From the North Country

八つ当たりしそう!? 2008年07月04日(金)

  枝豆横丁の枝豆が先週から発芽し、その成長を楽しみにして毎日何度も観察していたのに、数日前から5羽の親子ガラスが面白半分に横丁荒らしを繰り返し、せっかくの新芽を抜いては引き裂いたりしている。

この親ガラスは数年前からガーデン前に僅かに残されたニセアカシアの木を遊びの基地にしているので言ってみれば我が同胞であった。
そのよしみもあってゴミの日のステーション荒らしは時々懲らしめる程度にしていたのだが、Kと私の横丁を無法者の集団のごとく我が物顔で、ましてや生活のためではなく面白半分で荒らされたのではこれは捨て置けぬ。

かくしてワイアットアープは立ち上がったのであった。
というより、『どんな平和主義者であっても戦友が次々に撃ち殺されたときには、相手に対する憎しみがメラメラと燃え上がって、自制が利かなくなり無謀な振る舞いをする。だから戦争は恐ろしいのだ。』という叔父さんの言葉を思い出しつつ、そうなっていく自分を感じてしまったのだ。

ところが如何せん、相手は空中を自由に飛び回り、野性の中で戦術をしっかり鍛錬しているチームであるのに対し、我が方は竹やり程度の装備しかない気持ちだけ高ぶった素人である。
おまけに酒を飲んで寝ると目覚ましが鳴るまでは夢の中で人生の半分を生きている柔な人間なもんだから、目が覚めた時には既に枝豆横丁は荒らされ、ただただ歯がゆい思いをして石をぶつけたくなる悔しさに打ち震えていたのだった。

そこで私が取った方法は横丁のレンガブロックにネジを打ち込み、そこにカラスには見えづらい色といわれる黄色いテグス(釣り糸)を張り巡らせて、不覚に侵入すると足に絡んでカラスがビックリする仕掛けをこしらえた。

寝ていたから今朝の状況は確認できなかったが、枝豆は無事で、恐らく驚いたカラスが悔し紛れに置いていったと思われるサクランボウの赤い粒が残されていた。
「へへ、ざまぁみろ」の気分だ。

だが、頭がよく執念深いカラスのことだ。
こちらの作戦を見抜き、テグスから致命的な被害を受けることが無いと分かったなら倍返しのいたずらを明日にでも我々は被るかもしれない。

そしたら私は次の作戦に頭を巡らせなければならないのだが、そんなことよりきっとカラスにしてやられた悔しさにわなわなと震えている可能性もある。

明日は土曜日。
カフェに来られる方々は自らの愛犬をしっかり制御なさってください。
もし明朝枝豆横丁が荒らされていたなら、空飛ぶカラスへの私の怒りが妙な方向へ行ってしまわないとは限りませんから…

戦闘体勢に入っている人間は目のぎらつきが違うといいます。
サミット前に自らの安全を確保するためにも、異常な人間の目を確認する訓練をしましょう。
もしかしたら明日カフェで見られるかもしれませんぞ。
 

先に逝くものたちのために 2008年07月01日(火)

  早いものでもう7月、いよいよ夏本番を迎える。
お泊り犬に老犬がいるせいか夏を迎えるとその健康状態が心配になる。

老犬は暑さに弱く、とりわけ心疾患や呼吸器系の疾患を持っていると排尿便に出す動きだけで負荷がかかりゼーゼーと呼吸を乱し、場合によっては発作を引き起こしてしまうことがある。
だからといって抱きかかえてばかりの移動だと犬の筋力は衰え、寝たきりを早めてしまうことになる。

この段階で飼い主にはある覚悟が必要となる。
“形あるものは壊れ、命あるものは尽きる”という万物の定めを受け入れることだ。
人によっては薄情だと感じ辛く思えるかもしれないし、死の現場を見たくないと考える人もいるかもしれないが、実はそこからが老犬介護のスタートとなるのだ。

老犬介護とはQOL(Quality of Life:生活の質)と愛犬への惜別の思いとの闘いでもある。
別れを少しでも先延ばしし死を受け入れないで延命したい気持ちは分からないではないが、その過程における自分の行動が後悔の度合いを増減させることもある。

極端な例を挙げるなら、延命のため入院させて流動食のカテーテルと血管確保の留置針を装着し、たとえどんなに優しい先生がいたとしても家族と離れた病院のケージの中で数週間延命するのと、苦しいけれど暮らし慣れた環境の中で発作を繰り返す都度家族に抱かれ・さすられ、励ましの声を聞きながら絶命する死の瞬間を見届けられる違いがそこにはあり、中間としてのペインケアや安楽死がある。

出来るのに愛犬の死を見届けたくない飼い主にはなって欲しくない。
愛犬の死の瞬間には是非とも飼い主が立ち会って欲しい。
今や人間の死に立ち会うことが少ない社会であるが故に愛犬の死くらいは感じるままに受け入れて欲しい。

いかんいかん、老犬を見て死ばかりを考えてしまった。
生を考えるべきであった。

まずはあの連中の聞く耳を持たない振る舞いに寛容さを示すこと。(横暴であると感じたなら跳ね除ける勇気も必要)
次に清潔に保つこと。(これは犬が嫌がっても絶対行うこと)
さらに食生活ではこの世の春を実感させる程旨い物を食わせ、この世に未練を残させることが重要だ。

愛犬の死を見届けて自分の人生を考えることができたとしたらこれほど素晴らしいことはない。

あとは残りの人生に反映させよ。
 

平凡、なれどそれぞれの人生 2008年06月30日(月)

  今年の札幌の初夏は実に北海道らしく、日中は爽やかで夕方から涼しくなり夜にはカーディガンを一枚羽織りたくなる。
まるで数十年前のガイドブックのまんまの気候だ。

月曜日で暇なカフェだったので私は特売(名誉のため)198円で買ったお気に入りの麦藁帽ならぬいぐさ帽をテンガロン(実際には1ガロン位の水しか入らないカウボーイハット状)にして被り、ガーデンの草むしりにいそしみ土をいじった。
ガーデンフェンスにぶら下がったフラワーポットの花をいじった。
駐車場の枝豆横丁ではうれしいことに殆どが発芽し、そのうちの二つはカラスに引っこ抜かれて手遅れ状態だったが可能性を信じてちょっと手を加え水をやった。

私は福岡で炭鉱の経理マンの息子として生まれ、ジフテリアで死にそうになったらしいがそこを何とかクリアし、炭鉱の衰退と共に家族で奈良に転居し、小学生の頃は十数頭の野良犬を保護し、中学から大学を卒業するまで吹奏楽に没頭し、親元を離れ札幌に転居した後25年間盲導犬と視覚障害に関する仕事に魂を捧げ、3人の子供を育て、退職のあと離婚を経験し、1年の放浪時代にKとめぐり合い現在ドッグカフェナガサキを開業して5年になっている。

その男が今日、ガーデンで草むしりなどをしていた。
今夜のこの欄では、自分をさらけ出してそれがどこにでもある光景であるということを伝えたかったのと、それぞれの人間には皆それぞれの人生があり、何気に見ている社会にいろんな人間が暮らしているという当たり前のことを現代の若者に考えて欲しかったのである。

夜11時を回ったので私のベッドで寝ているお泊り犬13歳のゴンタをトイレに出そうと抱きかかえた。
普通、犬なら抱き上げただけで目を覚ますのに、ゴンタはくたっとしている。
『ついにくたばってしまったか』とやや心乱したが、そうっとベッドに下ろすとすややかな寝息をたてて悦に入っておる。

年寄りとは可愛いもんぞ。
うまく付き合えばいろんな知恵と生き様を教えてくれる。
人生焦るでない。
何が成功でどの時点での暮らしがどうのなんて決まった物差しなど無いんだから。
他人と自分を傷つける以外の価値観とか選択肢なら何でもありだ。

ガイドブックに書かれていることがすべて正しいとは言えないし、人生のガイドブックなど存在しないけれど、今年の札幌のように爽やかな気候が『社会の平年』となることを願って止まない。
せめて『汝、食し、生活に必要なければ、殺すなかれ』だ。
 

ペットショップがテナントに入る悲しい時代 2008年06月25日(水)

  午前中は降水確率60%の予報がはずれ朝から強い陽射しが降り注いでいた。
先週の土曜日に枝豆横丁に蒔いた種はまだ発芽していないが地中でしっかり成長してくれていることだろう。
日付けが変わる頃ガーデンに出ると冷たい風が時折ごうごうと吹き荒れている。昼夜の寒暖の差がメロンなどの果物の甘さを引き出しているそうだが枝豆には関係ないのかしらん。

明日から定休日なので夜中になってのんびり今朝の折込チラシを見ていた。
新聞紙2枚分の大きなチラシには明日がグランドオープンの複合商業施設の宣伝広告が踊っており、別のチラシには同じ敷地のホームセンターのものもあった。

このようなショッピングセンターがオープンするたび
「ああ、また生体販売をするペットショップが増えるのだな」とため息が出て、せっかく便利な商業施設ができても喜びは半減以下になる。
5年前に開業し、同じく生体販売をするテナントが入ってる大型ホームセンターとは目と鼻の先だから両者の生き残りをかけた熾烈な販売合戦が行われるのだろう。

Mダックス39800円、柴犬・チワワ48000円…
原価を下げ、維持費を削減するため様々な低待遇が仔犬たちには待ち受けているはずだ。
オープンしたばかりの見知らぬショップに連れてこられ展示販売される仔犬たちは初日の今夜どんな気持ちで夜を過ごしているのだろうか?
せめて昼間の喧騒に疲れ果て、周囲にいる仲間の寝息にささやかな安らぎを感じて眠りについていることを願うばかりだ。
だが、仔犬だから夜中に空腹を感じ夜鳴きする子もいるだろう。
我慢できずに屈辱の排泄を寝床でしなければならないのだろう。
誰もいない店内を想像するだに気の毒になる。

さらに4〜5ヵ月後どれだけの仔犬たちが消費期限を過ぎ処分されることになるのか。
大型犬の仔犬ならそんな猶予すらないはずだ。

枝豆を育てて売ってるんじゃない。犬だよ。
犬好きの若者たちよ。どんなことがあってもあんなところで働くんじゃないよ。
君たちの夢とはかけ離れた内情若しくは惨状を目の当たりにしてショックを受け、退職した良心的な人間を何人も知っているし、目を瞑り続けるうち感性が失われていく悲しい人間も知っている。

最近食品偽装がニュースになってるよね。
最初からそれが分かっていたらそんな会社で働くかい?
展示型生体販売を行うショップからの内部告発がいずれ問題になる日が必ずやって来る。
ただ、告発するために紛れ込んでも現在の法整備ではどうしようもない屈辱を味わうだけだ。
だから職業として商売として認めないで無視することもひとつの抵抗だ。

展示型生体販売など…
人として倫理としてそんなショップは存在させてはならないのだ!
 

変な社会 2008年06月23日(月)

  タバコを1箱1000円にしたいそうな。
メタボ健診で引っかかると数ヶ月ごとにチェックが入るそうな。
喫煙による健康被害を抑制し、肥満による成人病予防を行うことで将来的に国の医療費削減にも繋がるという理論付けがなされているらしい。

タバコをやめ肥満を無くせば病気にならずポックリ死ねる人が増えるという理屈だろうか?
なるほど、知り合いの何人かは苦労して禁煙した挙句、交通事故で突然この世を去ったり、ダイエット後に動脈瘤破裂で亡くなったりしているから医療費抑制に貢献したことになるのだろう。
それでもしぶとく75歳まで生き延びたら、末期否後期高齢者医療制度によって病気の治療も容易に受けられない仕組みまで出来上がっている。
さらに、ろくな仕事も選ぶことができずハケンで日々の生活を繋ぎ、将来に夢や希望も見いだせない今の社会の若者たちが子孫を残すことなく自らの命を絶ったり、自棄を起こして他人を道連れにするようなことまでも医療費抑制や将来の食糧不足対応の中に織り込み済みであったならなんと恐ろしい社会(政治)だろう。

運転免許取得1年間は若葉マーク、75歳以上の運転者には枯葉いや失礼もみじマークの表示が義務付けられている。
そのうちスピード違反などの無謀運転が多い20代の若者などにも深緑マーク?が義務化され、車に乗っただけで年代がばれてしまうような社会が出来上がるかもしれない。

そんな人間社会をよそにカフェの老犬たちはいたってのんびりした生活を送っている。
ラブラドールのももちゃんは13歳を過ぎても生活に不安なく気儘な老後だ。
シーズーのゴンタも13歳で未去勢なのに私たちのお気に入りで、お泊りの時は私のベッドで寝て、朝抱き上げると硬いウンチをひとかけらベッドに落としていたりする。
先日からお泊りの柴犬のふぶきは15歳で、寝ているうちにシッコを漏らすという話だった。
初日こそそうだったが、普通に排尿便に出し食生活を管理すると2日目からはそんなことはなくなっている。
ただ、介護保険が適用されればありがたいほどの手間がかかる。
飼い主のKさんに「万が一の時の連絡先は?」と聞くと「いいんだ。どうせすぐには戻って来れないところ(海外)に行くんだから…」

人間社会を生き抜いている飼い主のシビアだけど哀愁のこもった言葉が返ってきた。
 

悪気があるなしではなく… 2008年06月22日(日)

  夏至を過ぎ今日から日中の時間が徐々に短くなる。
ようやく半袖姿になって1週間ほどだというのに、なんだか秋そして冬に向かうような侘しさが感じられ、冬至の方が私には歓迎意識が高かったように思えた。
そんなことが言えるのも今年の初夏は北海道らしい清清しい天気が続いているからで、ここ数年の猛暑だとしたら『さっさと沈め、太陽!』なんてぼやいていたかもしれない。

田舎で暮らしていると中心街の様子は全く分からないが、お客様の話だと洞爺湖サミットに向けて警備が厳重になっているらしい。
千歳や洞爺湖に通じる国道には警察車両が行き交い、地図を広げた警察官の背中には広島県警などと書かれていたりして全国から応援が集まっているとのこと。

7月1日から10日まで洞爺湖周辺のキャンプ場は使用できないそうだが、その直前の来週末に4家族の常連さんがキャンプを張るそうだ。
遊びのつもりでもロケット花火などを打ち上げたら即座に包囲されてしまうかもしれなので注意願いたい。

遊びといえば今日のカフェに『うちの子は遊ぶのが大好き』と思い込んでおられる飼い主とわんこが来られていた。
残念ながら周りは『どうぞお構いなく』というタイプの犬たちばかりで、初対面のそのわんこが接近するたびに引き気味であった。
そんな中、陽気なMダックスきくちゃんが遊びに来てくれたので私はてっきりガーデンで楽しくやってるものと思っていた。

ところがしばらくしてガーデンに目をやると、温厚で遊び好きなきくちゃんがマジ顔で逃げ回っていた。
「すみません、その犬を摑まえてください。」と私は告げ「あっ?去勢してないんですか?」と飼い主に伺った。
飼い主が「うちの子は遊ぶのが大好きで…」という言葉を鵜呑みにしていた私の油断だった。
なんてことはない。
遊び好きだと飼い主が勝手に思い込んでしまっているそのオス犬は他犬を見ては手篭めにして乗っかろうとしている正にオス犬だったのだ。

喧嘩するわけでもなく楽しそうに(実は夢中で)相手の犬を追い回して乗っかろうとする自分のイヌしか見てない飼い主なのだろう。
「どうしてうちの子と遊んでくれないのだろう?」と怪訝に思っておられたならなんと哀れなことだろう。

悪いけどDCNではサミット警備ほど厳重じゃないが、遊びと思い込むには露骨過ぎる一方的な行為を黙認したり放置することはありません。
すぐに包囲して拘束されてしまいます。
 

嗚呼、定休日! 2008年06月20日(金)

  忙しくも楽しい定休日だった。
初日は千歳川で犬たちが遊び、人間たちはBBQ、私は胴長を履いて釣りを楽しむこともできた。
前回はさっぱりの釣りだったけど今回は釣り上げることこそできなかったものの2度の当たりがあったのは収穫で次回への大きな参考だ。
なにしろ犬たちがばちゃばちゃと水しぶきをあげている中での釣りだから最初から遊び半分だし、そんな状況でマジになったらせっかくの休暇が台無しになってしまうだろう。

散歩途中の千歳在住ラブラドール凛・晴のSさんと偶然出会い、BBQの終わり頃にはわざわざデザートの差し入れまでいただいた。ごっちゃまでした。

天気が急変するのは予報で流れていたので2時頃には切り上げたが、それもグッドタイミングでバッチリの休日だった。

2日目の今日はのんびりの予定が一変し、汗だくの午後となった。
朝から眼科健診に出かけたKだったが、のんびりしていた私の頭に『散瞳剤を点眼されるはずだから車を運転して帰れるはずがない』とのひらめきがあって、『ついでにアモの散歩をしながら迎えに行こう』と眼科病院までの長い散歩に出かけた。
案の定「眩しくて運転できないよ」とKからのメールがあった時にはすぐ近くまで到着し、すんなり帰路についた。

それからが大変だった。
どうしても家庭菜園で“枝豆”を作りたいというKの気持ちが高ぶり、ついに私も決心してカフェ駐車場の隅っこに菜園を作ることにした。

明日見て笑わないでいただきたい。
2000×800×180ほどのチマっとした家庭菜園もどきを1時間ほどで作り上げたのだ。

ホームセンターで買ってきたのはデザインブロック10個(1個248円)と敷砂3袋(1袋380円)それと中に入れる菜園用の土20袋(1袋98円と格安)で総額6000円程度だったが、のんびりする予定だった私が夕方から流した汗は僅か1時間ではあったけど予定外だった。

このミニ菜園に名前をつけることで疲れを癒したい。
・猫の額ならぬ、『わんこの額』・『わんこのおでこ』
・レオパレスの隣だから格調高く『パレスサイド』
・ドッグガーデンならぬ『パーク(駐車場)ガーデン』
・『枝豆横丁』

くだらんこと考えている場合じゃない。
明日は8時頃にMシュナウザーのモカちゃんがやってくるからもう寝よう。
 

犬との暮らし方ガイドその2 2008年06月18日(水)

  子供の情操に愛犬が計り知れない関わりを持つのはよく知られている。
しかし子供たちの無垢な無頓着さが愛犬のしつけを台無しにしてしまうことは案外軽視されている。

この国には犬を可愛がる人はとても多い。
亡くした愛犬の思い出話を伺うときには飼い主の深い愛情を感じるし、その犬がとてもいい子であったようにも想像してしまう。
だがそれは人間としての優しさであり、同時期を共に生き、亡くしたものへのいたわりから芽生えたものであったり、ひょっとしたら思い出の中で美化し、楽しかったことだけのアルバムなのかもしれない。

飼い主や亡くなった愛犬を冒涜するつもりは全くないが、殆どの飼い主が亡き愛犬のことを語るほど“いい犬ばかりだった時代”があったとは思えない。
つまりは社会的・客観的に見てどういう犬だったかということではなく、『我が家の愛犬』という観点での思い出話であり、さらにつまるところ、どんな犬でも一緒に暮らした中での良き思い出がいつまでも人の心に残るということである。

話を最初に戻そう。
どんな育て方をしようとも子供たちにはその犬と暮らしたときの思い出がいつまでも残り、大人になっても家族団らんの話題のひとつにはなるだろう。
だが、本当にそれだけで良いのだろうか?

しつけ途中の犬だから興奮しやすく、興奮すると飛び跳ねたりいつまでもいい気になって吠え続ける犬であるのに、子供たちはさらに犬を興奮させるようにきゃっきゃきゃっきゃと騒ぎ立てている。
かと思えば、『オスワリ!オスワリ!』とどうでもいい時に遊び半分の命令ごっこをし途中から犬の身体に乗っかったり…

何度も言うがそれはそれで楽しい思い出となるし、忍耐強い犬を育てているのかもしれない。
でも私がせっかく犬を育てるなら子供を育てる上での教材として、犬というものの生態や素晴らしさを詳しく話し、その接し方を子供に厳しく律し、愛犬が変化していく姿を体感させて共に喜び、結果的に親子の関係や子供の社会性を育む方向を追求しただろうと思う。(実際の子育て中は仕事が忙しく犬を飼うことはなかったから今言える?)
それが愛犬との暮らしを一歩進める文化になるはずなのだ。

そこまで急進的にならないでもいいけれど、少なくとも世の“子育てと犬育てを並行して行っているお母さんたち”に伝えたいことがある。
『あんたたち、いい加減にしなさいよ!』
あなた方がそう叫べば、背筋をピンと伸ばして震え上がる子供と愛犬を育ててください。
 

犬との暮らし方ガイド1 2008年06月16日(月)

  多くの飼い主たちは愛犬に対して優し過ぎるのに求め過ぎるように感じる、と書いたらお叱りを受けるだろうか?

私はこれまでこの欄で『犬を飼ううえでのスタンスをハッキリすべきだ』と書いてきた。
例えば、繁殖に用いたり、ショードッグを目指したり、あるいはこれらの犬と同じように健康な犬にメスを入れることを拒む思想から去勢をしない犬の飼い主であることを選択したのなら、ドッグランやドッグカフェなど不特定多数の犬たちと関わることを諦めるかそれなりの配慮を忘れてはならない、つまり社会のどこにでも家族の一員として接触するには大きな制限があると主張してきた。

その理由は未去勢のオス犬のほとんどが他犬をイヌと見て、場合によっては攻撃的になったり、場合によっては性の対象とみなす欲情というか振る舞いを抑えきれず、結果的にうまくやっていけないからであった。

そして残念なことに、涙が出るほど愛犬に優しい人の愛犬が名犬ラッシー・名犬リンティンティン・ベンジー・パトラッシュになる確率は年を追うごとに減少している現実を多くの飼い主は知らない。

優しさは人徳であり美徳であり自らと周囲に心地よさをもたらすが、愛犬に対してはそうとは言い切れない現実があるということであり、悪徳ブリーダーと生体販売を行うペットショップによる無差別販売によって優しいだけの飼い主は益々苦境に追いやられてしまっている。

そんなプロセスはともかくとして自分の犬を愛するのは飼い主として当然であり自然の成り行きだ。
それはまるで“子供”という言葉と同義語になってしまうほどであろう。
だが人間の子供と犬が決定的に違うことを多くの飼い主である親たちはいつのまにか忘れてしまっているようだ。

人の子は包まれた愛情と経験によってどう変化するか分からないのが魅力であるのに対し、犬の子は育てたように育ち、その根底にはCanis Familiarisの血が宿っている。

極端な表現をすれば秋葉原で殺人を犯した男の両親がマスコミのリンチを受けるのは誤りであり、崖っぷち犬誕生秘話を追求し、さらにはありふれた家庭の困った犬製造の原理と人間倫理をマスコミに紹介してもらいたい。

悪いけど、酔い潰れそう。
明日読み返して対応を検討したい。
 

これでマンネリは打破できるか? 2008年06月14日(土)

  カフェに刺激的なわんこが来なくなったのか、それともカフェに通ってくれるわんこ達がおりこうになったのか、このところこの欄におけるわんこ(飼い主)に対する私の毒舌が影を潜めている。
代わって社会に対する愚痴が増えてしまって、そのことは言われなくとも『つまらん、お前の話はつまらん』と自分でも感じているところだ。

だけど実際に『よし、今夜はこの犬のことを書こう!』と感性を刺激する場面に出くわさないのだ。
たまにそんなわんこがいても『そのテーマについては既に何度か書いている』と消極的になる。
また、メールで個人的な相談を受けることもあるが、『相手方の悲しみを深めるかも』と躊躇し、引用しながら紹介することにためらうケースが多くなっている。

既に書きたいことは書き尽くしたのか、私の感性が鈍ってきたのか、角が取れて円くなってきたのか…

お泊り犬も殆どが気心知れているから時間的な制約は受けるけど気分的にはとても楽。
散歩のときもKと二人でおしゃべりしながらのんびり歩き、それでも足元には5頭くらいいたりすることもある。
室内での粗相どころかペットシーツを汚す犬もおらず、みんなガーデンで排泄してくれる。
最近ではお泊り犬がいてもカフェの閉店後から次の朝まで犬の声を聞くことすらなく実に静かなものである。
だから余裕すらできて、夜には犬たちの体質に合ったおやつを選びながら与えることもできる。

この欄も4年を過ぎて既に1000話を超えている。
「いつもありがとうね」とKに言えば
「そう言ってくれるからありがたいよ」とKは返してくれる。
言葉を返さないこの欄とは倦怠期に入りかけているのかもしれない。
でもまあ、この欄に言葉を返されていたら此処まで続けて来れなかっただろうから、このcgi方式は継続するとして次の何らかの刺激というか展開が表れることを期待することにしよう。

生体販売をするペットショップの方や、観念の異なる愛犬家・訓練士・獣医さんなどとこの欄で公開討論なんかできたら刺激になるだろうが、如何せんこの欄には読者の書き込みができないようになっているから、メールで受けたものをそのまま編集無しに転載した後、私の意見を述べることになる。
どなたかやってみませんか?
勝ち負けなんかのことじゃなくて、見解の多様性をお互い知るために。
条件は三つ。
ひとつめは私が素性を明かしているので相手もそうであること。
ふたつめは複数人の申し出があった場合、選択権は私にあり、私には(公序良俗に反しない)すべてのメールを提示したうえで選択理由を述べる義務があること。
最後にしらふじゃいけませんぞ、ということで。
 


- Web Diary ver 1.26 -