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今朝の朝日の天声人語を読んで『なるほどな』と深く考えさせられた。
人間は様々な発明により現代文明を築きあげてきた。 凸版印刷であり近いところではエジソンの電球であり自動車・通信技術でもあろう。 必要が発明を生み人々の暮らしは格段に進歩した。
そして今、発明から生まれた原発が私たちを苦しめている。
単純に思う。 発明というのは素晴らしいことなのだが、そこから派生する科学と権力者の思惑には警戒の意識を持たなければならないと…
例えばダイナマイト。 ノーベルは殺人兵器としてダイナマイトを発明したわけではない。が、現実にそれと結びついた。 『人殺しのために発明したんじゃない!』というノーベルの叫びと結果責任の罪滅ぼしがノーベル賞を生んだと聞く。
以後、様々な発明が一つになり、派生し、原子爆弾と原発を20世紀の人間に作らせた。
その便利さと快適さが故に私たちの頭は混乱させられた。 昔は『必要は発明の母』であり、『こうなればもっと楽になるのに』という発想から頼もしい発明が生まれた。
が、今は違う。 発明のほうが先行し、その恩恵に浴した人間たちの『必要とする観念(中毒症状)』が後から続いている。 『無ければ無くていいのに気持ちいいからやめられない』という麻薬の蔓延と同じ構造だ。
さて、今、改めて問うてみよう。 原発は 1.必要だからあるのですか? それとも 2.あるから必要なのですか?
答えがだんだんと明快になってきたはずだ。 1.の答えならば、原発以外に安全で環境にやさしい科学があるのならそちらを推進すべきだと考えるのが自然であり、 2.の答えは地元住民の一部や利益供与を受けている人々の苦悩を表していると考えられる。
まさかこの期に及んで『原発こそが最終的な発明』と思っている人間はいないはずだ。 平穏な生活をしている人々に、今の生活を変えることを求めるのはいつの世も過酷である。 でもそれ以上に過酷な暮らしをしている人を互助する精神が日本人にはあるはず。
そんな強い気持ちをもって明日に立ち向かいたい。 すべては子供たちの未来のために。
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