From the North Country

基本は自分たちで何とかすること 2011年01月07日(金)

  日付けが変わった8日の12時半に、2時間かけての除雪が終わった。
終わったといっても雪は降り続いているし、大雑把な作業だったので明朝はまた除雪しなければならない。

今日だけで40センチは降っただろう。
氷点下10度だったので乾いた雪ではあったが、なぜか締まりに締まって重くガロアラシ号は唸りを上げていた。
大雪はこれから何度かあるにしてもあと3ヶ月だ。
頑張ろう。

さて、年末から知り合いのわんこたちの体調不良の情報や相談が相次いだ。
年末だから病気が増えたというのでなく、普段なら普通に動物病院に行けたのが休診時期であるから『どうしよう!』ということになったようだ。

札幌には5年ほど前から獣医師有志などによって夜間動物病院というのができ、普段から過労の続く獣医が夜中に電話で起こされて緊急診療を行わずとも、救急の動物を診療し助けられる命を救えるようになってはいる。
だが、夜の9時からが受付で、年末年始など日中での対応がどうなのか詳しいことは知らない。

夜間なら救急に対応してもらえるわけだから、飼い主にとってはとてもありがたい。
一方でべらぼうに治療費が高いという話も伺う。
夜の救急でしかも動物の場合、人間のような保険が利かないのだからそれなりに費用がかさむのはやむを得ないところだろう。

システムがどうなっているかは知らないが、多くの飼い主は一般的な治療費がどの程度なのかは経験上知っているから、夜間病院の場合プラス5000円とか1万円とかシンプルにしていただければありがたいと思う。
利益を上げてくれないと継続できないわけだから、そこは尊重しなければならない。

で、年末年始など休業時期の日中はどうなるのか?
飼い主としては、いつもの先生と連絡が取れることが一番なのだが、そうもいかないからせめて人間のように新聞を開けば休日の担当病院が掲載されるようになればいいなあ。

でも、その前に飼い主が愛犬の症状を見て“緊急か否か”を判断できるようになって欲しいし、獣医さんも“緊急と過剰反応の違い”を普段から説明しておくべきだろう。

確かに今も続く今日の雪は大変だ。
本当の救急要請に即応できて、『何とかしてくれないと買い物にも出られず死ぬぅ』というような通報には慎重に対応するシステムがわんこ社会にもちょっとはあってもいいのかな。
まあ、私なら『それも運命』の範疇で、精一杯できるだけのことをするだけだが…
 

祭りは終わった、と自分に言い聞かせる。 2011年01月04日(火)

  今日からカフェは新年の営業開始。
夕べは寝る前に“ウコンの○”を飲んで正気に戻る配慮をした。

「今日はきっとヒマだよね」とKやスタッフと話していたら、お昼前に福の神がご来店くださった。
今年最初のお客様はミックス犬緋梅ちゃんご夫妻でした。
その後も『あけおめ。ことよろ』がそれなりに続いた初日だった。

年末年始と皆様いろいろお忙しかったでしょうし、その片付けやこれからの準備がある中、カフェにおいでくださって感謝申し上げます。

今冬は今のところ降雪量が少ないけれど、10センチほどの圧雪の上に今朝サラッと降った雪のおかげで、ガーデンは新年にはもってこいの状態となった。
白い世界は何故だか心ときめくし、わんこ達が駆け回る姿を見るのはやはり楽しい。

ところで、『どんな一年になるのか』と受身の自分がいて、『どんな一年にしたいのか』を考える自分がいる。
1ヶ月前に市民ホールの会議室で行った私のプレゼンがきっかけでKは今月からアクションを計画しているようだ。

カフェは“暮らしやすい家庭犬”というのをコンセプトにして開業し8年目に入っている。
これまでわんこたちに様々な刺激と経験それにルールを教え、飼い主の皆様とも犬に対しての考え方や接し方・マナーについて学んできた。

ちょっと一区切りをつけ、一度整理して考えをまとめ、必要なら変化する時期に来ているのかもしれない。
Kのアクションがその流れならば私は行動を共にするだけのことである。

よく分からないけど今年のカフェは数年遅れの“チェンジ”ってことかな。
過去の“チェンジ”は日米とも一時的に盛り上がったものの、今のところうまくいってない経緯があるから、もしそうなれば私がしっかりしなければならない。

お正月は朝からでも少々のアルコールが許容される社会なのに、今日からは酔っていなくてもアルコール濃度という数値でシビアに判定される社会に戻った。
さあ、一年が始まるぞ。
こりゃ大変かも。
 

謹賀新年 2011年01月01日(土)

  明けましておめでとうございます。
本年もカフェをよろしくお願い申しあげます。

1.新年早々、目が覚めたらお泊りのわんこがリードの根元を食いちぎっていた。
すわ!何事ぞありきや!と不安の後に一呼吸おき、何が起こっていたとしても元旦から悲惨な対応はしたくないとの思いが走った。
いろんなところを確認したが、自由の身になって家中を好き勝手にできたはずのそのわんこは何もいたずらせず、元の場所でグーグーと寝ていた。

2.初日の出を拝むことができた。
カフェを始めてからは穏やかな年末年始の記憶しかない。
今年もしかりである

3.朝刊の折込チラシに目を通した。
『元旦から営業』と書かれたお店に敵意さえ感じた。
・おめえとこ、元旦の営業が無ければ赤字になって倒産の危機でもあるのか?
・従業員とその家族の正月を台無しにしてまで『元旦営業』する価値がお宅の会社にあるのか?
・こんなことまでして『右肩上がり』の一翼を担ったとして、それに何の価値があるというのだろう。

4.年末年始のテレビ番組。
わぁー、どれを見ようかな?というのが過去。
う”−、何か見るもんないかな?というのが現在。
これが何よりも年を取った証?

5.元旦早々、街を出歩く人はおるまい。
そう思って散歩に出かけると、わんこ連れの飼い主ばかりに出合って『おめでとう』の言葉が何故か元旦を忘れさせてしまう。

ともあれ新年の始まりだ。
今年もよろしくお願い申し上げます。
 

2010年営業の終わりに 2010年12月28日(火)

  カフェは本日をもって本年の営業を無事終了いたしました。
ご利用いただいたすべての皆様に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

『常連の犬たちばかりじゃ高齢化が進んでカフェは長続きできないね』
そんな危惧を抱いていたら、ちゃんと若い犬たちが現れ活性化された一年だったように感じる。
一方で、この一年の間に亡くなった犬たちと飼い主の心情を改めて想い起こす日々が重なる。

寿命が短い犬たちと関わるこの仕事は人間社会を早回しした縮図のようだ。

ただ、死んだ犬たちは、その生い立ちとエピソードまで鮮明に想い起こされるのに、長く生きた人間は誰もその人生の多くを語れず一時代を追悼するしかないだけに分が悪い。

『生きる』とは、ずっと誰かに見守られていると考えるのがいいのかも知れない。
犬にとってはそれが飼い主であり、人間にとっては両親を含め人生の断片的な場面で巡り会う人々ではなく、一生を見守る存在、つまり神様仏様なのだろうか?

否、わんこたちには悪いけど、一生をずっと見られていたんじゃ人間は恥ずかしすぎる。
生きた証を誰かに残したい気持ちはあるけれど、やっぱ断片的がいい。
死ぬ前に誰かと繋がっていられたらいい。
過去不詳のまま里親に飼われるわんこだっているしね。

一年を振り返った時に、楽しかったことや来年への希望に加え、誰しも逝ってしまった魂に想いを起こすはずだ。

暗い締めくくりで恐縮だが、『何故、今年も自分が生かされているのか』を毎年正月に考えるのが私流の逝ってしまった仲間への哀悼であり、来年への意気込みでもある。
そんな年末がやってきた。

本年中は大変お世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
よいお年を!!
 

メリークリスマス! 2010年12月25日(土)

  夜の12時。
外はマイナス9度。
クリスマスの夜はいつもこんな感じだ。

夜中まで点灯していたサンタ人形のコンセントを抜くと星空と雪明かりの世界が蒼く美しく感じられた。
今日のクリスマスランチにご来店いただいた皆様ありがとうございました。
ここのカフェってまるで会員制クラブみたいですね。

「良いお年を!」
そんな声が帰り際にそこここから聞こえていた。

人々の営みに1年という月日が大きな変化をもたらすことも珍しくないけど、わんこたちには必ず大きな変化が毎年ある。
毎年受験生を抱えているようなもんだ。

さて、あなたのわんこは今年の間にどれだけステップアップさせることができましたか?
それなりの年齢に達しているわんことはどれだけの思い出作りができましたか?

カフェで過ごしていると、それらのことを少しずつでも達成している飼い主ばかりで、恵まれたわんこであることが分かる。
ただ、それが偶然ではなく何故かしらの流れの中で進んでいて、ある種必然のようになっており、初めて来店される方はそのエネルギーに最初圧倒されることが多いように思う。
そして自分と愛犬とのスタイルを模索し追い求めることになり、そんな空気に共感した方がカフェを作り上げているのだろう。

我が意を得たり

来年もそんなカフェであり続けれたら嬉しく思います。

ただね、カフェの今年の営業は今日で終わるわけじゃありませんから。
『来年もよろしく!』っていう挨拶は分かるけど、それは28日までにご来店のうえ仰ってください。

それにしても、この一年ありがとうございました。
メリークリスマス!!
 

ゲレンデ情報 2010年12月20日(月)

  解けちゃいましたね。
かなり解けちゃいましたね。
誰もが『これで根雪』って思ったはずのあのしっかりした雪が、夕べからの雨と暖気で相当解けてしまった。
12月の19日、しかも夜中に雪じゃなくて雨音がするなんてびっくり。

ひょっとしたらこんなこともあるんじゃないかと秘かに思っていたから、あの結構な雪が積もった朝、私はガーデンと駐車場だけ除雪は行わず踏み固めて温存する方法を選択した。
でも気温が低く、雪合戦もできないようなさらさら雪だからそう簡単には固まらなかった。
『解けるかも、なんて取り越し苦労だったかな?』って正直思ったものだ。

なんもだぁ。
あの朝もし除雪していたら今日のガーデンは泥沼状態になっていたはず。
みんなで踏み固めたおかげで、解けた雪でぬかるんではいたけど、わんこは濡れるだけで汚れるまではいかなかった。
これってショックなのか喜ぶべきなのか?

明日は晴の予報。
たぶんガーデンは今夜凍結するものの、お昼頃には解け出してさらに雪解けが進むだろう。

除雪機ガロアラシ号は春先にしか人口降雪機能が無いため、明日(21日)はお早目のご利用が無難で、以降の方はそれなりのお心積もりをもってご来店下さい。
 

犬たちの冬、私の冬 2010年12月18日(土)

  ようやくしっかりとした雪が降り、わんこたちが存分に駆け回れる季節がやってきた。

遊び疲れたら冷たい雪で身体を冷やせばいいし、冷めたら相手を挑発しまた駆け回って温かくなれる。
『バッチイ(汚〜い)!』って怒鳴られることもなくなるし、夏のように『むさくるしい!』って避けられるどころか『温か〜い』って抱きしめられる機会も増えることだろう。
上手く振る舞えばベッドにだって潜り込めるはずだ。

ある種のわんこにとっての問題は、身体中にまとわりつく厄介な『雪玉』だ。
まゆ玉みたいに成長した雪が耳・胸・足・お腹・指の間なんかに大小何十も絡みつく。

無理に取ろうとしたら痛そうでたまらない。
お湯で融かすのがイチバンだと分かっていても、その都度洗うわけにもいかないから、せっかく気持ちいいはずの雪が身体に触れないように服を着せたりして雪玉の発生を最小限にしているのが現状だ。

『雪玉コート』なんていう皮膚や被毛にも良いコーティングがあればいいな。
尻尾や背中には雪玉が付きにくいし、犬種によってはその多くが雪玉フリーなのだから、そこら辺にヒントがありそうだ。
ただ、ダニよけみたいに首筋に薬剤を垂らして駆虫するような気持ち悪い代物はイヤだな。
ネットで検索すればいろんな商品が既にあるのかもしれない。

本来、過酷である冬をこのように表現するのは野生に対して申し訳ないが、ともあれ食住に恵まれた室内犬には快適な冬がやって来た。

明日から私はこれまで以上に天気予報を気にし、目覚ましが鳴ると同時に飛び起き、遮光カーテンをめくって除雪の必要があるかどうかを判断する日々が続く。
それぞれの冬がある。
 

あなたとわんこのこと、ちょっと考えていただけないでしょうか? 2010年12月16日(木)

  職業としてわんこに携わるようになって33年以上になる。
そのうち25年が盲導犬で8年が家庭犬だ。

家庭犬においてはまだまだ未熟者なのだが、熟練の域に辿り着くことはこの先も無いだろうと思う。

なぜなら盲導犬時代には絶対的な使命感があったのに対し、家庭犬では飼い主の意識を自ら選別し対処しているからだ。

どういうことかを羅列してみよう。
・盲導犬を必要とする人は視覚障害者であり、単に犬が好きとか嫌いとかではない違う次元での必要性がある。
・そのうえで様々なニーズがある。
・盲導犬は、使用者のコントロール能力が低いとか歩行スピードが遅いなど個人的特質や、家庭環境・職場環境あるいは地域においての制約があるなかでも活躍できる犬でなければならない。

つまりそのために、組織や訓練士は
・遊びだけではなく、仕事をすることに喜びを感じる犬たちを選別し
・目が見えなくとも歩きたい人を安全に誘導する犬を訓練し
・例えば排泄の処理・室内での行動など、犬と暮らす日常生活を支障無く行えるよう訓練したり、様々な便利グッズを開発したりしている。
・また、自由に乗り物に乗れ、お店に入れたりという社会での受け入れに必要な法整備を実現し、実際に活躍する職場や地域では理解を深めるための活動を行っている。
・本人や家族に犬アレルギーがある場合に対処する品種改良や、適性犬を効率良く繁殖し育てるシステム作りにも取り組んでいる。

さて、家庭犬はどうだろう?
・犬を買う飼い主の意識のレベルは?
・購入動機は?
・環境は?
・売る側のシステムとその実態は?

『見えないけど社会参加したい』という盲導犬希望者のニーズには何としても応えたいという使命感があったけど、
『あんたに犬を飼う資格はあるの?』
『誰にでも売ればいいと思ってるの?』
そんな社会で、誰ものニーズに応えられる様な熟練者になろうなんて思いはしない。

私はただ、感性を共有できる愛犬家と付き合いたいし、今が困っているけど何とかしたいと模索している気の合う人々と巡り会うのを楽しみにしているだけの人間だ。
 

楽しむって、身体を張ることだよね。 2010年12月10日(金)

  昨夜、『暮らしやすい家庭犬』という副題で私がプレゼンした内容に「感銘を受けた」とKが書いているが、なんもなんも普段から断片的に皆さんにお話していることを、ちょっとだけ系統的に喋っただけのことだ。

その“ちょっとだけ”がよかったみたいで、もし本気になって細かいところまで話す時間を主催者が設定されていたら、『くどすぎる』という酷評に変わっていたと過去の経験から私は思っている。

ともあれ、丁度の時間とあのような機会を与えてくださったYさんに感謝申し上げます。

さて、お泊り犬のいない昨日今日の定休日を我が家の愛犬アモと存分に楽しんだ。

昨日は原始林。
散策するにはちょっと寒いし、うっすらとした雪化粧だから歩くスキーの人もいない。
森の中って本当に気持ちがいい。
特にこれからの時期はこの世で最も苦手なヘビもいないしスズメバチだって越冬に入るから怖いもの無しで楽しめるのが良い。
6キロほどのコースだが、笹藪に入ってネズミの気配を楽しむアモはもっと歩いたはずだ。
ダニの心配をしなくていいから私はあれこれ注意することもなく、アモも自由だ。

今日はレクの森と長沼。
レクの森では獣道を少し広げたようなコースを選んだ。
ここにはクマもいないし北海道ではイノシシもいないから安心。
出くわすとしてもキツネかエゾシカくらいだ。

雪が積もって笹が倒れると、このコースが分からなくなり森で迷ってしまったことがあったから、今日は確認の為に歩いた。
3キロほどの短いコースだけど起伏があって、景色に変化があるからとても気に入っているし、アモも充分に満足している。

午後は食事も兼ねて長沼へで出かけた。
景色と共に味わうランチならではの美味しさを楽しんだ後、Kはおみやげのパンを車で待っていたアモにちょっとだけ与え、1時間ほど散策した。
疲れ知らずの9歳8ヶ月は、ボールや折れ枝を追って駆け回り、なお目を輝かせていた。

二日間のお休みを自然の中で過ごしたけれど、日付けが変わった夜中
「シッコいくぞ」と声をかけた私も、仕方無さそうにやって来たアモも、それぞれが自分の足腰をかばうように一段ずつ階段を降りていた。
「二人とも大丈夫かぁ!」
その姿にKが上から叫んだ。
 

ビーちゃん 2010年12月05日(日)

  今朝8時40分頃、カフェで掃除機をかけていた私に、Kが「鳴ってるー!」と私の携帯を持ってきた。

掃除機のスイッチを切り、耳を当てると「転送です。転送です」と携帯の声。
発信元はすぐ隣にある我が家の電話だった。

留守電ボタンを押すと悲しいメッセージが再生された。

「先ほどビーズが亡くなりました。安らかな最後だったのがなによりです。余命3ヶ月と告知されてから4ヶ月を生きることができました。困ったときにいろんな相談にのっていただきましてありがとうございました。」

Cさんの声は落ち着いていたが、抑揚を抑えたそのメッセージがCさんの心情をまっすぐに伝えていたものだから、却って私には辛かった。

ビーズの病気がどうしようもないことを私たちは以前から知らされていた。

ビーズ、
君は盲導犬候補の仔犬だったけど、僕がパピー担当のあの時代から君は盲導犬にはむいてなかったよね。
キャリアチェンジし、Cさんの家族に迎え入れられて本当に幸せだったね。
36号線を車で走っていて、楽しそうに歩いている君の姿を何度も見かけたよ。
「可愛いね。楽しそう!あれ?ビーズじゃない?」ってKがいつも目ざとく見つけていたんだ。

家族みんなが揃っている日曜の朝を選んだんだね。
悲しみを伝えるCさんに一呼吸させるため、掃除機の音で着信音を消して留守電を選んだのかな?
照れくさかったのかい?

どうぞ安らかに。
そちらにはDCN(ドッグカフェナガサキ)の仲間がいるはずだから探してごらん。
いい奴ばかりだから心配しなくていいよ。

このところ脾臓の病という診断で亡くなるわんこが多いのが気にかかる。
 


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