From the North Country

過ぎたるは… 2009年04月04日(土)

  先日のエイプリルフールに反応してくださった方はごく僅か。
人を騙すわけであるから、害にならないテーマであることも大切だが、この“僅か”という数値も同様に大切であり、みんなが信じてしまったら洒落にもならないし後にヒンシュクものになってしまう。
そこら辺の微妙さに醍醐味がありおまけに面白いからやめられない。
まんまと騙されてくださった方に感謝いたします。

さて、今日も種オスボギー君が夕方のカフェを訪ねてくれた。
「もうこの時間なら空いているかなって思って来たんだけど…」
Kさんは本当に謙虚な方である。

ところがどっこい、週末のカフェにはボギーを待つ空気が漂っていた。
盲導犬の繁殖犬たるボギーに対しては甚だ失礼だし不謹慎なのだが、先週の『変態1号・2号』に続く犬は現れるのか?という興味本位な思いがあった。

ボギーがガーデンに出ている時に、誰が勇気を持ってそこに飛び出すか?
まるでバンジージャンプのようなスリルがあり、闘牛士やロデオの見せ場が待ち構えているのだ。
そして今日のチャレンジャーはラブのさくらとなった。

ボギーの反応には凄まじいものがある。
相手が誰かを確認することも、自分をアピールすることも無く、まるで野生のライオンがトムソンガゼルを襲う時のように瞬時に後ろから抱え込むのである。

さくらの反応…『これって新手のゲーム?』

凛・クロ坊・さくらと2週に渡って続いたボギーへの冷やかしは今日で終了。
実はこの3頭なら何があっても争いごとにはならないという確信があり、3頭の犬徳を借りて交尾行動を制する際のボギーの反応を知っておきたかったのだ。

ボギーは種オスとしての行動を躊躇無くこなし、制御によって気性が荒くなることもなくスーッと我に返らせることができるいい奴であった。

今後カフェで迎えるうえで配慮すべき項目が大方分かった。
争いが起きそうな相手がいる場合にはカフェで大人しくしておいてもらおう。
『試しに…』なんて遊び心もないではないが、ボギーは大事なわんこということを忘れないでおこう。
 

さて、どうしたものか? 2009年04月01日(水)

  10日ほど前から駐車場のトドマツにカラスが巣作りを始めた。
昨年もガーデン沿いにあるニセアカシアに枝を運び始めたので長い槍を作って枝を落とそうと苦労したものだ。
卵を産んでからでは凶暴になるのでカラスには悪いけど仕方が無かった。

だが、今年のカラスはしつこい。
これまでに5回ほど作りかけの巣の枝を落としたのに、今日もまた同じところに枝を運んでいる。

ガムテープで3本の棒をつなぎ、高いところにある枝を引っ掻くように払い落とすと、今日はとんでもないものが一緒に落ちてきた。
なんとそれはグリ−ンジャンボ宝くじだった。

第777回自治宝くじ
まさかと思って調べてみると、なんとなんと驚くことに1等2億円の当たりくじであった。

さぁてどうしたものか?

カラスの巣はこのまま作らせてあげてよいものか?
 

種オス/ボギーが変態犬を産んだ? 2009年03月30日(月)

  地表の雪が解け、現在はゆっくりと凍土が緩み始めている。
ガーデンを見ていると凹凸が徐々に消えて平らになってゆくから、地中のそんな動きまでがとてもよく分かる昨今である。

さて、昨日の日曜日にKさんが盲導犬の種オス/ボギー号とカフェにやって来られた。
「平日のお客さんが少なそうな時には連れてきてもいいかい?」
少し前までKさんは遠慮がちにそう言っておられたのに、とうとう日曜日の大型犬で混みあっている時に連れてこられたのである。

「ヤッター!初めてボギーを見れる!」
大騒ぎして喜んでいるのは、黒ラブ/レオの時代からKさんをよく知っている常連の皆さんだった。

そのボギーは入店直後に野次馬根性で出迎えた黒ラブ/凛にあっという間に乗っかりヒンシュクをかってしまったが、それ以上にオスである凛が満更でも無さそうな顔をして『変態1号』と称されるようになった。

既にレオンベルガーのジェニーと我が家の愛犬アモからカフェでの節度をきつく知らされているボギーの振る舞いはみんなから好感を持って受け入れられた。

すると入店時こそ自分の犬をリードでしっかり繋いでボギーの様子を観察しておられた皆さんが、ボギーがいい子で憎めない顔立ちをしているのを確認すると自分たちの犬と遊ばせたくなったようだ。
その空気は読めていたが、私は構わずちょうど予約の入っていた犬の訓練に出かけた。

戻ってみるとまた空気が違っていて皆さんニヤニヤしている。
聞くと、『黒ラブ/クロ坊なら俊敏だからボギーの乗っかり攻撃があってもすり抜けることができる』という予想のもとに二人をガーデンに出したのだという。
結果はあっという間にボギーに捕まり、凄い力で手篭めにされたクロ坊は身動きすらできず何とも言えぬ顔をしていたとのこと。
『変態2号』の誕生であった。

お客様と愛犬に恵まれ、安心安全なカフェだからこそ成しえた遊び心である。

Kさん、妙な気を起こして安易にドッグランなどへは行ってはなりませぬぞ!
あなたの犬はタマツキなのをお忘れなく。
 

犬を叩いてもいいのか? 2009年03月29日(日)

  今夜は過激なテーマである。
えー!そんな問題に踏み込んでもいいの?
なんちゃない。
酔った勢いというのも時々あるものだ。

犬の専門家といわれる人間たちが踏み込まないか、あるいは語っているように見せながらも曖昧に片付け、多くの場合『叩いてはならない』と論理のすり替えをして結論付けるテーマについて今夜は書いてみようと思う。

ここでいう『叩く』とは“リードなどによるショック以外で、人からの直接的な犬の肉体への働きかけ”と一応定義しよう。
具体的には
・手で叩くあるいは払いのけること
・道具を用いて直接的に手を下すこと
・鷲掴みするように皮膚をつかむこと、振り回すこと
・蹴飛ばすこと
まあ、そんなところをご想像いただき
・手で口を押さえる
・リードでぶら下げる
A.リモコンを使って電圧ショックを加える
B.有刺鉄線のような首輪であるスパイクチェーンを使う
などの範疇の物は含まないこととしよう。

私の答えは、叩くことも張り倒すことも場合によっては殺処分することすらを含めて『あり』なのだが、上記AおよびBなどは否定するという立場だ。

例1.
・おすわりをしない
・マテと命令したのに動く(総称して『いうことを聞かない』)
・いつも吠えたり引っ張ったり飛びついたり咬みついたりする

これらについては叩くのを否定する。
何故なら、どうでもいいことが含まれているし、きっとちゃんと教えられていないのだろうから。

例2.
・食卓に手をかけて人の物を食べようとする
・我を忘れて興奮している
・既に充分分かっているのに指示を無視する

これらについて私は躊躇することなく払いのけぶっ飛ばす

例3.
・高齢者や身体の自由が利かない障害者が飼い主である場合
・飼い主が女性や子供であるから甘く見られている場合

だからと言って電圧ショックやスパイクチェーンを用いてはならない。
高齢者などの場合はプロによって完全に訓練されるべきであり、弱い女性子供の場合は犬を通じて自らが強くなるべきであると考える。

例4.
・落ち度無い人間や他犬を咬むのが常習化し、狂気を感じることすらある犬
・明らかに異常な犬

これらについては、どんなに叩こうがいわゆる体罰で制しても効果は低い。また例えば農家や牧場に引き取ってもらって外飼いし、一生を終える犬を何度も見てきたが、決していいことではない。
仮にそれで両者がうまくいったのなら最初の見立てが誤っていて、その犬はまともな犬だったというだけのことである。
狂気の犬を育てる労力はよほどの篤志家に任せ、処分を待つ管理センターにいる多くの“まともな犬”を救う方がよいと思う。
庭に咲いた花は可愛いし、自分で水をやったのならなおさらだろう。
残念なのは犬の血筋にある狂ったほどの状況を飼い主自ら助長しながら育てていることに気づかず、いよいよになって『困り果てる』現実である。

ちゃんと育てれば多くの方が想像する『叩く』(心理的に罪悪と感じる)ような行為は必要なく、自信を持って叩くか小言を言うことが時たまある、というのが私の意見である。

どこかの大臣みたいにもうろう会見になりそうなので、ここらで終えるが、これってきっと『曖昧』な部類になるんですよね。
ちょっとはみ出したつもりだけど…
 

暴走しそうな気配を感じるからここでブレーキを 2009年03月28日(土)

  ガーデンの雪は数日前からほぼ完全に消えているし、日中は晴天が続いているのに気温が低すぎてしっかりと乾燥しきれないでいる。
春までは一日でもいいから暖かい日が待たれる。

先週あたりまで遠くからカフェに来られてしつけ相談を受けられる方が多かった。
私にとっては“一回きりのレッスン”だろうとの不満と緊張感が走る。

一回で犬を変えることは多くの場合できないし、飼い主に奥義を伝えることなんて滅多にできることではない。
だが、一回でもできることがあれば飼い主にヒントを与えれることがたまにはある。
危ないのは一回きりのレッスンで犬をスポイルしてはいけないのと、飼い主に誤った理解をもたらしてはいけないことである。

それらのバランスはとても難しいことであるから、一回きりのレッスンならば本来受けないのが望ましいとは思っている。

それでも『何とかならないか』と相談される方の追い詰められた気持ちを感じることがあり、そんな方こそお断りするのが正しい場合が多いのに、ついつい熱のこもった対応をしてしまう自分が分からなくなる。
成功したときの喜びより失敗した際のダメージの方が大きいのを知っているくせに。

いつか大きな失敗をすることになるだろう。
小さな成功を飼い主から貰っているだけなのに。

酔っていると強気に考えるのに今夜は違っている。
やらない方がいいことをやらずに済むよう我を導き給え。
 

海斗(カイト)一〜発 2009年03月25日(水)

  3年半前に生後3ヵ月を過ぎた柴犬/海斗クンがカフェにやって来た。
まだお若いのにマジ咬みし、制御すると町内会に響き渡るような甲高い悲鳴を上げていたわんこであったことはこれまで何度かこの欄で書いてきた。

その海斗クンが今夜のお泊りである。

相変わらず大げさに喚く海斗クンが、入店してきたばかりのシーズーに大げさな声でちょっかいをかけた。
シーズーを安心させるため私は海斗クンにリードで制裁を加えて自制を促した。
だが、運悪くリードの金具の部分が海斗クンの足に当たったようだ。

次の瞬間、町内会に響き渡る悲鳴を海斗クンは上げ続け、自分が如何に人間たちからの不条理な制裁を受けたかを神に訴えるかのように断末魔の声を発していた。

さすがの私も一瞬たじろぐような名演技だった。

だが、それからの海斗クンは借りてきた猫。
カフェでも散歩でもとってもおりこうさんな自分を前面に出してくれるようになった。

ああ、今夜も酔って眠い。
今日のカフェはみんなおりこうさんを報告して『お休みなさい』とだけ告げておきますね。
おやすみなさい。
 

アモ対ボギー。真昼の決着 2009年03月23日(月)

  ガーデンはあと少し手を加えればほぼ完璧な状態になるなのだが、手を加えるべき私の身体がまだおぼつかないでいるのが悔しい。
1袋20キロのゼオライトを8袋運ぶのがやっとの今日であった。
それでも何とか春の形が整ってきたのがうれしいし、犬たちとの散歩は大丈夫と今日やっと体感できたのは大きな収穫だった。

WBCに夢中だった今日のカフェでアモだけはある種の決断を持っていたようだ。
盲導犬の繁殖犬である種オス/ボギーとの決着だけはつけておくべきだと…。

そのボギーが今日のカフェにやって来てガーデンに出た後にアモは『父ちゃん、このドアを開けてくれ。その時が来た』と言うものだから私はアモをガーデンに出した。

案の定、ボギーがアモに乗っかろうとやって来た途端、アモは牙を剥きボギーに対してあらん限りの威嚇と吠え声を発した。

さすがに盲導犬の繁殖用の種オスである。
ボギーはアモの迫力に圧倒され、たじたじとなって戦意を喪失し、カフェの隅っこでひれ伏してしまった。

『知らないよ。これでボギーがメス犬に乗っからなくなっても…』
『仕事と日常のわきまえは区別するべきだ』
そんな意見が交錯したものの、当のボギーはKさんの後ろで小さくなっていた。

ダメダメ。
もうちょっとマシな話を書こうと思っていたけど今夜は酔い潰れている。
明日のWBC決勝の時間は10時半からだからもう寝ることにする。

それにしてもボギーはカフェで小さくなっておりました。
 

人間力に圧倒された犬は幸せになれる 2009年03月21日(土)

  ヘルニアで下半身不随となり手術を受けてから1ヵ月半のMダックス/はいじが今日カフェを訪ねてくれた。

リハビリが順調に進みかなり歩けるようになっていた。
歩行補助具にもなるハーネスのようなコルセットを移動中は装着していたけど、カフェ内ではそれをはずし外見上は障害犬だが不自由なく歩く姿に心から安堵した。

飼い主のMさんの周りにはお友達が一杯で、その中には昨年くも膜下出血で一度はあの世に行ったYさんもおられたた。
全く何の後遺症も残らずあの世の記憶すら残っていないYさんと、リハビリに頑張るはいじの姿が窓から差し込む春の陽光に照らし出されていた。

あきらめるな、という標本のようである。

ガーデンはまだ悪い状態であるが、カフェ内では10数頭の犬たちがいたにもかかわらず声ひとつ聞こえず、大音量で飛び交うのは飼い主たちの話し声と笑い声ばかりでカフェは絶好調である。
まあ、あれだけ迫力ある会話の中では犬たちもだんまりを決め込むしかなかったのだろう。

はいじの顔に不安は無くいつものような笑顔に包まれていたのは、手術の成功だけでなく逞しい人間たちに護られているという安心感によるものなのだと思う。

昼間の喧騒から解放されたお泊り犬とアモは今夜は特にぐっすりと眠っている。
 

今年の雪山飛ばしの記録 2009年03月20日(金)

  今日思い切ってガーデンの雪山を吹き飛ばした。
去年より10日遅かったようだ。
今年の私はぎっくり腰で動けなかったこともあり気候面において去年と比較するのは無理がある。

ハッキリしているのはガーデンが現在とんでもない状況になっており、除雪機であるべきガロアラシ号は雪だけでなく地面の土まで掘り起こして吹き飛ばす耕運機と化しているということ。

なのにゴールデンのサンタはその泥沼を見た途端、まるでハワイの楽園にやってきた人間のように大喜びして泥だらけになってはしゃぎまわっていた。

数日間は環境面においてご満足いただける状況にはないカフェでありまする。
ただ、それだけに、それでもお越しいただいたお客様にはセットメニューのデザートにK特製の味をご提供しております。
素朴なチョコレートケーキにマーマレードジャムというのも美味しいですぞ。
カフェの特徴としてデザートは七変化するのでそれがすべての方に当たるかどうかは分かりませんが…

今夜特筆する項目は無い。
雪山を飛ばした日を個人的に記録したかっただけである。
 

ふと、何度も考えること 2009年03月19日(木)

  予想以上のスピードでガーデンの雪解けが進み、せっかくの明日からの3日間はひどいコンディションでお客様をお迎えすることになりそうだ。
だがこれも春を迎える儀式とご容赦願いたい。
玄関先のシャワーと戴き物のタオル類を存分にご活用下され。
因みに明日のカフェはオープン前からWBC一色で、熱く熱くなっておりますぞ。


時々『アモ、ジェニー、チビ、ハグ。お前たちは幸せか?』と、帰って来るはずもない返事を前に自問自答する。
『犬たちの幸せってなんだろう』と思う。
これまで何万回も重ねて生きてきたのに、経験豊富といわれる今でさえ同じ質問を何度も自分に課している。

厳しさゆえの懺悔から?
いや違う。
無力感から?
それも違う。

これまで何度も書いてきた言葉に『脳を解発された犬』というのがある。

犬というのは(ひょっとしたら類人猿もそうなのかもしれないが)イヌとして扱い・暮らせばイヌとして育つものである。
だから、私は外に繋がれて吠えまくるイヌを見ても可愛いと思えこそ気の毒だとは思わないし、いつまで経っても制御が利かない散歩中のイヌを見てもそう感じるし、イヌが食用に肥育されてもそれは文化だと受け入れることができる。
だが、一度でも『脳を解発された犬』がそのような境遇になった時には、その辛さを有事に巻き込まれた人間とダブらせて混乱してしまうひ弱さを捨てきれないでいる。

幸いにも私が見る限り『脳を解発された犬』はまだまだ少数であるが、カフェの顧客のほとんどがその方向性をつかんでおり、あと一歩という方もおられる。

厳しいとか甘いというレベルの話ではない。

今夜、一方的に私が書いていること、すなわち『犬の脳を解発する』ことが正しいのか誤りなのか?そのことが私には確信できないのだろうと思う。

同じように愛犬を愛した人間に対してはとても失礼な言い方だが、家庭犬を亡くした飼い主と盲導犬を亡くした視覚障害者のそれまでの比重の違いが私の気持ちを代弁しているような気がしている。
ふと、また考えるテーマなのだろう。
 


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