From the North Country

いい秋を過ごせたな。 2009年10月17日(土)

  お泊り犬が続き、どういうわけかレッスンが重なったこの2ヶ月で膝と腰をさらに痛めた私は、久々に誰もいなくなった定休日をニセコの紅葉で癒されようとKとアモの家族水入らずで出かけてきた。

ニセコの紅葉は終わったと聞いていたが、なんもなんも道中を含め見事な黄葉と鮮やかな紅葉を満喫することができた。

ペンション/プルーミンさんのことはこれまでにカフェのお客様に紹介し宿泊していただいてはいたが、自分達が泊まるのは初めての体験だった。

予約したときのママの第一声がふるっていた。
『えっ!長崎さんなの?来なくていいよ。だって緊張するじゃない』
いっつも何かに吠えている私は煙たい存在なのだろうけど、息抜きさせてもらいたい時だってあるのだ。

言葉とは裏腹に自然なもてなしをしていただき感謝している。
平日なのに4室とも満室となった日に泊まれたことはラッキーだった。

わんこを受け入れるというある種同業者としての苦労話も聞かせていただいた。
そんなことより、人生の振り子を普通の人が振らない方向に振った人間として分かり合える会話ができたのが面白かった。
成功例よりも失敗談に笑顔とマジ顔が交錯するのに親近感を覚え、食事とおもてなしそれに清潔感に感服いたしました。

今回の旅ではっきり自覚したことがあった。
アモのことである。
本来なら歩くことさえできない損傷を受けたはずなのに、2度の手術を経てアモは自由に駆けることができる状態になった。

運動制限に加え様々な厳しい要求を昨年まで課してきたのだが、もうすべてを取り払い感性のままに過ごそうとしている自分がいた。

去年から自由に駆けることが出来るようになったアモ。
それでもなお慎重だった私。
万が一、調子に乗って遊ばせすぎた挙句、再び足を痛めてしまったなら自責の念を背負い込むことになるとの不安があった。

『もう8歳だな。いいっか』
ようやくそんな気持ちになれたことが心から楽しくもあり、アモのこれからが私の余生とダブって見えて吹っ切れた思いだ。
誰しも最後は無念であり残念なものだ。
その前の時点で思うように生きれたかが大切なことなのである。
それを実践する日々としたい。
 

噛み殺す犬に思う 2009年10月12日(月)

  4歳児がイヌに噛み殺された事件を思う。

わが国に限らずイヌを飼うという考え/観念というのがそんなレベルであることは重々承知していた。
たぶん日本でも95%の人々が私たちとは違う感性で愛犬と暮らしていることを知っているし、現時点で『異端児は私達の方である』という指摘があったなら受け入れるつもりでもいる。

だからと言って『それみたことか!』などと、今回の事件を題材にして攻勢に打って出る気持ちなど微塵も無いことを、まずは知っておいて欲しい。

そのうえで…と今夜書き進めることすら辛いのだ。

私自身が率直に言うならあのような事件は必然である。

だが95%の人々にとってそれは予期できなかったことだろうから、仮に起訴されたとしたなら祖母に対して寛大な措置となることを心から願うし、もし許されるならあの犬たちが死を免れ、必然の行動を起こさない環境で暮らすか、そこで育て直しをして社会復帰するなどの寛大な処置を願いたい。

『あの事件は必然』と先ほど書いた。

今回、捕獲され檻に閉じ込められ、尾を下げた秋田犬とよだれを垂らすロットワイラーの映像が流れていた。
『何故そうなったか?どれほどのイケナイことをしたのか』を彼らはうすうす感じ取っている姿が読み取れた。

だから『再現実験をしろ』と私に言われたなら、あの2頭に何度かの躊躇はみられるだろう。
が、そのうち慣れてきた頃に同じような状況を作れば、噛み殺させることもできる。
一方で、同じ時間/それ以上を“矯正”のために与えてくれれば、そうならない犬に育てる確信がある。

あの時…この事件の犬たちの行動に関する私の推理は大筋で誤ってはいない。

イヌをイヌとして育てればイヌになり、意識せず育てていればイヌとなる場合があり、イヌを犬と育ててこそ『犬は育ち人も育つ』のである。

強いて今回の教訓を書くなら『無知とは罪である』という後悔の嘆きだろう。
そのうえで、ヒトに危害を与えるイヌの処分を私はためらわないし、それが人の成した結果であることを辛らつに人に伝えることを厭わない。

彼らはすべてを私達に委ねて生存している。
だから…だから、いつも私は吠えているのだ。
『ちゃんと育てろ!』
 

無意識にリードを引っ張っていませんか? 2009年10月10日(土)

  今夜は愛犬に対して日頃何気なく行っている飼い主の行動のひとつにスポットを当て、意見を述べてみようと思う。

それは人と愛犬を繋ぐリードの曳き具合とでも言えばいいのか、具体的にはわんこが勝手な行動をしないよう飼い主が無意識のうちにいつもわんこのリードを引っ張る性癖みたいなものについての話だ。

飼い主同士が立ち話をしている時。カフェなどのレジで支払いをしている時など、多くの場合立ち止まっているときに飼い主はリードをピンと張って、わんこは軽い首吊り状態にされていることがある。

過去に訓練を生業としてきた私などにとっては“もったいない”動作であり、実は飼い主の癖になっている行動だから厄介にも感じられる。

訓練としての“スワレ”や“マテ”というのは、まさにこのような実生活での場面を想定して行っているのに、肝心な時に飼い主が台無しにしている。
今時、正規の訓練など受けていなくても殆どの方は“おすわり・まって”くらいは普段からやっておられるはずだ。
芸やしつけのためでなく、実生活に生かすという意識を当然のように持つことで、飼い主はスキルアップしわんこもステップアップできるのだ。

では、どうすればいいのか?
リードを緩めることである。

すると、わんこには既に“おすわり・まって”が教えられているのだろうが、多くの場合実践ではうまくいかず動き回るからリードで首吊り状態にする。というのが一般的なパターンだ。

つまり教えているつもりの“おすわり・まって”のレベルが低すぎることに気づくべきなのである。
実践で通用することのない『おやつで釣る』程度のお遊びだったことに気づくべきなのである。

低学年の算数が難しく感じられても、それなりに努力して数学をやるようになると、苦労していた算数が容易に解けるようになる。
ここにヒントがある。

1.おやつを使おうが、方法はともあれ、“おすわり・まって”の言葉の意味を教える。
2.人が少し動き、わんこには動いてはいけないことを教える。
3.人が大きく動き、それでもわんこには動いてはいけないことを教える。
4.人がしゃがみ、口笛を鳴らし、手を叩き、それでもわんこには動いてはならないことを教える。
5.リードを軽く曳き、徐々に強く曳き、それでもわんこには動いてはならぬことを教える。
6.すべての過程で心から褒め・喜び、既に教えられ理解しているわんこが動いたときには『ノー!』の絶対性と『グッド!』の快を天秤にかけさせる。

何もここまですることも無かろうが、そこそこの数学をやれば、立ち話やレジでの支払い時に首吊りせずとも当たり前のようにリラックスして座り込むくらいの算数が容易に解けるわんこになっているはずである。

なにはともあれリードを緩めることがスタートであり、ひとつのゴールでもある。
 

ヘクトパスカル 2009年10月09日(金)

  発生直後には910ヘクトパスカルなんてとんでもない数字が報道され、上陸前でも940だった今回の台風18号。
私の経験では本州上陸あたりで950なら北海道にも相当な被害が及び、960程度だと道東は影響を受けるものの札幌はほぼ安全圏となり、それ以上だと北海道に到達する頃には温帯低気圧になる。

だから今回の18号には相当な警戒をしていた。
飛ばされそうなものはすべて撤去し、万が一他からの飛来物でガラスが割れた際のシミュレーションも頭の中で行っていた。
ガーデン前にあったニセアカシアが伐採され殺風景になってしまったが、これも幸いだったのかもしれないとの思いもよぎった。

結果はほぼ無風で雨が少々降った程度で済んだ。

だが、今回の台風に関する気象情報はとても役に立つものであった。
仮に直撃した場合のイメージができたし、早め早めの対策をとることもできた。
5日先の進路予想ができるようになって初めてのケースとのことだが、大変有効であったと思う。

ふと思った。
わんこの“暮らしやすさ指数”をヘクトパスカルで表現したら面白そうだと…

『お散歩チェックどうだった?』
『うん、950で大変だった』とか
『レッスンは順調なの?』
『そうだね。温帯低気圧になったからこれから徐々に回復してくるよ』なんて楽しそう。

因みに今夜のお泊り犬は1008ヘクトパスカル。
高気圧が張り出しております。
 

勝利の方程式はシンプルであるがゆえに深みがある 2009年10月05日(月)

  マジック1の北海道日本ハムファイターズ
北海道を本拠地としてから実に素晴らしい成績を続け、私達を魅了してくれている。
あれだけジャイアンツファンが多かった北海道にすっかり根付き、我らがファイターズとして浸透しているのが凄い。
今夜、負けはしたが最後まであきらめない姿勢は『負けても納得。次だ!』という気持ちを起こしてくれる。
あのファイトと女性達の熱狂的応援がみんなを引っ張っているのは間違いのないところであろう。

さて、そんな力強さは勿論カフェには無いが、地味ーに月火お散歩チェックを続け好評である。
依頼を受けてちょこちょこと歩きのチェックを継続している。

最初はわんこに自由に歩かせて、日頃の状態を確認する。
次にちょこっとコントロールしてわんこの変化を確かめ、日頃の行動が“もって生まれた稟性”なのか“育て方によるもの”なのかをチェックする。
そのうえで一緒に歩いている飼い主に『こうすれば現状の課題をクリアできる』と、わんこが変化する姿を見せ、『こうすれば“もって生まれた稟性”でもある程度まで解消できる』と理解を促す。

ほぼすべての飼い主はたかだか10分の間に愛犬が変化する様を目の当たりにし驚かれるが、これは訓練ではなく私のマジックだ。

私が伝えているのは“ダメ犬。問題児”と感じておられる飼い主に『あなたの犬は普通にこのように振る舞えるのですよ』という能力を示し、『この振る舞いを引き出すかどうかはあなた次第なのです』という意外な現実を明らかにすることだ。

そして私のマジックを飼い主のものとするのが私の仕事であり、それゆえわんこのレッスンの締めとなるのは飼い主に対しての指導となる。

『訓練が必要なのは犬ではなくあなた自身なのですよ』
客商売なのに恐縮だが、これが私のレッスンの真髄なのだと思う。

どんなスタープレーヤーを獲得しても監督が有能でなければ優勝なんてできない。
犬育てにおいて最初からスターなんぞ望むべきものではない。
血統書にチャンピョンの仔なんていう系列が表示してあったら、わたしならうんざりするし、より警戒を強める。(理由はいずれまた)

愛犬育てというのは公立学校の名監督になったつもりで始めればいいのだ。
『どれどれ、今年はどんな選手が入部してきたかな?』
『ありふれた連中ばかりだな。ほぉー。面白そうなのもいる。』

どんなバリエーションがあっても目指すのはプロ野球での優勝ではなく、『おまえと野球ができて楽しかった。人生のかけがいのない時間を過ごせたよ』という結果だ。
本当にそう思えるようなアドバイスとちょっとしたお手伝いができたら嬉しく思う。
 

中秋の名月も綺麗だけど… 2009年10月03日(土)

  雪に埋もれた銀世界の夜にため息交じりに見る満月は勇気を与えてくれる。
満天の星をかき消す夏の満月の明るさは、砂浜に寝転んで恋心をかきたてた青春の思い出。
晴れた夜の満月はいずれも美しいものだが、中秋の名月といわれる今宵今夜のこの月は殊更美しく感じられる。年を重ねて邪念が消えた者の感傷だろうか?

中秋の名月だけでなく『いいなぁー』と心底思えるような愛犬作りを私は目指しているのかなぁ?

今日のカフェもそんな感じだった。
いろんなわんこが一緒なのに誰も治安を乱すことはない。
だからと言ってじっとフセをしているわけではなく、みんなそれぞれに自分の振る舞いをしている。
そこに厳然として存在している不文律があり、平穏で楽しい社会を維持する最低限の配慮がある。

全体がそうだから吠えたり取り乱す傾向があるわんこも自制する。
すると平穏が維持されることを感じ取り『ここでは無理して吠えなくてもいいんだ』と悟る。

『悪貨が良貨を駆逐する』のではない世界が存在することを知って欲しい。

このところ新規のお客様の来店が続いている。
皆さん遠慮がちだ。
カフェの雰囲気を感じて『うちの子だと迷惑をかける』と思っておられるようだ。
迷惑をかける犬かどうかが問われているのではなく、ご自分の愛犬をどうしたいかが大切な要素であることを広く知らしめていく努力がカフェに課せられているのだろうと思う。

何に対してでもいい。
『美しい!』と感じられる感性と『おもんばかる』という気持ちが響きあえればいつかは仲間になれるはずだ。

繰り返そう。
あなたの愛犬が現在どうなのかが問われているのではなくて、あなたがどんな愛犬との暮らしを目指し、そこにどれだけの思いがあるのかで、周りに集まる人間が決まってくるのだ。
カフェの方針は単純明快『特技は無くても暮らしやすい家庭犬』である。
たまに笑える特技を披瀝するわんこがいるのも楽しい。
 

ユーザーからのメール 2009年09月28日(月)

  今年に入って初めて、2日間お酒を飲まず肝臓を休めていたところ、昨夜、盲導犬ユーザーKさんからのメールが届き、仕方なく今夜も飲まずに過ごすことにした。
しらふじゃ書く気がしないし、悔しいからKさんの了解を得ないで不都合な実名だけ伏せて転載することにする。

(以下転載)
こんばんわ Kです。

佐々木紀夫会長のこと、大変驚きました。
知らせを頂いたとき、何かの間違いであって欲しいとわが耳を疑いました。
ユーザーの会のY会長から会員への同時送信という形で、お知らせをいただきました。が?
余りの突然の事なので、その事実を受け入れる事が出来ず、直後電話で確認したのでしたが、悲しいかなそれは本当の事でした。

モット詳しい事を知りたいと、長崎先生の「HP」を開いてみました。
そこには、打ちのめされて打撃を受けて、泥酔して書いたと思われる記事が載っていました。
それから毎晩 毎晩開いて見ていたのですが、来る日も来る日も「HP」の更新は無かったですね。
昨日やっと10日ぶりの更新は「さよなら またね」と涙がこみ上げるほどのタイトルが、しかし 待ち望んでいた記事が更新されていました。

佐々木紀夫会長から受けた「恩」は、わたしにとっても大変大きいものがあります。
それなのに、わたしは会長のことは何にも知りませんでした。
亡くなられてはじめて、その事実にショックを受けているくらいです。

長崎先生と佐々木紀夫会長のお付き合いを書いた、昨日のその記事は、わたしにとって大変興味深いものでした。
そして、紀夫会長のような方とそのようなお付き合いをされていた長崎先生が羨ましく思いました。

長崎先生の感性で感じた、佐々木紀夫会長の事を、もっと もっと記事にしてください。
つらいかもしれませんが、わたしたちにもっと もっと会長のことを教えて下さい。
「HP」上での公表が叶わないのなら、プライベートででもお願いしたいくらいですが、いや やはり「HP」上で多くの方たちに公表していただきたいと思います。

先生の心が癒えてからでも結構ですが、やはり少しでも早く一杯知りたいです。

どうか 宜しくお願いします。

追伸

先ごろ、「大好きなお酒が飲めなくなった」という記事が載っていた事がありましたね、「酒を飲んで死ぬんなら本望だ」などとは思ってはおりませんか?
そんな勝手な事は許されませんよ!
人間いつかは死ぬんだと開き直っておられるかもしれませんが、人生半ばにして、愛するものをおいて先に行くなんて、卑怯者のすることです。
紀夫会長のように、どうしようもない病に犯されてしまったのだとしても、置かれていってしまったものにとっては、やり切れませんよね。
先生も記事に書いておられましたが、健康診断くらいチャントしてくださいね
男ってほんとに臆病な動物ですね。
わたしの息子もしかり、ほんとうは怖くて健康診断を受けられないで居るんですよね。
そんな 自分の体さえも健康管理できない人間なんて、正直言って、人を愛する資格なんてありませんよ。
自分も 今 苦しい経験を乗り越えて、やっとのおもいで、健康の有り難さをかみ締めている矢先だからこそ、コンナ生意気な事が言えるのです。
どうかお願いです、少しお酒を控えて、肝臓いたわってください。頼みます。

(以上転載)

ありがたい追伸の言葉なのだろうが、図星だとちょっと癪に障る。
「怖がりだから鍼もさせず、痛がりだから揉めば悲鳴をあげよる」と、紀夫さんも私のことをカフェのお客さんに言いふらしとった。

ところで皆さん。
視覚障害者のKさんがパソコンで書いたこのメール凄いと思いませんか?
内容じゃなく誤字脱字がないこと。
同音異義語が多い日本語なのに…

実はKさん視覚障害者用のパソコンを習得しただけでなく、自身のブログ(コスモス)を開設するため、盲導犬協会の生活訓練事業を活用して勉強されたのだ。
それで益々腕を磨いている努力家だ。
だが、この事業は北海道内に居住している方が対象でKさんは道外在住。
紀夫さんも粋な計らいをしたものだ。

さて、Kさん。
紀夫さんのことはもう書きません。
私が退職してもう7年半。
彼が会長としてやってきたことは私よりも詳しい現役の方がたくさんおられますからね。

明日からは節度をもって飲ませていただきます。
 

よろしく、あんこです。 2009年09月26日(土)

  不順だった夏の埋め合わせをするかのように穏やかな秋が続いていて気持ちいい。
散歩している犬もその飼い主さんもみんな楽しそうにみえる。
愛犬と暮らす人間にとって一番良い季節かもしれない。

そんな秋にMダックス/モカ・モナカのNさんが新たな愛犬を迎え入れた。
生後6ヶ月のゴールデン/あんこ
よろしくです。

レッスンを請け負った私であるが実はあんまり面白くない。
長いことショップにいてしつけられているものだから、生後6ヶ月の溌剌としたわんこと歩く楽しさがないのだ。
リードはだらりと垂れ、人の前に出て歩く意欲が失せている。
「とっても楽チン」ってNさんは言うけれど「つまらん!つまらん!」と私は不満を感じる。
せっかく愛らしい容姿をしているのに、散歩いやレッスンをしている私の視界にはあんこの姿はなく、あんこを眺めたければ真横の真下を向くしかなく、そうなると秋の綺麗な景色を楽しめず首も痛くなるではないか。

愛犬は前方を引っ張らずに歩くのがいい。
前を見ながら散歩ができるし、表情や視線の先が分かるから『何を考え・どう感じ・どんな気分で歩いているのか』を推察する楽しみがある。

どうやら私のレッスンはこれまでのしつけをぶち壊すことから始まりそう。

今日のガーデンであんこをフリーにしたらはじけるように幼さの残る足取りで駆けた。
『これが6ヶ月のゴールデン』とほくそ笑んだら、あんこは調子に乗ってモカの身体に前足をかけた。
先住犬のモカは気丈に振る舞っていたが「こりゃ!」と叱るとあんこはひれ伏すようにして私の股の間に入った。
まだ6ヶ月の幼い犬が叱られることの“怖さ”まで先に身につけていたのだ。
この時期はいたずらばかりして叱られることの連続のはず。
そんなに卑屈な態度をとらなくていいんだよ。
どんなキャラを本来持っているのか見せてごらん。
 

さよなら紀夫さん。またね 2009年09月25日(金)

  紀夫さんの1頭目の盲導犬ロンの時、私は盲導犬に必要で求められる細々とした項目を学ぶと同時に、この人間の並外れた底知れない能力に驚かされた。

アマチュア無線で遠くの人間と将棋をやっておった。
視覚障害者だから相手が目の前にいようが電波の向こうにいようが関係ないのだが、その腕前は日本将棋連盟の4段の認定を受けており何人かの弟子がいた。
彼には将棋盤と棋譜がパーフェクトに頭にあり、真髄を探求しているのは明らかだった。

麻雀の手合わせをしたこともあったが歯が立たないだけじゃなくスピードについていくのに苦心した。

歩行の手引きをしていると「腰が悪いな。後で診てやる。」
私の肘に触れながら誘導を受けているだけで私の腰の異常を見抜き以後私は紀夫さんの患者になった。

二頭目の盲導犬アーサーは私が訓練し歩行指導も担当した。
ロンが出勤前の排泄に20分もかかったのに対し、アーサーは20秒ですべて終了したことに感動していた。
急遽2頭目の盲導犬を準備しなければならず、訓練時間が規定よりもやや少なく完成間近の盲導犬であったが、紀夫さんのような視覚障害者だと彼らで完成させられるというずるさも学んだ。

彼がユーザーの会の会長を経て、盲導犬協会の会長になった頃、国際会議のため二人でイギリスに行った。
宿泊したホテルではそれぞれシングルの部屋をとり、私は一通りのファミリアリゼーション(未知の状態を既知にすること:つまり室内はもとよりホテルの殆どをひとりで移動できる情報提供)を行った。
翌朝「やいや、夕べは大変だった。」と紀夫さん。
シャワーを浴びてドアを開けようとしたがノブを回しても開かない。
どこか自動ロックされたかとドア周辺を手探りしたが、どうしても分からない。
イギリス流の鍵のかかり方があるのかと1時間以上も思案したという。
不安だったことだろう。
「どうやったの?」
「思いっきりボンってやったら開いた」

翌日は時間があったのでロンドンの北半分を歩きに歩き回った。
「もう勘弁してくれ」
公園の芝生に腰を下ろすと紀夫さんは靴を脱ぎ、つま先から太ももまで揉んでいた。高校生ぐらいのブラスバンドが心地よい演奏を奏でていたのを思い出す。

スペインの協会の代表も視覚障害者だった。
通訳を残して私はフィンランドのスタッフと交流していたが、あの時の紀夫さんとスペインの代表ふたりの興味に満ちた会話の表情は今でも覚えている。
いい時間を過ごしていたに違いない。

3頭目の盲導犬グリーンの頃は私がパピーウォーカー担当だった。
「芝生を掘ったり垣根の枝を食べるんですが大丈夫でしょうか?」
そんなやんちゃな事柄で相談を受けることが多かった犬だ。

我が家の愛犬アモが前の飼い主であるN先生にそうだったようにグリーンも遺体となった紀夫さんに寄り添うことがないどころか距離を置いていた。
『はあん、そういうことなんですね』みたいな感じだった。
グリーンのおでこから目の周りはくぼんで老犬の漂いを見せていた。
「これからも一緒に暮らそうと思うんですよ」
奥さんはそう言っておられた。

死なんてもういつ訪れてもおかしくはない年代になっていることを改めて思った。
そしたら「来年の3月から4月頃まで旅に出ない?」とK。
「いいね」と応えた私だが、数日前から痛み始めた膝と腰を擦っている。
紀夫さーん!俺の身体、これから一体誰が診てくれるんだ!
治療の最後に背中を優しく擦って「よし!」と言ってくれた言葉の響きと感触それにこれまでの思い出が幾重にも去来し交錯してまだ解決できずにいる。

今度会ったときにあんたと恥ずかしくない会話ができるよう頑張って生きるよ。
 

佐々木紀夫のことを書きたい 2009年09月15日(火)

  恥ずかしいことなのだろうが、私はもう何年も健康診断を受けてはいない。
私の身体がおかしくなったとしてもそれは膝や腰であり、そんな時は里塚温泉で温泉ヨガをし、それでもだめならこの欄で何度となく紹介してきたS治療院に駆け込めばすべては解決するからだ。

S治療院。
院長は佐々木紀夫。
盲導犬使用者であり、北海道盲導犬協会の会長であり、全国の盲導犬協会が加盟するNPO法人全国盲導犬施設連合会の会長でもある。

が、今の私にとってはそんな肩書きは関係なく、只の大切な先生であり昔ながらの友人である。

私が駆け出しだった頃、白い杖をついて病院勤務をしていた彼は盲導犬に興味を抱いた。
「相談がある」と盲導犬協会に連絡してきた時に、私を育成していたK盲導犬指導員は彼の自宅に私を同行させた。
そう、30年前のあの日から私と佐々木紀夫との付き合いが始まったのだ。

障害者に対する偏見というのをご存知だろうか?
いや、今夜はそんなたいそうな話を展開したいのではなく、佐々木紀夫に初めて会った日の私を証言しておきたいのだ。

・彼は普通に私達を迎え入れ、K指導員も普通に入り込んだ。
・私は西日が半分差し込む部屋で、大人同士の会話を真剣に聞いていたが今その確かな記憶はない。
・そばに奥さんと子供が座っていたのを覚えている。
「長男に競馬新聞を読んでもらうんだ。一回100円でね。」
盲導犬についての説明が終わり、身近な話題になった時のそんな記憶が鮮明に残っている。

“障害者でありながら工夫しつつ温かな家庭を築いている”という観念。
それこそが障害者への偏見であったこと、あれからが私の意識が変わった瞬間であったように後に思う。

視覚障害者の彼は普通に振舞い、笑いながらも『もっと楽に通勤したい』と正直に嘆き、その家族が傍で見守り、息子は競馬新聞を読んでいた。

佐々木紀夫にはロンという盲導犬が貸与された。

通勤するためにバス会社の理解を得なければならず、調査員同行のテストも行われた。
混みあう通勤時間帯のバスに同乗していた私は、調査員に無言の圧力ともいえる笑顔で職責を果たしていた。
勤務先の病院では倉庫のような場所しかロンには与えられず、ロンを説得しようと試みる私達以前にロンはすべてを受け入れてくれた。

佐々木紀夫は元々普通の人間だったのに、20歳の時に視覚障害になり、以後ある使命を何かに導かれて開花させるような人生を歩んだのだと思う。

その彼が今朝方死んだ。

仕事の合間をみて駆けつけたとき、“おくりびと”によって湯灌がなされ死に装束をまとい始めていた。
奥さんは大丈夫だった。
死を受け入れる時間が少しはあったらしいから…

血液にウィルスが入ってからの連鎖が引き起こした死であったとのこと。

たいしたもんだよ、紀夫さん。
あんたの人生は。
お悔やみを言う私に紀夫さんの愛犬グリーンが甘えて何度も顔を摺り寄せてきた。
 


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