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月が変わった。
最近いろんなことが変わっているが私には面白くないことばかり。
テレビはアホなバラエティー番組の羅列ばかりだし、ニュースやキャスター番組では政権や起きた犯罪を批判するだけで、事前に自らの主張を提示することはない。 美味しいところだけの後出しジャンケンで飯を食っている。
新聞を開けば広告不況と言われる割には全面広告が溢れ出し、どれだけ割引してでも広告を取るかが至上課題となっているようで、社是が果たして守られているのか不安になる。
我らが阪神タイガースは『残り試合を全勝すれば優勝できる』という喜びを、プレッシャーと感じて自滅してしまうし、地元北海道日本ハムファイターズは、開幕当初の出遅れが最後まで響いてしまった。
おまけに今日からタバコの値上げが始まった。
愛煙家のことをみんな野蛮で自制心がない人種だと思っているかもしれないが、私は我が国では希少なほど社会問題を考えている人々だと思っている。 『嫌煙や健康志向を言うなら、タバコの栽培・製造・販売・所持・使用を違法にしろ!』と叫ぶ我々に対して、社会や政府は明確な回答を示すべきである。
愛煙家として、しみったれた反論のひとつでも許されるのなら 1.いつの間に人々は煙突や排気ガスへの苦情を申し立てることなく、タバコだけが煙たくなったのか! 2.排ガスと同じような工夫がタバコに施されれば、目の前の喫煙者をあなたは許せるというのか? 3.嫌いという心理が身体に影響を及ぼすのは確かだが、それはすべて嫌われた喫煙人間の責任といえるのか?(日中関係にも影響しますぞ) 4.無菌室や自分に不都合な物事が排除された社会を求める気持ちは分からないではない。 だがそれを遮るのが本当にタバコなのか? タバコの煙がなければ上手くいくのか? 死んだ人間に対して『タバコのせいであなたは無用に死んだ』というのか? 5.家族がタバコの煙に苦しんでいる。 スギで苦しむ人々がいる。 自然ではなく人間の営みが人々への苦痛を与えているのなら、まずは喫煙者である当事者すら被害を被っているタバコを規制するのが正当である。 だが、本当にそれが人間が生きていくうえでの大問題で焦点なのか? 問題転化はないのか?
言いたいことは山ほどあるし、多くが今の時代や読者に通用しないことも承知している。 ただ、これまでの“常識であること”が我々の身体の反応を弱い方向へ変化させているのではないかと、苦し紛れを吐きたくなる。
きっとこの問題に対しては、国民同士と政府のコンセンサスが得られるような議論とプロセスがなく、愛煙家を無視した研究と市民の批判・それに国際世論ばかりが重視され構成されたことを“マスコミ発表”によって正当化されたものと私は受け止めている。
私の意に反し、私の紫煙があなたの健康に被害を及ぼしたなら心から申し訳なく思います。 でも、あの日あなたと出会い、あの夜語り合えたことは私にとっての至極の時間でありました。
私の喜びと同じようにあなたが喜びを感じてくださったなら嬉しく思います。 ごめんなさいね。私は喫煙者でしたけど…。
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