From the North Country

ごめんなさい。明日から値上げです。 2008年05月31日(土)

  申し訳ありません。
カフェで備蓄していた食材が先週辺りから底をつき、昨日仕入れに行ったパスタなんぞは60%も値上がりしておりました。
小麦製品は勿論のこと乳製品やその他の食材も続々値上がりしています。
明日からカフェメニューの値上げに踏み切ることとなりますが、どうかご理解くださいませ。

さて、先日のキャンプでは洞爺湖で満天の星を堪能することができたが、そんな中、私にとっての驚きはKの度胸にあった。
夜中の星の美しさに酔いしれていた時、「トイレに行ってくる」とKは懐中電灯も持たず数十メートル先にある無灯火のボットントイレにひとりで出かけて行ったのだ。
「ついて行こうか?」
そんな私の言葉にKは「やめてよ」と応じた。
「懐中電灯は?」と促すと
「いらない」とK。
そんなの私の世界ではあり得ない!

暗い夜道では亡霊に出くわすものだし、真っ暗なボットントイレでは嬰児の呪いがあって便器から手が伸びてくるものだし、「赤いマントはいらんかえ?」との言葉が聞こえてきた時に返事をしたら背中を悪魔の爪で引掻かれて赤いマント見たいに血まみれになると子供の頃から教えられてきた私である。

あの時ほどKを敬ったことはない。
これまで恐怖を感じていたものの実際には恐怖体験したこともないし、犬たちは平気で夜道を歩き回ってもいるから、怖がる理由はないのが正解だろう。
だけど夜中にひとりで無灯火のボットントイレにKは平気で行って何事もなかったように帰って来た。

私はその怖さについて話をしたいのだが、Kは明日からのカフェの値上げのことの方が関心事のようで「仕方ないよね。これでいいかな」と現実的な面を考えている。
足して2で割ればちょうどいいのかもしれない。
 

3連休。やっぱいいね。 2008年05月30日(金)

  臨時休業の28日にご来店されたかもしれない“あなた”ごめんなさいでした。
カフェを3連休とさせていただいて、行ってきました洞爺湖キャンプ。

雨の予報もあったけど、3日間とも好天に恵まれすこぶる楽しいキャンプを満喫してしてきた。
詳しいことは明日以降のKの“最新情報”コーナーでご覧あれ。

申し訳ないが今夜は心地よい疲労に埋もれながら普通のベッドで横になりたい気分である。
それは我が家の愛犬アモも同感のようで『その話はまたね』と、どこかで爆睡している。

明日は5月最後で今月のパスタも月替わりを迎えることになっている。

いろんな出来事があった連休でとても良い体験をさせてもらった。
アモは人生を削りながらでも楽しく生きることの方を選択しているようだ。

睡魔がピーク。
また明日。
 

犬種占い 2008年05月26日(月)

  犬というのはそれぞれの個体によって性格も違うし、日々の経験によっても人への反応が違ってくるものだ。

毎日顔を合わせているのに帰宅するたび吠えかかる犬もいれば、誰でも彼でも大歓迎する犬もいる。
安全な相手だと思えば膝の上に乗ってくるが、ちょっとした動作に過剰反応して逃げ出す犬もいる。
過去のある瞬間のことをいつまでも根に持つ犬もいれば、気持ちを切り替えることができる犬もいるし、最初からそんなことには全く無頓着な犬もいる。

人間はというとそれらが入り混じって社会生活を送っている動物だ。
犬なら犬種特性によって区分されるような事柄が、人間の場合血液型であったり星座などによってまことしやかに分類されている。

人間を犬種に分けて性格判断している世界もあるようだが、もっと深く分析すればとても面白く興味深いと思う。
共感できたり笑える部分だけでなく、人も犬も自らが基本に持っているものが社会経験によって細分化されるものの、結局は意思(理性)より動物としての必然的な行動や感情を表出していることに唖然とさせられることだろう。

例えばチワワの場合、神経質な傾向がある一方でおおらかな犬も結構いて(これはすべての犬種にも共通しているのだが)、防御的な反応というか意志の強さがあり人間に例えるなら小兵ながら身体を張って主張すべきことを少しオーバーに主張するタイプと言えよう。

Mダックスもまた両極があり、のんべんだらりと暮らしている犬もいれば絶えず周囲に気を配ってピリピリしている犬もいる。
どちらかというとチワワよりは人間に依存的で、人に頼っている分勇気を得てしまうことがある。

シーズーなんかは基本的に人に依存しているのに、そのことに感謝の気持ちを表すことなく当然と受け止め独立自尊の精神が強い。ただ普段の行動に迷惑を及ぼすようなこともないから“それはそれなりに受け入れなければならないのかな”と人間に思わせてしまう無言の力を持っている。

ヨーキーは自分の魅力を知り尽くした陽気さと気高さがあり、それをアピールする犬もいれば全く無視して凛とした犬がいたり“飼い主命”の振る舞いをする犬がいる。

トイプードルは自分の役目を心得たしたたかな犬種である。その愛らしさで人間を翻弄しているにも関わらず、さらにアピールを繰り返して能力の高さを示し、結果的に的外れなボロを出しながら頑張って結局は人と犬の違いを明確にしてくれている。

柴とジャックラッセルはどこか似たところがある。
何事にも一生懸命で、物事を見抜こうとする意思が強すぎて時に排他的になりかける傾向もあるが、信じた道は突き進む強さがある。

シェルティはその美貌や特異な主張で常人が考えないような事柄にも視点を向けさせる貴重な存在だ。
少数派の意見を述べる代表ともいえよう。

フレンチブルなんかは的外れなことを言う大御所の評論家であり、機嫌を損ねないよう大事につきあっておけばたまに人生の真髄を述べたりする。

さて、レトリーバーは人間そのものである。
様々な犬種愛好家がおられることは重々承知の上で敢えて書くなら“一生のうちに一回はレトリーバーと暮らしてごらん”と私なら主張する。
どれだけ大変か、どれだけ記憶に残るか、どれだけ人生に影響を与えるか、いろんな犬種の愛好家に混じり決して平坦ではない道のりを笑顔で語ることが今なら出来そうだ。
 

たわごと 2008年05月25日(日)

  結局今年の5月は低温で雨の多かった月と総括されても仕方なさそうだ。
今日も肌寒く雨模様の一日だったが、暖房にはストーブではなく初めてエアコンを使ってみた。
結構いい感じ。
1リットル103円にもなった灯油を燃やすよりずっと経済的な気もするし…
しばらくは原油価格の高騰が続きそうなので、今度の冬は1ヶ月程度エアコン暖房にして価格差の比較をしてみようと思う。

『エアコン暖房は高いに決まってるよ』
どちらもエコに反しているようだが、状況によっては常識を疑うという点において身近なテーマになるかも。

常識だったことや社会通念というのが数十年という時間の中で明らかに変わってきている。
・子供を叱ることさえ気を使わなければならなくなった親や教師
・性の氾濫というか人間の野放し化
・猟奇的犯罪、自殺
・金亡者の汎用化
・正しいことを認め過ぎて、自ら息苦しさを作り出している社会

多くは携帯・パソコンなどのインターネットやテレビ・新聞・雑誌・ラジオなどマスコミという情報媒体が良かれ悪しかれ関わっており、利用者の分別を超えて“経済至上主義”という化け物(結局は只の人間集団)が社会を動かしている。
結局は当時から懸念されていた『情報の無制御な氾濫』が現実になっただけのことで、当時その懸念を知らしめていたことが現在の不安の緩衝剤の役割を果たしているのは皮肉なことである。

うつ病になったり老々介護の果ての心中(未遂)に関わる人々の方が私には余程純粋な人間らしく思われてならないのだが、今の社会はそれを当たり前に生み出しておきながらそれを許さないというねじれた屁理屈がまかり通っている。

肉を食べれば『軟らか〜い!』が美味しさを表し、犬を見れば『可愛〜い!』で自分をも可愛く見せようとする軽さが氾濫している。

CHANGE!
Yes, We Can !
そんな言葉を信じたくなるような背景がある時代に私たちが生きているのは間違いのないことだ。

理論、経済、科学万能の社会で恩恵を受けるプロセスにおいて私たちは倫理・常識すら変容されるど真ん中にいる。
せめて“人間らしさ”と“所詮人間”という原点を見失わないでいたい。
知り過ぎたくもないし、もういいのに生かされたくもない。
助けて!と言えば援助が受けられる国であって欲しいし、訴訟や暴動を起こさなければ安全で頑丈な学校が建てられないような国であって欲しくない。

柵がなかったから子供が池に落ちた。
遊具で事故に遭った。
辛く悲しい気持ちは分からないではないが、それを社会問題にして個人や組織の責任が問われ、以後改善がなされたとしても、何故か失われるものがあるような気がしてならない。
恐らく私に欠けているものがあるのだろう。
社会問題化したからこそ自動車の環境意識や安全機能は高まっているに違いないし、情報社会になったからこその様々な恩恵を受けているのだから。

だが、失ったものと引き換えに出来るほどの成果はどう考えても今は見いだすことができないでいる。
 

Yさん奇跡の生還! 2008年05月24日(土)

  Yさんが蘇った!
先日のこの欄で、くも膜下出血で危篤状態にあると書いたチワワのさくたろう・貫太郎の飼い主Yさんに意識が戻ったのだ。
トイプー/ベルのSさんがニコニコしながら知らせにやって来てくれた。
久しぶりに混み合っていたカフェの皆さんにお伝えすると空気が一気に明るくなり安堵の声がそこここから聞こえた。
「ヒャー!バンザーイ、バンザーイ!」
Aさんは両手を上げて喜んでいた。

夕方Yさんのご主人からの電話をKが受けた。
ご主人は奥さんの経過と容態を説明した後に、「ところで、さくとかんのフードがなくなりかけていたので、どこで買ってるんだと家内に聞いたんだよね。ペットショップか?ホーマックかって。」
気道確保の為に気管切開されている奥さんは声を出すことが出来ない。
そこでご主人が文字ボードを用意すると『ナ・ガ・サ…』と示してくれたので「あ、ナガサキか!」と電話をくれたいきさつを話してくれたということだ。

みんな心から奇跡を祈っていたんですよ。
心肺停止という現実の知らせを聞き、驚きと諦めと悲しさと無念さの気持ちが先行する中でも、僅かなその想いが叶ったことに爆発的な喜びが込み上げてくるばかりだった。

さくたろうはフードを食べるけど貫太郎は食が細くなってしまっているらしい。
意識が戻ったといっても脳血管のことだから予後や二次的な問題も懸念される。
いろんな心配があるにはあるけど、意識が回復し意思疎通ができる状況を手放しで喜びたい。
若いがゆえに倒れたと聞いた時のショックが大きかったけれど、若いがゆえの回復の確かさを見せてくれればなによりである。

なんか、またカフェに遊びに来てくれるような気がしてならない。
楽しみに待ってますよ。
 

何故かソイレントグリーンを思い出した。 2008年05月20日(火)

  台風並み、いや並みの台風以上の暴風が吹き荒れた一日だった。
雨量は驚くほどではなかったものの横殴りの叩きつけるような雨が降り続いていた。
被害に遭ったのは人間ばかりではないようで、夜になって嵐が去り穏やかになったガーデンに犬たちと出ると、浸透した雨で呼吸ができなくなったフトミミズが表面に這い出し長々となって休んでいた。
朝まで放置すると干乾びてしまうので次々に拾ってはフェンスの外の草むらに投げ入れた。
その際のはじけ方に生命力があったので彼らが生き延びることは間違いないようだ。

ところで、日本人の5人に1人が65歳以上になったらしい。
世界では食料にするよりバイオ燃料に回した方が実入りがいいと穀物の高騰が続いている。
先進諸国はOPECの言いなりにならないように原油以外のバイオ燃料に力を入れるものだから、地球温暖化も相まって食糧危機が現実味を帯びている。

その昔ソイレントグリーンという映画があり、若かりし私も「これはあり得る」と頷けた記憶がある。
あの映画は2022年辺りを想定していたが現実味を帯びてきたように感じる。

食糧危機に陥った人類は、格差社会もあって富裕層こそ肉や野菜を食することはできたものの、多くの人々はソイレント社が製造するソイレントグリーンという合成食品を食べて生き延びていた。
人々はその原料をプランクトンだか何だかという会社の言葉を信じ真実は知らされていなかった。

既に安楽死が合法化された社会であり、高齢者や病に苦しむ人々はクラシック音楽を聴き、大自然の美しい映像に囲まれながら安楽な死を遂げることが公に認められている時代でもあった。

衝撃を受けるのは次の段階だ。
安楽死後の死体が次々と重機でトラックに積み込まれ、ソイレント社へと運ばれて合成食品へとなっていったのだ。
究極のリサイクルと食料としての人間養殖が行われていたという筋書きに凍り付いてしまった人は多いはずだ。

ソイレント社が今の日本に存在するなら、原材料は山ほどある。
あの時は違和感もあり背筋に冷たいものが流れたが、時が流れ高齢世代を意識し始めた今、おかしなイメージを否定できないでいる。
あのように安楽死が認められ、死に方にも様々な工夫が企業努力として研究されている会社を不思議にも反社会的・非人間的・極悪非道と断罪できない気がするのだ。
食べているのが人肉と分かったら誰も食べやしないだろうけど、自分の身体が死後も子孫に貢献するならと考える人間がいたとしても不思議ではない。

ともあれ、未だに、否、今の時代だからこそ思い出される印象深い映画であった。

まあだけど、たとえ私に安楽な死が訪れなくとも、犬はもとよりフトミミズを食料とせずに助けようとする人間的な考えが、せめて子や孫の時代まで続くことを願って止まないのも事実である。
 

さくちゃんのYさん 2008年05月19日(月)

  カフェの常連でチワワのさくたろう・貫太郎の飼い主であるYさんがくも膜下出血で危篤との情報が入った。
『ウソだろう』と正直思う。
つい先日カフェを訪ねてくれたばかりだし、まだ50を前にした元気一杯の女性である。

人生の中でどれだけこんな辛い思いをしてきたことだろう。

だからこそいつ何があっても悔いが無いよう、自分に正直に生き続けたいと様々な常識や世間体に背を向けてでもこれまで生活してきたつもりだ。
教訓なんてもうたくさんと思ってる人間にこれ以上『無常』の様を知らしめないで欲しいし、この度の情報がその後の『奇跡的回復』の前段であることを心から祈っている。

『そうか。とうとうあいつもくたばっちまったか』
そんな風に受け入れられる結果的に幸せな死が万人の権利であって欲しい。

ビルマ・中国の災害における被災者にも心からのお悔やみを申し述べたい。
だがあれほどの災害だからこそ、今なお何処かの空間で助けを待っている人々がいることの方が私には自然に思えてならない。
諦めないで救助活動を継続して欲しいし、救援のためにも被災状況を明らかにすべきだと思う。

明日は横殴りの雨が降るとの予報。
カフェが暇になるのは仕方ないにしても備え以上の『災害』にならないこと、そして自然の力がYさんの生命力に劇的な力をもたらしてくれることを心から願っている。
 

逆バージョン 2008年05月17日(土)

  18日の営業は午後3時までです。

バッコヤナギの綿帽子が雪のように舞い始めている。
この数週間寒い日が続いていたが、昨日から春の陽気となり白い綿が暖かさの証のようにも感じられた。
まるで冬の訪れを知らせる雪虫の逆バージョンだ。

明日の日曜日も暖かさが続くので皆さんとゆっくり過ごしたいのだが、如何せんAsamiちゃんの結婚式がありカフェは3時で閉店させていただくことになっている。

そして今夜、式での挨拶を頼まれているKは「何を喋ろうかな」と準備を始め、余裕の私は「披露宴って飲み放題だったっけ?」と茶々を入れては叱られる時間を過ごした。
いつもなら私が挨拶をする事柄が多いのに今回ばかりは新婦側の立場だからKも文句の言いようがない。
これもひとつの逆バージョンか。

まあAsamiはAsamiで妊娠→結婚の逆バージョンだし、今日からAsamiの後任でスタッフとなりトリミングを担当してくれるようになった沙織ちゃんはつい此間までカフェのお客様だったので、気分的には逆バージョン。

まだ子供のラブラドール/マックス君はヨーキーのジュリちゃんにちょっかいをかけ、牙を剥かれての反撃にたじたじというのもカフェならではの逆バージョン。
だって小さい子をいじめるとカフェでは怖いおじさんが首根っこを捕まえて『それは許さん!』となりますし…

その怖いおじさんも夜になれば、クッションで横になったままの愛犬アモがペロペロと舌を舐めればそそくさと食器をお持ちして水を差し上げているのが現実である。

世の中いろいろあるものですな。
 

雨の原始林 2008年05月16日(金)

  18日(日曜日)の営業は午後3時までとさせていただきますのでご了承下さい。

「ねえねえ、今日休みだよね。どこ連れてってくれるのさ?」
朝一の動きで休みが分かる犬たちは控え目であったり強引であったりいろんな駆け引きをしながら飼い主に休日のお出かけを求めてくる。

我が家の愛犬アモは基本的には控え目に我々の動向を観察しているが、その眼には『出かけないはずはない』という確信があり、『いつ動き出すか、そして目的地を何と伝えてくるか』を注意深く観察している。
行き先が決まらなかったり腰が重いときでもお出かけをアモから強引に要求することはなく、どちらかというと悲しげな眼で促したり、さりげなく(私にはあからさまに思えるが)私の体に鼻先をくっつけたりする。
だが、出かける準備に入ると動きは一気にせわしくなって期待に胸を膨らませ心はすぐに目的地に飛んでしまう。
そんな時「アモちゃんはお留守番?」などとKが声をかけようものなら前足で蹴倒されそうになってしまうのだ。
そして自らは駐車場に駆けて行き、この時ばかりはさっさと排便を済ませる。

というわけで昨日の定休日は三人で原始林となった。
到着前から雨が降り出し、コンビニで傘にするか合羽にするか迷った私は大き目の傘を選んだ。
アモはたとえ土砂降りになったとしても『ボクは平気』と言うに決まってるからダニよけのシダースプレーもせずに原始林に踏み込んだ。

風はなくしとしと降る雨の原始林に透明なビニールの傘はとてもよく似合った。
高い樹木の景色も遮られることはなかった。
意外にも鳥のさえずりは活発で雨に洗われた森の空気がその響きをより美しく感じさせてくれた。

綺麗な毛色をしていたアモのお腹は泥ハネで汚れ、遠くから見るとまるでキタキツネが歩いているようだった。
そのアモが歩みを止めた視線の数メートル先に本物のキタキツネがいて私たちは大笑いした。

2時間強の散策で、新鮮な空気と鮮やかな緑のパワーをいっぱい吸収し鳥たちの声に癒され心地よい疲れが残った。
アモがいなければ決して味わうことがなかった雨の原始林だった。

帰宅してアモの顔を見るとダニが3匹うろついていた。
「雨の日でもダニはつくんだ」
そう、雨の日もシダースプレーをお忘れなく。

夕べの里塚温泉はいつもにも増して心地よかった。
 

カフェのトリマー 2008年05月13日(火)

  5月も中旬だというのに肌寒い日が続き何だかさっぱりしない。
風邪を引いてしまってる方も多く、暖かかった3月の気温分を差し引いて帳尻を合わせているみたいだ。
カフェの外観を彩る7つのフラワーポットはビオラで飾られているけど、強風続きの中まるで雑草のような逞しさでしがみつきながら生きている。

さて、新年度を迎えて1ヵ月半が経ちそれぞれの生活に落ちつきが出始めた人もいれば5月病真っ最中の方もおられよう。
カフェではトリミングを担当してくれたAsamiちゃんが明後日の14日で退職し、後継としてSaoriちゃんが働いてくれることになっている。

「Asamiちゃんって本当にいい子だよね。これからしばらくはトリミング部門は安泰だね」
そんな話をKとしていた矢先、開店準備に出勤してきたAsamiちゃんが目にいっぱいの涙をためて私に近づいてきた。
「先生ごめんなさい。赤ちゃんが出来ました。私結婚します。」
全く突然の話で一瞬の動揺はあったものの私たちに言えることは「何を泣いてるの。おめでとうでしょ!」以外にはなかった。
彼女は自らの幸せだけでなくカフェのことも考えてくれていたのがうれしかった。

出会いとか巡り会わせというのは奇遇で不思議なものだから私は大切にしたいと常々思っている。
そんな時1年前からカフェの常連だったHさんの娘Saoriちゃんがそれまでの職場を辞めトリマーとしての道を歩んでいた。

Asamiちゃんと今後の予定を話しあった後、思い切ってHさんに話を持ちかけた。
「やってみない?」
「本当なんですか?」
そんなやり取りの後、私たちはSaoriちゃんを実習に迎えAsamiは経験と実践を伝える期間を設定した。
これまでなら専門学校を通じて求人していたはずである。

最初はつきっきりでSaoriお姉ちゃんにアドバイスをしていたAsamiも最近では「もうOKです」と厨房で食べてばっかりいる。
まるで床屋さんみたいに最後にちょこちょこっと鋏を入れているが、どうやらトリマーの後継者はスタート段階に立てたようだ。

新米のトリマーだから技術的に未熟なのは否めない。
でもその真摯さは私が保証する。
ベテランの仕上げには口出しは出来ない遠慮があるが、Asamiもそうだったように若手のトリマーには飼い主の意見が容易に反映されるという強みがある。

Asamiの幸せとSaoriちゃんの成長をどうかひとつ暖かく見守っていただきたい。
5月の風は冷たく厳しいけれど彼女たちは一生懸命に生きてくれている。
 


- Web Diary ver 1.26 -