From the North Country

ちゃんとしたものって言われても… 2009年05月30日(土)

  初めて犬を飼う人にも、犬育てに失敗して困っている人にも、誰にでも解るような長崎流の解説書を書けとKは言う。

犬小屋の設計図ならまだしも、生き物を育てるということは、それぞれに癖のある材木を用い、その材木と会話し知識と経験を織り交ぜながらお互いに居心地が良い家を建てるようなものだ。
神社のように宮大工が必要なほど仰々しいものではないから素人でも熱意と素養があれば立派に建てることはできる。
が、誰にでも建てれるというものでもない。

なのに多くの人が家を建てようとし、中には途中で失敗している人がいる。
そして、その失敗だってその人の人生にとっては、良いあるいは苦い思い出になったり、少なくとも経験になって人生を彩る程度のことでしかない場合が多い。
犬を飼うという事はその程度であったりする。

だから『誰にでもできる犬育ての本』なんて存在せず、仮にあったとしてもそれはまやかしで、そんな本が書店にたくさん並べられている。

Kは私が書いた『さあ始めよう!イエストレーニング』という小冊子の中味を6年後に真に理解したと言う。
理解してくれたことを私は充分に知っている。
だが自分で家を建てようとする人ならトータルすればそれぐらいの独学はしているはずだ。
「6年で理解した?結構なことじゃないか!」と賞賛したいくらいだ。

私はまた“長崎塾”において未完ではあるが『犬を育て犬と育つ』という示唆を含めたマニュアルを提供しているが、これもまた真意の理解を得るには何年かかかるだろうし誰でもというわけにはいかない。

それでもKは『ちゃんとしたものを書け』と言う。
せめて分かろうとしている人々に長崎流がもっと容易に分かるように書けと言う。

一体どうすりゃいいんだ?

座談会でも開いて疑問と問題行動が一杯の飼い主に集まってもらい、個別の質問に対して私の流儀を説明し実演し変化を示す。
『あ!それなら分かる』『うん、それならできる』と理解と評価を頂いた事柄を選んで集約する。
今流行の『選択と集中』まがいの手法だ。

ビリーズブートキャンプみたいなダイエットビデオかぁ…
・知りたいこと・伝えたいことをピックアップし
・分かりやすい言葉にして台本に落としストーリーをまとめ
・日頃行っている犬のレッスンを撮影し、その変化を時系列で示し
・基本的な考え方と技術的な要素を解説し
・注意点と問題点を具体的に洗い出し
・間違った方法とその結果を例示しながらフィードバックし正しい方法と観念を鮮明にする。

でもなぁ、千差万別十人十色の犬に対してその成果を示すには膨大な時間と映画並みの予算が必要。
やっぱ無理無理。
ちまちまとまやかしのこの欄を書くのがせいぜいだぜ。
 

共通点 2009年05月27日(水)

  高齢犬と余命僅かと告知された愛犬が重なるように来店し、医療だけではどうしようもないことについて感じさせられた。

1.カフェが第2の我が家となっているシーズーのゴンタが、昨日はシャンプーだけのために来店。
お泊りの最終日には決まってトリミングをしているので、シャンプー後にはいつものお泊りモードではなく『ゴンゴン、ゴンゴン(翻訳すると、帰ろう!帰ろう!)』と吠えていた。
第1の我が家である飼い主のW家と第2のカフェの開きには当然のことながら雲泥の差がある。
来月で14歳になるゴンタの次回のお泊りは次週の木曜から。
お泊りの受け入れだけでなく高齢者としてのケアも考えて準備している。

2.今日が14歳の誕生日だったラブラドールのももが散歩を兼ねてカフェを訪ねてくれた。
まだまだ元気だが、昔より深く物事を考えず気の趣くままカフェ内を歩き回る。
トリミングを終えたばかりのAコッカーに近づき臭いを嗅いでいると突然吠えられた。
反射的にももは『わんわん!(翻訳すると、何で急に吠えるのよ!ビックリするじゃない!)』と天井を向いて一声吠え返した。
まだまだ元気だが、天井を向いて吠えたため腰を下ろした格好のまましばらく立ち上がるのに苦労していた。

3.3月11日のこの欄で紹介した脳腫瘍で“余命2ヶ月のゴールデン”ラッセル君が今日カフェにやって来た。
ずうっと気にかかっていたが“薬を飲んでボーっとしていたあの日”からみれば、全く普通に元気でラッセルらしい姿に心から安堵した。
「漢方と薬膳は続けています」と明るく笑うTさん。
投薬によってボーっとしたまま余生を送らせるより、たとえ短命になったとしても普段通りに暮らす道を選択したTさんだったがその選択に誤りはなかったようだ。

シーズーのゴンタ、ラブラドールのもも、ゴールデンのラッセル。
『いつまでも一緒に暮らしたい』との飼い主の想いは勿論共通だが、生きとし生けるもの個々の宿命である『終わり』までの時間を自然体で受け入れようとしているところもまた似ているように思えた。
 

いい休みを過ごせた 2009年05月23日(土)

  21日の定休日、札幌は最高気温が28度を超えるという予報だったので、避暑を兼ねて洞爺湖のいつもの場所に出かけてきた。
レオンベルガーを車に乗っけると宿泊セットまで積み込むスペースがないためデイキャンプにした。

毎度のことながら広い湖畔の敷地は貸切で、スクリーンテントを設営している間にアモとジェニーは初泳ぎを楽しみ、チワワのチビは芝生の上を存分に走り回る。
気温は22度程度で風も心地よく、陽射しもあったのでスクリーン内での避暑とバーベキューとしては絶好の条件だった。

デイキャンプということもありBBQの御伴にはアルコールフリーのビール(炭酸飲料)を試してみた。
後口に残る甘さがちょっと気になったが、何とか使えそうで酒飲みの気を紛らすにはそれなりにありがたい商品だと感じた。

翌日の肩の痛みを覚悟して湖にボールを投げるとアモの本能は全開となり、どこまでも、いつまでも泳ぎ続けていた。
ジェニーは身体を冷やす程度に入水していたが、白鳥のオス同士が一羽のメスを巡って威嚇しあう声と羽音に触発され、バシャバシャと沖へ走りだしやがて優雅に泳いでいた。

充分に遊び・食べ終えてから炭を始末し、四角い七輪の熱が冷めるまでの1時間半ほどをみんなで湖畔の散歩をした。
Kのことを覚えていたのか、一羽の白鳥が何か貰えることを期待して湖上をずっとついてきて可笑しかった。

『水の駅』で車の空きスペースに積めるだけの芝桜を買い、ついでにミニトマトの苗と枝豆の種を求めた。
翌日が雨の予報だったのを見越して植えるプランができていたのだ。

案の定の金曜日、芝桜・ミニトマト・枝豆を植え終える頃からぽつぽつと雨が降り出してきた。
いつもの定休日なら二日目も『どっかへ連れてけ』とアピールする犬たちが静かに安息の時間を過ごしていた。

有意義だったし駐車場の縁を彩る芝桜、カフェのサラダにも提供できるミニトマト、それに枝豆横丁も準備が整い実用的な定休日だった。
 

カフェがおヒマな“月火対策”第一弾 2009年05月19日(火)

  カフェの運営方針のひとつに『暮らしやすい家庭犬との生活をサポートする』というのがある。

愛犬とどんな暮らし方をしたいかは飼い主の考え方次第だから私たちが口を挟む余地はない。
番犬として、猟犬として、各種競技犬として、繁殖も考えて、アウトドア犬として、社会のお役に立つ犬として…様々であろう。

そんな中で『いや別に…、家族の一員として普通に暮らせれば』というのがカフェのお客様であることが多いのだが、この『普通に暮らせれば』という概念の捉え方にまた様々な個人差があり、従っていろんなわんこと飼い主が社会生活を送っておられるようだ。

例えば
1.犬だから吠えるのは当たり前だけど、それなりに戒めながら生活をしている人たち
2.引っ張られながらも、あちこち犬の気が済むまで付き合いながら散歩している人たち
3.まるで気心が通じたようにお互いを認めながら散歩しているカップル
4.思い描いていたのとは『ちょっと違うな』と感じながら生活をされている人々
5.犬種特性やそれぞれの愛犬の個性に魅せられ、生活に変化が起きていることを喜びとしている人たち

『こうすれば、あるいはこうであれば、もっと良くなりますよ』と要望があったときにアドバイスを送るのもカフェのひとつのサービスである。

そんなアドバイスをするには飼い主の考え方を聞いたうえで、そのワンちゃんと歩いてみるのが一番確かで手っ取り早い。

“その犬”を知るには
・健康状態を把握し
・日常の生活における振る舞いを知り
・歩いてみる
というのが鉄則だ。

ってなわけで、カフェではヒマな“月火対策”として、お申し出があれば『無料お散歩チェック』を行うサービスをとりあえず6月末まで行っております。
 

生類哀れみの時代を生きているんだな 2009年05月17日(日)

  何処かの調査で1頭の犬と生涯を共にするのに、飼い主は300万円以上の支出をしていると書かれてあった。

愛犬の寿命を12年とし、安く見積もってざっと計算をしてみよう。
1.犬の購入費:5万円
2.ハウスや食器・首輪・リードなどの初期費用:2万円
3.餌・おやつ代・:(月々1万×12ヶ月×12年=144万円)
4.狂犬病・その他のワクチンと予防薬:(年2万円×12年=24万円)
5.サプリメント・医療費:(1歳〜7歳を年間2万円、8歳から12歳を年間4万円としても34万円)
6.12年間のその他の経費:5万円
7.葬儀費用:2万円

以上で216万円。
訓練費用をかけることもあれば、保険料や予期せぬ出費もあるだろう。
外飼いの愛犬から室内で暮らす愛犬までを見積もったうえでの300万円というのは、現在の状況から判断してあながち的外れな金額ではなさそうだ。
犬と暮らしていない人々の中には『なんて馬鹿げたもったいないことを…』という向きもあろうが、それが現実であり、犬と暮らしている人間自体この金額に驚いてもいる。

子供たちには見せたくない統計でもある。
私が子供の頃飼っていた犬たちの年間経費は多くても数百円程度だったはずだ。
犬は拾うか貰うものだったし、犬小屋は段ボール箱か木箱の改造あるいは床下で間に合い、首輪やリードはその辺にあるロープで充分だった。
餌は残飯処理プラスアルファ。
虫が出たらガンツという駆虫薬を飲ませ、病気になったら手厚い看護とちょっとの滋養食。
最後は『これがこの子の寿命』で土に埋めて葬った。

今でも子供が育てるなら『それでいい』と私は思っている。
だが大の大人であるショップやブリーダーの連中が平気でそうやっているのは許せない。

我が家の愛犬アモの経費は結構な金額になろうが、彼は従業員として稼いでいるし、皆さんの愛犬同様に我が家の一員である。
今回、改めてそんな金額を支出していることを知らされたが、『価値ある支出か?』などと野暮なことは考えてもいない。

ある意味において平和で犬と暮らす文化の時代に生きているからこそのことであり、人類の歴史と犬と暮らす文化の変遷を学べば、今、自分たちが愛犬とどう暮らしているかを知ることができる統計発表だと重く受け止めておく。
 

犬と暮らすなら一枚上の観察力を持とう! 2009年05月12日(火)

  例えば愛犬が分離不安に近いような犬に育ってしまったとする。
室内ですら飼い主についてまわり、少し離されただけでも悲鳴に近い声を上げたり、情緒不安定になって、ひどい場合は破壊行動や呼吸困難に陥ってしまうなど…

私は、『生まれながらにそのような資質を持った犬とめぐり合ったのだから必然の結果』だとは考えず、『そのような資質を持った犬に対して、飼い主が必然となる結果を導き出した』か『とりわけ衝撃的な出来事があった』という風に考える。
(どんな犬でも売れればよい、と考え、繁殖・販売する悪質なブリーダーや身の毛もよだつ生体販売を行っているペットショップの犠牲者とも言えるが)

先日のこの欄で『観察力』のことを書いた。
犬は、より快適を追求し本能を満たすために知的探究心ともいえる『観察力』を備えている。
一日の流れ、人間の行動・癖・習慣・性格…

当然、人間の方が知的探究心・観察力は高いと思えるが、残念ながら人間は忙しいからそれらを意識的に取り込まなくてはならないのに対し、犬たちは毎日がヒマだしすべてを人間に依存しているから、人間を観察するのは日常でありよりよく生きる方策であり、必然的にお互いについての観察力や理解度は犬のほうが人間より高いと言える。

その結果、犬を知らない人間はこれまで自分の人生の中で育まれた“犬”という想像上の伴侶に対する思い込みで犬を育て“目の前の自分の犬を観察して自らの行動を決める”という能力を埋没させていることに気づかないでいる。

そしてそれは、犬が食卓の物を食べても『ダメよ!』で(今後二度とするな!の)意図が通じたと思い、仮に食べた物が花咲ガニであった時に『大丈夫かな、口の中怪我しなかったかな』という対応が『優しい人だね』という発想を生む。

そして、ついには『食べちゃいけないものを咥えたから取り出そうとしたらこの子に咬まれてしまいました。あんなに愛情を持って可愛がってあげていたのに…悲しくて』となり、そんなことで仮に相談を受けたとしたら私は『バカか?お前は』と犬に向って叱っているものの…
という結果になるだろう。

その究極が冒頭の分離不安的な行動の誘発だろうと思う。
ある日突然そうなった、なんてことは(衝撃的事件以外)まず考えられない。
犬を観察せず自ら考えることもしなかった人間が、時間をかけて、しかも気の毒なことに善意の名において良かれと思って導き出してしまったことであろう。
悔やむべきであり悲しむべきであり、自らとこんなことを書く私を憎むべきであり、何より次に生かすべきである。

抱っこし過ぎたのが悪かったの?
優しくし過ぎたのが悪かったの?

どんなに悪い癖が犬にあったとしても、それを人間が導くためには、抱っこし、優しくし、可愛がることが大前提なのです。
あなたに欠けていたのは抱っこし、優しくした中で、観察し、自ら考え、試行錯誤し、『自分がこの犬なら、どうされれば善悪をわきまえ、反抗せず、お互い楽しく暮らせるか』という一歩上を洞察できる人間力ではなかったのではないかと思う。

前回、この欄で紹介したチワワのチビ。
自ら人間を観察し、過去に得た知恵によるその戦法で大勝利を得た経験があったのだろうが、今回はKによって阻まれた。
チビはさらに観察を続け、新たな作戦を実行するであろうが、勝利しても後味の悪さを感じさせ、敗北した時には“こっぴどいこと”にでもなれば、いずれチビも名犬となろう。

頂き物の日本酒『土佐鶴』を飲みながら書いたら、ラベルに表示どおりの超辛口になってしまったかも。
文章として成立していることを望むばかりだ。
 

犬は観察名人であり、それらを応用できる 2009年05月09日(土)

  犬をこっぴどく叱りつけることがある。

『ごめんなさーい!もうしませーん!』とほとんどの犬は数回叱られれば『何故叱られたのか』を理解し、少なくとも以前より振る舞いは良くなる。
ただ中には感受性が高い犬もいるから、その叱り方には方法の違いや強弱がある。

今夜は我が家の居候犬チワワのチビの話をしようと思う。

チビはよくできたわんこで普段から手がかからない。
チワワだから普通にしていればそんなに目立つこともない。
そしてチビは自分が可愛い(可愛がられている)ことを充分知っており、自分がか弱い存在と見られていることも知っている。
チビは食いしん坊であり、実は誰よりも大人であり、従ってとてもしたたかに生きている。

冒頭に書いたような“叱られる犬たち”を見て、周囲の犬たちまで背筋を伸ばすのが普通だがチビは違う。
自分は丸くなって寝たふりをしながら私を観察し、『叱り方はこっぴどいけど、ある一線を越えていない』ことを見抜き、『犬を叱るのを止めるタイミング』まで把握している。
『そんなことしたら叱られるに決まってるだろ』と他犬の動きを鼻で笑い、私が叱りに行く状況を既に予測している。
そして私や他犬がどんな性格で、自分がどう振る舞えば相手がどんな反応を示すかを日頃からこまめにチェックし、私たちの行動を誘導したりしている。

先日もこんなことがあった。
私たちが朝食をとっている時に来客があった。
外の音が真っ先に聞こえる私のベッドで寝ていたチビが階下へと走って行き、そこで一声吠える。
なんてことのない犬の振る舞いに思えるだろうが、そこには周到に計画されたチビのたくらみが隠されている。

チビの声を聞きつけたレオンベルガーのジェニーと我が家の愛犬アモがドタバタと階下へ駆け下り何度か吠える。
すると私は食事を中断し、階下へ降りて犬たちを戒めるのだが、即座にチビは私が気づく間もなく階段を駆け上がって食卓を物色する作戦を実行するのだ。

勿論、手練手管はチビだけの専売特許ではない。
すべてを察し、Kが食卓を護ってくれていた。
大いなる野望に輝いていたチビの目がKの存在に気づいた途端、消沈していく。
そして何事もなかったように私のベッドに戻り、しばらくして水を飲みに来る。

Kが私に“チビの大作戦”の一部始終を報告していると、チビは私の膝に飛び乗り無垢でか弱い小動物を演じる。
決して“こっぴどく叱られるような”ヘマはしない。
私も現場を押さえた訳ではないし、仮に“チビの大作戦”が成功していたとしても、チビは痕跡を残すことなどなかったはずだから『あれ?目玉焼きさっき自分で食べちまったのかな』で終わってしまう。

それでもチビのあくどい現場を押さえることがあった。
まるでガンジーのごとき全くの無抵抗で、ちょっと触るだけで壊れてしまいそうな姿と声で演出し、お腹を出して全面降伏。
小言をいうと『僕は犬。日本語ぜんぜん分かりません』と、小動物を演じている。

そのうち天罰を下しておかねば命に関わるとの懸念があるけど、たぶんチビはその辺の危険性までも知った上で知的ゲームと食欲を満たそうとしているのかもしれない。
 

今年のGW事情その2 2009年05月05日(火)

  「カフェが混むのは明日だと思ってた」
「そうそう、私もそう思って今日来たのに…」
多少なりとも儲けようと商売をやってる私に、そんな失礼な挨拶をする常連さんの言葉を笑顔で受け流しながらも、お昼頃だけは席が空くまでガーデンでお待ちいただいてごめんなさいでした。
昔とは比べ物にならないものの、ちょっと混みあった時間帯があったGW後半のカフェであった。

今日もわんこのトラブルなし。
“無事故1000日達成”みたいな地方の交通標語は、開業以来5年以上に渡って我がカフェでは当たり前のことになっている。(油断は禁物)

初めてご来店されたご夫婦が帰り際に「どうしてこのお店は犬の臭いがしないのですか?」と尋ねられた。
私どもにとって最大の賛辞に受け止められたが、当のご夫婦は「うちはこの子一匹なのに臭いがこもって…」と困惑の様子であった。
今後何度もカフェに来ていただければ、それが当たり前であることをご理解いただけるのだろうに…と思いつつ、それなりの説明をさせてもらった。

ところで今日、ガーデンで思わぬ気象体験をすることができた。
「今日は暖かいですね。もう25度ですよ」と温度計を見ながら緋梅ちゃんのKさんが言われた。
「ほんとですよね」と私は腕まくりをした。

次の瞬間、ガーデンに出ていた犬たちが北東の方向を一斉に向き、何やら鼻をクンクンさせている。
すると、その方向から風が吹き始め、急にひんやりし始めた。
火照った体が心地よくなったかと思いきや、気温は一気に下がり温度計は18度を示すようになったのだ。

その後も気温は下がって午後からは皆さん『寒い、寒い!』を連発されていた。
車を運転していて突然“晴から雨”あるいはその逆を経験したことはあるけど、ただ庭に座っていてあのような気温の変化を体験したのは記憶が無いことだったし、犬たちが示した同じ行動に感動した。

明日はGW最終日。天気は晴れ。気温は20度。
万が一、昼頃のカフェが一時的に混んだとしても、ガーデンで過ごす心地よさがあるはずだから対応は可能であろう。
モチベーションだけは高い。
明後日からは2日間の定休日なのだから。
 

今年のGW事情 2009年05月04日(月)

  丸一日ストーブを焚かずに済んだのは昨年のいつ以来のことだったろうか?
そんな日に『そろそろエアコンの点検と試し運転が必要かな』なんて感じられること自体おかしな気候だということを物語っている。

暖かくなったかと思えば大雪が降り、それが一気に解けてサクラが開花し、翌日には5分咲き、さらに翌日には満開、そして汗ばむような今日梅公園では白梅が4分咲き紅梅が1分咲きということを記録しておこう。

さて、GWも一般的にはあと二日。
普通だったらお客様から『うちは8連休です』などと言われれば羨ましく思われたものだが、今年に限っては長ければ長いほど『それは大変ですね』と不況を心配してしまう。

急な依頼が数件入ったもののカフェのお泊り犬の予約も今年は少なかったように思う。
それと、これは不況なのかカフェの不人気なのかは分からないけど、犬連れの若い人たちの来店が極端に少なくなっているのも気にかかるところだ。

ともあれご来店いただいた方には愛犬との楽しい時間を過ごしていただけるよう明日から?特に頑張ろう!
 

犬たちの胃液嘔吐に春を感じる 2009年05月02日(土)

  先週の驚きの大雪から1週間、駐車場のエゾヤマザクラが昨日開花したかと思いきや、あっという間に今日は5分咲きとなった。
暖かなGWを迎え、皆様それぞれに楽しい休暇をお過ごしのことだろう。

北海道では一気に本格的な春となり、犬たちの体調にも変化が表れているようだ。
我が家の愛犬アモはオーチャード(カモガヤ)などの細長い草を食べるようになったし、お泊り犬の中には食事前にゲボゲボと黄色い胃液を嘔吐する場面が見受けられるようになった。

“生命が躍動する春”というのを、百花繚乱の草花に感じることもあれば、鳥たちのさえずり、あるいは魚の食いつきのよさで感じる方もおられようが、私は犬たちの食欲増進による胃酸分泌が活発になるが故の胃液嘔吐(むかつき)によってそれを感じることが多い。

愛犬の胃液嘔吐にあたふたする方もおられるかもしれないが、異物の混入がなく他におかしな症状が見られなければ、愛犬に生命の躍動と春の訪れを感じ、ちょっと多目のトッピングか食事間隔の調整あるいは夜のおやつを与えるなどしてみてはいかがだろうか。

1年365日毎日同じ食事を同じような時間に与えることが正しい犬の飼い方だと思ってはなりませぬぞ。
健常状態に合わせ、季節に応じ、手心を加えたり引いたりしながら変化させることが肝要だ。
健康であるならばこれからの季節は魚や路地育ちの野菜のトッピングなどがいいかもしれない。

GWのカフェが休みならアモの為にホッケやカレイをたくさん釣ってきてあげれるのに…

そうそう、『じゃことみょうがの今月の和風パスタ』を試食してみたが、私なんぞには最高の春の食事だった。
『もっと食わせろ』との食後感だったので、どうぞ皆様『大盛りで!』とご遠慮なく申し付け下され。
生命の躍動はなにも犬にだけ訪れるものではないのだから。
 


- Web Diary ver 1.26 -