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ポジティブとネガティブってどっちが前向きで正しいかなんて一概には言えない。 どちらかといえば妥協的で人間的な繋がりを重視するならポジティブの方が良いけど、ひたすら個人的なことや逆に社会的なことを考えるならネガティブにも大きな存在価値はある。
例えば日常の家庭生活でお茶碗を割ってしまった場合、「バカ、なんてことすんの!」と発すれば、言った方も言われた方も気まずい気持ちになってしまい前途に暗い影を投げかけるが、“形あるものは壊れる”というスタンスで何事にもおう揚に構えていれば、「大丈夫?怪我しなかった?」という言葉が出て、優しい雰囲気がお互いを包み込み、よい人間関係が継続されたり発展したりする場合がある。
一方、個人的な恋愛感情や経済的な悩みではネガティブになりがちだし、会社経営で成功を収めている社長さんの中には『物事すべてよかったよかった、と考えるべし』と社是を述べておられる方が多いが、実はそれがとことん個人的にネガティブになった結果に得られた結論であるとも思われるから一概にネガティブは悪とは言えない。
増してや国民生活においてポジティブを貫く人間は、時の政府にとってやり放題あるいはやらない放題の便利で使いやすい人民に成り下がってしまう危険性がある。
今日は暑い一日だったが、『北海道の夏もあと1ヶ月』そんな風に考えれば夏を楽しむ方法を考えたくなる。
『何を今更』と思われるかもしれないが、こんなことでも普段からちゃんと意識しておかないと差し迫った危機に自分らしく対応できなくなるんじゃないのだろうかと思うし、人間の究極にはネガティブが厳然として存在すると思うのだ。
今日の全国の漁業関係者のストライキだってそのひとつだ。 立派な普請の自宅でインタビューを受けていた漁師さんもいたが、いよいよ生活が大変になったのが伝わってくる。 漁船が大量の燃料を消費しCO2を排出していたことも分かった。 それでも不漁だろうと弱音を吐かずポジティブに物事を考え自己責任を受け入れていた彼らは、最終的にネガティブであることにふがいなさを感じながら行動に出たのだろう。
最近一般的に使われるポジティブさとは最低限生活が保障された環境の中でより良い結果を導き出すための詭弁に近い励ましの鞭であり言葉であって、戦後の焼け野原の中で母親たちが言葉にした執念とは重さが随分違うように思う。
愛犬育てのことで私は辛口の発言をすることが多いけれど、源はそんなところにあるのかもしれない。
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