From the North Country

知識や技術は身を助ける 2009年01月18日(日)

  14日の水曜日、朝ベッドから降りた瞬間に左足の親指の付け根に痛みが走った。
その日レッスンが入ったのだが20メートルも行かないうちに私は痛みでまともに歩けなくなってしまった。

翌木曜日、骨折したような痛みが続き病院に行く覚悟を決めかけていた時、トイレで自分の足を眺め叩いてみると腫れはなく負担さえかけなければ叩いても痛くはなかった。
『これは病院ではなく治療院だ』とひらめき、いつものS治療に駆け込んだ。

力強い治療を受け、悲鳴に近いうめき声を上げること1時間。Sさんの的確な施術で私の足は再生し、さらに翌日の金曜日にはアモと原始林へ出かけることまでできた。

が、左足をかばって歩いた負担が右膝や腰にきて結構危うい状態が続いている今日、初めてのゴールデンのお泊りが入った。

そのわんこはハーフチェーンを付けているのだが、引っ張る力はもの凄く、このままでは私の体が壊れてしまいそうだったので夕方の散歩の際はチョークチェーンを使用させていただいた。
おかげで『助かったぁ』という場面が幾度かあり、散歩の後半にはとってもおりこうな歩きをみせてくれるようになった。

道具や技術というのは我が身を助けてくれるものだから、若いうちにちゃんと勉強していて良かったとつくづく思った次第である。

8歳になって初めてのお泊りを経験することになったゴールデンだけど吹雪き始めたガーデンでちゃんとシッコとウンチをして今眠りにつこうとしている。
 

2頭目にまだ幼い仔犬を選ぶのはどうなのか? 2009年01月17日(土)

  長崎塾にある『犬を育て犬と育つ』の全文を読まれた栃木県の那須にお住まいのYさんから以下のご質問をいただいた。

『ところで、お尋ねしたいのは、その”犬を育て、犬と育つ”にあった生まれて間もない子犬を育てると、とてもいい犬になるというお話がずっと心に残っているのですが、これは、先住犬がいる場合は、論外でしょうか?
あくまでも、子犬と飼い主の一対一の関係においてのおはなしなのでしょうか?』

メールでいただいたご質問だけど、この欄をご覧になっておられるとのことなので返事に代えて今夜書いてみようと思った。

質問の趣意は、私が盲導犬に関わっていた頃、例えば未熟児で生まれた仔犬を母犬から離し、深く人間が関わって育て上げるとどういうわけかとても優秀な盲導犬になり、且つそのような経験が他の盲導犬協会のスタッフにもあったことに由来する。

2時間おきの人口哺乳、保温、排泄を促すためお湯に浸した綿花で陰部を刺激すること、時には心肺蘇生も必要なことがあった。
そんな仔犬を離乳食が食べれるようになるまで育てると、人間どうしても愛着が湧いてくるものである。
そんな仔犬は本当に立派に育った。

いろんな犬の専門家が『仔犬は社会性ができる3ヶ月以上を親兄弟と過ごすのが鉄則』みたいなことを言ってるし、獣医の多くもそれに同意しているようだが、私は今でもそれに同意しない。(なんだか今夜の酔いはいつもより重そうなので以下支離滅裂だったらごめんなさい)

獣医を含めた専門家が主張する意図は分かる。
確かに仔犬の社会化期に親兄弟と過ごすのは様々ことを吸収する絶好の機会だし欠如すれば後に問題が起きることだろう。
だがそれはイヌ社会での社会化であってペット社会ではちと違う側面があることを忘れてはならない。
イヌ社会での社会化では優劣や上下関係が重視されるがペット社会でそんなことを競うのは野蛮だし、犬が人を信頼し一目置きそのうえで楽しくともに暮らそうというのはとても自然なことなのだ。

つまり、犬社会で上下関係を学んだ犬に対して人間が威厳ある態度を示して従属させるより、物心ついた時から人間が親であると思い込んでいる刷り込み/インプリンティングされた犬のほうが感性は人間に近くなるということだ。

だが実はそう簡単なことでもない。
親兄弟と育つ社会化期というのは本当に大切な時期で実に多くの事柄を経験し後の生き方に影響する。
あなたはそんな時期に親兄弟に代わって様々な経験や人生訓を仔犬に教えられますか?ということでもある。

私が書いた未熟児や血液型不適合児あるいは飼育放棄された仔犬たちには盲導犬のプロが付き添っていたという現実を重く受け止めて欲しい。
そのうえで『そんな子達は素晴らしい盲導犬になった』と言っているのである。

Yさんの質問に戻ろう。
2頭目にそのような犬を飼うのはどうなのだろうかというものだった。

『2頭目の飼育はとても楽に感じられる』と私はこれまでに書き、だけどそこにとてもやっかいな問題が生じることを論じ、だから結果的に2頭目以降の犬は一頭目のつもりでちゃんと育てないと問題児が多くなると警告してきたつもりである。

だがそれはあくまでも経験的にであり、その傾向と問題点を踏まえたうえで育てられるのならとても素晴らしい経験をされるはずだ。

2頭目にそのような犬を飼っていいかどうかは、2頭目への期待とか1頭目のお相手とかではなく、自分がその意思と時間を持っているかどうかで決められるべきものなのだと感じる。
読み返しても自分の文章が成立しているのかどうか分からなくなってしまっているので今夜はこれでおしまい。
 

チェンジって…自分に向ける言葉だと思う 2009年01月14日(水)

  先程まで冬の嵐が吹き荒れていた外を見ると、東の空にくっきりと八分咲きの月が輝いている。
激しい雪、強風、カミナリそして月。このあとも次から次へと天候は変動していきそうな今宵である。

昨年から今年とレッスンを始めた愛犬を見てみると、まるで今夜の天候のような移り変わりがあるといえるだろう。
依頼主の相談内容は吠える引っ張る咬みつく散歩ができないが主で、最近の傾向として将来的に暮らしやすい愛犬に育てたいのでお知恵拝借という予防教育的な側面がある。

私の説明に対してどちらにも共通しているのが『へー、やっぱり犬ってそんな風に暮らせるんですね』という原点に近い飼い主の共感である。

どういうことかというと、元々犬と暮らし始めた方々は過去のどこかで『愛犬と暮らす』ことに夢だけでなくある種のイメージを持っておられたはずだ。
まるで男女が結婚に胸を膨らませ、マイホームのある生活に夢を描くように。
それが実現し時間が経過すると、『こんなはずじゃなかった』という方向に徐々に向かうケースが多く見られるのだが、少なくとも『愛犬と暮らす』という夢に限れば所期の夢への修正が可能だということである。

結婚生活は相手を変える(代える?)のは容易ではないし、マイホームだってそうそう変える訳にもいかない。
でも愛犬との暮らしは“自分が変化すれば”変えるというか掴むことができる範疇に大いにあるのだ。

普通に愛情を持って育てていれば“夢に描いた愛犬”が育つわけでは決してないことを知っておこう。
犬は犬としての振る舞いをし犬種特性それに親から受け継いだ稟性によって行動する。
それをどう取捨選択しふるいにかけ、伸ばし、受け入れ、排除するかが飼い主には問われているし、相手が人間ではないので胸を張って主張できる権限を有している。

いずれにせよ犬の良いところは少なくとも二つある。
ひとつは人間が普通に育てただけで飼い主を満足させる愛犬に育ち、“夢に描いた愛犬”とはチト違うにしても結果的に幸せな人生を送る確率が高いこと。
もうひとつは、ちょっと頑張って愛犬育てを経験した飼い主に『犬や人を責めるばかりではなく、自分自身を見つめ直し、自らが変化することでも周囲は変わる』という人生哲学を悟らせてくれることである。

年をとると頑固になるというが、確かにそうだと感じる。
犬たちがいるから私はまだ“まとも”な範疇に留まっていられる。
どこが“まとも”かと追求されたら顔を隠さなければならないだろうけど、おかげさまで私は日々犬たちから何かを学んでいるつもりでいられる。
 

アモとの円熟期 2009年01月12日(月)

  今日12日はおめでた3連発。
シーズーのアトムとルパンのアトムが6歳の誕生日。
ラブラドールのももとさくらのさくらが3歳の誕生日。
愛犬アモが我が家にやって来て今日から4年目。
主役の3頭は今日のカフェでなんでもない普通の一日を過ごし、それぞれの飼い主がそれぞれの感慨をそれぞれに抱いていた。

『アモと暮らし始めて丸3年かぁ。』
振り返ってみれば1年目は初期のしつけと前十字靭帯断裂による手術の連続で、2年目がリハビリと本格的なしつけ、そして3年目から全幅の信頼がおけるようになり体調も万全で存分に遊び始めた時期と言えるだろう。

4月が来れば8歳になるアモ。
“思いっきり”の生活ができるのもあと2〜3年だから、私たちの生活の軸足は余程のことがない限りアモにおくことになるだろう。

狂犬病の注射は法律で決められてるから当面は仕方ないにしても、ワクチンについてはそろそろ卒業しても室内家庭犬だから問題はない年齢だ。
まあ看板犬を務めているから防御的にパルボだけはあと1回くらい接種しておいたほうがいいかもしれない。

でもそれで困るのは“ワクチン接種証明書”がないと入れない店舗や施設が存在すること。
何を明確な根拠にしてあんなことやってるんだろう?
『うちの施設はちゃんとしてますよ』というお札というか免罪符にしたいとしか思えない。
そしてそれが常識のように一人歩きしているのが恐ろしい。
年齢別地域別の罹患率や副作用の危険性を天秤にかければ『接種するかどうかは獣医師の意見を聞いたうえで飼い主が判断できる』という原則を無視している。

高齢犬の場合、万が一ワクチンを接種しなかったがために病気になってもすでに免疫があるから軽度で済むだろうし、『中途半端な免疫過信が重大な結果をもたらす』というアドバイスに従って接種した結果、副作用でおかしなことになった方がより大きな後悔を感じると私なら思う。
いずれにせよ飼い主にその判断は委ねられているのだ。

まあ、これからのアモとの生活ではそんなことは軽く流してしまおう。
他にも楽しみたいことがたくさんあるのだから。
ともあれ今日からアモとの生活4年目に入り、それは円熟期であるという喜びでいっぱいである。
 

心配性の私 2009年01月10日(土)

  「3連休の初日だから今日はヒマだよね」
開店準備中にそんな話をKとスタッフMはしていたらしいが、その予想は見事にはずれ結構な賑わいを見せてくれたので、私は喜び二人はキッチンでてんやわんやしていた。
でも多くの常連さんが今日まとめて来られたので、明日からの二日間を心配する私であった。

「黒ラブレオのKさんが盲導犬の繁殖犬を預るかもしれないって書いてありましたよね」と風太の父さん。
「ええ。止めときって言ってたんですけど気持ちは既に固まってるみたいで…」と私。
「何ていう名前の子だか聞いてますか?」
「ええっと…、あ、ボギーとか言ってましたよ」
「やっぱり…」
「え?知ってるんですか?」
「いや、ええ。身体の大きい子で…。ひょっとしたらボギーじゃないのかなって知り合いの犬仲間と話していたんです」

その話しぶりから『ひょっとして結構大変な犬?』と想像してしまった私はそれ以上深く話を聞かなかった。
ここはまあKさんが決めることだし…
今からこちらが心配しても始まらないし…
『でもKさんの年齢と体力で本当に大丈夫なんだろうか?』との思いが再びよぎってしまった。

今日の午後、生後2ヶ月のMシュナウザーの飼育相談があった。
「咬まれて大変なんです」とのことだったが、犬自身に異常な性格は見られず、通常の仔犬時期の咬みが自宅でエスカレートしているのだろうと判断し、食事や排泄それに接し方などについてアドバイスを行った。

心配性でいつも最初はネガティブに考えてしまう私は、Kさんが暮らそうとしている犬もその程度のアドバイスで済めばいいのになぁと願った。
きっといつの日か笑い話になるだろう。
 

Kさん。私は降りかかる火の粉を受け入れるつもりですよ。 2009年01月07日(水)

  トップページ(プロフィール欄)でもご案内したように今月28日(水)は臨時休業とさせていただき29日(木)30日(金)の定休日とあわせて3連休とさせていただきます。

「いつ休みにしようか?」
そんな話題になった今日、トリミングやお泊り犬の予約状況から導き出せたのは28日だけだった。
すぐに私はアモと泊まれる温泉宿に予約の電話を入れて、疲れている現在のKに目先の活路を与え元気の継続を促した。
というわけで、わがままで申し訳ありませんが、我が家3人家族に遅まきのお正月休みをいただきたいと存じます。

さて今日、昨年のある時までカフェの常連でいつも決まった席に黒ラブのレオ君と座っておられたKさんが来店された。
昨年の8月にレオは他界しKさんの来店はめっきり減っていた。
そのKさんが「盲導犬協会の黒ラブで繁殖用のオス犬の面倒をみようかと思ってるんだ」と相談に来られたのだ。

「やめなさい。無理だから」と私は説得した。

盲導犬のボランティアといってもオス犬の繁殖犬は相当に手がかかる部類である。
去勢されておらず、交配が目的の犬だから高齢のKさんには予測不可能で対処できない瞬間が起こりうるというのがその理由だった。

説明が後先になって恐縮だが、オス犬の盲導犬繁殖候補犬というのは実はエリート中のエリート犬でもある。
盲導犬候補のパピーウォーカーという仔犬を育てるボランティアがあるのだが、その中でもとりわけ優秀と判断された犬が繁殖候補犬となり、去勢されず専門の訓練を2歳になる頃まで受けるシステムを私が在籍中に構築した。

そんな犬だから特別におりこうさんであるのは間違いない。
だが、不特定多数のワンちゃんが集まるカフェには相応しくない難しいわんこでもある。
犬たちを見る目の尺度が最初から違っているのだから。

「この店が暇な時にでも連れて来たいんだ」とKさんは私に無理を言う。
「それでも無理は無理だ」と私は拒絶した。

「死んでしまったけど、セラピーをしたレオみたいに役に立てる犬と暮らしたいんだ。」
日頃は自己主張をしないKさんがはっきり主張した。

もはやKさんの気持ちはどうしようもない域に達していると私は感じてしまった。
ならば協力せざるを得ないではないか。

6年目に入ったカフェを見て『なんかおかしい』と戸惑うかもしれないけど、これもその時代に生きた人間の宿命だとご容赦下さい。
 

暮らしやすい仔犬育てのアドバイス満載のカフェでいたい 2009年01月05日(月)

  年末年始と休みなく働いている私たちはちょっと疲れ気味。
今月のどこかでお休みをいただいて身体と心を癒さないことにはどうにもならない年齢でもある。
たぶん中旬以降の水曜日に臨時休業が入ると思いますのでご了承くだされ。
決まり次第お知らせいたします。

さて、この欄をいろんな経路を経てご覧になっている方の中で生後4ヶ月程度の仔犬を飼育されている皆さん。
困ったり悩んでいたり心配なことなどありましたらどんどんカフェにご相談下さい。

実は今日、カフェの常連で私たちに自らの手打ちの年越しそばとお雑煮のお餅まで提供してくださったKさんのお話を伺って私は“やる気”を起こしているのだ。

KさんはMダックスを手に入れる時「今日から念願の仔犬と全身全霊で触れ合える」と嬉々としておられたそうだ。
それがペットショップのスタッフの話を聞くうち盛り上がっていたテンションが下がってしまったという。

・それでなくても下痢気味なのだから仔犬はケージに入れたままで触ってはいけません
・免疫ができるまで外に出したり他犬と接触させてはいけません
というような話だったらしい。

「何も知らない私たちですから言われるままにしました。今になって思えば“人と犬の関係ではなく目先の仔犬の健康状態だけを重視していた”のですね」
鋭い指摘である。
生きているのだから健康状態は変化して当然。
原因が分かっていれば安心であり、変化させない接し方ばかりにこだわるのは実験室の動物たち。

私たちの今の社会は何かがおかしい。
子供が事故に遭ったら遊具が使えなくなるし、施設が閉鎖されるし、池や崖にはフェンスが張り巡らされる。
当事者の気持ちは分かるし、その指摘によってさらに安全な遊具や施設へと変貌する意義も分からなくはない。
だが、同時に危機体験の引継ぎから芽生える護身本能とかが失われ結果的にはクレーム意識に転化・変貌する様をずっと見てきたように思う。

言っちゃ悪いが犬の飼育が人間の子供のそれと同期化されちゃマズイだろ。

・あなたが大人なら、仔犬が来た時には思いっきり抱きしめて「よろしくね」って伝え、めちゃめちゃ遊んじゃえばいい
・子供がしつこく仔犬に絡んでいたら『やめなさい!おもちゃじゃないんだよ』と人間教育を始めればいい
・下痢をしたなら『興奮させすぎちゃったかしら。』と明日に生かせばいい。
それでなお無知が原因で仔犬を死なせる人間は自身を責め続けるがいい。
後悔する人間には明日があるし、何とも思わない人間に明日はない。

そんなことより人が学び犬に教えることが他にたくさんある。
亀が産んだ卵が孵化し無事海にたどり着くまでと、その後成熟するまでの生存率と犬とを比較してとやかく言っても仕方ない。

無知が原因で死にまで至らせたなら後悔せよ。
だがそれを恐れて責任逃れな依存をせず、目の前にある自らが求め続けた命に自身の判断で対処せよ。
航路を見失いかけた時には灯台としてのドッグカフェナガサキがあることを思い出して欲しい。

信じられない専門家がたくさん存在する犬社会だけど、信頼されるカフェであり続けたいといつも以上に気持ちを新たにしている。
 

それでも『ことよろ』な気分 2009年01月04日(日)

  2009年カフェオープン!

久しぶりの開店だったので手際が悪い。
いやKやスタッフのことではなく私自身のこと。
Kは2日から仕込みを始めていたから手抜かりはないのに私はどこを掃除したり除雪するかしないかの判断ができずにいた。
斜路を歩くと滑って転びそうになるから砂利を撒いて駐車場に車が入れるようにしたり、テーブルの配置やメニューが去年のままなのを後悔したり、ゴンタの排泄のための散歩をしているうちに今年の営業が始まってしまっていた。

それでもありがたいことに“全100パーセント”常連のお客様での開店の日を迎えることができ、少々の手違いなど意に介さないおおらかさに助けていただいた。

正月早々の話。
「うちのわんこは変人だから咬むよ」って言ってるのに「何言ってんだ。犬はこうやって扱えばいいんだよ」と調子に乗っているうち本当に指に穴が開くほど咬まれてしまったチワワの親戚の話があったり、休み期間中にアウトドアを楽しんだ報告もあれば、「ああストレス溜まりまくり!」と単身赴任から帰宅した亭主に翻弄されている主婦の愚痴も聞けたりと皆さんそれぞれにこの年末年始だけでも様々な出来事があったようだ。

「言いたくはないけど、年末から毎日豆ばっかり食べてるよね」
ズバリKが私に言った言葉だ。
意識しながら食べていたつもりの私にはズキンときた。
元旦にアモと出かけた三里塚神社では商売繁盛・家内安全をちゃんと祈願してきた。
腹がどんどん出ているのも自覚しているからこその祈願であったのに、追い討ちをかけられた割り切れない気分だった。

すると三里塚の神様は私の反発をすぐに受け入れて、その証を私の目の前で見せてくれたのだ。
なんとKが斜路の氷に足をとられてものの見事にスッテンコロリンとこけてしまったのである。

『天罰来たり!』と一瞬思わないでもいたが、今日の忙しい一日を終えたKが「首の辺りが痛いよ」と切なく言うものだから、私は自責の念と『神様、あんたやり過ぎだろ』と反抗心を覚えている。

Kの首の辺りと背中をマッサージし、あったかいお風呂に入れてシップし回復を祈る。
「ごめん。悪かったのは僕のほうだよ」

反省と後悔からの一年が始まった。
 

カフェの一年の計 2009年01月02日(金)

  あっという間に年末年始が駆け抜けていく。
1年の総括も元旦の計もあったものじゃない。
そんな日常に一旦ストップをかけ、改めてスタートする日々であるはずなのに。

お泊り犬の健康状態はどうなのか
遊びの時間以外に要求してくる接触をどこまで許容してよいのか
今日はどんなご馳走を食べさせてあげようか
『ボクは家族だから特別だよね』と主張するアモをどう満足させてあげられるか

私がそんなことを考え実行しているうちに時間が過ぎ去り、Kは私の判断に振り回されながらもケーキを焼きカレーやミートソースを仕込んでそれでも僅かな自分の時間を楽しんでいてくれる。

気がつけば自分たちの充分な時間もないまま正月が開けるのを待っているようだ。
だけど不満はない。それが現在の私たちが選択した生き方だから。

今月のどこかお泊り犬がいない日に私たちの正月を取ろうと思っている。
『食事・温泉・アモとの楽しみ』がキーワードになろう。

4日からカフェは新年の営業を始めるが、今年もあちこちに出かけて情報収集を行い、お客様から寄せられた意見をうまくまとめながら筋の通った情報発信をしていきたいと思っている。

兵庫に住む兄嫁が私の仕事に触発されてドッグカフェに行ったらしい。
“臭い汚いうるさい”と感じたそうで、そうではないドッグカフェナガサキがどんなカフェなのか興味をもってくれたらしい。
その気持ちに恥じないカフェを今年もまた維持していきたい。

ドッグカフェナガサキのことは『お利口なワンちゃんが集まるカフェ』と評されているようだが『愛犬をお利口にさせたい飼い主が集まっているカフェ』という現実を今年はさらに強調しておこうと思う。

ま、そんなとこで皆さんなりの感想を踏まえて素敵な飼い主さんをご紹介下されば嬉しく思います。
 

くる年 2009年01月01日(木)

  行く年が終わり、皆様新年明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりありがとうございました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

なんと穏やかで暖かで晴れたお正月だったでしょうか。
新年の挨拶もそこそこにお泊り犬たちとガーデンに飛び出した私たちは初日の出の眩しさに心躍りながら「シーシーシーシー、ベンベンベンベン」の言葉で一年をスタートさせた。
皆、快便であったのがなによりだ。

正月早々怒鳴りたくはなかったが、マテをしなかったMダックスのモナカを叱り、ハスキーのチェスに吠え掛かったEコッカーのシナモンに鉄槌を下した。
Kが作ってくれたお雑煮はお餅の美味さも相まって最高の食べ初めの逸品となり、年に一度の朝酒を身体の芯から堪能させていただいた。

いつもと違う雰囲気を感じ取っている犬たちは『えっ!またおやつくれるの?」とその時ばかりはうきうきして忠実なしもべに変身くれている。

「アモ、初詣に行くか」
お昼頃に私が声をかけた。
三里塚神社までの道のりをアモは新雪の上でごろんごろんしながらはしゃいでいた。
黙っていても交差点では立ち止まって私の指示を待ち、人や車が見えたらすぐに私の傍に戻ってあたかもリードで繋がれているように演じてくれる。

今年も良い一年になりそうだ。

さあ、そろそろ夕方。Kと手分けしながら明るいうちにみんなを散歩に連れて行こう。
ちょっと酔いが残っているけど今日は1月1日。
新たな気持ちをわんこたちに伝えながら歩いて来ようと思う。

きわどい社会情勢だけどお互いを意識し支えながらみんな笑顔で切り開けたら…
みんな頑張ってるけど、一緒だともっと頑張れる。
わんこ力が今年は役に立ちそうだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -