From the North Country

市営プール 2012年03月09日(金)

  ぎっくり腰の前兆というような生易しい状況ではなく、腰全体が痛くてコルセットで防御する日々を2日過ごしていたら、Kが「プール行くよ。絶対プール行く!」と騒ぎ出した。
Kが騒ぎ出した時は『何人(なんびと)も逆らってはならない』という法則を知っている私は、昨日黙ってKとプールへ出かけた。

実に10年ぶりである。
なぜか財布の小物入れに残っていた10年前の利用券2枚を差し出し「これ、まだ使えますか?」と低姿勢で伺うと「大丈夫です」と窓口の女性は判を捺してくれた。
印刷のほとんどはかすれて消えていたのに…

気をよくした私は50円のロッカーに着替えを入れてプールサイドに出た。
予洗いのシャワーの暖かいことに驚き、おばさんばかりがいるプールにちょっと緊張した。

10年ぶりのプールでの水泳だったが、まるで羊水に浸る赤ん坊のように懐かしく私は泳いだ。
「ビックリするほどお腹がへこんでたよ!」
平泳ぎで泳ぐ私の横をクロールで通り過ぎたKが褒めてくれた。

100メートルを数回平泳ぎで泳いだ後、リラックスしたかった私の身体が自然と背泳の姿勢に変わった。
でも正確には背泳ではなく“ヘソを天に向け”でプカプカ漂っている状態であった。
試しに足を動かすと結構なスピードで背泳になっていた。

思わず私は想像してしまった。
ぷっくりと出た私のお腹が浮きになって浮いているだけで、その姿を端から見ればまるでラッコのように見えたに違いないと…

そしたら笑いが止まらなくなった。
プールの中央で私はKに向かって笑い始め、ラッコのマネをしようとお腹のあたりで貝を割るしぐさをしたら沈んでしまう、そんなことを繰り返した。

「周りの人が笑ってたよ」と後になってKが教えてくれた。
それほど楽しく私には可笑しかった。
だって沈まないんですよ。私の身体。

平泳ぎならいつまでも泳いでいられる。
中学の時、5000メートル泳ぐことが疲れの問題ではなく、プールの閉鎖時間の問題だったし、背泳を含めれば今だって胎児のように生活空間と受け入れられる。

水中で水にまみれた時、私の身体は自由になった。

震災の時、波に飲まれた人たちは次から次へと押し寄せる障害物に押しつぶされたんでしょうね。

泳げると思うことの無力さを10年ぶりのプールで感じていた。
明後日あの日から1年を迎える。
 

最初の1年と自律 2012年03月06日(火)

  大人げない話だし経営者として不適格だが自分の想いを抑えきれず、今日(も?)お客さんに説教してしまった。

「4カ月の仔犬になに命令ばっかりしてるの!」
お相手はロットワイラーの飼い主さんである。

自宅に侵入したコソ泥を床に組み伏せ、飼い主が帰宅するまで“ステイ”させるなど勇ましい逸話が豊富な犬種だから、飼い主さんなりに『しっかりしつけておかなければ、問題犬になったらエライことになる』と思われていたに違いない。

『ドーベルマンいますか?じゃあ9頭ください』
コマーシャルに使われているあの類の印象である。

カフェ内で「スワレ!お座り!ダメ、ダメ!」を繰り返し、ガーデンでも同じような光景が私の目に入った。

思い余ってガーデンに出た私は「命令魔になっちゃいかん。スワレやフセなんていつでも教えられるんですよ。でも4カ月の子供の時間は今しかないんです。『お前が大好き!一緒に楽しく暮らそうね』って伝え、『いろんなことを経験させてあげるね』って接すればいいんです。『人間大好き!』って思え信頼しあえる情操教育が大切な時期なんです。」と熱弁をふるった。

飼い主さんは素直だった。
「わかりました。ありがとうございます。」と応じてくれた。

なのに私はまだしつこく忠告を与え続けた。
「ボールを投げて戻って来た時に、すぐに口から取り上げちゃだめだ。体をタッチして『いいねぇ』って一緒に喜ぶの。すぐ取り上げたら意地悪されたと思って戻らなくなったり、『う”−』って唸るのを誘発する訓練をしてるようなものなんだよ」

「だけどね、このわんこ人の靴に噛みつく癖があるよね。そんな時はそのまま蹴り上げてぶっ飛ばせばいいの。後でどうにでも教えられる命令はせず、ダメなことだけ『それはダメ』と分からせるの。最初の1年は愛情と経験とダメはダメを教える時期なんですよ」

「ありがとうございます」と素直な飼い主さん。

またわんこ育ての極意を無料で演じてしまった私。
4カ月で15キロのロットワイラーを膝に抱き、幸せ感を代償とさせていただきました。

そうそう、どんな大型犬の仔犬でも抱っこするのはいいことですよ。
『もう無理』って思えるまで抱っこして日がな連れまわしてあげなさい。

ただし溺愛人間(バカ飼い主)はご用心を。
飼い主によじ登るイヌとそれを喜びにするヒトを見る度、そのイヌの不幸な将来が私には見えるのだ。
 

親バカ 2012年03月05日(月)

  お泊り犬がいない今夜、Kとふたりでいそいそと里塚温泉に出かけた。
食事を始めて間もなくすると、目覚まし以外に滅多に鳴ることのない私の携帯が鳴った。

「お父さん?R(私の長男)です。今日の“Qさま”観て。ようやくディレクターとしてすべてを演出した第1作です。」と晴れ晴れとした声だった。

長男はその番組のAD(アシスタントディレクター;分かりやすく言えば『使いっ走り』)として開始当時から長く関わっていた。

子供の頃から勉強もさせず、『釣り行くぞ。学校なんて休んじまえ!』と育てた子供である。
2歳の頃には目を離した隙に釣り餌のイソメを食べ、4歳の時には「お父さん、これ食べれるかい?」と釣れたばかりのカレイを口にしていたワイルドな子供だった。

新聞少年として学費を自分で工面し、ひとり東京へ旅立った息子だった。

その息子から「ディレクターとしての第1作だよ」と私は電話を受けたのだ。
嬉しかった。が、私たちは温泉に来たばかり。

「録画してもらおう」とKがアイデアを出した。
「そうだそうだ、それがいい!でも誰に?」と私。

まりと雄介の家庭は再生だけで録画機能はないはず。
トリマーのさおちゃんに電話するも留守のよう。
いろいろ考えた末、近くにいて私の携帯に登録してあるNさんに電話した。

「おめでとう。いいわよ。とりあえずハードディスクに録画しておきますね。そこからブルーレイとかDVDに移す方法は知らないけど、なんとかなるでしょ」ということになり、安堵した次第である。

ディレクターがどんな地位なのか詳しくは知らない。
でも数年前まで『どうぶつ奇想天外!』という番組があって、そのディレクターとは親密に付き合っていた。
番組は彼の意思で構成されていたから、相応な権限があるんだろうなぐらいには思っていた。

そのディレクターから2カ月ほど前に電話があって、「今度仕事で札幌に行くから、中旬ころに飲みませんか?」と私に予定を聞いてきた。
「いつでもいいよ」と私は答えたが、彼の話が過去数回実現したためしはない。

番組作りはちゃんとやるけど、プライベートでは調子のいい事ばかり言ってる。
ディレクターとはそんなものなのかというイメージである。
果たして我が息子はどんなディレクターになるのか?
はたまた、彼はそれ以上のプロデューサーを目指しているのか?

親バカとしては楽しみであるが、地震が起きるのが確実な東京に何故住み続けるのか?
それだけが心配である。

いつでも帰って来い。
仕事で失敗して東京に居られなくなるようになれ!
そんなことを祈っている。
また一緒に釣りに行こう。
 

しっかり研修してよ! 2012年03月03日(土)

  先日の定休日、法律で毎年義務付けられている『動物取扱責任者研修会』を受講してきた。

今回興味深かったのは、講師に札幌市消費者センターの相談員がおられたことで、『現実のペットショップにどんな苦情が寄せられているんだろう?』とある程度の予想をしながらも実情を聞けたことである。

ペット関連の相談は全体の0.3〜0.4%(昨年11月時点では28件)に当たるそうで、数件の事例を紹介されていた。

購入3日目にパルボウイルスに感染していたとか、トリミングに出したら骨折したとか、業者側の不手際については気を遣いながら慎重な態度でさらりとお話をされていた。

事例の中で印象に残ったのが“飼う側の問題”だったけど、あれは業者を前にした配慮の上の意図的な構成だったのかは別にしてちょっとだけ紹介しコメントしておこう。

1.電話注文して購入したMダックスの色が約束の希少色とは(ちょっと)違っていた…解約したい。

犬を飼うのに電話で注文するバカがいて、さらに苦情を言うとは筋金入りのバカであろう。コレクターの部類なら生き物は対象にするな!

2.生後2か月の仔犬をクレジット契約したが、ペット不可の官舎だと親に言われたので解約したい。

どんな子育てをしてきた公務員なんでしょうかねぇ。

3.イタチ(フェレットのことか?)を買ったが、1か月後に病気になり最近は凶暴になった。事前の説明がない。

事前に勉強すべきはお前の方だろ!

4.ペットホテルに3匹の犬を8日契約で預けたら、4日目に1匹が死んだ。管理状態に納得できない。

これはちょっと複雑。
多くのペットホテルや動物病院ではペットケージに入れて夜通し無人の環境で“保管”するのが普通。
日常とのギャップに耐えかねて吠え続け、不安の中で興奮しケージに顔をぶつけ、傷だらけになったり発作で死ぬことは十分考えられる。
もし、それを『大丈夫だよ』と声をかけたり『静かにしなさい!』と身近で制御する人間がいるとするなら、動物取扱業の“保管”だけでなく“訓練”という項目にも登録しなければならない。

そもそも、犬と暮らすということは『日常生活のどこかで一時的に犬を預ける可能性が高く、そのような時でも対応できる犬に育てておかなければならない』ということだ。
死んでしまった犬こそが気の毒であり、その原因が預かる側か預けた側にあるか、あるいはその両方かをシミュレーションし、日頃から『犬育て』を考えておくのは重要である。
わんこに選択肢はない。あなたの問題である。

まもなく深夜2時。
『電燈が眩しいんだよな。タバコも煙たいし。なんたってパソコンに向かいながらため息ばかりついているのがうぜーんだよ』
我が家のお泊り犬が文句を言ってるので、今夜はこれでおしまいにしよう。

お泊り犬の名誉にかけ、彼らは声にして文句を言うのではなく、寝ぼけ眼で訴えかけているということを申し添えておく。
 

専門馬鹿になるより専門外がいい 2012年02月28日(火)

  齢(よわい)を順調に重ねているのに『あれ?ちょっと変じゃないか?』と思うことがある。

年を取るとちょっとしたことで涙もろくなるはずなのに、私の場合日々の出来事を淡々と受け止め感動が少なくなっているように感じる。

そんな自分を試すかのように先週思いっきり感動の演技をしてみた。

お相手は3歳(だったかな?)のラブラドールのえびすちゃん。
物欲が強くなんでも口にして、取り上げられると思った時には飲み込んでしまうという相談を受けた曲者のわんこだ。
すでに6回ほどの歩行レッスンを週一で行い、ある程度の関係は築けていた。

飲み込まれちゃ困るので1か月以上大好きなボール遊びから遠ざけていたのだが、進度の確認のためボールを解禁した。

・50肩の不安をこらえて遠投したボールに突進するえびす。
・次にマテをかけて投げると躊躇しながらも私の指示を無視してボールに向かうえびす。
・厳しいと“感じさせる叱責”を与え、再び『マテ』と命じボールを投げると、躊躇の末自重するえびす。
・感動の賞賛(演技)を繰り出す私。
・全身で喜びを表すえびす。

さらに、「マテ」と指示してボールを投げ、マテができたらすかさず「ゴー!」と声をかけ、ボールを追うそのさ中に再び「マテ!」を命ずる。

数回を試みるうちルールを理解したえびすは難なく私の指示に従うようになった。

そうそれでいいんだ、えらいね、凄いね、うれしいよ、と心底思え“感動”を与える私だったが、思えばそれもまた演技の一環である。

専門分野で生きる人間の笑顔は必ずしも結果オーライではなく、そのプロセスに確信が持てるものでなければならない。
つまり私はわんこが専門だからレッスンにおいて心底感動することはなく、常に疑いを持って“次のステップ”を目指してしまう習性が身についている。
だから、わんこの世界で涙もろくはなれない人間なのだ。

導き出されたいい加減な結論。
1.現役であることの強さ
2.退役するとボケやすくなる理由
3.専門外では涙もろくなれるかも(孫ができたりしたら…)

『ナガサキに来る幼児はしつけもちゃんとされるよね』とか『うちの息子はここで教育されたんですよ』という言葉を聞くことがあるが、あの言葉には寿命が縮まる思いがする。

私だって将来の孫に『じーじ』って言われて目尻を下げたいし、這った立ったで涙もろくなる自分が本当に存在するのか見届けたい気持ちがある。
そのためには専門外である必要があるのだ。
年寄りに余計なプレッシャーは与えないでいただきたい。
 

動物取扱業を更新できました 2012年02月22日(水)

  仕事として動物を扱うには『動物取扱業の申請及び登録』が義務付けられている。(里親斡旋などボランティア的な行為も含む)

項目として・販売・保管・貸出・訓練・展示というように分類されるが、そのいずれかあるいは重複した形で行うならそれぞれにおいて書面で申請を行い、立ち入り検査を受けて登録が許可されることになる。
因みに1項目につき10,500円/5年の登録料がかかる。

我が家では動物取扱業でいうところの“保管”と“訓練”を登録してある。
保管はペットホテルと愛犬の美容室が該当し、訓練はお散歩チェックやレッスンが対象となっている。
また、これには動物取扱責任者というある種の資格が必要とされる。
すなわち、5年以上の実務経験であったり、適切な教育機関で教育を受けていたり、訓練士などの資格を得てる人材が配置されているかが問われる。

で、我が家のカフェ。
先日5年目の登録更新を受け、立ち入り検査が行われた。
といっても、我が家ではお泊り犬は居間で一緒に暮らしているのだし、私は責任者としての資格も満たしているからすんなり終わった。

最後に検査官がアドバイスしてくれた。
「きっちりなさっているのはよく分かりました。毎日掃除もされているようですね。でも、美容室など掃除をしたという記録を残しておかれた方がいいと思います。何かあった時に大切ですから、是非なさってください。」

スーパーのトイレなんかにある『何時何分に誰それが掃除しました。押印』という形式を求められた。
「そうですね。わかりました。」と私は応じた。

その記録の代わりなるかどうかは分からないけど、カフェでは毎日9時半以前から掃除と必要なら消毒が行われ、毎週土曜日には9時から掃除の後、消毒作業がオープン以来9年にわたり繰り返されていることを記しておこう。
現実がどうだったのかはスタッフがいつでも証言してくれるだろう。

ただ、将来への不安が一つある。
お泊りわんこが“受動喫煙する虐待を受けていませんか?”と問われるような時代になったら、私は保管業を返上しなければならないと考えている。
そんときゃ、潔く…どっちをやめる?
 

2012、冬 2012年02月17日(金)

  毎朝同じソファに座り新聞を読むが、最近は窓から差し込む朝日がより東寄りに移動しているものだから、眩しくてカーテンを半分閉じたりしなければならなくなった。
季節は着実に春に向かっているようだ。

ただ、今年の冬はとにかく寒く、これは現在も継続中であり、加えて岩見沢方面では家が埋まるほどの豪雪となっていることを記録しておかねばなるまい。
ヨーロッパも大寒波で、どこかで異常気象が起こるのがもはや日常となっている。

カフェ周辺はと言えば、最低気温がマイナス15度前後が日常となったものの、いわゆるドカ雪がまだ一度もないのが逆に心配で、あと1か月半の間に帳尻を合わせられたとしたらえらいことになる。
まだまだ油断できない今年の冬だ。

ところで4月で11歳になる我が家の愛犬アモは、今日も食欲旺盛、いつものようにアフター5と定休日は生き生きしている。
昨日は原始林を散策、今日は手近な平岡梅林公園で雪と戯れた。

私が遠くを指さすとその先に視線をやり、キタキツネを見つけて尾を振る。
「行け!」と煽ると、今では急な雪の土手を1メートルも登れないが威嚇するには十分なようでキタキツネは姿を隠す。
運動能力は衰えたものの好奇心は健在で、反応してくれてるだけで私は満足している。もちろんアモは一声も発することはなくただ楽しんでいるだけ。

これなら今年の夏もキャンプに行けそうだ。
 

しあわせなカフェ 2012年02月12日(日)

  カフェのスタッフどもめ!
みんな好き勝手なことをやってやがる。

お客さんから「凄ーい、綺麗、サプライズ、美味しい!」って言われて調子に乗り、セットメニューのサラダがいつの間にかこ洒落た前菜へと変わっている。

ケーキメニューも本来なら洒落た器で運ばれるのに、豆乳プリンが時々特注のどでかい釜飯のどんぶりに盛られているし、しかもその器がお客様持参ってどういうこと?

トリマーのさおちゃんがカットしてるのは利益の出るわんこじゃなくて、お客様のバッグについてるぼんぼりだったりもして、『凄い!』ってみんなが驚く姿が面白い。

そして今夜、「これ焼いたの、明日のセットメニューのデザートにしようと思って」とKが試食させてくれたケーキの旨いこと。
「おい、セットのデザートだろう。いくらかけてんのよ」と、詰問したくなるほどの出来栄えだったが、「チョコレートは私の自腹だから」とKはにべもなく言う。

一体このカフェはどうなっていくのだろう?

1時間ほどわんこ育ての相談に応じた私は、スタッフから「レッスンですか?」と問われ、「いや、話だけ」って無料の反応をしてしまっているし…

こんなんでいいのだろうか?
先行きが心配になる私を尻目に、アモはソファで夢を見ながら尾を振っている。
みんな幸せそうだな。
 

いじわるって何? 2012年02月11日(土)

  “いじわる”最近してますか?

近頃の意地悪ときたら、気心の知れあった同士のつっこみ程度でしかない。
『まあまあ、なあなあ』レベルで、最後は笑いで終わる。
世の中円満第一というのも分かるけど、それじゃ発展はないでしょ。

直に『悔しーい!』って思わせるのは反感も買うし大人げなくて、じんわり気づかせるのが成熟した社会となり久しい。

人々は争いを悪と捉え、配慮に優れ、感情を抑制するようになった。
毒舌は芸能人に任せ、言葉を滑らせた芸能人は排除され、言わせた庶民は納得する。

だが、今の政治の世界では意地悪が主流となっている。
与党時代に受けた意地悪をそのまま返す野党。
意地悪の仕返しを受けた与党は自分たちがやってきたことだから正面切って跳ね返すわけにもいかない。

いじわるは繰り返すことで結局はわが身に戻ることを今の政治は教えてくれ、じゃあどうすればいいかも考えさせてくれている。

いじわるって何?
必要なこと?不必要なこと?

我が家の愛犬アモは意地悪をされたことなく育てられたものだから、人を疑うことを知らない。
それっていいこと悪いこと?

少なくとも私たち夫婦はその気持ちを裏切らないでおこうと接しているのだが、アモは現実をちゃんと見ているようで“寛大”という言葉の意味を深く深く考えさせられている。

複雑なことを知らないアモは『今一緒に生きているんだよね。』と表現し、私は他者に対するいじわるを考えてしまっている。
ああやだやだ。私は犬に否アモになりたい。
 

しあわせのパン 2012年02月10日(金)

  最高気温がマイナス7度の今日、鼻風邪を押して原始林に出かけてみた。
歩くスキーを楽しむ人々がこの時期は多いのだが、さすが健康志向の方だけあって昼時は駐車場以外ほとんど誰にも出会うことがない。

朝、Kとふたりで『しあわせのパン』の映画鑑賞に出かけ、留守を任された我が家の愛犬アモは午前中の退屈の憂さを晴らすがごとく嬉しそうに雪の中を転げまわる。

ああいう姿を見せられると脳内のドーパミンが分泌され、冬景色の森林を歩く喜びと相まって“やめられなくなって”しまう。

つまり私はアモを原始林に連れて行ってあげてるのではなく、一緒に行くという行動によってそこで快感を得ているのだ。
快の行動は繰り返される。
スキナーだったかワトソン博士だったかもう忘れてしまいそうな老いた記憶になるが、人間もまた行動心理学の一員である。

だが、人間だからより複雑な行動心理が働く。
ノーリードは条例違反である⇒誰かに見られて不快にさせてはマズい⇒誰かより先に誰かを発見しオンリードにする⇒必然的に即座の呼び戻しが必要になる⇒そんな理由はアモには分からない⇒

そんな時、快を伴って呼び戻すだけなら、誰かを発見した時に合図をしおやつを与えれば犬は飼い主のところに戻ってくる。

ここで重要なのが誰かを発見した興奮とおやつの快のどちらか勝るとかということだ。
おやつが勝れば犬は戻るし興奮が勝れば制御不能となる。
特別なおやつを見せてより巨大な誘惑に対抗する方法が考えられるがいずれ行き詰る。

つまりはどこかで『ノー』であったり『ダメ・イケナイ』を示す必要があり、自制心と優しさを育てる必然性が生まれてくる。
犬はそれに応えうる動物である。

風邪薬の代わりにアルコールがいつもより多くなっているのに書いてしまっているから今夜の欄はより疑りながら読んでくださいよ。

で、我が家の愛犬アモは私の先30メートルを歩いているのですが、誰かを発見すると『父ちゃん、誰か来たよ。』と振り返って私に教え、のんびりとしたスピードで戻ってくるのであります。

おやつもダメもかつては知っていたアモであるが、今はそんなことに関係なく自然に振る舞っている。
『はいはい、分かってますよ。』と。

育て方や暮らし方は人それぞれだろうけど、最後に感じるのは私たちの方がわんこに育てられていたんじゃないかということ。

忍耐と観察・学習能力。
彼らの特技と言っていい。
そこに加わった繋がりの結晶であるアモのおかげで私たちは『しあわせのパン』にも増した幸せな生活を過ごさせていただいているし、夏のキャンプでは映画以上に素敵な洞爺湖を見せてもらっている。
 


- Web Diary ver 1.26 -