From the North Country

もう、充分にわかってるよ。 2011年03月22日(火)

  朝、テレビをつけた途端、繰り返し吐き気がし実際に吐いた。
♪ぽぽぽぽ〜ん♪
例の一連のコマーシャルが流れたからだ。

既に本人なりに一生懸命頑張っている人に対し『頑張れよ!』の言葉をかけ続けることの“罪”が実感された瞬間だった。
最初は爽やかだと感じていたのに、こうも繰り返し押し付けられることで『人は潜在的に発病する』ということを体験した。

戦中の人々に“ラヂオを消す”という行為はあったのだろうか?
たぶんなかったと思う。
軍歌のバラエティーは今より多彩だったし、もっと戦意高揚・国威発揚の手腕は優れていたから。
なのに私は音声を消去し自らの正気を保つ工夫をしなければならなかった。

非国民と呼ばれようが、ともあれ、このような症状があったことを正直に記録しておこう。

『こだまでしょうか?いいえ誰でも』

被災地の方々が見過ぎないことを祈る。
何故自分が生かされたのかを考えすぎて自分を責めないで欲しいと願う。
せっかくの詩を台無しにしているようで切ない。
 

風太逝く 2011年03月19日(土)

  20時を過ぎた頃、シャワーを浴びようと居間から歩き出すと『電話が来るぞ』と虫の知らせ。
チラッと電話の方を見ながら『どうせ秋田の力(私の友人)からだろう』と風呂に向かったときに電話が鳴った。

「今日、風太が…」
Kさんからその言葉を聞いた途端、しばらく私は嗚咽が止まらなくなった。
風太の状況は聞いており、先週の段階で『風太ありがとう。君はいい両親と巡り会ったね。最高の人生だっただろ。』と、心の中でお別れは済ませていた。

なのに涙が止まらなかったのは、きっと大震災のこともあったから堰き止めていたものが一緒になって流れ出てしまったのだろう。

気がつくと電話の向こうでは今月の9日に自らの心臓手術を受けたKさんが、気丈に感謝の言葉を述べておられた。
「本当にありがとうございました。お陰様でいい仲間とめぐり合い、風太と共に楽しい年月を過ごさせていただきました。」
その言葉は感謝に溢れていた。

電話がかかってくることを虫の知らせで聞いた私である。
気丈に話す電話の主に
「ねえ、Kさん。心臓は大丈夫かい?本当に大丈夫かい?」と繰り返した。
私は自分の声でそう何度も何度も尋ねたけど、あれはきっと風太が知りたくて私に言わせた言葉であったに違いないと思っている。

風太。
このとおり君の父さんと母さんは大丈夫だよ。
もうちょっと時間が経てばなんとかなる。
だけど、ひとつお願いがあるんだ。
そう長くない時期に、心がまだ落ち着かない時に、できれば土曜か日曜に、君の両親をカフェに連れてきてくれないかな。
何にもできないけど何かができる気がするし、何もできないけど自分達が君の死を受け入れられるかもしれないでしょ。

みんな、死んでからだって結構忙しいんだから。

今夜Kさんは風太を挟んで川の字になって寝るそうだ。
 

ご報告 2011年03月18日(金)

  3月13日に届いたメール
以下貼付け
『岩本さんですが今朝 盲導犬協会に連絡が有ったそうです…!
 まだ確認が取れていないのは、
長谷川かくこさん(釜石市)、渡辺和昭さん(山田町)、菊池ミコさん(盛岡市?)、
高橋善次さん(奥州市江刺区稲瀬)の4名です。』
以上貼付け

今日(18日)届いたメール
以下貼付け
『一人消息が確認されていなかった山田町:渡辺 和昭さんが、
親戚の家で「無事」で有ることが確認されました…!

 自宅は破壊されてしまいましたが、
「アルク」ともども無事との事でした……!

岩手県在住のユーザー全員の無事が確認出来ました……!』
以上貼付け

今日受けた電話
「長谷川さんから電話がありました。あの元気な方の声が沈んでいました。近所の方が助けてくれているので大丈夫と言ってました。ただ『もう寒くて寒くて』と声が震えていました」

今日は以上。
 

潮時 2011年03月17日(木)

  3週連続でカフェの定休日の木曜に雪が降り続いている。
これまで雪解けが進み『明後日からの3連休のガーデンは最悪のコンディションかも』なんて諦めムードがあったが、今日の雪で『3連休のコンディションは上々』と発表させていただこう。

商売をやってると様々な計算というか葛藤がある。
・いち早く春のガーデンにするために、雪を吹き飛ばした方がいいのか?
・それとも冬に溜め込んだ雪山の雪を除雪機で周囲に飛ばしながら全体が均一に解けるように工夫すべきなのか?

別の商売で例えれば、季節はずれの花や野菜・魚を市場に出した方が高値で売れるから温室や養殖での産業がこれまでの日本では伸びてきた。

だが、この度の大震災を経験して思う。
人や企業は“背伸びしてまで儲けよう”なんて思うんでないよ。
“丁度の生活”のありがたさで満たされ、それ以上の便利さを求めていたエネルギーを『ありがとうね』という言葉におきかえられるようなニッポンにしないか?

ウニにはウニの旨さの潮時がある。
春キャベツの甘さをカフェでは今月のパスタとして提供している。
その時々の美味しさを別の季節や場所ででも味わえる競争なんてやめようよ。

モナリザに会いたければルーブルに行く。
スカイツリーを見たければ東京に行く。
真の愛犬を知りたいならドッグカフェナガサキに来ればいいのだ。

単純なことを複雑に考えるから、原発の場所では混乱が生じている。
注水が必要なら注水するのは警察官や自衛隊員ではなく“安全神話を”信じている現場に居るあなた達でしょ。
他の誰がそこに入れるのですか?

『撤退は絶対に許さない』との管総理の言葉は『今後数百万人の人々が数十年に渡って被災することは受け入れられない。今、そこにいるあなたたちがなんとかしろ』との言葉であろう。

言いたくはないが、自らの潮時を考えて欲しい。

決死隊(仮に防護服無しでも現場での作業に当たる片道切符を持たされた)要因の募集があれば応募する人間はかなりに達すると思う。
なぜなら、被災死した人々以上の年間3万人に及ぶ人々が目的と希望を持てず自死しているこの国の現実があるから。
悲し過ぎやしませんか?

国民は、否、少なくとも私は既に腹を据えてますぞ。

こんな過激な私の発言の中、Kはただただ涙してじっと考え込んでいる。
きっと私は数日後反省を余儀なくされることだろう。
できるならその日を待ち望みたい。
 

諦めないで! 2011年03月16日(水)

  「Hさんとアランの安否がつかめないんです。どこにも問い合わせようが無いから長崎さんに電話しました。」

震災から5日目の昨日、アランのパピーウォーカー(仔犬時代の育ての親)Nさんから涙に咽ぶ電話がかかってきた。
アランは私が現役時代のパピー犬で、担当者だった私はNさんに様々な仔犬育てのアドバイスを提供していた。
我が家の愛犬アモはアランと同胎児、つまり同じ時に同じ母親から生まれた兄弟でもある。

1年後、アモに盲導犬の素質は無かったが、アランは盲導犬への道を歩んだ。
同じ頃、岩手県釜石市のHさんと私は連絡を取り合っていた。
彼女が盲導犬を希望していたからである。
とても前向きで明るい女性だった。

私が退職したこともあって、その後Hさんがアランという盲導犬を取得したことを私は知らなかった。

そのHさんとアランの消息がこの震災で不明となり5日が経っていた昨日の電話である。
しかも被災したHさんは釜石市在住なのだ。

『大丈夫だよ、きっと何処かの避難所にいるよ』という励ましの言葉すら5日目では空しく感じて言えなかった。

電話を切ってすぐに私は避難所の名簿を検索し、Hさんの安否を各所に問い合わせた。が、どこにもその名前は無く情報も入っていなかった。

来月で10歳を迎えるアモとアラン。
道はそれぞれ違っていたが、たくさんの愛情を受けながら育った愛犬だ。

ヤッター!
重い気持ちで過ごした時間が晴れる瞬間がとうとうやってきた。
つい先ほど(16日20時頃)Hさんとアランの無事が分かったというのだ。
Nさんから電話があった。
「生きてた!無事でしたよ!Hさんもアランも!自宅で生き延びてたそうです。近所の方たちがちゃんとお世話をしてくれていたそうです。ライフラインが繋がらず連絡もできなかったそうです」
その声は昨日とは違う歓喜の涙声だった。

Nさんは震災以来毎日、カレンダーに『Hさんとアランが無事でいますように』と祈りながら書き続けておられたという。
今夜、その言葉を書いている時に無事を知らせる連絡が入ったというのだ。

電話しながら肩を抱き合い喜ぶ感覚を経験した。

すぐに私は、私がこれまで情報提供を求めていた盲導犬ユーザーの会事務局長のYさんに電話を入れた。
「え!そうかい。よかった、よかった。」と今度はYさんが喜んでくれた。
電話なのに肩を抱き合う喜びを再び体験できた。

Hさんとアランは近所の方々に支えられながら無事に生きています。
嬉しい報告を今夜この欄で発信できることを誇りに思います。
アラン、君の体温でHさんを温めておくれ。
 

やりきれない 2011年03月13日(日)

  死んだ人がいる。
「助けて」と叫ぶ人がいる。
探す人がいる。
安否すら確認できない人がいる。
祈る我らがいる。

何がどうあっても、想いが届かない現実が目の前にある。

私たちは彼らを被災者と総称するけど、すべての人々は○○さんという個々人である。
何よりも現地の方々はその痛みを感じておられるはずだ。

だからと言って私たちは当事者にはなれないし、呆然としてもいられない。

でき得るすべてのことを冷静に考えよう。
今はなお救援・救助の時期である。
沖合いや地上のどこかで生きている人は必ずいるはずだ。
彼らを見捨ててはいけない。探そう、助けよう。

その次の復興は、日本人のお家芸だ!
世界に冠たる実績は戦後から阪神大震災に至るまで証明されている。

生きてるかもしれない人々を捜索し、涙を呑みながら希望を抱き、国民総力で復興の力を世界に示そう。

夕べからようやく携帯がたまに使えるようになった。
私が危惧している東北の盲導犬ユーザーの安否情報が把握できつつある。

各社がいろんな携帯を販売している。
だけど、ゲームやテレビ電話・その他の機能は入らない。
“非常時にでも確実に伝わる携帯電話”があれば私は迷わずその電話会社と契約するだろう。

言いたいことはそれぞれにあろうが、今は休戦。
涙する人々が欲することすべてを叶えてあげたいし、生きている人々の声を聞き漏らさずにいたい。
 

何と申しましょうか 2011年03月08日(火)

  日曜日の朝、右半身が固まった。
首から背中が痛く、下を向くのが辛かった。
『あたったのかな?』と、一瞬不安がよぎったが、しびれはなく発語にも異常は無かった。
原因を理解するのにしばらくかかったが『あ!そうか』と膝を打った瞬間、切なくなった。

先週、木金の大雪による除雪作業の疲労が二日遅れでやってきただけのことだった。
二日もかかったんじゃ、ただでさえ物忘れが多くなってる私にピンとくるはずはない。
年を取るってこういうことなんだ。

追い討ちがあった。
昨日の明け方、骨折した左手の指がずきーんと痛んで目が覚めたけど、すぐにまた浅い眠りに入り、夢を見た。
サッカーボールをドリブルしながら迫ってくる人がいる。
正対した私は腰を低くして身構え、相手が左にフェイントをかけたのを見逃さず、左足で思いっきり蹴った。

ドリブルする相手は夢だったのに、思いっきり蹴ったのだけは現実で、私は痛さのあまり悲鳴をあげ壁に穴が空いたのではないかと心配した。

手を骨折した挙句、夢で足を折ったとしたら末代までの語り草である。

その話を今日カフェでしたら「ストレスで情緒不安定になってるんじゃないですか」と宗一郎のTさんに言われ、Kからは「なんでシュートじゃなかったの」と嫌味が返る。

う゛−ん?!
 

いつもの3月の大雪 2011年03月04日(金)

  『春近し』なんて書かなきゃよかった。

この冬最高の吹雪が2日間続き、辺りはすっかり真冬に戻ってしまった。
『積雪○○センチ』って気象情報なんかでは発表しているけど、その場で生活してると???と思わざるを得ない。

だって雪が止み、晴れ間が見えたら私たちは除雪に励むでしょ。
その時点で25センチ位の雪をかき、一息入れてるとまた雪が降り始める。
また25センチ位で一旦雪が止むから除雪する。
そんな作業を二日間で5回は繰り返した。

私の中では合計1メートル以上の雪をかいたことになって、その疲れを正当化するには充分の効果があるはずである。
なのにだ!
この二日間、全く除雪せずに放置した場合、降り積もる雪はその重みで圧縮され、実際には1メートルも降ったはずなのに“30センチ弱”と公表されているのだ。

悔しくて仕方が無いし、必死で除雪し続けた住民の心を踏みにじる報道であるとしか言いようがない!

そこで提案がある。
10センチ積もるごとに一旦計測し、その後同じような手順を繰り返した結果を“降雪量”として公表していただきたい。

除雪作業をした人間は『そんなに降ったんだ。大変だったね』と認めてくれるだけで疲れが癒されるのである。
なのに現状では『あんなに頑張ったのに、それだけかい!』との不満が強く、余計に疲れてしまっているのだ。

科学的な計測は100年先の貴重な資料になるから同じ基準で続けるべきだろうが、たかがマスコミの気象情報なんだから民衆の正直な気持ちを反映させる独自の視点で報道してもらいたい。

やいや、それにしてもひっでぇー雪だったねぇ。
 

春近し 2011年03月01日(火)

  『あけおめ』から早や3ヶ月目に入った。
雪祭りも終わり、大掛かりな排雪作業も2回行われ、道路は走りやすく歩きやすい状態になっている。
ガロアラシ号が活躍するのもあと2回ほどであろうか?

この時期毎年頭を悩ますのが『ガーデンの雪山をいつ吹き飛ばすか』ということであり、それはすなわちガーデンのコンディション不良期間を決める作業となる。

思いはひとつ。
不良期間を最短にし、何処よりも早く春のガーデンにすること。

春なんて黙っててもやって来るのだから自然に任せたっていいじゃない、との思いも確かにある。
だけど、雪山を飛ばし、氷を割り、ゼオライトを投入する努力をすれば3週間程度不良期間を短縮できるのだから、やはり必要な作業であろう。

3月に入った満月の夜に…なんてわけにもいかないから、これからは週間天気予報を睨みながらの判断となる。

まあ、結局は4月末まで雪に振り回され一喜一憂する日々が続くのではあるが…
 

わんこの社会化 2011年02月24日(木)

  KKB(休肝日)は辛いけどTKB(定休日)はいいな。
このところの暖気で雪解けが一気に進んだ今日、平岡公園を散歩すると我が家の愛犬アモは雪を愛しむようにいつまでもゴロンゴロンと転げまわっていた。
見ているだけでこちらも嬉しくなってしまい、『ここの雪が解けたり汚くなったら次はレクの森いや原始林かな』などと算段を立てている。

さて、昨日の動物取扱責任者研修会。
三人の講師の話があったのだが、それぞれに興味深く聞かせていただき、年々研修会の質や中味が上がっていると感じられた。

講師のひとりがアモの主治医S先生だったのだが、これまでの講師とは一味違った見解を述べられていたのが印象的だった。

昨年までは『犬の社会化期は親兄弟と過ごすことが大切』との展開であったのに対し、S先生は『3週令から12週令の社会化期は感染症に留意しつつも、人間社会での様々な経験が必要』との趣旨の話をされたのだ。

それは私の経験上、当然と考えている内容であった。
イヌの生態を観察したいなら長く親兄弟と暮らすのがよいだろう。
しかし、イヌ社会ではなくペット社会、換言すれば家庭犬として暮らしたいのなら仔犬の社会化はイヌ社会ではなく人間社会で行うべきなのである。
さらに言うなら、仔犬の社会化期にそれだけの時間や手間をかける覚悟が飼い主に求められている。
盲導犬のパピーウォーカーがまさにそれであり、仔犬は生後7週令を過ぎて人間と暮らし始める。

よく『親兄弟と長く暮らした方が問題行動の少ない犬になる』と主張するブリーダーなんかがいるが、あれは彼らの勘違いである。
実は親兄弟と一緒にいるから良い子に育っているのではなく、親犬を含めた犬たちをしっかり管理監督しながら育てている人間がいるから、つまりイヌ社会ではなく人間社会で社会化されているから問題行動の少ない犬が育っているのだ。

同じ犬属のキツネやタヌキ、あるいは野良犬が長く親兄弟と暮らしていたなら人間社会でうまくやっていけますか?

仔犬の社会化期に手間ひまをかける余裕の無い人は、ちゃんと面倒を見ているブリーダーからある程度成長したわんこを買うのがいいだろう。

手間ひまと知識のある人は、いい親犬の元から早く仔犬をもらって育てれば格別の喜びを味わえるに違いない。

それにつけても、ペットショップで陳列され、ネットで売り買いされる仔犬たちの哀れさを想い、それら業界への怒りが収まらない。

私の声は大きく主張は荒っぽいが、講演したS先生は研究肌でその声は小さくマイクを通しても聞き取れなかったのが残念である。
もしかしたら先月の人間ドックで指摘された難聴のせい?
 


- Web Diary ver 1.26 -