From the North Country

悪あがき 2010年10月30日(土)

  今月のお小遣いにちょっと余裕を感じた御仁。
きっと先月のやり繰りは大変だったでしょうね。

『何のこと?』と思われる方もおられようが、ある種の人間にはこれだけで通じる。

値上がり前のタバコをしこたま買い込んだ先月は、へそくりまで吐き出しつつ『これが潮時か』と人生の岐路すら感じていた。
が、この1ヶ月タバコ関連の支出はなくちょっと得した気分になっている、というタバコのみのたわいない話である。

その買いだめが底をつき始めた。
あと20箱。
1週間も持たない状況となった。
どうしよう。

カフェでは驚く程に次々と多くの方が禁煙生活を始めている。
「凄いねぇ。たいしたもんだ。ところで、目の前でタバコを吸う以外いにお役に立てることはある?」
なんて茶化す自分が恥ずかしくなる。

禁煙外来、離煙パイプ、決別の意志力とその方法は様々だ。
禁煙外来には身体に作用するニコチンパッチ式と脳に働きかけるドーパミン式のものがあるらしいことも分かった。

意志の弱い私は過去において禁煙に失敗するたび、一日20本だったのが40本になり60本になっている。
その私が心からの叫びを言うなら『もう、やめたい!!』

ではなく『可能なら1日20本で満足できる自分に戻したい!!!』と、心から思っている。
喫煙というこれまでの生活を否定されたくはないけど、『ちょいと吸いすぎかな』と躊躇し思考する自分。
そんな喫煙者の不安を解消する事業を立ち上げる会社はないのだろうか。

薬中やアル中ならそうはいかないことを理論的に知っているがタバコも本当にそうなのだろうか?
禁煙ではなく減煙という発想の転換は本当にタバコには通じないものだろうか。

だとしたらやはりタバコは法律で栽培・製造・加工・販売・所持・使用を禁ずるべきだと主張したい。
私は何十年も犬とつきあっている。国や社会が本気度を見せない限り彼らと同じようにどこまでもつけあがってみせる。

『月々107円プラスで先進医療が受けられます』というCMがテレビから流れている。
先日、保険の更新の時に担当者にその説明を求めた。
詳しく頼もしく説明する担当者の言葉を遮って私は質問した。
「どんな治療が受けられるかを知りたいんじゃなくて、107円プラスすれば、余計な延命治療を受けず安楽に死ねる処置をしてくれる“先進医療”がその保険には含まれているのですか?」と。

なんたって死亡率100%の人間が今を生きているのだから、いろんな主張があっていいはずだ。
 

教訓 2010年10月25日(月)

  3週間ぶりに(旧)里塚温泉でくつろいでいた。
湯船に浸かっていると頭の後ろの方で「大丈夫ですか?」という穏やかな声が聞こえた。

湯船から出てみると、白いビーチチェアーで横になっている老人に60過ぎと思われる男性が声をかけていた。
「お父さん、大丈夫ですか?」
てっきり息子かと思ったら違ったようだ。

教訓1.「お父さん」という呼びかけは身内だけが発するものではなく、それなりに年の離れた方へ発せられることがある。

その老人の顔を見ると白い。
目はゆっくり動き、意識はあるが反応が悪かった。
勝手知ったる温泉なので私は担架を所定の場所から持ってきて、周囲にいた4人で老人を担架に移して脱衣所まで運んだ。
最初に声をかけていた60過ぎの男性が主体となって、老人が意識を失わないように話しかけたり、バスタオルをかけた。

「ひとりで来られたんですか?」と呼びかける男性。
黙ってうなずく老人。
「救急車を呼びましょうか?」という男性だったが、まだ老人の意識があったので「お名前は?」と彼は続けた。
その反応が無いのを見て私はちょうど駆けつけたスタッフに「救急車を呼んでください」と伝えた。

念のため誰かが女性風呂に確認を求めてもらうと、しばらくして奥さんと思われる70〜80歳の女性が現れた。

奥さんが声をかけた途端、老人の意識は回復傾向を示し、顔には赤らみが見え始めたので最初の男性を残して我々は自然解散し、その頃救急隊も駆けつけた。

教訓2.「ひとりで来られたんですか?」という問いかけに老人はうなずいていたが、あのような状況でのうなずきは当てにならず、確認の必要性があることが分かった。
教訓3.奥さんが傍にいるだけで、幾つになっても男は安心を得られるんだなぁ。

それにしても今夜の救護劇、とっても静かで冷静な中で行われていたことを最後に検証しておきたい。

あの老人の顔が最初からずうっと穏やかであったことがそうさせたのだ。
私は想像した。

老人は温泉に入り、その心地よさと温かさに心から満足していたのであろう。
火照った身体をビーチチェアに横たえた時、身体と心の満足感はさらに上昇し、老人はリラックスの境地に達しその結果として血管が広がり血流がとっても緩やかになったのだ。

心地良いことが原因となり、血流が滞り死んだ知人を知っている。
いい死に方でしょ。
風呂上りの心地良さをソファで横になって感じながら死ねるなんて最高だ。

はて、今夜私は余計なおせっかいをしてしまったのだろうか?
 

吠える犬の飼い主に吠えたくなった。 2010年10月24日(日)

  発声機能を有する犬が吠えるのはごく自然なこと。

そんなこと最初から分かっているはずなのに『吠えて困るんです』という飼い主が意外と多い。
今夜はそんな飼い主さんへ一言。

犬が吠えるあるいは啼くという状況を羅列してみよう。
1.来客やインターホンに反応して吠える。
2.散歩中に他犬や他人に吠える。
3.ハウスに入れたり係留すると吠える。
4.飼い主など人がいなくなると吠える。
5.人や他犬と遊んでいる最中に吠える。
6.家族が帰宅したりすると吠える。
7.車内で吠える。
8.排泄など何かを訴えたい時に吠える。
9.痛いときや苦痛なときに吠える。
10.仲間はずれになっている時や、家族が食べ物を食べている時に吠える。
11.横取りされそうになった時に吠える…などなど

上記は思いつくままランダムに書いたけど、もうちょっと整理してみよう。

A.警戒心や攻撃性あるは物欲・縄張り意識から吠えるのに当てはまるのは、1・2・5・6・7・11
B.自己主張や要求で吠える吠えるのに当てはまるものは、2・3・4・5・6・7・8・9・10・11
C.興奮によって吠えるのは、2・5・6・7
D.不安によって吠えるのは、1・2・3・4

重複する項目がたくさんあるし、抜け落ちている吠える場面もあろうかと思う。

だけど許される吠えというのは9と飼い主が意図的に吠えさせる場合だけだということを知っておいたほうが良い。
つまり、犬は吠える機能を有しているが基本的に吠えてはならないということをきっちりと飼い主が教えるということが大切なのである。
それを考えずに多くの吠えや啼きを許していることが『吠えて困っているんです』という現状に繋がっている。

Aの項目には『反射的に吠える』という局面が含まれている。
反射的な一声二声は遺伝的気質であり、いわば個性であるから如何ともし難いが、三声以降の吠えについては個性ではなく意図的なものである。
よって『来客中は会話もできない位にわんこが吠え続ける』というのは、わんこの身勝手を許している飼い主の問題といえる。

Dもまた然りである。
不安によって吠える犬はある日突然に吠え始めるのではなく、成長段階において不安を示す傾向があったはずである。
それを踏まえた子育て(社会経験)を積み重ねる必然性があったのである。

まあ、吠える犬として育ててしまった過去があるのだから今更何を言っても始まらない?
今夜はそんな野暮なことを書きたかったわけではない。
因みに吠えるわんこをカフェに連れてきてご覧なさい。
もしお許しをいただければ、あなたの目の前で吠えなくなったわんこの姿をお見せできるでしょう。

わんこは新たな社会に適応し、過去ではなく今を生きることができるのに対して、飼い主である人間は例えば吠えさせないわんこにするために、自らの接し方すら変化させることができないでいる。

吠える犬に対して変えるべきは、犬ではなくあなた自身であることを人間はいつ分かるようになるのだろうか。
 

わんこにはいつも「あたふたするな!」と言っている私です。 2010年10月20日(水)

  ドスン!という突然の短い地震があった。
いつもならグラグラと、揺れても震度1程度なので『今のはちょっと違うな』と速報を待っていたら、震源がすぐ近くだったようだ。

札幌に住んで33年になるが、家の外に飛び出したくなるような揺れは30年ほど前に1度経験しただけである。
今夜も異常は感じたもののソファーから身体を起こして状況に集中する程度だった。

油断はしてないつもりでも、経験が少ないから『何が』『どこまでが』“油断”なのかについて甘い部分があることだろう。

とりあえず日頃から想定していることは
・『ヤバイ!』と感じたらKとアモと共に何としてでもガーデンに出ること。
・仮にお泊り犬がいたら一緒に逃げる猶予がある地震であることを祈り、状況に応じた対処をすること。
・持ち出し物は無し(できれば携帯電話)。
の3点である。

そこには甘いかもしれないが僅かな希望がある。
・仮に家屋が倒壊しあるいは火事になったとしてもガーデンは安全であるだろうということ。
・5面がコンクリートで囲まれた1階の車庫だけは持ちこたえられるだろうということ。
・車庫にはアウトドア用品(テント・寝袋・コンロ・ラジオ・ライト・医薬品・雑貨…)があり、食料や古い防寒着・靴なんかもあるから冬でも2週間は耐えられるだろうし、焼け跡からアモの食料も調達できるかもしれない。

地震が起きると神経を集中し、揺れの度合と変化それに音に聞き耳を立てる。
揺れや変化は直接身体に伝わるから『外へ出ろ』の合図になるが、私は音を重視している。
被災者の方が『ゴォーという地響きがして』とかいうコメントをされているからだ。
恐らく揺れと音は同時進行なのだろうが、万が一妙な音が伴っていたなら揺れが小さくてもガーデンへ出る心積もりだ。

「どうかしたんですか?」
さっきの地震のやや後、のそのそとアモが居間にやって来て私の顔を見た。
来客の気配を感じた時には飛び上がって知らせに来るのに、全く呑気なものである。

普段から雷が鳴っても花火や自衛隊の大砲が轟いても私達はあたふたしない。
私個人は風船の割れる音やシャンパンのコルクを抜く音が大の苦手であるが、犬と関わるようになって余計な反応はしなくなった。

だから夏の夜、花火が打ち上げられてもお泊り犬は一瞬ビクッとして立ち上がることはあっても、私の顔を見て怪訝な表情をしながらもまた横になっている。

ともあれ、大事であっても取り乱さない日頃の修練は昨今の外交問題を見ても日本人には合っているような気がする。
まあ良し悪しがあろうけど…
 

ツイッターでは長すぎて書けないつぶやき 2010年10月18日(月)

  カフェがおヒマな月火対策として昨年打ち出した『無料お散歩チェック』。
1年4ヶ月も継続していると、地味〜にご活用いただいてるという実感がある。

本来の下心?はおヒマな月火に来店していただき、カフェの継続経営の為に“美味しい汁を吸わせていただく”というものであった。
まあ確かに以前ほど閑散とはしていない月火になったような気がするが、この対策が安定経営に資しているかは甚だ疑問であり、たぶんこの曜日にご利用いただける常連のありがたいお客様がなぜかちょっと増えたというのが実態であろう。

カフェの試練はまだまだ続くのである。
ただ負け惜しみではない私の気持ちも書いておこう。

カフェの営業は週5日。
その全部を夫婦二人とスタッフ3人の家計を手助けする“利益日”にしようとは思っていない。
おヒマな曜日が1日あってもいいと思っている。
何故か?

『すみません。このわんこのことで相談したいのですが…』という遠慮深い飼い主の方々を受け入れ、相談にのり、そう遠くない時期にその方の笑顔が見られるように支援するのがカフェ存在価値であり開業時からの“ミッションステートメント(経営理念)”であるからだ。
その門戸である『入店しやすいおヒマな日』があっていいのだ。

だけど、それが2日もあったらカフェは継続できない。
“月火対策”のゆえんであり悩みでもある。
当然、お散歩チェックで訪ねてくださった方々の中からひとりでも、以後カフェの顧客となりお食事や愛犬のおやつ・ドッグフードの購入・トリミングを継続していただければとの経営戦略もある。

今日2件の“ご相談”があった。
「明日はレッスンをお願いできますか?」と飼い主さん。
「勿論ですよ」と私は応え、そして思った。
“月火対策”はこのまま継続すればいいんじゃないか?
2日で1日の利益を上げれば何とかなるかもしれない。

それにしても他店のドッグカフェ、みんなそれなりに経営してるんですね。
お互い頑張りましょう!
だってわんこと生活してたら本当に存在価値がありますからね。

間違っても仔犬の『陳列式生体販売』を行う落ちぶれた金の亡者みたいな悪党にならないようにね。(あれが国家公認というのが日本人として恥ずかしい。雇われて働いてる皆さんを責める気はさらさらありません。『こんなはずじゃなかった』とのあなた方の思いは充分知っています。生活のこともあるでしょうから今は実態を記録しておいてください。いつの日か共に告発しましょう。その間死にゆく犬は決して犬死ではなかったと思える日が来ることを信じて…)
 

子ども扱いは自立の邪魔 2010年10月10日(日)

  今度(17日)の日曜日、勝手ながらカフェは臨時休業いたします。

さて、今日は初めてお泊りのゴールデンのことを書いておこう。
残念ながら私の記憶にはないが、4〜5年前に数回レッスンを行ったわんこということで、昨日急遽お泊りの依頼を受けた。

飼い主夫妻の顔を見て『あ、知ってる』と反応し、僅かな記憶を手繰り寄せようとしたが、可愛らしい女の子の存在が邪魔をした。
伺うと“あの後”に生まれたお子さんとのことだった。

いよいよわんこを預ると重量感のある強い引っ張りと飼い主への執着が伝わり、『こりゃ大変かも』との印象。
カフェのフックに係留したあとも鼻鳴らしが続く。

「20分だけ猶予をやる。それまでに自分が置かれた状況を考え、振る舞いを修正せよ」と私はそのわんこに告げ、しばらく様子を見た。

20分も経たないうちにそのわんこは我々に背を向け、横になっていた。
背を向けているのはふてくされているように見えたけど、どうやら癖らしい。

その後の扱いもさほど手間はかからなかったけど、“執着”というほどではないが、外に出るなど何らかの動きがあった時に、私(普段は飼い主)に“執着もどき”の行動を示す興奮が見られた。

それ以外の時は自立できている大人のわんこである。

実はそんなわんこって意外に多い。
つまり、犬は大人になっているのに飼い主が子供扱いというか“わんこ扱い”をするものだから、幼児性を演じ続けることで飼い主の期待に沿う振る舞いをしているのだ。

そんな暮らし方を飼い主が続けるうちに、本当に変になって手に負えなくなるわんこが多いけど、今夜のゴールデンは“社会人扱い”をすれば、ホッとしたように本来のわんこの姿を今のところ見せてくれている。

自分の赤ちゃんができてから、優しい飼い主さんはこのわんこの心情を察し過ぎてしまったのかもしれない。

わんこは観察力の名人である。
しっかりした愛情と日頃からの信頼があれば、余計な気を使わなくたって『あ、そういうことなんですね』と、受け止めてくれるのが愛犬である。
時に突き放すようにしてでも接することが犬には理解しやすい言語になる。
 

へへへ 2010年10月03日(日)

  再来週17日の日曜日、カフェは臨時休業します。
間違って御来店なさらぬようお願いします。
来週ではありませんよ。再来週です。

さて、昨日のゴールデン、今日もレッスンに通ってくれた。
「今朝の散歩はいつもよりずっと楽でした」という飼い主に、
「魔法がちょっときいてるだけで本物ではありませんよ」と私は答えた。
だが、実際歩いてみるととっても楽で、ちょっと驚いた。

これはまずい!
たった一回のレッスンで上手に歩けるようにしたのではプロとしての沽券に関わる。
プロならばそこそこの回数を重ね、引き延ばしながら"美味しい汁"を吸って利益をあげなければならないはずなのだ!

心で反省しながら、今日もまた高度なテクニックを使って数ランク上のレッスンを行ってしまった。
どんな性が私に宿っているのだろうか。

経営的に成り立つとしたら、一回のレッスン料を貰うよりも成功報酬としてのお布施を頂いた方がいいに決まっている。
ひょっとしたら私の訓練に感激したアラブの富豪がドーンと報酬をはずんでくれる余地だってあるし。

冗談はさておき、この飼い主さんがうれしい言葉を連ねてくれた。
「明日もお願いできますか?」
どうやら本気のようである。
「明日は雨の予報だからレッスンは無理でしょう」と私がかわすと
「もし降ってなければいいのですね?」と続けてくれた。

こんな人を応援したいのですよ、私は。

「そうだろう、そうだろう」と、頷きながらお読みくださった皆さん。
あなた方も私と同様に甘い!

自分のわんこがちょっとお利口になっただけで、カフェから離れてしまう方がほとんどという現実を知らないのだ。

これまでにも述べてきたように、それぞれの家庭に経済的時間的な事情があるから仕方のないことである。

だからこそカフェでは『いつもの皆様』とスペシャルなお話や時間というか人生を共有させていただいているのだ。

"楽しく生きるのが一番"の境地には深い人生経験が含まれている。
 

『とにかくカフェに通いなさい』という本音が言いづらい 2010年10月02日(土)

  「もっと早く相談に来ればよかったのでしょうけど…」

今朝のカフェで愛犬のゴールデンに引きずられまいと腰をかがめながらリードを押さえ、さらに恐縮しながらご挨拶してくれた飼い主さんがおられた。

その瞬間、私は気の毒に思い、『こんなはずじゃなかったのに…』という飼い主さんの心からの叫びを聞いた気がした。

あまりにも大変そうだったので、私がリードを預りそのゴールデンを落ち着かせようとしたが、これがこれが一苦労だった。
I獣医からの紹介と伺い、『先生、診察でも相当苦労しているな』と苦笑いするしかなかった。

とんでもないエネルギーを発散し続けるゴールデンを制御する私に、飼い主さんはA4の紙を見せた。
「一応まとめてきたのですが…」という飼い主さん。
老眼の私に配慮してくれたのか、その紙には大きめの文字で“困ったこと”が箇条書きに並べられていた。

視力を調節しながら何とか読んでいると最後の方に、耳の治療をしようとすれば『咬む』という文字。
こりゃ大変だ!

「ちょっとレッスンに行ってきます」という私の言葉に、Kはすかさず「サポーターいらないの?」と気遣ってくれた。
膝・腰に加えて左手首を痛めている私は感謝しながらも「大丈夫」と応えて外に出た。

そのゴールデンの凄まじさは基本的には出産させ販売した側の責任である。
飼い主は良心的で普通の家族なのだ。
暮らしやすいゴールデンと出会っていたら何の問題もないどころか、『こんな暮らしがしたかったんだ』と夢の実現を喜んでいたはずである。

ともあれ今後のことは飼い主さん次第。
言いたいことや書きたいことは一杯あるけれど、そのゴールデンと飼い主さんが、私やカフェそれに愛犬との今後をどのように捉えられるかの判断に委ねるだけのことだ。
経済的・時間的制約があるだろうから『とにかく頻繁に来なさい』という本音が言えないのがつらい。
 

酔わなければ書けない事。(え?つまりはいつものこと) 2010年10月01日(金)

  月が変わった。

最近いろんなことが変わっているが私には面白くないことばかり。

テレビはアホなバラエティー番組の羅列ばかりだし、ニュースやキャスター番組では政権や起きた犯罪を批判するだけで、事前に自らの主張を提示することはない。
美味しいところだけの後出しジャンケンで飯を食っている。

新聞を開けば広告不況と言われる割には全面広告が溢れ出し、どれだけ割引してでも広告を取るかが至上課題となっているようで、社是が果たして守られているのか不安になる。

我らが阪神タイガースは『残り試合を全勝すれば優勝できる』という喜びを、プレッシャーと感じて自滅してしまうし、地元北海道日本ハムファイターズは、開幕当初の出遅れが最後まで響いてしまった。

おまけに今日からタバコの値上げが始まった。

愛煙家のことをみんな野蛮で自制心がない人種だと思っているかもしれないが、私は我が国では希少なほど社会問題を考えている人々だと思っている。
『嫌煙や健康志向を言うなら、タバコの栽培・製造・販売・所持・使用を違法にしろ!』と叫ぶ我々に対して、社会や政府は明確な回答を示すべきである。

愛煙家として、しみったれた反論のひとつでも許されるのなら
1.いつの間に人々は煙突や排気ガスへの苦情を申し立てることなく、タバコだけが煙たくなったのか!
2.排ガスと同じような工夫がタバコに施されれば、目の前の喫煙者をあなたは許せるというのか?
3.嫌いという心理が身体に影響を及ぼすのは確かだが、それはすべて嫌われた喫煙人間の責任といえるのか?(日中関係にも影響しますぞ)
4.無菌室や自分に不都合な物事が排除された社会を求める気持ちは分からないではない。
だがそれを遮るのが本当にタバコなのか?
タバコの煙がなければ上手くいくのか?
死んだ人間に対して『タバコのせいであなたは無用に死んだ』というのか?
5.家族がタバコの煙に苦しんでいる。
スギで苦しむ人々がいる。
自然ではなく人間の営みが人々への苦痛を与えているのなら、まずは喫煙者である当事者すら被害を被っているタバコを規制するのが正当である。
だが、本当にそれが人間が生きていくうえでの大問題で焦点なのか?
問題転化はないのか?

言いたいことは山ほどあるし、多くが今の時代や読者に通用しないことも承知している。
ただ、これまでの“常識であること”が我々の身体の反応を弱い方向へ変化させているのではないかと、苦し紛れを吐きたくなる。

きっとこの問題に対しては、国民同士と政府のコンセンサスが得られるような議論とプロセスがなく、愛煙家を無視した研究と市民の批判・それに国際世論ばかりが重視され構成されたことを“マスコミ発表”によって正当化されたものと私は受け止めている。

私の意に反し、私の紫煙があなたの健康に被害を及ぼしたなら心から申し訳なく思います。
でも、あの日あなたと出会い、あの夜語り合えたことは私にとっての至極の時間でありました。

私の喜びと同じようにあなたが喜びを感じてくださったなら嬉しく思います。
ごめんなさいね。私は喫煙者でしたけど…。
 

最初の1年 2010年09月29日(水)

  仔犬と暮らし始めてから最初の1年間を、あまりにも軽視し無頓着に過ごしている飼い主が多すぎる。

・わぁ、可愛い!!
・犬と暮らすのが夢だったんだよねぇ。

そんな気持ちは分かり過ぎるほど分かるけど、馬鹿さ加減も度を過ぎると『無知とは罪なり』と言わざるを得ない。

何世代にも渡って日本人は犬と暮らしているからDNAの中にある種の知恵があるはずなのにそれが生かされていない。

室内で犬と暮らすというスタイルが先人の知恵では対処しきれないのか?
それとも新たな犬種に日本人が適応しきれていないのか?
さらにうがった見方をすれば、子育てや学校教育において“愛のムチ”は原則的に批判され、法体系を意識しながらでないと叱る事も出来ない世の中になっている。
その結果、許される(奨励される)叱り方と、明らかな虐待が区別できない親や飼い主が出現している。

仔犬との最初の1年の正しい暮らし方を伝授しよう。

1.まずは快適な生活環境を提供すること
@食事回数を考えよう
・生後4ヶ月までは1日4食が基本
・生後6ヶ月までは1日3食が基本
・生後7ヶ月以降で1日2食に慣らす
A住環境を考えよう
・仔犬の快適な寝床を整えること

2.すでにしつけが始まっていることを自覚しよう
@何はともあれ排泄のしつけ
・排泄のしつけとは、犬が催した時にペットシートで勝手に排泄をすることではなく、犬が排泄を我慢する前に飼い主が犬を適切な場所に連れ出し“指示”によって促し、結果的にどんな場所でも指示によって排泄できるようにすることである。
Aまだ仔犬でしつけもできてない犬を室内でフリーにすることは信じられないほどの暴挙である。
・多くの飼い主はこれを平然と行い当然唖然となる。
・『お利口になったら待遇が上がる』という自らの社会経験を犬にも応用すべきである。

3.仔犬の最初の1年は“取り返しのつかない大事な1年”であることを是非知っていただきたい。
@犬は最初の1年で成犬の身体に成長し精神もそれなりの成長を遂げる。
・つまり世間の見かたや対処の仕方を1年で身につけてしまうということ。
・世間知らずの犬はいつまでも世間知らずの土壌の中で生活し、この1年で様々な適正な社会経験をした犬は順応できる犬に育つ。
Aオスワリやフセ・マテなど服従に関する基礎訓練は何歳になってからでもできる。
・犬のしつけと服従訓練を混同している飼い主は多いが、それは誤りである。
そんな訓練はいつでも簡単に行えるのだが、最初の1年を修復するためには生きてきた年数分の時間が必要になるのである。

最初の1年は取り返しのつかない1年であり、取り返しをつけるにはそれなりの時間が必要。
取り様によっては取り返しは可能というわけだから『取り返しがつかない』という言い方は大げさな表現と受け取られるであろうが、『その意味は正しい』と私は思っている。
それほど最初の1年をおろそかにすると不利になるということだ。

『最初の1年』については重大と受け止めていただきたい。
 


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