 2011年08月15日(月)

  今日は3.11の後のお盆と終戦記念日。
それぞれに思いを深くされた一日だったと思う。
亡くなられた皆様・ご先祖・戦没者のご冥福を祈り、なお今生きている者として支えあい、子孫繁栄、否、せめて存続の道をここで断ち切ることはできない責任を感じられた方もおられよう。
こんな時、一番強いのは“民衆の心”であることはこれまでの歴史が証明している。
共に手を携えましょうぞ。

で、現実に戻る。
2代前のパソコンは、酔った私が焼酎の入ったグラスをひっくり返して7年で壊してしまった。
先代のパソコンは過酷な負担に耐えかねて6年でダウンし、現在入院加療中である。
買ったばかりの当代は初期不良で当日のうちに交換して貰った出直し物となった。

これまでのWindowsというパソコンは旧バージョンのソフトや周辺機器でも使えるような進化を引き継いできたが、Windows7という今回の機種はまるで政権交代した日本のように『時代は変わったのだ!』というがごとく、過去への切り捨てが明確になっている。

レコードが姿を消し、録音テープに代わり、カセットテープが続いたかと思えばいつの間にかCD・MD・なんたらカードやハードディスク、DVD・ブルーレイへとまだなお変化の途上のようである。

たらいや洗濯板での手洗いから洗濯機に変わるような劇的な変化ではなく、チマチマしたごまかしで右肩上がりの経済成長をするのが資本主義社会というならそろそろ願い下げだ。

そんな思いで新しいパソコンを使い始めたら、便利だったものが使えないし、新しいものは機能や説明が多すぎて年寄りには『無いほうがありがたい』とか『知らないことの幸せ』を感じるようになっている有様だ。

年を取るっていうのはそういうことなんですね。

せめて若い人には劇的に便利になり、原子力エネルギーを使わない製品が開発され、自然豊かな環境が整うなかで安全安心な社会が醸成されていくことを切に望む。
 

形ある物すべて壊れる。早すぎ! 2011年08月09日(火)

  パソコンが壊れました!
電源ボタンを押しても数秒でへこたれてしまうようになり、立ち上がりません。
今夜はipadから書いています。

サポートセンターへ電話したら『節電のため10時から18時までの対応』というメッセージが流れてました。

『しばらく休め』ということなのでしょうね。

御用のある方は電話かkへのメールでお願いします。

パソコンの寿命もう少し長くならないものでしょうか!
 

ドッグカフェナガサキ2011夏 2011年08月07日(日)

  外の空気は涼しいのに風が吹かない今夜は過ごしづらい。

「何歳なんですか?」
我が家の愛犬アモの穏やかな姿を見てお客様が尋ねられる。
「10歳になりました」と答える私。
「10歳にもなれば落ち着きますよねぇ」とお客様。
『いいえ、3歳の時に我が家に来てから2ヶ月ほどで今の状態になるように育て直しました』という言葉を飲み込み、微笑返しする日々が続いている。

我が家では、“外は涼しいのに暑い室内を容認する自然への畏敬”はあっても、“うるさいわんことそのまま暮らす寛大さ”はない。
だって犬だからそのくらいできて当然でしょ。
いつも言うように我が家のスタンスはイヌの生態を楽しむのでなく、わんことの暮らしを共に楽しむというものなのだ。

でも、看板犬のアモが現実に10歳なのだから初めてご来店の方への説得力はない。
だから言葉を飲み込んでいるのだが、初めてのお客様の驚きはアモに対してだけでなくカフェ全体へと続く。
「凄いですよね。ここのお店のわんこ達、みんななんておりこうさんなんでしょう!」という感嘆の言葉へと発展していくのだ。

『え?普通でしょ』とカフェの常連さんは感じていても、そう言われると満更でもない気持ちになり、わんこ達をコントロールする思いは益々盛んになっていく。

そこに新たなわんこを受け入れる余地が生まれ、仲間が増えていくという好循環ができつつあるような気がしている。
いい人たちに恵まれて本当に幸せだと感じている。

カフェはちっちゃいし狭いからいっぱい宣伝は出来ないけど、なんか嬉しい夏だ。
付け加えたと思われたらKやスタッフに怒られるけど『美味しい』しね。

これからどんな風になっていくのか楽しみたい。
 

長崎塾 2011年08月05日(金)

  夏場の休日は暑いし何処へ出かけても混んでいるから、我が家を中心拠点としてのんびり過ごしている。
今日の定休日は誰もいないガーデンで久しぶりにわんこ関連の本を読んでみた。

八ヶ岳山麓で広大なわんこ牧場を営んでいるK氏の本(8年前の出版物)を偶然手に取り、書き始めのインパクトに興味をそそられて一気に読み終えた。

考察は立派だが『違うな』と感じ、後半の“しつけ編”の幼稚さに幻滅してしまった。
共感する部分が多々あるのに結論が違うと別物になってしまうようだ。

歴史的事実を連ね、学術的見解を解きそこに個人的経験則を重ねることで自らの主張をあたかも真理のように伝えようとする、そんな強引さがあった。

氏は言う
1.犬は思考しないし考えない。
考えているならヒトとかかわり始めてからの1万数千年の間にもっと変わっていいはずだ。なのに、例えば鎖に繋がれてぐるぐる巻きになっても解決できず同じ行動を繰り返す。と

これに対する私の反論は、散歩中の歩道に電柱などの物体があれば普通のわんこはリードが絡まないように飼い主側に迂回しますよ。
『だって絡まるじゃない』って犬は考えてますから。
さらに言うなら、盲導犬は一枚の板でも溝に置かれれば橋として渡るが、斜めに立てかければ障害物と認識して回避する。
板を別物に変えても同じこと。
彼らは同じものをときに利用し回避する。
考えているからだ。

2.刷り込みは法則
イヌは元来ヒトと共存する動物なのに、イヌ社会から早く離別させるから問題行動が起きる。
そんな趣旨のことを筆者は述べ、生後狼に育てられた人間が、言葉も発することなく人間ではなく狼に近い生態を示したものだから、『イヌも親兄弟と長く暮らしてこそイヌになる』との結論に至ったようだ。

だが私の考えは違う。
ヒトの子でさえ狼に育てられた結果、狼のような振る舞いをし生態が変わるのだから、わんこを家庭犬として育てればきちんと順応し“考えと感性をそれなりに共有できる存在”にし得るのは大いに可能であり、今その現実を過ごしていることを誰にも否定して欲しくない。

つまり私は現在、筆者が言うのとは反対の『わんこは思考するもので、イヌ社会ではなく人間社会で社会化されたわんこ』と暮らしている現実を日々実感しており今後もそのスタンスを変えるつもりはないということだ。

わんこをイヌと見るか犬と捉えるかで考え方は大きく違ってしまう。
犬と暮らしている我が家ではあるが、アモとの複雑な人間的な生活が日常であることの説明をするのはもう少し皆さんが成長してからにしたい。
 

さて、あなたのわんこは何色? 2011年08月01日(月)

  車は青・黄・赤の信号機によってスムースな流れがコントロールされているが、現代サッカーでは黄色と赤の提示に威厳と絶対性を持たせ、青の中での細かいトラブルには幅広く人間性とスポーツマンシップに則った交通整理が行われており観戦する私達も見ていて気持ちがよい。
40年前のサッカーを知っている人間から見れば、見事なまでの改革が行われ、当時は『野球人気にサッカーが勝てるはずがない』という常識を完全に翻すまでになった。

今は原発ありきの社会だけど自然エネルギーへと変わる“革新的改革”に舵を切る“その時がきた”

そんなテーマで掘り下げたかったが、酔っ払いには無理と判断したものだから話は自然とわんこ方面に向く。

「うちのわんこがあんまりうるさいものだからおばあちゃんがわんこの頭を叩こうとしたら齧られちゃいました」
飼い主は小型犬のしつけの悪さをそんな言葉で表現し照れ笑いした。

断っておくが、チワワであれラブラドールであっても“噛もうとするときの(劣悪な)意思エネルギーは同じである”と私は考えている。

しかるに小型犬の飼い主は照れ笑いをした。
大型犬ならおおごとである。
この差こそが小型犬がこうるさい日本のイヌ社会を作り上げてしまっている。

赤青黄色の判断すらつかないものだから裁定できずにいるのだ。
そして“小型犬”から始まった判断不能が今は大型犬の飼い主にまで蔓延しているのが現代ペット社会といえる。

私はそれらの想いを凝縮し“人間力”の復活を期待してよく口にする。
「で、人間は噛まれて血を流したのに、なんでこのわんこは無傷なんですか?おかしいとは思わないんですか?」

人を噛むなんて青の中の裁定ではないしイエローの範疇でもなくレッドカードの見本のようなもの。
ペット社会でのレッドカードは『退場!』であり飼育遺棄つまり愛犬の死を意味するカードである。

その頃になって飼い主は『自分の育て方が悪かったから』と省みる。

その通りなのだ!
あなたがわんこを死に追いやるプロセスを『良かれと思って』助長し、あるいは無頓着に放置してきたのだ。

犬が逃亡し車が激しく行き交う幹線道路のあたりでようやく捕獲した時、安堵と同時に怒りが込み上げ愛犬を厳しく叱りつける感情が沸き起こるのが母性を持った人間だと思う。
その感情こそが大切なのだ。

「え?自分の子供のように時には感情的にしつけていいんですか?」
そんな言葉を聞いた時に私達に笑みがこぼれる。

青の中でのファールは日常の中でワイワイ騒ぎながら教える。
黄色はマジ顔で人生を説き、レッドカードを出す前に2枚目のイエローで全霊をかけて向き合う。

愛犬との人生にあなた以外の審判は入れて欲しくない。
あなたこそがよき主審になって時にホイッスルを吹き良いゲームを演出して欲しい。
 


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