From the North Country

動物取扱責任者講習会 2010年02月27日(土)

  つい先日、年に一度以上の受講が義務付けられている“動物取扱責任者講習会”に参加してきた。
毎度の内容だったが、2点の話に心の中で拍手した。

1.「皆さんは法律で配置が義務付けられた動物取扱責任者です。この講習会で学んだ内容を職場の方にも伝えてください。そして仮に皆さんの職場に不備があれば社長やオーナーに毅然として改善を求めてください」

そうだそうだその通り!
動物好きでこの仕事に就いたんだから初心を忘れないようにしよう!
くれぐれも、経営者の屁理屈を代弁したり、利益第一・雇用確保第二で『自分達の生活は犬の犠牲によって成り立っている』なんてことにならないよう戒めていただきたい。

2.「ショップに置かれている仔犬たちの給餌回数は2回でいいと思っていませんか?とんでもない話ですよ。最低でも4〜5回は必要なんですよ」と講師の獣医さん。

そうだそうだその通り!
何も知らずに雇われたショップ店員は上司から言われたままの給餌しかしていない。
ショップの狙いはとにかく経費を抑え早く高く売ることであり、買い手が躊躇する項目をひとつでも消したいのだ。
だから日中仕事で留守にする顧客に『餌を4回に分けて与えてください』という当たり前のことすら言えない。
せめてショップの段階から給餌を2回として、仔犬をそれに慣れさせようとしているのだろうが、無理無理、ネグレクトだよ。
子供の胃袋の大きさと新陳代謝を考えてごらん。
母犬なら自らがやせ細ってでも嘔吐物を仔犬に与えるだろう。

せめて仔犬が6ヶ月になるまでの間すら家を空けなければならない人に仔犬を売ってはならないと思う。
一方で共働きで子供がいる家庭ならば子供に責任を持たせて飼うことは素晴らしいとも思う。

飼い主は犬の一生を見る責任だけではなく、幼児期に適切な飼育ができねばならないのだ。

少なくともこの2点だけをみても、ペットショップでの生体販売は違法とすべきである。
いつも言うようにショップでは様々な犬種のビデオを放映し、犬種特性や飼育方法をきちんと広報したうえで飼育希望者を審査し、適合者に対しては『では1年以内に仔犬が生まれましたらご連絡いたします』という仕事をすればいいと思っている。
儲けを増やしたいならその時にいろんな物を売りつければいい。
犬を犠牲にして欲しくない。

地味ではあったが3回目にして“主張”をみせたという点において良い講習会だったと思う。
 

ゆっくりでいいのにね。 2010年02月26日(金)

  驚くべきばかりの雪解けが進んだ暖かな一日だった。
災害に匹敵する程の雪解け水が昨日今日と集中したはずなのに、洪水が起こらない排水システムという基盤整備を築き上げた先達に心からの感謝の気持ちを抱かざるを得ない。

微力ながら、目には見えなかったけれど氷の下にあるはずの雨水マスを周囲の目標物との位置関係で割り出し、ツルハシを振り下ろして排水を促した。
そして掘り出した雨水枡が溢れて逆流することなく、流れ込む水を吸い込む力に安堵し感動した次第である。

予報によると春の訪れが早いそうだ。
当然あと数回の大雪があるのが分かっていてもちょっと嬉しくなる予報だ。

ただ散歩コースの選び方が難しくなる季節でもある。
これまで足を拭く手間が省けていましたからね。
で、今回の定休日は当然レクの森に出かけて汚れない選択をした。
スノーシューを履いた私はスイスイと歩けたが、同じコースを長靴で歩いた方がおられたようで、足跡から判断するとその方の散歩は悲惨なものだったようだ。

数メートルおきに50センチほど沈み込んだ靴跡が残り、酷いところでは一歩ごとの4つの沈み込みが残っていて『よく這い上がったものだ』と感心するほどだった。

そこからが面白かった。
我が家の愛犬アモは先導したがる犬なのに、スーッと私の後ろに回り『お先にどうぞ。僕はあなたの足跡の上を歩きますから』と観念したのだ。
ちゃんと考えているんですね。

楽しい休日だった。
途中のコースには一頭のエゾシカの足跡があったが彼/彼女の足も沈み込んだみたい。

春を迎えるのにみんなそれなりの苦労があるようだ。
 

書いてるうちに妙な展開になってしまった。 2010年02月23日(火)

  背が高い生き物から『○※×▼!』との声が発せられる。
その口調が非日常・威圧的と感じた犬は『え?何?』と意図を確かめようと背が高い生き物を見上げる。

結果的に四足動物の犬は“おすわり”の姿勢をとる確率が高くなる。
人間が犬に“座れ(おすわり)”を教えたつもりなる第一歩である。

人間とは身勝手なもので、たまたま犬が反応しただけなのに『犬が言葉を覚えた』と思い込み、次から次に『○※×▼!』を繰り返す。

最初は非日常・威圧的と感じて反応していた犬は、やがて『大したことではなかった』と悟り、とりわけ強い調子で言われたときや食べ物を交換条件に出されたときだけ『○※×▼』に反応し、人間も『まあ、いいっか』とそれに満足するようになる。

実はその頃になって犬は『○※×▼』が『お※×り』と聞き取れるようになり、次第に『おす×り』『おすわり』との響きを覚えるのだが、身勝手な人間は言葉を変え『座れ』とか、何を思ったか『シット!』などと言うようになる。

『知らんぷり』をシット・ダウン・プリーズと自分達が理解するまでどれだけの時間がかかったかは棚に上げて、犬に対しては後に知った自らの恥ずかしさの溜飲を下げるように言葉をもてあそんでいる。

そもそも『座れ(おすわり)』の定義すらできていない人間と暮らしている犬なのに、求められることが理不尽であっても忍耐強く付き添っていることに彼らのしたたかな生命力を感じ、ただただ敬意の念を抱かざるを得ない。

だって、あなたの『座れ(おすわり)』の指示は、訓練のためであるとか本当に必要な時の確かな命令ですか?
それなら絶対性若しくはそのための働きかけが求められますよね。
それとも、どうでもいい時の遊び(自己満足)であったり動作確認ですか?

『座れ(おすわり)』の指示はいつ・何故解除されているのですか?
犬が勝手に判断し、人間は“犬が一時的に座った”ことに満足しているだけではありませんか?

それなのに、写真撮影をする時に動いてしまう犬に不満を感じている。
『マテ!』と叫んだのに逃げていく犬に腹立たしさを覚え、他人から怒られて謝る時には自分なりの屁理屈を考えてしまう。

そう、『座れ(おすわり)』とは“座ってマテ”のこと。
犬に対して順を追って丁寧に根気強く教え、理解した段階で強化すればよい。
そして命令した人間にはその意図なり事情を犬に分からせる必要と、解除するまでの責任がある。

それを教えられてもいない犬に過失を問うのは、過去の大戦で捕虜となった人間が、背が高く武器を持った外国人に『○※×▼!』と言われるようなものだ。

言葉や意思を理解する前に一方的にやられてしまった生き物は、相手を観察してから慎重に相手の出方を伺い自らの振る舞いを決めるようになる。

犬を飼い主の指示に従わせるのは、安全に・社会に迷惑かけることなく・お互いが楽しく暮らすためであるのだが、日本人が過去の歴史によって抱いてしまった観念と犬たちの振る舞いが妙に共通していることに、ふと、興味が湧いてきた。
 

ガキ大将のテンテン 2010年02月21日(日)

  仔犬の段階から将来を見据えた犬育てをするという意識を持つのはなかなかできるものではない。

とりわけ小型犬の飼い主や過去にそれなりの飼育経験を持っている方には、小さな大変さは最初から織り込み済みであって、生活に支障を及ぼさない限り大事と意識することはなく、実際に大きな問題と感じ始めた頃に犬の性格を意識し自らの育て方を振り返るのではないかと思う。

『可愛いから』とか『犬が好き』というだけで暮らし始め、現在の愛犬との暮らしに満足しておられる方は幸いである。

『もし、そうじゃない暮らしになったら…』と、私は懸念してしまう。
将来的に愛犬との暮らしが楽しいものであることが必然であればいいが、実際はそうでもないから…

生後3ヶ月弱だったサモエド×オーストラリアンシープドッグのテンテンが知り合いの獣医師の紹介でカフェにやって来たのは今年になってからだ。
リード歩行ではちょこちょこと好き勝手に動き回り、飼い主の足をおもちゃ代わりにかじり、叱ると唸り声を上げて興奮はエスカレートしていた。

仔犬の行動としては想定内であろうが、暮らしやすさを求める飼い主としては専門家に意見を求める分岐点でもある。
放置し手を加えなければ図体ばかりがでかくなって、身勝手で手に負えない大型犬になる可能性がある。
なぜならこの犬は3ヶ月弱なのに威嚇し制御に対して反抗しており、そこに遺伝的な気質があることが認められるからである。

紹介してくれた獣医師と行動した飼い主の決断は正しかったと思っている。

受け継いだ私は、生後4ヶ月になったばかりのこの仔犬に様々な刺激と基礎的なレッスンを行っているが、きちんとしたしつけや訓練を今行うつもりはない。
今の彼女に必要なのは社会経験であり、身の丈にあった道徳と振る舞いの醸成であり、なによりその中で成長を重ねる時間である。

できる限り飼い主と私の負担を軽減しながらレッスンを行い、テンテンの脳の解発に繋がるきっかけを与え続ければと思う。

テンテンは生後4ヶ月になり、標準的な柴犬よりずっと大きくなっている。

大きいから飼い主は問題意識を抱きやすいのだけど、小さいからといって小型犬の問題点が許されるのではないという自覚が必要であることも知っておこう。
様々な愛犬との暮らし方を認めたうえで平穏な社会参加を求めるのなら、むしろ小型犬の飼い主にこそ将来を見据えた意識が必要なのだがそれを知る人が少ないことも今夜指摘しておこう。
 

札幌は春へと向かう冬の折り返し時点 2010年02月19日(金)

  地区にもよるが、雪国ではパートナーシップ排雪といって一冬に1回程度の大掛かりな排雪作業が行われる。

10センチ以上の降雪時に入る公的除雪とは違い、町内会費など住民負担分を加算した予算で行われる作業で、道幅が狭くなり圧雪で盛り上がった生活道路の雪をグレーダーで削り取り、それらの雪や道路脇に堆積した雪山を根こそぎロータリー車でダンプの荷台に移し変え、次々と公設の雪捨て場へと運ぶというものだ。

前日には日頃から違法駐車をしている車両に『排雪の邪魔になるから移動するよう』にとのチラシが張られ、ゴミの収集もこの日だけは9時までに完了するという連携が図られている。

例年、雪祭りが終わった頃にカフェ周辺地域の排雪作業が始まり、今年も昨日から行われた。
まるでカフェの定休日に配慮してもらったようでありがたい。
駐車場前や車庫前には削り取った氷というか圧雪が1メートル以上の高さに積み上がっていたから昼過ぎまでは出入り不能状態だった。

今日(金曜)もその作業は続いていたが、昨夜から10センチほどの雪が降り、重機が通った後の道路はとても滑りやすくなっていた。

でも今年の冬は怖くない。
Sさんから教えてもらい購入したシューズがあるから。
スウェーデン製のこの靴、少々値は張るが滑るという不安から解放されただけでもその価値はあった。
アイスバーンを選んで歩く余裕すらできた。
いつも履けるというわけではないが散歩にはもってこいである。

で、昨日はMさんからお借りしているスノーシューでレクの森の雪原をアモと2時間ほど散策し、今日はこのスパイクシューズに履き替えて10キロほどの長い散歩を楽しんできた。

排雪作業が終わった頃に大雪が降るのが常である。
今年の冬も半分ちょっとが終わったが、アモとKそれに私の体調も良し、装備も良し、除雪機ガロアラシ号も快調。
生活道路も一時的ではあろうが見通しが良くなり、広々としている。
残り半分の冬をゆっくり楽しみたい。

そうそう、今月のパスタのからすみ。今週でネタ切れになるとKが言っておりました。
ご賞味いただきありがとうございました。
ほんと美味しかったですよね。
 

わんこ大好き! 2010年02月15日(月)

  それにしても寒い2月が続いている。
連夜マイナス10度前後でシバレがきつい。
例年なら雪祭りの頃から雪解けが始まっているのに今年の雪はしっかり締まったままだ。

知ってか知らずかカフェの大型犬たちは雪の世界が大好きで、『年中このままでいい!』と思っているに違いない。
気の合う仲間と走り回り、雪山のてっぺんから転げ落ちるように捕獲ゲームを楽しみ、息が上がってくると雪の上で寝転んでクールダウン。

見ていて面白いのは、水を飲むとき・他に用事があるときなど暗黙の了承のように犬同士が一時休戦し一息入れる仕草であり、飼い主がなかなか教えきれないルールを犬たちは見事に確立させている。

まあ、ゴールデンのあんこのようにその一服の休憩タイムに『隙あり!!』とばかりにつけこんで遊びを優先させる自己中なわんこもいるが、そんなあんこが水を飲むときに調子に乗ってつっかけるわんこは今のところいない。
最近のカフェではあんこの独壇場が続いている。

ダルメシアンのビートは遊び盛りであるものの犬見知りするわんこであり、物欲の懸念があり、遊びの中ででもヒートアップしやすい傾向がある。
今日も熱くなりかけたビートの表情を見た私はガーデンに続くドアを開け「ビート!何しとんじゃ!!ちょっと来い!」と一喝した。

するとビートは耳を後ろに曳きながらも迷うことなく私のもとにやって来たので、私はビートを叱りビートは小さくキャンとないた。

「凄いねぇ!エライねぇ!」
Kが心からの言葉を発した。
私も「うーん」と感動した。

叱られることが分かっているのだから、大概の犬は私の言葉を無視するか、逃げるのが普通であり、数ヶ月前のビートも当然その様にしていた。
私のレッスンはそこから始まり、“逃げるよりさっさと出頭することが最善の策”であることを理解させ、ルールであることを分からせるのが狙いなのだ。

ビートの振る舞いがお見事だったから感動しながら叱ったのである。
物欲についての課題がなお残っているが、順調に育っている。

1週間ほど前に意地悪な『マテ』を教えた2頭のラブに、再びその成果を試す場面が先日あった。
二人を座らせ個別の名前を呼ばれた犬だけが私の懐に来るという中級ゲームだったのだが、あの日は戸惑い、ルールの意味が分からず怖がる仕草を見せていた2頭が、私がガーデンに出た途端『ねぇねぇ、あれやって!一晩経ったら意味が分かったと自分なりに思うんだよね』とまとわりついてきた。

『じゃ、やってみるか』と私はあのゲームを始めた。
お見事!!一発OK!
2頭のラブは見事にやってのけ、その喜びを私に身体ごとぶつけてきた。

こんなことがあるからわんこの訓練は楽しい!

ヒートアップしそうな私をこの冬の寒気が冷やしてくれている。
 

自分の芯を垣間見た 2010年02月12日(金)

  先日、ふと思いついて昔(盲導犬時代に)私が行っていた“マテの強化訓練”をラブ2頭を相手に試してみた。

2頭には“基礎的なマテ”を教えてあったが、それはとても甘いレベルである。
一般的な飼い主が教えているよりちょっと高い程度で、誘惑があれば崩れてしまいそうな儚さがある。

2頭にとっては『冗談じゃないよ!ちゃんと充分な訓練時間と段階を経てからやってもらいたいもんだ!』という不満があったに違いない。
というのは、盲導犬の訓練では日々毎日丁寧に教え、徐々にレベルを上げるのが仕事だったのだが、現在のレッスンでそれを行えば飼い主に多大な経済的負担をかけてしまうので、時期を見計らってはちょこちょことやっているのが現状だからだ。

レッスンにもパケット分の負担を求めるのではなく、1年とか一生ごとの定額制を導入したいのだが、適正金額を決められないでいる。
果たしてどんな案/金額なら折り合いがつくんでしょうな?

ところでその強化訓練だが、以前私は担当していた5頭くらいの犬たちを外に整列させ、『マテ』と命じて彼らの外周を走り回ったり、それぞれの犬をまたいだりして、それでもじっとしていることを教えた。
さらに、個別の犬に『おいで』と命じてその他の犬には動いてはならないことも教え、結果的に自分の名前を呼ばれた時にだけ指示された場所へ移動することも教えた。
ある面においての“マテ”の絶対性を学ばせていたのである。

気力と集中力・観察力・洞察力・予想力・忍耐力、瞬間ごとに相手の心理を読み取る知識と対応力、何より“自分が何のために今何をしているのか”を冷静に判断しなければならず、テレビなどの取材などが入った時には“他人の眼”までも気にしなければならなかったことを懐かしく思い出す。

“犬好きなはずの自分に罪悪感を抱かせず、且つ、課せられた使命を全うできる犬を育て、共に暮らす人に満足感を与え、後にではあろうが犬自身に『あなたが何故私に訓練を課したのかが分かり今はとても感謝しています』と思わせたい”
そんな一心で私は犬たちと接してきた。

人は日々変わるものだが、変わらない自分の芯みたいなものを、あの時の思いつきでやったことで自分を第三者的に再々…発見できたのを感じ、心に留め置こうと今夜書いてみた。
 

まだまだ未熟な私 2010年02月10日(水)

  私にとっては犬を育てたりしつけるのは、大変ではあるが困難なことではない。
だけどその方法を人に伝えるのは本当に難しい。

相手が弟子であったり、収入を得ながらの教育プログラムを組めるのであれば何ら問題はないけど、一般の飼い主相手だとそうはいかない。

例えば、暮らせるだけの年収を得ながら3年をかけ、5人の中から3人の優れた盲導犬訓練士を育て上げれたならそれは優れた指導者であるといえる。
だが、この5人は当初から盲導犬訓練士を目指していた志し豊かな人間達であり、現在の私が直面している方々は普通に社会生活を営まれ、その中で“愛犬と暮らす”というオプションを取り入れておられる人々なのだ。
モチベーションも違えば、犬に費やせる時間も違う。

『訓練士は訓練法を修得し・提供し、一般の飼い主はお金を払って訓練された犬と暮らす』などと考えておられるなら、それは違うと思う。
訓練士は犬の意識改革とある程度の訓練を施し、飼い主に対して適切なアドバイスと技術提供を行い、両者がそこそこ時間を費やしながらも結果的に良い関係を構築することができるよう導くコーディネーターではないかと思っている。

であるのに、それを伝えるのが難しいと嘆いているのだ。
同じ日本人で言葉は通じるし、それなりに説明しているのに伝えきれない未熟さを恥じるばかりだ。

願わくば言葉ではなく、犬の諸問題に対応する日々の私の姿を見て、何かを見つけていただければありがたい。
 

幼なじみ 2010年02月09日(火)

  「おお!長崎やろ?どないしてんねん」
40年ぶりに再会した仲間たちの中で、ひときわ旧交を温めた男がいた。

知床あたりでコーヒーショップのマスターかあるいは鹿肉・トド肉の旨いのを提供する飲み屋の親父というイメージがピッタリくる風貌になったUだ。

「25年間盲導犬の世界にいて、今はドッグカフェをやって7年目になる」
Uは『じっくり話が聞きたい』という風に身体を少しのり出してみせた。

私は一般的なドッグカフェというのがどういうものであり、一般的なペットがどうであるのかを語り、ちょっと自慢げに私のカフェと顧客それに愛犬たちの話を続けた。
髭が似合うUの眼がとても澄んでいることに“彼の今”の仕事と人柄を感じ取りながら、『もっと詳しく』という表情に促されてさらに話を進めた。

「イヌはイヌのままでも幸せに生きることができる。きっとヒトも同じだろう。だけどイヌを犬として育てれば人も犬ももっと楽しく生きることができ、驚くようなコミュニケーションと意思疎通が生まれる。要するに」とまで言った時に
「飼い主次第ということやな」と初めてUが言葉を引きとった。
「そのとおり。どういうスタンスで暮らしたいかというこっちゃ」

Uが塾で講師をしていたことは風の便りで聞いていたが、今は私塾を営みぐっと大きくなって生きている姿に喜びを感じた。
そういえばあの風貌と澄んだ目それに聞き上手な物腰はマスターや飲み屋の親父もさることながら教育者として相応しい。
きっと勉強だけじゃなく、そっと生き方を子供達に伝えているんだろうな。
 

ちょいと40年前にタイムスリップしてきます 2010年02月05日(金)

  明日6日(土)と7日の14時頃まで私だけ留守にします。
カフェは通常どおりの営業です。(大雪が降った場合は、除雪機ガロアラシ号の運転手である私がいないのでご迷惑をおかけすることになるやも知れません。悪しからず…)

ご来店の皆様は、自己責任で愛犬の管理を行い、鬼のいないカフェでごゆっくり羽を伸ばしてくださいませ。
 


- Web Diary ver 1.26 -