|
今日は我が家の愛犬アモが逝って百日目でした。
『暮らし易い家庭犬』の話は中休みさせていただき、弔いの思い出話をちょいと。
アモは本当に全くというか“人間を疑う”ことのないわんこでした。 仔犬時代からそのように育てられたからだと思います。
例えば、私が手に持った棒や雪かきスコップなんかを大きく振りかぶって叩くふりをしたら、『ひゃー!何その遊び!』と大いに喜んでくれました。
アモは盲導犬としての血統のもとに生まれたので“何事にも寛容であること”との性質は備えていました。
例えば子供が乗っかって抱きついたり、仔犬が無邪気に絡みついても、迷惑そうではあったけど『しゃあないな』
とにかく人間を信頼していました。
アレルギーで耳たぶが3センチ位の厚さまで腫れ上がり、注射針を刺して液を抜くときも麻酔なしでした。 何日も抜くのにそのたびに麻酔をするのは嫌だったので、アモと頑張りました。 刺しどころによって相当痛い時もあったのですが、アモは悲鳴を上げながらも抵抗することなく私に委ねていました。
賢いわんこでした。
来客があると『誰か来た!』といち早く知らせるために吠え、真っ先に出迎えたいわんこでしたが、吠えるのを叱られるとどうすべきか随分考えたようです。
吠えることをやめれないアモはお気に入りの縫いぐるみを咥え、サイレンサー(消音器)にして吠えていました。 咥える縫いぐるみが近くにない時は、そこら辺にあるタオルなどの布製品をとっさに咥えていました。
年を取り耳が遠くなって、誰よりも先に来客を知らせることができなくなると、縫いぐるみはただの枕になりました。
身体が思うように動かせず、例えば車の座席から落ちそうになった時でも、アモは『吠えてはいけない』ことを知ってましたから『う”ぉぅ〜』みたいな言葉を編み出して私たちに知らせてくれました。 可笑しかったですし賢いなあと思いました。
日本語がとても通じるわんこでした。
冬の散歩中、あったかくなって手に持っていた手袋を落としたことに気づき「アモ手袋落とした。取ってきて。」といえば、100メートルほどでも走って戻りいつもちゃんと持ってきてくれました。
「あれ?母さんいない?」と言えば家中を探して見つけるのはもちろん、多くの固有名詞を知っていましたから普通に会話してましたね。
20人くらいのしつけの講習会の時、「アモそれ持ってきて」と私が段ボール箱を指さし、アモがそれを咥えて持ってきました。 それで皆さんは感心されていたけど、「よし、やれ!」と私が言った途端、アモがその箱をビリバリと破壊し始めるとビックリしてました。 良き相棒でした。
「アモ、あれ見てごらん」と指さすと、ちゃんと遠くにいるキツネなんかを見ていました。
ドッグカフェをやってる時、冬に雪山を作りました。 トンネルを作って、遊び場にしようと「アモ、ここ掘って」と言えば、一生懸命掘ってくれました。 周りの方が驚いていましたが、私たちにとっては普通のことでした。
私たちが出かける時、Kが「アモ留守番ね」と言った途端、後ろから張り倒されたのもいい思い出です。
どうだい?ちょっとは弔いになったかいアモ?
冗談が通じるわんこでもありました… また今度、一周忌の時にでも我が家の愛犬アモ自慢でもいたしましょうか。 それまでは『暮らし易い家庭犬』の続きを、燃料がほどよく入った時にでも書きましょう。
|
|
|