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先程まで冬の嵐が吹き荒れていた外を見ると、東の空にくっきりと八分咲きの月が輝いている。 激しい雪、強風、カミナリそして月。このあとも次から次へと天候は変動していきそうな今宵である。
昨年から今年とレッスンを始めた愛犬を見てみると、まるで今夜の天候のような移り変わりがあるといえるだろう。 依頼主の相談内容は吠える引っ張る咬みつく散歩ができないが主で、最近の傾向として将来的に暮らしやすい愛犬に育てたいのでお知恵拝借という予防教育的な側面がある。
私の説明に対してどちらにも共通しているのが『へー、やっぱり犬ってそんな風に暮らせるんですね』という原点に近い飼い主の共感である。
どういうことかというと、元々犬と暮らし始めた方々は過去のどこかで『愛犬と暮らす』ことに夢だけでなくある種のイメージを持っておられたはずだ。 まるで男女が結婚に胸を膨らませ、マイホームのある生活に夢を描くように。 それが実現し時間が経過すると、『こんなはずじゃなかった』という方向に徐々に向かうケースが多く見られるのだが、少なくとも『愛犬と暮らす』という夢に限れば所期の夢への修正が可能だということである。
結婚生活は相手を変える(代える?)のは容易ではないし、マイホームだってそうそう変える訳にもいかない。 でも愛犬との暮らしは“自分が変化すれば”変えるというか掴むことができる範疇に大いにあるのだ。
普通に愛情を持って育てていれば“夢に描いた愛犬”が育つわけでは決してないことを知っておこう。 犬は犬としての振る舞いをし犬種特性それに親から受け継いだ稟性によって行動する。 それをどう取捨選択しふるいにかけ、伸ばし、受け入れ、排除するかが飼い主には問われているし、相手が人間ではないので胸を張って主張できる権限を有している。
いずれにせよ犬の良いところは少なくとも二つある。 ひとつは人間が普通に育てただけで飼い主を満足させる愛犬に育ち、“夢に描いた愛犬”とはチト違うにしても結果的に幸せな人生を送る確率が高いこと。 もうひとつは、ちょっと頑張って愛犬育てを経験した飼い主に『犬や人を責めるばかりではなく、自分自身を見つめ直し、自らが変化することでも周囲は変わる』という人生哲学を悟らせてくれることである。
年をとると頑固になるというが、確かにそうだと感じる。 犬たちがいるから私はまだ“まとも”な範疇に留まっていられる。 どこが“まとも”かと追求されたら顔を隠さなければならないだろうけど、おかげさまで私は日々犬たちから何かを学んでいるつもりでいられる。
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