From the North Country

私が犬と暮らすということのほんの一部 2011年05月29日(日)

  今月20日に蒔いたえだ豆横丁では地割れのような亀裂がそこここに入り、『まもなく発芽するぞ!』と土中からのエネルギーを感じさせている。

もう夜中の1時ではあるがあのエネルギーを少し分けてもらって何か書こう。

仮に我が家で次に仔犬を飼うとしたら…
よし、そのテーマですすめてみよう。

1.生後2ヶ月程度の仔犬を手に入れる。
2.じいじとバビーは全身全霊を傾け愛情を注ぎ、同時に『この子にはどのような傾向があるのか』を観察する。
3.2週間ほどでトイレのしつけを完了し、健康状態を確認しながらとにかくあちこち連れ回し人に会わせる。
4.食事は4回。遊ぶときはとことん付き合い、あまがみされるのではなく、させてやりながら痛みを教え、最終的にはその意欲を排除する。
5.睡眠はそれなりにとらせるが、どちらかと言えば『もう静かに寝かせてよ』と仔犬が言いたくなる環境を作る。
6.それでも抱っこしてあちこち連れ回し、抱っこから解放され地面に下ろされた時には、とにかく『わたしもう寝ますから…』という状況を作る。
7.他犬と遊びたいなら遊ばせるし、その間にルールも教えるが、まずは仔犬の性格を観察し続ける。大事なことは、他犬を怒らせない程度のからみであり、恐怖体験を受けない相手選びである。
8.4ヶ月頃には食事を3回にし、7ヶ月頃までに2回にする。
9.5ヶ月頃からは散歩を本格化させ、環境をいろいろ変える。見るもの聞くもの初めてのことだろうから、仔犬の反応を確かめながら次の刺激的環境を選択する。
10.散歩させると、引っ張ったりあちこち変な動きをしたりするから、この頃から“歩きのルール”を教える。
11.6〜8ヶ月頃には去勢か不妊手術を行う。
12.その頃からノーリード歩行の本格的訓練に入る。
13.他犬との関わり方、『ノー!』の意味、呼び戻し、羽目の外し方、言葉の理解、十分な心と体力の消費が一致した頃、仔犬は我が家の愛犬になる。

以降、おりこうさんになればなるほど待遇と思い入れが深くなる。
だが、思い入れが深くなると、つい見落とした面が露出することがあれば、思い上がりを露呈することがあるから、『お前は私達の犬である』ということを心を鬼にして受け入れ、相手に伝え、修正することも求められる。

14.愛犬と過ごした年月と思い出をかみ締める日々が連なる至極の時間。
この時間だけは誰にも譲れない私達との時間である。
犬と暮らす中で最も長く続く幸せな時間である。

15.病と喪失の時。
私は愛犬の理不尽な怪我や病気を放置することを決して受け入れられない。
だが命の終わりに関しては、病むこと・苦しむこと・介護の苦労すら放置できない。
だから治療には手を尽くすけど、『安楽死』は最後の砦として存在し、必要な時は躊躇しないどころか拠り所にすらなっている。
 

寒がりのわんこは秋に出産させない方がよろしい 2011年05月24日(火)

  『今夜は何書こうかな』って毎晩悩む。
日頃から感じていたことを書くこともあれば、今日のトピックを思い出したりもする。

で、『今日は』と考えていたらKが「写真撮ったんだからイタグレちゃんのこと書いてね」と言い放った。

イタグレ=イタリアングレーハウンドのことで、今日お散歩チェックの依頼があったわんこだ。
Kはその写真を貼り付け、あとはちょこちょこっとコメントを書くだけで自分のブログ欄を完成させようといつもの魂胆のようだ。

まあ、私のようにだらだら書くよりも川柳や短歌のように時にさりげなく時にズバッと言い当てるKの欄の熱心なファンではありますけれど…

さて、そのイタグレちゃん。
生後8ヶ月頃まで下界と触れ合う機会がなかったとのことで、日頃の散歩がまともにできない、との相談だった。

話を伺うと『なるほど…』と唸らせられる事情があった。

9月生まれのイタグレちゃんは、生後1年で最も大切な時期(3〜8ヶ月)を北海道の冬の中で暮らしていた。
短毛種ゆえに外に出れば震え上がり、それを案じた優しい飼い主は『室内こそがこの世』という育て方をしてしまったのだ。
同感できるが、人間で言えば中高生くらいまで外の世界に触れさせること無く育てたわけだから、『まともに散歩ができない』のは当然と言えば当然だ。

歩いてみた。
3歳にもなっているのに野生動物の不安・警戒行動である。
「あのぉ、無料お散歩チェックを引き受けたのに申し上げづらいのですが、10分程度の無料チェックよりもこのまま有料のレッスンに移ったほうがこのこのためになると思うのですが…」と私は口にした。

『無料お散歩チェックといいながら、結局はそんな手口で有料レッスンに結び付けているんだ』と勘ぐられるだろうなと、自分がイヤになった。

正直、私はもう新たなわんこたちのレッスンは引き受けたくない、と思っているのだけど…

「是非お願いします」
ご夫婦の爽やかではっきりした返事を頂いたものだから、私は吹っ切れたように細やかな説明と実技それにわんこの反応を教材にしてレッスンをすすめた。

3歳のイタグレちゃんにとってはどれほどのカルチャーショックを受けたことだろう。
取り乱すわんこに私は容赦ない制御を行い、別の世界に引き込まれようとしているイタグレちゃんをこの世界に呼び戻し続けた。

「驚きました。こんなにちゃんと歩けるこの子をはじめて見ました」と飼い主さんは喜んでくれた。

私は一度もイタグレちゃんを叱らなかった。
ただ、飛びそうになるこのわんこの意識をこの世に繋ぎとめ、『取り乱さないで!一緒だよ、ここに一緒にいるんだよ!』と制御の中で伝え続けた。

いみじくも飼い主が口にした言葉が私の気持ちを表している。
「酔っ払いみたいに我を無くした人間にバケツの水をぶっかけるようなことなんですね」

その通り!
どこかの歌舞伎役者のように痛めつけるのではなく、まずは相手を我に返し、そのうえで…という接し方が大切なのだ。

人間みたいな表現で説明したけど、相手は種が違うわんこ。
相手に伝わる言語で接するのが、より利口な人間のやることで、おいおい言葉が理解できるのがわんこの素晴らしいところ。

飼い主がこんな苦労しなくてもちゃんと育つわんこをブリーダーには繁殖させて欲しいのだけど、“庭に咲いた花”は特別な存在で思い入れがある。
その結果、人生が良い方向に変わる事だってある。

だからといって、『原発事故のおかげでよい人生になりました』なんて聞きたくないし言わせたくない。
ごまかしに負けないぞ!!
 

それぞれの季節感 2011年05月22日(日)

  雨も降らなかったし午後から一時的に晴れ間もあったカフェ周辺だが、今日もストーブを20度に設定し暖をとった。

昨日も書いたように北海道はこれからが最高の季節を迎える。
数年前までは、この季節をカフェで犬たちと過ごし、お利口になっていくわんこたちに喜びを感じる飼い主が多かった。
つまりカフェが夏の行楽の目的地となっていた。

でも今は違い、常連の多くは休日にはカフェを通り越してアウトドアやペット可の宿泊施設・受け入れポイントに出かける方が多くなり、それぞれの評価や経験談を聞かせていただくのが私達の楽しみになっている。

一方で、初めてご来店される方が増える季節でもある。
私は柔軟な気持ちと相手の気持ちを推し量る努力をしなければならない。

どういうことかというと、
1.各地から、ただ“ドッグカフェ”という名目で立ち寄られた方には、その愛犬がどんな振る舞いをしようが一度きりなのだから『ウェルカム』でそれなりのお迎えをすることになるし
2.『うちのわんこのことで相談があるんです』という飼い主様の真剣な想いも感じ取らなければならないのだ。

どちらも歓迎。
ただひとつ、事前の相談も無く、他犬やお客様に迷惑や危害をくわえるようなことをがあり、しかも飼い主がそのことに無頓着であれば容認しないけど…。

それともうひとつ。
恐らく日本で一番安く一般家庭向けに販売しているカフェのゼオライトの評判がいい。
ムッとした臭いが立ち込めるこれからの季節だから、わんこの排泄を庭でさせてる飼い主の方は、近隣へのマナーとして排泄場所に敷設して欲しい。
マンションなどのベランダでも活用方法がある。
詳しいことはご遠慮なく電話かファクス・メールでお問い合わせ下さい。
かなりの優れものですぞ。

犬がオシッコしたところって臭うものなの?っていう感じ。
まあ、普通にオシッコしていても微生物がちゃんと分解してくれるんですけどね…
でなきゃ、この世界臭くてたまんないはずでしょ。
今が臭いとか、お宅のわんこが排泄するから臭いって言われても、人間以外の動物も昔から排泄していたわけだし…

いずれにせよ、心強いゼオライトがある。
 

北海道。今が始まりの季節 2011年05月21日(土)

  「今日も日本全国晴れ渡り、大変暑くなりました。」

夕方のニュースを見て
「はあ?」と感じたのは私だけではあるまい。
だって今日のカフェは雨だし日中ストーブを焚いてましたから…

だから言ってるでしょ。
夏の電力供給が心配なら、『西日本への避難』じゃなく『やっぱ北海道』でしょ。

札幌では桜がほとんど散り、白梅は満開だけど紅梅はこれから満開を迎える。
チューリップがとっても綺麗で、家庭菜園の種や苗を植え始めている。
因みに我が家では昨日枝豆の種を蒔き、ミニトマトの苗を植えた。

レンギョウやコブシは盛期を過ぎ、スイセン・ムスカリがしぶとく続き、芝桜・モクレン・ライラックなどがこれから咲き誇る。

ヒバリがまだ空高く必死に鳴き、カラスがやや神経質になり、スズメはなお犬の毛を集めて巣作りし、オオジシギはデモンストレーションフライトの稽古中で、シジュウカラやセキレイがとても元気で、アオサギはいつものように悠然と飛行している。

それでいて晴れた日にはカヌーを漕ぎ出して、わんこ達が水に飛び込んでもOKなのだ。

なんて素晴らしい大地!

ちょっとややこしいが、ソフトバンクのお父さん似の北海道犬ハッチの父さんからいただいた(根曲がり)タケノコ・わらび・タランボ・フキなんかが食卓を賑わせてくれている。
アスパラがうまい!
ウニも最高!
これからますますうまいものが続々と登場する。

1年の半分を精一杯生きたものだから、残りの半分を心から楽しむ。
エネルギーは蓄えることができるから、その充電中は思いっきり蓄える。
楽しみながらだと一層うまく充電できる。

さあ、そんな季節がやって来た!
 

よからぬこと 2011年05月16日(月)

  「事故で車椅子生活になり、死ぬことばかり考えてる友人がいます。信頼できる先生(恥ずかしながら私)のところに行くように話しておきましたので、どうかよろしくお願いします」
名古屋の方からそんな電話があったのは2月だったろうか3月いや1月だったのだろうか?

この欄では相手のプライバシーも考えず日頃から好き勝手なことを書いているが、電話の翌日か数日後にカフェにやって来たTさんのことを書くことはさすがに今日まで控えていた。

その第一の理由はTさんのプライバシーではなく、最初にカフェに来た時の彼女の態度がやけに明るかったから。

私の専門は犬ともうひとつ、視覚障害リハビリテーションである。
障害の部位は違えど、それまで健常者として生活していた人間が障害者となった時の精神的打撃と喪失感に共通点はある。

これまで、私は盲導犬の訓練の中で犬の心理を学ばせてもらったし、使用者との関わりの中で複雑な人間心理を25年に渡って厳しく教えられてきた。
なかでも受障まもない視覚障害者に日常生活が滞りなく行えるようなプログラム(社会適応訓練)では、具体的な技術もさることながら心理的アプローチによってたくさんの方々に“生きる勇気”を持っていただけたと自負している。

その私が最も警戒するのが“受障者本人の明るさ”であるのだ。

その危険をうすうす感じながら“ある方”に自由に歩ける訓練を指示した結果、その方は自ら選んだ死に場所へ歩いていってしまったという悔やみきれない過去が私にはある。
訓練(かかわり)さえしなければ、死にたくても死ねる場所まで移動できない方を訓練の成果で死なせてしまったことが私にはあるのだ。

以後、妙に人が明るくなったとき私には緊張感と警戒心が芽生えるようになった。

初日のTさんの明るさに私は反応していた。
方向を間違えれば危険な状態だったと思う。
だけど話すうちに笑顔で『よからぬことばかり考えちゃうんです』と繰り返す彼女の言葉に救われてもいた。
『助けて!』という心の叫びであるのが私にははっきり分かったから。

車椅子の介助さえ知らなかった私とKにできることが次第に見えてきた。

Tさんのこと、もうしばらく勝手に書いちゃおうかな。

だけどなぁ、ここんところ私よりもKの方がTさんとコソコソ女(母娘?)同士の話をしてるんだな。
Kが書く『最新情報』と私の『北の国から』でキャッチボールってのもありかも。
 

ごめんなさい。だってKがいなかったから… 2011年05月15日(日)

  あのう、今夜15日(日)の夜8時半頃我が家に電話を下さった方、大変失礼いたしました。
恥ずかしながらお詫び申し上げます。
もし、この欄をお読みでしたら誠に申し訳ありませんが明日にでももう一度お電話いただけないでしょうか?

いつものように飲んだ暮れてソファーで意識不明となっていた私だったが、つい先ほど23時20分頃意識が戻った。
ふと目の前のちゃぶ台に目をやると、新聞の上に受話器があった。
『ぎょっ!誰かと電話で話をしたんだ!?』

いつもならKに聞けばそのいきさつが分かるのだが、今夜Kは友達と『ブラック・スワン』を観に行っている。

焦った私は記憶の糸を辿り続けた。
『ダーウィンが来た』という番組を見ていて、いつもの原始林やレクの森で見かけるクマゲラが、実は600羽くらいしかいない絶滅危惧種であることに驚かされたことを覚えている。
この番組は最後まで見てチャンネルを変えた。
そして確か、『池上さんの…』
そうだ!この番組のコマーシャルの途中で意識を失ったのだ!

私は受話器の発信履歴を確かめた。
兵庫の実家の番号が表示されたので、電話をかけた記憶がないか思い起こしたが、それはない。
私は酔っ払った時に電話をかける癖があるけど、それなら家電じゃなく携帯を使うし、なにより今夜に限っては20時過ぎには失神していた。
つまりは電話を“かけた”のではなく“受けた”ということになる。

だが、我が家ではナンバーディスプレイの契約をしていないものだから着信履歴を見ても相手が分からない。
一応ボタンで確認すると着信時間と思われるものが表示された。
20時23分
まさに寝入りばな、である。

整理してみよう。
・カフェの閉店後、今日一日の勤労(吠えまくって噛み付こうとするMダックスのレッスン)で疲れた私はさらにその後アモとお泊り犬の散歩に出かけ、Kはいそいそとディナー及び映画鑑賞で不在となった。
・18時頃から秋田犬のももちゃん家から先日頂いたいつもの焼酎ガッツマンを飲み始めた私は、20時過ぎに意識を失った。
・その頃電話が鳴り、私は無意識のうちに受話器を取り、不明の中で相手と話をしたと思われる。
・お友達とディナーを食べ、映画を楽しんでいたKに『私に何があったのか』を聞くよしもない状況であった。
ということである。

つまり、悪いのは私じゃなくKなのだ。
私はいつも通りの生活をしていただけであるこをご理解していただけたと思う。

明日にでもナンバーディスプレイの契約をしようと思う。
だから、ごめんなさい。
電話された方、もう一度『何があったのか』お電話下さるかメールを下さい。

書くうちに思い出せるかと思いながら、だらだら時間を費やしましたが、やっぱり思い出せませんでした。
『記憶にはございません』って酒飲みには本当にあるんですね。
だから“何でも許される”なんて言わないけれど
Kさえ居てくれればこんなことにはならなかったのに…
 

共に過ごせばこそ 2011年05月13日(金)

  本当に完璧な天候に恵まれた昨日、駐車場のエゾヤマザクラが一気に満開となったのに今日は荒天で花びらが舞うどころか房ごと飛ばされてしまっていた。
もう少し春のはしりを楽しませて欲しいな。

さて、
2.ペットホテルを経営されてる方へ
と前回からのテーマを引き継いできたが、何のことだったっけ?
年のせいかすぐに忘れてしまう。
たぶんペットのお泊りのことについての注意点を書こうとしたのだと思うけど、その話はもうやめておく。

多くの業者は、カフェのようにおりこうさんなわんこばかり扱っているわけじゃないだろうし、少しでもおりこうさんにさせようと考えてるわけでもなく、それなりに犬の体調に変化無く、スタッフが噛まれるなどの怪我もせず、契約期間を無事過ごせることこそが重要なことだと考えているはずだから。

私はと言えば、カフェの営業中はお泊り犬を看板犬にし、閉店後に散歩を楽しみ、定休日は日がなだらだらと暮らし、夜は居間で一緒の時間を過ごしているものだから、それぞれの状況で共に暮らしやすいような振る舞いをついついわんこに教えてしまう。

ただそれだけのこと。

冷暖房完備でテレビもあって完璧に綺麗なペットホテルにいくら投資しても、人間がいなけりゃそれはただの独房と同じなんですよ。

大切なことは、桜の花びらが散る姿を楽しみ、強風で房ごと落ちてしまった現実を共に知ることなのではないでしょうか。

何書いてんだろうね。
狭い居間で3頭のお泊り犬の穏やかな寝姿を見ながら過ごしていたものだから…つい情緒的になってしまった。
 

ウェスティ。さらに話を展開 2011年05月09日(月)

  今日はウェスティ(ウエストハイランドホワイトテリア)のレッスンが入った。

散歩から戻って室内に入れる前に、普通の家ではわんこの足を拭くか洗うかするものだ。
その際わんこに『う”−』って言われたり、齧られるなんてことがあったら大問題だ。

今回の相談は「家でも時々そうなんですが、先日お泊りさせたペットホテルのスタッフを噛んだそうなんです。何とかなりませんか?」というものである。

今時のわんこ本の対処法を参考にすれば『抱っこしたり足を拭くのを嫌がる犬には、おやつを与えながら、”抱っこ→おやつがもらえる、足を拭く→いいことがある”という風に慣らせましょう』なんて書いてあるのだろう。

バカか、と思う。

そんな行動を取るわんこにはもっと根本的問題があり、あるいは飼い主の接し方に由来することが多い、という本質から目を背け、犬をあたかも“無能で単細胞”な生き物としか見ていないことに憤りを感じる。(そんな対処法を喜ぶ飼い主をどう理解していいか私には分からないけどね) 


プロなら一度歩けばその犬と飼い主の問題点がほぼ分かり、たとえ飼い主の主訴が『噛むこと』であったとしても、とるべき訓練は別方向からのアプローチだと考えるはずなのに…

今夜は2つほど話を飛躍させて書いてみよう。

1.多くのトリマーにとって『ウェスティは噛むかも知れない』と警戒する傾向があることをご存知ですか?
つまり犬種特性で
・拘束を嫌がり
・無理強いと感じることに過大に反抗する
ということであろう。

飼い主は育てる過程の中でうすうす感じていたはずである。
『犬ってそんなものなのかも』って目出度く考えていたのかもしれない。
でも、最初から分かっていたら
・抱っこに慣れさせ
・我慢や忍耐強さを経験させ、寛大さを持たせることができ
・身の程を知ったうえで分をわきまえ、その中で喜びを享受しながら暮らせたはずである。
せめて私のレッスンを受けていれば。

2.ペットホテルを経営されてる方へ

あ!、2つめの飛躍話を続けて書こうと思ったが、ちと話が長くなるし、『次回のテーマ』ということで今夜はご勘弁下され。
 

人間社会で育てられたわんこたちを思う 2011年05月08日(日)

  雨、雨、雨
まるで東日本の方々の悲しみが乗り移ったかのような涙雨が、連日しとしととさめざめと時に激しく降り続く。

それを受け止めることで被災地ではなかった人間の『捉えようのない罪悪感』が少し癒される…なんて、都合の良い幻想。
被災地だってきっと冷たい雨が降っているのだろう。

できることなら『いらない雨風』だけでもこの地で受け入れたいが、実際私にできるのは今のところこの欄を書くことと僅かな義援金の継続だけだ。

さあ、今夜も私にできる書くことを書いておこう。

『犬同士の挨拶って必要ですか?』と、よく聞かれる。
私は『そうは思いません。やめといたほうがいい場合が多いとさえ思っています』と答える。
そのわけは、結果的にトラブルになり、そのことでトラウマが生じ、以後他犬に警戒するわんこが増えるから。

でも、今夜はもう少し掘り下げて書いておこう。

犬の本能の中に『他犬意識』というのは確実に存在し、飼い主との関係にもよるが、多くの場合“イヌなりの挨拶”という強い衝動がかき立てられる。
そこには好奇心があり、遊び心がある一方で、縄張り意識や群れとしての概念による敵対心や上下関係があり、勿論犬種特性もある。

今夜、私が書きたいのは一般家庭犬(ペット社会)のことである。
つまり、イヌ社会でのイヌの本能は上記であってよいのだけれど、どんなに弱いわんこにでもその犬を愛する飼い主がいるペット社会では、“上下関係の決着”というような、そうはいかないルールがあるということだ。

率直な感想を言えば、現代の我が国の飼い主の意識は“犬”を飼おうとしながら“イヌ”として育て・暮らしている中途半端なレベルであると思う。

・吠えないわんこと暮らしたときは良かったけど、吠えるわんこと暮らし始めたときにどうしてよいか分からない(きちんと育てられない)
・散歩中に『他犬意識』が強いわんこと『どうぞお構いなく』というわんこの気持ち・その対処法が分かっていない。
・“イヌ”は肥育じゃなく、育てないと“犬”にはならないということを知らない飼い主。(“イヌ”のままだったほうが幸せだろうな、というわんこさえいる)

やっぱり酔っているから最後まで書けないけど、こんな社会だから『見知らぬイヌに挨拶する』なんて冒険は避けたほうがよろしい。
相手を見る目と信頼感があれば別だけど、私なら『ゆっくり時間をかけながらお知り合いになりましょう』と人間並みに振る舞う。
決して土足で相手の家に上がり込むことはない。

そんな平穏な生活をしていたはずなのに、プライバシーも無く土足の音を聞きながら避難所の暮らしを余儀なくされている方々を忘れてはいない。
同時に、犬として育てられたわんこ達が、今どんな思いで彷徨しているのかを思うと胸が締め付けられる。

その心こそが連帯となり復興に繋がると信じたい。
 

脱原発への一歩が始まった記念日 2011年05月06日(金)

  『暗殺』という古き時代の恐怖が蘇ってくる。

いや、問答無用で人が殺されたのに喜び合うという奇異な国際映像のことではなく、今回の大震災でのその後に対してだ。

私の記憶の最後は6歳の時テレビで見た『浅沼委員長刺殺事件』
国内での謀略である。
謀略と書いたのには理由がある。
実行犯とは別に明確な意図を持った組織が存在していることでテロリズムと共通性がある。

今日、菅内閣は中部電力に対し浜岡原発の停止を要請した。
それなりに報じられているが、これは画期的なことであり脱原発に向けての信じられないような一歩を踏み出したのである。
歴史に残る瞬間が今日刻まれたことを子供達は後に知ることだろう。

暴れた時には制御のしようがない『悪魔』だが、一方で大きな利益をもたらしたことは現時代では否定できない。
・納税という形での国への利益
・CO2を出さない環境への利益
・核関連業種の巨額な事業
・雇用を生み出す地域と国への利益
・研究という名目で金を渡されたものだから、都合の悪いことを良いことへ変換する学術
・広告費がないと困り、口も出せないマスコミ
・何も知らず、利益を享受する我々

すべてが完璧に整えられ、悪魔に魂を売る条件が整った時代が流れた。

だが3.11で悪魔の一部を私たちは知ることになった。
『地震だけなら』『津波が憎い』の叫びすら“見えない放射能”の脅威であげられなくなってしまった。

次の大震災における核関連施設による被害は明らかに人災であり、何としてもくい止めたい。
そう判断し、浜岡原発停止というひとつの着手をした現内閣を私は支持する。

彼らの誰一人も殺さないで欲しい。
見方によってはすべてを敵に回した構図になっているではないか。
だがマスコミよ、戦前の過ちを繰り返さないで歯を食いしばって欲しい。
あなた方がどのスタンスに立つのかが今問われている。
中途半端だとまたあの暗殺者が現れますぞ!
それでまたニュースができたと、あなた方は食べる道を選ぶのですか?

最後には過去を知っている今のマスコミを信じたいし、悪いけど冷静な目でこれからも報道を選択しようと思う。
 


- Web Diary ver 1.26 -