From the North Country

5for1プロジェクト 2011年07月05日(火)

  今夜はドッグカフェナガサキとは全く関係ない話題だが、『誰が読んで共感を覚えるか分からないネット社会を意識して』書き残しておきたいことがある。
ご容赦を。

東日本大震災からまもなく4ヶ月になる私からの提案だ。

テーマは『5for1プロジェクト』(5家族で1家族を支援しようプロジェクト)

{趣旨説明}
振り返れば、災害や震災は毎年のように我が国のどこかで起きており、悲しみ苦しみ生活を破壊された人々が溢れている。
その様な時に緊急災害派遣として自衛隊が出動し、自治体や国家、時には様々な企業やボランティア組織が救援・支援活動に乗り出す。
我々国民はその後方支援を担っている。
このことは初動体制としては良好であると思う。

だが、生命に関わる緊急時の公的活動が一段落した後、被災者のニーズは多様・個別的となり、極端な場合、支援物資が邪魔者になることさえあることを阪神淡路大震災以来私たちは知らされている。

そこで今回の提案である。

初動対応が終わると同時に、個別対応へスムーズに移行するプロジェクトの提案だ。

{想定条件}
1.行政は地域の安全とライフラインを確保し、復興・再建計画を立てる。
2.企業やNPOは食料と最低限の生活物資の供給に協力する。
3.被災者であっても活動できる人間は最大限に行動する。

そして以下が私が提唱する
{5for1プロジェクト}である。
1.災害・震災と同時にプロジェクト事務局を総動員する。
2.被災地域以外の国民は地元5世帯の支援チームを日頃の人間関係から構築する。
3.チームができたらプロジェクト事務局に登録する。
4.プロジェクト事務局は被災世帯数を把握する。
5.プロジェクト事務局は登録された支援チームに対し、例えばA世帯のニーズに即した支援を行うよう要請する。
6.両者はすべての結果を報告する。

そんな構想である。

つまり、被災地以外の5世帯が被災地の1世帯をフォローする仕組みである。
『3人寄れば文殊の知恵』5世帯集まれば鬼に金棒の支援ができる。

『アワビ漁に出る船が欲しい』と普通のサラリーマンチームでは難しい依頼が担当世帯からあったとしても、5世帯の誰かがネットで『こんな要望を持ってる世帯を私達Aチームは支援しています。何とかなりませんか!』と叫べば何とかなるかもしれない。

5世帯もあれば1世帯を個別に支えることができるはずだ。
政治がどうであるより、寄付金の行き先が曖昧であるより、こんな組織『5for1プロジェクト』を私は提案する。
 

寒い話?熱い話? 2011年07月04日(月)

  100年前から比べて札幌の冬の気温は6.5度も上がっているらしい。
都市化の影響で温暖化がすすんでいるという。

夏の気温はたいして変わってないというが、それは体感的にウソっぽい。
だけど今年の夏は私が移住した30数年前の北海道みたいに『朝夕はカーディガンを羽織って』というガイドブックの言葉が似合う。

そんな北海道らしい夏が7月になっても続いている。
おまけに今日は午後まで大雨でカフェも寒々しい一日だった。

「私と一緒の時は静かに横になってるんですけど、私がシャワーに入ったりすると玄関に行って靴の中敷を引っ張り出すんです。何とかならないでしょうか?」
昨日そんな相談をカフェで受けた。

私ならさっさと決着をつけてしまうが、普通の飼い主なら
『ダメでしょ!なんでこんなことするの!今度したら許さないからね!ったく』
そんな繰り返しの日々を送っておられるのだろう。

「いい方法がありますよ。悪戯とか人がいないスキを狙った行為には天罰方式です」と私は解説した。
すべてのいたずらに対しての根本解決にはならないが、まあ愉快な方法だから試してみようと思った。

1.靴箱の上に落下しそうな不安定な状態のバケツや鍋をセットする。
2.バケツ/鍋の中には単一の乾電池くらいの重さで突き刺さらないものを5〜10個くらい入れる。
3.バケツ/鍋と靴を細い紐で連結する。

そう、靴をいじれば上からけたたましく落下してくる仕掛けだ。

1回で決まれば落下物の中身が多すぎたのかもしれない。
2回目もわんこがチャレンジしたなら隠しカメラで撮影すべし。
靴、紐、それに上の物体を交互に見ながら“考える犬”の貴重な映像が撮れるかもしれない。

4回、5回と繰り返す犬がいればカメラのレンズを自分に向けるが良い。(たぶん落下物に手心を加えた疑惑あり)
本当に靴の中敷を引っ張り出されることに困っている飼い主なら、そのバカ面が映っているだろうし、普通の飼い主なら『凄い!うちのわんこは何て頭がいいんだろう!』という笑顔に満ちているに違いない。

『いたずらで困っています』
本当に困った行動、例えば『ベッドで寝ている赤ちゃんを傷つけるんです。』

さて、あなたは仕掛けをこしらえますか?それとも…
寒い話になってしまった。
 

庭に育つ苗 2011年06月25日(土)

  連日猛暑日がニュースとなっているが、札幌では最高気温が15度や17度といった寒い日が続いている。

枝豆の生育を心配し、プランターのミニトマトのひとつが、本来なら花となるべき芽が葉に変わり全く花をつけない現象に戸惑う日々だ。
果実の収穫だけが目的なら新しい苗に植え替えるほうが得策なのは分かっているが、そこは家庭菜園、これからどうなるのか気になってしょうがない。

さて、今日は何年ぶりかでアドレナリンが一気に分泌し、心臓がバクバクとなり、呼吸を整えるのにしばらくかかるような叱りを一頭のラブラドールに行った。

相性の合わない犬に最近になって威嚇的な行為を繰り返していたラブで、何度か『普通の犬なら分かってもらえる程度の制御』はしていたのだが、今日は私の目の前であからさまな威嚇行動を示した。
気心の知れた飼い主さんから『散歩中にも同様な行為があり困っている』と日頃から聞いていたので、私は躊躇することなく『今日で決めてやる!』という行動に出たのだ。

結果的に、普通なら逆切れして反撃に出るか、悲鳴を上げて失禁するか、ブルブル震えて隅っこから出て来れなくなるような攻撃的な叱責となった。

『結果的に』というのは、相手の反応によって叱り方のレベルが当然変わるわけだけど、私をもってしても屈服せず・恐怖反応を示さず・かといって反抗もせず、従って反省の様子も見せないラブに高レベルの叱責となったのだ。

叱りながら私のエネルギーが吸い取られていく感覚を覚えた。
私の最大の弱点を見透かされているように感じられた。
なぜならそこに絶対的に人間を信用している犬の姿があったから…
無抵抗主義のパワーが私のエネルギーを吸い取り、罪悪感を注入していたように思われた。

まだまだ未熟ですなぁ。この歳になっても迷いが出てくる。
だが、他犬に対し自己抑制できない威嚇・攻撃行動は絶対に許さないという信念はゆるぎない。
そのことがラブ君に伝わったかどうか今後の振る舞いが楽しみである。

「いやぁ、久しぶりに見たね、長崎劇場」
カフェ内ではそんな声が聞かれたらしいが、私はピロリ菌の除菌前の胃潰瘍のような痛みがしばらく治まらなかった。

まだ花をつけないミニトマトであっても、庭で育てた大切な苗。
手を加えながら成長を見守っていく喜びもある。
 

幸せな時間 2011年06月18日(土)

  アモが泳ぐ。
あの姿を見て10歳のわんこだと思う人はいない。
『よし、もう一丁!』
そんなアモの姿に圧倒される。

血湧き肉踊る。
2日間、何十本もの水上ダッシュでさえアモにとっては歓喜の連続のようだ。
“蘇る”“血が騒ぐ”
そんな言葉がピッタリのアモだった。

長いことレトリーバーを見ている私ですら、お互いの年齢を忘れて『楽しい!』に没頭した。

まだ気温が高くないから、15時頃には水から上がり乾燥の時間に入る。
近所をのんびりと散策し、昨年から開業したジェラート屋さんの店先にある優雅なブランコに揺られながらジェラートを食べる。
2種類選べるジェラートは当然ながら私の好みより、アモが食べても大丈夫なものから選ぶ習慣が身についている。

『おりこうになれば待遇が上がる』
これが我が家のルールだから、いくつもの待遇を準備してある。
勿論今のアモには最高の待遇が与えられている。

17時頃、いつもより体力を消耗したアモには特別食を与え、炭に火を入れてから温泉に出かける。
ここから1時間は私達の癒しの時間である。

改装された温泉は元々絶景の地であり、泉質や湯温も素晴らしかったが、さらに内装がすっきりしシャワーや洗面器・腰掛などが一新され、キャンパーにはありがたいドライヤーも完備されていた。

湯浴みの後、丁度良くおこった炭火の上で最初に焼くのがアモ用の胸肉や生のシシャモだ。
これから続く長い宴会の前にアモには充分な満足を与え、寝てもらうことになるのだから。

長く楽しい宴会が終わると、寝ぼけたアモに最後の排泄を促しテントの寝袋に納める。
エアーマットを使い始めてから私たちは朝までぐっすり眠り、アモも専用の寝袋で眠りにつく。

翌日の午後になっても『帰らない!もっとここで遊ぶ!』と駄々をこねるアモ。
だが、帰宅してからアモの年齢と向き合うことになる。
倒れこんだアモは2階に上がることもできない。
私たちはアモを抱きかかえて階段を上り、肩で息をする。

アリナミンを1錠飲ませ数時間眠った夜には自力で排泄を済ませて移動できるようになっていた。

「あと2〜3回は行きたいよね」
過去の経験から数年前までアウトドアに不安を持っていたKが発した言葉は、アモがKを変化させたことに他ならない。

犬を育てているようで、やはり共に育てられているんですね。
 

仕方がないけど、いつの日か 2011年06月14日(火)

  ストーブは先月オーバーホールしコンセントはもう抜いてある。
まさか6月の14日に暖房が必要になるなんて思ってなかったし…

北海道ではエアコン=冷房であって、暖房に使うことは滅多にない。
電気暖房=『高くて反省エネ』っていうイメージがある。
以前、エアコンを買いに行ったとき『冷房機能だけついていればいいんですけど』と言ったら、『お高くなりますよ』って言われた。

で、今日はせっかく暖房機能がついているエアコンを配管の防カビ対策を兼ねて使わせてもらった。
そんな寒い一日だった。

さて、先週の定休日に1泊2日で美術館めぐりの小旅行に出かけてきた。
宿泊先の宿の玄関で『お部屋までは抱っこするかクレートで移動してください』と言われた。
玄関から10メートルほど先が部屋だったので、「夜、誰もいない時もいちいちクレートを使わなければなりませんか?」と尋ねると、「ええ、そうして下さい。決まりですので。」と毅然と言われたのが却って清清しかった。

アモにはエアコンのように冷房・暖房・除湿・換気・空気清浄など多様な機能を使い分けできるような“振る舞い(常識)”を教えてあるが、それはこちらのことであって、たかだか1泊を受け入れる施設側にとっては“確かなガイドライン”というのが必要なのだろう。

思えばカフェも同じだ。
恐らくちゃんとした育て方ができているであろうわんこの飼い主に対しても、初めての入店の折には『いらっしゃいませ。』の後に『ガーデンでおしっこさせますか?』と声をかける。

『さっきさせてきましたから大丈夫です』って答えられる飼い主だが、そのうちのほんの数パーセントのわんこが粗相をすることがある。
つまり“自宅では大丈夫”“これまでは大丈夫”ということなのだろう。

過去に粗相をされたり宿泊客に吠えたりされた経験から宿側は一律のガイドラインを定めたのだろう。
カフェでは、まずは“一声をかけ”そのうえで失敗があった場合には飼い主に『状況によって愛犬の排泄行動が変化する』ことを実感していただき、冷房だけでなくエアコンのように、場面によって多機能なことに対応できる愛犬を育てることが大切なことを知っていただけるよう対応している。

その点をちゃんと分かっておられる飼い主には失礼をお許し下さい。

1泊だけのアモは、みんなが寝静まった夜11時頃クレートに入りガタガタガタガタと車輪の音を立てながら玄関まで移動し外でオシッコをし、またガタガタゴトゴト本来なら不要な音を立てながら部屋に戻った。
 

無謀も面白いけど、許される型破りだってある 2011年06月12日(日)

  そろそろ狂犬病ワクチンや混合ワクチン接種のピークが過ぎた頃だろうか。

10歳を過ぎた愛犬と暮らす飼い主としては、『この歳になればもうこんなワクチン打たなくてもいいんじゃない?』と思う。

北海道のしかも室内で暮らす10歳を超えたわんこにフィラリアの駆虫薬なんて“万が一程度”の危機管理であり、ひょっとしたら弊害の方が“百が一くらい”あるとさえ思う。

これから先、仮にフィラリアに感染したとしても肺や心臓に寄生し死に至るダメージを与える可能性はほぼゼロと考える。
だからこの駆虫薬は今年でお終いにし一万円程度を浮かせる。

混合ワクチンも今後は打たない。
免疫力は充分!
日々の暮らしの中でいろんなウィルスの攻撃を受け、自然な免疫力をつけてきたから。
これで7千円程度浮かせることができる。
新種のウィルスがでれば別だけど…

厄介なのが狂犬病だ。
これは法的に義務付けられ、接種対象の年齢制限が無い。
つまりは愛犬が瀕死の状態であっても接種義務がある。
だけど実際には獣医師のさじ加減ひとつで免除されているし、死んだことにすればなんとかなる。
これで3000円。
トータル2万円あれば思いっきりキャンプが楽しめる。

よし!すべては今年限りだ。

ただ、今後も続けようと思っているのが血液検査。
加齢していくのだから、結果は悪くなる可能性が高い。
その中で分かる治せる病気は治し、受け入れるべきものがあれば受け入れる準備をしていこうと思う。

我が家の愛犬アモ10歳ちょい。
換算すれば私と同年齢。
細かいこと言わずに『さあ楽しむぞ!』
 

継続することでふと変化すると思う 2011年06月11日(土)

  東日本大震災から3ヶ月。
皆さ〜ん、哀悼の意と復興支援の気持ち、薄れてないですよねぇ。
現地で何もできない私たちだから、せめて義援金・支援金を継続することで応援しましょう!
各地に避難された方々を支援するのもいいし、地元企業の株を買うのもいいし、農家なんかの一口オーナーになるなど、3ヶ月が過ぎて支援の具体的な手段も見えてきた。
また、被災したペットを保護したり一時預かりの手配をしたりする団体もはっきりしてきたのでそちらへ支援金なんかもいい。
とにかくできることを継続しましょう。

『まだ3ヶ月』、支援は始まったばかり。まだまだこれからだ。

さて『もう1ヵ月半』なのか『まだ1ヵ月半』と言えばいいのか、カフェに通い始めた北海道犬ハチ(当時8ヶ月)のことを書いておこう。

3回目のレッスンで私が身体を触っても噛もうとしなくなり、今では普通に身体中を触ることができる。
ここ2〜3週間歩行レッスンはしていないが、カフェにはちょこちょこ顔を見せてくれるので、結果的にはレッスンをしていることになる。

思えば、
・最初はカフェの外で飼い主にチョークチェーンを首にかけてもらってレッスンに出かけ
・その後もカフェに入店することなくフェンス越しに他犬を眺め、臭いを嗅ぎ
・そのうちカフェに入れるようになっても100%私の監視のもとであったのが
・今ではカフェ内での管理の半分以上を飼い主に委ね、ガーデンでは私の管理のもと他犬と直接触れ合うようになっている。
・私に制御されると以前は唸り声をあげていたのが、途中から甲高い“悲鳴?”『やめて!助けて!僕は虐待されてます。誰か!誰か!』と仰々しさへと変わり、最近では黙って受け入れるのと軽い“悲鳴”の中間あたりを行き来している。

彼はまだ生後10ヶ月程度の日本犬。
やんちゃ盛りの時期である。
訓練するのではなく上手に育てる時期の真っ只中なのだ。

性急な対応ではなくじっくり・しっかりと接することが必要な時期である一方、だからと言って他犬や人に危害を加えたり自らが恐怖体験をするような事態は避けなければならない。
なぜなら彼は動物社会ではなくペット社会の一員なのだから。

そんな今日は、排他的で他犬の接近に対し不安を感じて噛もうとし、飼い主のご夫婦さえも4回噛んだというわんこに続き、生後10ヶ月の盲導犬候補のパピーもやって来た。
そのパピーはハイテンションでカフェの穏やかな空気をぐちゃぐちゃにしてしまいそうなエネルギーを発していた。
制御した私のエネルギーも吸い取られていく感じ。

でも、そこは盲導犬候補のパピー。
ちゃんとコントロールすると反抗的な一面すら見せず
『僕は好きなように思いっきり遊びたいだけ!』と叫ぶわんこを
『そうはいかないのだぞ!ルールってのがあるんだ!』と私が制御すると
『へえー、こうやって冷静な気分になると世の中違って見えるんですね』という姿へと変わっていった。

特に何もせずとも“おりこうなわんこ”と暮らしておられる方もおられよう。
だけど私は、犬と暮らすことの楽しさ/苦労が運不運で左右されることであってはならないと思う。

家庭犬としての繁殖がきちんと行われ、わんこをちゃんと育てられる人間文化が根付くことを切に望む。
 

取り越し苦労であって欲しいが… 2011年06月04日(土)

  6月から我が家の生活パターンが少し変わった。

まだ4日しか経っていないから継続するかは分からないけど、起床が1時間早まり6時となった。
おまけに『定休日は除く』となっているので、つまりはまだ2日しか実践していない。
3日坊主で消え失せる前に書いておこうと思って書いている。

さて、その2日であるが、Kは初日からガーデンの草むしりと花壇のケアを続けた。
「起きてすぐに寒い外に出て、おまけにしゃがみこむ姿勢を続けるのは脳血管や膝と腰によくないよ」と私はKに注意している。
因みに今日のカフェは一日中ストーブを焚くほど寒かった。

で、私はというと毎朝せかされるように読む新聞をゆっくりと読み、それでも時間が少し残っていることにほくそ笑み、朝からタバコの吸殻が増えることに『マズイな』と反省している。

我が家の愛犬アモは彼なりの世界観があるので、朝食・おやつ・散歩・夕食のパターンさえ崩さなければ同調してくれている。
あ、それと外の雨を見せれば散歩は免除してくれるようにもなった。

原発の事故というか『いつか必ず起きるはずだった人災』が今起きたのだから、人生が変わるのは当然のこと。
むしろ『(推進した人間が生きている)今でよかった』とさえ感じるのは不謹慎だろうか?

たぶん、起床時間を変えたのは“変化に対する準備”だと思う。

原発がメルトダウンし放射能が漏れ続けているのが現実。
政府の誰も口にしないが、住めない地域は原発周辺だけではないし、今、校庭の土を入れ替えても継続的に汚染され続けるのだから意味はないし、漁業復興に歩み始めてもそこで獲れる魚介類はこれから先放射能を浴びたものばかりとなる。

『大丈夫、きっと』

私はそうは思わない。
たぶん制御できない事態が起きている。
健常者だった人間が失明するときと同じ状況だと感じている。
『大丈夫、きっと』
その思わせぶりな態度が我々に“変化”を遅らせ、次への一歩をためらわせている。

これまでの人生・生き方は終わったのだ。
だけど我々は生きている。
この不協和を解放するのは“変化を受け入れる”ことしかなく、そこに新たな英知が生まれる。

私はこれまでリハビリテーションという概念をもって障害者に正面から向き合ってきた。
これからは日本人すべてがリハビリの本質つまり
(0.障害を無くすために全力を注いだうえで、)
1.障害を受け入れ、(医学的損傷)
2.その不自由さを明確にし、(機能的損傷)
3.克服する術を開発し、
4.偏見(風評被害)をなくし、(ハンディキャップ)
5.最後に『原子力被災者』という現実を残し、
6.(しっかり意見を持って生きていく)
ということに尽きる。

甘い感情や思わせぶりな情報が充満している。
扇動するつもりは毛頭ないし本当にそうならいいが、少なくとも私の浅学な知識や経験から導き出される答えは“変化”への準備もしくは諦めである。
少なくとも諦めた人間はまだ周囲にはいない。
 

庶民であることの記録 2011年06月02日(木)

  6月に入っても寒い日々が続く北海道。
スーパークールビズって、肌寒い時から実施して徐々に身体を慣らした方がいいのか、それとも暑くなってからやった方が効果的なのか私には分からない。
そんな切実さを考えさせられる気候に早くなって欲しい。

枝豆横丁(カフェ駐車場にある私のささやかな菜園)に目をやると、前年より1週間早く枝豆が発芽している。
きっと去年よりずっと多くの放射性物質を吸収しながら育っているのだろう。
そうと知ってはいても収穫時には美味しいだろうから『おいしいね』って食べるはずだ。
それが庶民だ。
だけどこの度の天災がもたらしたうえでの原発による人災は決して忘れない。

『おいしいね』って、心から子供たちに言えるまでの数十年(数百年?数万年?)先が平和であって欲しいと祈る。

札幌周辺の自然界はどう反応しているのだろう?
そんな不安を抱きながら我が家の愛犬アモと久しぶりの原始林に出かけてみた。

入り口辺りでフクロウが木に止まり、背を向けた状態で目の前にいた。
カメラマンが6人ほど正面を向く瞬間を捉えようとしていた。

2時間ほどの長い散歩コースを終えて戻ってみたら、まだフクロウはそのまま背を向けた状態だった。
カメラマンは一人に減っていた。
夜行性だから動かなかったみたいだ。

さて、どう解釈しようか?
・目の前でフクロウに会えた現実
・カメラマン6人がじっとファインダーを覗き込んでいた現実
・2時間後カメラマンが一人になり、なおフクロウが背を向けたままそこにいる現実

状況を変える力も強い意図も無く、ただ現実を直視し、その記録を形に残そうとしているカメラマンがいた。
私は感動した。
あの最後まで同じ姿でいたカメラマンに。

見た目はしょぼく柔そうで軟弱そうなひ弱な男に見えた。
その彼が最後までいたカメラマンだった。

私たちはこれまで何を見てきたのだろう?
毎日何を見ているのだろう?

ささやかながら枝豆の成長にいろんなことを考えさせらる人間でありたいと心底思う。

シダースプレーのおかげで右往左往するダニがアモの身体に2匹這っていたがすぐに排除した。
今のところ自然界は変わりないようである。
 

私が犬と暮らすということのほんの一部 2011年05月29日(日)

  今月20日に蒔いたえだ豆横丁では地割れのような亀裂がそこここに入り、『まもなく発芽するぞ!』と土中からのエネルギーを感じさせている。

もう夜中の1時ではあるがあのエネルギーを少し分けてもらって何か書こう。

仮に我が家で次に仔犬を飼うとしたら…
よし、そのテーマですすめてみよう。

1.生後2ヶ月程度の仔犬を手に入れる。
2.じいじとバビーは全身全霊を傾け愛情を注ぎ、同時に『この子にはどのような傾向があるのか』を観察する。
3.2週間ほどでトイレのしつけを完了し、健康状態を確認しながらとにかくあちこち連れ回し人に会わせる。
4.食事は4回。遊ぶときはとことん付き合い、あまがみされるのではなく、させてやりながら痛みを教え、最終的にはその意欲を排除する。
5.睡眠はそれなりにとらせるが、どちらかと言えば『もう静かに寝かせてよ』と仔犬が言いたくなる環境を作る。
6.それでも抱っこしてあちこち連れ回し、抱っこから解放され地面に下ろされた時には、とにかく『わたしもう寝ますから…』という状況を作る。
7.他犬と遊びたいなら遊ばせるし、その間にルールも教えるが、まずは仔犬の性格を観察し続ける。大事なことは、他犬を怒らせない程度のからみであり、恐怖体験を受けない相手選びである。
8.4ヶ月頃には食事を3回にし、7ヶ月頃までに2回にする。
9.5ヶ月頃からは散歩を本格化させ、環境をいろいろ変える。見るもの聞くもの初めてのことだろうから、仔犬の反応を確かめながら次の刺激的環境を選択する。
10.散歩させると、引っ張ったりあちこち変な動きをしたりするから、この頃から“歩きのルール”を教える。
11.6〜8ヶ月頃には去勢か不妊手術を行う。
12.その頃からノーリード歩行の本格的訓練に入る。
13.他犬との関わり方、『ノー!』の意味、呼び戻し、羽目の外し方、言葉の理解、十分な心と体力の消費が一致した頃、仔犬は我が家の愛犬になる。

以降、おりこうさんになればなるほど待遇と思い入れが深くなる。
だが、思い入れが深くなると、つい見落とした面が露出することがあれば、思い上がりを露呈することがあるから、『お前は私達の犬である』ということを心を鬼にして受け入れ、相手に伝え、修正することも求められる。

14.愛犬と過ごした年月と思い出をかみ締める日々が連なる至極の時間。
この時間だけは誰にも譲れない私達との時間である。
犬と暮らす中で最も長く続く幸せな時間である。

15.病と喪失の時。
私は愛犬の理不尽な怪我や病気を放置することを決して受け入れられない。
だが命の終わりに関しては、病むこと・苦しむこと・介護の苦労すら放置できない。
だから治療には手を尽くすけど、『安楽死』は最後の砦として存在し、必要な時は躊躇しないどころか拠り所にすらなっている。
 


- Web Diary ver 1.26 -