From the North Country

仕方がないけど、いつの日か 2011年06月14日(火)

  ストーブは先月オーバーホールしコンセントはもう抜いてある。
まさか6月の14日に暖房が必要になるなんて思ってなかったし…

北海道ではエアコン=冷房であって、暖房に使うことは滅多にない。
電気暖房=『高くて反省エネ』っていうイメージがある。
以前、エアコンを買いに行ったとき『冷房機能だけついていればいいんですけど』と言ったら、『お高くなりますよ』って言われた。

で、今日はせっかく暖房機能がついているエアコンを配管の防カビ対策を兼ねて使わせてもらった。
そんな寒い一日だった。

さて、先週の定休日に1泊2日で美術館めぐりの小旅行に出かけてきた。
宿泊先の宿の玄関で『お部屋までは抱っこするかクレートで移動してください』と言われた。
玄関から10メートルほど先が部屋だったので、「夜、誰もいない時もいちいちクレートを使わなければなりませんか?」と尋ねると、「ええ、そうして下さい。決まりですので。」と毅然と言われたのが却って清清しかった。

アモにはエアコンのように冷房・暖房・除湿・換気・空気清浄など多様な機能を使い分けできるような“振る舞い(常識)”を教えてあるが、それはこちらのことであって、たかだか1泊を受け入れる施設側にとっては“確かなガイドライン”というのが必要なのだろう。

思えばカフェも同じだ。
恐らくちゃんとした育て方ができているであろうわんこの飼い主に対しても、初めての入店の折には『いらっしゃいませ。』の後に『ガーデンでおしっこさせますか?』と声をかける。

『さっきさせてきましたから大丈夫です』って答えられる飼い主だが、そのうちのほんの数パーセントのわんこが粗相をすることがある。
つまり“自宅では大丈夫”“これまでは大丈夫”ということなのだろう。

過去に粗相をされたり宿泊客に吠えたりされた経験から宿側は一律のガイドラインを定めたのだろう。
カフェでは、まずは“一声をかけ”そのうえで失敗があった場合には飼い主に『状況によって愛犬の排泄行動が変化する』ことを実感していただき、冷房だけでなくエアコンのように、場面によって多機能なことに対応できる愛犬を育てることが大切なことを知っていただけるよう対応している。

その点をちゃんと分かっておられる飼い主には失礼をお許し下さい。

1泊だけのアモは、みんなが寝静まった夜11時頃クレートに入りガタガタガタガタと車輪の音を立てながら玄関まで移動し外でオシッコをし、またガタガタゴトゴト本来なら不要な音を立てながら部屋に戻った。
 

無謀も面白いけど、許される型破りだってある 2011年06月12日(日)

  そろそろ狂犬病ワクチンや混合ワクチン接種のピークが過ぎた頃だろうか。

10歳を過ぎた愛犬と暮らす飼い主としては、『この歳になればもうこんなワクチン打たなくてもいいんじゃない?』と思う。

北海道のしかも室内で暮らす10歳を超えたわんこにフィラリアの駆虫薬なんて“万が一程度”の危機管理であり、ひょっとしたら弊害の方が“百が一くらい”あるとさえ思う。

これから先、仮にフィラリアに感染したとしても肺や心臓に寄生し死に至るダメージを与える可能性はほぼゼロと考える。
だからこの駆虫薬は今年でお終いにし一万円程度を浮かせる。

混合ワクチンも今後は打たない。
免疫力は充分!
日々の暮らしの中でいろんなウィルスの攻撃を受け、自然な免疫力をつけてきたから。
これで7千円程度浮かせることができる。
新種のウィルスがでれば別だけど…

厄介なのが狂犬病だ。
これは法的に義務付けられ、接種対象の年齢制限が無い。
つまりは愛犬が瀕死の状態であっても接種義務がある。
だけど実際には獣医師のさじ加減ひとつで免除されているし、死んだことにすればなんとかなる。
これで3000円。
トータル2万円あれば思いっきりキャンプが楽しめる。

よし!すべては今年限りだ。

ただ、今後も続けようと思っているのが血液検査。
加齢していくのだから、結果は悪くなる可能性が高い。
その中で分かる治せる病気は治し、受け入れるべきものがあれば受け入れる準備をしていこうと思う。

我が家の愛犬アモ10歳ちょい。
換算すれば私と同年齢。
細かいこと言わずに『さあ楽しむぞ!』
 

継続することでふと変化すると思う 2011年06月11日(土)

  東日本大震災から3ヶ月。
皆さ〜ん、哀悼の意と復興支援の気持ち、薄れてないですよねぇ。
現地で何もできない私たちだから、せめて義援金・支援金を継続することで応援しましょう!
各地に避難された方々を支援するのもいいし、地元企業の株を買うのもいいし、農家なんかの一口オーナーになるなど、3ヶ月が過ぎて支援の具体的な手段も見えてきた。
また、被災したペットを保護したり一時預かりの手配をしたりする団体もはっきりしてきたのでそちらへ支援金なんかもいい。
とにかくできることを継続しましょう。

『まだ3ヶ月』、支援は始まったばかり。まだまだこれからだ。

さて『もう1ヵ月半』なのか『まだ1ヵ月半』と言えばいいのか、カフェに通い始めた北海道犬ハチ(当時8ヶ月)のことを書いておこう。

3回目のレッスンで私が身体を触っても噛もうとしなくなり、今では普通に身体中を触ることができる。
ここ2〜3週間歩行レッスンはしていないが、カフェにはちょこちょこ顔を見せてくれるので、結果的にはレッスンをしていることになる。

思えば、
・最初はカフェの外で飼い主にチョークチェーンを首にかけてもらってレッスンに出かけ
・その後もカフェに入店することなくフェンス越しに他犬を眺め、臭いを嗅ぎ
・そのうちカフェに入れるようになっても100%私の監視のもとであったのが
・今ではカフェ内での管理の半分以上を飼い主に委ね、ガーデンでは私の管理のもと他犬と直接触れ合うようになっている。
・私に制御されると以前は唸り声をあげていたのが、途中から甲高い“悲鳴?”『やめて!助けて!僕は虐待されてます。誰か!誰か!』と仰々しさへと変わり、最近では黙って受け入れるのと軽い“悲鳴”の中間あたりを行き来している。

彼はまだ生後10ヶ月程度の日本犬。
やんちゃ盛りの時期である。
訓練するのではなく上手に育てる時期の真っ只中なのだ。

性急な対応ではなくじっくり・しっかりと接することが必要な時期である一方、だからと言って他犬や人に危害を加えたり自らが恐怖体験をするような事態は避けなければならない。
なぜなら彼は動物社会ではなくペット社会の一員なのだから。

そんな今日は、排他的で他犬の接近に対し不安を感じて噛もうとし、飼い主のご夫婦さえも4回噛んだというわんこに続き、生後10ヶ月の盲導犬候補のパピーもやって来た。
そのパピーはハイテンションでカフェの穏やかな空気をぐちゃぐちゃにしてしまいそうなエネルギーを発していた。
制御した私のエネルギーも吸い取られていく感じ。

でも、そこは盲導犬候補のパピー。
ちゃんとコントロールすると反抗的な一面すら見せず
『僕は好きなように思いっきり遊びたいだけ!』と叫ぶわんこを
『そうはいかないのだぞ!ルールってのがあるんだ!』と私が制御すると
『へえー、こうやって冷静な気分になると世の中違って見えるんですね』という姿へと変わっていった。

特に何もせずとも“おりこうなわんこ”と暮らしておられる方もおられよう。
だけど私は、犬と暮らすことの楽しさ/苦労が運不運で左右されることであってはならないと思う。

家庭犬としての繁殖がきちんと行われ、わんこをちゃんと育てられる人間文化が根付くことを切に望む。
 

取り越し苦労であって欲しいが… 2011年06月04日(土)

  6月から我が家の生活パターンが少し変わった。

まだ4日しか経っていないから継続するかは分からないけど、起床が1時間早まり6時となった。
おまけに『定休日は除く』となっているので、つまりはまだ2日しか実践していない。
3日坊主で消え失せる前に書いておこうと思って書いている。

さて、その2日であるが、Kは初日からガーデンの草むしりと花壇のケアを続けた。
「起きてすぐに寒い外に出て、おまけにしゃがみこむ姿勢を続けるのは脳血管や膝と腰によくないよ」と私はKに注意している。
因みに今日のカフェは一日中ストーブを焚くほど寒かった。

で、私はというと毎朝せかされるように読む新聞をゆっくりと読み、それでも時間が少し残っていることにほくそ笑み、朝からタバコの吸殻が増えることに『マズイな』と反省している。

我が家の愛犬アモは彼なりの世界観があるので、朝食・おやつ・散歩・夕食のパターンさえ崩さなければ同調してくれている。
あ、それと外の雨を見せれば散歩は免除してくれるようにもなった。

原発の事故というか『いつか必ず起きるはずだった人災』が今起きたのだから、人生が変わるのは当然のこと。
むしろ『(推進した人間が生きている)今でよかった』とさえ感じるのは不謹慎だろうか?

たぶん、起床時間を変えたのは“変化に対する準備”だと思う。

原発がメルトダウンし放射能が漏れ続けているのが現実。
政府の誰も口にしないが、住めない地域は原発周辺だけではないし、今、校庭の土を入れ替えても継続的に汚染され続けるのだから意味はないし、漁業復興に歩み始めてもそこで獲れる魚介類はこれから先放射能を浴びたものばかりとなる。

『大丈夫、きっと』

私はそうは思わない。
たぶん制御できない事態が起きている。
健常者だった人間が失明するときと同じ状況だと感じている。
『大丈夫、きっと』
その思わせぶりな態度が我々に“変化”を遅らせ、次への一歩をためらわせている。

これまでの人生・生き方は終わったのだ。
だけど我々は生きている。
この不協和を解放するのは“変化を受け入れる”ことしかなく、そこに新たな英知が生まれる。

私はこれまでリハビリテーションという概念をもって障害者に正面から向き合ってきた。
これからは日本人すべてがリハビリの本質つまり
(0.障害を無くすために全力を注いだうえで、)
1.障害を受け入れ、(医学的損傷)
2.その不自由さを明確にし、(機能的損傷)
3.克服する術を開発し、
4.偏見(風評被害)をなくし、(ハンディキャップ)
5.最後に『原子力被災者』という現実を残し、
6.(しっかり意見を持って生きていく)
ということに尽きる。

甘い感情や思わせぶりな情報が充満している。
扇動するつもりは毛頭ないし本当にそうならいいが、少なくとも私の浅学な知識や経験から導き出される答えは“変化”への準備もしくは諦めである。
少なくとも諦めた人間はまだ周囲にはいない。
 

庶民であることの記録 2011年06月02日(木)

  6月に入っても寒い日々が続く北海道。
スーパークールビズって、肌寒い時から実施して徐々に身体を慣らした方がいいのか、それとも暑くなってからやった方が効果的なのか私には分からない。
そんな切実さを考えさせられる気候に早くなって欲しい。

枝豆横丁(カフェ駐車場にある私のささやかな菜園)に目をやると、前年より1週間早く枝豆が発芽している。
きっと去年よりずっと多くの放射性物質を吸収しながら育っているのだろう。
そうと知ってはいても収穫時には美味しいだろうから『おいしいね』って食べるはずだ。
それが庶民だ。
だけどこの度の天災がもたらしたうえでの原発による人災は決して忘れない。

『おいしいね』って、心から子供たちに言えるまでの数十年(数百年?数万年?)先が平和であって欲しいと祈る。

札幌周辺の自然界はどう反応しているのだろう?
そんな不安を抱きながら我が家の愛犬アモと久しぶりの原始林に出かけてみた。

入り口辺りでフクロウが木に止まり、背を向けた状態で目の前にいた。
カメラマンが6人ほど正面を向く瞬間を捉えようとしていた。

2時間ほどの長い散歩コースを終えて戻ってみたら、まだフクロウはそのまま背を向けた状態だった。
カメラマンは一人に減っていた。
夜行性だから動かなかったみたいだ。

さて、どう解釈しようか?
・目の前でフクロウに会えた現実
・カメラマン6人がじっとファインダーを覗き込んでいた現実
・2時間後カメラマンが一人になり、なおフクロウが背を向けたままそこにいる現実

状況を変える力も強い意図も無く、ただ現実を直視し、その記録を形に残そうとしているカメラマンがいた。
私は感動した。
あの最後まで同じ姿でいたカメラマンに。

見た目はしょぼく柔そうで軟弱そうなひ弱な男に見えた。
その彼が最後までいたカメラマンだった。

私たちはこれまで何を見てきたのだろう?
毎日何を見ているのだろう?

ささやかながら枝豆の成長にいろんなことを考えさせらる人間でありたいと心底思う。

シダースプレーのおかげで右往左往するダニがアモの身体に2匹這っていたがすぐに排除した。
今のところ自然界は変わりないようである。
 

私が犬と暮らすということのほんの一部 2011年05月29日(日)

  今月20日に蒔いたえだ豆横丁では地割れのような亀裂がそこここに入り、『まもなく発芽するぞ!』と土中からのエネルギーを感じさせている。

もう夜中の1時ではあるがあのエネルギーを少し分けてもらって何か書こう。

仮に我が家で次に仔犬を飼うとしたら…
よし、そのテーマですすめてみよう。

1.生後2ヶ月程度の仔犬を手に入れる。
2.じいじとバビーは全身全霊を傾け愛情を注ぎ、同時に『この子にはどのような傾向があるのか』を観察する。
3.2週間ほどでトイレのしつけを完了し、健康状態を確認しながらとにかくあちこち連れ回し人に会わせる。
4.食事は4回。遊ぶときはとことん付き合い、あまがみされるのではなく、させてやりながら痛みを教え、最終的にはその意欲を排除する。
5.睡眠はそれなりにとらせるが、どちらかと言えば『もう静かに寝かせてよ』と仔犬が言いたくなる環境を作る。
6.それでも抱っこしてあちこち連れ回し、抱っこから解放され地面に下ろされた時には、とにかく『わたしもう寝ますから…』という状況を作る。
7.他犬と遊びたいなら遊ばせるし、その間にルールも教えるが、まずは仔犬の性格を観察し続ける。大事なことは、他犬を怒らせない程度のからみであり、恐怖体験を受けない相手選びである。
8.4ヶ月頃には食事を3回にし、7ヶ月頃までに2回にする。
9.5ヶ月頃からは散歩を本格化させ、環境をいろいろ変える。見るもの聞くもの初めてのことだろうから、仔犬の反応を確かめながら次の刺激的環境を選択する。
10.散歩させると、引っ張ったりあちこち変な動きをしたりするから、この頃から“歩きのルール”を教える。
11.6〜8ヶ月頃には去勢か不妊手術を行う。
12.その頃からノーリード歩行の本格的訓練に入る。
13.他犬との関わり方、『ノー!』の意味、呼び戻し、羽目の外し方、言葉の理解、十分な心と体力の消費が一致した頃、仔犬は我が家の愛犬になる。

以降、おりこうさんになればなるほど待遇と思い入れが深くなる。
だが、思い入れが深くなると、つい見落とした面が露出することがあれば、思い上がりを露呈することがあるから、『お前は私達の犬である』ということを心を鬼にして受け入れ、相手に伝え、修正することも求められる。

14.愛犬と過ごした年月と思い出をかみ締める日々が連なる至極の時間。
この時間だけは誰にも譲れない私達との時間である。
犬と暮らす中で最も長く続く幸せな時間である。

15.病と喪失の時。
私は愛犬の理不尽な怪我や病気を放置することを決して受け入れられない。
だが命の終わりに関しては、病むこと・苦しむこと・介護の苦労すら放置できない。
だから治療には手を尽くすけど、『安楽死』は最後の砦として存在し、必要な時は躊躇しないどころか拠り所にすらなっている。
 

寒がりのわんこは秋に出産させない方がよろしい 2011年05月24日(火)

  『今夜は何書こうかな』って毎晩悩む。
日頃から感じていたことを書くこともあれば、今日のトピックを思い出したりもする。

で、『今日は』と考えていたらKが「写真撮ったんだからイタグレちゃんのこと書いてね」と言い放った。

イタグレ=イタリアングレーハウンドのことで、今日お散歩チェックの依頼があったわんこだ。
Kはその写真を貼り付け、あとはちょこちょこっとコメントを書くだけで自分のブログ欄を完成させようといつもの魂胆のようだ。

まあ、私のようにだらだら書くよりも川柳や短歌のように時にさりげなく時にズバッと言い当てるKの欄の熱心なファンではありますけれど…

さて、そのイタグレちゃん。
生後8ヶ月頃まで下界と触れ合う機会がなかったとのことで、日頃の散歩がまともにできない、との相談だった。

話を伺うと『なるほど…』と唸らせられる事情があった。

9月生まれのイタグレちゃんは、生後1年で最も大切な時期(3〜8ヶ月)を北海道の冬の中で暮らしていた。
短毛種ゆえに外に出れば震え上がり、それを案じた優しい飼い主は『室内こそがこの世』という育て方をしてしまったのだ。
同感できるが、人間で言えば中高生くらいまで外の世界に触れさせること無く育てたわけだから、『まともに散歩ができない』のは当然と言えば当然だ。

歩いてみた。
3歳にもなっているのに野生動物の不安・警戒行動である。
「あのぉ、無料お散歩チェックを引き受けたのに申し上げづらいのですが、10分程度の無料チェックよりもこのまま有料のレッスンに移ったほうがこのこのためになると思うのですが…」と私は口にした。

『無料お散歩チェックといいながら、結局はそんな手口で有料レッスンに結び付けているんだ』と勘ぐられるだろうなと、自分がイヤになった。

正直、私はもう新たなわんこたちのレッスンは引き受けたくない、と思っているのだけど…

「是非お願いします」
ご夫婦の爽やかではっきりした返事を頂いたものだから、私は吹っ切れたように細やかな説明と実技それにわんこの反応を教材にしてレッスンをすすめた。

3歳のイタグレちゃんにとってはどれほどのカルチャーショックを受けたことだろう。
取り乱すわんこに私は容赦ない制御を行い、別の世界に引き込まれようとしているイタグレちゃんをこの世界に呼び戻し続けた。

「驚きました。こんなにちゃんと歩けるこの子をはじめて見ました」と飼い主さんは喜んでくれた。

私は一度もイタグレちゃんを叱らなかった。
ただ、飛びそうになるこのわんこの意識をこの世に繋ぎとめ、『取り乱さないで!一緒だよ、ここに一緒にいるんだよ!』と制御の中で伝え続けた。

いみじくも飼い主が口にした言葉が私の気持ちを表している。
「酔っ払いみたいに我を無くした人間にバケツの水をぶっかけるようなことなんですね」

その通り!
どこかの歌舞伎役者のように痛めつけるのではなく、まずは相手を我に返し、そのうえで…という接し方が大切なのだ。

人間みたいな表現で説明したけど、相手は種が違うわんこ。
相手に伝わる言語で接するのが、より利口な人間のやることで、おいおい言葉が理解できるのがわんこの素晴らしいところ。

飼い主がこんな苦労しなくてもちゃんと育つわんこをブリーダーには繁殖させて欲しいのだけど、“庭に咲いた花”は特別な存在で思い入れがある。
その結果、人生が良い方向に変わる事だってある。

だからといって、『原発事故のおかげでよい人生になりました』なんて聞きたくないし言わせたくない。
ごまかしに負けないぞ!!
 

それぞれの季節感 2011年05月22日(日)

  雨も降らなかったし午後から一時的に晴れ間もあったカフェ周辺だが、今日もストーブを20度に設定し暖をとった。

昨日も書いたように北海道はこれからが最高の季節を迎える。
数年前までは、この季節をカフェで犬たちと過ごし、お利口になっていくわんこたちに喜びを感じる飼い主が多かった。
つまりカフェが夏の行楽の目的地となっていた。

でも今は違い、常連の多くは休日にはカフェを通り越してアウトドアやペット可の宿泊施設・受け入れポイントに出かける方が多くなり、それぞれの評価や経験談を聞かせていただくのが私達の楽しみになっている。

一方で、初めてご来店される方が増える季節でもある。
私は柔軟な気持ちと相手の気持ちを推し量る努力をしなければならない。

どういうことかというと、
1.各地から、ただ“ドッグカフェ”という名目で立ち寄られた方には、その愛犬がどんな振る舞いをしようが一度きりなのだから『ウェルカム』でそれなりのお迎えをすることになるし
2.『うちのわんこのことで相談があるんです』という飼い主様の真剣な想いも感じ取らなければならないのだ。

どちらも歓迎。
ただひとつ、事前の相談も無く、他犬やお客様に迷惑や危害をくわえるようなことをがあり、しかも飼い主がそのことに無頓着であれば容認しないけど…。

それともうひとつ。
恐らく日本で一番安く一般家庭向けに販売しているカフェのゼオライトの評判がいい。
ムッとした臭いが立ち込めるこれからの季節だから、わんこの排泄を庭でさせてる飼い主の方は、近隣へのマナーとして排泄場所に敷設して欲しい。
マンションなどのベランダでも活用方法がある。
詳しいことはご遠慮なく電話かファクス・メールでお問い合わせ下さい。
かなりの優れものですぞ。

犬がオシッコしたところって臭うものなの?っていう感じ。
まあ、普通にオシッコしていても微生物がちゃんと分解してくれるんですけどね…
でなきゃ、この世界臭くてたまんないはずでしょ。
今が臭いとか、お宅のわんこが排泄するから臭いって言われても、人間以外の動物も昔から排泄していたわけだし…

いずれにせよ、心強いゼオライトがある。
 

北海道。今が始まりの季節 2011年05月21日(土)

  「今日も日本全国晴れ渡り、大変暑くなりました。」

夕方のニュースを見て
「はあ?」と感じたのは私だけではあるまい。
だって今日のカフェは雨だし日中ストーブを焚いてましたから…

だから言ってるでしょ。
夏の電力供給が心配なら、『西日本への避難』じゃなく『やっぱ北海道』でしょ。

札幌では桜がほとんど散り、白梅は満開だけど紅梅はこれから満開を迎える。
チューリップがとっても綺麗で、家庭菜園の種や苗を植え始めている。
因みに我が家では昨日枝豆の種を蒔き、ミニトマトの苗を植えた。

レンギョウやコブシは盛期を過ぎ、スイセン・ムスカリがしぶとく続き、芝桜・モクレン・ライラックなどがこれから咲き誇る。

ヒバリがまだ空高く必死に鳴き、カラスがやや神経質になり、スズメはなお犬の毛を集めて巣作りし、オオジシギはデモンストレーションフライトの稽古中で、シジュウカラやセキレイがとても元気で、アオサギはいつものように悠然と飛行している。

それでいて晴れた日にはカヌーを漕ぎ出して、わんこ達が水に飛び込んでもOKなのだ。

なんて素晴らしい大地!

ちょっとややこしいが、ソフトバンクのお父さん似の北海道犬ハッチの父さんからいただいた(根曲がり)タケノコ・わらび・タランボ・フキなんかが食卓を賑わせてくれている。
アスパラがうまい!
ウニも最高!
これからますますうまいものが続々と登場する。

1年の半分を精一杯生きたものだから、残りの半分を心から楽しむ。
エネルギーは蓄えることができるから、その充電中は思いっきり蓄える。
楽しみながらだと一層うまく充電できる。

さあ、そんな季節がやって来た!
 

よからぬこと 2011年05月16日(月)

  「事故で車椅子生活になり、死ぬことばかり考えてる友人がいます。信頼できる先生(恥ずかしながら私)のところに行くように話しておきましたので、どうかよろしくお願いします」
名古屋の方からそんな電話があったのは2月だったろうか3月いや1月だったのだろうか?

この欄では相手のプライバシーも考えず日頃から好き勝手なことを書いているが、電話の翌日か数日後にカフェにやって来たTさんのことを書くことはさすがに今日まで控えていた。

その第一の理由はTさんのプライバシーではなく、最初にカフェに来た時の彼女の態度がやけに明るかったから。

私の専門は犬ともうひとつ、視覚障害リハビリテーションである。
障害の部位は違えど、それまで健常者として生活していた人間が障害者となった時の精神的打撃と喪失感に共通点はある。

これまで、私は盲導犬の訓練の中で犬の心理を学ばせてもらったし、使用者との関わりの中で複雑な人間心理を25年に渡って厳しく教えられてきた。
なかでも受障まもない視覚障害者に日常生活が滞りなく行えるようなプログラム(社会適応訓練)では、具体的な技術もさることながら心理的アプローチによってたくさんの方々に“生きる勇気”を持っていただけたと自負している。

その私が最も警戒するのが“受障者本人の明るさ”であるのだ。

その危険をうすうす感じながら“ある方”に自由に歩ける訓練を指示した結果、その方は自ら選んだ死に場所へ歩いていってしまったという悔やみきれない過去が私にはある。
訓練(かかわり)さえしなければ、死にたくても死ねる場所まで移動できない方を訓練の成果で死なせてしまったことが私にはあるのだ。

以後、妙に人が明るくなったとき私には緊張感と警戒心が芽生えるようになった。

初日のTさんの明るさに私は反応していた。
方向を間違えれば危険な状態だったと思う。
だけど話すうちに笑顔で『よからぬことばかり考えちゃうんです』と繰り返す彼女の言葉に救われてもいた。
『助けて!』という心の叫びであるのが私にははっきり分かったから。

車椅子の介助さえ知らなかった私とKにできることが次第に見えてきた。

Tさんのこと、もうしばらく勝手に書いちゃおうかな。

だけどなぁ、ここんところ私よりもKの方がTさんとコソコソ女(母娘?)同士の話をしてるんだな。
Kが書く『最新情報』と私の『北の国から』でキャッチボールってのもありかも。
 


- Web Diary ver 1.26 -