From the North Country

心からの感謝 2009年12月27日(日)

  カフェは2009年の営業を本日無事終了することができました。

開業から通算すると6年と1ヶ月。
驚きと共に皆様には感謝の気持ちで一杯です。
今のところ来年も頑張る予定でおりますので、引き続きドッグカフェナガサキをよろしくお願い申し上げます。

心からの「ありがとうございました。」を受け止めてくだされば、私どもは本当に安らぐことができます。

よい年末をお過ごし下さい。
 

しつけるという選択肢が人間にはある 2009年12月26日(土)

  「先生叱ってくださ〜い!」
「ほれ、先生来たよ、怒られるよ」
今まではご自分の愛犬のしつけに対して他力本願だったKさんが、今日どういうわけかガーデンで駆け回る他犬に吠えかかる愛犬に対してリードショックで制御していた。

偶然その光景を目にした私は嬉しくなり、じっと観察していた。そして
「惜しい!詰めが甘いんだよ」とアドバイスを始めた。

たまにではあるがカフェで吠えたり威嚇するわんこの飼い主は『それはダメ!』という意識をしっかり持っておられる。
まずはこれが素晴らしいことだと私は思っている。
Kさんもしかりである。

『イヌだもん、吠えるのは普通でしょ』なんて考えている飼い主は、我らがカフェのお客様に対して大いに恥じるべきであり参考にすべきである。

Kさんは吠える愛犬に的確なタイミングで制御を行っていた。
だが、ここで皆さんに考えて欲しい。
問題点はふたつあった。
1.愛犬はいつもどおり、状況に応じて吠えているだけだから、一瞬Kさんの繰り出すショックに驚き吠えるのを止めはするが、対象となる他犬から目を離そうとはしていない。
2.Kさんは当然心からの愛犬に対して、ショックを与える動作は仰々しく見えても、手心が加わるから無駄で柔な動きが多く、しかも吠えるのをやめただけで相手から目を離そうとしない愛犬を褒めている。

さて、私からのアドバイス。
甘いのだ!

せっかく吠えるのを一時的にやめさせるだけの制御を身につけたのだから、『最後まできちんとやれ!』、である。

ショックに驚き、吠えるのをやめた愛犬であっても、なお意識が相手に向かっているのなら、それはたとえ愛犬がじっとしていても引き続き更なる強い連続的なショックを与える重要な瞬間であることを知らねばならない。

これを実践すれば、相手を睨み付けていた愛犬は更なる強いショックでようやく我に返り、いつもとは違う飼い主の行為についての意図を知ろうとして振り返り、そして目を見る。
その時が大切なのだ。
『吠えるんじゃねぇ!静かにしろ!』
どすの利いた心からの言葉は始めて愛犬の脳にまで届き『ご主人は本気なのか?』と自分の振る舞いにためらいを抱かせる。

だが当然、愛犬はいつもと違う飼い主の反応を“気まぐれ”と受け止めたり“なんかの間違い”と感じて、同じ失敗を数回繰り返す。
そこで諦めるのが普通の飼い主であり、『これが私の意志だ!』と心を鬼にして継続するのがカフェのお客様の心意気である。

犬は観察名人であるから反応はすぐに現れる。
“本気なのかそうではないのか”を見極めた犬は徐々に振る舞いを変化させていくか、さらに強固な自己主張を展開していくことになるのだ。

Kさんはようやくスタートラインに立ったと思う。
実力行使による意思表示。次は言葉による“実力行使の予兆”を愛犬に分からせ、愛犬に対して『何が最も心地よい結果をもたらす振る舞いか』と『飼い主の意図』を考えさせ、その結果においての満足度を得られる経験の積み重ねを繰り返せばいい。

いつも私は言う。
知らないことを教えるのに対しては叱ってはならぬ。
してはいけないことに対しては相手の感受性を吟味しつつもぶっ飛ばす位の強く犬に分かりやすい意思表示をしろ。
愛犬であることが条件なのはもう今更付け加えなくてもいいだろう。
一度でいいのだ。
過去のどこかでそんな決着がつけられていたら、実力行使なんて野蛮なことを否定する考えが次に湧いてくる。
 

今夜はモール温泉の素を入れた家風呂で 2009年12月23日(水)

  へへへへー、混んじゃいましたねぇ、今日のカフェ。
びっくりでした。
高さ凡そ50センチ、直径凡そ30センチの円形のステンレス製鍋。
レストランの厨房なんかにありそうな奴ですが、あれに3分の2ほど仕込んだクリスマス限定(本日のみ)のビーフシチューが綺麗になくなっちゃいました。

いや、全部売れたわけじゃなくて、閉店前には元カフェのトリマー/あさみが『残っちゃうでしょ?』と鍋持参でやって来たり、今日は特別な仕事であんこ・モカ・モナカをカフェに預けていたNさんが引き取り時に夕食を作る気力もないほど疲れてたからフランスパンをセットにしてお買い上げいただいたり、スタッフMと我が家の夕食になって片付いた次第。

夕食時に気づいたのが『そういえばさおちゃんは一日中トリミングしてたからシチュー食べてない!』
さおちゃん、ごめんなさいでした。

さて、数年来の賑わいをみせたカフェだったがさすがドッグカフェナガサキ、カフェ内では犬たちの存在を忘れるほどの静かさというか、聞こえるのはBGMのクリスマスキャロルと人間達の会話ばかりという当たり前の時間に何故か驚きと感動を覚えてしまった。

夕べ予告しておいたプレゼントは、600個を超えるニュージーランド産のキウイフルーツと100数十個の南アフリカ産の赤肉のグレープフルーツだったのだが、これも綺麗さっぱりお持ち帰りいただきスッキリした。

今夜、残った数個のグレープフルーツをスクイーズし焼酎で割って飲んでいるが、ウマイ!
いつものストレートより罪悪感がないのが何より素晴らしい!

今年のカフェの営業は残すところ26・27日の土日2日のみ。
年末年始のお泊り犬は例年の4分の1。
厳しいけど嬉しいというのが素直な表現だろう。

今日カフェに来られた皆様、不手際を受け流してくださったことに感謝いたします。
これからもよろしくお願い申し上げます。
土日にもお待ちしております。
 

ハッピークリスマス! 2009年12月22日(火)

  明日というか今日23日はカフェのクリスマス。
珍しくイブとクリスマスが定休日なもんで、この日になっちゃいました。

Kは昨夜、日付けが変わってもビーフシチューの仕込みに励んでおりました。
飲んで食べてばかりの私には頭を下げることしかできません。
スタッフMは今頃自宅でデザートの準備に大わらわでありましょう。
感謝感謝です。

カフェの営業も今年は余すところ3日。
まあ、明日は楽しくやりましょうや。
不手際や失礼は犬たちのような寛大な心で流してください。

そうそう、ご来店の折は昨年の5周年記念でお渡ししたエコバック程度の大きさの袋をご用意下さい。
先着20名様程度の袋が一杯になるくらいの○○を用意してお待ちしておりますので…

午後遅くからご来店の皆様にもひとつ位は残るよう頑張ってみます。(いい加減で無責任な発言)
ではでは!
 

回顧2009 2009年12月21日(月)

  『1週間のご無沙汰でした…ロッテ歌のアルバム!』
こんなフレーズを覚えている方も少なくなったんでしょうね。(40年以上前だっけ?)

ご無沙汰していましたが、毎晩この辺りまでは書いておりました。
その先が書けなかった。
既に書いてきたことばかりが去来する毎夜だったので…

さて、本格的な雪が降り今朝はガロアラシ号に頑張ってもらうなかで『今年もあと少しになったなあ』との感慨が巡った。
新しいわんこが増え世代交代が進んだ今年のカフェだったように思う。
『長崎さんがみていてくれるから』
そんな安心感を皆さんもっておられるのが私にはプレッシャーになったが、仔犬たちの成長を見ることができた楽しい一年だった。

小さな小さなチワワの銀次郎はすぐに壊れてしまいそうで手を出せないでいたが、ようやくビシッと叱れるまでに成長した。

ひょっとしたら他犬とひと悶着起こし、叱責した人間に逆切れするやも、との懸念を持ちながらレッスンを進めてきたダルメシアンのビートはすっかり信頼できる青年に育った。

内弁慶でカフェではおどおどビクビクし、いつも尾を巻いて逃げ隠れしていたバーニーズのラブが最近では犬の群れの中で尾を振って楽しそうにしている。

同じく他犬の接近に対し悲鳴と失禁でパニックを起こしていたゴールデンのあむだったが、こちらも順調に育っている。前犬のゴールデンは他犬との関係がうまくいかなかったという経緯があったようで、当初飼い主のKさんの表情が硬いのが気になっていたが、あむの成長につれ朗らかになったのがうれしい。

『一度ぶっ壊す』と宣言し、妙にしつけられたゴールデンのあんこの心を解放することから始めたレッスンだったが、なあもなあも私が頑張らなくても飼い主のNさんの朗らかでのほほんとした性格があんこを包み込み、甘くて美味しそうなわんこに育っているのが可笑しい。

デビュー1ヶ月のラブのペロスケは依然正体不明。
一緒に暮らしているわけではないので仕方ないのだが、どうにも読みきれない。
こちらは越年だ。

気分は10年近く前にやっていた盲導犬パピーウォーカー担当/スーパーバイザーである。
『努力して何としても盲導犬になれるようちゃんと育てなきゃ!』
『合格しなかったのは自分達の育て方が悪かったから』
そんな意気込みと落胆が交錯するパピーウォーカーに対し私は宣言していた。
『盲導犬になるかどうかより、一緒に暮らして楽しい犬を共に育てましょう!』と。

今ほど長年積み重ねてきた経験と理念と自分の感性を素直に表現している時間はないと思う。
そしてこれから出会うであろう新たな感性に門戸を開いてもいる。
来年、『おお、そうか!』と膝を打つような極意のヒントに巡り会えるかもしれない。

ともあれカフェ育ちのわんこはいい奴ばかりなのが私に希望を持続させてくれている。
 

厳しい環境が絆を深めるかも 2009年12月13日(日)

  昨日まであんなにぬかるんでいたガーデンが今日はずっと凍ったまま乾燥していた。
ぬかるみを駆けたひときわ大きな足跡がそのまま凍っていたものだから「昨日ジェニーが来てたんですね」とMさんはレオンベルガー/ジェニーの来店を見事推理してみせた。
雪こそないものの凍れる冬が到来したようだ。

『氷らないようにビールは冷蔵庫に入れておかねばな』
30数年前、移住してきた時に聞かされた言葉が懐かしく思い出される。
今夜ビールを外に放置したら本当に破裂してしまうに違いない。

それにしても『北海道はいいなぁ』とつくづく思う。
今日のカフェなんて大型犬がごろごろだったのに、外が寒いものだからガーデンに出てもすぐに中に入ってしまい、まるで家畜と家族が同じ屋根の下で一緒に暮らしていた田舎の風情が漂っていた。

人間たちの会話が盛り上がるものだから、犬たちは圧倒されてそこそこの振る舞いしかやらない。
自宅では天狗になってわがままな振る舞いをしているわんこでもちゃんと自制して人間社会の凄さを観察している。

イギリスの片田舎でThe Oakという数百年の歴史があるパブに連れてってもらったことがあるが、ふと、そこの雰囲気を思い出してニンマリした。
やっぱ我らがカフェは犬たちがいいなぁ。

冬は愛犬をお利口にするチャンスかもしれない。
 

あ〜あ 2009年12月12日(土)

  先月一旦降った雪もすっかり解け、今日は一日中雨となってガーデンは昔懐かしいぬかるみ状態だ。
12月中旬になっても根雪がないというのがもはや札幌の常識なって久しい。
クリスマス頃には銀世界というのが昨今の市民感覚といったところか。

定休日だった金曜日に久しぶりの釣行に出かけた。
結果は散々…
一投目から小さなアタリがあって期待を寄せたが、それはなんと小さなフグ!
冗談じゃない、フグなんて北海道では夏場の邪魔者で、釣りにおいては単なる餌取り。
あの鋭い歯でちょこちょこと餌のサンマを食いちぎり、三本の竿も5分で餌だけなくなってしまう。
積丹の海も水温が上がって魚種交代が着実に進んでいるようだ。

前日の朝から釣り始めたという隣客は、陽が昇る前からフグの活性が始まるや、さっさと竿をたたんでしまった。
「こいつらが出始めたらもうどうもならん」
そう言って、夜の間に釣ったホッケを持って帰っていった。

いつもなら『よっしゃ!ならば何とかして釣ってやろう』
と、様々な工夫をする私なのだが、途中のコンビニで用を足した際に腰を少し痛めていた。
和式のトイレがいけなかった。もうあれは使えない身体に成り果てたようだ。
それでも以前までは『ままよ、いよいよとなったら紀夫さんがいる』と、身体のメンテナンスをまかせていたS治療院を後ろ盾に頑張れたが、その紀夫さんも9月に逝ってしまったことを思い出すと無理ができなくなった。

『おーい!紀夫さ〜ん!』

で、私もさっさと引き上げ、帰宅後アモと散歩し、里塚温泉でゆったりと身体をほぐし、慎重にヨガをしてから湿布を貼って今日の営業に備えたのでありまする。
そして今日、まあなんとかなった。

朝の食卓には大きなマガレイの煮付けがあったことを釣り人の意地として付け加えておこう。
 

最後まで頼っちゃいけないよ 2009年12月08日(火)

  夕べは酔ったままに自分でも分けのわからないことを書いてしまい失礼。
今夜はまともなことが書ければラッキー!(既に酔ってる)

『吠えるんです』
そんな相談は日常茶飯である。
私にしてみれば『結果的に吠えるのをあなたは潜在意識の中で認めてるんでしょ』と直感し、相談者の対応を見て『やっぱりね』と感じる連続である。

私がそんな犬を吠えなくするのは一瞬でできるが、それは飼い主と切り離したうえでの現実であることをはかなく思う。

『どんだけ野蛮なことを私はやっているのだろう』と、自責の念に駆られるのも日常茶飯だけど『どんだけいい加減な気持ちで犬と暮らしているのだろう』と、飼い主に対して呆れた思いを感じることのほうが多い。

愛犬家は優しいんですね。
経営上私はそう書くしかないけど、それは同時に『ご自分でなんとかしなはれ』という意味合いがあることを知って欲しい。

昔、悪事を働いた男を裁く法廷で「裁判長様、どうか息子を懲らしめてやって下さい!」と叫んだ母親がいた。
彼女の足元には盲導犬がいて、当時その言葉に私は感動を覚えたものだ。

だが、それを犬に当てはめ『懲らしめてやって下さい』というのはいささか的外れではないかと思う。
ちゃんとした責任者であるという自覚を犬の飼い主はそれなりに持った方がいい。
 

分からないこと。 2009年12月07日(月)

  『分からないこと』が私にはたくさんある。

1.企業はなぜ増収増益を図らなければならないのか?

資本主義経済を何十年も続けていれば、年功序列のシステムにおいて主要経費である人件費はほぼ計算できるし、売り上げは時の経済情勢によって変化するものの、堅調な事業を展開すれば企業は存続できるはずなのに、増収増益でなければ経営者として失格の烙印を押されている。
どっかおかしくないですか?
株主や投機筋それに銀行を後ろ盾にして事業を展開するからそんなおかしなことになっているのだと思う。
自動車など国家を支える輸出産業ならそこそこ分からなくもないが、スーパーやそこらの食品産業までが血眼となっているのがちゃんちゃらおかしい。
そこそこ儲けて暮らせればそれでいいではないか、と思ってしまう。

2.デフレって事業者が加担する自殺競争でしょ?

不景気になって消費者の購買意欲が減少すると、企業は低価格競争に走って自社の商品の購入を促す方向に舵を取る。
バカじゃないかと思う。
『安ければありがたい』なんてことはどんな時代にだって消費者は思っているのだ。
不景気な時に安くするのは『それまで過分な利益を上乗せしていた証明』と感じるし『勤労者に対する過酷な負担の裏返し』ということを身をもって感じてもいる。
商品やサービスに見合う価格に自信があれば『これがわが社の値段です』と貫くべきだと思う。

3.株式は買っていただいたのではなく、買うことを自ら決断した相手の行為である。

株式の重みはとても重要だがそれに振り回されるなんて本末転倒である。
あなたがやろうとしていることに相手が『乗った!』との具体的な意思表示であるという原点は変わらないのだ。
アドバイスは貴重だが、つべこべ言われる筋合いは元来ないはずだ。
経営者諸氏、元気を出して欲しい!と願う。

さて、愛犬家諸氏、あなたは元気ですか?
1.あなたは愛犬の為に“増収増益に腐心していませんか?”

普通の生活の中で暮らせていることがわんこたちには幸せなのです。

2.デフレ社会だからといってわんこの価値は下がりましたか?

大切なものとどうでもいい物を見分ける目があることを知ったでしょうが、その値段が最重要ではなかったことと信じています。

3.愛犬と暮らし始めることを決断したのは他でもないあなたです。

あなたの振る舞いすべてがあなたの愛犬に関わっています。
あなたが決めるのです。
ただただ、そこからスタートするのです。
株式を募ったのはあなた自身。
あなたの自覚はどうあれ、あなたが選んだわんこはすべてをあなたに依存しているのです。

あなたがユニ○ロのような“社長の中の社長?”ではなく、普通の社長人間でいることを心から願っています。
 

Yちゃん、その2 2009年12月02日(水)

  夕べの続き…

日付けが変わるまで飲み続け、書くことをためらわないほどに酔ってからパソコンに向かったが、やはり遠慮がちに簡易にまとめておくことにしよう。

KさんとT子さんが盲導犬ユーザーの会合などを経て急接近していったことは、お互いをよく知る私にははっきりと感じ取れていた。
ベストカップル!
その言葉を私は信じて疑わなかったし、中途失明という途方もない試練はこのふたりを結びつけるためにあったのだろうと今でも思っている。

当時は勿論今もそうかもしれないが、盲導犬を伴った男女が密会するなんてことは不可能に近い。
だからKさんが「今度の日曜日、協会に泊めて欲しい」と切り出したとき、私は何の問いかけもせず離れた場所にあるプレハブに部屋を用意した。

世間的には連れ子と一括りにされるYちゃんが、その後どう感じていたのか知らないが、少なくとも私の目には最高の幸せを手に入れた少女に思えた。

Yちゃんはとても利発な子だった。
明るく素直でとても気が利く子だった。
心から二人の結晶のように思えた。
最後に会ったのは、同じ地域で盲導犬を取得した方の歓迎会であり、彼女が小学生の頃だったと記憶している。

そのYちゃんが○○教育大学で盲教育を学び、国内の盲導犬協会に就職して盲導犬の普及活動を進めている事をメールで知った。

だから昨日のこの欄で棺に収められた私の胸にそっと置かれた手紙だと表現したのだ。
それほど嬉しかった。

だが、そのYちゃんが心の病を抱えて休職していることをあわせて知らされた。
同じ盲導犬事業に携わってきた私にはその心労が痛いほど分かる。

実際は動物相手ではなく人間相手であることのギャップ。
両親のように有能な視覚障害者ばかりではない現実。
ひょっとしたらYちゃんは両親を受け入れる過程においても無理をしてきたのかもしれない。

そんな積み重ねがYちゃんを苦しめているとしたら、棺の中の私は飛び起きて、知る限りの過去と年寄りの知恵を授けてあげなければならないはずだ。

Yちゃんから届いたメールは私を奮い立たせる天からの贈り物だったと受け止めている。

Yちゃん。そこそこ頑張った自分を褒めてあげようよ。
僕はね、忘れたのか覚えていないのか…そんな今を繰り返しながら楽しく生きているよ。
メールありがとうね。
 


- Web Diary ver 1.26 -