From the North Country

何故かソイレントグリーンを思い出した。 2008年05月20日(火)

  台風並み、いや並みの台風以上の暴風が吹き荒れた一日だった。
雨量は驚くほどではなかったものの横殴りの叩きつけるような雨が降り続いていた。
被害に遭ったのは人間ばかりではないようで、夜になって嵐が去り穏やかになったガーデンに犬たちと出ると、浸透した雨で呼吸ができなくなったフトミミズが表面に這い出し長々となって休んでいた。
朝まで放置すると干乾びてしまうので次々に拾ってはフェンスの外の草むらに投げ入れた。
その際のはじけ方に生命力があったので彼らが生き延びることは間違いないようだ。

ところで、日本人の5人に1人が65歳以上になったらしい。
世界では食料にするよりバイオ燃料に回した方が実入りがいいと穀物の高騰が続いている。
先進諸国はOPECの言いなりにならないように原油以外のバイオ燃料に力を入れるものだから、地球温暖化も相まって食糧危機が現実味を帯びている。

その昔ソイレントグリーンという映画があり、若かりし私も「これはあり得る」と頷けた記憶がある。
あの映画は2022年辺りを想定していたが現実味を帯びてきたように感じる。

食糧危機に陥った人類は、格差社会もあって富裕層こそ肉や野菜を食することはできたものの、多くの人々はソイレント社が製造するソイレントグリーンという合成食品を食べて生き延びていた。
人々はその原料をプランクトンだか何だかという会社の言葉を信じ真実は知らされていなかった。

既に安楽死が合法化された社会であり、高齢者や病に苦しむ人々はクラシック音楽を聴き、大自然の美しい映像に囲まれながら安楽な死を遂げることが公に認められている時代でもあった。

衝撃を受けるのは次の段階だ。
安楽死後の死体が次々と重機でトラックに積み込まれ、ソイレント社へと運ばれて合成食品へとなっていったのだ。
究極のリサイクルと食料としての人間養殖が行われていたという筋書きに凍り付いてしまった人は多いはずだ。

ソイレント社が今の日本に存在するなら、原材料は山ほどある。
あの時は違和感もあり背筋に冷たいものが流れたが、時が流れ高齢世代を意識し始めた今、おかしなイメージを否定できないでいる。
あのように安楽死が認められ、死に方にも様々な工夫が企業努力として研究されている会社を不思議にも反社会的・非人間的・極悪非道と断罪できない気がするのだ。
食べているのが人肉と分かったら誰も食べやしないだろうけど、自分の身体が死後も子孫に貢献するならと考える人間がいたとしても不思議ではない。

ともあれ、未だに、否、今の時代だからこそ思い出される印象深い映画であった。

まあだけど、たとえ私に安楽な死が訪れなくとも、犬はもとよりフトミミズを食料とせずに助けようとする人間的な考えが、せめて子や孫の時代まで続くことを願って止まないのも事実である。
 

さくちゃんのYさん 2008年05月19日(月)

  カフェの常連でチワワのさくたろう・貫太郎の飼い主であるYさんがくも膜下出血で危篤との情報が入った。
『ウソだろう』と正直思う。
つい先日カフェを訪ねてくれたばかりだし、まだ50を前にした元気一杯の女性である。

人生の中でどれだけこんな辛い思いをしてきたことだろう。

だからこそいつ何があっても悔いが無いよう、自分に正直に生き続けたいと様々な常識や世間体に背を向けてでもこれまで生活してきたつもりだ。
教訓なんてもうたくさんと思ってる人間にこれ以上『無常』の様を知らしめないで欲しいし、この度の情報がその後の『奇跡的回復』の前段であることを心から祈っている。

『そうか。とうとうあいつもくたばっちまったか』
そんな風に受け入れられる結果的に幸せな死が万人の権利であって欲しい。

ビルマ・中国の災害における被災者にも心からのお悔やみを申し述べたい。
だがあれほどの災害だからこそ、今なお何処かの空間で助けを待っている人々がいることの方が私には自然に思えてならない。
諦めないで救助活動を継続して欲しいし、救援のためにも被災状況を明らかにすべきだと思う。

明日は横殴りの雨が降るとの予報。
カフェが暇になるのは仕方ないにしても備え以上の『災害』にならないこと、そして自然の力がYさんの生命力に劇的な力をもたらしてくれることを心から願っている。
 

逆バージョン 2008年05月17日(土)

  18日の営業は午後3時までです。

バッコヤナギの綿帽子が雪のように舞い始めている。
この数週間寒い日が続いていたが、昨日から春の陽気となり白い綿が暖かさの証のようにも感じられた。
まるで冬の訪れを知らせる雪虫の逆バージョンだ。

明日の日曜日も暖かさが続くので皆さんとゆっくり過ごしたいのだが、如何せんAsamiちゃんの結婚式がありカフェは3時で閉店させていただくことになっている。

そして今夜、式での挨拶を頼まれているKは「何を喋ろうかな」と準備を始め、余裕の私は「披露宴って飲み放題だったっけ?」と茶々を入れては叱られる時間を過ごした。
いつもなら私が挨拶をする事柄が多いのに今回ばかりは新婦側の立場だからKも文句の言いようがない。
これもひとつの逆バージョンか。

まあAsamiはAsamiで妊娠→結婚の逆バージョンだし、今日からAsamiの後任でスタッフとなりトリミングを担当してくれるようになった沙織ちゃんはつい此間までカフェのお客様だったので、気分的には逆バージョン。

まだ子供のラブラドール/マックス君はヨーキーのジュリちゃんにちょっかいをかけ、牙を剥かれての反撃にたじたじというのもカフェならではの逆バージョン。
だって小さい子をいじめるとカフェでは怖いおじさんが首根っこを捕まえて『それは許さん!』となりますし…

その怖いおじさんも夜になれば、クッションで横になったままの愛犬アモがペロペロと舌を舐めればそそくさと食器をお持ちして水を差し上げているのが現実である。

世の中いろいろあるものですな。
 

雨の原始林 2008年05月16日(金)

  18日(日曜日)の営業は午後3時までとさせていただきますのでご了承下さい。

「ねえねえ、今日休みだよね。どこ連れてってくれるのさ?」
朝一の動きで休みが分かる犬たちは控え目であったり強引であったりいろんな駆け引きをしながら飼い主に休日のお出かけを求めてくる。

我が家の愛犬アモは基本的には控え目に我々の動向を観察しているが、その眼には『出かけないはずはない』という確信があり、『いつ動き出すか、そして目的地を何と伝えてくるか』を注意深く観察している。
行き先が決まらなかったり腰が重いときでもお出かけをアモから強引に要求することはなく、どちらかというと悲しげな眼で促したり、さりげなく(私にはあからさまに思えるが)私の体に鼻先をくっつけたりする。
だが、出かける準備に入ると動きは一気にせわしくなって期待に胸を膨らませ心はすぐに目的地に飛んでしまう。
そんな時「アモちゃんはお留守番?」などとKが声をかけようものなら前足で蹴倒されそうになってしまうのだ。
そして自らは駐車場に駆けて行き、この時ばかりはさっさと排便を済ませる。

というわけで昨日の定休日は三人で原始林となった。
到着前から雨が降り出し、コンビニで傘にするか合羽にするか迷った私は大き目の傘を選んだ。
アモはたとえ土砂降りになったとしても『ボクは平気』と言うに決まってるからダニよけのシダースプレーもせずに原始林に踏み込んだ。

風はなくしとしと降る雨の原始林に透明なビニールの傘はとてもよく似合った。
高い樹木の景色も遮られることはなかった。
意外にも鳥のさえずりは活発で雨に洗われた森の空気がその響きをより美しく感じさせてくれた。

綺麗な毛色をしていたアモのお腹は泥ハネで汚れ、遠くから見るとまるでキタキツネが歩いているようだった。
そのアモが歩みを止めた視線の数メートル先に本物のキタキツネがいて私たちは大笑いした。

2時間強の散策で、新鮮な空気と鮮やかな緑のパワーをいっぱい吸収し鳥たちの声に癒され心地よい疲れが残った。
アモがいなければ決して味わうことがなかった雨の原始林だった。

帰宅してアモの顔を見るとダニが3匹うろついていた。
「雨の日でもダニはつくんだ」
そう、雨の日もシダースプレーをお忘れなく。

夕べの里塚温泉はいつもにも増して心地よかった。
 

カフェのトリマー 2008年05月13日(火)

  5月も中旬だというのに肌寒い日が続き何だかさっぱりしない。
風邪を引いてしまってる方も多く、暖かかった3月の気温分を差し引いて帳尻を合わせているみたいだ。
カフェの外観を彩る7つのフラワーポットはビオラで飾られているけど、強風続きの中まるで雑草のような逞しさでしがみつきながら生きている。

さて、新年度を迎えて1ヵ月半が経ちそれぞれの生活に落ちつきが出始めた人もいれば5月病真っ最中の方もおられよう。
カフェではトリミングを担当してくれたAsamiちゃんが明後日の14日で退職し、後継としてSaoriちゃんが働いてくれることになっている。

「Asamiちゃんって本当にいい子だよね。これからしばらくはトリミング部門は安泰だね」
そんな話をKとしていた矢先、開店準備に出勤してきたAsamiちゃんが目にいっぱいの涙をためて私に近づいてきた。
「先生ごめんなさい。赤ちゃんが出来ました。私結婚します。」
全く突然の話で一瞬の動揺はあったものの私たちに言えることは「何を泣いてるの。おめでとうでしょ!」以外にはなかった。
彼女は自らの幸せだけでなくカフェのことも考えてくれていたのがうれしかった。

出会いとか巡り会わせというのは奇遇で不思議なものだから私は大切にしたいと常々思っている。
そんな時1年前からカフェの常連だったHさんの娘Saoriちゃんがそれまでの職場を辞めトリマーとしての道を歩んでいた。

Asamiちゃんと今後の予定を話しあった後、思い切ってHさんに話を持ちかけた。
「やってみない?」
「本当なんですか?」
そんなやり取りの後、私たちはSaoriちゃんを実習に迎えAsamiは経験と実践を伝える期間を設定した。
これまでなら専門学校を通じて求人していたはずである。

最初はつきっきりでSaoriお姉ちゃんにアドバイスをしていたAsamiも最近では「もうOKです」と厨房で食べてばっかりいる。
まるで床屋さんみたいに最後にちょこちょこっと鋏を入れているが、どうやらトリマーの後継者はスタート段階に立てたようだ。

新米のトリマーだから技術的に未熟なのは否めない。
でもその真摯さは私が保証する。
ベテランの仕上げには口出しは出来ない遠慮があるが、Asamiもそうだったように若手のトリマーには飼い主の意見が容易に反映されるという強みがある。

Asamiの幸せとSaoriちゃんの成長をどうかひとつ暖かく見守っていただきたい。
5月の風は冷たく厳しいけれど彼女たちは一生懸命に生きてくれている。
 

開発現場の声 2008年05月12日(月)

  今日もまたカフェ周辺の樹木が次々に伐採され、すっかりただの住宅街になってしまった。
かろうじてフェンス際に残るニセアカシアはまるでオバQの三本の毛みたいで心もとない。
いや、禿げは禿なりの魅力があるし何より外見で判断すること自体ナンセンスと言っておかないと常連客の父さんたちから猛烈な抗議を受けかねないし、周辺環境をオバQの頭に例えさらに飛躍したのがそもそもよくない…言い訳が言い訳を呼んで深みにハマってしまいそう。
とにかく木々は切り倒された。

確かに人や物事を外見で判断すると後悔することが多いけど、環境においては外見の果たす役割は多く、とりわけ商環境においては外ヅラが生命線となる場合がある。
ドッグカフェもそのひとつで環境がいいだけで訪れる方の印象も随分と変わってしまうのは私自身経験済みだ。

これからのカフェは中身だけで勝負しなければならないみたいで負担だし、何よりカフェは私たちの生活の場だから野鳥の止まり木であったようなしょぼい樹木でも無くなるのは寂しいものがある。
所有者による樹木の伐採など今の時代には誰しも抵抗できない状況であり、業者も法的根拠の裏づけを持っているし、私たちにはナショナルトラストの力や気力もない。
マイナス思考にはまり込むのには随分と容易な状況が整ってしまったようだ。

ところが、こんな時には目力ではなく雌力という女の生命力が活気を見せることを私は過去の人生経験において知っている。
ドッグカフェナガサキの中に一人しかいない男に代わってKを初めとした女性たちが様々な構想をぶち上げる日が近そうな気がしている。
私のできることは、せめて彼女たちが口にするアイデアに戸惑うことなく実行する方法を考えるだけである。

何故だか定かではないけど、私の根底にある考えは『政治は女に任せてみろ』というもので、その理由の筆頭が『少なくとも戦争と飢え死にする子供たちが減るから』と潜在的な声に同調している面がある。

結局、借景に過ぎなかった環境面の価値を失ったカフェではあるが、“暮らしやすい家庭犬”を追及する姿勢は今後も変わることなく継続していきたいと思い、願っている。

外見的には様々な変化があるけれど、今後ともドッグカフェナガサキをよろしく。
 

母の日に 2008年05月11日(日)

  母の日の今日にあわせニセコ/ルヒエルのジェラートを送っておいた。
夕方電話を入れると母の面倒を見ていてくれている姉がお礼を言ってくれたが頭が下がるのは私のほうである。
老いて痴呆症が進み、一時はどうなるかと心配していたのに姉のおかげでここ数年は安定し健康状態も良好のようだ。

「史明です」
「ああ史ね。あんたどうしよっと?」と九州を離れ50年近く経っても博多弁が抜けない母。
「札幌で元気にしてるよ。」
「札幌におるとね?」
毎回同じ会話ながら、母は『史って誰やったかいね』と内心思っているだろうし、私は『声はしっかりしているから健康そうだ』と安心する。
「兄貴は遊びに来たりしてる?」と記憶が複雑になるような問いかけをすると「由美ちゃんに代わるわ」と姉に電話を代わり、頭の中に不協和が生じないようにするなど抜け目もない。
60代の頃にはあれほど痛がっていた膝も80半ばにして「どこも痛とうない」らしい。

10年前に逝った父には『よくそんな昔のことまで引き合いに出して』と呆れるほど毎日のように小言や憎まれ口を叩いていた母なのにその相手がいなくなるや痴呆が表れるのだから人間というのは分からないものだ。
おかげでオヤジは早死にしたというのに…
まあお互いいい潮時だったのだろうが、今日の母の日に親父のことを思い出し、母が元気なうちに昔話をしながら肩でも揉んであげたいという気持ちになった。
父の日ではこうはいかない。
 

行ってきました、洞爺湖一周。 2008年05月09日(金)

  我が家の愛犬アモが盲導犬候補生として産まれ、生後50日前後から暮らし始めたパピーウォーカーの矢内家。
これまでに何度もこの欄に書いてきた眞知子の家だ。
毎年育て続けた仔犬たちと共に眞知子の娘も成長し、次女の友ちゃんは洞爺町に嫁いだ。
生前から“自慢の息子”誕生にうきうきしていたが、10月に孫が出来ることを霊前に報告したら何と言って喜ぶだろう?
眞知子、お前もついに婆さんだぞ!

「友ちゃんに会いに行くよ」
アモはその言葉にワクワクしながら札幌を出発した。
洞爺湖で久しぶりのひと泳ぎの後に訪ねた家の前で友ちゃんはアモを出迎えてくれた。
アモは大喜びしたが友ちゃんのお腹に何かを感じてか飛びつきや体当たりは自重し擦り付けるように懐かしがっていた。

そんなスタートで定休日の洞爺湖を家族三人で楽しんできた。
宿の駐車場に車を停めるなりさっそくスタッフの方からお出迎えを受け手荷物をお預けし、案内された部屋にチェックイン。
まっとうな愛犬家にお勧めの宿をゲット。
Fさんの情報は正しかった。
ただし部屋までの距離が長いので、マーキングなどみっともないことをするような犬と無頓着な飼い主には絶対教えたくない。

そんないい宿だったが二日前からひきはじめた風邪が一気に爆裂し、悪寒は走るは咳とくしゃみで鼻声になりゴミ箱はティッシュで一杯になった。
それでも経験豊かな私は今ではコンビニで売っている風邪薬と栄養剤を飲んで源泉かけ流しの温泉にゆっくり浸かって急場を凌ぎ、毎夜打ち上げられる洞爺湖の花火を湖畔で眺めた。
湖畔を望むホテルのテラスからはいろんな国の感嘆の声が聞こえていた。

明けて今日は結構な寒さだったが、アモには『そんなの関係ねえ』というわけで、晴天でもあり洞爺湖寒中遊泳がしばらく続いた。
誰もいない浜。
遠浅で綺麗な水がどこまでも続いている。
駐車場とトイレがあり、水洗いと乾燥が出来るスペースまで揃っている。
北海道っていいな。

私の風邪はまだ続きそうだが『そんなの関係ねえ』というアモと同じように、楽しいことには全く影響せずに過ごせた。
子は親に似る。
10月に生まれる友ちゃんの子供が眞知子みたいだったらどうしよう?っとこの時ばかりは再び震えが走った。
 

定休日も仕事に励む我が家 2008年05月07日(水)

  GWが終わって天候も回復し今日はいつものお客様でいつものカフェに戻った。

お泊り犬がいなくなってから我が家の愛犬アモにくつろぎの様子がありありとしていて彼なりに気を使ってくれたのだなと改めて思った。
夕べはいつものKの部屋ではなく誰もいなくなった居間のベッドで長くなって一夜を過ごし、散歩コースはこれまでの我慢から解放されたことを確認するようにお泊り犬とは絶対行かないコースへ行きたがった。
「ご苦労さんだったね」と里塚温泉のお土産の若鶏半身揚げをトッピングしてあげると『美味かったぁ』とばかりに食後は顔をクッションに擦りつけ満足感を全身で表してくれた。

いよいよこれからが我が家の春である。
時間を見つけては三人で出かけようと意欲満々だ。
この欄をお読みの方は『あんたたちはいつもいろんなとこへ出かけてるじゃん』と思われるかも知れないが、まだまだ満足はしとりません。

アモの足が手術によって回復した昨年からキャンプを始め水遊びを再開し、冬には冬の遊び場を見つけてようやく一年を通じての遊びパターンが見つかったところなのだから本番はこれからである。

昨日コーギーのももちゃんとFさん夫妻が「洞爺湖のワンちゃんと泊まれる温泉旅館に行ってきました。とても親切なお宿で楽しかったです。大型犬もいいそうですよ。」とそこからの帰宅途中にお土産とパンフレットを持ってカフェに立ち寄ってくれた。

すぐに私が予約の電話を入れるとKは大喜びしていた。
カフェをやっているとお客様への情報提供も仕事のひとつだから、実際に行って確かめるというのも業務の一環だ。
せっかくの定休日だけどぉ、
まあ、仕事も大事だしぃ、
仕方ないからこの温泉旅館に泊まってみることにしよう。
洞爺湖周辺のスポットも念入りに視察したほうが仕事ととしては有益だから、カフェの定休日なのにあんまり気は進まないけど、仕事だからぁ、しっかり見てこようと思う。

こんな調子じゃサミット警戒中の公安に怪しまれるかも…
 

今夜の話はなかったことに… 2008年05月05日(月)

  若いカップルで犬を飼い始めた方の来店が目に付くようになってきた。
そんなカップルはとにかく男性が優しい。
変な言い方だが仔犬への接し方に優しさを感じ、奥さんに対して思いやりと従順さが滲み出ている。
順位的には奥さん・犬・男性のように見えがちだが、だからといってなよなよした男性たちではないのに感心させられる。

今でも芸能人なんかは『うちの嫁』という表現をテレビなんかでよくしているが、その言葉は私のような年代の者には『嫁いできたからには○○家の一員』というような古臭い意図の臭いがし、女性に対して従属を求め、男には支配的な意識が感じられて不愉快な響きがある。

その点において前述のような男性は古い時代においては弱々しいと捉えられるかもしれないが、私には不思議な魅力が感じられ、この先二人はどんな関係を築きあげるのか興味深いものがある。
男性の中の、労を厭わぬ献身さと思いやりが懐の深さに通じているように感じられるからだ。

先日、後期中年夫婦?が来店されたがメニューを興味深く見ておられた奥さんの同意も得ることなく「パスタふたつ」とご主人が注文された。
「え?奥様は?」と顔を向けると諦め顔でメニューを閉じられた。
その顔には『こういう人なんですよ。うちの主人は』という何とも言えない表情が走っていた。

こんなこと書いちゃダメですよね。
気品があり穏やかな奥様だったので顔は忘れてしまったけど印象に残ってしまいました。
ひょっとして犬がかすがい?
だから書いちゃダメだって!

若いカップルたちの将来に幸多かれと願う。
 


- Web Diary ver 1.26 -