From the North Country

子ども扱いは自立の邪魔 2010年10月10日(日)

  今度(17日)の日曜日、勝手ながらカフェは臨時休業いたします。

さて、今日は初めてお泊りのゴールデンのことを書いておこう。
残念ながら私の記憶にはないが、4〜5年前に数回レッスンを行ったわんこということで、昨日急遽お泊りの依頼を受けた。

飼い主夫妻の顔を見て『あ、知ってる』と反応し、僅かな記憶を手繰り寄せようとしたが、可愛らしい女の子の存在が邪魔をした。
伺うと“あの後”に生まれたお子さんとのことだった。

いよいよわんこを預ると重量感のある強い引っ張りと飼い主への執着が伝わり、『こりゃ大変かも』との印象。
カフェのフックに係留したあとも鼻鳴らしが続く。

「20分だけ猶予をやる。それまでに自分が置かれた状況を考え、振る舞いを修正せよ」と私はそのわんこに告げ、しばらく様子を見た。

20分も経たないうちにそのわんこは我々に背を向け、横になっていた。
背を向けているのはふてくされているように見えたけど、どうやら癖らしい。

その後の扱いもさほど手間はかからなかったけど、“執着”というほどではないが、外に出るなど何らかの動きがあった時に、私(普段は飼い主)に“執着もどき”の行動を示す興奮が見られた。

それ以外の時は自立できている大人のわんこである。

実はそんなわんこって意外に多い。
つまり、犬は大人になっているのに飼い主が子供扱いというか“わんこ扱い”をするものだから、幼児性を演じ続けることで飼い主の期待に沿う振る舞いをしているのだ。

そんな暮らし方を飼い主が続けるうちに、本当に変になって手に負えなくなるわんこが多いけど、今夜のゴールデンは“社会人扱い”をすれば、ホッとしたように本来のわんこの姿を今のところ見せてくれている。

自分の赤ちゃんができてから、優しい飼い主さんはこのわんこの心情を察し過ぎてしまったのかもしれない。

わんこは観察力の名人である。
しっかりした愛情と日頃からの信頼があれば、余計な気を使わなくたって『あ、そういうことなんですね』と、受け止めてくれるのが愛犬である。
時に突き放すようにしてでも接することが犬には理解しやすい言語になる。
 

へへへ 2010年10月03日(日)

  再来週17日の日曜日、カフェは臨時休業します。
間違って御来店なさらぬようお願いします。
来週ではありませんよ。再来週です。

さて、昨日のゴールデン、今日もレッスンに通ってくれた。
「今朝の散歩はいつもよりずっと楽でした」という飼い主に、
「魔法がちょっときいてるだけで本物ではありませんよ」と私は答えた。
だが、実際歩いてみるととっても楽で、ちょっと驚いた。

これはまずい!
たった一回のレッスンで上手に歩けるようにしたのではプロとしての沽券に関わる。
プロならばそこそこの回数を重ね、引き延ばしながら"美味しい汁"を吸って利益をあげなければならないはずなのだ!

心で反省しながら、今日もまた高度なテクニックを使って数ランク上のレッスンを行ってしまった。
どんな性が私に宿っているのだろうか。

経営的に成り立つとしたら、一回のレッスン料を貰うよりも成功報酬としてのお布施を頂いた方がいいに決まっている。
ひょっとしたら私の訓練に感激したアラブの富豪がドーンと報酬をはずんでくれる余地だってあるし。

冗談はさておき、この飼い主さんがうれしい言葉を連ねてくれた。
「明日もお願いできますか?」
どうやら本気のようである。
「明日は雨の予報だからレッスンは無理でしょう」と私がかわすと
「もし降ってなければいいのですね?」と続けてくれた。

こんな人を応援したいのですよ、私は。

「そうだろう、そうだろう」と、頷きながらお読みくださった皆さん。
あなた方も私と同様に甘い!

自分のわんこがちょっとお利口になっただけで、カフェから離れてしまう方がほとんどという現実を知らないのだ。

これまでにも述べてきたように、それぞれの家庭に経済的時間的な事情があるから仕方のないことである。

だからこそカフェでは『いつもの皆様』とスペシャルなお話や時間というか人生を共有させていただいているのだ。

"楽しく生きるのが一番"の境地には深い人生経験が含まれている。
 

『とにかくカフェに通いなさい』という本音が言いづらい 2010年10月02日(土)

  「もっと早く相談に来ればよかったのでしょうけど…」

今朝のカフェで愛犬のゴールデンに引きずられまいと腰をかがめながらリードを押さえ、さらに恐縮しながらご挨拶してくれた飼い主さんがおられた。

その瞬間、私は気の毒に思い、『こんなはずじゃなかったのに…』という飼い主さんの心からの叫びを聞いた気がした。

あまりにも大変そうだったので、私がリードを預りそのゴールデンを落ち着かせようとしたが、これがこれが一苦労だった。
I獣医からの紹介と伺い、『先生、診察でも相当苦労しているな』と苦笑いするしかなかった。

とんでもないエネルギーを発散し続けるゴールデンを制御する私に、飼い主さんはA4の紙を見せた。
「一応まとめてきたのですが…」という飼い主さん。
老眼の私に配慮してくれたのか、その紙には大きめの文字で“困ったこと”が箇条書きに並べられていた。

視力を調節しながら何とか読んでいると最後の方に、耳の治療をしようとすれば『咬む』という文字。
こりゃ大変だ!

「ちょっとレッスンに行ってきます」という私の言葉に、Kはすかさず「サポーターいらないの?」と気遣ってくれた。
膝・腰に加えて左手首を痛めている私は感謝しながらも「大丈夫」と応えて外に出た。

そのゴールデンの凄まじさは基本的には出産させ販売した側の責任である。
飼い主は良心的で普通の家族なのだ。
暮らしやすいゴールデンと出会っていたら何の問題もないどころか、『こんな暮らしがしたかったんだ』と夢の実現を喜んでいたはずである。

ともあれ今後のことは飼い主さん次第。
言いたいことや書きたいことは一杯あるけれど、そのゴールデンと飼い主さんが、私やカフェそれに愛犬との今後をどのように捉えられるかの判断に委ねるだけのことだ。
経済的・時間的制約があるだろうから『とにかく頻繁に来なさい』という本音が言えないのがつらい。
 

酔わなければ書けない事。(え?つまりはいつものこと) 2010年10月01日(金)

  月が変わった。

最近いろんなことが変わっているが私には面白くないことばかり。

テレビはアホなバラエティー番組の羅列ばかりだし、ニュースやキャスター番組では政権や起きた犯罪を批判するだけで、事前に自らの主張を提示することはない。
美味しいところだけの後出しジャンケンで飯を食っている。

新聞を開けば広告不況と言われる割には全面広告が溢れ出し、どれだけ割引してでも広告を取るかが至上課題となっているようで、社是が果たして守られているのか不安になる。

我らが阪神タイガースは『残り試合を全勝すれば優勝できる』という喜びを、プレッシャーと感じて自滅してしまうし、地元北海道日本ハムファイターズは、開幕当初の出遅れが最後まで響いてしまった。

おまけに今日からタバコの値上げが始まった。

愛煙家のことをみんな野蛮で自制心がない人種だと思っているかもしれないが、私は我が国では希少なほど社会問題を考えている人々だと思っている。
『嫌煙や健康志向を言うなら、タバコの栽培・製造・販売・所持・使用を違法にしろ!』と叫ぶ我々に対して、社会や政府は明確な回答を示すべきである。

愛煙家として、しみったれた反論のひとつでも許されるのなら
1.いつの間に人々は煙突や排気ガスへの苦情を申し立てることなく、タバコだけが煙たくなったのか!
2.排ガスと同じような工夫がタバコに施されれば、目の前の喫煙者をあなたは許せるというのか?
3.嫌いという心理が身体に影響を及ぼすのは確かだが、それはすべて嫌われた喫煙人間の責任といえるのか?(日中関係にも影響しますぞ)
4.無菌室や自分に不都合な物事が排除された社会を求める気持ちは分からないではない。
だがそれを遮るのが本当にタバコなのか?
タバコの煙がなければ上手くいくのか?
死んだ人間に対して『タバコのせいであなたは無用に死んだ』というのか?
5.家族がタバコの煙に苦しんでいる。
スギで苦しむ人々がいる。
自然ではなく人間の営みが人々への苦痛を与えているのなら、まずは喫煙者である当事者すら被害を被っているタバコを規制するのが正当である。
だが、本当にそれが人間が生きていくうえでの大問題で焦点なのか?
問題転化はないのか?

言いたいことは山ほどあるし、多くが今の時代や読者に通用しないことも承知している。
ただ、これまでの“常識であること”が我々の身体の反応を弱い方向へ変化させているのではないかと、苦し紛れを吐きたくなる。

きっとこの問題に対しては、国民同士と政府のコンセンサスが得られるような議論とプロセスがなく、愛煙家を無視した研究と市民の批判・それに国際世論ばかりが重視され構成されたことを“マスコミ発表”によって正当化されたものと私は受け止めている。

私の意に反し、私の紫煙があなたの健康に被害を及ぼしたなら心から申し訳なく思います。
でも、あの日あなたと出会い、あの夜語り合えたことは私にとっての至極の時間でありました。

私の喜びと同じようにあなたが喜びを感じてくださったなら嬉しく思います。
ごめんなさいね。私は喫煙者でしたけど…。
 

最初の1年 2010年09月29日(水)

  仔犬と暮らし始めてから最初の1年間を、あまりにも軽視し無頓着に過ごしている飼い主が多すぎる。

・わぁ、可愛い!!
・犬と暮らすのが夢だったんだよねぇ。

そんな気持ちは分かり過ぎるほど分かるけど、馬鹿さ加減も度を過ぎると『無知とは罪なり』と言わざるを得ない。

何世代にも渡って日本人は犬と暮らしているからDNAの中にある種の知恵があるはずなのにそれが生かされていない。

室内で犬と暮らすというスタイルが先人の知恵では対処しきれないのか?
それとも新たな犬種に日本人が適応しきれていないのか?
さらにうがった見方をすれば、子育てや学校教育において“愛のムチ”は原則的に批判され、法体系を意識しながらでないと叱る事も出来ない世の中になっている。
その結果、許される(奨励される)叱り方と、明らかな虐待が区別できない親や飼い主が出現している。

仔犬との最初の1年の正しい暮らし方を伝授しよう。

1.まずは快適な生活環境を提供すること
@食事回数を考えよう
・生後4ヶ月までは1日4食が基本
・生後6ヶ月までは1日3食が基本
・生後7ヶ月以降で1日2食に慣らす
A住環境を考えよう
・仔犬の快適な寝床を整えること

2.すでにしつけが始まっていることを自覚しよう
@何はともあれ排泄のしつけ
・排泄のしつけとは、犬が催した時にペットシートで勝手に排泄をすることではなく、犬が排泄を我慢する前に飼い主が犬を適切な場所に連れ出し“指示”によって促し、結果的にどんな場所でも指示によって排泄できるようにすることである。
Aまだ仔犬でしつけもできてない犬を室内でフリーにすることは信じられないほどの暴挙である。
・多くの飼い主はこれを平然と行い当然唖然となる。
・『お利口になったら待遇が上がる』という自らの社会経験を犬にも応用すべきである。

3.仔犬の最初の1年は“取り返しのつかない大事な1年”であることを是非知っていただきたい。
@犬は最初の1年で成犬の身体に成長し精神もそれなりの成長を遂げる。
・つまり世間の見かたや対処の仕方を1年で身につけてしまうということ。
・世間知らずの犬はいつまでも世間知らずの土壌の中で生活し、この1年で様々な適正な社会経験をした犬は順応できる犬に育つ。
Aオスワリやフセ・マテなど服従に関する基礎訓練は何歳になってからでもできる。
・犬のしつけと服従訓練を混同している飼い主は多いが、それは誤りである。
そんな訓練はいつでも簡単に行えるのだが、最初の1年を修復するためには生きてきた年数分の時間が必要になるのである。

最初の1年は取り返しのつかない1年であり、取り返しをつけるにはそれなりの時間が必要。
取り様によっては取り返しは可能というわけだから『取り返しがつかない』という言い方は大げさな表現と受け取られるであろうが、『その意味は正しい』と私は思っている。
それほど最初の1年をおろそかにすると不利になるということだ。

『最初の1年』については重大と受け止めていただきたい。
 

おやすみ前に走り書き 2010年09月22日(水)

  今夜は中秋の名月。
長袖でないと散歩は寒くなり、やけに満月とお星様が空高くに感じられる。

久しぶりに箇条書き。
1.「来月からタバコ値上げですね。やめるんですか?」とお客様。
「うーん…。まだ決断できず、まずは買いだめに走っております」と私。

2.18日に亡くなったフレンチブル/ムサシの飼い主Kさんから電話を頂いた。
「ムサシの供養を少しでも長く続けられるよう体力づくりに励みます」と、思っていたより声は元気だった。

3.先日レッスンしたノーフォークテリア。
車やオートバイに向かって吠え立てるわんこはたくさん見てきたけど、あんなに凄いのは初めての体験だった。
小さな犬種だが問題行動に関するエネルギーは超大型犬と同じ。
私のエネルギーも波動砲クラスを連射した。
『もうやめてください』と、いつ飼い主が言い出すかと思っていたが、「吠えなくなったこんな姿、初めて見ました!凄い!」との感想。
ああ疲れた。

4.オーストリア/ウィーンで実施されているいわゆる闘犬クラスの犬種を飼う人の免許制度。
来月から1ヶ月ほど視察?に行ってきます。
私ではなくHさん。
で、レオンベルガーとチワワがその間カフェで暮らすことになりますので皆様よろしく。
 

ムサシ、ありがとう。そして安らかに 2010年09月19日(日)

  「いやぁ、ムサシの気性が荒くなったのか、よほど痛かったのか、病院で体温計を肛門に入れられただけで怒りだしたんですよ。そんなことする犬じゃないのに。」
いつもダンディないでたちのフレンチブル/ムサシの飼い主Kさんがそう言ってカフェに来られたのが2週間前だったろうか。

その他にもムサシの体調のことやら心配なことがあったようなので「ゆっくり相談されたいのならI先生の所に行ってみたら」と私は話した。
「その先生、腕はいいの?」とKさん。
ムサシ命のKさんはその時点では流すように問い返されたように感じた。
「まだ若いから腕がいいと言えるだけの評価はできないんでしょうが、ちゃんと話を聞いてじっくり説明してくれると評判はとてもいいですよ。」と私は率直に言って、8年前にI先生と知り合ってからのエピソードも付け加えた。

先週「I先生でしたよね。」と念を押すような電話があった。
「そうですよ」と私は気さくに答えたが、その時あの元気なムサシが深刻な状態に陥っているとはこれっぽっちも考えなかった。

そして今日
「長崎さん、せっかく紹介してくださったのにムサシちゃんが亡くなりました」と沈んだ声のI先生から電話があった。
「えっ!!」私は絶句した。

あの元気なムサシがいつの間に死に至る病気になったのかさえ想像できなかったし、なにより本当にムサシにぞっこんのKさんのことが心配で心配でたまらなくなった。

私も取り乱していたから先生の話を正確には覚えていないが、発作が起きるムサシの検査をしたところ既に重い脳症であることが分かったという。
告知した段階でKさんは大泣きされたらしい。
だが一晩を経て「Kさんは立派に冷静に振る舞われてました」とI先生。
その言葉に少しは安堵したものの、自宅に戻ったKさんの悲しみと苦悩を思うといたたまれない。
そしてムサシの死である。

Kさんたちには、どんな慰めの言葉も聞きたくない時間が今流れていることであろう。
今夜はただ静かにご冥福をお祈りする。
そして、『ムサシ、ありがとう。』と、添えてなお辛い。
 

たぶん今年最後のキャンプ 2010年09月18日(土)

  カフェの定休日にお泊り犬がいなかったり気候がよかったり特別な用事がないときなどにはあちこちに出かけることが多く、そんな時にいろんなわんこや飼い主と出会う機会がある。

そして思う。

カフェのお客さんなら
・吠える愛犬を放置することはないのに…
・他人に対しておかしな行動をしていることがあれば、それが“おかしい!”と、すぐに気づき愛犬を制御するはずなのに…
・なにより、普通に愛犬との同伴を求め、その結果による周囲への不都合がないよう配慮することが習慣になっているはずだ。

だけどねぇ…
出先ではいいわんこと出会うのに飼い主の配慮がイマイチなんですよねぇ。

キャンピングカーの中で吠えるゴールデンがいるのに、それを制することなく黙々とタープを設営する飼い主がいたり、愛想がいいのに吠えまくる愛犬を前にニコニコする飼い主もいる。
惜しいんだよなぁ。

そんな一昨日、定休日だったから今シーズン最後のキャンプに出かけることにした。
ゴールデンのあんこがお泊りだったけど、『あんこなら同伴させて大丈夫』と支笏湖に出かけると、生憎の雨。
すぐにいつもの洞爺湖の観光協会に問い合わせると『晴れてますよ』との返事があり、目的地を変更した。

結果は大正解。
秋の訪れの中でとっても快適な二日間を過ごすことができた。
アモとあんこは楽しく泳ぎ、私とKは秋の空気に囲まれて休日を過ごした。
数キロの水辺をノーリードで散歩し、帰路は一般道路を歩くルールを教えるとすぐに理解してのんびりとテントへと向かった。

いつものように宵の口の10時に寝袋を被る頃にはアモとあんこは隣で静かな寝息を立てていた。
何と言っても暑さから解放されたのがたまらなかった。

もう既に今年の秋は素晴らしい時間が流れている。
そんな中でいい休日が過ごせたことが嬉しい。
 

紀夫さんの1周忌に 2010年09月15日(水)

  今日は故佐々木紀夫さんの1周忌。

あの日盲導犬ユーザーのYさんから一報を受けたときは本当に驚いた。
病気で入院していたのは知っていたが、お見舞いに行くほどのことではないと思っていたから。

「1年過ぎればもっと気持ちが落ち着くかと思ってたけど全然だもんね」
奥さんはしんみり言う。
「ひとりで寂しくない?」と尋ねると
「いや、気楽にやってるよ。グリーン(紀夫さんの盲導犬)がいるし、お父さんもまだ家にいるみたい」
「グリーンは幾つになった?」
「もう11歳だけど元気で毎日散歩している。高速の上の道辺りまで歩くけどカフェまではもっと遠いの?」

『カフェまではもっと遠いの?』の言葉にドキッとした。
紀夫さんが生きてた時はボランティアの車でカフェにも時々訪ねていたし、死んだ眞知子がその手配を頻繁にしていた。
二人がいなくなったら視覚に障害がある奥さんはそう簡単には出かけられない。

きっと紀夫さんと眞知子が『奥さんのことちょっとは頼むよ』と言ったような気がした。

1周忌も過ぎたし、これからはたまにカフェにご招待することにしよう。
もちろん私が送迎して。
 

いろいろあって根深いけど…私は主張し続ける 2010年09月12日(日)

  前回のこの欄で
『素人考えで実践しようとしても無駄ですよ。詳しく知りたいならカフェでプロのアドバイスを受けてください』と書いたら、早速今日のカフェに吠え立てるトイプー2匹の飼い主がやって来た。

どんなに吠えるわんこがやって来ても最近の私は辛抱強くなって、っていうか、耳を塞ぐようにしてその場からいなくなり、飼い主からの相談がない限り相手にしないようにしている。
他犬に危害を及ぼすようなら放置することもできないから対処するけど、その様なわんこの飼い主は必ず事前に申し出てくれるから却って安心なのだ。

凶暴ほどではないが吠えるわんこの方が手がかかり、その飼い主は大別して4種類ある。
1.『吠えて困ってるんです』と率直に相談される飼い主
2.相談したいのに躊躇している飼い主
3.自分なりにその都度言い聞かせて対応する飼い主
4.無頓着なら最悪だけどまだマシで、こちらが苦言を呈すれば咬みついてくる論外な飼い主

勿論4の飼い主が最低。
ドッグカフェは当然ながら、わんこと泊まれる宿やわんこも受け入れようとする寛大なお店からも犬たちを排除するきっかけとなる諸悪の根源だ。共に暮らしている犬が可哀想。

3の飼い主がごく一般的で、『きっと愛犬が年を取って穏やかに変化するまで同じ対処をするんだろうな』と微笑ましく気の毒に思う。

2の飼い主には『あなたの決断のなさが問題を長引かせ根深いものにさせているのですよ!シャキッとしなさい!』と励ましたくなる。

今日カフェを訪ねてくれたトイプーの飼い主は1。
『ブログ読んで来ました。吠えて困ってるんですぅ。どうすればいいんでしょう?』と屈託がない。

そんな飼い主には『諸悪の根源があなたにあることをお見せしましょう』
ちょこちょこっとコントロールした後で『どうですか?これがあなたの犬たちです。』と言って、とてもジェントルに変化し、穏やかなエネルギーに包まれた愛犬の姿を披露した。

何時間もその飼い主はカフェで穏やかでいる愛犬と共に過ごしていた。

おかしなエネルギーを発する犬は周囲の犬たちを不安に陥れる。
でも穏やかなエネルギーを発するカフェの犬たちが“おかしなエネルギー”を発する犬を取り込んでしまうとその犬は穏やかになる。
そのあたりを感じ取れる飼い主であって欲しい。

犬は吠えるでしょう、いたずらもするでしょう、飛びつくし噛むこともあるでしょう。
それはあなたが犬のエネルギーをただ感じ、圧倒されているからであって、あなた自身がエネルギーを発しておらず、どんなエネルギーを発すればいいのかすら分かっていないからだ。

あなたがどう暮らしたいかが大切であり、目の前の愛犬はあなたの作品なのですぞ。
飼い主としての責任と自覚をしっかり持っていただきたい。

付け加えるならば、このような飼い主の苦悩すら顧みず、無謀な繁殖とペットショップでの陳列販売を継続して、狂った精神状態の犬を販売を継続している“業界”とそれを黙認している社会・行政への反発があることをご理解いただければありがたい。

それでも、あなたと暮らす愛犬がいる。
悔しいけれど困ったときは『困ってるんですぅ』と駆け込んできていただきたい。
社会はちょっとずつ変えていけると今でも信じているものですから…。
 


- Web Diary ver 1.26 -