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今日だけで4回の除雪。
カフェのように営業しているお店では、雪が降り続いていてもある程度積もれば除雪せざるを得ない。 たとえすぐにまた積もることが分かっていても…
今日が定休日なら積もるに任せ、晴れてきた時点での1回の除雪ですんだことだろう。
でも日曜日ということもあってか、4回の除雪をしていたのは私だけではなかった。 見ると近所のお父さん達も弱雪になるとせっせと作業をしていた。
はて、 1.ある程度積もった段階でこまめに除雪するのと 2.ずっしりと降り終えてから、重労働をするのとでは どっちがいいのだろう?
1では ・比較的軽い段階での作業の繰り返しであること ・歩きやすくなって気分的にも生活面でもすっきりすること などの利点がある一方で、 除雪という基礎行動を重ねる労力と時間的な無駄があるし、『せっかく除雪したのに、またこんなに積もって』という無力感を感じやすい。
2では、雪が降り続く外を気にしながら思い思いの生活をしつつ、『ひとまず雪が止んだようだ』と空を見る余裕がある。 また、重く締まった雪が相手だろうが重労働であるがゆえのすっきり感と達成感を感じることだろう。 “アリとキリギリス”の寓話には申し訳ないが『アリさんの勤勉さには敬服するけど、無駄が多くない?』という“優越した判断力”みたいな自負が幾分疲れを癒してくれることだってある。
翌日にはまた大雪が降ったりして、結局どちらも無力感を味わうことが日常であるのが『北国の暮らし』ではあるのだが…
視点を変えてみよう。 北海道の多くの生活道路では、冬になると歩道が雪捨て場になってすべてが車道になる。 歩道が消えた道を盲導犬は勿論、高齢者や障害者は歩くんですよねぇ。
『何もそんな時に歩かなくても』って言われても、冬眠するわけにもいかないし、それぞれに生活があるものですから。
で、思うのは、いろんな考えや事情がおありでしょうがせめてが生活道路に面した場所だけでも、市民としてできるこまめな除雪を心がけてもらえないだろうか?
過去の職業柄、冬道を目を閉じて何度も盲導犬と歩いた。 そんな道でもちゃんと歩けるように訓練してきたのだがやはり怖かったし、除雪された道では幾分安堵することができたのを思い出す。
今夕、アモとお泊り犬のラブラドールといつもの散歩に出た。 大雪で狭くなった道の向こうから車が走ってきた。 私は目が見える健常者だから、2頭と共に民家の空き地に寄って車が過ぎるのをしばらく待っていた。
その車は10メートル手前で曲がる直前にウィンカーを出し左折していった。 法律どおりあらかじめ指示器を出していてくれていたなら私は相手の意図が事前に分かり普通に歩けていた。
他者に対する配慮の無いドライバーが横行している。
だから盲導犬には危険を避ける訓練を施し、それを使用する視覚障害者には様々な想像力・認知力・判断力・コントロール力を要求してきた。
だけど、最後は善意のドライバーによって歩行者や盲導犬使用者の安全が保たれていることの真の意味を考えていただければありがたいのだ。
こまめに除雪するしないではなく、そこに意図する気持ちと他者の配慮への想像力が生まれることを期待したい。
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