From the North Country

それぞれの個性に乾杯 2008年09月16日(火)

  夕べの『最新情報』ご覧になりましたか?
私だっていろんなブログやHPを見ることがあるけど、大体は人間の顔にはボカシが入ってるのに、Kの『最新情報』は修正もなく“まんま”です。
怖いですねぇー。
お気をつけ下さい。
特別な申し出のない限りは、そんなカフェですので…

さて、JRのカシオペアで盲導犬使用者のAさんは無事帰京されただろうか?

以前に私は、盲導犬には10数年前から建物内でも排泄できるベルトと凝固剤を開発し、盲導犬候補生にはそこに排泄するトレーニングを行っていることをこの欄に書いたが、先日、愛犬の10歳記念の旅でカフェを訪ねてくださったAさんは、その必要性を感じておられてなく通常の外でのワンツー(シーシーベンベン)で生活をされていた。

ところが初めての長旅。

Aさんは帰路に当たる札幌〜東京の長距離列車カシオペアでの排泄をどうするか自分なりに考えておられたようだ。

その方法とは、『ホテルの空き地の草むらで排泄したので、その草をむしって列車内でペットシーツを広げた上にその草を撒いてさせる』という理論的には頷けるものだった。
だが、それですんなり解決できなかった場合を想定した私は、
「こんな方法だってあるよ」とアドバイスを与えた。

それは実際に盲導犬ユーザーが過去に行った腹を抱えて笑いたくなるような手法でもあった。

・長距離列車でも必ずどっかの駅で数分間停車することがある。
・その前に車掌が車両を巡回してくるから、その時に盲導犬と一緒であることを伝え、適切な駅で排泄させたいことを伝え、そこに到着したら手助けして欲しいと頼んでおく。
・停車駅で車掌が来たら、列車内やプラットホームでさせてもいいけど、あまりにあからさまだと他の人たちに迷惑だから『線路上の方がいいんでないかい?』とわがままを言う。
・その後は線路に下りて排泄させようが、どこで排泄させようが、“車掌”という人質を取ってるわけだからどんなに遅くなっても列車が勝手に発車することはない。
というわけだ。

Aさんも笑いながら「それは使えるかも」と現在の軟弱な社会福祉を逆手に取った手法に納得されていた。

軟弱といったのには訳がある。
人には障害や加齢などによって行動できる範疇に様々な個性的な違いがあるのだが、社会や行政はそれを『ひとくくり』にしないと対処できない性癖というか制度を作ってしまう。
つまり人はそれぞれに違うのに、“社会的弱者”でくくれば救済対象になるし、そうでなければ門前払いか『お気の毒』で済まされてしまうというわけだ。

今夜はこれ以上の難しい話はよそう。
盲導犬を伴っている以上、障害者なのだから、公的機関で働くものは配慮する意識を高めて当然となるのだ。

批判はともかく、障害を持つ人間(=いつそうなってもおかしくない私たち)が編み出した“遊び心”に快哉を叫びたい。
 

愛犬との旅ひとまず終了 2008年09月14日(日)

  酔った老体では今にも息が切れそうだった。

今夜のお泊り犬ラブのマックス(10ヶ月)は夕方スマートに2階に上がったものの、お休み前のトイレタイムで階段を下りることができないでいた。
仕方なく私が抱っこして1段ずつ転落しないように慎重に降りることになったのだ。
どんなに飲んでいてもまだ肝心な時は身体がちゃんと反応してくれるありがたさと、加齢に伴う呼吸の乱れに戸惑ってしまう。
無事ガーデンに出て深呼吸を繰り返し、見上げた空には見事なほどに眩い中秋の名月が輝いていた。

さて、『愛犬との旅』もそろそろ核心を書いてひとまず終わりにしようと思う。

今の日本では破天荒であり常識ハズレであり多くの場合法律・条例違反なのだが、ノーリードでのしつけというか訓練を認め、それをクリアした犬が常識的な場所でノーリードにしていても許される社会と飼い主になって欲しいというものだ。

叶わぬ夢だがそれが究極の家庭犬との暮らしだと私たちは思っており、それに必要な項目のほとんどを私はアモに教え込んだ。
今では“アモが存在するが故の迷惑”しか他人や社会にかけてはいないつもりだ。
つまり
1.そこにアモという犬がいて、リードに繋がれていようがいまいが犬アレルギーだったり恐怖や嫌悪を感じる人がいたり、犬がリードに繋がれてると安心感を得る人がいるということ。
2.排泄するし、敏感な人には臭いもあろうし、抜け毛もある。

以上であり、それ以外に正当な指摘を受けたならすぐに改善する気持ちも持ち合わせている。

アモをノーリードにしても
1.室内で暮らす大人が一人増えたようなもので、それ以外の何もない。
2.外では人に声をかけられても自ら勝手に近づかないし、興味ある動物がいても許可なく行動を起こすことはない。
3.仮に通行人や動物を見つけたなら立ち止まって『マテ』なのか『おいで』なのかの指示を待つ。
4.仮に人や動物がアモに向かってきても無視するか立ち止まって指示を待ち、例え犬に咬みつかれたとしても反撃せず鳴き声をあげて私が何とかしてくれると信じているだろう。
5.交差点や道路を勝手に安全確認もせず渡ることはないし、歩道を歩いている時に例えば突然大きな音がしたり、猫が飛び出したり、犬に吠えかかられてもあたふたせず「マテ」の指示に従うだろう。

そのうえで遊び心があり、自己主張もし、冗談も通じ、多くの言葉を理解し、叱られることの意味とその時の振る舞いを知っている愛犬と旅することがどれほど素晴らしいかを是非想像していただきたい。

そして大切なことは『そういう犬にめぐり合えたから』というのではなく『そのために愛犬を育てる』ということに思いを馳せて欲しい。
アモが我が家にやってきて彼の生活習慣は大きな転換を求められたことだろう。
きっと今アモはその意義を理解し、いつでもどこへでも私たちと一緒に出かけられる喜びと自らの振る舞いの意味を感じていると思う。

初代看板犬で亡くなったスーとも何処へでも出かけたし、今のアモも何処へでもノーリードで出かけられる状況だ。
『あの犬はよかった』なんて思わない。
どんな犬に育てるのか、それぞれの個性を楽しみながらも基本は基本であり、飼い主がしっかり関わって育て上げる苦労を喜びに変えてくれるのが犬の素晴らしさでもある。

私とアモは状況を見ながらノーリードの散歩を人目につかないように日々繰り返し、その問題点と効果を考えている。
2ヶ月ほど前、誰もいない(と思われた)道路をノーリードで歩いていたら交通取締りの警察官が物陰に隠れていて「犬はリードで繋ぎなさい」と注意を受けた。
私とアモは足早に通り過ぎたが、イギリスで愛犬をノーリードで歩かせるために、いろんな指示と褒め言葉をかけながら練習していた少年の姿が思い出されていた。

やっぱ、今の日本じゃ無理ですよね。
私が悪い。
もっとこっそりアングラでやります。
 

塩屋先生のこと 2008年09月13日(土)

  「夕べのこの欄は誰が書いたの?」
今朝になって『北の国から』がアップされているのを見て、私はてっきり酔い潰れた私に代わってKが最後を書いてくれたものと思い
「あのccccって何?どういう意味?」と尋ねてみたら
「知らないよ、そんなこと。私も知りたかったのに」とK。

私は酔ったことを言い訳にして生きてきたつもりはないが、昨夜の後半は正直全く記憶にない。
酩酊状態になっても徘徊して人殺しをせず、ちゃんと戸締りをして自分でパジャマに着替えて自分のベッドで朝まで寝ていられる遺伝子をくれた両親に心からの感謝を伝えたい。

さて、今夜のテレビ番組『日本初の盲導犬誕生物語…』ご覧になりましたか?
よく出来ていましたね。
私にはとても懐かしかった。
昭和50年に大阪のお好み焼き屋さんで読んだ少年サンデーだかマガジンに掲載された『僕は盲導犬チャンピー』のドラマ化はこれまでにも何本かあった。
だが、あの漫画こそが私を盲導犬の世界へ送り出したのだ。

ある程度の経験を経て盲導犬の訓練に自信を持ち始めた頃、塩屋先生が当時の札幌盲導犬協会(現北海道盲導犬協会)を訪ねてくださった。
私にとってはその頃から“怖いおじいちゃん”だったのだが、先生は当時としては新たな訓練手法を取り入れた札幌の盲導犬協会に理解と興味を示してくださり、私の訓練を後方から見学された後、そこそこの討論をさせていただき先生の協会に私が伺った際には丁重なおもてなしを受けた。

残念ながら塩屋先生との訓練方法には大きな差異があった。

だが、それは時代を経た進歩であり、先生も心の底では喜んでおられたに違いのないことでもある。
当然、私は直接的な議論を控え、日本に盲導犬を導入された当時の苦労話に耳を傾け、当時の先生の気概を学ばせてもらい、その後も何度か行き来をさせていただいた経緯がある。

息子の隆男君とは年齢も違わないこともあって、イギリスでの国際会議後には飲みながら親交を深め合った。
違うのは彼は親/塩屋先生のあとを継ぎ、私は別の世界で生計を立てるようになったぐらいのことだろうか。

ともあれ今日の番組の最後で塩屋先生が健在であることを見られたのがうれしかった。
奥様の和子さんと隆男君にも現在の私を報告できればと思い始めている。

盲導犬事業に関わった人間は塩屋先生の後にも続き、バトンを渡しながらこれからも脈々と続いていくことだろう。
その人々が塩屋先生の初期の志を引き継いでいるのは確かなことである。

日本語で言えば『盲導犬』だけど英語ならGuide dogs 『for the Blind』。
つまり誰のためのものではない『視覚障害者のための盲導犬』なのである。
 

愛犬との旅・アネックス(別録) 2008年09月12日(金)

  身体中が火照って燃えそうだ。
原因は夕べの白ワイン。

実は定休日初日の昨日朝から、先般サミットが開かれた洞爺湖畔で湖面貸切状態のキャンプを楽しんできた。
向かう途中のルスツ高原で前から走ってくるキャンピングカーにふと目をやると、運転していたのはカフェの常連ハスキー/チェス君の飼い主Yさんだった。
あっという間に通り過ぎてしまったが今年から始めたキャンピングカー生活の体験を積み重ねた帰還途中だったようだ。
早速携帯に電話してみると「今すれ違ったよね。暑かったぁ!」という言葉が返ってきた。

我々が現地に到着してみると、テント諸々を設営してる最中は汗まみれになったものの、その後は涼風が吹き始め空にはうす雲がかかって何とも快適な時間を過ごすことができた。

それからの我が家の愛犬アモは疲れ果てるまで湖畔を泳ぎ回り、夕方に私たちは快適な温泉を満喫してから夕食のすきやきに舌鼓を打った。
宴がピークに達した頃、温泉街で打ち上げられる花火を遠めに見ながら至極の時間を過ごせたのであった。

ビールで心地よくなった私はワインを飲みたくなった。
予め買ってあった『やや甘口でフルーティー』なワインのコルクを“栓抜き缶きりコルク抜き”が一体となったツールで全身全霊をかけて引っこ抜こうとしたのだが、どんなに力と気合を入れても抜けなかった。

どんなにどれだけ力を配分しても抜けなかった。

ビールだけで終わってしまった私はそこそこ心地良かったものの、結局眠れぬ夜を過ごすことになり今日の朝を迎えた。

お日様が照っていたなら日の出と共に暑さで起こされてしまうのだが、今朝の洞爺湖はうす曇がすべてを完璧にしてくれた。

アモは湖面を泳ぎ続けて疲れ果て、私たちは涼しい今日を丸一日楽しむことができた。

夕べの反動が今に来ているのだ。
自宅に帰った私は夕べ飲めなかった酒(アルコール分)を一気に取り込もうとしている。

栓が抜けなかったワインの反動によって今夜は酔い潰れてしまったのだろう。

で、火照っているのは、キャンプの陽射しのせいではなくってそこまでの経緯におけるcccccc身体の反射である。
ともあれこんやは疲れています
 

愛犬との旅その5 2008年09月10日(水)

  テレビ番組なんかで『田舎暮らし』を夢見て都会での仕事を早期退職いわゆる脱サラした方々が紹介される。
北海道でもそのような方が多く、それだけの夢を充分に描く価値がある自然豊かな大地だと私も思っている。

動物的な繊細な感性を持っていないと自然の中では生きてはいけないし、かといって細々したことより『大雑把で大体』というゆとりを持たないと自然や地域に溶け込めない。
そんなことすら魅力に感じるものである。

ただ、『ちょっと勘違いしてませんか?』と思われるのが犬との暮らし方で、広大な敷地を有している人がその範囲において愛犬を自然に帰しのびのびと放牧するのなら羨ましくもあるが、そうではなく只単に周囲が空き地であったり『田舎では犬も自由に野放し』なんて感覚でいるなら、それは脱サラ組の期待と誤解に基づく誤ったイメージである。
もしできるなら都会に過去のすべてを置いてきてもいいから、犬との暮らし方の基本(周囲に迷惑を及ぼさない)だけは北海道や沖縄に持ってきて、その上でも充分に楽しめることを知って欲しい。

札幌なんかの公園には必ずと言っていいほど
・犬は放さないでください
と書かれた看板があるけれど、地方に行けば
・ウンチは持ち帰りましょう
に続いて
・犬は必ず連れて帰りましょう
なんて書いてあったりする。
別に公園で犬を捨てていく人が多いわけでなく
『好きなだけ遊んだら、どうせ自分で帰ってくるべ』と考えている飼い主が多いということだ。
だが、そんな街を歩いてみるとあちこちに似たような犬がいて、どうやら帰り際にオス犬がこの世の春を謳歌した痕跡が見られたりする。

今回の旅先の宿でも北海道に移り住んだオーナーの中に、「うちの犬は自然のまま。それが一番だ。2ヶ月も帰ってこないこともあったけど、ちゃんとバスに乗って自分で帰ってきた」と誇らしげに語るご主人がいた。
「へぇー、地域の人はみんなこの犬が誰の犬か知っててバスに乗せてあげたんでしょうね」とKが言うと
「いや、自分で乗ってきたんだ」と言い張るご主人。
まるでそれが自然との共存であるかのような考えに、Kは『これ以上のことは言っても無駄だよね』とため息をついた。
「歩けなくなった数日後に死んだ。(それが自然と暮らすのを象徴した結果だ)」とご主人はさらに自慢そうに話した。
「普通に暮らしてれば事前に飼い主が異常を知ることができただろうにね…」
後でKが淋しそうに言った。

その宿ではペットを受け入れる部屋を設けて、館内もオンリードであれば自由に動けていたのが今年から室内のみになった。
「“自然なままの犬”を受け入れていた宿の方針を転換させるほどの“モンスター飼い主とモンスター愛犬”が増えてしまって、さすがのオーナーも困ったんだろうね」と私はつぶやいた。

医療を含めた高等な管理をされた愛犬とその飼い主の意識については『おいおい!それって行き過ぎてないか?』とその過剰さを感じることもあるが、あまりにもいい加減で旧態依然とした田舎の良さに、都会の人間が的外れな拍車をかけることに疑問を感じた瞬間があった今回の旅であった。
犬と暮らす上での『地域ごとのフツウ』というのを再認識し再定義しなければならないと感じた。
 

ちょっとこの欄をお借りして 2008年09月08日(月)

  本日(8日)『長崎塾』の件でお電話いただきましたフジイ様。
メールでのお申し込みとのことで再チェックいたしましたが、メールが届いておらずアドレスが分からないため全文の添付が出来ない状況です。
誠に申し訳ありませんが、もしこの欄をお読みでしたらもう一度お電話くださるか改めてメールを送っていただけませんでしょうか?
よろしくお願いします。

今夜の欄は後ほど書ければ書きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから数時間が経ち体内のアルコール濃度もこの欄を書ける程度にまで満たされてきた。

さて、冒頭にある『長崎塾』とはこのページの左側にある緑色の帯の下から4番目の項目のことで、そこには盲導犬の仔犬を1年間育てる“パピーウォーカー”というボランティア家庭のために私が書き下ろしたノウハウが収められていて、現在では一般家庭犬向けに改編途上の未完の状態となっている。

盲導犬はともかく家庭犬についてはまだまだ未熟な私なので、時折手を加えているがなかなか完成できないでいる。
盲導犬の用途はある程度ハッキリしているので、使用者の個性やニーズそれと施設側の改革に対応していけば良いのだが、家庭犬となると犬種や飼い主の多様性それに社会のいい加減さを考えなければならないから、そういう意味で家庭犬のセミプロの私には苦労が多いのだ。

それでも時々いただく愛犬家の方々からの声援メールに勇気付けられる毎日である。

ところが私と同じようなプロやセミプロの方々が私と同じような主張をしたためにネット上で叩かれたりしているというメールをいただき『一体どうなってるの?』と戸惑うことがある。

私はこれまでに一度もそのような論戦を挑まれたことがなく、且つ、現在は札幌の天候も抜群で気分は最高だから『ちょっとつきあってもいいかな』と思っている。

だから私はすべてを公開して待っています。

問い合わせではなくあなたの主張を聞かせてください。

きっとそのことが私の頭を混乱させ、ひいては整理させてくれて、未完の『長崎塾』を完成へと導いてくれると信じているのです。
お互い感情的になって論戦し、磨き合いませんか?
新しきを知るためにチャレンジをお待ちしております。
メールアドレスはnagasaki@sapporo-dogscafe.comです。

ここまで書き終えた時、冒頭のフジイ様からメールが届いた。
よかったよかった。
なんと私と同姓の長崎県の方でした。
一件落着!
私は福岡生まれ、長崎生まれのさだまさしが大好きです。
ご迷惑をおかけしましたがすぐに全文を添付いたしますね藤井様。
 

愛犬との旅その4 2008年09月07日(日)

  今回の旅の初日、十勝の美味しい牛乳を普段よりやや多目に与えすぎたため我が家の愛犬アモの夜のウンチはやや緩めになっていた。
案の定、夜中の3時頃「ねえ、ねえ、」とアモは私を起こした。
そして「トイレに行きたい」と彼は明確に伝えた。
「そうか、わかったよ」
アモと宿の玄関まで行った私は大いに焦った。
何と玄関は施錠されていてどこを探しても開けようがなかったのだ。
「すまん、悪いけど我慢しろ」と言って私たちは部屋に戻り、
「5時には開くべ」と二人して横になった。
(もしアモがさらに訴えたなら宿の方を起こすつもりでいた)

それはそれは健気なアモには辛い2時間だったことだろう。
こらえながら身体をもぞもぞさせ様々な工夫をしているのがわかった。

5時前に玄関の開く音がしたので私はすぐに着替えてアモと外に飛び出した。

年のせいか最近の私は若い頃のように便意を催してから我慢できるまでの時間が極端に短くなっているのだが、アモはその我慢を見事にやってのけてくれたのだ。
あの便の状態なら私は我慢できずに・・・

ともあれその日は『スマンかったなぁ、アモ。』という思いと『よぉ我慢したなぁ』と感謝の気持ちでいっぱいだった。

ところで、自宅におけるアモの排尿行動には明らかにテリトリーを意識したマーキングが見られる。
それは彼の去勢時期が遅かったことに起因している。

盲導犬候補生だったアモはその適性を判断しきるために、本来(盲導犬の場合)なら生後6〜7ヶ月での去勢が適切なのだが、様々な事情があって1歳を過ぎてからの去勢となっていたのだろう。
そしてそのことがアモにオスとしての痕跡を強く残し、テリトリーにおけるマーキングに繋がっていると思われる。

例えば、散歩コースを少し変えてあげると大抵の犬は喜ぶのにアモは日常の散歩コースにはこだわりを持ち、チェックすべきところではマーキングを欠かさないでいる。(勿論私が許可した空き地や草むらであって、人が住む玄関や塀は不許可となっている)
タマツキシーズーのゴンタでさえ途中からのマーキングは格好だけでオシッコは何も出てないのに、アモは最後までしっかり出ていることに驚かされる。

だがそんなアモと未去勢犬のしつけられていない犬との違いは、旅行先や休日などに車で移動する原始林などを歩いていてもアモは滅多にマーキングというか排尿行動をとらず、たくさん溜まってから一気に排尿をするし、カフェや宿など人の生活空間ではたとえ下痢をしていても絶対に我慢するのだ。

アモは去勢時期が遅れオスとしてのホルモンが回った犬である。
それでもちゃんと育てることで申し分のない家庭犬になってくれている。
ただ飼い主はプロの私たちである。
普通の方たちに家庭犬として失敗しないためのアドバイスを与えるなら
・オス犬が四つ足で排尿している生後5〜8ヶ月の時期に去勢しなさい
・それに異議を唱える獣医師がいたら説明をよく聞き、愛犬の病的なことに起因するのでなければ改めて手術を依頼するか他の獣医師を探して去勢しなさい
と言うだろう。

昨日のカフェに去勢して3日目のシーズー/そうじろうが遊びに来てくれた。
「最近始まっていたペットシーツ以外の場所でのマーキングがピタッとなくなりました」
「こんなに変わるなんて驚きです」

それがしつけだとは思わないがスタートラインに立てた事だけは間違いない。
何故なら、本能の一部分を切り離すことができたのだから、これからは面と向かって育てることができ、以後の犬はあなたたちの作品となるのだ。

さてこれまで愛犬を受け入れてくれる数少ない宿に感謝の気持ちを込めて書いてきたが、実は受け入れ側の人間たちにも根本的な問題があることを改めて気づかされた今回の旅でもあった。

この続きはまた。
 

愛犬との旅その3 2008年09月05日(金)

  すべての未去勢のオス犬が排泄行動に問題があるわけではないし、自宅で暮らす分には気にも留めていない飼い主もおられることだろう。
実際カフェのお泊り犬で私のベッドで寝ることが許されているシーズーのゴンタも未去勢である。

しかしその安心感が油断となるから愛犬と泊まれる宿では絶対的な注意が必要となる。
否、そもそも私はタマツキわんこのほとんどはこのような宿泊施設を利用すべきではないとさえ思っている。
理由はいくつかある。
1.繁殖目的であること自体が“どこにでも連れて行ける”ということへの欠格事項であるから。
2.それでも“しつけ”ができていたり、性格的にそのような行動を取らないタマツキわんこもいるだろう。
だが、そのようなわんこも残念なことだし本人の責任でもないのだが“現役のオス”という臭いを室内に残し、後続のわんこたちのマーキングを誘発させる原因になっていることに配慮しなければならない。

『生まれながらについてる物を手術で取ることのほうがおかしい』と考えるのは自由だが、そのような飼い主は同時に“制限”というものを受け入れるべきであろう。
根源には本能に基づく行動や生物臭というのがあるのだから。

何度も書くが、盲導犬を社会参加させられるのはオス犬には去勢がなされているからであり、仮にどんなに優れた盲導犬の繁殖犬(stud dog)と旅行する場合があったとしても私たちは決して彼らを宿に入れることはせず車内に留め置くか特別な配慮をするであろう。

最近小型犬にはマナーベルトというのが広がっているが、敢えて小型犬の飼い主に伝えたい。
あれは万が一の備えであってマーキングを許容するものであってはならないのですよ。
私はずっと盲導犬をやってきたから『小型犬というのはある程度排泄問題があっても仕方ないのかな?』なんて思っていたが、カフェで5年勉強したら『そんなことはない』という確信が得られた。
小型犬には多少排泄間隔が短い犬がいるのと、飼い主が甘く考える傾向があるだけで、しつけなどの生活習慣に大きな差異はないのだ。
『ペットシーツで排泄させる』という観念がやはりすべてをおかしくさせているのだと思う。
小型犬の排泄にいい加減な飼い主は、まるでよく出来たモルモットを飼育している気分なのだろう。

一般客がほとんどで一部わんこ連れを認めた宿に、モルモット感覚で犬を連れ込んでおきながら、好き勝手に“愛犬との旅”を満喫する感性なんておかしいでしょう。
ケージに入れっぱなしなら昆虫と同じだからいいけど、マナーベルトをしていてもチェックインの手続きの最中に足元でわんこが足を上げてオシッコしているなんて、その姿を見た一般客はどう感じることか。
おまけにマナーベルト内でさせっぱなしの犬たちの放つ臭いを飼い主はどう感じておられるのか?
私には『鈍感』としか言いようがない。
せめて『ちゃんとするんだよ』という言葉を責任を持ってかけられるように“家族の一員”として暮らしたいなら去勢というものは絶対条件である。

ところで我が家の愛犬アモ…
彼に『お前はマーキング王子だ。』と言ってやりたい。
この話はまた。
 

愛犬との旅その2 2008年09月03日(水)

  前回の続き…

結局ガイドブックの内容とは違い『犬は室内だけに』と変更された宿が1軒あった。
部屋に入るとアモがいろいろ教えてくれた。
「ここ、ここにオシッコの痕跡があるよ」
「あ、ここもだね」
私はアモに教えられた場所にカフェで使用しているバイオチャレンジをスプレーし「他には無いかい?」と尋ねた。
アモは一仕事終えるとすぐに持参した敷物の上で横になっていた。

愛犬と泊まれる宿を利用したいなら排泄マナーは最低限のはず。
宿の方は「ご自宅ではきちんとできるんでしょうけど、環境が変わるといろいろありますので…」と精一杯の配慮をしながら注意事項を述べられていた。
それだけ粗相をする犬が多いということで、過去にこの欄で私が述べてきたように“犬が勝手にペットシーツで排泄するのはトイレのしつけなんかではない”ということの証明である。

殆どのペット関連従事者・獣医師・訓練士が“犬が自発的にペットシーツで用を足す”ことをトイレのしつけと思い込んでいるのがすべての過ちの始まりである。

犬の排泄意識は人間と変わりなくできるんですよ。
さらに詳しく言うなら、管理する人間がちゃんと愛犬の排泄行動に関わっていたなら
・自宅でのマーキング
・自宅以外のホテルなど環境が変わろうとも人が暮らす建物内での排泄など人間がお漏らしする確率程度の失敗しかないはずである。
でなきゃ盲導犬がホテルなど公共施設を自由に利用できるはずはないでしょう。

盲導犬は厳しい訓練を受けたから?
冗談じゃない。
私は25年間盲導犬の訓練をしてきたが、こんな基本的なトイレのしつけなどはパピーウォーカーと暮らす1年のうちに既に犬たちが学んでいた。
逆に難しかったのは、10数年前から特殊なベルトと凝固剤を用いることで盲導犬の排泄物が自動的に袋に収められるようになり、盲導犬使用者はわざわざ建物の外に出て排泄させる手間をかけなくて済むようになったのだが、例えば身体障害者用のトイレなどで盲導犬に「ここで排泄しろ」と納得させるのに苦労した。
「ウソでしょ?ここは室内ですよ。やっちゃマズイでしょ」と彼らは主張していた。

室内犬のトイレのしつけとは、外の指示された場所で排泄を行うことであり、飼い主は愛犬に我慢させることなく適切な時間に排泄をさせ、それでも予定外に催した犬は飼い主にそれを告げることができ、飼い主が留守がちの犬の場合は緊急避難として室内のペットシーツでもできるようにすることである。
日常的にそのようにしていると、旅行先だろうがなんだろうが室内で粗相することなどまずあり得ない。
仔犬や小型犬の排泄間隔が短いことは飼い主が把握しておくべきである。

因みにカフェのお泊り小型犬の寝床近くにはペットシーツを敷くこともあるが、そこに排泄する犬などまずいない。
みんなガーデンに出した時に済ませているから。

排泄で問題なのは未去勢のオス犬である…

長くなったのでこの話はまた次回。
 

愛犬との旅 2008年09月01日(月)

  無事4泊5日道東の旅を楽しんできた。

今回宿に選んだのは“主にワンちゃんと飼い主のための宿”ではなく“ワンちゃんも泊まれる宿”であった。
その理由は
1.メインは一般客だから、そこに泊まるワンちゃんも飼い主もそれなりのマナーやしつけに自信を持っているはずと期待してのこと。
2.同じく一般客がメインだから温泉や部屋の設備もそれなりに綺麗で充実していると思われたこと、であった。

で、結論はというと
充分に満足できたのが1軒で、結構満足だったのが1軒、あとの2軒は「うーん、いろいろ大変なんだろうなぁ」という思いが残った。

断っておくが、どこの宿も皆さん親切で食事も美味しかったしおもてなしも良かった。
おまけに予想通り温泉はすばらしく日ごとに身体がつるつるするのが実感できた。

『うーん…』と私が唸る意味にはとても深いものがある。
どの宿も犬好きの人々がいてとても好意的なのだが、良かれと思って宿の一部を愛犬家に開放した結果、自分たちの好意や想像とはかけ離れた犬と飼い主に遭遇し、苦労した過去と現在の表情をお持ちなのだ。
つまり『愛犬と泊まれる部屋を準備したけど、予約の入った今度のワンちゃんと飼い主はまともな方たちだろうか?』という不安が自然と湧き起こっているのである。

だからガイドブックには犬を受け入れる条件として
・トイレなど最低限のしつけが出来ていること
・無駄吠えして他のお客様の迷惑になるようなことがないこと
などが明記されてもいる。

しかし実際に宿泊してみると
1.隣室のMダックスは家族が食事や温泉に出かけると吠えっぱなしで、それなのに飼い主は交代で出かける配慮もせず、在室中に吠えても止めさせる意思がないのか危機感がないのか・・・、大勢の一般客や宿側に迷惑をかけていることに無神経であると断言せざるを得なかった。
嫌味な表現だが、ああいう飼い主ほど『叱ってはいるんですけどねぇ』と言い訳をし、『犬と泊まれる宿っていうのはそんなことを理解したうえで受け入れてるんじゃないですか?』などと開き直っているのだろうと思われた。

2.宿泊室に入るとお香や芳香剤の香りがする。
室内生活をしている犬の体臭が染み付いて部屋が臭くなることなど滅多に無いから、これらの香りは明らかに過去の排泄臭の消去の為に施されている。
つまり粗相やマーキングをする犬たちとそんなことすら解決も出来ない飼い主が過去に宿泊していたということである。
毎日毎日、宿の方々は日々清掃する部屋に入り心砕いておられたのだろうと思う。
抜け毛の掃除だけなら想定範囲内だっただろうに。

3.畳やドアに引っかき傷が・・・
排泄臭に悩まされた挙句、畳やドアなど室内を荒らされおまけに吠え声で他の宿泊客に迷惑を及ぼしたなら多くの受け入れ業者には警戒感が芽生えて当然である。

長くなるのでこの続きはまた明日。

大型犬宿泊費2100円
中型犬1575円
小型犬1050円
そんな規定のあった宿なのに私たちの大型犬アモが請求されたのは1050円であった。
『あなたの愛犬ならいつでもまたいらしてください』
そんなメッセージだと私は受け取った。
 


- Web Diary ver 1.26 -