From the North Country

参ったな 2012年04月07日(土)

  午後から降り始めた大粒の牡丹雪に「あーあ」とため息ばかりの私。
「いよいよ除雪機が活躍する季節になりましたね」とホンダのTさんが冗談を言うとカフェは大爆笑となった。

夜、酔い潰れた私が目を覚ましたのは日付が変わる30分程前だった。
「アモもマロンちゃんもトイレ出したからね」とK。
その声には怒気が含まれていた。
一瞬『私に対してか?酔っぱらって何かやらかしてしまったか?』との緊張が走った。
が、「外見てごらん。」と続いたKの声は同志を気遣う口調だった。

窓を開けて外を見ると、満月に近い穏やかな夜に新雪が10数センチも降り積もっていた。

すると今度は私に怒気が走った。
「除雪してくる!」と宣言し私は外に飛び出した。

ってなわけで、4月も7日になる夜にガロアラシ号と私は怒りを込めて除雪作業を始めた。
雪と共にガーデンに敷き詰められたゼオライトがガラガラと音を立てて飛ばされているのが悲しかった。

今年の春は本当に遠いようだ。
 

7日、土曜日に向けて 2012年04月06日(金)

  この時期にも降り続ける雪。
呆れちゃいますね。

4月なのに原始林を平気で散策でき、アモは森の中に分け入っても沈まないことに喜びを感じていた。
いつもとは違う今年の春である。

降雪量は少なかったのにいつまでも雪が解けない寒い冬で、おまけに4月に入っても雪が降り続いた年だったと総括できよう。

先日の爆弾低気圧で原始林では倒木があちこちに見られ、常緑樹のトドマツの枝が叩き落されていた。
一方、大木の根元では同じく常緑のエゾユズリハやハイイヌガヤが姿を現し、春は間違いなく傍らにあった。

アモでも追いつけるタヌキがひょっこり姿を現し、斜面の中腹ではキツネがお昼寝していた。

カフェのガーデンは2週間遅れの春でも自然界にはそんなカレンダーはなく、気温に応じた正直な姿を示していたように思う。

そんな長引いた冬もどうやら明日で終わるらしい。
それを受けてガーデン開きは、次の日曜ではなく数日遅れる模様であります。

思いっきり遊べる状況では到底ありませんが、排泄場所くらいは確保したいと考えております。
 

ガーデン情報2012/4月3日 2012年04月03日(火)

  大雨ですね。
ガーデンも大雨です。
せっかく乾き始めた場所が僅かにあったなんてみみっちいことは考えてもいません。

しこたま降ってそこら中の雪を融かし、町中をきれいに洗い流してほしい。
明日4日のカフェコンディションは絶望だけど、見ものですぞ!
駐車場からお店に辿り着くまでが大変だろうし、その後が『どうにもならん』状況だと思われます。

『カフェに来ない方がいいですよ』という意味ではない。
『一緒に季節の変化を感じましょう』というお誘いのつもりである。

うまくいって8日辺りにガーデン開きができればいいなと期待している。
 

エイプリル2012 2012年04月01日(日)

  夜になって冬の残党が吹き荒れたおかげで、液状化していたガーデンが凍りつき、積もった雪が辺り一面を綺麗にしてくれた。

日中はオシッコをするにも爪先立ってぬかるまない場所を探していたお泊り犬/柴太郎が、『えっ!』という顔をして嬉しそうに夜のガーデンを走り回った。

♪ええこと ええこと おーもいついた!
チコタン チコタン エビすき ゆうた
チコタン チコタン カニすき ゆうた
チコタン チコタン タコすき ゆうた
そんなら そんなら チコタンすきな
エビ カニ タコだけ 売ったらええねん
ほんまに ええこと おーもいついた!
ヤッホー ヤッホー ヤッホー!!♪

そうや! ガーデンがぬかるむこの時期は 
凍った夜に カフェの営業をしたらええねん!
そしたら みんな おもいっきり遊べる
ほんまに ええこと おーもいついた!

というわけで、4月1日のカフェは夜間営業のみとさせていただきます。

さて今日、私の中のタイムマシンが動いた。
昔『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』という番組があったのをご存じだろうか?
その番組の何本かに私も登場していた。

ムツさんの牧場にいた黒ラブが子供を産んだのだが『盲導犬になるなら協力したい』という申し出があり、嬉々として浜中町の牧場に出かけた私は、仔犬たちの適性評価をしたうえで、後にレミーと名付けられた犬を訓練し盲導犬に育て上げた。

レミーを盲導犬として活用したのはムツさんの牧場からほど近い別海町のHさんだった。

『子供の面倒をみなきゃならないから』という切実な事情もあって、当時盲導犬を取得するために必要な札幌での4週間の“共同訓練”を夏休みを利用して小4の子供(圭輔くん)も一緒に寝泊まりして行った。

Hさんには娘の和美もいたが、彼女は家に残り視覚障害のお父さんと留守を守った。
レミーは別海町の人々に見守られながら、以後Hさんの盲導犬として活躍した。

「別海のHです」
今日、笑顔を見せながら和美夫妻がカフェにやってきた。
驚いた私だったが不思議なことに当時の記憶が鮮明に蘇り『これが年寄りがいつも同じことを繰り返し話す“記憶”という奴なのか』という現象を体験した。

当時小4の圭輔は30になったという。和美だって私の記憶にある少女ではなかったが、面影は間違いなく和美である。
20年前の記憶が今日蘇った。

Hさんと直接会っていたなら『よう、久しぶり!』で済んだ話なのに、その子供の和美が旦那を連れた大人になって会ったものだから時の流れを随分と感じさせられた今日だった。

で、こっちの話は4月のウソ(エイプリルフール)ではないのでお間違えなく。
 

ガーデン情報、とりわけ馴染のお客様へ 2012年03月30日(金)

  残念ですがガーデンは使用不能状態となっております。

この二日間の暖気で雪解けが一気に進み、ガーデンは使用できません。
排泄だけなら一部可能かと思われます。
早期回復のため排泄以外のご利用はお控えください。
ご協力をお願い申し上げます。

雪が解けた後も凍土が解け、水が引くまでしばらくかかりますので逐次コンディションをお知らせいたします。

なお駐車場は意外とまずまずの状況で利用は十分可能です。
ご了承のうえご来店ください。
 

2012。今年は遅い春になりそうだ 2012年03月26日(月)

  先週一気に進むかと思われた雪解けは、週末の雪でチャラになり冬景色に戻ってしまった。
ガーデン液状化は例年より2週間ほど遅くなるのだろうか?

春が楽しみだし夏だって待ち遠しいと今は思うけど、いざそうなれば、我が家の愛犬アモにとってはダニの心配があり、私にしてみればヘビとスズメバチを恐れる季節になり、クマの心配をしながら山に入ることになる。
何より暑いのは勤労意欲と理性を保つのが難しくなるから好きじゃない。

だからと言って冬は寒くて雪が降るから除雪もしなきゃならないし、滑って転ばないよう気も使わなきゃならず、ドライブに出かけるのも命がけで生活自体が大変だ。

暖かいとキャンプにも行けるし美味しいものがたくさん食べられる。
でも冬は森に入っても夏のように草木が鬱蒼としてないから何処までも見通せるし道なき道を歩く楽しみがあり、何といってもわんこが汚れないのがいい。

ああ、どっちだ?どっちの季節がいい?

『皆それぞれに…いえローマです』なんて風に言えるロマンスと危険はどちらにもありそうだ。
冬のさ中は夏が恋しく、夏になれば雪が恋しい“欲長けた人間”の永遠のテーマであろう。

だから今の時期は春が恋しい。
日付が変わる今しがたガーデンに出ると雪が降っていた。
あな恨めしや。
 

イヌと触れ合うことが犬を育てる原点 2012年03月21日(水)

  24日(土)は臨時休業いたします。

さて、いつもわんこのしつけのことでやかましいことを言う私だが、原点をご存じでない方がこの欄を読まれ混乱されたら申し訳ないので補足しておこう。

1.外飼いのわんこ
これはもう日本人の伝統である本来の犬の飼い方だから私からはほぼ何も言うことはない。
番犬であり家族の癒し犬であり猟犬だったりもしよう。

住んでる環境によっては『ほれ、散歩に行ってこい』と鎖を外されて、ひとしきり飼い主にじゃれついた後、どっかで勝手に排泄を済ませ、日がな自由に獲物を追ったり冒険を楽しみ、家族の誰かが帰宅する頃や自分の晩飯の時間には犬小屋近くに戻るという原風景には今でも自然と笑顔がこぼれる。

ただ、都会や住宅街で暮らす外犬の飼い主さんには一言言いたいことがある。
与えるべきものを与えてますか?と。
ふれあい・散歩・身体のケアが最低条件かな?

近くに外飼いの黒ラブがいる。
狭い箱に入れられ、少なくとも私は散歩している姿を見たことがない。西向きで夏は直射日光が当たるから最近ようやく夏場に移動されることもあるようになった。
日中飼い主はいないのか、夕方になると排泄か食事かふれあいを求めてか吠え続けている。

辛い気持ちになるけどあの犬は脳が解発されていないイヌだから悲しむことなく自分を懸命に生きているはずだ。
私は知らないけど『家族と触れ合ってる楽しい時がきっとあるんだろうな』と願わずにはいられない。

ただ、あれが人の子なら迷わず児童相談所に通報すると思う。
外飼いの街イヌにはもうちょっと待遇改善を望みたい。

2.子供がいる家庭のわんこ
はしゃぎまわる子供とわんこを前に「レッスンをお願いします」という依頼を受けることがある。
犬にはそれなりの社会性を持たせるレッスン(情操教育)を数回行った後、飼い主さんには「もう、これでいいでしょう。まともな訓練なんて無用です。いくら訓練しても子供たちが台無しにしてしまいますし、それでいいんですよ。子供たちと暮らせばいいんです。きっと子供たちの記憶に残り続けるでしょう。もちろんいい思い出として」
本当にそう思うし、社会に迷惑をかけ子供に経験させればいい。この世は人間社会なのだから。

子供がいる家庭では難しいこと考えずにわんこを飼うことをお勧めします。
理由は二つ
1.子供の冒険心と情操教育を培うため
2.『こら!何やってんだ!』と子供を守るためにわんこをしつける必死な形相の親の姿を子供の脳裏に焼き付けるため

学習塾に通うより立派な人間教育ができますよ。
そのわんこはカフェに来れるようなわんこではないにしても…
私もそうして大人になり、今ではわんこまみれの世界で幸せに暮らしております。
 

原始の森で 2012年03月17日(土)

  わずか6回の月刊誌オトンへの投稿だったのになかなか書けなくて気持ちの上で余裕がなくなってしまった。
今夜、最後の第1稿を書き終え『あとは野となれ山となれ』という安堵感がある。

好き勝手にこの欄を書いている方がずっと楽しいってことが分かった半年間だった。
そんなことが分かっただけでも…といういい経験でした。

さて、昨日ダルメシアン/ビート君の雪中行軍第1回を実施した私だったが、今日はいつものリラックス気分で原始の森へアモと出かけてきた。

『これがたまらん』と雪の上で何度も転げまわるアモの姿に癒されていた頃、前方の木陰の向こうに人影を発見。
何事もないようにリードを付けようとした私だったけど、『あの姿と雰囲気はもしかして?』と目を凝らした。

とっても意外だったけど、やはりチワワのココアちゃんと母娘さんだった。
雪中行軍ならぬ冬の終わりの散策を愛犬と楽しんでおられたようだ。
去年の秋、偶然レクの森で出会い、戸惑う中でノーリードでの接し方を教えながら散歩したのだが、それが気に入ったらしい。

最高のコンディションの中、チワワと飼い主さんが普通に森の中を散策できるっていいですよね。

すれ違う相手を先に発見し、即座に対応できるしつけができていなければこんなことはできない。
暮らしやすい家庭犬の何たるかが分かる勇気あるチャレンジである。

散歩中に出会うわんこと飼い主たちもみんなあんな風であればいいのにな、と原始の森で思った。
 

あれから1年の3.11 2012年03月11日(日)

  あの日を含めしばらくはテレビや新聞に釘付けになり、ニュースをむさぼった。
私にできる支援は限られたが、それでも小さな支援を重ねた。

だが、気持ちとは裏腹にテレビを見ると次第に吐き気を催すようになった。
同じCMの洪水に押しつぶされそうになった。
被災地の人たちはさらに『ガンバレ!』と毎日何百回も聞かされているのに、と自分を責め続けた。
マスコミや政治家は口先では非常事態下での団結を言ったが、実際は菅総理と政府をののしり、(正しかったかどうかは後に検証されることを覚悟の上で)良心のもとで行動しようとした人々に足かせをし、その裾を踏んづけていた。

だから本当にあの頃私は、良心が人を傷つけ、人が人をけなすテレビを見て吐くようになった。

1年が経ち『回復できたかな?』と思ってはいたのに、3.11が近づいてからまたテレビのニュースが見れなくなった。

今日のカフェ。
「叱り方を教えて欲しいって言うけど、どんな叱り方を教えたにしてもこの子をあなたが制御するのは無理です。だってお互いの関係の構築ができていないのだから」と私は手厳しく言った。
するとトイプー(7カ月)の飼い主さんの母娘のお母さんが「この娘は甘いんですよ」と同意し、娘さんはしみじみと言った。
「私、犬にも人にも本気で怒れないんです。姉とは8歳も離れているから喧嘩をしたこともないし…」
その言葉の優しさが私の脳を突き抜けた。

「いつまでも人に優しくあり続けてください。でも犬には…」というところで私は言葉を飲み、話を続けた。
「いい、それでいい。大丈夫、犬にも優しくしていいよ。この子はまだ7カ月。ちゃんと私が教えてあげるから」と無責任な言葉を吐いてしまったが後悔はしていない。
そのかわり底抜けに優しい人間になってください。

大勢の方が亡くなったのは間違いなく大震災による大津波のせいである。
だが、今なおがれきの山が高く積まれ、復興に至らないのは紛れもなく私たちが結果的に容認してきた原発による放射性物質のせいである。

“脱原発”
これを実行しようとすれば、いろんな人や組織と闘わなくてはなりません。
私たちの生活にも大きな変化が求められるでしょう。
難しいことは分かっているし、争いが好きなわけでもありません。
でも、この大震災で亡くなり遺された多くの人々の想いを受け継ぐのが生き延びた私たちの使命とするなら、私たちが進むべき方向はクリアーなはず。

大丈夫。共感する私みたいな人々が泥臭く頑張るから、人に優しい心を持っている人々はその心に自信をもって大事に育ててください。
それがまた力になるんですよ。だって原点だから。

あの日とその後すべての人と生き物のご冥福をお祈り申し上げます。
アーメン/合掌/黙祷
 

市営プール 2012年03月09日(金)

  ぎっくり腰の前兆というような生易しい状況ではなく、腰全体が痛くてコルセットで防御する日々を2日過ごしていたら、Kが「プール行くよ。絶対プール行く!」と騒ぎ出した。
Kが騒ぎ出した時は『何人(なんびと)も逆らってはならない』という法則を知っている私は、昨日黙ってKとプールへ出かけた。

実に10年ぶりである。
なぜか財布の小物入れに残っていた10年前の利用券2枚を差し出し「これ、まだ使えますか?」と低姿勢で伺うと「大丈夫です」と窓口の女性は判を捺してくれた。
印刷のほとんどはかすれて消えていたのに…

気をよくした私は50円のロッカーに着替えを入れてプールサイドに出た。
予洗いのシャワーの暖かいことに驚き、おばさんばかりがいるプールにちょっと緊張した。

10年ぶりのプールでの水泳だったが、まるで羊水に浸る赤ん坊のように懐かしく私は泳いだ。
「ビックリするほどお腹がへこんでたよ!」
平泳ぎで泳ぐ私の横をクロールで通り過ぎたKが褒めてくれた。

100メートルを数回平泳ぎで泳いだ後、リラックスしたかった私の身体が自然と背泳の姿勢に変わった。
でも正確には背泳ではなく“ヘソを天に向け”でプカプカ漂っている状態であった。
試しに足を動かすと結構なスピードで背泳になっていた。

思わず私は想像してしまった。
ぷっくりと出た私のお腹が浮きになって浮いているだけで、その姿を端から見ればまるでラッコのように見えたに違いないと…

そしたら笑いが止まらなくなった。
プールの中央で私はKに向かって笑い始め、ラッコのマネをしようとお腹のあたりで貝を割るしぐさをしたら沈んでしまう、そんなことを繰り返した。

「周りの人が笑ってたよ」と後になってKが教えてくれた。
それほど楽しく私には可笑しかった。
だって沈まないんですよ。私の身体。

平泳ぎならいつまでも泳いでいられる。
中学の時、5000メートル泳ぐことが疲れの問題ではなく、プールの閉鎖時間の問題だったし、背泳を含めれば今だって胎児のように生活空間と受け入れられる。

水中で水にまみれた時、私の身体は自由になった。

震災の時、波に飲まれた人たちは次から次へと押し寄せる障害物に押しつぶされたんでしょうね。

泳げると思うことの無力さを10年ぶりのプールで感じていた。
明後日あの日から1年を迎える。
 


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