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「最近ヨーキーのトム・ハナちゃん来ないよねぇ」 つい数日前そんな話をKがしていた。
「うーん」と私はあやふやに答え、私と同年代の飼い主で月に何度もカフェを訪ねてくれ、とても気の合うTさんのことを『このところの不景気でみんな大変なんだろうな』などと思いやっていた。
今日の夕方 「もしもし、いつもお世話になっていますトム・ハナのTと申します。実は今日、父が亡くなりまして…。自宅に連れて帰らせてあげようと思っています。急で申し訳ありませんが、ごたごたしてしまうのでトム・ハナのお泊りをさせていただけませんか?」という奥さんからの電話が入った。 私は型通りのお悔やみの言葉を述べ、快く引き受けた。
「そういうことだったんだね。」 Kと私は不謹慎にも、Tさんが看病などのいろいろで来店できなかった理由が分かり少し安堵してしまった。
それから2時間ほどして 「もしもし、カフェの近くまで来ているんですが場所が分からなくて…」と電話が入り 「今何処ですか?」 「焼き鳥ごんたの前です。」 「あら、それなら次の道を左斜めに入ればすぐです。てっきりご主人が連れてくるのかと思ってました。」
私がそう話した途端 「あ!済みません。私は娘です」 その涙声に私は不意をつかれ、うろたえてしまった。
数十秒の後にカフェに車が到着し、運転席から降りてきた見慣れた娘さんの姿を見た途端、私の目から涙が溢れ出し、どうにもならなくなった。 電話をくれたのは最初からTさんの奥さんではなく娘さんであり、亡くなったのはTさん自身だったのを知った。 「ええ!そんな!気を落とさないで。」 何をどう言ったのか。涙したことしか覚えていない。 食道ガンだったそうだ。
まるで自分が犬に振り回されている柔な男ではないと主張するように、トム・ハナを付属物のように雑に扱いながらも実はそれぞれの性格を見事に見抜いて育て、ふたりを虜にしていたTさん。
いつもと違うスーツ姿で会社の昼休みに、同僚の社員を連れてきては 「ここのカレーは美味いんだぞ」と穴場の名店を教えるかのように自慢されてたTさん。
つい数ヶ月前、私たちにも『あそこのラーメンは素朴で麺が絶品』と教えてくれて、1週目は売り切れ、2週目でようやく食べることができたラーメンが今となってはTさんとの思い出の味になってしまった。
長い付き合いの中で私たちを心底信じてくれたのだろう。 「社員旅行でハワイに行ってくる。トムとハナを頼めるかな?」と最初のお泊りを依頼された時は、犬たちよりもTさんのほうが淋しそうで、結局ハワイでは寝言で『トム!トム!』と毎日やって、家族からヒンシュクをかっていたそうだ。
ある日、見慣れない車でトム・ハナとTさんがやってきた。 「車変えたの?」と私が言うと 「前の車のナンバーは106で、つまりトム。今度のは87でハナなんだ」 そんなシャレた想いで愛犬への気持ちを伝わせてくれたTさんだった。
「いやぁ俺は面倒なんだけど、来年もハワイに行くことにしたよ。また預ってもらえるかな?」 照れくさそうにそう言っていたTさんの姿が私の記憶に残り、 「7月に入院って娘さんは言ってたけど最後にカフェに来られたのはそんな前じゃないよ。すぐに帰ったから気になってたんだ」とK。
『Tさん“命”』のトムだったし、それを全身で受け止めていたTさんだから心残りがあるのは充分承知している。 でも大丈夫だよ。 残された者たちはそれなりにちゃんと生きていけるものだ。 だってあなたの優しさに包まれて生きてきたのだから次はそれを伝える番だとみんな自覚するに違いないのだ。 そうやって心あるものは命と心を繋いできているのです。
Tさん、お疲れ様。ありがとうございました。 ああ、まだ涙が止まらない。
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