From the North Country

それでも『ことよろ』な気分 2009年01月04日(日)

  2009年カフェオープン!

久しぶりの開店だったので手際が悪い。
いやKやスタッフのことではなく私自身のこと。
Kは2日から仕込みを始めていたから手抜かりはないのに私はどこを掃除したり除雪するかしないかの判断ができずにいた。
斜路を歩くと滑って転びそうになるから砂利を撒いて駐車場に車が入れるようにしたり、テーブルの配置やメニューが去年のままなのを後悔したり、ゴンタの排泄のための散歩をしているうちに今年の営業が始まってしまっていた。

それでもありがたいことに“全100パーセント”常連のお客様での開店の日を迎えることができ、少々の手違いなど意に介さないおおらかさに助けていただいた。

正月早々の話。
「うちのわんこは変人だから咬むよ」って言ってるのに「何言ってんだ。犬はこうやって扱えばいいんだよ」と調子に乗っているうち本当に指に穴が開くほど咬まれてしまったチワワの親戚の話があったり、休み期間中にアウトドアを楽しんだ報告もあれば、「ああストレス溜まりまくり!」と単身赴任から帰宅した亭主に翻弄されている主婦の愚痴も聞けたりと皆さんそれぞれにこの年末年始だけでも様々な出来事があったようだ。

「言いたくはないけど、年末から毎日豆ばっかり食べてるよね」
ズバリKが私に言った言葉だ。
意識しながら食べていたつもりの私にはズキンときた。
元旦にアモと出かけた三里塚神社では商売繁盛・家内安全をちゃんと祈願してきた。
腹がどんどん出ているのも自覚しているからこその祈願であったのに、追い討ちをかけられた割り切れない気分だった。

すると三里塚の神様は私の反発をすぐに受け入れて、その証を私の目の前で見せてくれたのだ。
なんとKが斜路の氷に足をとられてものの見事にスッテンコロリンとこけてしまったのである。

『天罰来たり!』と一瞬思わないでもいたが、今日の忙しい一日を終えたKが「首の辺りが痛いよ」と切なく言うものだから、私は自責の念と『神様、あんたやり過ぎだろ』と反抗心を覚えている。

Kの首の辺りと背中をマッサージし、あったかいお風呂に入れてシップし回復を祈る。
「ごめん。悪かったのは僕のほうだよ」

反省と後悔からの一年が始まった。
 

カフェの一年の計 2009年01月02日(金)

  あっという間に年末年始が駆け抜けていく。
1年の総括も元旦の計もあったものじゃない。
そんな日常に一旦ストップをかけ、改めてスタートする日々であるはずなのに。

お泊り犬の健康状態はどうなのか
遊びの時間以外に要求してくる接触をどこまで許容してよいのか
今日はどんなご馳走を食べさせてあげようか
『ボクは家族だから特別だよね』と主張するアモをどう満足させてあげられるか

私がそんなことを考え実行しているうちに時間が過ぎ去り、Kは私の判断に振り回されながらもケーキを焼きカレーやミートソースを仕込んでそれでも僅かな自分の時間を楽しんでいてくれる。

気がつけば自分たちの充分な時間もないまま正月が開けるのを待っているようだ。
だけど不満はない。それが現在の私たちが選択した生き方だから。

今月のどこかお泊り犬がいない日に私たちの正月を取ろうと思っている。
『食事・温泉・アモとの楽しみ』がキーワードになろう。

4日からカフェは新年の営業を始めるが、今年もあちこちに出かけて情報収集を行い、お客様から寄せられた意見をうまくまとめながら筋の通った情報発信をしていきたいと思っている。

兵庫に住む兄嫁が私の仕事に触発されてドッグカフェに行ったらしい。
“臭い汚いうるさい”と感じたそうで、そうではないドッグカフェナガサキがどんなカフェなのか興味をもってくれたらしい。
その気持ちに恥じないカフェを今年もまた維持していきたい。

ドッグカフェナガサキのことは『お利口なワンちゃんが集まるカフェ』と評されているようだが『愛犬をお利口にさせたい飼い主が集まっているカフェ』という現実を今年はさらに強調しておこうと思う。

ま、そんなとこで皆さんなりの感想を踏まえて素敵な飼い主さんをご紹介下されば嬉しく思います。
 

くる年 2009年01月01日(木)

  行く年が終わり、皆様新年明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりありがとうございました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

なんと穏やかで暖かで晴れたお正月だったでしょうか。
新年の挨拶もそこそこにお泊り犬たちとガーデンに飛び出した私たちは初日の出の眩しさに心躍りながら「シーシーシーシー、ベンベンベンベン」の言葉で一年をスタートさせた。
皆、快便であったのがなによりだ。

正月早々怒鳴りたくはなかったが、マテをしなかったMダックスのモナカを叱り、ハスキーのチェスに吠え掛かったEコッカーのシナモンに鉄槌を下した。
Kが作ってくれたお雑煮はお餅の美味さも相まって最高の食べ初めの逸品となり、年に一度の朝酒を身体の芯から堪能させていただいた。

いつもと違う雰囲気を感じ取っている犬たちは『えっ!またおやつくれるの?」とその時ばかりはうきうきして忠実なしもべに変身くれている。

「アモ、初詣に行くか」
お昼頃に私が声をかけた。
三里塚神社までの道のりをアモは新雪の上でごろんごろんしながらはしゃいでいた。
黙っていても交差点では立ち止まって私の指示を待ち、人や車が見えたらすぐに私の傍に戻ってあたかもリードで繋がれているように演じてくれる。

今年も良い一年になりそうだ。

さあ、そろそろ夕方。Kと手分けしながら明るいうちにみんなを散歩に連れて行こう。
ちょっと酔いが残っているけど今日は1月1日。
新たな気持ちをわんこたちに伝えながら歩いて来ようと思う。

きわどい社会情勢だけどお互いを意識し支えながらみんな笑顔で切り開けたら…
みんな頑張ってるけど、一緒だともっと頑張れる。
わんこ力が今年は役に立ちそうだ。
 

2008年カフェの営業無事終了! 2008年12月28日(日)

  昨日今日とカフェを訪ねてくださった皆さん、今年1年を支えてくださったたくさんの皆さん、ありがとうございました。
おかげさまで今年も楽しい時間を過ごすことができました。
そしてカフェは予想もしていなかった6年目に入っています。
スタッフ一同、心より感謝申し上げます。

さて、去年の29日には大雨が降ったとこの欄に書いてあったが、今年はクリスマスの夜にカミナリ付きの猛吹雪となり、一昨日は朝の8時から3時まで重たい雪の除雪作業に追われた。
ガーデンの吹き溜まりでは80センチ程の雪があって除雪前に『はて、どうしたものか』と、しばらく考え込んでしまった。

最初に降った雪は除雪せず踏み固めるのが正しい冬の迎え方であるが、あれだけ一気に降られるとそうもいかない。
案の定、一旦踏み固められた雪の上に積もったわけではないので駐車場もガーデンも凹凸の激しい散々な状態になってしまった。

7時間働いた後に残る空しさだった。
おまけに手作業が多く、柔らかい雪に埋まってしまうガロアラシ号を人力で脱出させたりの連続だったので身体中が悲鳴を上げていた。

「里塚温泉行っといで」
お泊り犬がいたこともありKの言葉に甘えて初めてひとりで里塚温泉に向かったのだが、ハンドルを持つ両手の指が途中から攣り始めどうなることかと思った。

そして今日。つまり除雪作業を7時間も行った2日後…
同輩ならお分かりだと思うが最も身体に痛みが現れる2日後を迎えた。

里塚温泉恐るべし。温泉ヨガ万歳!
昨日よりずっと痛みもなく身体はなんともなかったのだ。
医療費抑制にはやっぱり温泉がいい。
『今日も元気だ里塚温泉』
『恥を忍んで温泉ヨガ』

あんな嵐があと2〜3回はあるだろうが頑張れる気がした。
因みに「あの日だけで150台の除雪機が売れました」と宗一郎の父さんが教えてくれた。

「肝心な時に居ないんだから」
本州での単身赴任から昨日今日帰札した数人の父さんたちは、自分に責任があるわけでもない家族から非難の言葉をニコニコしながら聞いておられた。

ともあれそれぞれの1年の仕事納めだ。
皆さん、お疲れ様でした。
 

メリークリスマス 2008年12月25日(木)

  ついにドカ雪がやって来た。

日付けが変わる前、お泊り犬たちをトイレに出すと湿った雪が一面を覆っていた。
力を込めて除雪しながら空を見ると星が輝いているのに驚きを感じた。
ガーデンに残っていた平均台は除雪機の邪魔になるから、越冬の為タイミングを見計らって隣の空き地に移動させる予定でいたが、今夜がその時だと感じたのでひとり汗をかきながらソリのように滑らせ、ブルーシートをかぶせた。

汗を拭いて着替えを済ませ、この欄に向かいながら神経を研ぎ澄ました途端ゴロゴロとカミナリが鳴った。
窓を開けて外を見ると荒れに荒れた冬の嵐がそこにあった。
もう湿った雪などではなく乾燥した吹雪が襲い掛かり、私は瞬時に窓を閉めるしかなかった。

あの星空が分水嶺だったようだ。

テレビでは小田和正が魂を凝縮させたような独特の歌詞とメロディーを奏でている。
人生の分岐点を思い出したのか歌詞に共感しているのか女性たちが涙しながら聞き入っている。

今夜はクリスマス。
そして明日もカフェは定休日。
とんでもない積雪が待っているようだし、除雪のことを考えると笑顔なんて変かもしれない。
でも、なんかいい感じで夜更かしができそうだ。
 

2008年クリスマスイブ 2008年12月24日(水)

  盲導犬の繁殖犬でKの愛犬でもありカフェの初代看板犬だったスーが亡くなってから昨日で4年が経った。
悪性リンパ腫の診断を受け、余命期間を過ぎて闘病生活を覚悟し始めた矢先のあっけない突然の死だった。

あの日、普段と変わりないスーと共に最後のお客様をガーデンに出てお見送りしてカフェに戻り、片付けのため私がテーブルに椅子を上げ、Kが食器を洗い始めた直後にスーが倒れた。
Kはスーを懐に抱きかかえ、スーが感じていたであろう死への不安と恐怖をかき消すようように『一緒だよ。いつも一緒だからね』という想いをこめて抱きしめ、スーはあっという間に逝ってしまった。

あの時を思い出せば悲しいけれど、4年という時間が楽しかったことばかりを蘇らせてくれている。

もうこの話は今夜はよそう。
クリスマスが近づくたびにふたりで語り合えるのだから。

「24日に迎えに行きます」
Hさんのメールどおり我が家の居候犬ジェニーとチビは引き取られていった。

オーストリアから帰国したばかりのHさんは一層スマートになっているように私には思えたが、ジェニーとチビはそんなのお構い無しに身体ごとぶつかって喜びを表していた。
私にできたのは『まず、チビに会わせて、それからジェニー』というようにチワワのチビがレオンベルガーのジェニーに踏み潰されないよう配慮することだけだった。

「落馬した後遺症で下を向くとめまいがするの」
HさんがKに漏らしていたそうだが、
『そんなの知るかい!』というのが私の感想である。
はてさて、どんな旅だったのかはそのうちおいおいと分かることだろう。

スーとジェニーを連れて苫小牧の海辺に出かけた日のことを思い出した。
年の瀬になると浮かぶのは、ああ、思い出ばかり。

来年の思い出に浮かぶように今夜記すことがある。
2008年12月24日クリスマスイブの深夜なのに、札幌の外は雨である。
 

2008年の遅い根雪 2008年12月21日(日)

  夜中になっても地味〜に降り続いている細かい雪。
明日から1週間の予想気温を考えれば今度こそこれが根雪になるのは間違いなさそうだ。
ようやく本格的な白銀の世界がやってきた。

夕方の散歩は雪明りでもう懐中電灯がいらなくなる。
帰ってきても犬たちの足裏が汚れていないから身体洗いの大仕事がなくなる。
ガーデンで大暴れしても地面は荒れないし犬たちにも汚れがつかなくなる。
そのうえ遊び疲れた犬たちは簡単にクールダウンができる。
除雪の気苦労以外はいいことばかりだ。

今年は雪を飛ばす空き地が減ったから、ガーデンの除雪が昨年までのようにはいかなくなる。
それはそれでどんな工夫ができ、どんな冬のガーデンになるのか私自身も楽しみにしていた。
明日は暇な月曜日だから積もった雪を見ながら今年の除雪スタイルを考えてみようと思う。

このところ書くテーマが思いつかず話題になるような出来事もないのでしばらくは雪と戯れてリフレッシュ。
 

寝顔を見ながら… 2008年12月20日(土)

  愛犬の寝顔に思わず見入ってしまうことがある。

ベストショットと思えるような可愛い表情
口先からちょっと出た舌
顔形が違いよく見ると髭穴だらけの異種動物なのに特別に愛おしく思えてしまう
白目をむいたり赤目を出したり鼻をヒクヒクさせたり…
見ている夢に色があるのか言葉は存在しているのかストーリーはどんなものなのか…

そんな時は黙ってみているのが良い。
『ねえねえ』と相方を呼んだりカメラに収めようとしたら、せっかくの寝顔を覚ましてしまう。
絶好の瞬間は人に知らせたりカメラの記録に収める前にじっくり自らの記憶に留めるのが良い。
『ああ、あの瞬間を記録しておきたかった』と後悔する位がちょうど良い。

究極を想像してみた。
人間の目がカメラやビデオのように後から再生できたらどんなことになるのだろう?

カメラ不要のアルバム・ビデオによる記録生活
スクープ映像なんて日常茶飯
社会全体が監視できるようになって犯罪摘発率が飛躍的に向上
でも視覚的な人生の記録をいつでも再生できるのは喜びそれとも苦痛?
絶対条件は『消去』機能で、それがなけりゃ喜びよりも苦痛なことの方がたとえ数は少なくても印象に残り耐えられなくなってしまうに違いない。

つまりはえらいことになってしまうわけで、シャッターチャンスを逃すことも幸せの一部であり、記憶のように何度も忘却し何かの拍子で思い出すというのは素晴らしいシステムである。
“自分だけが見た”と宝のように思っていたことでも、実はみんな同じような瞬間を共有していることを知るのも楽しいものだ。

愛犬の寝顔を見ながら空想の旅をしてみた。
 

ハビリテーション 2008年12月15日(月)

  1ヶ月ほど前のこの欄で『外に出すな。目を見るな。犬に会わせるな。社会に出すな。』と行動療法をやってる先生から指示を受けたというスピッツのことを書いた。

実は今日このスピッツの3回目のレッスン依頼があった。

1回目のレッスンで病的な要素はないと判断した私は、歩きたがらず猜疑心に満ちた眼差しで私を警戒するスピッツには目もくれないような態度を装い、にこやかに飼い主と話しながら、それでもリードをしっかり持って歩かせさらに細部を観察していた。

「1回目のレッスンの翌日から散歩ができるようになりました。ビックリしました」と飼い主。
「よかったですね」と私は答えたが、それはスタートラインに立っただけのことで、これからの育て直しにかかる時間の長さが気にかかった。

生後2ヶ月ほどで暮らし始め、『免疫ができる半年以上外に出してはならない』とのアドバイスを信じて実践した結果
・外に出れない
・人を怖がる
・犬を怖がる
といった社会不適応の反応を示し、行動療法を行う獣医に相談した挙句に受けたのが冒頭にある指示だった。

経歴を知れば、病気や障害ではなく正当な反応と先ず考えるのが普通だろう。
ましてやスピッツなのだから。

2回目までのレッスンは、飼い主同伴でないとスピッツは歩かないだろうし精神的にも負荷がかかりすぎると判断して一緒に歩き、犬よりも飼い主に対するケアとアドバイスを送り続け、より理解が得られるよう目の前で愛犬の行動が変化していく様を意図的に見せつけた。
もちろん、犬に不安を示すというスピッツはカフェには入らず、駐車場で犬を受け取りそこからレッスンしてそのまま帰るというパターンだった。

3回目の今日、「二人だけで歩きます」と私は言ってレッスンを行った。
このスピッツにとって生まれて初めての他人との歩行だった。
幸いというかテクニックを駆使してパニックを起こさせることはなかったが、こういう稟性を持った犬を大切な社会化期に社会から隔絶して育てた結果生じた問題をクリアすることの難しさを感じた。

リハビリテーションという言葉がある。
『リ』というのは『再び』という意味で、回復つまり『以前のように戻す』ということだ。
だが、このスピッツには『以前』というものは存在しないから『回復』という概念も通用しない。
生まれながらにして目が見えない子供たちに対する支援をリハビリテーションとは言わず『ハビリテーション』という。
ヘレンケラーの家庭教師サリバン嬢がヘレンに対して行った『概念形成』からのスタートである。

難しい話になってしまったが、今日のレッスン終了後そのスピッツをカフェに入れた。
私のカフェが素晴らしいと自慢できるのは、そんな時のお客様の対応である。
私が何も言わなくても、相手の様子を見て『あ、そういうことね』と即座に自らの愛犬を制御し、スピッツに余計な不安を与えないよう振舞ってくださるのだ。
そこには『お互い様。そういう時期はこの子にもあったから』という感性と優しさに溢れている。

スピッツ嬢は何事もない時間をカフェで過ごし、冷静でいられた彼女には目や耳から様々な事柄が感じ取られたことであろう。
この積み重ねこそがハビリテーションなのである。

私はこのスピッツを思うがままに誘導するつもりはない。
経験をどう受け入れ自らがどう振舞うかは犬の稟性と飼い主の意思(これも稟性かもしれない)次第だ。
私はただ人間社会で生きるうえでの基本的な概念形成のお手伝いをさせていただいているだけである。
 

私からのノーベル賞 2008年12月13日(土)

  夕方の散歩の時ビックリするほどデカイ月が東の空に出ていた。
「すごいね。地球に最接近したのかなぁ?」なんて言ってたけど、深夜になった今、月はいつもの大きさで天空に輝いていた。
たぶんプー助の父さんに聞けば分かりやすく説明してくれんだろうなぁ…
この世は分からないことだらけ…

そんな風に人に頼らず簡単に諦めず『何故?』を追求することが子供たちには大切で、そこからノーベル受賞者が生まれる土壌が存在するのだろうなとふと思った。

『ピンポーン』
定休日の木曜にインターホンが鳴った。
通話ボタンを押すと相手が何か話しかけていたが、その足元にいるわんこが吠え続けていて何を喋っているのかさっぱり分からない。
「今、行きます」
そう言って玄関に出ると、お泊り依頼を受けていたコーギー×ポメのブルーちゃんだった。

お預かりはしたが、何かと言えばすぐ吠えるブルーを私は一喝した。
以前にも一度お泊り経験のあるブルーは『あ、そうかここでは吠えちゃマズイんだよね』という顔をしていた。
でも、その姿はとても愛らしい。

すっかり気に入ったKは暇を見つけてはブルーとガーデンで遊んでいたが、事あるたびに吠えるブルーを戒めてもいた。

今日の午前中「帰るんだよね、ブルー」とKが私に確認した。
「そうだよ、昼前に」と言うと、Kはガーデンでブルーと遊び始めた。
見ると、ボール投げをしてもブルーは声も出さず、しばらくはKと楽しそうに遊びまわっていた。

「ねえ、聞いて。全く吠えないで遊べてたんだよ。でも最後の最後にワンって声を出したの。そしたら『シマッタ!』って顔して自分で遊ぶのやめちゃったの。反省してるみたいに」とKが報告してくれた。

興奮を伴う遊びの中でもブルーは吠えなくなっていた。
普通ならインターホンで話をするぐらいで吠える犬ではなかったということだ。
さらにその先の接し方次第で、生活に困るような吠えはなくなっていてしかるべきである。
たった2日間でブルーにはできたのだから。

やっぱり犬育ては飼い主の意識次第でそれなりに変えられる…?

うんにゃ!
今夜はそういう結論ではなく、Kの功績に対しての評価が大事なのである。

元々吠える機能を備えている犬に対し、人間社会で暮らす中で『吠えなくていいのだ。否、本能のままに吠えてはいけないのだ』ということをきちんと伝えきれるようになった彼女に私のノーベル賞を与えたいと思った次第である。
 


- Web Diary ver 1.26 -