From the North Country

一足先に春を迎えたガーデンと下界の放置便 2010年04月05日(月)

  いつもの散歩コースにある大きな公園は、黒いほこりまみれの残雪と雪解け水による巨大な貯水池と化していた。
見渡せば何処の空き地も同じような状態である。

で、我らがガーデン。
何処よりも綺麗に仕上がってますぞ。
ゼオライトを投入したので晴れた時にはその白さで眩しいくらいだし、冬の間に溜まった犬たちの抜け毛はカラスが巣作りの為にせっせと運んでくれている。

“暮らしやすい家庭犬”に育てたいと心から思っている飼い主の皆さんなら、たとえ今の愛犬に問題があったとしても共に解決してゆく環境がそこそこ整っております。
ご活用下さい。

さて、雪解け時期といえば“放置便”が目立ち、この欄でも散々苦言と怒りを過去にぶちまけてきたところである。
お困りの地域もあることだろう。
だが、カフェがある里塚緑ヶ丘周辺の放置便は着実に減り続けていて、そのことに少なからずカフェが貢献したと思っている。

お泊り犬と散歩をする時、便をしたら袋に手を通して拾い上げる。
その姿を誰かが見ていてマネをし『これはいい!』と続けてくれる。
それが広まり、これまでに放置したり片手にスコップを持って路端に投げ捨てる人が減るようになった。
殆どの人が便の始末をするようになると、放置する飼い主はそれまでの“無頓着”から、うしろめたさを感じるようになる。
ふと気づくと、過去にはたくさんあった放置便だったのが、『これは自分の犬の便』と識別するようになり、『他の飼い主はどうしているのか』を意識し、“袋で処理”する方法を知るようになるのだ。

今では当たり前の光景だが、実はこれは『コロンブスの卵』なのである。
1970年初頭の頃は盲導犬ですら、リードを放して『シーシーベンベンしてこい!』と犬を放して草むらで勝手に排泄をさせていた時代だ。

日本で初めての盲導犬を訓練した塩屋賢一さんから、お茶屋さんだったか豆屋さんだったか忘れたが、『商品をつかむ時に袋に手を通す姿を見て、盲導犬の便の処理方法を思いついた』と伺ったことがある。
些細なことだがそれが盲導犬を社会に認知させるひとつの要素になったと私は思っている。

『放置便』という言葉には飼い主の意識が反映されている。
便の処理を日常的にきちんと行っている飼い主の愛犬は、自分の排泄物を処理する飼い主を引っ張ることなく黙って観察している。

犬にだってわかる作法を行わない飼い主は、きっと“いい飼い主”ではない。
 

犬における本流の動物行動心理学が台頭することを望む 2010年04月03日(土)

  ガーデン状況は本日北側半分が使用可能となり、明日(日曜)の午後にはほぼ全面が春を迎えられると思っている。
多少の不安があるとすれば、土中の凍結がどの程度残っているかということで、それによっては完全回復とまでいかない場合がある。
月曜と火曜が雨の予報なので来週末からが万全であろうと控え目に宣言しておこう。

さて、先日の定休日に過去に録画したビデオを見た。

一軒家の庭にいる犬と道路を隔てたマンションに暮らす犬とのトラブルをどう解決したかを問うクイズ場面だった。

マンションから出てきた犬を庭にいる犬が何度も襲うので、相談を受けた訓練士が動物行動心理学を用いて解決したのだが、『どのようにしたのでしょうか?』と問われていた。

映像では、訓練士が何日か庭の犬の行動を観察して、一発で解決したといい、勿論私もまもなく笑い飛ばせる答えにたどり着いた。

で、番組でのその答えは、マンションの入り口にあるゴミ箱に、庭の犬が放尿していたのを見た訓練士は、それが庭の犬のテリトリーの象徴であることを察知し、そのゴミ箱を道路の反対側つまり庭の犬側の歩道に移動したのである。

『それ以降庭の犬はマンションの犬を襲わなくなりました』と司会者。
『ほー!』と感嘆する出演者。

私の意見を述べよう。

この解答に対して『ほー!』っと同調された方は要注意ですぞ!

その理由は
“動物行動心理学”という本来とても大切で深く研究し応用されなければならない学問を、安っぽく利用したイヌの訓練士や似非研究者に騙され、妙に納得している日本社会が厳として存在していることを嘆くからだ。

上記の考え方が、野生動物、例えばニホンザルやエゾシカの被害に苦しむ地域において応用されるならひとまず『よし』とするが、人間社会で暮らす犬に対してもっともらしく評価されるなら私は我慢ならない。

だって、問題のマンションの犬は襲われなくなったかもしれないが、移動したゴミ箱が置かれた庭の犬側の歩道を歩く犬がこれから襲われることになるじゃないですか!

その場合、きっとこのインチキ訓練士はゴミ箱を道路向かいの別のマンションの入り口に移動して問題解決し、延々と報酬を得続けるだろう。

まるで日本の官僚政治みたい。
“苦情の声が大きかったひとつの問題は解決した”かもしれないが、“根本解決には至らない”というのは結構似てるでしょ。

私ならテリトリーを主張する大きな要素であるオス犬に去勢を行って、内から込み上げてくる本能的な要素を取り除いた上で
『てめぇー、人間社会でこれからも生きていきてぇーなら、二度とこんなことをするんじゃねぇーぞ!』と、ぶちカマスことだろう。

今流行の愛犬雑誌に書かれている、『動物行動心理学に基づいた』という表現や、中途半端な知識の獣医師が行うもっともらしい行動療法にはこんな落とし穴があることを知っておこう。

そもそも自ら努力をせず安易な方法で解決したがる人間がいるからこのような商売をはびこらせているのだ。

犬を飼うということは魂と魂のぶつかりあいであり、だからこそ生きることの原点を知り、愛犬と心から繋がった人間は離れられず、しかも悲しい限界を体験し、決断を促された後に最後に立会い、そして満たされ成長するのである。
 

正直なガーデン情報 2010年03月30日(火)

  今日の午前中まで快適に使用できたガーデンだったが、残念ながらそこまで。
雪解けが進み、午後からのコンディションは悪化の一途であった。
明日31日は水曜日で、普段はそれなりに賑やかなご来店を頂いておりますが、正直、明日のご来店はおやめになったほうがよろしいかと思う。
とりわけ外で遊びたがるわんこは、本人は楽しいだろうけれど飼い主が悲しむことになると予想される。

でも、まあ、カフェは営業するので『よろしく』って書くのもなんかなあ…。
覚悟を決めた飼い主様のご来店を心よりお待ちしております。(駐車場は乾いているのでそちらで愛犬の排泄は可能です)

で、心に決めたことがある。
来年の雪解け時期はカフェは臨時休業する。
1週間くらい。いや、もっとかも。
そして南に渡り、桜前線に沿って北上しながら帰ってくる。
いい考えだ。
来年に夢が持てるなんて素晴らしいことだ!
実現できたらもっといいなあ。

今月のパスタは勿論、温麺も明日までということお伝えして今日はおしまい。
 

贈る言葉 2010年03月27日(土)

  「チェス君でーす」
駐車場に入った車を見てスタッフがそう言う。

いつも通りハスキーのチェスに限らず、お客様を迎える時のカフェの光景だった。

しかし、入店してきたのはYご夫妻だけ。
???
『どうしたの』って声をかけようと奥さんの顔を見ると、取り繕った笑顔の中に真っ赤な眼があった。
「今夜が峠だそうです」
気持ちを整理するかように話し始めた奥さんのそばに、やはり精一杯の作り笑顔のご主人がおられた。

『何の話か?』と戸惑ったのも一瞬のことで、私とKはチェスにとんでもない事態が襲っていることを悟り、気丈にも状況を語りだした奥さんの話をしばらくは上の空で聞いて呆然とし、すぐに我に返って気持ちを落ち着かせながら話の続きを伺った。

信じられないけど、こないだまでいつも通り元気だったチェスが末期の肝臓ガンに倒れ、さらに複雑な要素も絡んで、今、死に際を迎えているというのだ。

2〜3年前から肝臓の数値にちょっとした異常があったのだが『様子を見ましょう』と繰り返す主治医。
ちょっと不安だったのか「知り合いの獣医さんを紹介してください」とYさんから頼まれた私はI先生を紹介したばかりだった。

そのI先生から『今夜が峠でしょう。最後はご自宅で一緒に過ごされることをお望みですよね?必要なことはやっておきますから』という趣旨の話を伺ったという。

私はY夫妻が友人であること、そしてI先生を紹介したことを誇りに思う。
愛犬がそんな状態なのに、手術でも何でも望む飼い主がいれば、無駄あるいはQOLにおいて疑問を呈する手術を勧める獣医もいる中で、いずれ必ず訪れるであろう愛犬の死をしっかり飼い主の望みどおり迎える/迎えさせる関係ができたことを。

Yさん。
辛いでしょうけど、いつものように愛犬と積み重ねる楽しい時間と彼の最後をしっかり看取ってください。
チェス。
君の事は忘れないよ。

医者の言う『余命』はそれ以上の時間を含んでいることが多い。
一時この世ではお別れはするかも知れないけれど、お互いそれなりにいい人生だったよな、チェス。
 

アリの一穴 2010年03月23日(火)

  例えば盲導犬ユーザー100人が集まった会議があったとしよう。
すると盲導犬は主人の足元で寝てしまうか、リードの長さの範囲内でぼーっとしているのが普通であり、会場内を勝手にうろつき、気に入ったわんこと遊び始める犬などまずいない。

多くの人はその理由を『ちゃんと訓練された盲導犬だから』と思うだろうが、それは違う。
視覚障害者であるユーザーがそれを許さないからだ。

『自分達が何処へでも出かけられるのは、盲導犬をきちんと管理しているから』であり、『そうしなければ排除される不安』と『それが自分だけの問題ではなく、他のユーザーにも及び』『そうなれば自分達の生活が大変なことになる』ということを考えているからである。

土日のカフェでは盲導犬と同じレトリーバー密度がとても濃い。
彼らは一般の顧客達が驚くほどに静かだし、楽しい遊び方の中にもちゃんとしたわきまえを示すから『このお店のわんこたちはみんなお利口さんね』と対外的には素晴らしい広告塔にもなっている。

だけど彼らは盲導犬とは違い、飼い主から離れ、自由にカフェ内とガーデンを行き来し、お気に入りのわんこと遊んでいる。

それは犬としての使命が違うから、何処にも問題はない。

だが、当然ながら何もせずにそうなったわけではなく、飼い主の意思に応じた私の働きかけが、時に犬たちをコントロールし、飼い主としての接し方の方向性を誘導し、飼い主自身がちょっと変化し行動していることを知っておかねばならない。
そして、それを受け入れて下さった方が顧客としてカフェを支えておられるのだ。

犬を飼うということはその犬に対しては勿論、社会に対しても責任を負うということである。
ありがたいことに我々が盲導犬ユーザーのような深刻さを普段感じる必要性はないけれど、だからと言っていい加減な愛犬との暮らしが許されているわけでもない。

盲導犬ユーザーは自分の足元にいるべき犬が仮に離れるようなことがあれば、そこからお互いの関係が崩れ、自分だけじゃなく他のユーザーにとんでもない迷惑を及ぼす可能性があることを考えている。

あなたが多くの中途視覚障害者と同じように『なぜ自分が見えなくなったのか!』と嘆き、その壁を乗り越え盲導犬と暮らした時に、その真の意味が分かると思う。

で、今は健常者でいられるあなた。
愛犬と暮らしながら、『これを見逃せば、ガタガタと生活が音を立てて崩れていく』とポイントになるような懸念はお持ちですか?

私は持っていますよ。

だからちゃんと育ててますし、そうすればそれはそれは素晴らしい生活があることを知っていますから。
まあ、盲導犬ユーザーの感動には到底及ばないですけどね。
 

決め込むという危険性とつまらなさもある 2010年03月22日(月)

  わんこのフードについて飼い主が関心を寄せる時代になっている。
大変結構なことだと思う。

人間の食材を作る過程で生じる産業廃棄物を原料とし、そこに犬に必要な栄養素を添加して作り出されたのがドッグフード。
合理的だし無駄を省くという“エコ思想”にも合致するし、なにより犬の飼育がとてもし易くなり、それなりの評価に値するものである。
だが、良くない物質を含んでいたり、嗜好性や保存性を高めるために様々な怪しげな添加物を含んだ商品が並び消費されるようになった。

結果、同じドッグフードを食べさせられ続け、繁殖を繰り返された子孫に様々な病気や障害が報告されるようになり、ある種の病気においては“犬種特性”などといった言葉に置き換えられてしまっているのが現状だ。

さらに、それを改善させるためのフードが同じメーカーから、しかも動物病院などで販売されていることに“?”との疑念を私はずっと抱いている。

まあ、ここまでは以前から指摘していることだから近頃の愛犬家がフードにこだわりを示すことを歓迎していたのであるが、逆に最近は過剰反応を示す飼い主が増えていることに懸念を抱いてもいる。

例えば、『あのフードを使い始めてから毛の艶が良くなった』とか『同じ量を与えてもダイエットできた』などという話がフツウにまかり通っているということである。

『え?どこがおかしいの』と思われた方は要注意だ。

私が言いたいのは、当たり前の食べ物を与えた結果、毛づやが良くなったり、健康状態が良くなったのならそれでいいけど、ひょっとしたらそれはつまり飼い主の希望に沿うためにフードメーカーが添加物を工夫したことを知らずに喜んでいるだけで、結局は昔のまま“将来的な弊害”を考えず、“踊らされる飼い主”を演じているに過ぎないということで、さらに弱い犬たちを生み出すことに加担しているということだ。

犬は生き物だから、胃腸が弱い子もいれば規格外にデブなわんこもいるのが正常な社会である。
それが『このフードを食べたら良くなった』なんていうのはある面において恐ろしいことである。

それを言い換えれば、自分が労力を費やさずとも良い犬に育てるという安易な方法を見つけたがる飼い主に似ている。

最近は手作り食を実践している方も多い。
こちらも夢中になってしまうと危うさを含んでいると思う。
『前犬がそうだったから』とか、『あの犬がうまくいってるから』なんて範疇で考えず、『この犬に関しては』との視点で捉えて欲しいし、それ以上を求めるなら徹底的に犬の遺伝と栄養学を学ぶのがいい。

カフェのドッグフードは症状を改善する目的で販売しているのではなく、人間が食べる食材で余計な物質を安易に添加していない素朴なフードを置いているだけである。
カフェのフードは遺伝的な弊害をもたらすことがない当たり前の食材が使われていると信じているが、それでも私はフードのローテーションと季節の食材のトッピングを愛犬アモには行っている。
だって、どんなに優れた食べ物でも毎日同じじゃさしもの犬だって変化の方を選ぶでしょ。

こだわり続けるだけがベストじゃない。
清濁併せ持つと本質が見えてくることもある。
 

季節の変化と命のリレー 2010年03月21日(日)

  『午後から』という予報には遅刻してしまったが、夜半に入って外は冬景色。
それも結構な量。
明朝の除雪作業確定!
っていうか、せっかく駐車場が綺麗に乾いていたのに残念!
っていうか明日のガーデンはベストコンディション?

春は本当に来るのか!?

さて、今日の話題2点。
1.ゴールデンのあんこが今日1歳の誕生日を迎えた。

『ちょっと小さ目かな』なんて言われてたあんこだったが、気がつけばいつのまにかデカくなっていた。
誕生日のお祝いというか、生け贄として捧げられたというか、自らを献納したのが盟友(迷友)黒柴の宗一郎だった。

1ヶ月前までは対等に遊べていたのが、今では体格差に勝るあんこにやられっぱなしの宗一郎。
押さえ込まれ、頭ごと咥えられても、隙を見てはあんこの耳や垂れた上唇を咥えて一矢報いようと奮闘する宗一郎の姿は感動ものだった。

“Mダックス/モカ・モナカの飼い主Nさん”というイメージは今やすっかり払拭され、カフェの女帝あんこの飼い主Nさんとの呼び声も高い。

「あんこを迎え入れたのはいつでしたっけ?」と私。
「ちょうど半年前の今日でしたね。買い取って車に乗せたら主人が『まず、長崎さんとこへ行け、長崎さんとこへ行け』ってうわ言のようにいうからそのままここに来たんですよね」と、いつもののんびり口調が心地よい。
あの時の驚きは今でもはっきり覚えている。
まさかNさんがゴールデンを飼うとは…

まあ、息子二人を育て上げつつあるNさんには3人目との暮らしを存分に楽しんでいただきたい。
あんこは順調に育っており、私は密かに次のステップを考えている。

2.こぐ家が東京から帰ってきた!
2年間お国の為に東京に出向していたこぐ家/I夫妻が今夕カフェに戻ってこられた。
グロネンダール/はやてを失い3人家族になってしまったけれど、過ぎ行く時間とたくさんの仲間たちの想いがちょっとでも慰めになったならいいかな思う。

そして、命のリレーを感じさせるように、4月には1月10日生まれの小熊ちゃんの姿を披露してもらえるかも…

若い犬たちと飼い主のエネルギーを少し分けてもらいながら、私とKが元気でいられるなんてまるでドラキュラカフェみたいだけど、いろんな犬たちをしっかり見守りながらあとしばらく暮らしていこうと思う。
 

日々楽し 2010年03月20日(土)

  ガーデンの雪解けが進んでいる。
地面が出てぬかるんだ場所に雪山の雪を飛ばして補修するという悪あがきも明日辺りでおしまいになりそう。雪山が消滅しつつあるからだ。

今夜が雨で明日午後から猛吹雪らしいから、予定としては、明日の午前中に最後の雪山を吹き飛ばしてガーデンを補修し、午後からの雪で月曜までの3連休を乗り越え、火曜か水曜日にガーデンに残った雪を今度は外に吹き飛ばそうかと思っている。

で、そうなれば以後しばらくガーデンは例年のごときぬかるみとなって使用不能(若しくは覚悟のうえでの使用)となる。
これらの点をお含みおきのうえご来店計画をお考え下さい。(ただし天気予報があってればの話)
ガーデンの様子はKが最新情報でしばらくの間お届けするとのこと。

さて、今日の話題2点。
1.お泊り犬ゴールデンのドラゴンはとても律儀なわんこだ。
『ウンチは1日2回です』と伺っていたが、5回でも6回でもする。
というのも、もう一頭のキャバリア君がウンチが遠いので私が「ベンベンベンベン」としつこく促すのだが、それを聞いているドラゴンが『はいはい、ウンチですね』とトイレに出すたびに排泄するのだ。
午前中に3度もしたのに、午後キャバリア君と一緒に出して声をかけるとまたウンチングスタイルをしたので慌てて「君はもうしなくていい」と止めさせたほどだ。
言葉が分かって義理堅いとこうなっちゃうんだな。
もちろん下痢便じゃなく良好な義理便だった。

2.初めて来店のチワワ君
抱っこされた状態でワンワンと吠える。
すると飼い主は口を押さえて懐にしまい込むように抱き寄せる。
よく見かけるパターンだけど、それじゃいつまで経っても同じことの繰り返しで100%治らない。
「口を押さえるのは逆切れさせる訓練をしてるようなものですよ」と私。
「でも、本にそうしろと書いてありました」と飼い主さん。
ここにも悪書の被害者と被害犬がいた。

おまけにハーネスとフレキシブルリードという最悪の組み合わせだったので首輪とリードを装着してもらい、ちょこちょこっといじらせてもらった。
『なかなかいい子じゃん』と密かに思った。
そして『もったいないなあ。ちゃんとやれば輝く物持ってるのに』との言葉は飲み込んだ。

さあ、明日は何が待ってるかな。
 

イヌ社会と犬社会を履き違えないこと 2010年03月16日(火)

  『散歩中に出会うわんこたちと上手に挨拶できるようにしなきゃいけないんですよね』
『公園デビューしたときは先輩犬の洗礼を我慢してでも受ければその後うまくいくんですよね』
『そんなことをちゃんとやっていくことが犬の社会化に繋がり、飼い主の責任でもあるんですよね』

まさかあなたはこんなデタラメな言い分を真に受けて悩んでいないでしょうな?

ご自分の愛犬が他犬との関わりを快く思っていないと感じる飼い主が心配して相談されることがある。
『いいんですよ、それで。』と私はにこやかに主張する。

・他犬にさほど興味がない
・他犬が接近してきても『どうぞお構いなく』と振る舞える犬
・人間社会の中で普通に過ごせる犬
この3点があればあなたの愛犬は上出来であり、飼い主の制御によってそう振る舞えるのであればより上出来なのである。

多くの獣医師や公的機関の職員までが『犬の社会化』というキーワードを用いて
・仔犬はできるだけ長く親兄弟と一緒に、とか
・他犬と上手に挨拶できるように、とか
・時にはその中での試練も必要
なんて言っているけど、彼らは実のところ何にも分かっちゃいないのだということを私は知っている。

一言で言えば彼らが言う『犬の社会化』は『イヌとしての社会化』であって、私共のカフェに集う仲間たちと暮らす愛犬とは全く違うイヌという動物との付き合い方を伝授しようとしているに過ぎない。
“野生のトキは素晴らしい!”みたいな感覚なのだ。
愛犬との暮らしは種の保存ではなく、“心理面での確かな存在”みたいなものである。

あなたの愛犬がどんなに弱くてもそれはあなたの愛犬である。
他犬との関わりの中で上手に挨拶もできず、『できればお構いなく』と振る舞っているのに、他犬からイヌとしての干渉をうけなければならない筋合いはないのだ。

私の意に反するイヌの飼い方をしておられる飼い主に一言申し添えよう。
・ご心配なく、あなた方のイヌの飼い方は間違っていません。ひとつの方法として大いにありです。
・幸いなことにイヌというのはどのような環境の中でも満足し、その飼い主を喜びに導く不思議な力を宿しております。
ただし、暮らし方によって脳が解発された犬がいて、そんな犬たちとの生活を満喫している人々がいることを知っていただきたい。


散歩中に前方から他犬がやってきたら
『ごめんなさい、あなたがどんな犬か知らないから無用なことがないよう、お互いフツウにすれ違いましょうね。どこかでゆっくりお会いすることがあればまたその時にでも』と発想する飼い主と犬があってもいいのだ。

『どれどれ、どんな匂いをあんたは持ってるの』
『おめぇ誰よ!すっこんでろ!』

何ていうか、普段お付き合いもないのに道で出会っただけでそんなことをする下品なわんこにはしたくないんだよな。
 

疑いの目を持たなきゃならない存在にはなりたくない 2010年03月13日(土)

  おいおい!
札幌市民の皆さん、夜半の外をご覧になりました?

今日の日中は寒いといわれていたのにどんどん雪解けが進んで、『この調子じゃガーデンの泥沼も近いぞ』と慌てさせられた。
明日の予報では大きな変化はないとのことだけど、知恵を働かせて『もっと解けるんじゃないか』と心の準備をしてもいた。
ところが、さっき外に出てみると『ひっでぇ積もってんじゃん』
解けた以上どころの積雪じゃないよな。
明日からまた冬営業だね。

明朝は早起きしての除雪作業が既に確定。
除雪というのは雪国で暮らす人間にとってはいたって自然な行為であり、人々は素直に受け入れる器を持っているはずなのに、予報によって騙されたような腹立たしさを感じるのは何故?
ここまで外す予報はせぬほうが人民のためであり、お宅らの生活を守る為にも深く反省した方がよろしい。

私なんぞ『明日は晴!』なんていう予報を仔犬育てに悩んでおられる飼い主に滅多に出したくない。
『放っておくと大変なことになりますよ』と脅し文句を入れつつ言っておいた方が商売になるし、結果的に良い愛犬になれば『私がレッスンしたからです』と自慢できるし、ダメ犬になったとしても『やっぱり当初の懸念が現実になりましたね。血は争えないですから』と占い師みたいな適当な説明でいくらでも繕える。

世の中そんな事柄が氾濫している。
『払いすぎた借金の利息を取り戻すことができます』っていうコマーシャルが突然増えてきたけど、戻ってきた過払金が100万あったのに弁護士費用で130万請求されたなんていう現実がある。
莫大なテレビ広告費を払ってでも弁護士が儲かるから急にコマーシャルが増えたのであり、悪徳であることを過去の歴史から判断できる我々でありたい。

生きること・近々の気候・愛犬のこと、そんな情報を疑い深い視点で観るのは耐え難いことだ。
だから自らの感性を日々磨くことを私達は忘れてはならないのだ。
人々が主張した結果、自らが選択した結果責任が我々に課され始めている。

だけど、素直に信じてくれた人々に信頼され後悔させないよう、正直に生き信頼され共感され、そのうえで商売として成り立つカフェであるためのしたたかさをこれから勉強していきたい。
 


- Web Diary ver 1.26 -