From the North Country

大雪は北国の精霊流し 2011年01月17日(月)

  3が日が明けてからの2週間、連日のように雪が降り積もり客足は遠のいている。
高速は通行止め、JRの時刻表はあってないような状態、一般道は渋滞続き。ってことは皆さん毎日除雪作業の日々ということらしい。
まあ、こんな情報は役に立たないかもしれないが『カフェは日々ちゃんと除雪され、定刻どおり営業しております』

なんて書きながら念のため外を見てぎょっとした。
今夜は相当ヤバイことになっているぞ。
今月はカフェを閉鎖して、長い休暇を取ればよかった。

さて、今日(17日)の朝刊・社会面をご覧いただきたい。
きっとどこかに『全盲男性線路転落死亡』の記事があると思う。
最寄の駅を乗り過ごした全盲夫婦が、逆方向の電車に乗り換えるため下車した駅で、ホームを移動中にご主人が線路に転落し轢かれて死亡した、という記事である。

故人のことを私は存じ上げないが、2つのことが頭から離れずにいる。

ひとつは専門的なこと。
・駅のホームの形状をイメージしていただきたい。
(1番線のように)線路があり、背中が壁になっているホームを思い浮かべた方がおられよう。
一方で、線路と線路に挟まれたプラットホームをイメージされた方もおられただろう。

前者を『壁型』後者を『島型』という。
目を閉じてごらんなさい。
その違いを把握しなかった場合の怖さが分かると思う。

さらに、この事故において仮に故人が『島型』と把握していたとして想像して欲しい。

『乗り過ごした!』と慌てた全盲夫婦が下車し、向かいの電車に乗って戻ろうと『島型』のホームに降り立った。
その時、向かいに電車が停車しドアの開く音が聞こえたとしよう。
きっと私でも一瞬、『向かいの電車に乗り遅れたくない』という心理が働き、急いでホームを横切ることだろう。

だが、その音が実は向かいのホームではなく、さらにその先のホームに到着した電車だったら…?

事実関係はこの先明らかになるだろうが、慌てた時にそのような錯覚によってホームから転落し、その後にやって来た電車に轢かれて視覚障害者が死亡するケースは稀ではない。

頭から離れないふたつめのことは情緒的なことであり、記事に書かれたことから想像された。

転落して轢かれ、亡くなったのはご主人でありその奥さんは彼が背負ったリュックに手を添えて従いながら歩いていたという。

視覚障害となった人間同士が心引かれ、これからの人生を共に歩んでゆく決心をしたご夫婦を私はたくさん知っている。
暮らすだけでも大変な苦労があるはずだし、子育てともなると想像をはるかに超える現実も知っている。

そんな強い夫婦は決まって行動力があり、外出の時両手を使いやすいようにリュックを背負う。
そして妻は亭主の背中に手を沿え、会話をしながら安心と危険な現実を共有しているのだ。

その亭主が線路に落ち、死んだ。
気が狂いそうになる妻と故人の叫びが頭から離れない。
『目が見えない私達が夫婦となり、懸命に生きているのに何故、何故こんな仕打ちを受けなければならないのだ!』

14日に修さんが死んだ。
大雪でJRが混乱していた夜だったが、ようやく通夜に間に合った。
そして朝刊を読んでこの事故を知り、昼ごろさらに函館の力冶さんの訃報が舞い込んできた。
力冶さんは盲導犬ユーザーの会の会長を長らく努められた視覚障害の名人・国宝のような存在だった。

私はその死が信じられない方の悲報ばかりこのところ受けている。

雪でカフェが埋没してしまえ!

あんなに素晴らしい人たちが逝ってしまうなんて悔しくて仕方が無い。
大雪の除雪が弔いになるならもっと降れ。
私にはあなた方から貰った恩を返しきれない申し訳なさばかりが残っている。
 

修さん 2011年01月14日(金)

  今日、あちこちから修(おさむ)さんの訃報を知らせる連絡が入った。
「眞知子さんが逝き、修さんまで逝ってしまったよぉ」

改めて修さんの人柄の良さと交流の広さが偲ばれる。

盲導犬ユーザーであり、指笛奏者であり、アコーディオン奏者であり、理学療法士であり、歌の名人であり、駄洒落の達人であり、笑いの天才であり…とにかく感性豊かで才能に恵まれた方だった。

盲導犬の先駆者として、協会発足まもなく砂川市第1号の盲導犬ユーザーとなり、小樽に移り住んでから活動はどんどん広がった。
私が知り合ったのは36年前。
1頭目の盲導犬ルルは逆さまつげの手術で垂れ目となり、とても愛嬌のある顔をしていた。

ユーモアに溢れ、誰からも愛され、ユーザー仲間との会話やため口のかけあいはいつも笑いの渦となり周囲の人々を明るくしてくれた。
目が見えなくなって落ち込んでいる時期の人々はどれだけ彼に勇気付けられたことだろう。

ルルが引退し協会の犬舎でお別れする時の号泣の光景は、『どんな想いでユーザーが盲導犬と暮らしているのか』をストレートに私の心にぶち込んだ。
以後、私の人生に大きな影響を与え、今でも大きな力となっている。

20年も前だったろうか、音楽談義をしながらふたりでへべれけになるまで飲んだことがあった。
「死ぬなよ」と言いながら私はベッドまで糖尿病の修さんを連れて行った記憶があるが、あれで寿命が縮まったのは間違いない。
ごめんね修さん、奥さん。
でも今でも楽しかったことを覚えているよ。

札幌(現、北海道)盲導犬協会の時代からテレビなどの取材依頼があると『修さん、受けてくれない?』とお願いしていたものだから、修さんはいろんな場面に登場していた。
草原で『アニーローリー』を指笛で奏でる姿が『どうぶつ奇想天外!』で流れたのを忘れることはできない。

「カフェで盲導犬チャリティーをやる」って言ったら、すべてをセッティングしてくれたのは眞知子であり、快くやってきたのは修さんだった。
マンドリンチームをバックに響かせてくれた指笛の音色は、多くのカフェのお客様に感動を与えてくれた。

修さん、あなたと知り合えて本当に良かった。

目を閉じて『最期は辛かったでしょう。やすらかに』って祈ったら
『いやぁ、死ぬかと思ったさ』という修さんの声が聞こえた。

そっちの世界の方が面白い仲間が増えてきたね。
長い間ありがとう。
やすらかに。いずれ、またね。
 

私にとっての犬育てですが、皆さんはどうお考えでしょう? 2011年01月11日(火)

  子供を育てるというのは大変なこと。

・礼儀正しく明るく素直に育って欲しいし健康であって欲しい
・感性豊かで思いやりがあり、友達から慕われ、夢に向かって伸び伸びと一歩ずつ進む努力家でもあって欲しい。
・できればちょっと見栄えがよく、頭もよかったら最高

『で、どうすればそんな風に育てられるだろう?』なんて考えるのは最初のうちだけ。
育児に追われ生活にまみれるうちに、どうでもよくなってしまうのが普通。
それほど人の子の成長は遅く、モチベーションの継続が難しく確実なメソッドも明らかではない。

犬育てに目を転じてみよう。

・鼻鳴らしを止めさせることは出来ますか?
・引っ張りを何とかできますか?…云々

日々、既にそう育てられたわんこの相談を受けるが、私の心拍数は上がらないどころか、まなじりを下げて『犬というよりは、飼い主の問題ですね』と茶化したようで本音を話すことが多い。

そのわけは、育てたようにわんこは育つからであり、何より飼い主の生活に重大な障害が生じ、結果的に犬の生存(放棄したり安楽死させるの意)にまで及ぶ問題ではないことが多いからだ。

犬育ての最低目標は
・飼い主や家族を噛まない
・他人や他犬に攻撃的ではない
・普通に社会生活が営める
これが基準になると私は考えているし、皆さんにも是非おさえていて欲しい項目だ。

それ以外の“大変さ”は飼い主が許容し助長してきたものに他ならない『些細なこと』と思っている。

一方で多くの飼い主は、『わんこと暮らす上での安全保障』に危機感すら持たずに飼い始め、一部の不運な人は後悔することになる。
その他極端ではあるが“車酔い”でさえ飼い主のアプローチに多くの場合問題があるのだ。

いずれにせよ、犬育ての基本は僅か1年〜2年で大筋が決まる。
渦中にいれば『大変なことになった』と感じられるだろうが、子育てと比較すれば本当に短い時間である。
この程度の期間なら対処できると思いませんか?

何も名犬を育てる話をしているわけではない。
『暮らしやすい家庭犬』を育てるには、わんこの成長期のことを学び時間を費やせばいいのであり、その後の生活で様々なわんこライフが展開できるのだ。

いつもいうように、目の前にいる大人のわんこはあなたの作品なのだ。
よいわんこに恵まれて楽しい暮らしをしている人より、『こうやって私はこの子を育ててきたのです』という飼い主になって欲しい。

巡り会った犬によってあなたの生活が変わることもドラマではあるけれど、私は運ではなくいつも犬との暮らしを平穏に楽しみたい。
 

除雪話が飛躍してごめんなさい 2011年01月09日(日)

  今日だけで4回の除雪。

カフェのように営業しているお店では、雪が降り続いていてもある程度積もれば除雪せざるを得ない。
たとえすぐにまた積もることが分かっていても…

今日が定休日なら積もるに任せ、晴れてきた時点での1回の除雪ですんだことだろう。

でも日曜日ということもあってか、4回の除雪をしていたのは私だけではなかった。
見ると近所のお父さん達も弱雪になるとせっせと作業をしていた。

はて、
1.ある程度積もった段階でこまめに除雪するのと
2.ずっしりと降り終えてから、重労働をするのとでは
どっちがいいのだろう?

1では
・比較的軽い段階での作業の繰り返しであること
・歩きやすくなって気分的にも生活面でもすっきりすること
などの利点がある一方で、
除雪という基礎行動を重ねる労力と時間的な無駄があるし、『せっかく除雪したのに、またこんなに積もって』という無力感を感じやすい。

2では、雪が降り続く外を気にしながら思い思いの生活をしつつ、『ひとまず雪が止んだようだ』と空を見る余裕がある。
また、重く締まった雪が相手だろうが重労働であるがゆえのすっきり感と達成感を感じることだろう。
“アリとキリギリス”の寓話には申し訳ないが『アリさんの勤勉さには敬服するけど、無駄が多くない?』という“優越した判断力”みたいな自負が幾分疲れを癒してくれることだってある。

翌日にはまた大雪が降ったりして、結局どちらも無力感を味わうことが日常であるのが『北国の暮らし』ではあるのだが…

視点を変えてみよう。
北海道の多くの生活道路では、冬になると歩道が雪捨て場になってすべてが車道になる。
歩道が消えた道を盲導犬は勿論、高齢者や障害者は歩くんですよねぇ。

『何もそんな時に歩かなくても』って言われても、冬眠するわけにもいかないし、それぞれに生活があるものですから。

で、思うのは、いろんな考えや事情がおありでしょうがせめてが生活道路に面した場所だけでも、市民としてできるこまめな除雪を心がけてもらえないだろうか?

過去の職業柄、冬道を目を閉じて何度も盲導犬と歩いた。
そんな道でもちゃんと歩けるように訓練してきたのだがやはり怖かったし、除雪された道では幾分安堵することができたのを思い出す。

今夕、アモとお泊り犬のラブラドールといつもの散歩に出た。
大雪で狭くなった道の向こうから車が走ってきた。
私は目が見える健常者だから、2頭と共に民家の空き地に寄って車が過ぎるのをしばらく待っていた。

その車は10メートル手前で曲がる直前にウィンカーを出し左折していった。
法律どおりあらかじめ指示器を出していてくれていたなら私は相手の意図が事前に分かり普通に歩けていた。

他者に対する配慮の無いドライバーが横行している。

だから盲導犬には危険を避ける訓練を施し、それを使用する視覚障害者には様々な想像力・認知力・判断力・コントロール力を要求してきた。

だけど、最後は善意のドライバーによって歩行者や盲導犬使用者の安全が保たれていることの真の意味を考えていただければありがたいのだ。

こまめに除雪するしないではなく、そこに意図する気持ちと他者の配慮への想像力が生まれることを期待したい。
 

基本は自分たちで何とかすること 2011年01月07日(金)

  日付けが変わった8日の12時半に、2時間かけての除雪が終わった。
終わったといっても雪は降り続いているし、大雑把な作業だったので明朝はまた除雪しなければならない。

今日だけで40センチは降っただろう。
氷点下10度だったので乾いた雪ではあったが、なぜか締まりに締まって重くガロアラシ号は唸りを上げていた。
大雪はこれから何度かあるにしてもあと3ヶ月だ。
頑張ろう。

さて、年末から知り合いのわんこたちの体調不良の情報や相談が相次いだ。
年末だから病気が増えたというのでなく、普段なら普通に動物病院に行けたのが休診時期であるから『どうしよう!』ということになったようだ。

札幌には5年ほど前から獣医師有志などによって夜間動物病院というのができ、普段から過労の続く獣医が夜中に電話で起こされて緊急診療を行わずとも、救急の動物を診療し助けられる命を救えるようになってはいる。
だが、夜の9時からが受付で、年末年始など日中での対応がどうなのか詳しいことは知らない。

夜間なら救急に対応してもらえるわけだから、飼い主にとってはとてもありがたい。
一方でべらぼうに治療費が高いという話も伺う。
夜の救急でしかも動物の場合、人間のような保険が利かないのだからそれなりに費用がかさむのはやむを得ないところだろう。

システムがどうなっているかは知らないが、多くの飼い主は一般的な治療費がどの程度なのかは経験上知っているから、夜間病院の場合プラス5000円とか1万円とかシンプルにしていただければありがたいと思う。
利益を上げてくれないと継続できないわけだから、そこは尊重しなければならない。

で、年末年始など休業時期の日中はどうなるのか?
飼い主としては、いつもの先生と連絡が取れることが一番なのだが、そうもいかないからせめて人間のように新聞を開けば休日の担当病院が掲載されるようになればいいなあ。

でも、その前に飼い主が愛犬の症状を見て“緊急か否か”を判断できるようになって欲しいし、獣医さんも“緊急と過剰反応の違い”を普段から説明しておくべきだろう。

確かに今も続く今日の雪は大変だ。
本当の救急要請に即応できて、『何とかしてくれないと買い物にも出られず死ぬぅ』というような通報には慎重に対応するシステムがわんこ社会にもちょっとはあってもいいのかな。
まあ、私なら『それも運命』の範疇で、精一杯できるだけのことをするだけだが…
 

祭りは終わった、と自分に言い聞かせる。 2011年01月04日(火)

  今日からカフェは新年の営業開始。
夕べは寝る前に“ウコンの○”を飲んで正気に戻る配慮をした。

「今日はきっとヒマだよね」とKやスタッフと話していたら、お昼前に福の神がご来店くださった。
今年最初のお客様はミックス犬緋梅ちゃんご夫妻でした。
その後も『あけおめ。ことよろ』がそれなりに続いた初日だった。

年末年始と皆様いろいろお忙しかったでしょうし、その片付けやこれからの準備がある中、カフェにおいでくださって感謝申し上げます。

今冬は今のところ降雪量が少ないけれど、10センチほどの圧雪の上に今朝サラッと降った雪のおかげで、ガーデンは新年にはもってこいの状態となった。
白い世界は何故だか心ときめくし、わんこ達が駆け回る姿を見るのはやはり楽しい。

ところで、『どんな一年になるのか』と受身の自分がいて、『どんな一年にしたいのか』を考える自分がいる。
1ヶ月前に市民ホールの会議室で行った私のプレゼンがきっかけでKは今月からアクションを計画しているようだ。

カフェは“暮らしやすい家庭犬”というのをコンセプトにして開業し8年目に入っている。
これまでわんこたちに様々な刺激と経験それにルールを教え、飼い主の皆様とも犬に対しての考え方や接し方・マナーについて学んできた。

ちょっと一区切りをつけ、一度整理して考えをまとめ、必要なら変化する時期に来ているのかもしれない。
Kのアクションがその流れならば私は行動を共にするだけのことである。

よく分からないけど今年のカフェは数年遅れの“チェンジ”ってことかな。
過去の“チェンジ”は日米とも一時的に盛り上がったものの、今のところうまくいってない経緯があるから、もしそうなれば私がしっかりしなければならない。

お正月は朝からでも少々のアルコールが許容される社会なのに、今日からは酔っていなくてもアルコール濃度という数値でシビアに判定される社会に戻った。
さあ、一年が始まるぞ。
こりゃ大変かも。
 

謹賀新年 2011年01月01日(土)

  明けましておめでとうございます。
本年もカフェをよろしくお願い申しあげます。

1.新年早々、目が覚めたらお泊りのわんこがリードの根元を食いちぎっていた。
すわ!何事ぞありきや!と不安の後に一呼吸おき、何が起こっていたとしても元旦から悲惨な対応はしたくないとの思いが走った。
いろんなところを確認したが、自由の身になって家中を好き勝手にできたはずのそのわんこは何もいたずらせず、元の場所でグーグーと寝ていた。

2.初日の出を拝むことができた。
カフェを始めてからは穏やかな年末年始の記憶しかない。
今年もしかりである

3.朝刊の折込チラシに目を通した。
『元旦から営業』と書かれたお店に敵意さえ感じた。
・おめえとこ、元旦の営業が無ければ赤字になって倒産の危機でもあるのか?
・従業員とその家族の正月を台無しにしてまで『元旦営業』する価値がお宅の会社にあるのか?
・こんなことまでして『右肩上がり』の一翼を担ったとして、それに何の価値があるというのだろう。

4.年末年始のテレビ番組。
わぁー、どれを見ようかな?というのが過去。
う”−、何か見るもんないかな?というのが現在。
これが何よりも年を取った証?

5.元旦早々、街を出歩く人はおるまい。
そう思って散歩に出かけると、わんこ連れの飼い主ばかりに出合って『おめでとう』の言葉が何故か元旦を忘れさせてしまう。

ともあれ新年の始まりだ。
今年もよろしくお願い申し上げます。
 

2010年営業の終わりに 2010年12月28日(火)

  カフェは本日をもって本年の営業を無事終了いたしました。
ご利用いただいたすべての皆様に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

『常連の犬たちばかりじゃ高齢化が進んでカフェは長続きできないね』
そんな危惧を抱いていたら、ちゃんと若い犬たちが現れ活性化された一年だったように感じる。
一方で、この一年の間に亡くなった犬たちと飼い主の心情を改めて想い起こす日々が重なる。

寿命が短い犬たちと関わるこの仕事は人間社会を早回しした縮図のようだ。

ただ、死んだ犬たちは、その生い立ちとエピソードまで鮮明に想い起こされるのに、長く生きた人間は誰もその人生の多くを語れず一時代を追悼するしかないだけに分が悪い。

『生きる』とは、ずっと誰かに見守られていると考えるのがいいのかも知れない。
犬にとってはそれが飼い主であり、人間にとっては両親を含め人生の断片的な場面で巡り会う人々ではなく、一生を見守る存在、つまり神様仏様なのだろうか?

否、わんこたちには悪いけど、一生をずっと見られていたんじゃ人間は恥ずかしすぎる。
生きた証を誰かに残したい気持ちはあるけれど、やっぱ断片的がいい。
死ぬ前に誰かと繋がっていられたらいい。
過去不詳のまま里親に飼われるわんこだっているしね。

一年を振り返った時に、楽しかったことや来年への希望に加え、誰しも逝ってしまった魂に想いを起こすはずだ。

暗い締めくくりで恐縮だが、『何故、今年も自分が生かされているのか』を毎年正月に考えるのが私流の逝ってしまった仲間への哀悼であり、来年への意気込みでもある。
そんな年末がやってきた。

本年中は大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
よいお年を!!
 

メリークリスマス! 2010年12月25日(土)

  夜の12時。
外はマイナス9度。
クリスマスの夜はいつもこんな感じだ。

夜中まで点灯していたサンタ人形のコンセントを抜くと星空と雪明かりの世界が蒼く美しく感じられた。
今日のクリスマスランチにご来店いただいた皆様ありがとうございました。
ここのカフェってまるで会員制クラブみたいですね。

「良いお年を!」
そんな声が帰り際にそこここから聞こえていた。

人々の営みに1年という月日が大きな変化をもたらすことも珍しくないけど、わんこたちには必ず大きな変化が毎年ある。
毎年受験生を抱えているようなもんだ。

さて、あなたのわんこは今年の間にどれだけステップアップさせることができましたか?
それなりの年齢に達しているわんことはどれだけの思い出作りができましたか?

カフェで過ごしていると、それらのことを少しずつでも達成している飼い主ばかりで、恵まれたわんこであることが分かる。
ただ、それが偶然ではなく何故かしらの流れの中で進んでいて、ある種必然のようになっており、初めて来店される方はそのエネルギーに最初圧倒されることが多いように思う。
そして自分と愛犬とのスタイルを模索し追い求めることになり、そんな空気に共感した方がカフェを作り上げているのだろう。

我が意を得たり

来年もそんなカフェであり続けれたら嬉しく思います。

ただね、カフェの今年の営業は今日で終わるわけじゃありませんから。
『来年もよろしく!』っていう挨拶は分かるけど、それは28日までにご来店のうえ仰ってください。

それにしても、この一年ありがとうございました。
メリークリスマス!!
 

ゲレンデ情報 2010年12月20日(月)

  解けちゃいましたね。
かなり解けちゃいましたね。
誰もが『これで根雪』って思ったはずのあのしっかりした雪が、夕べからの雨と暖気で相当解けてしまった。
12月の19日、しかも夜中に雪じゃなくて雨音がするなんてびっくり。

ひょっとしたらこんなこともあるんじゃないかと秘かに思っていたから、あの結構な雪が積もった朝、私はガーデンと駐車場だけ除雪は行わず踏み固めて温存する方法を選択した。
でも気温が低く、雪合戦もできないようなさらさら雪だからそう簡単には固まらなかった。
『解けるかも、なんて取り越し苦労だったかな?』って正直思ったものだ。

なんもだぁ。
あの朝もし除雪していたら今日のガーデンは泥沼状態になっていたはず。
みんなで踏み固めたおかげで、解けた雪でぬかるんではいたけど、わんこは濡れるだけで汚れるまではいかなかった。
これってショックなのか喜ぶべきなのか?

明日は晴の予報。
たぶんガーデンは今夜凍結するものの、お昼頃には解け出してさらに雪解けが進むだろう。

除雪機ガロアラシ号は春先にしか人口降雪機能が無いため、明日(21日)はお早目のご利用が無難で、以降の方はそれなりのお心積もりをもってご来店下さい。
 


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