From the North Country

よろしく、あんこです。 2009年09月26日(土)

  不順だった夏の埋め合わせをするかのように穏やかな秋が続いていて気持ちいい。
散歩している犬もその飼い主さんもみんな楽しそうにみえる。
愛犬と暮らす人間にとって一番良い季節かもしれない。

そんな秋にMダックス/モカ・モナカのNさんが新たな愛犬を迎え入れた。
生後6ヶ月のゴールデン/あんこ
よろしくです。

レッスンを請け負った私であるが実はあんまり面白くない。
長いことショップにいてしつけられているものだから、生後6ヶ月の溌剌としたわんこと歩く楽しさがないのだ。
リードはだらりと垂れ、人の前に出て歩く意欲が失せている。
「とっても楽チン」ってNさんは言うけれど「つまらん!つまらん!」と私は不満を感じる。
せっかく愛らしい容姿をしているのに、散歩いやレッスンをしている私の視界にはあんこの姿はなく、あんこを眺めたければ真横の真下を向くしかなく、そうなると秋の綺麗な景色を楽しめず首も痛くなるではないか。

愛犬は前方を引っ張らずに歩くのがいい。
前を見ながら散歩ができるし、表情や視線の先が分かるから『何を考え・どう感じ・どんな気分で歩いているのか』を推察する楽しみがある。

どうやら私のレッスンはこれまでのしつけをぶち壊すことから始まりそう。

今日のガーデンであんこをフリーにしたらはじけるように幼さの残る足取りで駆けた。
『これが6ヶ月のゴールデン』とほくそ笑んだら、あんこは調子に乗ってモカの身体に前足をかけた。
先住犬のモカは気丈に振る舞っていたが「こりゃ!」と叱るとあんこはひれ伏すようにして私の股の間に入った。
まだ6ヶ月の幼い犬が叱られることの“怖さ”まで先に身につけていたのだ。
この時期はいたずらばかりして叱られることの連続のはず。
そんなに卑屈な態度をとらなくていいんだよ。
どんなキャラを本来持っているのか見せてごらん。
 

さよなら紀夫さん。またね 2009年09月25日(金)

  紀夫さんの1頭目の盲導犬ロンの時、私は盲導犬に必要で求められる細々とした項目を学ぶと同時に、この人間の並外れた底知れない能力に驚かされた。

アマチュア無線で遠くの人間と将棋をやっておった。
視覚障害者だから相手が目の前にいようが電波の向こうにいようが関係ないのだが、その腕前は日本将棋連盟の4段の認定を受けており何人かの弟子がいた。
彼には将棋盤と棋譜がパーフェクトに頭にあり、真髄を探求しているのは明らかだった。

麻雀の手合わせをしたこともあったが歯が立たないだけじゃなくスピードについていくのに苦心した。

歩行の手引きをしていると「腰が悪いな。後で診てやる。」
私の肘に触れながら誘導を受けているだけで私の腰の異常を見抜き以後私は紀夫さんの患者になった。

二頭目の盲導犬アーサーは私が訓練し歩行指導も担当した。
ロンが出勤前の排泄に20分もかかったのに対し、アーサーは20秒ですべて終了したことに感動していた。
急遽2頭目の盲導犬を準備しなければならず、訓練時間が規定よりもやや少なく完成間近の盲導犬であったが、紀夫さんのような視覚障害者だと彼らで完成させられるというずるさも学んだ。

彼がユーザーの会の会長を経て、盲導犬協会の会長になった頃、国際会議のため二人でイギリスに行った。
宿泊したホテルではそれぞれシングルの部屋をとり、私は一通りのファミリアリゼーション(未知の状態を既知にすること:つまり室内はもとよりホテルの殆どをひとりで移動できる情報提供)を行った。
翌朝「やいや、夕べは大変だった。」と紀夫さん。
シャワーを浴びてドアを開けようとしたがノブを回しても開かない。
どこか自動ロックされたかとドア周辺を手探りしたが、どうしても分からない。
イギリス流の鍵のかかり方があるのかと1時間以上も思案したという。
不安だったことだろう。
「どうやったの?」
「思いっきりボンってやったら開いた」

翌日は時間があったのでロンドンの北半分を歩きに歩き回った。
「もう勘弁してくれ」
公園の芝生に腰を下ろすと紀夫さんは靴を脱ぎ、つま先から太ももまで揉んでいた。高校生ぐらいのブラスバンドが心地よい演奏を奏でていたのを思い出す。

スペインの協会の代表も視覚障害者だった。
通訳を残して私はフィンランドのスタッフと交流していたが、あの時の紀夫さんとスペインの代表ふたりの興味に満ちた会話の表情は今でも覚えている。
いい時間を過ごしていたに違いない。

3頭目の盲導犬グリーンの頃は私がパピーウォーカー担当だった。
「芝生を掘ったり垣根の枝を食べるんですが大丈夫でしょうか?」
そんなやんちゃな事柄で相談を受けることが多かった犬だ。

我が家の愛犬アモが前の飼い主であるN先生にそうだったようにグリーンも遺体となった紀夫さんに寄り添うことがないどころか距離を置いていた。
『はあん、そういうことなんですね』みたいな感じだった。
グリーンのおでこから目の周りはくぼんで老犬の漂いを見せていた。
「これからも一緒に暮らそうと思うんですよ」
奥さんはそう言っておられた。

死なんてもういつ訪れてもおかしくはない年代になっていることを改めて思った。
そしたら「来年の3月から4月頃まで旅に出ない?」とK。
「いいね」と応えた私だが、数日前から痛み始めた膝と腰を擦っている。
紀夫さーん!俺の身体、これから一体誰が診てくれるんだ!
治療の最後に背中を優しく擦って「よし!」と言ってくれた言葉の響きと感触それにこれまでの思い出が幾重にも去来し交錯してまだ解決できずにいる。

今度会ったときにあんたと恥ずかしくない会話ができるよう頑張って生きるよ。
 

佐々木紀夫のことを書きたい 2009年09月15日(火)

  恥ずかしいことなのだろうが、私はもう何年も健康診断を受けてはいない。
私の身体がおかしくなったとしてもそれは膝や腰であり、そんな時は里塚温泉で温泉ヨガをし、それでもだめならこの欄で何度となく紹介してきたS治療院に駆け込めばすべては解決するからだ。

S治療院。
院長は佐々木紀夫。
盲導犬使用者であり、北海道盲導犬協会の会長であり、全国の盲導犬協会が加盟するNPO法人全国盲導犬施設連合会の会長でもある。

が、今の私にとってはそんな肩書きは関係なく、只の大切な先生であり昔ながらの友人である。

私が駆け出しだった頃、白い杖をついて病院勤務をしていた彼は盲導犬に興味を抱いた。
「相談がある」と盲導犬協会に連絡してきた時に、私を育成していたK盲導犬指導員は彼の自宅に私を同行させた。
そう、30年前のあの日から私と佐々木紀夫との付き合いが始まったのだ。

障害者に対する偏見というのをご存知だろうか?
いや、今夜はそんなたいそうな話を展開したいのではなく、佐々木紀夫に初めて会った日の私を証言しておきたいのだ。

・彼は普通に私達を迎え入れ、K指導員も普通に入り込んだ。
・私は西日が半分差し込む部屋で、大人同士の会話を真剣に聞いていたが今その確かな記憶はない。
・そばに奥さんと子供が座っていたのを覚えている。
「長男に競馬新聞を読んでもらうんだ。一回100円でね。」
盲導犬についての説明が終わり、身近な話題になった時のそんな記憶が鮮明に残っている。

“障害者でありながら工夫しつつ温かな家庭を築いている”という観念。
それこそが障害者への偏見であったこと、あれからが私の意識が変わった瞬間であったように後に思う。

視覚障害者の彼は普通に振舞い、笑いながらも『もっと楽に通勤したい』と正直に嘆き、その家族が傍で見守り、息子は競馬新聞を読んでいた。

佐々木紀夫にはロンという盲導犬が貸与された。

通勤するためにバス会社の理解を得なければならず、調査員同行のテストも行われた。
混みあう通勤時間帯のバスに同乗していた私は、調査員に無言の圧力ともいえる笑顔で職責を果たしていた。
勤務先の病院では倉庫のような場所しかロンには与えられず、ロンを説得しようと試みる私達以前にロンはすべてを受け入れてくれた。

佐々木紀夫は元々普通の人間だったのに、20歳の時に視覚障害になり、以後ある使命を何かに導かれて開花させるような人生を歩んだのだと思う。

その彼が今朝方死んだ。

仕事の合間をみて駆けつけたとき、“おくりびと”によって湯灌がなされ死に装束をまとい始めていた。
奥さんは大丈夫だった。
死を受け入れる時間が少しはあったらしいから…

血液にウィルスが入ってからの連鎖が引き起こした死であったとのこと。

たいしたもんだよ、紀夫さん。
あんたの人生は。
お悔やみを言う私に紀夫さんの愛犬グリーンが甘えて何度も顔を摺り寄せてきた。
 

みんなのしあわせ を〜! 2009年09月13日(日)

  夕べのKの『最新情報』ウケル〜!
♪みんなのしあわせ を〜!まねきいぬどっぐ♪
シーズーのそうじろうはカフェでもあんな格好でみんなを和ませてくれております。

さて、昨日の続き。
仔犬にごはんを与えるときは食器が動かないように両手でしっかり押さえておくのが私の中では常識。
理由は二つ。
・『食べてる時に手を出したら唸ったとか咬みつかれた』なんて将来馬鹿げたことにならないための第一歩
・ガツガツと食器を滑らせながら食べている時に、手を出して元の場所に戻してあげることが飼い主の善意であっても、仔犬のなかには意地悪と誤解する個体もある

多くのわんこはそんなことしなくても将来ニコニコしながらごはんを食べるものだが、時たま指摘したようなわんこが育っている。
“転ばぬ先の杖”であり、実はヒトとイヌが出会い、人と犬の関係作りの第一歩にもなる何気ない所作なのである。

床に置いた食器にフードを入れてる最中からあむちゃんは突進してきて食べようとした。(元気一杯食欲旺盛、健康状態に問題なし!と判断)

私は右手で3度払い除けた。
1度目:突進を食い止める程度の強さ
2度目:身体をはじき返す程度の強さ
3度目:突進をやめ、私の意図を確認する状態になる強さ

次に私は食器を持って立ち上がった。
あむちゃんはジャンプしごはんをせがみ、それでダメと判断したらお座りをした。
狙い通りの振る舞いである。

食器を床に下ろそうとするたびあむちゃんはジャンプを繰り返したので私は何度もやり直しをした。
5回6回、この日あむちゃんは“私が食器を床に下ろすまでじっとしていなければならない”というルールを理解しなかった。(最初の段階からここまで私はあむに対して無言であったという意味を深く考えて欲しい)

上出来である。
私の思惑を次第にあむちゃんが理解するようになるのは100%間違いないことだから。

その後すぐにあむちゃんは私が両手でしっかり押さえた食器のフードをガツガツと食べ、最後まで唸ることはなかった。
激しく左右に揺れる尻尾の振り方がとても愛らしかった。

「もう“マテ”とかのしつけを教えなければならないのですね?」と飼い主のKさんは言われた。
私は???・・・と一瞬混乱し
『違う違う!こんなのはしつけでもなんでもない!イヌの気持ちとヒトの立場を考えて当然の振る舞いをしただけ』と心の中で叫んでいた。

お分かりいただける方には簡単なことなのだが、あむちゃんが私が与えたごはんを唸らずに食べていたのは必然のことなのだ。
私は日本語で指示を出したわけではなく、ただ“振舞った”だけ。
生後3ヶ月のあむちゃんには最も理解しやすい意思疎通だったであろう。

そしてこれらの継続が成長と共に変容を重ね、次第に言葉の理解へと進みイヌが犬へ、ヒトが人へと成長していくのである。

酔いの中で紡いだ酔拳ならぬ酔文が私の意図を伝えているか、読み返しても判断できない状態にまでなったのでおやすみなさいとしよう。
 

育児期は長く感じるけどそこが大事 2009年09月12日(土)

  ゴールデンのあむちゃんは生後3ヶ月になったそうだ。
一般的によその子は『もう3ヶ月になったの?』みたいに成長が早く感じられるものだが、カフェの会員になられてちょくちょく来店いただきながら“犬育て”を共にやらせてもらっていると意外と成長が遅く感じる。

4月生まれのバーニーズのラブちゃんもようやく5ヶ月目に入りまともなレッスンが始められそうな時期になった。
でも実はここからの成長が早く感じられるもので、ダルメシアンのビート君は『まだまだ子供だから』なんて言ってるうちに7ヶ月になろうとしている。
レッスン中『あら可愛い!』とよく声をかけられていたが、いつの間にか『綺麗なわんこですね』というように変化している。

こうしてみると犬の場合、生後5ヶ月までが手のかかる育児期であり、それ以降が子育て時期といったところか。
育児期は長く感じ、子育て時期は振り回されてあっという間に過ぎていく。

ゴールデンのあむちゃんは気が弱くパニックを起こす。
先週もガーデンで他犬が『お!仔犬だ』と興味を示して臭いを嗅ぐと慌てて逃げ出し、慌てたものだから段差でつまずいて悲鳴を上げ、それがさらに不安を高めてドアのガラスに激突してキャンキャンと泣き、『どうした!どうした!』と集まる犬たちについには失禁したところで保護した。
ドッグランなどではよくある光景だが、状況を見ていた私にはあむちゃんの一人パニックで『ああ、これからこの子をそれなりに育てる手伝いをするんだなぁ』との思いがよぎった。

そのあむちゃん「ごはんのとき唸るんですよ」と飼い主さん。
おいおい、まだ3ヶ月だよ。先が思いやられる。

「今日、ごはん持ってきたのですがあげてもらえますか?」
とのことで私は早速別室で給餌を始めた。

ああ、もう2時。続きはまた。
 

ペアリングではなくマッチングを考えよう 2009年09月09日(水)

  仔犬のレッスンが続いている。
仔犬の頃から教えれば大体のことは何とかなると思っているが、生まれながらにして受け継いだいわゆる血統というのはなかなか手強い。

いつも言うように生後4ヶ月までに現れる遺伝子というのがある。
長年、人と暮らす上で厄介になる遺伝子を受け継がず、使役犬として必要な集中力や作業意欲を備えた盲導犬の卵達と接してきた私には、一般家庭犬の切羽詰った問題行動を表出する姿に戸惑いや哀れみ、時には『ふざけんな!』という感情的な気持ちを抱くことがあった。

・乳歯鋭い時期の執拗な咬み
・何でも口に入れてしまう心配事
・トイレの失敗
・人をバカにしたようないたずらの連続
これらは皆、正常な生育過程での仔犬の行動なのだが、仔犬のくせにマジ咬みしたり、人を寄せ付けないような唸り声を出したり、パニックに陥ったり、警戒心を露わにしたりと、およそ仔犬らしからぬ振る舞いを見せる犬たちが販売されて、無垢な人間の家庭で暮らしている現状がある。

犬というものは正しく繁殖させていれば大概は暮らしやすい動物であるのだが、メスがシーズンを迎え、そこに居たオスと交配させるだけのような繁殖だと、仔犬は増やせても『あとは野となれ山となれ』方式の杜撰な繁殖と言わざるを得ない。

“ペアリング”という繁殖行為のみを優先した観点が現在の混乱を招いているのは明らかであり、“マッチング”という観念を人々はもっと重要視すべきだと思うがそこすらを軽視しているのが社会であり行政であるのが悔しい。

血における行動を表出する純真な仔犬と、進路を変えようと奮闘する飼い主と私。
どちらも苦しんでいる。
まあ、私なりに自分の目の前の犬たちは変えれたとしても、いつまでもこの状態を放置してよいはずがない。

解決方法があるだけに実行されない歯がゆさがある。
 

いつまでこんなことを書かなければならないのだろう 2009年09月06日(日)

  アエラの今週号で『犬を殺さないドイツの常識』という特集が組まれていた。
黒柴蜜柑のMさんが届けてくれたそのページを興味深く読ませてもらったが、いつもながら欧米の施設の過剰的立派さとしたたかさを感じた。

盲導犬にせよ犬シェルターにせよこのドイツの“ティアハイム”にせよ、話題となる施設はため息が出るような広さと優れた環境それに設備とスタッフ・ボランティアを整備している。
経営面を考えるとこのような投資は極力避けたいと考える清貧傾向がある日本人と、見栄を張ってでも施設環境を整備し、より多くの理解と寄付を集める欧米人気質の違いを感じさせられる。

その中で、2点の項目がとても参考になった。

その1.
・犬は散歩をさせなければならない
・長時間の留守をさせてはならない
・外飼いの場合は犬舎に断熱材が必要で、1頭あたり6平米の広さを確保しなければならない
というドイツの犬法だが、今夜私はこれを現実に愛犬と暮らしている日本の方々に当てはめて批判しようとしているのではない。

実はペットショップに対してもこれらの項目がドイツでは適用されているらしいことを紹介したいのだ。
つまり
・犬を毎日散歩させるにはショップでは充分なスタッフが必要となり
・長時間留守にしないためには泊り込みのスタッフも雇わなければならず
・1頭につき6平米を確保するには広大な土地や設備が要求される。
すなわちドイツでは日本のようなペットショップにおける“身の毛もよだつ生体販売”など商売として成り立たないしくみが作られているということだ。
やれるもんならやってみろ!違反すれば数百万の罰金が科せられるぞ。という基本理念があり、日本のように業者・行政・獣医が妙に結びついてしまっている社会とは大違いなのである。

その2.
ドイツでは犬税というのがあり地域によって1〜2万円が徴収されるとのことだが、例えば2頭・3頭目は割安になるだろうというのが日本人の発想である。
しかしながらドイツでは2頭目以降は2万〜4万の犬税がかかると読んで私は快哉を叫んだ。
『おぬし、犬を知っているな!』という思いを込めてのことだったが、実際は規律正しいドイツ人の考え方とは恐らく違っていることだろうと思う。
彼らは単純に『多頭飼いは難しいし、やっかいなことになるから無理するな』という警告を発している。
そのことについて日本人はあまりにも無頓着であると思う。
『2頭いると寂しくないですよ』
『2頭目は1頭目がちゃんと教えてくれるからとても楽に育てられますよ』
馬鹿げて無責任で重大な過ちをショップの人間は口にし、且つそれが犯罪とならないのが日本という国だ。

大手ショッピングモールに必ずあるような生体販売を行うペットショップに違和感と嫌悪感を感じる人は多い。
あれが違法でないことを国民の恥であり屈辱と感じる人々もまた多い。
なのに、行政の対応は業界団体として好意的に付き合い、獣医団体も平気で良心的に講習会で講師をつとめている。

私がイギリスの盲導犬協会にしばらく滞在していた時、日本のペット業界関連の団体が顧客を引き連れて見学に来ていた。
『うちの業界はこんな立派な施設にも受け入れられているのですぞ』との思惑が見え見えであった。
『ナガサキサン、あなたが憤りを覚えるのは知っています。』
受け入れた盲導犬協会の担当者は『これもファンドレイジング(基金造成)の一環ですぞ』とため息混じりに両手を広げていた。

政権交代が実現した日本で愛犬家革命が起きるのを期待できないはずはない。
何をどうすればそんな日がやってくるのだろう?
 

変化する周辺 2009年09月04日(金)

  つまらんカフェになってしまった。

周囲の環境に惚れ込んで6年前に開業したカフェだったが、もともとこの辺りは住宅街であり当然周辺の空き地は自分達の土地ではないものだった。
借景としてそこに栄える緑の樹木に勝手に一方的に愛着を持っていただけのことだ。

今夜は独り言でご勘弁いただきたい。

これまでガーデン前にあった樹木は次々と伐採されてきたが、今日その最後まで残されていたハリシンジュ(ニセアカシア)と白樺が伐採され、下草であり雑草とひとまとめにされた草花も排除されて無機質な更地となった。
『落ち葉が迷惑!』と近隣の苦情によるものであると業者は昨日説明に訪れた。
私はため息をつくだけだった。

ゼオライトで白一色のガーデンに落ち葉が毎日降り注ぐ秋。
『後片付けをちゃんとしなきゃ』と思いながらも無精していると枯れ葉は次第に姿を消してしまう年が続いた。
つまり、落ち葉は縮み、土に吸収されてしまっていたのだ。

朝の枯葉に嫌気が差し午後に姿を消すことを求めるのが現代人だとすれば、そのうちいつのまにか土に返るのが自然の流れと受け止めていた私達の居場所は野生動物のように奥へと追いやられるしかないようだ。

ともあれ、カフェはつまらん環境の中に埋没してしまった。
申し訳ない、心からそう思う。

札幌時計台の前に立った時、『こんな場所が観光地か!』と私は目を疑った記憶があるが、今まさに自分の生活地がそうなった。

『すっきりしたね。きれいになったね』と思っている人々が間違いなく近くに存在している。
私達は表立って反発はしない。
ただ悲しむだけだ。
できれば同じ感性を共有する人々と近くで暮らしたかったと思うだけ。
まあ現実はそうもいかないから、次にどんな感性が私達に訪れるのかを冷静に受け止めようと思う。
環境問題は私の専門ではないから明確に食い下がれない悔しさがある。
勉強したい事柄がこの歳になって見つかっただけでも良しとしよう。
ちょっとだけ、自分たちでできるちょっとだけのことをこれからガーデンで試してみたい。

今日が誕生日だったKの目が殺風景になったガーデンを見て何かを訴えている。
 

調教と訓練を観念的に科学してみる 2009年09月02日(水)

  現在私は10数頭の犬たちのレッスンをイレギュラーに行っている。
目的は『愛犬を暮らしやすい家庭犬に導くお手伝い』。
実に抽象的で曖昧である。

・引っ張るんです
・吠えるんです
・咬むんです
飼い主の方は具体的な問題を抱えて相談に訪れ、『どうにかならないでしょうか?』と思っておられることだろうが私はそんなことは意に介さない。

今夜は大道芸人やストリートミュージシャンのように“気に入れば小銭を投げ入れたくなる”ような類の話をしよう(と、少なくとも酔い潰れる前の今は思っている)。

訓練を依頼される方の頭には、水族館のイルカやアシカの芸に魅了され、『家のわんこもあんな風に言うことを聞いてくれればいいのになぁ』と感じておられる方は多いと思われる。

じゃあ、犬はアシカよりも頭が悪いのか?
それとも、アシカの調教師の方が犬の訓練士よりも実力が上なのか?
これを説明するにはチト難しい話が必要だ。

ステップ1.
『条件反射』という言葉の意味を多くの場合一般の方は誤解して使用している。
例えば、『うちの犬は“おやつ”と言えば寝ていても飛び起きてくるんですよ。条件反射だね。』という言い方がそのひとつ。
条件反射というのは“おやつの言葉に対して犬が飛び起きてくる行動”についてを言うのではなく、『おやつ』という言葉を聞いた時に食物を連想し、無意識に唾液分泌など生まれながらにしての生体反応が起きることをいうのである。

『あなたは今、梅干を食べてます』と暗示をかけられた時に『酸っぱそう』と感じることではなく、『生理的に唾液が分泌されている状況』ということである。

ステップ2.
『おやつ』の言葉に対して『飛び起きる』のは“その言葉の後には食べ物がもらえる”という経験つまり生まれてから学んだことであって、これを難しい言葉で言えば『オペラント学習』という。
『おやつ』の言葉の後におやつを貰っていればそんな都合の良い言葉は犬でなくともすぐに覚えるというわけだ。

パチンコにはまってる人は『今度は(も)勝つぞ』、と理知的である人間でさえ、現実の己が生活を省みず毎日パチンコ屋に通い続けるようになる。
オペラントというのはそれほどまでに強い行動を動物に起こさせるものである。

さて、何を話したいかと言えば、ステップ1の条件反射では、生命を維持するための根源のひとつである“食欲”に対し、生物が絶対的なものとして無意識に反応していることを理解して欲しかった。
次に、食を満たすための方策について生物は常にアンテナを張り巡らせ、その行動をもって食物を獲得する方法を身につけるようになるという切ないけれど確かな現実をステップ2で示したのだ。

ネズミが芸をする(ように見える)。
イルカがジャンプする。
アシカが手を叩く。
人間の目には『すっげぇー!楽しそう!」と映るであろう。

だが、彼らの生活は限られており、どのような振る舞いをすれば食における生活の向上があるのかが根底にある。
叩かれたり強制されて行動を起こしているのではない。
こうすればより快が得られる。
食が満たされる。
だから不安な目や素振りはしない。
それが飼育された海洋動物の能力を引き立たせている。

さてさて、あなたの愛犬はどのような位置づけか?
ただの歩きやすく芸ができれば良いお飾りの動物か、条件反射もオペラントも受け入れた上で共に人生を築きあげていく伴侶なのか?
問われているのは犬の資質ではなく、あなた自身であることを今一度考えていただきたい。

私のレッスンは調教ではなく、『犬育て』という抽象的で曖昧なれど確信に満ちた意図があること、すなわち訓練というのは犬の問題ではなく飼い主の意識こそ大切であることを今夜書いてみたつもりでしたが、その意図は伝わりましたでしょうか?

どんなに問題を抱えた犬でも調教する意思は私には全くありません。
飼い主であるあなたの愛犬が、実はこんな風な犬であることをあなたの面前で示すことはできます。
その犬とどう向き合って暮らしていくのかを決めるのはあなたであり、犬はあなたにただ依存しております。
 

爽やかな秋 2009年08月31日(月)

  8月も今日でおしまい。
その感想はと言えば『え!もう夏は終わっちゃうの?まだ始まってもいなかったのに…』みたいなもん。
低温・日照不足で雨ばっかりだったという印象だ。
お盆が明けた頃から秋風が吹き虫の音が賑やかになっていたから、今年は爽やかな秋が長続きする年なんだろうと良い方向で考えたい。
すっかり北海道の自慢となったお米の出来具合は『やや不良』とのこと。
でも北海道流に改良が進み、農家さんが丹精込めて作ってくれた新米を味わえる日も遠くない。
実りの秋である。

さて、我が家の愛犬アモはああ見えても繊細なところがあり、特に皮膚は弱く、洞爺湖で泳いだ後は帰宅後にノルバサンでシャンプーをしないと雑菌がいたずらして炎症を起こしやすくなる。
今回はどうやら耳にきたようだ。
内部ではなく耳たぶの内側。

そこで先日この欄で紹介した『厚別中央通どうぶつ病院』で受診することにした。
実は開院して初めての訪問だった。
数組の患犬と飼い主が来院していてI夫妻は忙しそうだった。
「まるで外国のカフェみたいな素敵な庭なんですよ!」
カフェのお客様から聞いていたが、そこは病院という時に辛い思いをする施設にある中で、癒しを感じさせてくれる空間であり、今日はそこに柴犬を連れた女性がベンチに座っていた。
他犬が苦手で待合室で迷惑をかけないよう配慮されていたのだと思うが、絵になるような風景だった。

受診票を記入していくと最後の方に思わずニコッとする項目があった。
正確な記憶ではないが、治療方法について飼い主としての考えを選択する項目があったからだ。
充分な検査のうえ治療したいとか、対症療法的な治療でよいとか、それなりの検査と治療を併行してとか、あるいは大学病院など専門病院を紹介して欲しいなど、飼い主の考え方や事情に配慮したいとのI先生の思いが滲んでいた。

誰もいなくなってから
「忙しそうでよかった。でも家のことまで手が回らないんじゃない?」と私が尋ねると奥さんは「ええ、まだ私が慣れていないものですから」と、それでもにっこり笑ってくれた。
9月からはスタッフが来てくれるそうだ。

「カフェから紹介されてきたわんちゃんは、なんかちょっと違うんですよねぇ。人への信頼というか…」
I先生の一言がうれしかった。

先日この欄で紹介したゴールデンの仔犬が今日カフェデビューした。
あむちゃん。
アモは「はぁ?」という顔。
この子が大きくなりおりこうさんになる頃、I夫妻もちょっと一息ついて一年を振り返る余裕ができるかもしれない。
 


- Web Diary ver 1.26 -