From the North Country

ちょこちょこっと動き疲れた定休日 2009年06月12日(金)

  駐車場の花壇整備を今日5時間かけてやってのけた。

まず、ブロックと用土をホームセンターが開店間もない時間帯に出かけて調達した。
14年前の製造ながら故障ひとつないまま来月には廃車の運命を辿ることになった愛車の荷台に用土とブロックを積み込むと、タイヤが破裂するのではないかというほどの量と重感があった。
ともあれ材料の調達と運搬は1時間ほどで完了。

手元にタコ糸がなかったので釣り糸を代用してブロックを並べる筋を決め、小さな水平器とショベルそれにテント袋からアクリル製の金槌を拝借して土留めとなるブロックを2時間かけて設置した。

その間にKは元々植えられていた植物(中には枯れそうになっていたものもある)を掘り返して再生の準備をしてくれていた。

さあ、それから40袋の用土を表土と成す作業が始まり、潅水させてから枯れかけていた苗の植え直しを完遂するまでにトータルで4時間を過ぎていた。

出来上がった駐車場の花壇を眺め、「ブロックがちょっと曲がったけど素人にしてはまずまずだ。」と一杯やり終えた頃で5時間が過ぎていたという次第である。

昨日の定休日は終日のひどい雨。
せっかく晴れた今日だというのに、私とKは重労働。
そんなことも理解せずにアモとジェニーそれにチビは不満タラタラの一日だった。

ふと目をやると枝豆横丁では先週植えなおした種が発芽し、3種のミニトマトがプランターで黄色い花を咲かせていた。

それなりの駐車場の体裁は整ったはずだが、明日土曜日の仕事がまともにできるかどうかが問題だ。
私もKも今夜は身体中がシップだらけ…
整備にかかった費用は1万4000円也だったが皆さんの評価や如何に?

ともあれ二人だけはそれなりに満足した定休日だった。
 

オートマチックとマニュアル 2009年06月09日(火)

  今ではすっかりカフェの看板犬となっている居候犬ジェニーとチビの飼い主であるHさんが来週帰国予定だ。
別に手がかかるわけではないが、あと1週間無事にそして楽しく過ごしたいと思っている。
『是非ともジェニーとチビに会いたい』、あるいは『お別れを言いたい』という方は17日までにカフェにお越し下され。
まあ、その後も週に1〜2回はカフェにいるとは思いますが…

さて、「初めて自分で主人の車を運転してきたんですよ。オートマの運転に慣れてなくて…」
黒ラブふたばとMダックス/キムチとマルコの3頭を連れてOさんがにこやかに挨拶してくれた。
確かに慣れない車の運転は最初緊張するものだ。

そのOさんが「排泄は外でさせたほうがいいんですよね?どうすればいいんでしょうか?」と意外な質問をされた。
伺うと、最初にMダックスを飼っていたので室内での排泄のしつけが当たり前と考え、ラブのふたばにも室内排泄を覚えさせたようだ。

ふたばは夕方の散歩やカフェなどでは勿論外での排泄もできるので「どちらでもできるようにしておくと便利だとMさんが言ってましたよ」と前置きして、外での排泄方法やスケジュールなどをアドバイスした。

Mさんは2頭のラブと暮らし、日中は仕事で留守にするので室内でもペットシーツでできるように育てた。
まだ若い頃はシートを濡らしていたが大人になってからは滅多にしなくなったこと。また、1頭が老犬になってトイレが近くなった時に我慢することなくシートでできるので安心できている、という利点を話しておられた。

我が家ではいつもアモやお泊り犬と一緒にいられるし、老犬になっても対処できるので必要はないが、一般家庭では両方でできるというのもいいのかもしれない。

「来月からゴミの有料化が始まるでしょう。シート代や処理費用の節約にもなりますよね」とOさん。
言われてみればラブのシッコの量なら人間並みで、要介護者をひとり抱えるようなものだ。
人間の介護ならオムツ処理にも補助があるようだが犬ならそうもいかない。

オートマもマニュアルも運転できると便利だが、エコを考えると犬の排泄はマニュアルすなわち面倒でも外でさせる方がやっぱりお得だし犬の習性にも相応しいし、そちらを主体にすべきなのだろう。
 

ダニエル 2009年06月05日(金)

  定休日の昨日いつもの原始林(森林公園)に出かけてきた。
エゾハルゼミなどハルゼミ数種類の蝉時雨で会話もまま成らぬ賑やかさで、まさにシャワーのように降り注ぎ野鳥の声もかき消されるほどだった。

2時間ほど歩いて駐車場に戻り、定番となっているダニチェックを始めた。
綺麗なクリーム色のアモは発見しやすく、すぐに数匹を発見し除去。
ジェニーにも目を凝らし数匹除去。
チビのチェックもしたがこちらは発見されなかった。

ダニというのはしばらく毛に潜み、移動する時は表面に出てくるという性質があるのか、ある程度時間が経った帰宅時に再度チェックしなければならない。

室内に入れる前にチェックすると、いるわいるわ、アモから5匹ほど、見えづらいためノミ取り櫛をかけたジェニーからはなんと10数匹が次から次へと櫛に引っかかってきた。

ジェニーは藪に入ることはしないが首だけを草むらに突っ込んで長いこと草を食べていたから、ほとんどが首から上に集中していた。
その内の2匹は目の周りに食いついたばかりの状態だった。

さらに数十分ほどして再々チェック。
アモ・ジェニーから数匹ずつ発見し『ダニ恐るべし!』を再認識するとともに、このチェック体制の重要性とダニが出てくる間合いを勉強させてもらった。

「ダニエル、ダニエル」と念じながら、アモとジェニーの顔をまじまじ見ると、ふたりとも神妙な顔をしてじっとしているのがおかしかった。

結局その後の室内チェックで1匹見つけたのが最後になった。

ダニというのはどんな予防方法をとっていても、現れた犬には反射的にしがみつくものである。
対処するために
1.殺虫成分を犬の身体にまぶして殺すか
2.同様の効果がある薬品を犬の体内に染み込ませて吸血したダニを落とすか
3.ダニは嫌うが犬には無害なハーブなどで吸血を遅らせたり躊躇させるか
などの方法がある。

私が選択しているのは3.の方法であり、たぶん大きな害はないのだろうけど1.2.の方法は『気持ち悪い』という生理的感覚で拒んでいる。

長野県や北海道などはダニが媒介となるライム病の危険性が高いと聞いている。
一方で吸血してから30数時間以内に除去すれば仮にキャリーのダニであっても感染は防げるとの情報もある。
年間に10頭程度が感染しているらしいが、詳しい毎年の発表は知らされていないし、その危険度も同様だ。

大変じゃない病気などありっこない。
花粉症だろうが風邪だろうが水虫だろうが虫歯だろうがある確率で重篤になるはずである。
だからといって製薬会社の『危険だ危険だ』を鵜呑みにしていたら食事以上の薬やサプリを飲みワクチンの投与を受けることになってしまいかねない。

獣医師が予防を勧める訳だからある一定のレベルにはあるのだろう。
だがそのレベルにある病気の危険予防をすべてしただけで大変なことになってしまうという懸念を持っている。

ダニは状況が整えばどんな対策をとっている犬にもしがみつく。
飼い主が利口になって『ダニエル、ダニエル』と呪文を唱えながら、愛犬と共に過ごす時間を持つことが病気予防にも愛犬との繋がりにも副作用なくお役に立つのではなかろうか?

今朝になってチビの顎を歩いているダニを見つけたKが悲鳴を上げて私を呼んだ。
「こんなわんこと一緒に寝てたなんて!」
吸血してなかったのはシダースプレーのおかげだったのだろうか?
ともあれ、この時期笹薮などに入ればダニはつくものだ。
ご自分の意思に沿ってしっかりした管理を!
 

志を同じくする人たちと共にありたい 2009年06月03日(水)

  10数頭の小型犬から大型犬が同じ空間に居ながら吠える声がひとつも聞こえない。
今日のカフェもそうだった。

そんなカフェでは『みんな静かでお利口さんなんですね』と初めて来店される方々の声が聞こえる。
何もしないでそうなるはずはないのに。

まあ、実際は一声も吠えないわけではない。
ドアの開く音に一声吠えるわんこもいれば、遊びに夢中になって興奮し一声あげるわんこもいたはずだ。

正確に言うなら意味なく吠えたり無駄な吠え声をするわんこがいない、否、それを放置する飼い主が私どものカフェにはほとんど存在しないということであり、さらに付け加えるなら、『何とかしたい!』という飼い主にそれなりのアドバイスを与えた結果、多くの方が同意してそのアドバイスを実践している結果のことであろうと思う。
勿論、最初からアドバイスなど不要なわんこや飼い主もおられる。

言えることは、人間の意図や振る舞いによって犬たちが自らの振る舞いを変化させる能力を持っているということであり、残念に思うのは“犬のやるがままに”を容認することを“犬と暮らす”と勘違いしている飼い主が今なお多くおられることである。

『それって普通でしょ』ということに温度差があると表現することもできる。
つまり、愛犬との生活すべての段階において『うちの子は…』と犬の性癖を口にして結果的に受け入れている飼い主と、『だからそれを辞めさせている』という飼い主との違いのことで、どちらも普通のことをしている意識でいる。

私たちは当然後者の飼い主を支援しており、その結果としてのカフェが存在している。

ペンションに行って排泄の失敗(マーキングを含む)をするなどもってのほかであり、少なくとも繰り返さないことが進歩の証で、それを見越した去勢などは一般の方においては常識中の常識であろう。

吠えるなど犬が声を出すことにおいても、反射的な吠えはその犬の稟性であるから仕方ないにしても、その後も吠えるのは明らかにその犬の意思だからそれは飼い主がすぐに止めさせることができてしかるべきである。

なのに、そんなことすらできず、『犬の問題で困っている』と主張する飼い主は実は他にもたくさんの困りごとを抱えていて、本当は自分の問題であるのに『うちの犬は…』と本質の所在を自覚しないでいる場合が多い。

だから私はいつも主張している。
犬を育てているつもりが実は自分が育っているのだということを実感するのだと。

私どものカフェは決しておりこうなわんこが集まる店ではない。
そうなることの想いを胸を開いて打ち明け、受け入れようとする飼い主の皆さんとともに存在している稀有なカフェだとも思っている。

厳しい言葉は顧客を失うことに繋がる。
だが私たちはそのことを躊躇しない。
何故なら、真の仲間には通じると信じているから。
 

気の置けない奴 2009年06月01日(月)

  数ヶ月ぶりに秋田の力から電話がかかってきた。
力は私と同い年の盲導犬ユーザーで元大工。
交通事故で失明し、盲導犬を持つ際に私が担当した男で、現在は3頭目の盲導犬を使用している。

2頭目の訓練の時にはちょうど盲導犬協会の新築工事が行われていて、力は毎朝現場の若い連中を集めては工事の進捗状況を聞き「今日も事故無く手も抜かぬよう一生懸命働け!」と檄を飛ばしていた。

「どうだ、元気か?」と今日も電話の向こうの力は昔のまま威勢が良い。
「おお、おめえは?」と聞くと
「ああ、給料が何千円上がった。」と、職を得た喜びに満ちた以前よりは喜びが少ないトーンだった。

ほとんど寝たきりか認知症のじいさんばあさんの慰安マッサージが仕事のため、治療師としてのモチベーションが低下しているようだった。
上司からも『幅広く無難にやってくれ』と指示されているらしい。

「おめえは無年金障害者なんだから死んでも今の仕事大事にしろ。ところで最近面白いことなかったか?」と言うと
「おお、こないだ歩いてる時に人にぶつかってよぉ。『どうもぉ、悪かったなぁ』って頭下げたんだよ。だば翌日友達が『力、おめえ昨日電信柱に頭下げて謝ってたぞ。』と笑われたぁ。それでもめげずによぉ、次の日人の気配がしたから『おはよう!』って声かけたんだ。したら草むらから『ニャオー』だと。笑っちゃうよな」

「まあ、65まで働いたら仕事辞めて好きなことしたいなぁ」と力は言う。
「おめえ65まで生きてられるつもりか?」と私。
「おお。だってよぉ、俺はお前が死んだ時の弔辞を読まねばなんねぇから」とほざく。

力の2頭目の盲導犬/マップが死に、数ヵ月後の合同慰霊式で力が弔辞を読んだことがある。
出始めから皆笑いをこらえてしまった。
「ちょんず」と秋田の標ずん語でやったものだから…

すかさず同じ秋田の盲導犬ユーザーMさんがささやいた。
「力は本当にバカだよなぁ。『ちょんず(弔辞)』を『ちょんず』と発音しとる」と。
もう私は笑いをこらえることができなくなった思い出がある。

まあ、力のちょんずで私の葬式を明るく楽しくしてもらうのも悪くはないが、私が力の葬式で秋田の人々に違和感なく『ちょんず』とやるのもいいかもしれない。
 

ちゃんとしたものって言われても… 2009年05月30日(土)

  初めて犬を飼う人にも、犬育てに失敗して困っている人にも、誰にでも解るような長崎流の解説書を書けとKは言う。

犬小屋の設計図ならまだしも、生き物を育てるということは、それぞれに癖のある材木を用い、その材木と会話し知識と経験を織り交ぜながらお互いに居心地が良い家を建てるようなものだ。
神社のように宮大工が必要なほど仰々しいものではないから素人でも熱意と素養があれば立派に建てることはできる。
が、誰にでも建てれるというものでもない。

なのに多くの人が家を建てようとし、中には途中で失敗している人がいる。
そして、その失敗だってその人の人生にとっては、良いあるいは苦い思い出になったり、少なくとも経験になって人生を彩る程度のことでしかない場合が多い。
犬を飼うという事はその程度であったりする。

だから『誰にでもできる犬育ての本』なんて存在せず、仮にあったとしてもそれはまやかしで、そんな本が書店にたくさん並べられている。

Kは私が書いた『さあ始めよう!イエストレーニング』という小冊子の中味を6年後に真に理解したと言う。
理解してくれたことを私は充分に知っている。
だが自分で家を建てようとする人ならトータルすればそれぐらいの独学はしているはずだ。
「6年で理解した?結構なことじゃないか!」と賞賛したいくらいだ。

私はまた“長崎塾”において未完ではあるが『犬を育て犬と育つ』という示唆を含めたマニュアルを提供しているが、これもまた真意の理解を得るには何年かかかるだろうし誰でもというわけにはいかない。

それでもKは『ちゃんとしたものを書け』と言う。
せめて分かろうとしている人々に長崎流がもっと容易に分かるように書けと言う。

一体どうすりゃいいんだ?

座談会でも開いて疑問と問題行動が一杯の飼い主に集まってもらい、個別の質問に対して私の流儀を説明し実演し変化を示す。
『あ!それなら分かる』『うん、それならできる』と理解と評価を頂いた事柄を選んで集約する。
今流行の『選択と集中』まがいの手法だ。

ビリーズブートキャンプみたいなダイエットビデオかぁ…
・知りたいこと・伝えたいことをピックアップし
・分かりやすい言葉にして台本に落としストーリーをまとめ
・日頃行っている犬のレッスンを撮影し、その変化を時系列で示し
・基本的な考え方と技術的な要素を解説し
・注意点と問題点を具体的に洗い出し
・間違った方法とその結果を例示しながらフィードバックし正しい方法と観念を鮮明にする。

でもなぁ、千差万別十人十色の犬に対してその成果を示すには膨大な時間と映画並みの予算が必要。
やっぱ無理無理。
ちまちまとまやかしのこの欄を書くのがせいぜいだぜ。
 

共通点 2009年05月27日(水)

  高齢犬と余命僅かと告知された愛犬が重なるように来店し、医療だけではどうしようもないことについて感じさせられた。

1.カフェが第2の我が家となっているシーズーのゴンタが、昨日はシャンプーだけのために来店。
お泊りの最終日には決まってトリミングをしているので、シャンプー後にはいつものお泊りモードではなく『ゴンゴン、ゴンゴン(翻訳すると、帰ろう!帰ろう!)』と吠えていた。
第1の我が家である飼い主のW家と第2のカフェの開きには当然のことながら雲泥の差がある。
来月で14歳になるゴンタの次回のお泊りは次週の木曜から。
お泊りの受け入れだけでなく高齢者としてのケアも考えて準備している。

2.今日が14歳の誕生日だったラブラドールのももが散歩を兼ねてカフェを訪ねてくれた。
まだまだ元気だが、昔より深く物事を考えず気の趣くままカフェ内を歩き回る。
トリミングを終えたばかりのAコッカーに近づき臭いを嗅いでいると突然吠えられた。
反射的にももは『わんわん!(翻訳すると、何で急に吠えるのよ!ビックリするじゃない!)』と天井を向いて一声吠え返した。
まだまだ元気だが、天井を向いて吠えたため腰を下ろした格好のまましばらく立ち上がるのに苦労していた。

3.3月11日のこの欄で紹介した脳腫瘍で“余命2ヶ月のゴールデン”ラッセル君が今日カフェにやって来た。
ずうっと気にかかっていたが“薬を飲んでボーっとしていたあの日”からみれば、全く普通に元気でラッセルらしい姿に心から安堵した。
「漢方と薬膳は続けています」と明るく笑うTさん。
投薬によってボーっとしたまま余生を送らせるより、たとえ短命になったとしても普段通りに暮らす道を選択したTさんだったがその選択に誤りはなかったようだ。

シーズーのゴンタ、ラブラドールのもも、ゴールデンのラッセル。
『いつまでも一緒に暮らしたい』との飼い主の想いは勿論共通だが、生きとし生けるもの個々の宿命である『終わり』までの時間を自然体で受け入れようとしているところもまた似ているように思えた。
 

いい休みを過ごせた 2009年05月23日(土)

  21日の定休日、札幌は最高気温が28度を超えるという予報だったので、避暑を兼ねて洞爺湖のいつもの場所に出かけてきた。
レオンベルガーを車に乗っけると宿泊セットまで積み込むスペースがないためデイキャンプにした。

毎度のことながら広い湖畔の敷地は貸切で、スクリーンテントを設営している間にアモとジェニーは初泳ぎを楽しみ、チワワのチビは芝生の上を存分に走り回る。
気温は22度程度で風も心地よく、陽射しもあったのでスクリーン内での避暑とバーベキューとしては絶好の条件だった。

デイキャンプということもありBBQの御伴にはアルコールフリーのビール(炭酸飲料)を試してみた。
後口に残る甘さがちょっと気になったが、何とか使えそうで酒飲みの気を紛らすにはそれなりにありがたい商品だと感じた。

翌日の肩の痛みを覚悟して湖にボールを投げるとアモの本能は全開となり、どこまでも、いつまでも泳ぎ続けていた。
ジェニーは身体を冷やす程度に入水していたが、白鳥のオス同士が一羽のメスを巡って威嚇しあう声と羽音に触発され、バシャバシャと沖へ走りだしやがて優雅に泳いでいた。

充分に遊び・食べ終えてから炭を始末し、四角い七輪の熱が冷めるまでの1時間半ほどをみんなで湖畔の散歩をした。
Kのことを覚えていたのか、一羽の白鳥が何か貰えることを期待して湖上をずっとついてきて可笑しかった。

『水の駅』で車の空きスペースに積めるだけの芝桜を買い、ついでにミニトマトの苗と枝豆の種を求めた。
翌日が雨の予報だったのを見越して植えるプランができていたのだ。

案の定の金曜日、芝桜・ミニトマト・枝豆を植え終える頃からぽつぽつと雨が降り出してきた。
いつもの定休日なら二日目も『どっかへ連れてけ』とアピールする犬たちが静かに安息の時間を過ごしていた。

有意義だったし駐車場の縁を彩る芝桜、カフェのサラダにも提供できるミニトマト、それに枝豆横丁も準備が整い実用的な定休日だった。
 

カフェがおヒマな“月火対策”第一弾 2009年05月19日(火)

  カフェの運営方針のひとつに『暮らしやすい家庭犬との生活をサポートする』というのがある。

愛犬とどんな暮らし方をしたいかは飼い主の考え方次第だから私たちが口を挟む余地はない。
番犬として、猟犬として、各種競技犬として、繁殖も考えて、アウトドア犬として、社会のお役に立つ犬として…様々であろう。

そんな中で『いや別に…、家族の一員として普通に暮らせれば』というのがカフェのお客様であることが多いのだが、この『普通に暮らせれば』という概念の捉え方にまた様々な個人差があり、従っていろんなわんこと飼い主が社会生活を送っておられるようだ。

例えば
1.犬だから吠えるのは当たり前だけど、それなりに戒めながら生活をしている人たち
2.引っ張られながらも、あちこち犬の気が済むまで付き合いながら散歩している人たち
3.まるで気心が通じたようにお互いを認めながら散歩しているカップル
4.思い描いていたのとは『ちょっと違うな』と感じながら生活をされている人々
5.犬種特性やそれぞれの愛犬の個性に魅せられ、生活に変化が起きていることを喜びとしている人たち

『こうすれば、あるいはこうであれば、もっと良くなりますよ』と要望があったときにアドバイスを送るのもカフェのひとつのサービスである。

そんなアドバイスをするには飼い主の考え方を聞いたうえで、そのワンちゃんと歩いてみるのが一番確かで手っ取り早い。

“その犬”を知るには
・健康状態を把握し
・日常の生活における振る舞いを知り
・歩いてみる
というのが鉄則だ。

ってなわけで、カフェではヒマな“月火対策”として、お申し出があれば『無料お散歩チェック』を行うサービスをとりあえず6月末まで行っております。
 

生類哀れみの時代を生きているんだな 2009年05月17日(日)

  何処かの調査で1頭の犬と生涯を共にするのに、飼い主は300万円以上の支出をしていると書かれてあった。

愛犬の寿命を12年とし、安く見積もってざっと計算をしてみよう。
1.犬の購入費:5万円
2.ハウスや食器・首輪・リードなどの初期費用:2万円
3.餌・おやつ代・:(月々1万×12ヶ月×12年=144万円)
4.狂犬病・その他のワクチンと予防薬:(年2万円×12年=24万円)
5.サプリメント・医療費:(1歳〜7歳を年間2万円、8歳から12歳を年間4万円としても34万円)
6.12年間のその他の経費:5万円
7.葬儀費用:2万円

以上で216万円。
訓練費用をかけることもあれば、保険料や予期せぬ出費もあるだろう。
外飼いの愛犬から室内で暮らす愛犬までを見積もったうえでの300万円というのは、現在の状況から判断してあながち的外れな金額ではなさそうだ。
犬と暮らしていない人々の中には『なんて馬鹿げたもったいないことを…』という向きもあろうが、それが現実であり、犬と暮らしている人間自体この金額に驚いてもいる。

子供たちには見せたくない統計でもある。
私が子供の頃飼っていた犬たちの年間経費は多くても数百円程度だったはずだ。
犬は拾うか貰うものだったし、犬小屋は段ボール箱か木箱の改造あるいは床下で間に合い、首輪やリードはその辺にあるロープで充分だった。
餌は残飯処理プラスアルファ。
虫が出たらガンツという駆虫薬を飲ませ、病気になったら手厚い看護とちょっとの滋養食。
最後は『これがこの子の寿命』で土に埋めて葬った。

今でも子供が育てるなら『それでいい』と私は思っている。
だが大の大人であるショップやブリーダーの連中が平気でそうやっているのは許せない。

我が家の愛犬アモの経費は結構な金額になろうが、彼は従業員として稼いでいるし、皆さんの愛犬同様に我が家の一員である。
今回、改めてそんな金額を支出していることを知らされたが、『価値ある支出か?』などと野暮なことは考えてもいない。

ある意味において平和で犬と暮らす文化の時代に生きているからこそのことであり、人類の歴史と犬と暮らす文化の変遷を学べば、今、自分たちが愛犬とどう暮らしているかを知ることができる統計発表だと重く受け止めておく。
 


- Web Diary ver 1.26 -