From the North Country

ダメ犬にも一条の光 2011年09月14日(水)

  秋晴れの中、ガーデンの雑草の新芽をむしりながら幸せを感じる。
こんなご時世なのにと申し訳なく思いつつ…
ふと横を見るとチワワのらむが所在なさげに立っている。
『しっこもうんちもしましたよ。でも何かお仕事中なんですね。僕はそばにいますから』と、らむも秋の陽気が満更でもなさそうだった。

超がつくほどにビビり犬で反射的な吠えが今でも時々出るらむだが、私と二人だけの今日はいたって穏やか。
たぶん久しぶりに一声も発しない一日だったに違いない。

昨日そのらむが私のレッスンのアシスタントを務めてくれた。
お相手はカフェでは陽気なのに、外の世界が恐ろしくてたまらない同じくチワワのココアとミッシュ。

現時点では不安な時にはいつでも抱っこしてあげるよ、という中で刺激に慣れさせ心を強く育てているのだが、新たなアプローチが欲しいとも考えていた。

そこでらむの出番となった。
お散歩だけは大好きで(もちろんご飯も)、散歩中は他犬や他人を全く無視し、私に注意を払い素直に指示に従う特技を持っている。
だからフリーにして手伝わせた。

初回だったからそれほどの成果は出なかったけれど、それでもココアとミッシュは最後まで私に抱っこされることなくラムの後姿を見ながら歩き通した。

らむが草むらで臭い取りをするのは普段なら悪い習慣だが、昨日はそれが役に立ち、ココアもミッシュもその時だけは一息入れて心を静めていた。

ベストなのは飼い主さんとみんな一緒にたとえば原始林やレクの森辺りを歩き、数週間をかけて徐々に下界というか街並みに出ていくことなのだが、カフェをやりながらのレッスンではそう簡単にはいかない。

ともあれ居候のらむが初めて貢献してくれた。

「らむ凄いんだよ。2階に行ったら『やってやったぜ!』って満足そうに偉そうな顔してるんだから」
Kが笑いながら教えてくれた。
どうやららむのレッスンにもなったようだ。
 

男の更年期 2011年09月12日(月)

  今夜は中秋の名月。
夏から秋への変わり目の近頃、最も困っているのが“燃える体”である。

暑い時期、外気と体温差がそれほどない時には「暑い暑い」と叫んでいることで夏の暑さを受け入れることができていた。
が、外気がひんやりし肌寒さを感じるようになった昨今、肩甲骨から上の両肩辺りが燃えるように熱く感じられるのである。
もっと言うならお灸のように焼酎が両肩の上で青白い炎をゆらりとさせているような感覚と言ってよい。

その熱さにたまりかね、外気は18度くらいなのにエアコンを入れると明暗はより鮮明となる。
体の多くの部分は冷気で寒くなるというよりチクチク痛むのに対し、両肩には熱い塊が居座っている。
寒いのに『暑い』じゃなく『熱い』個所があるということだ。

夜11時、ガーデンに出てみると曇りの夜空高くにおぼろ月が見え隠れしていた。

上記の症状は『アルチューハイマー』という予断も捨てきれないが『男の更年期障害』というのが私なりの診断である。
精神的にはこれまでの不完全な人生にお灸をすえられているのだと感じている。

体であれ心であれ“変化”する時期に直面しているのは間違いのないことのように思う。
どうかこの先、心身が変化する中で、体はともあれ悔いることのない心一つを自分がより深く発見できることを願ってやまない。

アルコールが回ったものだから、いろんなことを書けと脳があれこれ言ってくる。
今夜はこれ以上書かないことで抵抗しようと思う。
闘争態勢が整った時に思いの丈をぶちまけるほうがいい。
 

エバーへ 2011年09月07日(水)

  「エバーが死んだの」

今日、盲導犬ユーザーのKさんからふいに電話があった時、私の頭は瞬間的に『そうか。でもどうやって慰めようか』という思いと『エバー?今日までまだ生きてたの?』との思いが交錯し、遠く懐かしい秋田県横手市の街並みをKさんとエバーそれに私とで歩き回った光景がゆっくり流れだした。

盲導犬を取得するための4週間にわたる“共同訓練”が札幌の訓練所で終了すると、生活地域でのフォローアップつまり現地訓練が行われる。

Kさんを担当したのは私で、隣町の花火で有名な大曲市(現・大仙市)に住むFさんとのフォローアップを行うため日に何度も行ったり来たりの大仕事だった。

視覚障害関連の役員もされていたからKさんとエバーの活動場所は多岐にわたった。
役所・かまくら館・病院・福祉施設・散歩コース・美容院・駅・買い物コース…

そんな記憶は遠い昔のことで、そういえば散歩コースのあちこちで秋田犬が退屈そうな眼をして私たちを眺めていたなと思い出す。

「エバー、何歳だったの」
「もうすぐ17歳なのに、今朝老犬ホームのTさんが出勤した時には息絶えていたんだって。」と涙声のKさん。

「17歳?!!、何が頭の病気だよ、大往生でしょ!」
そう言うと私は急に明るくなった。
するとKさんが思い出話を語り始めた。

「エバーはお利口だったんだよ。どんなに道に迷っても、『エバー、お母さんもう帰り道が分からなくなった』っていうと、必ず大通りまで誘導してくれて、それで自分の居場所が分かって帰えれたんだから」
「へぇー。」と私は感心し、言葉を続けた。

「ところでさぁ、なんであの時“横手焼きそば”を食べさせてくれなかったの?B級グルメナンバーワンだよ。当時はなかったの?」
「あったよ。でもあんなの普通にあったから…」
「食べたかった。麺もソースも美味そうだし目玉焼きまで乗って…、今度そっちに行ったとき食べさせてよ」

そんな話題になった頃にはKさんもすっかりいつものKさんに戻っていて、私の心は『いつか絶対秋田に行って横手焼きそばを食うぞ』となっていた。

するとKさんが「パソコンが壊れてウィンドウズ7にしたんだけど、全然使えないんだ。」という。
「おんなじだ僕も。不自由な世の中になったね…」

妙な弔いで悪いけど、エバー、安らかにね。
君の母さん、僕がパソコン使いづらくなったって言ったら『自分だけじゃないんだ』って安堵したように意欲燃やしてたよ。

見守ってあげてください。君の母さんを。
 

台風みたいなわんこには育てない 2011年09月05日(月)

  夜11時を過ぎ強風が吹き荒れている。
私の育ちのふるさと奈良や和歌山に大災害をもたらした台風12号は温帯低気圧に変わったものの、未だにその威力を北海道で示している。

その雨は先週の金曜日から降り続き、週末の営業はやめようとさえ真剣に考えていた。
でも、急に告知してもご来店されるお客様がおられるかもしれないからと、通常通りの営業を行っていた。

案の定といえば失礼極まりないけど、おかげさまで“それなり以上”のご来店を賜り、心より感謝申し上げます。

その荒天の中、2回ご来店のわんこ達が多いけど、そこに新参の生後6か月のチワワ/ミッシュちゃんも含まれていた。
飼い主さんの本気度を感じた私は、日中の曇り時間を見計らってレッスンに出かけた。

30分のうち20分は抱っこしながら歩いていたと思う。
なにしろミッシュは典型的な内弁慶で、外に出た途端に固まってしまうチワワだから…

抱っこするとミッシュの速く乱れた鼓動が手に伝わる。
例の魔法のモジョモジョをすると情緒が安定し『下ろしてみて』ともがく。
下ろしてしばらく歩くと『やっぱり怖い!』と四肢を踏ん張って歩かなくなる。

私はリードの長さ分離れてから「おいで」と声をかけ、軽くリードを引いて呼び戻し抱っこする。

その繰り返しの中でミッシュの鼓動が時々安定するのを感じる。

『脈あり!』
もちろん心臓の脈ではなく、暮らしやすい家庭犬へ向けての“脈”である。

小型犬や神経質な日本犬の場合、レッスンの導入部分でつまずくと後を引くことがあるから、慎重な対応をしたということである。
言い換えれば若くて元気な大型犬の仔犬では、別のアプローチをしたはず。
実際、生後3か月半のゴールデン/夢ちゃんにはもっと手荒で刺激的なレッスンを行っている。

共通しているのは、1歳になるまでに人間社会で暮らす基礎的体験を“受け入れられる範疇”で積み重ねているということである。

餌を与え、甘噛みの痛さやいたずらに耐え、それに排泄の失敗を嘆きながら暮らすのは単なる肥育である。

わんこはちゃんと育ててこそ愛犬になる。
そんなヒントをお知りになりたい方は、台風のような日こそチャンスですよ。

敷居の高いドッグカフェとの評判は内心うれしい限りです。
が勇気と本気さえあれば全力でサポートさせていただきます。
 

宣告と告知 2011年09月02日(金)

  今夜はわんことは関係ない話。

しかも、黙すか八方美人であるほうが無難な個人事業主なら書かないほうがいい政治の話である。

ま、酒の力と受け流して読んでいただきたい。

私は菅政権を最初から最後まで支持してきた人間だから、新内閣が発足した今夜総括しておきたいと考えた。

あのような大震災だったから“なかったことに”という政治を進めることは誰しも不可能だったはずだ。

何をどうしても悲しみは深く、時間の経過とともに国民の不平不満がつのるのはやむを得なかったし、“想定外”というより“まさかの出来事”という言い訳のもとに対応が遅れたのも、ある意味理解できた。

だが、事は大事だった。
火事なら消せばいいし、水害や山崩れなら地道に復旧する知恵を我々は受け継いでいたのに、放射性物質は処理や対応の仕方も分からないまま使うことを決めてしまっていた。

そして地変に乗じて人災が起こったのである。

菅さんは庶民の心を代弁したように思う。
原発はやめよう、と。
さらに正直に言った。
もう故郷には帰れない地区があると。

菅さんが感じたことはどの政治家よりも庶民に近い感情だったと私は思っている。

だが、リーダーとして不十分だった。

例えがふさわしいのかどうか分からないけど、一人の人間がある災害によって失明する場面を私は想像している。

まさか自分が全盲になることなど想定していない時に事故が起こった。
人はパニックに陥り、そんなこと自分にはあり得ないと否定し、もがき苦しんだ。

だが医者として患者の目が見えなくなることが分かった時、あなたならどう対処しますか?

大別してふたつの方法がある。
1.大丈夫、この薬をつけて様子を見ましょう。医学は日進月歩です。希望を捨てないで。と励ましますか?
2.お気の毒ですが現代医学ではあなたの視力を回復することはできません。障害を受け入れて新たな生き方を探されてはどうでしょうか?と、現状を正直に述べますか?

さあ、あなたならどちらを選択しますか?

野党やマスコミは1を選択したくなり、菅さんは2を選択されていたのでしょうが私は両方を否定します。

1の選択の大きな過ちは、思わせぶりなことを言うだけで、患者の社会復帰を妨げる重石になってしまうこと。
2の正直さでは患者は希望を失い、ひょっとしたら自殺するかも知れない、という懸念を残すこと。

みんな薄々分かっていることをどう伝えるかが大切なのだ。

“宣告”という言葉には、相手に伝えてそれでおしまいというニュアンスがあるけど“告知”には、次をどうするかの示唆が重要となる。

菅さんは告知ではなく宣告をばらまいたのだろうが、そのことで次の政権が言いづらかったことを踏襲しやすい環境を作ったのは間違いない。
そんな功績が菅内閣にはあったと総括したい。
 

私の主張 2011年08月31日(水)

  何がどういう流れを生んで、愛犬の飼い主の方がカフェにご相談に訪れるのか分からないけど、このところ新規のお客様が多いと感じる。

その方々の話を伺う中で公表しておかなければならないと確信した項目を今夜は書いておこう。

1.ペットショップで言われたこと
@ごはんは1日2回与えてくださいね。

冗談じゃない、生後2か月程度の仔犬に一日2回の給餌しかしないなんて最低限の命をつなぐ行為にほかならない。
ショップの話を信じてこれまでそれを実践された方には本当に辛い話になるが、あなた方はあなたの愛犬をネグレクト寸前の飼育状況で過ごしてこられたということになる。

ペットショップで売られている月齢のイヌは、本来最低一日3〜4回の給餌を受ける必要がある。
だって、人間でいえばまだ乳幼児の成長レベルですから。
でも、一日に3〜4回“えさ”を与えなければならないなら、勤めに出ている人は犬を飼えなくなてしまう。
だからショップは皆さんに罪悪感を抱かせないように、『1日2回』と命をつなぐ最低限を“本来の姿”のように偽って販売している。

生後3か月、乳歯が当たり前だから人間でいえば幼児である。
そんな子に“えさ”が1日2回なんて、考えただけでもおかしいでしょう。
朝夕、黄色い胃液を吐いていませんでしたか?
健康なわんこなら、空腹なのにお腹が空っぽだったら分泌された胃液で胸焼けして吐いてしまうのです。

もっと想像力を働かせて欲しい。
仔犬が自分の便を食べてでも空腹を満たそうとする行動があったとして誰が責められようか?

給餌が1日2回となるのは生後7か月頃からだと私は考えている。

A 『3回のワクチン接種が終わる(生後4か月頃)まで外に出してはいけない』とショップの人がまるで獣医のように言ったから、その通り“箱入り”で育てた。

これこそダメ犬を育てる典型的な事例である。

4か月といえば乳歯が抜け始める頃まで外に出さずにいるということ。
人間でいえば年長組か小学校低学年まで、社会と触れさせずにいるということである。

それだけで障害児を育成しているようなものだ。
障害があったから見つかった人生もあるけど、無いほうがいい場合だってあるでしょ。
仔犬は抱っこしてでもこれから生きていく人間社会の空気に触れさせるべきなのだ。

チワワのチロルちゃんの飼い主は手探りの中で、その思いを実践されてこられた。
だが、知識が足りなかった。
他犬に慣れさせようとの思いで、無法地帯のドッグ乱に連れ出してしまい、恐怖体験を何度もチロルに課してしまったのだ。

その結果、チロルは自らの命を守るため殻に閉じこもり、家族以外の人間と他犬を排除する生き方を選んだ。

今この国の多くの人々はペット社会と言いながら、実際にはイヌ社会との区別が分からず、混沌とした中でその不協和をなんとか安定させようと悶々としている。

つまり、専門家に言われたように育ててきたのに現実的には大きな問題が横たわったとしたら、その原因を自分に課し、責任は『うまくやれなかった自分にある』とごまかすことで心の安定を求めているのだ。

あなた方が感じる気持ちは間違ってはいない。
騙しているのじゃないのだろうけど、あなた方が信じている人々の観念と知識が未熟だったり商魂に覆われているだけのことなのだ。

何を・誰を信じるか?
決めるのはあなただ。
一回しかない人生を正直に生きていただきたい。

ちなみにわんこのレッスンをしている私は、原子力発電に対して『万が一放射能漏れがあった場合、それを即座に無能化できる技術ができるまで稼働してはならない』という考えを持っている人間です。

何を信じるか、どう生きていくのか、そんなスタンスをマスコミに操られることなく政治を愚痴る前に、自分はどうなのかをはっきりさせなきゃわんこなんて育てられない。

そう、わんことの暮らしというのは、自分という曖昧な存在をあぶり出して明確に映し出し、これからを決める今を教えてくれる鏡なのだと思う。

酔っぱらってフラフラになりながら書いているけど、どうか真意を汲み取っていただけたら本当にうれしい。
 

ため息ばかり 2011年08月28日(日)

  「見てごらん、困ってるよ。目を合わせないようにして通り過ぎようとしてる。おりこうなワンちゃんだね。ほれ、あんたたちが吠えるから困った顔してるよ。」

昨日アモと公園を散歩してたら、吠えかかる小型犬の飼い主がそう言いながらご自分のわんこに言い聞かせていた。

いい人そうだっだその方の横を、私は憮然としながら通り過ぎた。

吠えかかる自分のイヌを結果的に制御することもできず、まるで自分のイヌは言葉が理解できるかのように口先だけでたしなめている飼い主に嫌気がさしたから。
ただ、アモの心理だけは的確に言い当てていたのは事実だ。
『私は犬の気持ちがわかるのよ』というなら、ご自分のイヌの無礼を即座に治すほうに目を向けていただきたいと心底思った。

もう、いい加減にしないかい?

犬というのは吠える機能が備わった動物だけど、吠えさせるかどうかは飼い主の意思が反映していることにそろそろ気づいてほしい。

イヌが吠える時のエネルギーを感じたことはありますか?
小型犬だからという甘い気持ちが潜在的にありませんか?
「黒い犬に襲われたことがあるから・・・」と言い訳してませんか?その黒い犬の責めを他の黒い犬が負うのですか?

心理的に恐怖を感じるのは理解できる。いわゆるトラウマであったりPTSDといわれるものだ。単に自分より大きいということだけで恐怖を感じることもあるだろう。

猫は息をひそめて相手をやり過ごすが、ガラガラヘビやイヌは音や声を上げて『来るな!』と警告する。
ガラガラヘビをしつけることができるかどうかは知らないけれど、イヌは飼い主が胸を張って育てればペット社会でどこでも通用する愛犬に育てられることをもっと知るべきだと思う。

“ペット社会”であるはずの公園やドッグカフェ・わんこと泊まれる宿に、“イヌ社会”でのしつけしか知らない無垢な人々が主導権を握って利用しているのがこの国の現状だ。
もうちょっと私も頑張らなきゃならないようですな。

・ワクチネーションが完了するまで仔犬を外に出してはいけないというペットショップと同等の考えを持つ獣医の意識改革
・家庭犬として暮らす場合の適切な去勢時期
・イヌを犬に育てる方法・・・ハァー、山積みの課題ばかり

イヌはちゃんと育ててこそ犬になるのですぞ。
その意味を後悔する前に知っていただきたい。

いっそのことこの欄を公開講座にして私の考え方やノウハウをまとめようかなあ。
でも、酔っぱらった状態で書けるわけないか。
 

サポートカルテのこと 2011年08月24日(水)

  レッスン依頼を受けると個人的に作成したカルテにプロフィールや相談項目・レッスンの内容とその経過を書く習慣が過去にはあった。

が、2〜3回のレッスンでわんこの状態がある程度改善されるとカフェに現れなくなる飼い主がほとんどだったものだからいつの間にか私はカルテを書かなくなった。

一部の飼い主は頻繁にカフェに通われるので、こちらもカルテを見ずともわんこの状態が把握でき、カルテの必要性はさらに薄れていった。

ところが最近、5回6回と来店され、本気なのか一時的なのか分からない飼い主さんのわんこのレッスンが続くものだからカルテへの記録を再開せざるを得ない状況になっている。
記憶力の低下が甚だしい私は『あの飼い主さん見たことある。で、あのわんこの名前なに?相談内容なんだったっけ?』の繰り返しで、自分自身にうんざりしている日々だ。

たまたま先日からカルテを書いていたものだから、今日来店のポメラニアン/ルルがどんなわんこで前回のチェックで何を感じ、今日がレッスン日になっていることを知り、飼い主さんに何をアドバイスすべきかを確認することができた。
あれがなければ『さあ、レッスンに行きましょう』と言わなかったし、飼い主さんは『はあ?今日レッスンじゃなかったっけ?』ということになっていただろう。

皆さんにご迷惑をかけないように今一度カルテの記入を心がけようと思う。
数少ない本気の方々の意を汲み洩らさないために、無駄な面があっても面倒くさくてもカルテの記録は続けようと思った。

年取ると本当に忘れるからささやかな努力が必要のようだ。
頑張るじょ。
 

あっちこっちにあるパソコンに悩む 2011年08月20日(土)

  パソコンが壊れてから10日余り。
メーカーに問い合わせたら「おそらくマザーボードの交換が必要で修理費用は7万数千円からになります。」とのこと。

がっかりしていた時に、「パソコンの“天才オタク”知ってますよ」という柴犬/宗一郎のTさんの言葉を思い出してから事態は展開していった。

新しいパソコンを買い何とか使えるようになったものの不便を感じていたら、修理に出した“天才オタク”から連絡が入った。
「やはりマザーボードの交換が必要なのですが、メーカーではすでに保障期間が過ぎていて在庫がなく、中古の転用品を探すのに時間がかかります。ついては3年前の中古パソコンを格安で提供しますので、それにデータを移し替えるのが最速で割安なことと思います」とのことだった。

で、我が家にはKのパソコンと私が買ったばかりのパソコン、それにデータを移植された中古パソコン計3台が稼働することになった。
おまけに、Kの以前のパソコンは壊れたわけでなく容量が重くなって頻繁にフリーズするようになったから買い換えたのを思い出し、ほこりを被ったKの古いパソコンを昨夜リカバリーしたら快適に使えるようになった。

つまり、二人で暮らす我が家にはネットに繋がるパソコンが3台と普通に使えるパソコン1台、おまけにIPADまであった。

当初の半額でパソコンが戻ってきたけど、子供が増えたみたいに戸惑いばかりが増えている。
バカだねぇ。
そうは思うけど、もうちょっと状況を受け入れるのに時間がかかりそうだし、メールの送受信をどうすればいいのか混乱している。

まあ、この欄はどんなパソコンからでもネットにさえ接続されていれば書けるのがいい。
ともあれこれからもよろしくです。
 

フォローワーに感謝 2011年08月16日(火)

  「やっぱり私の育て方が悪かったんだ」
お散歩チェックを終え、私からの厳しい評価を聞いた飼い主さんが落ち込む。

「これでもレッスンを始めてから家ではずいぶんお利口になったし、散歩の時もパニックを起こさなくなったんですよ」という飼い主さんに「まだまだ、進歩が遅い。始まったばかり」と私の辛口評価が続く。

落ち込み戸惑う飼い主さんたちを、そんな試練を乗り越えてこられた常連の皆さんがガーデンで慰めフォローしてくださっているようだ。

何をどんなふうに話されているのかは知らないが、暗く真剣な表情が徐々に明るくなり、会話が弾んでいるのがカフェの大きな窓ガラス越しに伝わる。

『助けられているなぁ』って感じる大好きな光景である。

今年のお盆は雨に見舞われたが、初めて来店される小型犬の飼い主さんが多かった。
振る舞いは別にして土台(本来持ってる性格)の良いわんこが多かったように思う。
もちろん素晴らしく育てておられる方もたくさんでした。
遠く何百キロも離れた釧路や網走からもご来店いただきましたが、そんな情報を何気に聞き出してくださったのもお店の常連さまたちでした。

本当にいろんな形でカフェを支えていただき改めて感謝申し上げます。
スタッフの励みになりますし、犬しか知らない私はたくさんの社会勉強をさせていただいております。

私は私なりの知識と経験から導き出した“わんこワールド”を精一杯発信します。
失言は多々『九州男児でB型なもんで』・・・(旬を逃した?)
んだども、これからもフォローよろしく頼むべ。
 


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