From the North Country

カフェの事件簿から。迷探偵の推理 2009年01月24日(土)

  ありがとうございました。
本日をもってクリスマス頃から入れ替わり立ち代り続いていたお泊り犬が帰宅し、我が家は一旦水入らずの静かな夜を迎えております。

いつもお泊り犬とは楽しい時間を過ごしているのだが、そこはそれ、あくまでもお預かりだから結構気を使うのは当たり前。
でも数日間付き合っているとついつい分かり合えたような気がして魔が差したように油断してしまう。

今回も定休日に気を許してカフェ内でフリーにしていたわんこがちょっと目を放した隙に商品のきびなごの袋を破り、2袋800グラムを平らげてしまう事件が起きた。

カフェにはアモを含めた4頭のわんこがいたのだが、それぞれの犬がどのような関わりを持ったのかを推理するのはとても面白いことだった。

2階の掃除を終えてカフェに下りたKはその情景にあっけにとられ「わー!」と発した。
その瞬間、一頭のわんこが『ヤバイ!』『ごめん!』という表情で部屋の隅に逃げたらしい。
Kはそのわんこを一瞬主犯と思ったようだ。

しばらくして帰宅した私にKは頭を下げて「ごめん。本当にごめんなさい。油断してました」と、きびなごのあった商品棚を指差した。
状況を聞いた私は犬たちが食べた物が安全なものであることもあり、Kと一緒に冷静に推理を始めた。

最初Kが主犯だと感じる振る舞いをしたわんこはいつもフリーにして何の問題もない信用できるわんこであった。
私が絶対的な疑いを持ったのは初めてお泊りのわんこの方であり、そのお腹を触ると明らかに膨張していた。
『この犬が袋を破り食べ始めた。だけどそれを見ていた他の3頭がどう関わったのかは夜か明日にならなければ分からない。うんちを見て結論をまとめよう』ということになった。

で、翌朝結論は明らかになった。
1.初めてお泊りのわんこが袋を破って食べ始めた。(念のため夕食を抜いたのに、うんちが出るわ出るわ…それに預った当初の振る舞いを見ればその行動は充分想定範囲だったこと)
2.Kが最初に疑ったわんこは、二人で話し合った結果『そんなことを自ら最初にやることはなく、尚且つちゃんと育っているからこそヤバイという行動をとれる素直な感性を持っている信用度の高いわんこである』ということ。
だがそのわんこのうんちは翌朝とても多く、『ご相伴できます?』と言って結果的におこぼれを頂戴したことも間違いないようだった。
3.では、アモともう一頭はどうだったのか?
うんちには何の変化はなく、事件当初からも平然としていたことから『おいおい、あんたたち、そんなことしていいと思ってるの?』と傍観していた様が想像された。

そんな話を今日のカフェでしていたら
「本当にアモたちは何にも食べてないと思う?3本くらい…」と意地悪な質問をされた。
「うぅーむ」

実際のところどんな光景だったのでしょうかねぇ。
 

『変わりなく続ける』ことの幸せ 2009年01月21日(水)

  昨日一日降り続いた雪。
朝から4度も除雪作業に追われたが、ホンダハイブリッド除雪機ガロアラシ号が13馬力の威力を発揮してくれたおかげで重く湿った雪も私の体を痛めつけることなく吹き飛ばすことができた。

でも4度も除雪した事実に変わりはなく、必然的に今夜はいつもの里塚温泉で身体を癒してきた。
すっかり馴染んで心配なくなったお泊り犬は、私たちが帰宅しても眠そうな表情で『どっか行ってたんですか?』と顔を上げてまた眠り始めていた。
『里塚温泉』=『若鶏の半身揚げ』と理解しているアモだけは、Kが分け与える一切れをせしめるまで納得しなかったがそれを得た今は充分に満足気な表情で横たわっている。

早いもので『あけおめ』で始まった1月も下旬に入った。
例年2月のカフェはお泊り犬も少なく荒れた天候に左右されるためか、客足も遠のいてしまう傾向にある。
だからPRを積極的にして経営努力を行う必要性を感じる一方、『しばらく冬眠経営するのも悪くないかな?』などと悪魔のささやきも聞こえてしまう月である。

どうすっかなぁ。
お泊り犬がそこそこいてくれて、雪は夜の間に降り積もって朝に除雪ができ、トリミングの予約がぼちぼち入り、日中はカフェで楽しいおしゃべりができて、夜には10日に1回くらい里塚温泉に行けたら最高なのだが…

毎年そう思いながら2月はヒマなのに何の手も打たないでいる5年が過ぎ、『今年はどうなるかなぁ』などとまた悠長に考えている。
中年二人とわんこの暮らしぐらいなら、それでもこれまでは何とかなっていた。

高望みがないではないが、今年も何とかやっていければよしとしよう。
明日はまたS治療院で膝の治療に悲鳴を上げる予定だが、その後カフェは定休日なので『かもめ食堂』に引き続いて楽しみにしていたDVD『めがね』をまったりと鑑賞しようと思っている。
 

『膝や腰の炎症に酒はよくない』、よね。 2009年01月19日(月)

  昨日のこの欄をお読みいただいたのだろう。
ご主人が亡くなった悲嘆から黒ラブだった身体が突如白くなったソニアの飼い主Kさんが湿布薬を届けてくれた。
今日の札幌の最高気温はなんとプラス7度。
カフェ周辺は解けだした雪でひどい事になっているが、痛めている私の膝腰には大助かりで、おまけにKさんからいただいた湿布薬を寝る前に貼れば効果覿面の予感がしている。
いや、夕方からは凄い嵐になっているので明日の除雪を無事終えるための大きな手助けになってくれるものと期待している。

「へぇー。マテっていうのはそこまでやるんですねぇ」
土日にレッスンを行ったラブラドール/マックスの父さんが私の訓練を見て感嘆されていた。

なんてことはない。私が行った訓練は
・マテと指示してそのまま動かない基本を教え
・待ってる状態で私が犬の周りを一周しても待つことを教え
・マテと言いながらしゃがんだり手を叩いても誘惑されず待つことを教え
・歩行中に突然マテと言ってフリーズすることを教え
・マテと指示しされれば、リードを引っ張られてもそこで踏ん張って動かないことを教え
・交差点でマテをかけた後、私が歩き出してもその場を動かないことを教えたに過ぎず、これは訓練の基本中の基本である。

重要なことは、できないことを『ダメ!』と叱るのではなく、できるように誘導しながら『偉いぞ』と褒め称え、それができたらできなくなるような誘惑を徐々に与えつつできるように導き『スゲェー!』と感嘆することであろう。

そして何故そこまでやるか?を理解することである。
私が行うマテの訓練は高等であり、日常生活に必要なマテはそれより低レベルでも充分に役に立つ。
言い換えれば小学校高学年レベルのマテができれば日常で充分おりこうさんのレベルなのだが、マテの約束事はとても重要なので高校生段階のマテができるまでしっかり教えておく。

高校生レベルのしつけを学んだ犬には日常生活に必要な小学生レベルのマテなどお茶の子さいさいにでき、めでたしめでたしという筋書きである。

ちょっとちょっと『マテ!それ以上飲むな!』
そんな訓練をしてくれる人が私には必要なのかもしれない。
 

知識や技術は身を助ける 2009年01月18日(日)

  14日の水曜日、朝ベッドから降りた瞬間に左足の親指の付け根に痛みが走った。
その日レッスンが入ったのだが20メートルも行かないうちに私は痛みでまともに歩けなくなってしまった。

翌木曜日、骨折したような痛みが続き病院に行く覚悟を決めかけていた時、トイレで自分の足を眺め叩いてみると腫れはなく負担さえかけなければ叩いても痛くはなかった。
『これは病院ではなく治療院だ』とひらめき、いつものS治療に駆け込んだ。

力強い治療を受け、悲鳴に近いうめき声を上げること1時間。Sさんの的確な施術で私の足は再生し、さらに翌日の金曜日にはアモと原始林へ出かけることまでできた。

が、左足をかばって歩いた負担が右膝や腰にきて結構危うい状態が続いている今日、初めてのゴールデンのお泊りが入った。

そのわんこはハーフチェーンを付けているのだが、引っ張る力はもの凄く、このままでは私の体が壊れてしまいそうだったので夕方の散歩の際はチョークチェーンを使用させていただいた。
おかげで『助かったぁ』という場面が幾度かあり、散歩の後半にはとってもおりこうな歩きをみせてくれるようになった。

道具や技術というのは我が身を助けてくれるものだから、若いうちにちゃんと勉強していて良かったとつくづく思った次第である。

8歳になって初めてのお泊りを経験することになったゴールデンだけど吹雪き始めたガーデンでちゃんとシッコとウンチをして今眠りにつこうとしている。
 

2頭目にまだ幼い仔犬を選ぶのはどうなのか? 2009年01月17日(土)

  長崎塾にある『犬を育て犬と育つ』の全文を読まれた栃木県の那須にお住まいのYさんから以下のご質問をいただいた。

『ところで、お尋ねしたいのは、その”犬を育て、犬と育つ”にあった生まれて間もない子犬を育てると、とてもいい犬になるというお話がずっと心に残っているのですが、これは、先住犬がいる場合は、論外でしょうか?
あくまでも、子犬と飼い主の一対一の関係においてのおはなしなのでしょうか?』

メールでいただいたご質問だけど、この欄をご覧になっておられるとのことなので返事に代えて今夜書いてみようと思った。

質問の趣意は、私が盲導犬に関わっていた頃、例えば未熟児で生まれた仔犬を母犬から離し、深く人間が関わって育て上げるとどういうわけかとても優秀な盲導犬になり、且つそのような経験が他の盲導犬協会のスタッフにもあったことに由来する。

2時間おきの人口哺乳、保温、排泄を促すためお湯に浸した綿花で陰部を刺激すること、時には心肺蘇生も必要なことがあった。
そんな仔犬を離乳食が食べれるようになるまで育てると、人間どうしても愛着が湧いてくるものである。
そんな仔犬は本当に立派に育った。

いろんな犬の専門家が『仔犬は社会性ができる3ヶ月以上を親兄弟と過ごすのが鉄則』みたいなことを言ってるし、獣医の多くもそれに同意しているようだが、私は今でもそれに同意しない。(なんだか今夜の酔いはいつもより重そうなので以下支離滅裂だったらごめんなさい)

獣医を含めた専門家が主張する意図は分かる。
確かに仔犬の社会化期に親兄弟と過ごすのは様々ことを吸収する絶好の機会だし欠如すれば後に問題が起きることだろう。
だがそれはイヌ社会での社会化であってペット社会ではちと違う側面があることを忘れてはならない。
イヌ社会での社会化では優劣や上下関係が重視されるがペット社会でそんなことを競うのは野蛮だし、犬が人を信頼し一目置きそのうえで楽しくともに暮らそうというのはとても自然なことなのだ。

つまり、犬社会で上下関係を学んだ犬に対して人間が威厳ある態度を示して従属させるより、物心ついた時から人間が親であると思い込んでいる刷り込み/インプリンティングされた犬のほうが感性は人間に近くなるということだ。

だが実はそう簡単なことでもない。
親兄弟と育つ社会化期というのは本当に大切な時期で実に多くの事柄を経験し後の生き方に影響する。
あなたはそんな時期に親兄弟に代わって様々な経験や人生訓を仔犬に教えられますか?ということでもある。

私が書いた未熟児や血液型不適合児あるいは飼育放棄された仔犬たちには盲導犬のプロが付き添っていたという現実を重く受け止めて欲しい。
そのうえで『そんな子達は素晴らしい盲導犬になった』と言っているのである。

Yさんの質問に戻ろう。
2頭目にそのような犬を飼うのはどうなのだろうかというものだった。

『2頭目の飼育はとても楽に感じられる』と私はこれまでに書き、だけどそこにとてもやっかいな問題が生じることを論じ、だから結果的に2頭目以降の犬は一頭目のつもりでちゃんと育てないと問題児が多くなると警告してきたつもりである。

だがそれはあくまでも経験的にであり、その傾向と問題点を踏まえたうえで育てられるのならとても素晴らしい経験をされるはずだ。

2頭目にそのような犬を飼っていいかどうかは、2頭目への期待とか1頭目のお相手とかではなく、自分がその意思と時間を持っているかどうかで決められるべきものなのだと感じる。
読み返しても自分の文章が成立しているのかどうか分からなくなってしまっているので今夜はこれでおしまい。
 

チェンジって…自分に向ける言葉だと思う 2009年01月14日(水)

  先程まで冬の嵐が吹き荒れていた外を見ると、東の空にくっきりと八分咲きの月が輝いている。
激しい雪、強風、カミナリそして月。このあとも次から次へと天候は変動していきそうな今宵である。

昨年から今年とレッスンを始めた愛犬を見てみると、まるで今夜の天候のような移り変わりがあるといえるだろう。
依頼主の相談内容は吠える引っ張る咬みつく散歩ができないが主で、最近の傾向として将来的に暮らしやすい愛犬に育てたいのでお知恵拝借という予防教育的な側面がある。

私の説明に対してどちらにも共通しているのが『へー、やっぱり犬ってそんな風に暮らせるんですね』という原点に近い飼い主の共感である。

どういうことかというと、元々犬と暮らし始めた方々は過去のどこかで『愛犬と暮らす』ことに夢だけでなくある種のイメージを持っておられたはずだ。
まるで男女が結婚に胸を膨らませ、マイホームのある生活に夢を描くように。
それが実現し時間が経過すると、『こんなはずじゃなかった』という方向に徐々に向かうケースが多く見られるのだが、少なくとも『愛犬と暮らす』という夢に限れば所期の夢への修正が可能だということである。

結婚生活は相手を変える(代える?)のは容易ではないし、マイホームだってそうそう変える訳にもいかない。
でも愛犬との暮らしは“自分が変化すれば”変えるというか掴むことができる範疇に大いにあるのだ。

普通に愛情を持って育てていれば“夢に描いた愛犬”が育つわけでは決してないことを知っておこう。
犬は犬としての振る舞いをし犬種特性それに親から受け継いだ稟性によって行動する。
それをどう取捨選択しふるいにかけ、伸ばし、受け入れ、排除するかが飼い主には問われているし、相手が人間ではないので胸を張って主張できる権限を有している。

いずれにせよ犬の良いところは少なくとも二つある。
ひとつは人間が普通に育てただけで飼い主を満足させる愛犬に育ち、“夢に描いた愛犬”とはチト違うにしても結果的に幸せな人生を送る確率が高いこと。
もうひとつは、ちょっと頑張って愛犬育てを経験した飼い主に『犬や人を責めるばかりではなく、自分自身を見つめ直し、自らが変化することでも周囲は変わる』という人生哲学を悟らせてくれることである。

年をとると頑固になるというが、確かにそうだと感じる。
犬たちがいるから私はまだ“まとも”な範疇に留まっていられる。
どこが“まとも”かと追求されたら顔を隠さなければならないだろうけど、おかげさまで私は日々犬たちから何かを学んでいるつもりでいられる。
 

アモとの円熟期 2009年01月12日(月)

  今日12日はおめでた3連発。
シーズーのアトムとルパンのアトムが6歳の誕生日。
ラブラドールのももとさくらのさくらが3歳の誕生日。
愛犬アモが我が家にやって来て今日から4年目。
主役の3頭は今日のカフェでなんでもない普通の一日を過ごし、それぞれの飼い主がそれぞれの感慨をそれぞれに抱いていた。

『アモと暮らし始めて丸3年かぁ。』
振り返ってみれば1年目は初期のしつけと前十字靭帯断裂による手術の連続で、2年目がリハビリと本格的なしつけ、そして3年目から全幅の信頼がおけるようになり体調も万全で存分に遊び始めた時期と言えるだろう。

4月が来れば8歳になるアモ。
“思いっきり”の生活ができるのもあと2〜3年だから、私たちの生活の軸足は余程のことがない限りアモにおくことになるだろう。

狂犬病の注射は法律で決められてるから当面は仕方ないにしても、ワクチンについてはそろそろ卒業しても室内家庭犬だから問題はない年齢だ。
まあ看板犬を務めているから防御的にパルボだけはあと1回くらい接種しておいたほうがいいかもしれない。

でもそれで困るのは“ワクチン接種証明書”がないと入れない店舗や施設が存在すること。
何を明確な根拠にしてあんなことやってるんだろう?
『うちの施設はちゃんとしてますよ』というお札というか免罪符にしたいとしか思えない。
そしてそれが常識のように一人歩きしているのが恐ろしい。
年齢別地域別の罹患率や副作用の危険性を天秤にかければ『接種するかどうかは獣医師の意見を聞いたうえで飼い主が判断できる』という原則を無視している。

高齢犬の場合、万が一ワクチンを接種しなかったがために病気になってもすでに免疫があるから軽度で済むだろうし、『中途半端な免疫過信が重大な結果をもたらす』というアドバイスに従って接種した結果、副作用でおかしなことになった方がより大きな後悔を感じると私なら思う。
いずれにせよ飼い主にその判断は委ねられているのだ。

まあ、これからのアモとの生活ではそんなことは軽く流してしまおう。
他にも楽しみたいことがたくさんあるのだから。
ともあれ今日からアモとの生活4年目に入り、それは円熟期であるという喜びでいっぱいである。
 

心配性の私 2009年01月10日(土)

  「3連休の初日だから今日はヒマだよね」
開店準備中にそんな話をKとスタッフMはしていたらしいが、その予想は見事にはずれ結構な賑わいを見せてくれたので、私は喜び二人はキッチンでてんやわんやしていた。
でも多くの常連さんが今日まとめて来られたので、明日からの二日間を心配する私であった。

「黒ラブレオのKさんが盲導犬の繁殖犬を預るかもしれないって書いてありましたよね」と風太の父さん。
「ええ。止めときって言ってたんですけど気持ちは既に固まってるみたいで…」と私。
「何ていう名前の子だか聞いてますか?」
「ええっと…、あ、ボギーとか言ってましたよ」
「やっぱり…」
「え?知ってるんですか?」
「いや、ええ。身体の大きい子で…。ひょっとしたらボギーじゃないのかなって知り合いの犬仲間と話していたんです」

その話しぶりから『ひょっとして結構大変な犬?』と想像してしまった私はそれ以上深く話を聞かなかった。
ここはまあKさんが決めることだし…
今からこちらが心配しても始まらないし…
『でもKさんの年齢と体力で本当に大丈夫なんだろうか?』との思いが再びよぎってしまった。

今日の午後、生後2ヶ月のMシュナウザーの飼育相談があった。
「咬まれて大変なんです」とのことだったが、犬自身に異常な性格は見られず、通常の仔犬時期の咬みが自宅でエスカレートしているのだろうと判断し、食事や排泄それに接し方などについてアドバイスを行った。

心配性でいつも最初はネガティブに考えてしまう私は、Kさんが暮らそうとしている犬もその程度のアドバイスで済めばいいのになぁと願った。
きっといつの日か笑い話になるだろう。
 

Kさん。私は降りかかる火の粉を受け入れるつもりですよ。 2009年01月07日(水)

  トップページ(プロフィール欄)でもご案内したように今月28日(水)は臨時休業とさせていただき29日(木)30日(金)の定休日とあわせて3連休とさせていただきます。

「いつ休みにしようか?」
そんな話題になった今日、トリミングやお泊り犬の予約状況から導き出せたのは28日だけだった。
すぐに私はアモと泊まれる温泉宿に予約の電話を入れて、疲れている現在のKに目先の活路を与え元気の継続を促した。
というわけで、わがままで申し訳ありませんが、我が家3人家族に遅まきのお正月休みをいただきたいと存じます。

さて今日、昨年のある時までカフェの常連でいつも決まった席に黒ラブのレオ君と座っておられたKさんが来店された。
昨年の8月にレオは他界しKさんの来店はめっきり減っていた。
そのKさんが「盲導犬協会の黒ラブで繁殖用のオス犬の面倒をみようかと思ってるんだ」と相談に来られたのだ。

「やめなさい。無理だから」と私は説得した。

盲導犬のボランティアといってもオス犬の繁殖犬は相当に手がかかる部類である。
去勢されておらず、交配が目的の犬だから高齢のKさんには予測不可能で対処できない瞬間が起こりうるというのがその理由だった。

説明が後先になって恐縮だが、オス犬の盲導犬繁殖候補犬というのは実はエリート中のエリート犬でもある。
盲導犬候補のパピーウォーカーという仔犬を育てるボランティアがあるのだが、その中でもとりわけ優秀と判断された犬が繁殖候補犬となり、去勢されず専門の訓練を2歳になる頃まで受けるシステムを私が在籍中に構築した。

そんな犬だから特別におりこうさんであるのは間違いない。
だが、不特定多数のワンちゃんが集まるカフェには相応しくない難しいわんこでもある。
犬たちを見る目の尺度が最初から違っているのだから。

「この店が暇な時にでも連れて来たいんだ」とKさんは私に無理を言う。
「それでも無理は無理だ」と私は拒絶した。

「死んでしまったけど、セラピーをしたレオみたいに役に立てる犬と暮らしたいんだ。」
日頃は自己主張をしないKさんがはっきり主張した。

もはやKさんの気持ちはどうしようもない域に達していると私は感じてしまった。
ならば協力せざるを得ないではないか。

6年目に入ったカフェを見て『なんかおかしい』と戸惑うかもしれないけど、これもその時代に生きた人間の宿命だとご容赦下さい。
 

暮らしやすい仔犬育てのアドバイス満載のカフェでいたい 2009年01月05日(月)

  年末年始と休みなく働いている私たちはちょっと疲れ気味。
今月のどこかでお休みをいただいて身体と心を癒さないことにはどうにもならない年齢でもある。
たぶん中旬以降の水曜日に臨時休業が入ると思いますのでご了承くだされ。
決まり次第お知らせいたします。

さて、この欄をいろんな経路を経てご覧になっている方の中で生後4ヶ月程度の仔犬を飼育されている皆さん。
困ったり悩んでいたり心配なことなどありましたらどんどんカフェにご相談下さい。

実は今日、カフェの常連で私たちに自らの手打ちの年越しそばとお雑煮のお餅まで提供してくださったKさんのお話を伺って私は“やる気”を起こしているのだ。

KさんはMダックスを手に入れる時「今日から念願の仔犬と全身全霊で触れ合える」と嬉々としておられたそうだ。
それがペットショップのスタッフの話を聞くうち盛り上がっていたテンションが下がってしまったという。

・それでなくても下痢気味なのだから仔犬はケージに入れたままで触ってはいけません
・免疫ができるまで外に出したり他犬と接触させてはいけません
というような話だったらしい。

「何も知らない私たちですから言われるままにしました。今になって思えば“人と犬の関係ではなく目先の仔犬の健康状態だけを重視していた”のですね」
鋭い指摘である。
生きているのだから健康状態は変化して当然。
原因が分かっていれば安心であり、変化させない接し方ばかりにこだわるのは実験室の動物たち。

私たちの今の社会は何かがおかしい。
子供が事故に遭ったら遊具が使えなくなるし、施設が閉鎖されるし、池や崖にはフェンスが張り巡らされる。
当事者の気持ちは分かるし、その指摘によってさらに安全な遊具や施設へと変貌する意義も分からなくはない。
だが、同時に危機体験の引継ぎから芽生える護身本能とかが失われ結果的にはクレーム意識に転化・変貌する様をずっと見てきたように思う。

言っちゃ悪いが犬の飼育が人間の子供のそれと同期化されちゃマズイだろ。

・あなたが大人なら、仔犬が来た時には思いっきり抱きしめて「よろしくね」って伝え、めちゃめちゃ遊んじゃえばいい
・子供がしつこく仔犬に絡んでいたら『やめなさい!おもちゃじゃないんだよ』と人間教育を始めればいい
・下痢をしたなら『興奮させすぎちゃったかしら。』と明日に生かせばいい。
それでなお無知が原因で仔犬を死なせる人間は自身を責め続けるがいい。
後悔する人間には明日があるし、何とも思わない人間に明日はない。

そんなことより人が学び犬に教えることが他にたくさんある。
亀が産んだ卵が孵化し無事海にたどり着くまでと、その後成熟するまでの生存率と犬とを比較してとやかく言っても仕方ない。

無知が原因で死にまで至らせたなら後悔せよ。
だがそれを恐れて責任逃れな依存をせず、目の前にある自らが求め続けた命に自身の判断で対処せよ。
航路を見失いかけた時には灯台としてのドッグカフェナガサキがあることを思い出して欲しい。

信じられない専門家がたくさん存在する犬社会だけど、信頼されるカフェであり続けたいといつも以上に気持ちを新たにしている。
 


- Web Diary ver 1.26 -