From the North Country

シクラメン 2011年05月03日(火)

  このシクラメンどなたから頂いたんだったかな?

カフェがオープンした7年半前からトリミング室で真っ白い大きな花を咲かせてくれていた。

3年前、株が鉢から浮き上がるように露出し、その年は細い茎の葉しか育たなかった。
2年前、夏越しをさせるため鉢から取り出して休眠させたがやはり花を咲かせることはなかった。

『もうダメなのかな』とも思ったが、初代トリマーだった故のんちゃんもこのシクラメンが気に入っていたので、なんとかまた花をつけさせたかった。
去年も同様に夏に休眠させ、秋に昨年より深く株が見えないくらいまで土をかぶせた。
私は全くの素人だから、おかしなことばかりやってるのだろうなと思う。

でも気持ちが通じたのか、今年はビックリするほど太い茎の葉がたくさん伸び、ついに先月からあの真っ白い大きな花を咲かせてくれた。
今は花一輪とつぼみがふたつ。
上手な人ならもっともっと綺麗にたくさんの花を咲かせることができたのだろうが、私とKは大満足である。

あんなに干乾びた株からでも、ちゃんと生命が育つなんって神秘だと思う。
シーモンキーと一緒だね。
いや別に自分の姿を重ね合わせて奮起しようと思っているわけではない。

だけど、今年は花壇と畑を作って、出来は悪くても命を育ててみたい。
柄にもなくそんなことに喜びを感じられるような気がしてきた。

駐車場のエゾヤマザクラは週末に開花しそうだ。
 

実践できてこその専門性だから… 2011年05月01日(日)

  ゴールデンウィーク中でも『木・金』は定休日ですのでお休みさせていただきます。
・5月5日(木)カフェはお休みです。
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さて、今夜は重い問題に取り組んでみようと思う。
皆さんも一緒に考えていただきたい。

それまで普通の生活をしてきた人間だったのに、人生の途上にして中途視覚障害となり、苦悩し打開してこられた方々がたくさんおられる。
私の半生はそういう方々と共にあった。

視覚障害を告げられた時、誰しも『ウソでしょ』『なんで私が?』『絶対受け入れられない!』と否認の思いが強くなる。

障害とは、普通の病気と違って健康を回復してもなお残る『通常生活を送るには極端な不自由さが伴う』という側面がある。
そのことはとりわけ視覚障害において顕著であり、人は『目が見えなくなるくらいなら死んだほうがマシだ』と考える傾向があるし、社会的にも全盲となった人間には死んだ人間と同額の保険金が支払われ、ある意味で『気の毒な存在』と捉えられている。

で、現実はといえば極論的に大別して3種の中途視覚障害者がいると私は考えている。
1.すっかり絶望し、死を選んだかその途上にある人々
2.生活環境や自己の年齢・体調・能力など様々の要因のもとで悶々と苦悩しつつ命長らえておられる方々
3.ある種の出会いがきっかけをつかみ、あるいは苦悩の果てに重い一歩を踏み出し、あるいは踏み出そうとしている方々

それらの方々と共に半生を過ごしてきた私が辿り着いたのは、トーマス・キャロルの言葉である。
彼は言った。
(意訳)『失明とは死である。だが、それは見えていた人生の終焉であり、人生は終わったのではなく、変わったのだ。』という強烈なインパクトのある言葉だった。

その言葉を信じて私は働き続け、たくさんの中途視覚障害の方が新たな人生を歩まれていった中で、さらに私は成長できたと感謝している。

キャロルは、突然の“人生の激変である結果”に対し、“死”という言葉で“絶対(現実)”を表し、なお生きている自分に“変わったのだ”と“受け入れる姿勢”を促し、その先の可能性を具体的に高らかに示すことがリハビリテーションであると説いていた。

で、今夜の本論。
東日本大震災で被災された方々は、この震災をどう受け止め対処されるのがいいと皆さんはお考えですか?

1.絶望の元に、命をたたれる方あるいはその途上の方がいても仕方がない
2.生活環境や自己の年齢・体調・能力など様々の要因のもとで悶々と苦悩しつつ命長らえておられる方々に同情する
3.ある種の出会いなんかできっかけをつかみ、あるいは苦悩の果てに重い一歩を踏み出し、あるいは踏み出そうとしている方々を応援する

『終わったのではなく、人生は変わったのだ』
キャロルが言った言葉は正論だし、その意図に従って私は過去において懸命に働いてきたのだが、震災後の今は私はあたふたし、当事者の落ち込みを拭い去れないでいる。

心に思うのは
・被災者の皆様。死なないで欲しい
・苦しさを率直に訴えるあなた方がいて、何もできないけど聞いている私達がいることを知って欲しい
・一歩を踏み出す人々へ確かなアプローチがしたい

私は過去にタイムスリップし当事者の気持ちに近づいた心境だけど、今足りないことへの無力さを実感している。
だからこそ今夜書いてみた。
ちゃんとフォローするから諦めないで下さい。
足りないことを思いっきり発信してください。
 

お知らせ 2011年04月28日(木)

  ゴールデンウィーク中でも『木・金』は定休日ですのでお休みさせていただきます。
・4月29日(金)と5月5日(木)はお休みです。

お間違いないよう、よろしくお願い申し上げます。
 

昨日の続き 2011年04月26日(火)

  唸る北海道犬を相手に最初から私がアプローチすることは、わんこの心に大きな壁を作ることになる。
だからチョークチェーンは飼い主にかけてもらった。
「一緒に歩きながらお話を伺いましょう」と飼い主ご夫妻を誘ってレッスンに出かけた。

1.話しながら、わんこのプロフィールを知り、飼い主さんの意識や人となり・愛犬との暮らし方を推し量る。

2.身勝手に引っ張るわんこを合気道の要領でちょこっといじると、凧を揚げる様に宙に浮き『ヒャイン』と声を上げ、着地すると私をにらみつける。が、私は何事もなかったように飼い主さんと話を続ける。

3.怒りをぶつけるわけにもいかないのに、その後も私に制御され続けるものだから、去勢前日のわんこは私にマウントし優位性を誇示しようとする。が、即座に弾き飛ばされる。

4.『こりゃ、敵わんは』とその後はリードがたるんだまま歩き続ける。

5.私はすかさず『イエストレーニング(私の独創的訓練手法)』を開始する。

6.熊にさえ勇猛果敢に挑む日本男児の代表格である北海道犬であるから、このまま終わることはプライドが許さない。だから、カフェに戻って私がチョークチェーンを外そうとすると『う”−』と唸った。

まあ、初回はそんなレッスンだった。
日本犬の場合、じっくりと取り組むのが鉄則なのだ。
今頃、玉無しになっている北海道犬は私のレッスンの意味を無意識に感じていることだろう。
彼は家庭犬として暮らす犬なのだから、ようやく良いスタートラインに立てたのである。

さて、昨日の冒頭に書いたマルチーズ。
小型愛玩犬がリードを引っ張って自己欲求を満たそうとしている時に、多くの飼い主は『どうしたの?そっちへ行きたいの?』と物分りの良い飼い主になりがちだ。

だが、小型愛玩犬でも勇猛な北海道犬でも、頑固に自己主張をする時に発するエネルギーは実は殆ど変わりないことを知ってほしい。
つまり、どんな犬種であってもまずはリードコントロールで穏やかに散歩できるようにすることで、わんこに『身の程を知らせ、分をわきまえる』という基本をさりげなく伝えながら愛情を注いで、この上ない愛犬を育て上げるという人間としての原点を抑えておいて欲しい。

人とわんこの関係は人間同士の感情と同様に包み込まれがちだが、実は違うことを率直に申し上げておこう。
そこからがスタート。
意に沿わないかもしれないが受け入れなければならないことなのだ。
 

カフェの紹介をしてくださるのはありがたいのですが、できればいいわんこを 2011年04月25日(月)

  娘さんの顔を噛んだマルチーズとご家族の来店が先日あり、それなりの観察をさせてもらった。
その結果を述べるのは後回しにしよう。

今日は足のバリカンに敏感なEコッカー/リュックのトリミングがあったので、私が補助役をしてると「レッスンのことで電話です。」とスタッフMが子機を持ってきた。

「もしもし。お電話代わりました」という私に、年配の男性の声で
「ああ、どうも。実は7ヶ月の北海道犬を飼ってるんだけど明日去勢手術をするんだよね。だけどそこの先生が『この子ははやく専門家の指導を受けたほうがいい』としつこく言うんだよ。それで電話したんだけど…」と、ぶっきらぼうな語り口。

一般の方なら北海道犬と聞けば、“ソフトバ○クのお父さん”“賢くて可愛い”とイメージするだろうが、わんこの専門家なら
“北海道犬(アイヌ犬)”、“指導を受けたほうがいい”
そのキーワードだけで『こいつ、噛むな』とピンとくる。(実際“お父さん”は何人ものスタッフに噛み付いているという話も聞く:これって風評被害?事実?)

私とシーザー・ミランはわんこのしつけに関しての考え方が似ているが、彼は“噛み犬”の訓練が好き(っていうか恩返しをしている)のに対し、私は『可能な限り避けたい』人間である。

ともあれ、会話の中に冷たい空気が漂った。

ちょうどその時トリマーのさおちゃんがEコッカー/リュックの足にバリカンをかけた。
キャキャキャキャーン!!
大げさなリュックが悲鳴を上げ、私はぎゅっとリュックを保定した。(リュックの名誉のために書いておくが、彼は仰々しく悲鳴をあげるだけの気の良いわんこ)

『しめしめ、このわんこの悲鳴を聞いて電話主は相談を諦めるだろう』と思ったのに
「これから伺ってもいいですか?」と電話の向こう。
やれやれ。このわんこと関わることになってしまったようだ。

事情をスタッフMに話すと「そのわんこ知ってます。土曜日にトリミングしたポンちゃん/ビションフリーゼのママが言ってました。いつもの動物病院に行くと2回も異物接種の治療を受けた北海道犬がいて、噛むから治療が大変そうだって…」

おいおい、ただ平穏な生活がしたい俺なのに今更どうしろというのだ。

駐車場の車から初老のご夫婦と白い北海道犬が降りてきた。
「あ、やっぱり人気の“お父さん”みたいに白い北海道犬なんだ」と出迎えた私に飛びついてきたわんこだったが、首輪を触ろうとしたら『う”−』と底力のある唸り声をあげた。

今更ながら断っておくが、この欄は皆さんが知っとるか知らんか知らんけど、焼酎を1リットル位飲んだ男が意を決して書いておるということをご承知おき願いたい。
無礼千万・天衣無縫かもしれないが法令違反にはちと気遣っているつもり。
失礼あらばどうかお許しくだされ。

これ以上は長くなるのでまた明日にでも。
ふぅー。
 

途中経過 2011年04月22日(金)

  2週間前のこの欄で紹介した『生後8ヶ月なのに庭生活しか知らない黒ラブ』と『噛み付いてくるEコッカー』のその後というか途中経過を書いておこう。

1.黒ラブ君
すぐにハーネスからハーフチェーンの首輪に取替え、これまでに5コマほどのレッスンを行った。
世の中見るもの聞くもの初めてのことばかりで、キョロキョロするは、自動車とすれ違うのを怖がるは、人の話は全く聞かない…などなど大変なスタートだったが、先週のうちに去勢手術を済ませ、ようやくカフェのガーデンで他犬との仲間入りが許される状態になった。

私のレッスンは社会勉強を含めた育て直しが半分を占める。
犬の生後1年は以降の1年とは比較にならない成長期で、人間で言えばおおよそ18歳程度まで成長する。
黒ラブ君はその3分の2が庭生活だったから、感性の多くが“犬”ではなく“イヌ”の方向に向きかけており、しっかり針路を修正しなければならない。

『既に8ヶ月が過ぎた』と悲観するより、私は『まだ4ヶ月ある』と飼い主さんのレッスンに通う姿勢を見て感じ始めている。

ただ残念なのが、この飼い主さん。数週間前に本州から越されてきたばかりで、“わんこと室内で暮らす”という習慣に馴染みがない様子。
まあ、こちらの方はじっくり取り組んでいくつもり。

2.Eコッカー君
2コマのレッスンまで私に吠え掛かり噛み付こうとしていたが、3コマやったのか4コマやったのか忘れたけど先日のカフェでは妙に静かで私にフレンドリーだった。
「家でも本当に吠えなくなったんですよ」
飼い主さんはそう喜んで仰っていたが、私の信頼を得るのはそう簡単じゃありませんよ。

このわんこの場合、変わるべきは犬よりも飼い主さんのほうなのですから。
そして実はわんこよりも人間の意識や接し方を変える事の方がずっと大変なのだ。

さあ、明日は子供(娘)さんを噛んだマルチーズが来店予定。
難しい犬種だからじっくり観察から始めるのが筋。親切心が高じて一気に解決しないよう自制できるかがカギとなる。
おまけに明日は一日雨でヒマだから…気をつけようっと。
 

アモ10歳! 2011年04月18日(月)

  ありがとうございます。
お陰様で我が家の愛犬アモが今日10歳の誕生日を迎えることができました。

6年ちょっと前、43キロもあったアモを我が家に迎え入れてすぐに、両後肢十字靭帯断裂の大手術、ていうか高価な手術を受けさせることができたのも、その後のアウトドア生活で私共は元気を貰いアモが筋力をつけることができたのも、皆様がカフェを支えてくださったおかげだと心から感謝しております。

現在33キロのアモ。先月あたりから急に耳が遠くなりましたが、最近ではそれを自覚したようで、ノーリードにすると度々振り返って『何か言った?』という態度を示すようになっています。
でも、元気に普通に暮らして…

いや、ちょっと違いますね。
正直に今のアモのことを書いておきましょう。

アモは看板犬。
看板犬というのは三つの仕事があるとアモは考えている。
1.優れた感覚を生かして誰よりも早く来客を感知し私達に伝えること。
2.お客様をお出迎えして寄り添い、同伴の犬のテンションを感じ取り、平常の心理状態に導くこと
3.仮に“まずい雰囲気”を感じ取った時には、犬と犬の間に入り穏やかなエネルギーを発散することで平穏を保つこと。

これまで見事にその仕事を努めてくれた。
が、今のアモはその聴覚が機能せず、事前に来客を感じることができなくなった。
アモは悔しさのあまり、ちょっとしたグラスの音や会話の一部分を聞き取って“ヤマ感”で来客を伝えようとすることがある。
その姿が私には健気に映るが、私はアモのさらなる老化防止のためにも心を鬼にして『ウソ言って一声吠えるでねぇ』とたしなめる。

さっき夜のオシッコの為にアモと一緒に階段を下りた。
『大丈夫かぁ?』とKが声をかけたのだが、それはアモに対してではなく私に対してだった。

アモの足取りより私の方が危なっかしいようだ。
思えばアモと私は同年代。
4倍近く早く年を取る犬のアモだけど、もうしばらく一緒に頑張りたい。

『はあぁ?何ですかぁ』
今後カフェではそんな返答が繰り返しあるかもしれないが、どうかご容赦願いたい。
スタッフ間では日常のことだし、それに私もアモも何の異常も感じないので…

ごめんなさい。そんなカフェです。
 

ジャパネットながさき 2011年04月15日(金)

  4月29日(昭和の日)と5月5日(こどもの日)は祝日ですが、カフェの定休日(木金)に当たりますのでお休みさせていただきます。
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さあ、みなさん。
福島原発のことでゼオライトが話題になっておりますが、カフェでは純粋にわんこ・にゃんこの排泄場所の消臭・浄化のために何処よりも格安でゼオライトを販売いたしておりますよぉ。

1.自宅敷地の排泄場所の消臭・浄化に
2.散歩中のわんこ・にゃんこの排尿の標的となり、臭いで困っている方へ

驚くほどの効果が期待できます。
だって、カフェのガーデンは8年間たくさんのわんこ達が排泄しているのに臭いませんから。

さあ、それがこの商品。
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※さらにさらに関東方面なら同じく2袋以上で一袋あたり概ね1100円の送料
※関西方面でも1袋あたり概ね1400円の送料なんです。

おや?『道内は無料なのに、道外の送料が高いと思われたでしょう?』
でもネットで調べてみてください。
送料を含めてすらお安いはずですよぉ。

その理由は
1.北海道のゼオライトをどう生かすか?というメーカーさんの牽引役をカフェが引き受けているから
2.保管や人件費に今のところ経費がそれほどかかっていないから
3.宅配業者さんの割引が受けられるから
4.カフェの経営者が無能で、利益をあんまり追求せず『有効性を知って欲しい』という思いばかりが先行するから
なんですねぇ!

ねぇ、どうですか、みなさん?凄いでしょぉ!
是非このチャンスを見逃さずお買い求め下さい!

ご注文は有料ダイヤル011-889−3456(FAXも同じ)またはメールへ

妙なパロディになってしまったけどゼオライトの効果はまだまだ未知数で、きっと凄い力を秘めていると思う。
カフェではこの春、既に42袋のゼオライトを50坪ほどのガーデンに投入している。

それとジャパネットのたかた社長は大学の先輩だからこんなことに利用させてもらってもきっと許してくれると思います。
 

北海道が僕は好き 2011年04月14日(木)

  今後、夏の電力不足に向けて政府やメディアは休みを多く取って“西日本”への移動やバカンスをさかんに勧めている。
北海道に居住する私たちは『なんで?』と首をかしげている。

だって道南や道東で震災の影響を激しく受けたとはいえ、夏涼しく消費電力を抑えられるのは北海道でしょ。
どんな知見を持って彼らは“西日本”を勧めているのだろうか?
不思議でならない。

私が30数年前に北海道に移住する頃の感覚と変わらない『蝦夷地』であったり、南極や北極のような『極寒地』を総括した“外地”のイメージが未だ残っているのだろう。

まあ、それはそれで結構なことである。
『独特のイメージが北海道にはある』というのは観光資源の基礎になるものだから。

“北海道”っていうのはね…(広すぎて一概には言えないのだけど)
・11月か12月の終わり頃に雪が積もり始めて、4月頃にとっても暖かく感じられ雪が無くなる所です。
・冬の時期は森の木々が葉を落とし、何処までも見通すことができて、それはそれは綺麗な自然を見ることができます。
・外はとても寒いけど、家の中は内地の普通の家のどこよりも暖かくて、冬の間に人間は一杯成長します。
・春には一気にいろんな花が咲き、梅も桜もほとんど一緒に咲き乱れます。
・一年を通して山海の幸に恵まれ、今やお米の味は日本一でもあります。

・夏の北海道は最高!
・涼しいし、海水浴にも勇気がいるくらい。
・食べ物なんて信じられないくらい美味しい。

・秋の頃には心も体も絶頂!
・内地の人にとっては思いっきりの贅沢が、普通の日々になる。

番外編として
・基本的に“よそ者”“変わり者”はウェルカム。
・都会ぶりっ子は“ヘイト”
・わんこは基本的に“室内暮らし”
・人に対する英語や外国語には道産子語で普通に対応できるが、飼い主がわんこに対して発する外国語には嫌悪というか違和感を感じる。

地域ごといろんな違いもあろうけど、この夏は北海道で過ごすのが一番だぁ。
誰からも国からさえも“北海道”っていう話は聞かねぇだども、ここはいいとこだぁ。

被災者の皆様。不安だろうがどうか安心して移り住んでくださいませ。

手も出し口も出すけど、おせっかいまで出さないのが北海道の人間だぁ。
しばし、じっくり考えるべし。
前の地域よりは格段に下かも知れないけど『暖けぇどぉ北海道は。』
 

もし許されるのなら… 2011年04月11日(月)

  1ヶ月前の今頃はテレビに釘付けになり、家族や知り合いの安否確認を行っていた。
あの日からの新聞は古紙回収に出せずチラシ類とは分けて取り溜めている。

『ほれ見たことか、やっぱり安全じゃなかったじゃないか!』
30年以上も前に素人には容易に反論もできない“科学”で武装し、“直感的不安”を抱いて反対運動をする庶民を小ばかにしてきた連中に“今”を突きつけて罵りたいが、それも空しく、あの時原発を阻止できなかったことを子供達に心から申し訳なく思う。
もし許されるのなら、これからの脱原発の為にもう一度闘わせて欲しい。

「もし許されるのなら…」
と、原発しか頭にない人間が今日も“安全な次世代原発”を作りたいと発言していた。
この人たちは惨状を前にしてもまだ分かっていないようだ。
“科学的好奇心”は人類にとって重要だが、そこには“アンタッチャブルな側面”もあろう。そんな好奇心という悪魔に取り憑かれているとしか思えない。
安全はいつか壊れる。
その安全神話が崩れた時に“人間の手に負えない悪魔”が残るような代物には手を出してはいけないのだ。
どうしても次世代の原発がやりたいのなら、海よりも広く汚染を薄めてくれる遠い宇宙の先で、得意の科学を生かして頑張って来い。

既にきっとどこかの国では朽ち果てた原子力船が海を汚染していることだろう。
放射能の恐ろしさや半減期がどうのこうのと分かっているのなら、原発を作る前に、安全に速やかに処理できる“科学”を先に確立すべきだ。
その分野でノーベル賞をとる人が現れたら、被災しあるいは亡くなられた方々の心に問うがよい。
『もし許されるなら…』と。
 


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