From the North Country

カフェから見た北海道の景気外観 2008年12月03日(水)

  「いつもこんなに混んでいるんですか?」
生後4ヶ月のパピヨンを連れて初めてカフェを訪ねてくれた男性が私に尋ねた。
「はあ?あっ、いえいえ。最近はいつもガラガラなんですよ。今日はどうしたんでしょうかねぇ。」と、私は打ち消した。

好天に恵まれたお昼時で、言われて見れば一時的にせよ盛況だった平日は久しぶりのことである。

30年以上札幌で暮らしているが、バブルの時もそれがはじけた時も『バブルって何?はじけるってどうなるの?』というくらい、都会の景気が北海道の庶民に影響を与えることはなかったように思う。
大体がいつも不景気で、最初っからバブルの恩恵もなければはじけたショックも多くの道民には関係なかった。

それが夕張の破綻以降、灯油・ガソリンの大幅値上げ、それに伴う食料品を始めとした生活必需品の値上げと続き、ついにこの度のアメリカ発の金融危機に加えて、相変わらずの政府の無策駄策とやらで、北海道の庶民には慣れていた不景気がさらなる追い討ちをかけるようになったと実感される。

「不景気なんて別の世界の話だと思ってた」
カフェ常連のKさんが働く大手の工場が閉鎖することになって思わず漏らした言葉がそれを代弁しているように思えた。

『なんとか食べていけるだけでいい。』と昨年から定休日を二日に増やし、ペット関連メディアへの露出も控えていたカフェであるが、先月、5周年の感謝を込めて折込チラシを地域の新聞に入れた。
例年ならすぐさま反応がたくさんあったのに今回は少なかったのが気になっていた。

ひょっとしたらこのままでは『食べていくだけ』のことすらままならぬようになるかもしれない。

今日たまたま新規にカフェを訪ねてくださった方の言葉を聞き、ガーデンを無邪気に駆け回る4ヶ月のパピヨンの姿を見た。
その無礼な振る舞いを一喝するわんこたち。
さらに『うちの犬は一喝するだけならいいんですけど、幼いあの子に恐怖体験をさせてしまうかもしれないので…』とリードを付けて制御する心優しき飼い主。
そんな有意義な役割も果たしているカフェだから、もうしばらくは不景気だろうと頑張らねばなるまいと感じた。

「来て良かったです。」
帰り際に言われたその男性の一言が嬉しく感じられると共に、『もうちょっと露出しといたほうがいいのかな』
などと思った。

今夜はこんなネット広告を打っておこう。
 

今日からカフェは6年目。生活が変わり始めた。 2008年12月01日(月)

  「あんなに個人情報出してもいいんですか?」
この欄をお読みの方々からそんな心配の声が聞こえてきた。
「知るかい、そんなもん!」などと大見得を切ってはいるものの、最後は信頼関係だと割り切って書いているつもりなのでご心配なく。
どうせ当人は海外だシィ〜。

そんなことよりレオンベルガーとチワワのふたりの居候は私の『犬との生活観』にいろんな妥協を与え始めているのが心配だ。

私の『犬との生活観』というのには『一緒に暮らすのが負担にならないこと。』という大前提がある。
我が家の愛犬アモに加えてこの二人が増えたことでどんな影響があるのか、この際自分でも考えてみようと思う。

1.トイレのしつけは問題ないが、レオンベルガーのジェニーは訳もなく突然下痢をすることがある。食べ物とかの問題ではなさそうで、良好便→下痢→良好便ってな具合で、薬を必要としない下痢だ。
でも考えてみれば私も同じような体質だから受け入れるしかない。
チワワのチビはちょっと油断が出来ない。
排泄には全く問題がないし、いつも良好便なのだがいつまでも外に一人で出しておくと食糞することがあるからだ。
いつもそうなら現場を押さえてしっかり教えることができるのに、油断を見せたときだけ食糞するから性質が悪い。

2.抜け毛に関してのこと。
室内の抜け毛についてはある程度仕方のないことで、日々のブラッシングをちゃんと行い、掃除機で吸い取りやすいようにカーペット類は敷いていない。
ジェニーについてはブラシをすれば抜けるけど、生活していて毛を落とすことが少ない犬種であるというのはありがたく思っている。
それに勝手に人のベッドに上がることもないから及第点だ。

最近『妥協しているな』と感じるのはチビのこと。
勝手に布団の中で寝ているし、脱いだパジャマや服の上でも寝ている。
大型犬だったら許していないはずだ。

3.散歩に関してのこと
アモとならたとえノーリードでも誰にも迷惑をかけず札幌の駅前通りを気楽に歩けるが、3頭引き連れてとなると結構気を使うことになる。
ジェニーはああ見えても弱虫だから、突然の大きな音や人の飛び出しがあるとビックリして数メートル飛び跳ねるかもしれないし、チビは時々単独行動をとり大声を出さないと直ぐには呼び戻せないことがある。
勿論1頭ずつならちょっと配慮すれば気楽に歩けるから、個別の問題というより多頭飼いの弊害である。
ちゃんとしたいならそれぞれ単独歩行の際にきっちり教えれいいのだが、そこまでのエネルギーがまだ生まれない。
Kといっしょに歩けば3頭の犬たちとの散歩は全く負担にはならず楽しい。

散歩後の足拭きはジェニーの分だけで3倍の手間がかかるようになった。

4.おやつとごはんに関してのこと
これはやはり頭数分だけ時間がかかる。
それとチビの抜け目ない視線だけは気に留めておかねばならないから、一度チャンスがあればきっちり片を付けなければと思っている。
でも、本当に抜け目がないんだよなぁ…

アモもジェニーもぐっすり寝ている夜中だというのに、今もチビは愛想を見せながら室内を巡回している。
私が寝た後に物色するものがないかどうかさりげなくチェックしているのだ。
 

振れ出した振り子は止まるのを待つか受け入れるかだ 2008年11月30日(日)

  オーストリアにある『スペイン乗馬学校』は国家としての第1級のプロ集団で、見事なまでに人馬一体となった芸術ともいえるステージを一般に公開し、乗馬の伝統を国家事業として未来へと引き継いでいる。

Kは学生時代から乗馬をやっており、私は10年近く前の正月番組でこの『スペイン乗馬学校』の映像に息を呑んだ思い出があった。
HさんはKからその話を聞くと数週間後にはレオンベルガーとチワワを私たちに託してオーストリアへ渡航してしまった。
そして1ヶ月の間、毎日毎日朝一番の練習から覗き、魅了されたかのように一日のほとんどをそこで過ごすようになった。

そのうちこの学校のプロを指導するプロ中のプロで、とても有名な男性と知り合いになり、オーストリアでも乗馬体験を積み上げていた。
Hさんがお土産にくれた『スペイン乗馬学校』というビデオは私が過去に見た正にその映像であり、そこにその男性も登場していた。

何回目かの渡航を終えたHさんがクスッと笑いながら話してくれた。
「僕の馬を一頭プレゼントしたいけど、受け取ってもらえますか、って言われたの」だと。
「ええ?!もう好きにしたら。」
私たちは呆れ果てていたがHさんの振り子は既に大きく振れてしまっていた。

これまでの渡航は一体何回だっけ?
「永住するならジェニーとチビ連れてけよ」と以前私が言うと、Hさんはとても悲しそうな顔(フリ)をして
「私の人生、なんだか一気に動き出しちゃいました。先生とKさんに巡り合ったのが発端ですよね。」
だから『よろしく』とばかりに舌をペロッと出していた。

私はてっきり今回は『大阪での仕事』でジェニーとチビを預っているのだと思っていたら、今日の夕方Kの携帯にメールが届き
『落馬して首を痛めてしまいました。でも、また明日からは馬に乗れそうです。24日には迎えに行きます。』とのこと。

「オイオイ、オーストリアにいるんじゃん。24日っていつの24日よ!」
振れ出した振り子は誰も止め様がない。

Kのベッドの足元をアモが占領していたので「どうやって寝るの?」と尋ねると「斜めに」と言ってKは器用に潜り込んだ。
そのベッドの脇にはでっかい図体のジェニーがひっくり返っている。
「おやすみ、おやすみ。ああ、幸せ。」とK。

チビは私の部屋のどこかで寝ているはずだ。
振れているのはHさんの振り子だけではないようだ。
 

自らが動くことで人生も動く 2008年11月29日(土)

  レオンベルガーとHさんが出会ったのはとあるペットショップ。
社員教育の講師として招かれたショップだったのだが、講習後にそのショップの裏側を見る羽目になった。

そこには販売期限が過ぎ、処分を待つやせ細り狭いケージに閉じ込められたレオンベルガーがいたのだ。
「お安くしておきますよ」
その冷たい言葉に矢も楯もいかなくなったHさんは運送業者に頼んでケージごと自宅まで輸送してもらったのだが、その後のことは何も考えていなかった。

とにかく外に犬舎を作り快適な寝床と食事を与えた。
が、愛犬となるには大事な時期を牢獄のようなペットショップで過ごしたこの犬は社会適応ができず、Hさんの兄を咬み、訓練士の元でも戸惑いと恐怖を示していた。

そんな折に私と出会ったということだ。

一枚の写真が今でも手元に残っている。
初めて対面した時に訓練中のバービーと並ばせて撮った写真だ。
私はレオンベルガーに近寄り、耳元で「おまえはいい子か?」とささやいてスワレ・マテの練習を少しだけ行い、バービーとの写真を撮れるまでにした。

それから何度かのレッスンを行ううちカフェはオープンを迎え、レオンベルガー/ジェニーとHさんは本格的にカフェに通うようになった。

余談だが、その頃になって、「Hさんはモデルでしょ」とKや周りのスタッフが言い始めていたが、申し訳ないけど私には全くピンと来なかった。
ただ、そう言われてじっくり見ると確かに、愛犬のゴールデンと活躍している有名な某モデルさんよりはソフトで輝きのある女性であることを、その時に感じた記憶がある。

さて、ある時、レッスンの途中でジェニーの首輪が外れ、ジェニーはフリーの状態になってしまった。
数メートル飛び跳ねたジェニーはその瞬間、喜びと不安が交錯し次の動作にどう踏み込めばよいのか躊躇していた。
もしあの時、私が取り乱せばあっという間に数十メートルを駆け抜け、無法者になってしまっただろうが、ジェニーは軟着陸を切望し私も冷静に対処して何事もなかったような決着をみた。

以後、ジェニーは人を信頼するようになったと私は思っている。
あれが大きな転機になった、と。

1年が過ぎ、Hさんの心に余裕ができた頃、Hさんは可愛いチワワの仔犬を抱えてカフェにやって来た。
「ショップでこの子を見初め、気がついたらカード片手にレジに立ってました」ということだった。
荒くれ者のジェニーをそれなりの愛犬に育てる過程を見てきたわけだから、チワワのチビは余裕できちんとしつけることがHさんには出来、それがさらにHさんの心に余裕をもたらした。

ある時、Kが大好きな乗馬の話を持ち出した。
話半分に聞いているのかと思っていたら、Hさんは大いなる興味を示し、ついには自分で乗馬学校に通い始めてしまった。
さらに、その後にKと私が「素晴らしい!」と絶賛したある話がきっかけとなりHさんの人生の振り子は大きく動き出してしまった。

眠い。このつづきはまた明日。
 

夢とか理想とか、成せば成るひとつの話を提供しよう。 2008年11月25日(火)

  ちゃんと整理して書いておこう。

これまで何度もこの欄に登場してきたレオンベルガーのジェニーとチワワのチビそしてその飼い主のHさんのことを。

来月1日でカフェは5周年を迎えるが、そのカフェのオープン前の1年、私は一般家庭犬を知るためにいろんなわんこのレッスンを口コミを通じて行っていた。

ある日、ラブラドールのバービーの最終段階でのレッスン、つまり『見知らぬ他犬がいる中での振る舞い』を確認するため様々なわんこ達が集まるフィールドに出かけた。
その時、広いフィールドの向こうで如何にも『犬の訓練士』という制服を着たおじさんと痩せ細り逃げ惑うようなレオンベルガーの姿を目撃していた。

元々レオンベルガーはムツゴロウさんの動物王国の友人である石川さんと暮らしているベルクと林を散歩した時から気になっていた犬種である。
大型犬種であるにも関わらずセントバーナードのように『口角泡を飛ばす』ような議論をしても現実に口から泡を飛ばさないばかりか、凛とし堂々とした姿が気に入っていた。

何度目かのバービーのレッスンを行っていた時、たまたま飼い主同士が顔を合わせ、話が弾むようになっていた。
その時点での私の印象は『あのレオンベルガー何日経っても進歩していないな』というものであった。

訓練を終えたそのレオンベルガーを間近に見たとき私と目が合い、その怯えと不信に満ちた瞳が気にかかってどうにもならなかったことを今でも覚えている。

「うちの犬を診てもらえませんか?」
バービーと自分の犬を見比べた飼い主のHさんからの言葉はとても重く感じられたし、現実に訓練をしている人間に対しておこがましさも感じた。
私は盲導犬の訓練しかしたことがないのに、その時の訓練士は家庭犬のプロなのであり、それを乗り越える仕事を要求されたのだ。

住所を尋ねてみると当時私が住んでいた部屋と200メートル程しか離れていなかったのは運命だったのかもしれない。
私はレオンベルガーの訓練を引き受けることにしたのだが、その過去と問題点を知り唖然としてしまった。

しめしめ。この話題で数回は書けそうだ。
 

そういえば、お泊りわんこで苦労することがなくなった。 2008年11月23日(日)

  お泊り犬がみんな無事引き取られ、気持ちの上で楽になった。
明日は30分遅くまで寝てられるかも。

それにしても我が家にお泊りしていただくわんこはみんないい子たちばかりだ。

たとえ自宅で吠えていてもカフェではむやみに吠えないし、閉店後2階に上がったら私の周辺でくつろいで思い思いの時間を過ごし、食事もしっかり食べてくれる。

夜の11時過ぎのトイレタイムまで手がかかることはほとんどなく、私がこの欄を書き終えて居間の電気を消すと『これでゆっくり眠れる』とみんな安堵しているようだ。

お泊りが初めてのわんこでも私がベッドで大あくびをしたり「おやすみ、ムニャムニャ…」とやってれば、すぐに眠りに落ちてしまう。
最近では、よく吠えるシュナのロンちゃんや寂しがり屋のシーズーそうじろうも、何の問題なく楽しく受け入れることができた。

夜中に起こされることもなく、朝起きても粗相がないどころか、まだみんな眠そうにしていて、ガーデンに出すと一斉に大小をしてくれる。

私たちが慣れてきたのかも知れないし、わんこ達が慣れてきた、いや、その両方であり、尚且つ初めてのわんこ達にもその伝統が伝わるようなのである。

カフェに何度か来られて、人も犬もお互いに慣れたわんこをお預かりするシステムはグッドで、わんこたちに普通の家庭環境を提供し、それでわがままを言うような場合はしっかり対応し、良い子になって帰ってもらう喜びがある。

新しいお泊りわんこでもこれから徐々に受け入れられそうな気分だ。
 

初冬の夜に 2008年11月22日(土)

  静かな夜。
外はしんしんと雪が降り、私の周りには5頭の犬たちが寝息を立て、どこか別の部屋か階下に我が家の愛犬アモと居候の2頭を含めた4頭のわんこが寝ているはずである。
そんな夜の排泄前の時間を今過ごしている。

ついつい目が行くのは7時の方向(私の左斜め後ろ)で寝ているトムとハナ。
今夜は彼らの主だったTさんのお通夜で、今頃はご家族や親戚の方々が思い出を語っては早過ぎた死に泣きじゃくり心から悼んでおられることだろう。
改めてTさんのご冥福をお祈り申し上げます。

10時方向を見るとシェルティのひなたで、そういえばこの子も地方での法事のためのお泊り。
3時と5時方向にはゴールデンのヒメとラブのハナがいて、この子達も身内に不幸があってのお泊りだ。

今夜のこの部屋には様々な千の風が吹き抜けているのかも知れない。

そこで我が身の今日を振り返ってみた。

13歳で心臓疾患のためコホンコホンと咳き込むシーズーのゴンタをいたわりながら、丁寧でゆったりした散歩を行い、今は私のベッドで寝ているはずのゴンタが静かであることに安堵している。

一方で1歳8ヶ月の『飼い主の足に咬みつく』というペキニーズを今日はこっぴどくとっちめてやった。
心のどこかで『ああ、せいせいした』と死んだ時に思われるより、心から何の曇りもない哀惜と感謝の涙が溢れるような愛犬になって欲しかったから、ビシバシやった私には何のためらいも後悔もなく、誠心誠意を込めてぶっ飛ばし、勿論、飼い主にはきちんと説明をさせていただいた。

『命なんていつ終わるかもしれないから』と慈悲深く生きる優しさ。
『明日を信じているから』これからの為に今をしっかりやり抜く意思。

そのタイミングがずれた時、人々は立ち止まり、これまでの生き様を振り返り、これからの人生を考えるのだろう。
この仕事をしながら人と触れ合い、犬たちと過ごしているとそんなきっかけが度々訪れる。
 

定休日の号外。ありがとうTさん。 2008年11月20日(木)

  「最近ヨーキーのトム・ハナちゃん来ないよねぇ」
つい数日前そんな話をKがしていた。

「うーん」と私はあやふやに答え、私と同年代の飼い主で月に何度もカフェを訪ねてくれ、とても気の合うTさんのことを『このところの不景気でみんな大変なんだろうな』などと思いやっていた。

今日の夕方
「もしもし、いつもお世話になっていますトム・ハナのTと申します。実は今日、父が亡くなりまして…。自宅に連れて帰らせてあげようと思っています。急で申し訳ありませんが、ごたごたしてしまうのでトム・ハナのお泊りをさせていただけませんか?」という奥さんからの電話が入った。
私は型通りのお悔やみの言葉を述べ、快く引き受けた。

「そういうことだったんだね。」
Kと私は不謹慎にも、Tさんが看病などのいろいろで来店できなかった理由が分かり少し安堵してしまった。

それから2時間ほどして
「もしもし、カフェの近くまで来ているんですが場所が分からなくて…」と電話が入り
「今何処ですか?」
「焼き鳥ごんたの前です。」
「あら、それなら次の道を左斜めに入ればすぐです。てっきりご主人が連れてくるのかと思ってました。」

私がそう話した途端
「あ!済みません。私は娘です」
その涙声に私は不意をつかれ、うろたえてしまった。

数十秒の後にカフェに車が到着し、運転席から降りてきた見慣れた娘さんの姿を見た途端、私の目から涙が溢れ出し、どうにもならなくなった。
電話をくれたのは最初からTさんの奥さんではなく娘さんであり、亡くなったのはTさん自身だったのを知った。
「ええ!そんな!気を落とさないで。」
何をどう言ったのか。涙したことしか覚えていない。
食道ガンだったそうだ。

まるで自分が犬に振り回されている柔な男ではないと主張するように、トム・ハナを付属物のように雑に扱いながらも実はそれぞれの性格を見事に見抜いて育て、ふたりを虜にしていたTさん。

いつもと違うスーツ姿で会社の昼休みに、同僚の社員を連れてきては
「ここのカレーは美味いんだぞ」と穴場の名店を教えるかのように自慢されてたTさん。

つい数ヶ月前、私たちにも『あそこのラーメンは素朴で麺が絶品』と教えてくれて、1週目は売り切れ、2週目でようやく食べることができたラーメンが今となってはTさんとの思い出の味になってしまった。

長い付き合いの中で私たちを心底信じてくれたのだろう。
「社員旅行でハワイに行ってくる。トムとハナを頼めるかな?」と最初のお泊りを依頼された時は、犬たちよりもTさんのほうが淋しそうで、結局ハワイでは寝言で『トム!トム!』と毎日やって、家族からヒンシュクをかっていたそうだ。

ある日、見慣れない車でトム・ハナとTさんがやってきた。
「車変えたの?」と私が言うと
「前の車のナンバーは106で、つまりトム。今度のは87でハナなんだ」
そんなシャレた想いで愛犬への気持ちを伝わせてくれたTさんだった。

「いやぁ俺は面倒なんだけど、来年もハワイに行くことにしたよ。また預ってもらえるかな?」
照れくさそうにそう言っていたTさんの姿が私の記憶に残り、
「7月に入院って娘さんは言ってたけど最後にカフェに来られたのはそんな前じゃないよ。すぐに帰ったから気になってたんだ」とK。

『Tさん“命”』のトムだったし、それを全身で受け止めていたTさんだから心残りがあるのは充分承知している。
でも大丈夫だよ。
残された者たちはそれなりにちゃんと生きていけるものだ。
だってあなたの優しさに包まれて生きてきたのだから次はそれを伝える番だとみんな自覚するに違いないのだ。
そうやって心あるものは命と心を繋いできているのです。

Tさん、お疲れ様。ありがとうございました。
ああ、まだ涙が止まらない。
 

トイレのしつけとその裏側 2008年11月18日(火)

  最近のしつけ相談では『トイレのしつけ』というのが多い。

まずは仔犬を迎え入れた日からの正しい対応を説明しよう。

1.どういう形であれ最初にシッコをした時点から仔犬のシッコパターンの観察とトイレのしつけを始める。
a. 仔犬が人やおもちゃなど何かと関わっている時に排泄することはなく、それらからスーッと離れた時が排泄行動の始まりでありしつけのチャンスでもある。
b. 同様に『食後すぐ』とか『寝起き直後』というパターンも知っておこう。
c. 夜中には2度ほど仔犬は起きる。これも排泄のためであり、飼い主はすぐに起きてトイレに連れて行かねばならない。
トイレのしつけの絶好のチャンスなのだから。
つまり仔犬と暮らし始めるということは、夜中のトイレが我慢できるようになるまでの数ヶ月の間、まともな睡眠がとれない時期があることは飼い主としての常識なのだ。

2.決められた排泄場所で排泄させる。
a. 寝床とトイレは離れた別の場所が当たり前。
b. しばらくはそこで排泄させるのに時間がかかることも当たり前。
c. 『シーシー・ベンベン』と排泄行為にネーミングをすることが、『言葉を理解させる』ことの第一歩。
d. 排泄したら『褒める』ではなく『拍手して喜ぶ』方が効果的。

3.失敗を減らし成功を積み上げるのが原則
a. 3日経っても失敗が減らないのは(犬ではなく)飼い主に問題あり。もっとしっかりさりげなく観察し、しつけの為に時間を取るべきである。
b. 粗相したら『ありゃ〜!何てことすんだ!シンジラレナ〜イ』と家族で喚きあって犬を軽蔑し、徹底した消臭消毒を行う(バイオチャレンジ1890円カフェにて販売中)
c. 排泄場所に通じるドアの前で『振り返って人を見る』などの意思表示をし、排泄場所に連れて行って排泄したら、宙返りするくらい大喜びする姿を愛犬に見せ、赤飯を炊いて『○○ちゃんがシーシー・ベンベンできたできた』と犬が覚えている単語を並べた会話をして、家族みんなで喜ぶ姿を見せてあげよう。

まあ、こんなところである。

だが実際には飼ったその日から仔犬を室内でフリーにしてしまう飼い主や、ペットショップの店員に『この子はトイレのしつけはできていますから』なんて言われる場合が多く、何も知らない購入者はそれを信じてバカを見る羽目になる。
店員はウソを言ったのではないと思う。
ショップにある、寝床とトイレが一緒のケージの中で、ペットシートの上で排泄する習慣を見てそう言ったのだろう。
嘘つきなのではなく無知なのだ。

飼い主側にもいろいろ事情がある。
仔犬と暮らす段階では誰かが日中家にいるべきなのだが、仕事や生活の問題もあってそうもいかないだろう。
そのことによってトイレのしつけは当然遅れてしまうが、『仔犬が排泄を我慢できる月齢』にまで達してしまえば、帰宅後の正しい管理としつけのための時間をちゃんと割いてあげることによって、遅ればせながら1歳を待たず(8ヶ月程度)して解決できるはずである。

だが、そんなことすらもできない飼い主が多いのもまた現実。
その根底にあるのが『したくなったら自分でペットシートへ行って排泄するのがトイレのしつけ』とショップやメディア、資格を持った犬の専門家ですら信じ込んでいる現状がある。
本来は緊急避難としての措置であるべき仔犬時代のペットシートでの排泄がいつのまにか大人になり自意識が高まっている犬にも適用されてしまっているのである。

何故か?
その方が仔犬を売りやすいからである。
本当のことを話せば、犬を買うことを躊躇する人がいて損をするからだ。
生後2ヶ月の仔犬を売るときに『食事は1日2回です』なんて虐待同然(本来は4回程度)のことを平然と言うのも『売らんかな』の根性と無知があるからだろう。

話がそれてしまった。
が、トイレのしつけという単純で基本だけど深刻な問題に純粋無垢な飼い主がショップやメディア、専門家の不実によって振り回されていることは知っておかねばならない。
大切なのに大変なことは表に出したくない“生体販売を行う”ペットショップ業界のこれもひとつの裏側。
 

最後の方まで書く前に酔い潰れてしまう 2008年11月16日(日)

  いろんなご質問から導き出した私の答え。

1.いいですか、一般家庭犬としての愛犬と暮らしたいのなら身体上問題がないオス犬の場合は、生後6ヶ月でまず去勢しなさい。
これはアドバイスなどではなく絶対的な基本中の基本なのです。
これを抜きにしての『家庭犬としてのオス犬のしつけ相談』などは、全く意味のないことなのです。
あなたが倫理的に思想的に人生観を踏まえどう考えようと関係ありません。
あなたが思い描いていた愛犬との生活のスタートラインに立ちたいなら“男は黙って去勢”なのです。

2.愛犬を可愛がり愛することは飼い主の大きな喜びであり権利であり、愛犬もそれを全身で受け止めております。
でもそこに落とし穴が…

しつけもできず言葉も理解していない犬をフリーにしたり極上の待遇を与えていませんか?
その結果があなたを困らせ、愛犬を不幸にしているのです。
室内犬をフリーにする時はあなたの目と時間が愛犬の為に注がれる時であり、つまりは“しつけ”と“我が家のルール”を教える時間が取れるときに限られるべきです。
残念なのは、しつけるあなたが『なにをどこまでしつけるか』を知らないことなのです。

3.愛犬とはおもいっきり遊びましょう、心通わせましょう。
でもそれはお互いを知り、生きる喜びを共有するためであって、きっと犬の方が誤解していい気になって有頂天になる時間帯があるから、そこでは将来と社会を見据えてきっちり対応するのです。

4.悪い吠えと良い吠えがあるわけではありません。
吠えで困っている皆さん。
吠えは特別な場合を除いてすべて『吠えるな』を教えるべきであるのです。
どんな吠えでも即座に止めさせれるかどうかでお二人の関係がプロには見えるのであります。
それができるかどうか、そのうえにおいても愛犬は楽しく生活しているかどうかが大切なのであります。

5.叱るうえで、叱り方を知りたがる飼い主の気持ちは分かりますが、これは叱る側の問題ではなく、叱られる側の受け止めが重要であり、飼い主が意図するような受け止めをできる叱り方ができているかが問われているのです。

ああ限界
この話になるといつも途中で酔い潰れてしまう。
 


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