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予想以上のスピードでガーデンの雪解けが進み、せっかくの明日からの3日間はひどいコンディションでお客様をお迎えすることになりそうだ。 だがこれも春を迎える儀式とご容赦願いたい。 玄関先のシャワーと戴き物のタオル類を存分にご活用下され。 因みに明日のカフェはオープン前からWBC一色で、熱く熱くなっておりますぞ。
時々『アモ、ジェニー、チビ、ハグ。お前たちは幸せか?』と、帰って来るはずもない返事を前に自問自答する。 『犬たちの幸せってなんだろう』と思う。 これまで何万回も重ねて生きてきたのに、経験豊富といわれる今でさえ同じ質問を何度も自分に課している。
厳しさゆえの懺悔から? いや違う。 無力感から? それも違う。
これまで何度も書いてきた言葉に『脳を解発された犬』というのがある。
犬というのは(ひょっとしたら類人猿もそうなのかもしれないが)イヌとして扱い・暮らせばイヌとして育つものである。 だから、私は外に繋がれて吠えまくるイヌを見ても可愛いと思えこそ気の毒だとは思わないし、いつまで経っても制御が利かない散歩中のイヌを見てもそう感じるし、イヌが食用に肥育されてもそれは文化だと受け入れることができる。 だが、一度でも『脳を解発された犬』がそのような境遇になった時には、その辛さを有事に巻き込まれた人間とダブらせて混乱してしまうひ弱さを捨てきれないでいる。
幸いにも私が見る限り『脳を解発された犬』はまだまだ少数であるが、カフェの顧客のほとんどがその方向性をつかんでおり、あと一歩という方もおられる。
厳しいとか甘いというレベルの話ではない。
今夜、一方的に私が書いていること、すなわち『犬の脳を解発する』ことが正しいのか誤りなのか?そのことが私には確信できないのだろうと思う。
同じように愛犬を愛した人間に対してはとても失礼な言い方だが、家庭犬を亡くした飼い主と盲導犬を亡くした視覚障害者のそれまでの比重の違いが私の気持ちを代弁しているような気がしている。 ふと、また考えるテーマなのだろう。
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