From the North Country

共に過ごせばこそ 2011年05月13日(金)

  本当に完璧な天候に恵まれた昨日、駐車場のエゾヤマザクラが一気に満開となったのに今日は荒天で花びらが舞うどころか房ごと飛ばされてしまっていた。
もう少し春のはしりを楽しませて欲しいな。

さて、
2.ペットホテルを経営されてる方へ
と前回からのテーマを引き継いできたが、何のことだったっけ?
年のせいかすぐに忘れてしまう。
たぶんペットのお泊りのことについての注意点を書こうとしたのだと思うけど、その話はもうやめておく。

多くの業者は、カフェのようにおりこうさんなわんこばかり扱っているわけじゃないだろうし、少しでもおりこうさんにさせようと考えてるわけでもなく、それなりに犬の体調に変化無く、スタッフが噛まれるなどの怪我もせず、契約期間を無事過ごせることこそが重要なことだと考えているはずだから。

私はと言えば、カフェの営業中はお泊り犬を看板犬にし、閉店後に散歩を楽しみ、定休日は日がなだらだらと暮らし、夜は居間で一緒の時間を過ごしているものだから、それぞれの状況で共に暮らしやすいような振る舞いをついついわんこに教えてしまう。

ただそれだけのこと。

冷暖房完備でテレビもあって完璧に綺麗なペットホテルにいくら投資しても、人間がいなけりゃそれはただの独房と同じなんですよ。

大切なことは、桜の花びらが散る姿を楽しみ、強風で房ごと落ちてしまった現実を共に知ることなのではないでしょうか。

何書いてんだろうね。
狭い居間で3頭のお泊り犬の穏やかな寝姿を見ながら過ごしていたものだから…つい情緒的になってしまった。
 

ウェスティ。さらに話を展開 2011年05月09日(月)

  今日はウェスティ(ウエストハイランドホワイトテリア)のレッスンが入った。

散歩から戻って室内に入れる前に、普通の家ではわんこの足を拭くか洗うかするものだ。
その際わんこに『う”−』って言われたり、齧られるなんてことがあったら大問題だ。

今回の相談は「家でも時々そうなんですが、先日お泊りさせたペットホテルのスタッフを噛んだそうなんです。何とかなりませんか?」というものである。

今時のわんこ本の対処法を参考にすれば『抱っこしたり足を拭くのを嫌がる犬には、おやつを与えながら、”抱っこ→おやつがもらえる、足を拭く→いいことがある”という風に慣らせましょう』なんて書いてあるのだろう。

バカか、と思う。

そんな行動を取るわんこにはもっと根本的問題があり、あるいは飼い主の接し方に由来することが多い、という本質から目を背け、犬をあたかも“無能で単細胞”な生き物としか見ていないことに憤りを感じる。(そんな対処法を喜ぶ飼い主をどう理解していいか私には分からないけどね) 


プロなら一度歩けばその犬と飼い主の問題点がほぼ分かり、たとえ飼い主の主訴が『噛むこと』であったとしても、とるべき訓練は別方向からのアプローチだと考えるはずなのに…

今夜は2つほど話を飛躍させて書いてみよう。

1.多くのトリマーにとって『ウェスティは噛むかも知れない』と警戒する傾向があることをご存知ですか?
つまり犬種特性で
・拘束を嫌がり
・無理強いと感じることに過大に反抗する
ということであろう。

飼い主は育てる過程の中でうすうす感じていたはずである。
『犬ってそんなものなのかも』って目出度く考えていたのかもしれない。
でも、最初から分かっていたら
・抱っこに慣れさせ
・我慢や忍耐強さを経験させ、寛大さを持たせることができ
・身の程を知ったうえで分をわきまえ、その中で喜びを享受しながら暮らせたはずである。
せめて私のレッスンを受けていれば。

2.ペットホテルを経営されてる方へ

あ!、2つめの飛躍話を続けて書こうと思ったが、ちと話が長くなるし、『次回のテーマ』ということで今夜はご勘弁下され。
 

人間社会で育てられたわんこたちを思う 2011年05月08日(日)

  雨、雨、雨
まるで東日本の方々の悲しみが乗り移ったかのような涙雨が、連日しとしととさめざめと時に激しく降り続く。

それを受け止めることで被災地ではなかった人間の『捉えようのない罪悪感』が少し癒される…なんて、都合の良い幻想。
被災地だってきっと冷たい雨が降っているのだろう。

できることなら『いらない雨風』だけでもこの地で受け入れたいが、実際私にできるのは今のところこの欄を書くことと僅かな義援金の継続だけだ。

さあ、今夜も私にできる書くことを書いておこう。

『犬同士の挨拶って必要ですか?』と、よく聞かれる。
私は『そうは思いません。やめといたほうがいい場合が多いとさえ思っています』と答える。
そのわけは、結果的にトラブルになり、そのことでトラウマが生じ、以後他犬に警戒するわんこが増えるから。

でも、今夜はもう少し掘り下げて書いておこう。

犬の本能の中に『他犬意識』というのは確実に存在し、飼い主との関係にもよるが、多くの場合“イヌなりの挨拶”という強い衝動がかき立てられる。
そこには好奇心があり、遊び心がある一方で、縄張り意識や群れとしての概念による敵対心や上下関係があり、勿論犬種特性もある。

今夜、私が書きたいのは一般家庭犬(ペット社会)のことである。
つまり、イヌ社会でのイヌの本能は上記であってよいのだけれど、どんなに弱いわんこにでもその犬を愛する飼い主がいるペット社会では、“上下関係の決着”というような、そうはいかないルールがあるということだ。

率直な感想を言えば、現代の我が国の飼い主の意識は“犬”を飼おうとしながら“イヌ”として育て・暮らしている中途半端なレベルであると思う。

・吠えないわんこと暮らしたときは良かったけど、吠えるわんこと暮らし始めたときにどうしてよいか分からない(きちんと育てられない)
・散歩中に『他犬意識』が強いわんこと『どうぞお構いなく』というわんこの気持ち・その対処法が分かっていない。
・“イヌ”は肥育じゃなく、育てないと“犬”にはならないということを知らない飼い主。(“イヌ”のままだったほうが幸せだろうな、というわんこさえいる)

やっぱり酔っているから最後まで書けないけど、こんな社会だから『見知らぬイヌに挨拶する』なんて冒険は避けたほうがよろしい。
相手を見る目と信頼感があれば別だけど、私なら『ゆっくり時間をかけながらお知り合いになりましょう』と人間並みに振る舞う。
決して土足で相手の家に上がり込むことはない。

そんな平穏な生活をしていたはずなのに、プライバシーも無く土足の音を聞きながら避難所の暮らしを余儀なくされている方々を忘れてはいない。
同時に、犬として育てられたわんこ達が、今どんな思いで彷徨しているのかを思うと胸が締め付けられる。

その心こそが連帯となり復興に繋がると信じたい。
 

脱原発への一歩が始まった記念日 2011年05月06日(金)

  『暗殺』という古き時代の恐怖が蘇ってくる。

いや、問答無用で人が殺されたのに喜び合うという奇異な国際映像のことではなく、今回の大震災でのその後に対してだ。

私の記憶の最後は6歳の時テレビで見た『浅沼委員長刺殺事件』
国内での謀略である。
謀略と書いたのには理由がある。
実行犯とは別に明確な意図を持った組織が存在していることでテロリズムと共通性がある。

今日、菅内閣は中部電力に対し浜岡原発の停止を要請した。
それなりに報じられているが、これは画期的なことであり脱原発に向けての信じられないような一歩を踏み出したのである。
歴史に残る瞬間が今日刻まれたことを子供達は後に知ることだろう。

暴れた時には制御のしようがない『悪魔』だが、一方で大きな利益をもたらしたことは現時代では否定できない。
・納税という形での国への利益
・CO2を出さない環境への利益
・核関連業種の巨額な事業
・雇用を生み出す地域と国への利益
・研究という名目で金を渡されたものだから、都合の悪いことを良いことへ変換する学術
・広告費がないと困り、口も出せないマスコミ
・何も知らず、利益を享受する我々

すべてが完璧に整えられ、悪魔に魂を売る条件が整った時代が流れた。

だが3.11で悪魔の一部を私たちは知ることになった。
『地震だけなら』『津波が憎い』の叫びすら“見えない放射能”の脅威であげられなくなってしまった。

次の大震災における核関連施設による被害は明らかに人災であり、何としてもくい止めたい。
そう判断し、浜岡原発停止というひとつの着手をした現内閣を私は支持する。

彼らの誰一人も殺さないで欲しい。
見方によってはすべてを敵に回した構図になっているではないか。
だがマスコミよ、戦前の過ちを繰り返さないで歯を食いしばって欲しい。
あなた方がどのスタンスに立つのかが今問われている。
中途半端だとまたあの暗殺者が現れますぞ!
それでまたニュースができたと、あなた方は食べる道を選ぶのですか?

最後には過去を知っている今のマスコミを信じたいし、悪いけど冷静な目でこれからも報道を選択しようと思う。
 

シクラメン 2011年05月03日(火)

  このシクラメンどなたから頂いたんだったかな?

カフェがオープンした7年半前からトリミング室で真っ白い大きな花を咲かせてくれていた。

3年前、株が鉢から浮き上がるように露出し、その年は細い茎の葉しか育たなかった。
2年前、夏越しをさせるため鉢から取り出して休眠させたがやはり花を咲かせることはなかった。

『もうダメなのかな』とも思ったが、初代トリマーだった故のんちゃんもこのシクラメンが気に入っていたので、なんとかまた花をつけさせたかった。
去年も同様に夏に休眠させ、秋に昨年より深く株が見えないくらいまで土をかぶせた。
私は全くの素人だから、おかしなことばかりやってるのだろうなと思う。

でも気持ちが通じたのか、今年はビックリするほど太い茎の葉がたくさん伸び、ついに先月からあの真っ白い大きな花を咲かせてくれた。
今は花一輪とつぼみがふたつ。
上手な人ならもっともっと綺麗にたくさんの花を咲かせることができたのだろうが、私とKは大満足である。

あんなに干乾びた株からでも、ちゃんと生命が育つなんって神秘だと思う。
シーモンキーと一緒だね。
いや別に自分の姿を重ね合わせて奮起しようと思っているわけではない。

だけど、今年は花壇と畑を作って、出来は悪くても命を育ててみたい。
柄にもなくそんなことに喜びを感じられるような気がしてきた。

駐車場のエゾヤマザクラは週末に開花しそうだ。
 

実践できてこその専門性だから… 2011年05月01日(日)

  ゴールデンウィーク中でも『木・金』は定休日ですのでお休みさせていただきます。
・5月5日(木)カフェはお休みです。
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さて、今夜は重い問題に取り組んでみようと思う。
皆さんも一緒に考えていただきたい。

それまで普通の生活をしてきた人間だったのに、人生の途上にして中途視覚障害となり、苦悩し打開してこられた方々がたくさんおられる。
私の半生はそういう方々と共にあった。

視覚障害を告げられた時、誰しも『ウソでしょ』『なんで私が?』『絶対受け入れられない!』と否認の思いが強くなる。

障害とは、普通の病気と違って健康を回復してもなお残る『通常生活を送るには極端な不自由さが伴う』という側面がある。
そのことはとりわけ視覚障害において顕著であり、人は『目が見えなくなるくらいなら死んだほうがマシだ』と考える傾向があるし、社会的にも全盲となった人間には死んだ人間と同額の保険金が支払われ、ある意味で『気の毒な存在』と捉えられている。

で、現実はといえば極論的に大別して3種の中途視覚障害者がいると私は考えている。
1.すっかり絶望し、死を選んだかその途上にある人々
2.生活環境や自己の年齢・体調・能力など様々の要因のもとで悶々と苦悩しつつ命長らえておられる方々
3.ある種の出会いがきっかけをつかみ、あるいは苦悩の果てに重い一歩を踏み出し、あるいは踏み出そうとしている方々

それらの方々と共に半生を過ごしてきた私が辿り着いたのは、トーマス・キャロルの言葉である。
彼は言った。
(意訳)『失明とは死である。だが、それは見えていた人生の終焉であり、人生は終わったのではなく、変わったのだ。』という強烈なインパクトのある言葉だった。

その言葉を信じて私は働き続け、たくさんの中途視覚障害の方が新たな人生を歩まれていった中で、さらに私は成長できたと感謝している。

キャロルは、突然の“人生の激変である結果”に対し、“死”という言葉で“絶対(現実)”を表し、なお生きている自分に“変わったのだ”と“受け入れる姿勢”を促し、その先の可能性を具体的に高らかに示すことがリハビリテーションであると説いていた。

で、今夜の本論。
東日本大震災で被災された方々は、この震災をどう受け止め対処されるのがいいと皆さんはお考えですか?

1.絶望の元に、命をたたれる方あるいはその途上の方がいても仕方がない
2.生活環境や自己の年齢・体調・能力など様々の要因のもとで悶々と苦悩しつつ命長らえておられる方々に同情する
3.ある種の出会いなんかできっかけをつかみ、あるいは苦悩の果てに重い一歩を踏み出し、あるいは踏み出そうとしている方々を応援する

『終わったのではなく、人生は変わったのだ』
キャロルが言った言葉は正論だし、その意図に従って私は過去において懸命に働いてきたのだが、震災後の今は私はあたふたし、当事者の落ち込みを拭い去れないでいる。

心に思うのは
・被災者の皆様。死なないで欲しい
・苦しさを率直に訴えるあなた方がいて、何もできないけど聞いている私達がいることを知って欲しい
・一歩を踏み出す人々へ確かなアプローチがしたい

私は過去にタイムスリップし当事者の気持ちに近づいた心境だけど、今足りないことへの無力さを実感している。
だからこそ今夜書いてみた。
ちゃんとフォローするから諦めないで下さい。
足りないことを思いっきり発信してください。
 

お知らせ 2011年04月28日(木)

  ゴールデンウィーク中でも『木・金』は定休日ですのでお休みさせていただきます。
・4月29日(金)と5月5日(木)はお休みです。

お間違いないよう、よろしくお願い申し上げます。
 

昨日の続き 2011年04月26日(火)

  唸る北海道犬を相手に最初から私がアプローチすることは、わんこの心に大きな壁を作ることになる。
だからチョークチェーンは飼い主にかけてもらった。
「一緒に歩きながらお話を伺いましょう」と飼い主ご夫妻を誘ってレッスンに出かけた。

1.話しながら、わんこのプロフィールを知り、飼い主さんの意識や人となり・愛犬との暮らし方を推し量る。

2.身勝手に引っ張るわんこを合気道の要領でちょこっといじると、凧を揚げる様に宙に浮き『ヒャイン』と声を上げ、着地すると私をにらみつける。が、私は何事もなかったように飼い主さんと話を続ける。

3.怒りをぶつけるわけにもいかないのに、その後も私に制御され続けるものだから、去勢前日のわんこは私にマウントし優位性を誇示しようとする。が、即座に弾き飛ばされる。

4.『こりゃ、敵わんは』とその後はリードがたるんだまま歩き続ける。

5.私はすかさず『イエストレーニング(私の独創的訓練手法)』を開始する。

6.熊にさえ勇猛果敢に挑む日本男児の代表格である北海道犬であるから、このまま終わることはプライドが許さない。だから、カフェに戻って私がチョークチェーンを外そうとすると『う”−』と唸った。

まあ、初回はそんなレッスンだった。
日本犬の場合、じっくりと取り組むのが鉄則なのだ。
今頃、玉無しになっている北海道犬は私のレッスンの意味を無意識に感じていることだろう。
彼は家庭犬として暮らす犬なのだから、ようやく良いスタートラインに立てたのである。

さて、昨日の冒頭に書いたマルチーズ。
小型愛玩犬がリードを引っ張って自己欲求を満たそうとしている時に、多くの飼い主は『どうしたの?そっちへ行きたいの?』と物分りの良い飼い主になりがちだ。

だが、小型愛玩犬でも勇猛な北海道犬でも、頑固に自己主張をする時に発するエネルギーは実は殆ど変わりないことを知ってほしい。
つまり、どんな犬種であってもまずはリードコントロールで穏やかに散歩できるようにすることで、わんこに『身の程を知らせ、分をわきまえる』という基本をさりげなく伝えながら愛情を注いで、この上ない愛犬を育て上げるという人間としての原点を抑えておいて欲しい。

人とわんこの関係は人間同士の感情と同様に包み込まれがちだが、実は違うことを率直に申し上げておこう。
そこからがスタート。
意に沿わないかもしれないが受け入れなければならないことなのだ。
 

カフェの紹介をしてくださるのはありがたいのですが、できればいいわんこを 2011年04月25日(月)

  娘さんの顔を噛んだマルチーズとご家族の来店が先日あり、それなりの観察をさせてもらった。
その結果を述べるのは後回しにしよう。

今日は足のバリカンに敏感なEコッカー/リュックのトリミングがあったので、私が補助役をしてると「レッスンのことで電話です。」とスタッフMが子機を持ってきた。

「もしもし。お電話代わりました」という私に、年配の男性の声で
「ああ、どうも。実は7ヶ月の北海道犬を飼ってるんだけど明日去勢手術をするんだよね。だけどそこの先生が『この子ははやく専門家の指導を受けたほうがいい』としつこく言うんだよ。それで電話したんだけど…」と、ぶっきらぼうな語り口。

一般の方なら北海道犬と聞けば、“ソフトバ○クのお父さん”“賢くて可愛い”とイメージするだろうが、わんこの専門家なら
“北海道犬(アイヌ犬)”、“指導を受けたほうがいい”
そのキーワードだけで『こいつ、噛むな』とピンとくる。(実際“お父さん”は何人ものスタッフに噛み付いているという話も聞く:これって風評被害?事実?)

私とシーザー・ミランはわんこのしつけに関しての考え方が似ているが、彼は“噛み犬”の訓練が好き(っていうか恩返しをしている)のに対し、私は『可能な限り避けたい』人間である。

ともあれ、会話の中に冷たい空気が漂った。

ちょうどその時トリマーのさおちゃんがEコッカー/リュックの足にバリカンをかけた。
キャキャキャキャーン!!
大げさなリュックが悲鳴を上げ、私はぎゅっとリュックを保定した。(リュックの名誉のために書いておくが、彼は仰々しく悲鳴をあげるだけの気の良いわんこ)

『しめしめ、このわんこの悲鳴を聞いて電話主は相談を諦めるだろう』と思ったのに
「これから伺ってもいいですか?」と電話の向こう。
やれやれ。このわんこと関わることになってしまったようだ。

事情をスタッフMに話すと「そのわんこ知ってます。土曜日にトリミングしたポンちゃん/ビションフリーゼのママが言ってました。いつもの動物病院に行くと2回も異物接種の治療を受けた北海道犬がいて、噛むから治療が大変そうだって…」

おいおい、ただ平穏な生活がしたい俺なのに今更どうしろというのだ。

駐車場の車から初老のご夫婦と白い北海道犬が降りてきた。
「あ、やっぱり人気の“お父さん”みたいに白い北海道犬なんだ」と出迎えた私に飛びついてきたわんこだったが、首輪を触ろうとしたら『う”−』と底力のある唸り声をあげた。

今更ながら断っておくが、この欄は皆さんが知っとるか知らんか知らんけど、焼酎を1リットル位飲んだ男が意を決して書いておるということをご承知おき願いたい。
無礼千万・天衣無縫かもしれないが法令違反にはちと気遣っているつもり。
失礼あらばどうかお許しくだされ。

これ以上は長くなるのでまた明日にでも。
ふぅー。
 

途中経過 2011年04月22日(金)

  2週間前のこの欄で紹介した『生後8ヶ月なのに庭生活しか知らない黒ラブ』と『噛み付いてくるEコッカー』のその後というか途中経過を書いておこう。

1.黒ラブ君
すぐにハーネスからハーフチェーンの首輪に取替え、これまでに5コマほどのレッスンを行った。
世の中見るもの聞くもの初めてのことばかりで、キョロキョロするは、自動車とすれ違うのを怖がるは、人の話は全く聞かない…などなど大変なスタートだったが、先週のうちに去勢手術を済ませ、ようやくカフェのガーデンで他犬との仲間入りが許される状態になった。

私のレッスンは社会勉強を含めた育て直しが半分を占める。
犬の生後1年は以降の1年とは比較にならない成長期で、人間で言えばおおよそ18歳程度まで成長する。
黒ラブ君はその3分の2が庭生活だったから、感性の多くが“犬”ではなく“イヌ”の方向に向きかけており、しっかり針路を修正しなければならない。

『既に8ヶ月が過ぎた』と悲観するより、私は『まだ4ヶ月ある』と飼い主さんのレッスンに通う姿勢を見て感じ始めている。

ただ残念なのが、この飼い主さん。数週間前に本州から越されてきたばかりで、“わんこと室内で暮らす”という習慣に馴染みがない様子。
まあ、こちらの方はじっくり取り組んでいくつもり。

2.Eコッカー君
2コマのレッスンまで私に吠え掛かり噛み付こうとしていたが、3コマやったのか4コマやったのか忘れたけど先日のカフェでは妙に静かで私にフレンドリーだった。
「家でも本当に吠えなくなったんですよ」
飼い主さんはそう喜んで仰っていたが、私の信頼を得るのはそう簡単じゃありませんよ。

このわんこの場合、変わるべきは犬よりも飼い主さんのほうなのですから。
そして実はわんこよりも人間の意識や接し方を変える事の方がずっと大変なのだ。

さあ、明日は子供(娘)さんを噛んだマルチーズが来店予定。
難しい犬種だからじっくり観察から始めるのが筋。親切心が高じて一気に解決しないよう自制できるかがカギとなる。
おまけに明日は一日雨でヒマだから…気をつけようっと。
 


- Web Diary ver 1.26 -