From the North Country

わんこの制御力検定 2012年02月02日(木)

  散歩中に他犬や人に対して吠えてしまうわんこの飼い主さん。
あなたのわんこに対する制御力をチェックしてみませんか?

そんな設定で取材があったとしたら私ならどう対処するだろうかと想像してみた。

まず、そんな状況になっている時点で飼い主の制御力は30点以下と断言できる。
『注いでいる愛情なら誰にも負けない』と思われているかもしれないが、そんなの公害の垂れ流しを放置する企業の言い訳と変わりないレベルだ。

犬が口から火を噴いたり手裏剣を飛ばしているのなら尋常ではないと言えるが、吠えるなんてことは全く異常ではない。
つまり吠えることはそれを許している飼い主にすべての責任があるのだ。

散歩の時わんこが突然吠え出すことはない。
それ以前に対象を発見し、ある距離に接近するなどの条件が整った時に反応するが普通だ。
多くの飼い主はそれを知っているものだから、対象を犬よりも早く見つけて立ち止まったり回避行動をとったりしている。

そんな準備ができるのに何故それをチャンスと受け止めて愛犬をしつけようとは思わないのか?

吠える性質をもったわんこの飼い主さん。
人や他犬が接近した時にわんこの目と頭部の表情を観察してごらん。
突然吠えるのではなく、吠える準備をしているあなたのわんこの姿が見えるでしょ?

小型犬なら2回ほど宙返りするリードコントロール、大型犬なら強烈な膝打ちを繰り返して対象に対するフォーカスをやめさせなさい。

フォーカスの段階ではわんこの興奮度はまだ低いけど、吠え始めた時のエネルギーは小型犬でも相当高い。
その時点でご自分と愛犬の力関係を知ることができるし、愛犬を制御する度合いを知ることができる。

『吠えるかもしれない時にわんこに食い物を与えて目をそらし、徐々に慣らしていく』なんて方法は、逃げの訓練であり結局は問題先送りの典型である。

あなたがしっかりしなさい!
愛犬との暮らしはそんな原点を教えてくれる闘いであるから素晴らしいのだ。
 

私もまた普通の飼い主の一員 2012年01月29日(日)

  犬を訓練する“最短”の環境は、訓練所に入所させ
て連日の訓練を行うのがよい。

盲導犬の訓練では当然これが行われている。
最短というのは質を保証したうえで同時にコストカットを意味する。

盲導犬のように最初から使命が決まっているわんこだからこそ、ダラダラと訓練するのではなく『経済効率』を見据えたなかで最善の方法がとられているということだ。

だが、一般家庭犬の訓練の場合はちと状況が異なる。
すでに愛犬には所有者がいて、その家庭環境の中で育てながら、飼い主は現状に不安を感じあるいは将来に望みを託して訓練を依頼する。

そんな時には訪問訓練というサービスがある。
自宅に訓練士が訪ねてわんこを訓練し、飼い主にアドバイスを与える方法である。

これには訓練所での入所に比べ進度は遅くなるし高度な訓練には不利になるけど、実生活に即した満足度を得られるという利点がある。

で、カフェで私が行っているレッスンを改めて知っておいていただきたい。

私は過去において100頭以上の盲導犬を訓練してきたが、それは職業として年間平均5頭の訓練を25年繰り返してきた単純計算である。
連日正しく訓練すれば多くの犬はちゃんと育ってくれることを知った上での話だ。

だが、今の私には連日の訓練をする意志も気力も体力も環境もない。
私が行っているのは、単に基礎作り(プレトレーニング)である。

犬を育てるには相当なエネルギーがいる。
私は今、そのエネルギーを犬に向けているようで実は飼い主さんに放っているつもりだ。
うまく受け止めていただければ嬉しく思う。

なんてたって犬を育てていた人が育っていく姿を見るのが嬉しいだけのこと。
その思いを伝えるのが今の私のレッスンであり訓練ではないことを告白しておこう。

訓練なんて私にはもうできないと思う。
できるのは育てることだけ。育つ喜びを共有することだけなのだろう。

今日、アモの散歩途中で出会ったわんこがすれ違い様、ガウっときた。
もし今度来たらアモを守るためその瞬間に蹴飛ばしてやる。
 

嗚呼!オトン 2012年01月21日(土)

  先日に続きどういうわけか今日もローカル月刊誌O-tonの取材があった。

珍しく開店まもない10時過ぎからお客様のご来店があり、私はレッスンの予約があったので30分ほどラブのえびすちゃんと近辺を歩いてきた。

カフェに戻ると駐車場はすでに満杯で、取材が始まっていた。
普段見慣れない格好をしているカメラマンや取材スタッフを見て、カフェのわんこたちが興奮し吠えたりしてはいないだろうか?との心配がよぎったが、カフェに入るといつも通りの静か(わんこ)で賑やか(飼い主)な空気に触れ安堵した。

カフェをオープンして9年ちょいとなったが、私が心配する以上に飼い主さんとわんこは成長し世界レベルになったようで誇りに思えた。

今日の取材対象は『オトンとわんこ』だったようだが、日頃からのカフェの主役は、実はオトンではなくオカンである。
そういう世界に入って私も9年ちょいということだ。

『話を聞かない男、地図を読めない女』という本が一昔前あった。
あれは実に新鮮で、男と女というのを“別の生き物”と解釈することで、過去の様々な問題が一挙に解決できたと私は感謝している。

そして“女型思考”の世界で生活するようになると、世の中がまるで違って見えるようになった。
別にこの齢になってニューハーフになった分けではないが、『種として別物』と捉えることで、世の男性諸氏(オトン)に何かしらの示唆を与えることができるのではないかとふと感じた。

で、そのオトンたち。
取材の中で何を話していたか知らないけど、心の奥を私は知っているつもりだ。
『毎日毎日家族のために働いて夜帰宅する。最初のうちは家族が出迎えてくれたのに、今、全身で喜びを表し、シッコを垂れながら出迎えてくれるのはわんこだけなんだよな』

どうしようもない感謝を込めて晩酌の肴をわんこにちょっとだけ与えるたびにオトンとオカンの溝が深まっていく・・・
 

この期に及んでなお… 2012年01月17日(火)

  この冬はとにかく寒い。
全国ニュースで岩見沢方面の豪雪が伝えられているが、カフェ周辺での降雪はこの冬3回ほどまとまった雪が降った程度だ。
その割に積雪量が例年と変わらなく感じるのは、寒くて日中の雪解けがほとんどないからだろう。
『(本来の厳冬期である)2月になったらどうなるんだろうねぇ』という不安な声が聞こえてくる。

このまま2月にかけて寒さが厳しくなるのか、それとも地球のサイクルが温暖化で変化し、厳冬期が1カ月近く前倒しされて早い春と暑い夏がやってくるのか?私は興味深く観察しておくつもりだ。

もし前者なら自然の厳しさに立ち向かって知恵を働かせ頑張りたいが、後者だとしたら地球滅亡の原因当事者の人間であることの責任を認めつつ、手遅れかもしれない環境問題に一層の意識を向けたい。

この冬、カフェで試しているエコがある。

私は開店当初から『ドッグカフェだからといって犬臭いのは絶対イヤだ』との思いからわんこのしつけと消臭消毒を徹底し、年中2台の換気扇を回していた。
ヘビースモーカーだから『犬臭いよりタバコの方がマシ』と心の中で言い訳もしていた。

時代の流れと共にカフェから灰皿をさりげなく除き、外のガーデンにだけ置くようにしたら、喫煙者であるお客様は何一つ文句も言わず雨でも極寒でもガーデンに出てくださった。
喫煙者として“侘しい中での強い連帯感”を感じたなぁ。

わんこ達はいつも綺麗に手入れされ、粗相なんてこともなく、カフェ内での喫煙者もいないから思い切ってこの冬換気扇のスイッチを切ってみた。

いつもの冬ならフル回転のストーブが設定温度より高くなりセーブ運転で消えるようになった。
換気扇で外部の空気を取り入れながら外に“放臭”しているつもりだったのにその必要性がないことに気づいた。

たぶんCO2の排出量も減少していることだろう。
もし妙に臭かったら必ず教えてくださいね。現場の人間は臭いに慣れてしまいますから。

ところで、私がいつも引っ込んでパソコンをいじってるカフェのオフィスでは換気扇が回り続け、タバコ専用の消臭剤が置かれ、空気清浄機まである。
外が寒すぎると思った方は遠慮なくノックしてお入りください。

エコの要素はまだ残されてますが、絞り出すまでの意識にならないのは自覚が足りないのか、それとも大政翼賛会状態になった時に出すものを残しておきたいからなのか?
やっぱりまだ、目の前にある地球の危機を『もうちょっと先のもの』と思いたくなる自分がいるのだろう。

2月がどうなるのか注視しておく。
 

ブームが終わった時に見えるものを見ておきたいな 2012年01月15日(日)

  どうやらペットブームは明らかに下降線をたどり始めているようだ。

今日の朝日(新聞)の別版には『動物病院、厳しい競争』の小見出しがあり、世代数では最も多い団塊の世代の高齢化に伴い『わんこはこの子で最後』という流れになっているらしい。
そうなると当然、飼育件数が減少することになる。

今の若者世代は夫婦二人で生きていくのが精一杯で子供すら作れない状況である。
ひょっとしたら『人間の子供が作れないから、せめて犬でも…』と第2次ペットブームが到来するかもしれないけどそれは悲しい社会のシグナルでしかない。

そもそも『ブーム』という背景が気に入らなかった私だから、ファッションのように犬を飼う人間が減ることは好ましく思うし、結果的に工場で仔犬が生産されるようなシステムが崩壊するのは大歓迎だ。

ドッグカフェナガサキにとっては顧客減少に繋がるけど、『少数精鋭』で理想のペット社会を構築するには今後20年はチャンスでもある。

犬を調教するのにおやつをばらまき、食い物の報酬でしか犬の気持ちを手繰り寄せないでいる情けない観念から脱し、世界を再構築できる人間力が求められる。

この時代までに改良が進められてきた犬たちは、人の一声で我に返り、ちゃんと教えられさえすれば的確な行動をとってくれますよ。
あなたが人間力さえ持っていればね。
きっと私たちが想像する以上に。
だから犬は人を育ててくれているのです。
 

ありがとうゴンタ、安らかに。 2012年01月13日(金)

  カフェのワンブロックを散歩するのに20分もかかるわんこなんて見たことがない。
1メートルごとのマーキングで大きく足を上げ過ぎて、こてんとひっくり返りそうな瞬間立ち直る愛らしいシーズーのゴンタ。

前からわんこが歩いてきたら肩を怒らせるのに、相手が近づいてきたら後ろに飛び退くチンピラオヤヂ丸出しのゴンタ。
臭い取りばかりして下しか見てないから、通り過ぎてから他犬に気づき『貴様、今度会ったら勝負してやる!』と、酔った時の私の死んだ親父みたいに空威張りするゴンタ。

公園のど真ん中で降ろして走り回らせてあげようと思ったのに、そそくさとヘリまで戻り、木立1本1本にシッコをかけ『ああ忙しい忙しい』。
夏の支笏湖では水辺に一切目もくれず、草むらに鼻を埋めたまま何処までも我が道を行く。何処へ連れて行ってもやることにブレはなかったが値もなかったゴンタ。

それでも室内では彼なりの美学と我が家のルールが一致し、お泊り犬で唯一私のベッドを定宿とすることを許されたゴンタだった。
寝相の悪い私を観察し、左足元が安全であることをいち早く見抜いていた。

自分のおならのくせに、その都度1メートルぶっ飛んで驚いていたゴンタ。2〜3の連発の時がとりわけ見ものだったよな。

ベッドから降りられない時、抱っこしてほしい時『ゴンゴン、ゴンゴン』と吠えて私に指図したゴンタ。
とにかくブレない、ゼンマイ仕掛けのような分かりやすい頑固なわんこだった。

抱っこされた時には脱力し、軟体動物のようにすべてを人に委ねたゴンタ。
育てられたままの絶対的信頼と安心の中で、もうじき17歳という時間を奔放に生き抜いたね。

君と暮らしたお母さんとお父さんには感謝するんだよ。
どれだけ献身的に尽くしてくれたか…
こら!ゴンタ。
今だけは臭い取りと足を高く上げるのをやめて君の思い出話を聞きなさい!

どんな時もブレないゴンタが今日逝った。
 

2012年。1年の計・軽? 2012年01月11日(水)

  10日の日付を超えたばかりの夜、ぞろ目の1が並ぶってことは、あの『あけおめ』からもう11日目ってことか。

『何事もなく平穏だった』ことに感謝?
じゃなくて、

・Yさんが正月早々ぎっくり腰になり病院もやってないので寝込んでいたら風邪までひいてえらい目になったことを心配し、
・R君が成人式を迎えたことにひとしおの感慨と喜びを共感し、
・「いろんな物を飲み込んじゃうんです」というわんこのレッスンを行う私は『なんか変。ぎっくり腰の前兆がある』とコルセットで防御し
・今夜Kが作ってくれたハンバーグをうまいうまいと食べて、残り少なくなった時に切なさを感じる。

大それたことはないけど、生きていることでの日々の変化がすでに10日間積み重なっている。

そんな日常がただただありがたく思える。

さて、今年はどんな年にしようか。
時には政治や自然現象で左右されるけど、自分で決めておかないと身近な物事は動かないからね。

・酒タバコは加減しながらも続けるとして、Kから受けるストレッチなどのアドバイスを素直に受け入れる努力しよう。
・温泉でのリラクゼーション、折を見てのキャンプや旅、これらは継続しよう。
・4月で11歳になる我が家の愛犬アモの変化に気を配りながら楽しみを再発見し思い出作りを意識しよう。
・わんこの素人であるKの娘夫婦が働くドッグカフェの展望を考えてみよう。
・カフェのわんこと飼い主さんにもっと私の想いとテクニックを伝えておこう。

もうちょっとあるけど欲張っちゃいけませんね。
ともあれ、老いを受け入れながらも老いに反発し、そもそも想定外なんていう屈辱のないように準備したいと思っている。
繋がっていましょうね。
繋がりましょう。
 

気の置けない友 2012年01月07日(土)

  秋田の盲導犬ユーザー“力(ちから)”から新年恒例の電話が先ほど入った。

「おお、俺だ。おめでとう!」
「おう、おめでとう。母ちゃん元気か?」(力の奥さんは2年前から癌に侵され体中に転移しているのに奇跡のように動いている)
「おお、生きてる。俺と息子残して死ねねえんだろうな。今年も旨いおせち食わせてもらった。感謝だぁ。」とうれしい言葉が返ってきた。

「セナ(盲導犬)の首輪まだ光ってるか?」と私。

去年、力から『夜歩くの怖いんだよな。駐車場から車が急にバックしてぶつかったり、セナと歩いていても真横を猛スピードで走り抜けたりするんだよな。『てめぇ気をつけろ』と怒鳴ると、『すみませーん。見えませんでしたぁ』って目開きのドライバーが謝るんだけど、いつか俺殺されるぞ』という悩みを打ち明けられていた。

「おめえが死ぬのはお国のためになるけど、盲導犬と歩いてる時に死なれたんじゃいろいろ問題が多くなる」
そう言って私はLEDで光る首輪を送ってやった。
実際はセナの首ではなくハーネスに装着しているのだが…

「おお、光ってる。相当目立つんだべな。あれからおっかない目に合ってねえけど、『力、おめえこの間の夜、赤信号で横断してたべ!』って余計なことまで言われるようになった。」と、目立ち過ぎの弊害を口にしてくれたのは何よりである。

「今年、セナも引退だぁ。アンビー(アビー)・マップ・セナそして次はもう4頭目だぁ。」
しみじみと力は言う。
「そっかぁ。また最初のうちは苦労するなあ」と私は覚悟を確かめた。
「んだ。タクシーに乗る時や飲み屋でまた言われる。」と力。
「え?まだ盲導犬のことでなんか言われるんか?」と私が尋ねると
「おお。」と力は言った後、少し間を置き
「タクシーも飲み屋も『犬はいいんだども、おめえは入れたくねぇな』って言うんだ」

大爆笑で今年が始まった。

5月か6月。力がセナとお別れし4頭目の盲導犬を取得するという複雑な心境で北海道に来た時、みんなで飲み会でもやりますか。

だってちょっとはいい年になって欲しいから…
 

ともあれ、新年です。 2012年01月03日(火)

  淡々と過ぎていく時の流れに、ご先祖たちは“1年ずつ”という区切りをつけてくださった。
現実は昨日からの流れを引きずっているのだけれど、大震災があったあの日に『一旦の区切り』をつけて新たな年を迎え、次に進む気持ちが芽生えることを思えば、正月は人類最大の発明と思えてくる。

『気持ちは前へ。だけどあの日のことは永遠に忘れない。そして今も被災者は被災している』
この現実を正面から受け止めて今年も生きていきましょう!

だから、明けましておめでとうございます。

今までの自分を継続するもよし、ちょっと変えるもよし、リセットするもよし。

あの日を思えば、もともと自分が願ってた自分になれるはず。
今年を良い年にしたいですね。
特別な思いを込めて『頑張るじょ!おー!』
 

良いお年を 2011年12月31日(土)

  生まれて初めての人間ドックで戸惑い、その翌日の骨折で始まった2011年だった。

カエラ似の看護師がどうしたこうしたのと悠長なことを書いていたら、あの大震災と大津波に第一原発の放射能で頭は大混乱。

ポポポポーンに耐えられなくなった時期もあった。

『自分たちができることを』と呼びかけて、岩手県大槌町の吉祥寺にピアノを届ける活動もし、たくさんのお客様のご支援をいただいた。

その後もそれぞれの支援を継続しておられると思うが、私は原点に帰って『盲導犬』と『北海道に避難されている方々』への組織に募金という形で支援を今なお継続している。

熱が出て腹が痛くなったと感じたら、即、入院という事態も経験した。
「大腸は穴(憩室)だらけです」との評価を『耐え難きを耐え』受け入れた。

「骨折した指の手術は平均点以下の失敗でした」という医師の言葉にも『東北の人たちに比べたら…』という気持ちで耐えた。

それでも、Kの娘夫婦がカフェで働き始めてくれてから気持ちは前向きになった。
私の娘が独立し、思い通りのカフェのリーフレットを作ってくれたのも心強く感じた。

できることを一つずつ積み上げていくことしか私たちには出来ない。

その繰り返しを明日からも重ねていきたい。

2011年
その年がどんな年だったかを忘れたくない。
忘れるのが怖い。
だから今年いろんなわんこ達との出会いと結びつけて、記憶に残したいとの想いがある。

今年、巡り会えたすべての皆様に心からの感謝を捧げます。

ありがとう。良いお年を!
 


- Web Diary ver 1.26 -