From the North Country

これもひとつの“やりがい”かな 2008年10月18日(土)

  このところむやみに吠えまくる小型犬たちの制御をする機会が増えている。
カフェで静かにするよう犬に働きかけるだけなら簡単なことだけど、犬自身に『吠えてはならないのだ』という深部までを教えようとしたり、制御の方法を飼い主に“見て覚えていただこう”と意図したりすると、とても疲れるようになってきた。

教え叱るエネルギーというのは半端なものじゃないと感じる。
そりゃそうだろう。
『あたしゃね、今まで飼い主と一緒にこうやって生きてきてんだい!それを見ず知らずのあんたなんかに…』と主張するわんこ相手に“理由の説明もせず”(日本語で説明しても通じないし…)吠える行為を否定し、傷つけず、パニックに陥れず、逆切れもさせずそれでいて絶対的に受け入れさせなければならないのだから。
代行業者として、しかもお客様をもてなす立場において。

吠える犬の事情ややむなき理由についてはこれまでも書いてきたが、
『ああ、それなら仕方がない』と飼い主が理解はしても、『この状況が続くことを受け入れたくない』とも思っている。
つまり、愛犬と暮らす上で『吠え続けることを許容し難く、何とかしたい』との気持ちがいつも根底にあり、結局は『犬が吠える理由に関わらず、むやみに吠えないわんこでいて欲しい』との思いがあるわけだ。

なのになお飼い主というものは“吠える理由”を求め『理由や原因を知り、それらを満たしあるいは工夫しさえすれば吠えは止まる』という幻想を抱いている。
とりわけ、仔犬時代に社会性を身につけさせてもらえなかった結果において“身の程を知らず、分をわきまえず、いい気になって吠え続ける犬”に対して…

先月だっただろうか、そんなことを説明して吠えまくるチワワの飼い主に具体的な対処法と、それ以上に重要な“飼い主としての考え方”のレッスンを行った。

吠え方があまりにもひどかったし血統的な問題もあると思われたから、素人の飼い主では多くの改善の期待はできないだろうと思っていた。
ところが先日来店された様子を拝見して私は嬉しくなった。

チワワたちは見事に飼い主の意図を感じ取り、血統的に沸き起こる感情を自制して、なお楽しみを覚えていてくれていた。
さらに現段階でのしつけレベルを超えて本能的な反射による威嚇が出た際、ご主人が見事な制御をされていたことに私は感動してしまった。
その時のチワワは『しまった!ごめんなさい』と謝り、ご主人は決して追い詰めることなくそれでも『それは絶対にダメだ!』と二人だけに分かるようなやりとりをされたのだった。

あんな瞬間を見られるのならもう少し頑張れるかな、なんて思った。
 

ふと思い出した。−いっしょに歩こうー 2008年10月14日(火)

  この欄もいつの間にか1000話を超えてしまっている。

なんとなく懐かしくなって過去ログを読み返しているうち夜中の1時半を過ぎてしまった。
去年の秋は短く、寒暖の差や不安定な気候が続いていたことに『へー、そうだったっけ』と思い、今年の秋は時折集中的な雨があったものの概ね温暖で天気の良い日が続いていることを記録しておこう。

『記憶というのは本当に薄れてしまうものだな』と、つくづく思うこの頃だ。
だが、何かがきっかけとなって“ふと”思い出し、無性に懐かしくなるから日々の展開は楽しいこともあるものだ。

先月の定休日、私はお泊り犬とくつろぎながらカフェに出したサマーベッドに寝転んで、Mダックス/モカ・モナカの飼い主NさんからKが借りたという“かもめ食堂”というDVDを観た。
面白かったしロケ地がフィンランドというのもくすぐられたし好きなタイプの映画だった。
批判を受けても構わないが、その時何故か“ラジオの時間”という作品を思い出し、さらに“ふと”盲導犬協会在籍時に大勢の盲導犬ユーザーを前に協会職員みんなで演じた“社長さんはタバコを買いに”というストーリーがよみがえった。

ある日、当時(今は分からないけど)無名の漫画家だった“たなかしんこ”さんという旭川出身の駆け出し漫画家が協会にやってきて、「私、盲導犬のことを描いてみたいんです」と宣言した。
その情熱を感じた私たちが協力したこともあって、『いっしょに歩こう』という漫画本が出版されたのだが、その本の第1話が“社長さんは・・・”だった。

実によくできていて、中途視覚障害者の気持ちや社会の現実それに現場で働く我々の心配りなどが網羅されていた。
私は盲導犬ユーザーが年に一度集まる研修会の出し物のひとつにこの漫画を職員で演じることを決め、台本を書き、配役を決め、BGMを選曲した。
数回しか練習できなかったし下手な芝居だったがユーザーや参加していたボランティアの評価は上々で多くの感銘を共有することができた。

だが、年老いた私はそんなことすらも忘れてしまっていた。

そんなとき“かもめ食堂”のDVDが私に昔の記憶を想い起こさせてくれたのだ。

私は早速、ネットでアマゾンとセブンアンドアイを通じこの漫画本を探し当てた。
既に絶版となっていたが中古本は数冊存在していた。

忘れていた過去の宝にめぐり合った気分である。

カフェに続編の“いっしょに歩こう2”と共に2冊揃えました。
是非一度ご覧になってください。
涙が出そうになるけど『お涙ちょうだい』の意図的なものではなく、知ることで自然に流れる涙の味を思い出させてくれる“懐かしい本”と感じてくれればありがたい。

時計は既に3時を指しているが今日も書いた記録が残り、数年後に読み返す私に何らかの刺激と示唆を与えてくれるはずだと、酔いと疲労で薄れ逝く意識を保ち、眠い目を擦りながら書いておいた。
 

失意の中で 2008年10月12日(日)

  阪神ファンなら誰もが確信していた今年の優勝を逃してから一晩経ち、悔しさと無念さそれに『またあの時のように今後二十数年優勝から遠ざかるのではなかろうか』という一抹の不安と恐怖が込み上げている。
それはつまり私にとって“生きてるうちに阪神の優勝シーンを見ることができない”ことを意味する。

『この欄はしばらく書けないな』
あの夜、そんな風に私が思ったのは失意の深さの裏返しであり、まるで愛犬を亡くした時のような喪失と空白・空虚が心の奥を支配していた。

今夜こうしてこの欄に向き合えるのは、溺愛した1頭目の愛犬(阪神タイガース)が健在なうちに飼い始めた2頭目の愛犬(日本ハムファイターズ)の影響がないとは言えない。

「愛犬が年老いた時に2頭目を飼うと元気になるって本当ですか?」
そんな質問を今日のカフェで頂いたが、いわゆる“励み”になることは無いだろうと思う。
が、やんちゃな仔犬が老犬にちょっかいをかけると『うるさい!無礼者!あっちへ行け!』と精一杯頑張る姿が飼い主には『元気になった!』と誤解されることはあるといえるだろう。

まあ少なくとも第一ステージを2勝0敗で日ハムは通過し、飼い主の私には少しの励みを与えてくれたようだ。

さて、落ち込んでいる私に側面から刺激を与えて“現実からの一時避難”(冷却期間)を促してくれる犬がいた。
車で6時間以上もかかる釧路から、わざわざカフェにやって来たジャックラッセル/クッキー♀だ。
飼い主のSさんは知人を通じてネットで我がカフェを知り、時期を見計らい満を持して訪ねて下さった。

そんな意気を感じない訳にはいくまい。
私はタイガースをしばし忘れ、クッキーのチェックとお泊り中の問題点にメスを入れていた。
いろいろとクッキーに刺激を与え二晩目の今夜は昨夜とは打って変わって死んだように寝ている。

だけど適度な刺激と共に、癒しや未来への可能性を教えてもらったのは私のほうだ。
まるで2頭目の愛犬にペットロスを和らげてもらったような感覚がある。

日本ハムは西武との決戦に挑むことになるが、シーズンの成績を見ると分が悪い。
阪神は1年を通じ堂々の成績だったが私を含め選手たちは失意のどん底にあり、どこまで切り換えれるかが問われている。

酔っ払った私が書いた今夜の文章は成立してるのだろうか?
10月10日に止めたはずの酒は翌日から復活し、おかげでかろうじて精神の均衡を保つことができている状態なのだ。

2頭目の犬が1頭目を元気にするかどうか?
それは阪神タイガースのクライマックスシリーズでの闘い方を見れば分かると思う。
せめてもの反骨心として記しておきたい。
 

なんも言えねぇ 2008年10月08日(水)

  この秋最後ではないかと思わせるような穏やかで暖かな一日だった。

だが今夜の私は到底心穏やかではいられない状況にある。
なんとなれば、どら(トラ)息子が金満球団に決戦を挑んでいるのだから。

2点を先制された。
ようやく1点を返したが、その後のチャンスにどうしても同点に追いつけない状況だ。
苦しい。とても苦しい。

不安が現実になり1点を追加されてしまった。
その後も続くピンチ。
今、そのピンチを何とか切り抜けてくれた。
が、2点差。
残りは8回9回のあと2回しかない。

8回ノーアウト2塁のチャンスだったが見事に討ち取られ2アウトになってしまった。
もはやここまでかとの思いとバッターに寄せる期待が交錯する。
・・・
・・・
試合終了
なんも言えねぇ。

90分後。
落ち込み過ぎた私の気持ちが一段落した頃を見計らって、Kが慰めというか私に『気持ちの吐露』を促しにやって来た。
「どういうことなの?聞かせて」と尋ねるKに対して
「7月の段階で13ゲーム差というのは、仮に首位の阪神が13連敗、下位の巨人が13連勝しても同率であり、さらにその上を巨人が行くというのはプロ野球の世界ではあり得ないことなのに…」
と私がため息をつこうとしたその瞬間

「何!?どうしたのこの爪の色?」
Kは彼女の親指と私の親指の爪を並べた。
ピンク色のKに対し私の爪は死骸そのもののどす黒い色を呈していた。
名優緒形拳さんが肝臓を患って亡くなったばかりだったので、Kは私の肝臓の状態を疑い、即座に1ヶ月の禁酒令を発した。

首位転落の落ち込みと同時にあまりにもどす黒い指を見せられた私も同意せざるを得なくなった。

10.8は私に不運な日なのかそれとも奇跡をもたらすラッキーな日になるのか。
やはり、なんも言えねぇ!
 

拾い食いだろうが何だろうがしつけの基本は同じこと 2008年10月06日(月)

  「この子の拾い食いがいつになっても直らないんですよ。どうすればいいんでしょうね?」
今日、カフェのお客様同士の会話にそんな話が出ていた。
「私はね、引っ叩いて『ダメ!』ってやったらピタッと直ったよ。だってひとつ間違えば大変なことになるでしょ。でも叩いちゃダメだったのかな?先生」とYさんは話を私に振った。

「引っ叩いて直ったんなら、それはそれでよかったんじゃない。でもね…」
と、それから私は持論を展開した。

1.飼い主にどの程度の問題意識があるのか
「例えば…」と私は子育てを例に挙げた。
「子供って本当に親にとって悪さばっかりしながら成長するでしょ。物を壊したり落書きしたり食べ物吐き出したりぶん投げたり、スーパー走り回ったりバスの座席で飛び跳ねたり。
それを全部一発解消しようと叩き続けていたら愚連るか死んじゃいます。
つまり親というものは『ダメよ』という中にも強弱があって『ダメよダメよも良いのうち』というのもあれば『これは絶対ダメ!』って顔を真っ赤にして訴えるものもある。
犬の拾い食いを飼い主がどう判断してるかがまずは大事なことです。
Yさんは『ひとつ間違えば大変なことになる』と判断し、叩いてでも止めさせようと反応した。
私も同感です、命に関わることもあるから。
が、仔犬の時期には風に運ばれる枯葉をパクッとやったり小砂利を口に入れるのはある程度仕方のないことでもある。
何が口に入るかを予め知った上で甘くなっても良い時期や状況もあるし、だからと言ってそれをいい加減に思っていたら1歳近くになっても拾い食いを常習とする犬の飼い主になることもある。

2.叱ることが重要なのか、相手が受け入れることが重要なのか
答えは明白。
多くの犬は飼い主が顔を真っ赤にして『それはダメ!』と叫んだり言い聞かせたりリードショックをかけたり叩いたりすることで拾い食いをやめることを受け入れ、他にも電気コードも齧らなくなったりするが、中には大声にパニックを起こしたり、反応の鈍い犬もいる。
そこで大事なのが愛犬の性格を把握することと、しつけツールボックスの引き出しを多くすることである。
だがツールボックスの中身さえ最近は誤解されて伝えられているのが残念だ。

能力の低い犬には天罰方式は反応しやすいし、バカな犬はエサやおやつをフンパツすれば誤魔化すこともできるだろう。
能力が低い犬とかバカな犬とか過激な表現をしたが、それは飼い主が犬をそのようにしか見ていないと、そういう方法があたかも正しい方法だと勘違いしてしまうという反面教師的な意味合いで書いたものだ。
馬鹿げている。
犬たちはもっと違った形の付き合い方が人間とできるのに。

わー!
酔いが急に回ってきて何書いてるのか把握できなくなった。
今夜はこれで撤退させていただきます。
 

キャンプする? 2008年10月03日(金)

  今シーズン最後のキャンプを洞爺湖で楽しんできた。

今年の初めYさんから教えていただいた曙公園は、シーズン中の土日は大変な混雑なのだそうだが、平日しか利用しない私たちにとってはいつもプライベートフィールドだった。
湖面とほぼ同じ高さに広がる緑の楽園からは洞爺湖の中央に位置する中島が美しく、白鳥が湖面を滑るように移動し、夜になると南の温泉街で打ち上げられる花火が美しい。

夜を迎える前に近くの温泉をいただくのだが、その泉質と泉温の心地よさにはただただ感服するしかない。

今回のキャンプでは日中のほとんどを湖畔の散歩に時間を費やした。
曙公園から浮き御堂を過ぎ、水の駅までゆっくりと往復し、今朝は水の駅から財田キャンプ場までの道すがらをを寄り道しながら確かめるようにのんびりと歩いた。

折りしも地元の子供たちのマラソン大会が行われており、同じコースを散歩している私たちとアモに対して引率の先生方は『この犬が子供たちの障害になるかも知れない』という警戒感を持っておられたのを敏感に感じていた。
アモは当然無反応だったが、だけれども私たちはアモをリードで繋ぎ、時には距離を置いた。
障害児の中には犬が傍にいるだけでパニックを起こすケースもあることを知っているからだ。

犬を育てる基本の中に、周囲を見てその空気と状況を把握し“どう対処すべきか”を即座に判断する能力と知性それに感性が含まれているのは間違いない。

そのうえでとにかく楽しむ。
今回のキャンプではこの環境と地元の方々の受け入れが来年もまた続くようにと、大型犬の飼い主が放置したウンチを6個も片付けた。
それが私たちのキャンプだ。

キャンプに出かける準備に1時間、キャンプから戻ってすべての片付けに1時間。
だいぶ様になってきた。
今シーズンはこれでおしまい。

次からの定休日にはお泊り犬がいるし、冬の使者である雪虫がテントの周りを飛んでいたから。
 

今月のパスタに込められた想いは重い 2008年10月01日(水)

  今日10月1日から始まったカフェの今月のパスタ。
名づけて『北海道日本ハムファイターズ応援パスタ』なのだが、その効果は絶大だった!

当然、今日の最終戦に日ハムが勝つにしても、ロッテの意地とねばりもあって日ハムのクライマックスシリーズ(CS)進出は数日先になるだろうと思っていた。
まさか今夜決まるなんて。

おめでとう!
北海道にやって来て最初のシーズンにCSに進出した時は負けっぷりもよかったが『まあ、3位だったんだから勝つのもおこがましいよな』と納得したものだが、今年は違う。

2位のオリックスとは堂々と渡り合えるはずである。
春先からの低迷による監督交代で息を吹き返したオリックス。
清原の引退セレモニーで盛り上がっているオリックス。
だがすでに燃え尽きているはずだし、イチロー以来の優勝争い(未確認)に参加できる喜びで選手たちは飲み過ぎてしまっているに違いない。

それに比べて連覇を継続している日ハム選手は虎視眈々と3連覇を狙っていることだろう。
だから悪いけどCSでは2位のオリックスには勝たせていただく。
まあ、優勝(日本シリーズ出場)するには今年の西武に対して幾分かのおこがましさも感じなくはないが、今夜17得点を叩き出したことが選手たちの意気込みを見事に表しているように思えた。

頑張るぞー、おお!

一方のセ・リーグ…
嗚呼、まだ書くまい。
この2週間、私の胃は熔けださんばかりのストレスに耐えている。
勝ってくれ阪神タイガース!
マジック1だったのに優勝を逃した…、高校生だったあの日からの呪縛を解いてくれ!

実は今月のパスタの別名は『阪神タイガース・命』であると、パスタの上に添えられた生ハムを喰いちぎりながら私は思っているのだ。
 

わんこいいですかぁ? 2008年09月28日(日)

  冬の足音が近づいて来るとお出かけ好きな愛犬家には少々不便なことがある。

他府県ではどうなのか知らないが、北海道ではお蕎麦屋さんやイタリアンその他様々な美味しい食べ物を提供してくれる“隠れた名店”なんかが郊外や山あいなどにひっそりとお店を構えるケースが多くなっている。
そんなお店に出会えた喜びや、人づてに聞いて探り当てた時の喜びも格別なのだが、そのようなお店の多くにテラス席というのがあって「わんこがいるのですがいいですか?」と尋ねると快く受け入れてくれる場合が多い。

とりわけ我がカフェのお客様たちは、愛犬の為に出かけるというより“愛犬連れで出かける”のが普通であり、当然誰にも迷惑をかけない常識としつけが備わっているだけではなく、その店にいる他のお客たちにも好印象を与えるだけの魅力を持ち合わせている。
それはどちらかと言えば犬の魅力もさることながら飼い主の方々の言葉遣いや会話能力・話題の豊富さ・ユーモラスな表現など犬たちと暮らすことで培われた輝きが勝っているとも言えよう。

結果としてそのお店を利用した一般客は、食事の味にロケーションの素晴らしさを感じ、それと共に愛らしくもけなげな犬と飼い主の映像まで記憶して、また友人知人へと語り継いでいくはずだ。(そうでない犬と飼い主は同伴の利用を慎むか、特段の配慮をしなければならないということ)

冬になるとそんなお店からテラス席が消えてしまうのが不便であり残念なのである。
願わくば、真冬に外のテラス席を利用する客などいないと決め付けないで欲しいし、吹き飛ばされないような席をひとつ残しておいて欲しい。

冬の晴れ間の陽射しほど暖かなものはない。
曇っていても犬連れならちゃんと防寒して美味しく食事をいただける喜びを感じれるものなのです。
他犬に吠え続けられ、臭いがこもり、ペットシートが敷かれたドッグカフェより、凛とした寒さの中で食べる方が幸せに感じられることだってあるのです。

『ワンちゃんOK!』なんて書かなくて結構です。
モンスター○○がやってくるかもしれないですから…

テラス席を発見した私たちは座る前に必ず尋ねます。
『わんこいいですかぁ?』って
その時の飼い主と足元の犬を見てご判断下さい。
犬種や大きさではなく心で見てくださいね。
 

もう書くことがない 2008年09月27日(土)

  何日か休むと書くテーマが浮かぶんじゃないかといつも期待するが今夜も裏切られたようだ。
しばらく充電したほうがいいのかなと思ったりするが「あんたの休みは放電だよ」と天国から眞知子の声がする。

こんな夜はアラカルトの箇条書きに限る。

1.先日の定休日は久しぶりに原始林を歩いてきた。
高さが40センチはあろうかというスズメバチの巣が大沢池にせり出した木の枝の先にあり、『取り除けないので静かに通り過ぎるように』との注意書きがあった。
滅多に人に出会うことのない原始林の中だけど、誰かの意図的な刺激でスズメバチが飛び出してきたらどうしようかと考えながらそおっとアモと二人で歩いていた。

『わぁ!』っと私は思わず声を上げそうになった。
すぐ足元の斜面の草むらに人が立っていたのだ。
自然公園や野鳥の森なんかでしょっちゅう見かける自然観察員(っていうのかな?)が何やら写生か記録を取っていたらしかった。
私がヒグマなら襲っていたかもしれない。
鼻歌でも歌うかラジオをかけて自分の存在を示しながら仕事をしていて欲しかった。
エゾリスでさえあちこちでアモが先に見つけて私に教えてくれるのに、じっとしていたこの人間にアモは全く気づかず、スズメバチに集中していた私の目に飛び込んできたのだから大いに驚いた。

2.ペットシートでの排泄について
『室内で、トイレをさせるしつけは、必須。雨の日や、病気の時はどうするの?』とある方が訓練士に言われたそうだ。
『そうだよなぁ』なんて私は過去において一度も思ったことはない。
ちゃんと育てられた犬なら排泄時間が少々ずれようとも平気だから、雨が小降りになってから出せばいいし、長雨が続いていたなら少々面倒だけど『さあ、行くぞ!さっさと済ませないと濡れるぞ。シーシーシーシー!』で犬の方もちゃんと分かってくれる。
そんな意思の疎通が他の大切な繋がりに影響し絆を太くしてくれるとさえ感じる。
10年に何度あるか分からないような気象のことで日常生活がおかしくなるような育て方はしたくない。

病気についても同じこと。
犬が動けないならKと二人で抱き上げてでも外に出してあげるし、一人暮らしでそれが出来なかったり人間が動けないような病気だったりしたら誰かが助けてくれる関係を築いてないと犬とまともに暮らすことはどうせできないのだ。
孤独な人間が動けない病気になったら犬が外で排泄するかペットシートで排泄するかなんてどうでもいいことで重要なことは人の命であろう。

忘れもしない昭和53年1月1日。
歌志内市で盲導犬として働き、事情があって早めの引退をし、その後キャンペーン犬として働いていたユキちゃんのこと。
老犬となって病気も患っていたユキがその日宿直だった私に「オシッコ」と言って立ち上がった。
抱っこして雪の上に降ろすとユキは長々と排尿をし終え、その場に崩れるように倒れて私の腕の中で眠るように息を引き取った。
科学的には、老犬・病気そのうえ1月の寒い外で排尿をさせたことがユキの体温を急速に奪わせ、死を誘引したと言えなくもない。
いや、そうだったのだろう。

だけど私は「オシッコ」と意思表示をしたユキを外に連れ出し、「ありがとう。助かりましたよ」と言って死んでいったユキに『悪いことをした』なんて全然思わなかった。
「偉かったね、最後まで君は。」と見送ることができたし、その後にも続く盲導犬たちの死に立ち会うたび『偉かったね、本当にご苦労様でした。』と言葉をかけ『たいしたもんだよ。いい仕事をしてきたな。ちゃんと君の死を見届けてあげたよ。』という切なさの中にも満たされた思いがあり、さらに次の盲導犬訓練へのモチベーションへと繋がっていたものである。

最後に人や犬がどこでどんな排泄しようがどうでもいいことだ。
ただ元気な時代に排泄という日常のことにでもちゃんと向き合う姿勢は基本中の基本であると思っている。

3.返事を書かなければならないようなメールが溜まってきている。
皆さん真剣で興味深く面白い。
でも文面が長い!
そんなのがいっぱい来たら嬉しいけど、返事を書く勇気も必要なのです。
だから返信が出来ない場合もあれば遅れることもあります。
ご容赦下さい。

書くテーマがなかったはずなのに長い文面になってしまった。
『時間があれば短く書ける』というのは本当のようだ。
 

科学すると同時に失いたくないもの 2008年09月24日(水)

  寒い寒い。
「半袖は今日まで。明日からは長袖です」
先日天気予報のキャスターがそう言っていたが本当に一気に半袖から長袖になった。

多くの気象観測機器から得られたデータを科学的に分析した結果『間違いない!』と確証を得てのコメントだったのだろう。
家庭犬を訓練する立場からすれば羨ましい限りである。

私が盲導犬をやっていた時代の後半には繁殖から訓練に至るまで『科学する』という考え方が当たり前になっていた。
例えば、昔なら年間に作出する盲導犬の数は『期待する目標は10頭』などと曖昧な計画を立てていても、その年の犬の出来次第で左右されてしまっていたのだが、それが次のように変化していった。

例えば盲導犬の年間卒業頭数を10頭と事業計画した場合、過去10年におけるデータに基づいて
1.訓練成功率は8割
2.だからそのため訓練犬には最低13頭が必要
3.訓練犬になる確率は4割だから訓練犬候補の仔犬は33頭(=パピーウォーカーの数)を出産・飼育しなければならない。

さらに
1.雌犬(Brood Bitch)の出産頭数は平均(例えば)6頭だから繁殖犬としての雌犬は5〜6頭必要
とか
2.一人の訓練士が年間に訓練できるのは4〜6頭だから最低3人の訓練士が必要
などなどの状況が明らかになる。

さらに細かく言えば
一人の盲導犬訓練士を養成するには○年かかり、育成成功確率は○パーセントだから○人の訓練候補生を雇わなければならない、となる。

くだらないところからスタートした科学ではあるが、今では
・訓練犬の成功率を高めるため適性の高いオス犬(Stud Dog)の精子を凍結保存して後に受精させたり
・優秀なメス犬(Brood Bitch)との受精卵を凍結保存し、いつでも解凍して出産させる技術を得るまでになっている。

だが、家庭犬における科学はどんなに進んだとしても現在のようにペットショップや理念のないブリーダーそれに科学の代弁者であるはずの『木を見て森を見ない獣医』が存在する限り進歩は見込めないと思う。
せいぜい動物行動学におけるくだらない理論に基づいた
・犬は褒めて育てましょう
・呼び鈴で吠える前にフードを床にばら撒いて『呼び鈴イコールいいこと』と結び付けましょう
・散歩中に前から犬が来たら、吠える前におやつを与えましょう
とか
・免疫が出来る前に外に出すのはやめましょう
・去勢は問題が顕在化したときに考えましょう
なんて、無垢の飼い主を愚弄する時代がしばらくは続くのだろうと思う。

さてその後は…

いみじくも今日のNHK『その時歴史が動いた』で神様・仏様・稲尾様と紹介された名投手稲尾は天才打者長嶋を抑えるために考えに考え抜いた結果『考えないこと』という結論を述べていた。
「捕手とのサインを決めず、投げる瞬間に球種を決めた」と。
それが読みの天才を討ち取る極意であったというのだ。

さらに今朝の朝日新聞に、佐渡の空にトキを送り出す担当獣医師が紹介されていた。
初めて赴任した時には、威嚇を繰り返すトキに対して
「生意気な奴だ」と感じたが、そのトキが命を懸けての行動に出ていたことを知り、また知識や科学ではなく動物の直接的な訴えを感じた後にこの獣医が得た結論が心打つものであった。
「考えるな。ただ感じろ」
なんと素晴らしい境地だろうか!

科学の先にあるもの…それは…
実は科学の前からあったものなのではなかろうか。
両者はうまく融合できると思う。
ただ、今の時代、どちらかに大きく針が振れ過ぎていると感じるのは私だけではないはずだ。
 


- Web Diary ver 1.26 -