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「犬を叩いちゃいけないんですよねぇ?」 先日そんな質問を受けた。 随分クラシカルな質問であり、一方で話題にしづらいタブーを含んだ根の深い疑問を率直に問われたことに多少の感動を覚えた。
「是々非々です」と私は即答して少々の説明をしたが、皆さんならどう言葉を濁す努力をされただろう?
1.『そんなこと!とんでもない!決してあってはなりません!』と断定的反対派? 2.『少々のことはいいんじゃないですか?いやぁ、昔、私も先生に殴られましてねぇ。今になって思えばあれはいい経験でしたよ。』と状況・経験的容認派? 3.『トラウマという言葉、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、フラッシュバックというのをご存知ですか?』と科学的反対派? 4.『なあもだ、畜生だもの。ビシバシやらないとわからねぇ』と肯定派?
どれもが私の考えには当てはまらない。
犬を叩く→暴力→虐待→人間に対する転化→非道徳非人間性→悪/犯罪 酔ってるから飛躍や抜け落ちがあるだろうけど、多くの場合そんな図式が目に浮かぶ。
そのような前提というか展開そのものからして違っていることに気づく。
極端な話、犬がマジ噛みで襲ってきたとする。 生き物として相手を叩き殺すか、反撃意欲が失せるまで対抗せねば自分がやられてしまう。 『そのように育ててきたのだから噛み殺されなさい』という気持ちも分からないではないが、普通それはおかしい。 相手の犬が命を落とそうが、生き延びてトラウマを抱えようが理は人間にあり、せめて反撃したくらいの生命力は持ちたい。
じゃあ、 ・食卓の食べ物を取りに来たら? ・人に飛びついたら? ・傷だらけになるほどのあま噛みしてきたら? ・これ見よがしに粗相をするんです。
要はこのあたりに『叩いちゃだめなんですよね?』の真の疑問がみられる。
何故“叩く”という憂さ晴らし的行為をしたり罪悪的なイメージを抱くのだろう?と思う。 好きで暮らし始めた相手でしょ? 憎しみの気持ちなどどこにもない相棒でしょ?
子育てをする母犬は乳歯で乳房を傷つけるまでに仔犬が成長したら『痛い!やめなさい!』という意思を行動で示すものだ。 最初は逃げ、それでもしつこい場合は威嚇し、ついには行動に移し肉体的ダメージを与えるが傷つけることはまずない。 本気度を伝えるための工夫をそれぞれの仔犬を観察しながら行っているのだ。
“叩く”なんていう言葉で表現して欲しくない! 相手に伝わらない意思表示なんて傷つくだけの片思いと同じだ。 いけねえ、いけねえ。 つい別の時代を思い出してしまっていた。
強引な結論 1.母犬として接しなさい 2.知らないことを教えるのに叱ってはなりません 3.知ってることを無視したときは大切な時は叱りなさい(どうでもいいような指示はするな!) 4.『よくやった。えらいぞ。ありがとう。』は毎回言葉にしなさい。
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