From the North Country

温故知人 2008年03月04日(火)

  今朝のテレビ番組で『いわさきちひろ』をやっていた。
胸がジーンとして息を呑みながら画面に食い入ってしまった。

『ちひろ』の絵を見たことがない人は少ないだろうし、それに感動を覚えない人も少ないだろう。
人の心や自分の気持ちを言葉ではなく“絵に表す”
なんて素晴らしい芸術なのかと感じ入ってしまう。

『ちひろ』の描く子供には邪気がない。
が、『ちひろ』の描く“眼”には『ちひろ』が投影されている。

『相田みつを』も知らない人は少ないし、『みつを』の書を見れば誰しも立ち止まり今の自分を見つめ過去の自分を振り返ってしまうだろう。
例えその後に批評があろうとも、まずは目に留める。
『みつを』は仏教の教えを彼なりに解釈し人間的なありふれた言葉を用いて短い書(文字)で表現している。

私が最も好きな作曲家はフィンランドのシベリウスだ。
隣国ロシアの権力に翻弄されつつも民族自主を貫き通す苦悩を音楽で表現し、強国ロシアでさえ彼の楽曲を消し去ることができなかった底知れぬ音楽の力を示してくれた。

『ちひろ』『みつを』『シベリウス』は何故か私の人生の根底にあり、絵・書・音楽という形で様々な影響力がある。
そして朝日新聞天声人語のコラムニストだった故『深代惇郎』さんこそが私の人生の師でもある。
彼が書いたコラムのテーマは何度かこの欄で“盗用”に近い紹介をさせて貰ったことがある。(雁風呂・龍君の死・フィンランドの戦後賠償など)
もちろん及ぶには至らない表現で。

『ちひろ』『みつを』『シベリウス』『深代惇郎』の描く世界は虚像であり実像でもある。
何故なら子供たちは時にとんでもないことをしでかす悪魔でもあるし、人間は平等ではなく弱肉強食のような政策に翻弄されるし、国家の為と信じて自爆テロが許容される時代もあり、人は言葉や文字で動かされる不安定な存在なのだから。

だからこそ彼らは直接的な主張をせず、ただ淡々と描き・表現し・聴かせ・心に訴える。
人を信じる優しさが根底にあることが大切で、そこに本質としての人間のあるべき姿を訴えたかったのだろう。

さて、『人と犬についての暮らし』の“同志”となるべき私たちは何から始めよう?
 

春先の今日感じたこと 2008年03月03日(月)

  春でしたねぇ。

この時期の陽射しの心地よさは北国に住む生き物には格別だ。
昨日までカフェとガーデンを出たり入ったりと忙しかったレオンベルガーのジェニーも今日はガーデンのデッキで日がな眠りこけ全身の紫外線殺菌もバッチリだ。
記念になると思ってうるう年の29日に設置したバードテーブルに立ち寄るヒヨドリ・シジュウカラ・シメも今日は遊び半分で餌をつついている。
カフェではまったりした時間が流れ、膝にチワワを抱っこしているとうたた寝しそうになった。
あとはこれから1ヵ月半に及ぶ雪解け時期を辛抱強く凌ぐことだ。

今夕はカフェがヒマだったのでいつもより早めに店じまいして散歩に出かけた。
すると、何かが違う。
明るさ?すれ違う人?気温?
いや、違う。
ふと気づいたのは、越冬うんちが昨年より圧倒的に少ないことだった。

3キロほどの散歩で見かけた雪解け出現による放置便は小型犬のが二つあっただけ。
これからさらに雪は解けるからそこ此処に出現する可能性はあるが、ともかく発見した放置便は少なく里塚緑ヶ丘住民の意識はいい方向へ変わりつつあるようだ。

これなら同じ志を持つ犬飼いが小さなショベルを持って一回りすれば、春先の馬糞風(昔、生活道路に普通に放置された馬糞が春先に乾燥し粒子となって風に飛ばされた現象)ならぬ犬糞風から解放されそうだ。

あと少しの啓発でこの街はさらに暮らしやすくなるかもしれない。

とりわけ年配者には“動物の排泄物は自然の恵み”という観念が根強く、ショベルを持って愛犬と散歩しているのでてっきりすくって袋に入れるのかと思っていたら雪の下に埋め込んだりする人もいる。

雪は毎年解けるしその下はアスファルトですぞ。
仮に土に埋めても安物のドッグフードを食べさせてると化学物質や粘土成分が含まれてるから周りの土壌とはいつまでも一体化せず肥料なんぞにはなりません。
昔の発酵された“人間の肥やしや鶏糞”とは違ってそんな犬のウンチは長期間残留する厄介者なのですぞ。

犬の排泄物処理に対して中途半端な知識で食物連鎖や自然環境の話を絡めるのはよして、とりあえず目の前のモノを処理しましょう。
そして処理後の痕跡にまで文句を言う人間に対しては一緒に闘いましょう。
その時にこそ『そんなものは雨や雪解け水が洗い流してくれるし、自然界のバクテリアが処理もしてくれるし、たぶんそれでも知らないうちに人間の口に入ることで免疫機能が高まり我々の健康は保たれているのかも知れませんぞ』と言い放ちましょう。

ともあれ心地よい春の一日だった。
 

ロサンゼルスの決断 2008年03月01日(土)

  今日から3月だというのに横殴りの雪が吹き荒れて体感的には寒い一日だった。
それでも降っては解ける雪が春の近さを感じさせてくれる、なんて感じ入ってたら夕方からの雪はしっかり積もり、お泊り犬チワワのトイレをさせるため夜中にはさらさら雪の除雪をしなければならなかった。
『冬来たりなば春遠からじ』なんて先人はお気楽に詠んでいるが、雪の下でどんなに春の準備が進んでいても、そこに暮らす人間には3月に入ってなお春の遠さが身に染みる。
明日は晴れ間が出る予報。
今月のパスタ“菜の花とキャベツのペペロンチーノ”が似合いそうだ。

さて、各自治体で殺処分する犬猫を減らすために去勢・避妊を勧めているのはご存知だろう。
まあ特段の効果があったという報告はあまり聞かないが…
多くの飼い主は『うちの犬を捨てるなんて考えてもいない』し『健康な犬にメスを入れるのは適当ではない』などと考え、去勢・避妊の話についてはどこか別の不届きな飼育者に対しての啓発なのだろう程度にしか感じていないと思われる。

だが実際には犬が自宅から逃亡して望まぬ妊娠をしてしまったり、外飼いのわんこに種付けをしたり、無知な団塊の世代が安易に犬を飼った挙句手放したりと、処分に困った飼い主が里親探しに管理センターに犬を持ち込むケースは後を絶たない。

そしたらアメリカのロサンゼルスではついに飼い犬の去勢を法律で義務付けてしまったというニュースを目にした。
根拠がどこにあるかわからないが『生後4ヶ月までに』という条件付きでしかも罰金や社会奉仕活動などの罰則規定までついている。(猶予期間が付帯されてもいる)
もちろん繁殖に用いられる犬などは除外されているが、『そこまでやるのか?』と疑問に感じ、「去勢!去勢!」といつも主張している私でさえ今の今まで批判的に捉えていた。

ところがこの欄を書き進めるためニュースを読み返した正に今、私は「そうか!奥深い!」と膝を打った。

ロスでこの法律を定めるに当たって様々な専門家が意見を述べたであろうことは容易に想像できる。
当局は殺処分の頭数やその予算の膨大さおよび行政責任を主張しただろうし、獣医師の間では“生後4ヶ月までに去勢”の根拠や“そもそも去勢の意義”についての論戦があったとも推察される。
狂信的な愛護団体からは批判的な意見も噴出しただろう。
だけどその中で飼い主と家庭犬を熟知した冷静な人間が意見を述べたのだろうと思う。

・処分犬の中には望まぬ出産で捨てられる犬もいるでしょうし、ショップやブリーダーが売れ残った犬を持ち込んだり投棄して捕獲された犬もいるでしょう。
だけど、しつけに困って放棄される犬の数も看過することはできないと考えます。
何故なら引越しなど家庭の事情で放棄を迫られる状況になったとしても“我が家の愛犬”という関係なら飼い主は『放棄』という発想が生まれることはないのですから。
つまり『放棄』される犬と飼い主の間にはお互いが意識しているかどうかは別にして、『放棄』が選択肢になるような何らかの隔たりがあるものと考えられ、その原因のひとつに未去勢であるが故の『犬の本能に根ざした家庭犬としての資質欠如』が挙げられます。
例えば排泄のしつけや他犬とのトラブルあるいは家族との関係などです。

・去勢時期を『生後4ヶ月』と法で定めるのが適当なのかどうか分かりませんが、獣医師の見解を聞きながらこの時期にオス犬の飼い主に一旦警告を与え、その後2ヶ月程度の猶予を与えるのなら、それは『家庭犬とし家族の一員』として愛犬を迎え入れる人々に結果的に資することになり、しつけの土台を築き、家族との隔たりという壁を低くし結果的に捨て犬を減らすことに役立つだけではなくHuman Animal Bond の基礎となることは充分に予見できます。
なにしろしつけや訓練において性的本能から発するどうしようもない部分は排除できるのですから。

家庭犬のオスを結果的に生後6ヶ月頃に去勢させることは、しつけの上で絶妙のタイミングである。
「ロスの10年後を見てみたいものだ。」と興味が湧き、もうすぐ春を迎える北海道で『これまでのしつけが壊れたみたいに排泄の失敗がでてきました。どうしてでしょう?』という相談が増えるのに今から憂いてしまう私であった。
まずは“菜の花とキャベツのペペロンチーノ”を召し上がってから考えましょう。
 

今日の定休日 2008年02月28日(木)

  「おばちゃんには興味がないみたいね」
雪かきの途中で井戸端会議をしていた“おばちゃん”の横を通り過ぎている時にそんな言葉が聞こえてきた。

散歩の途中、人に迷惑をかけないように接近して臭いを嗅いだり愛想を振らないように我が家の愛犬アモには教えてある。
明らかに相手が犬好きだと分かれば「いいよ」とアモに声をかけることもあるが、アモはたいして興味もなく積極的に愛想を振ることは元々ない。
そしたら冒頭の会話を耳にすることになってしまった。

『犬は飼い主に似る』と喉元まで出掛かったのを飲み込んで定休日の長〜い長〜い散歩を続けたが、ちょっと申し訳ないことをしたようで愛犬との散歩の難しさというか奥深さを感じた。

それにしても雪祭り後から続く大雪には閉口してしまう。
もう雪を捨てる場所がなくなってきたぞ!
定休日の朝なのにまたしても大雪で除雪作業が2時間もかかってしまった。

さらに夕べは3週間のラオス・ベトナム旅行から帰ってきたまりちゃんがチワワのらむを迎えに来たが、彼女の顔が赤いので熱を測ると37.8度もあった。
「どうしよう」とあたふたするKに対して私は「明日まで様子を見るなんてもってのほかだ。鳥インフルエンザで53人が死んでいる国から帰国したのだから、今すぐにでも病院で検査を受けるのが国民としての義務だ。ただの疲れによる可能性が高いけどそれがはっきりするだけでもいいではないか」とアドバイスした。

夜の8時まで診察してくれる徳洲会病院のありがたさを改めて感じた。
私が盲腸の緊急手術をした時にいろいろあった病院だがその姿勢にはいつも感謝の気持ちがある。
必要な利益を確保しつつ今後も健全な経営を続けて欲しいと願う。

まりちゃんは今日は熱も下がり体調も回復して帰宅していった。

大雪・まりちゃん・散歩と忙しい定休日だったが明日も休みなのだから全く問題はなくありがたく思っている。
ともあれ定休日の一日が終わろうとしている。

PS.
Kのパソコンがイカレテしまいカスタマーセンターに電話でアドバイスを求めたところ、複数の要因が重なっているらしく修理をすることになった。
「パソコン壊れたって皆さんに報告しといてね。」
なんであんなににこやかに言えたのだろう?
 

何が大切かを見抜く目が失われている気がして… 2008年02月26日(火)

  ここ数日、札幌市で“視覚障害者になりすまし”を9年も続けていた男が逮捕されたというニュースが流れている。

その男は生活保護を受けていたうえに“全盲で視覚障害1級”の身障手帳を正規に取得し、その加算金を上乗せして不正に保護費を受け取るだけでなく、副業?として『わざと車にぶつかって補償金を騙し取る』いわゆる“当たり屋”までやっていたらしい。

その事実が発覚したきっかけがお粗末で笑えるものだっただけに何故今まで見抜けなかったのか、こちらは笑えない現実が見えてきた。

まず発覚した『笑える理由』は報道によると二つある。
1.警察に対して『自分を当て逃げした車は赤い色をしていた』と語ったらしいこと。
2.自ら運転免許証の更新に行って、まずいことに更新されてしまったこと。

1の理由については『目撃者がそう教えてくれたから赤い車だと思った。誰が目撃者か見えないから分からない…』とか『1級でもぶつかるほど目の前に来れば物体の色は分かることがある』などという言い逃れができないわけではないが、2の理由では申し開きのしようもなく墓穴を掘った形だ。

1級の視覚障害というのは全盲もしくは両眼視力の和が0.01以下であり、運転免許の更新は(片方のどちらかがだったかな?)0.7以上あればよいことになっている。
つまり視力テストに合格したから見えていたわけだ。
ただ、この男の障害名が網膜色素変性症とか黄班部変性なら中心視力だけがあって免許の視力テストにかろうじて合格する可能性も僅かにあったが、『視神経炎』というから確定的な障害ではなく全くウソの診断か一時的な病気だった可能性だけが僅かに残されていることになる。

視覚障害というのは視力だけで判定されるのではなく視野(つまり視覚的に認識できる部分)というのも判定には欠かせない要素であり、例えばストローの穴から物を覗くように中心だけが見えている障害だと視力検査では正常なのにそれ以外の周囲が見えないから足元は見えずつまずくし階段からは転落するし、ゾウを近くで見てもゾウだとは認識できないから日常生活すら成り立たず立派な障害となる。
逆に、見ようとする中心だけが見えないと視力検査では視力ゼロなのに、周囲の状況はそれなりに“見えている”し顔を動かしながら(スキャン)だと結構歩くこともできるが、文字の認識ができず仕事や生活にも不自由があるからこちらも立派な障害である。
もちろん光すら全く感じることができない人もいるから障害の等級というのが決められてる。

そして等級によって受けられるサービスや年金の有無それに額までが決まっているから、それぞれのケースにおける視覚障害リハビリ部門と眼科医療の間でビミョーな連携がなされることもある。

だが、この男は明らかに不正に『正規に身障手帳を取得』している。
つまり指定された眼科医の診断を受けて一時的な病気ではなく永続的な障害であると診断されたのであり、実際の障害がどの程度あるのかないのかを考慮したとしても言語道断の詐欺を行っていた。

問題は誤ったのか意図的なのかは分からないが眼科医の診断にもあろう。
ニ昔前の眼科機器に“ハンフリーフィールドアナライザー”という視野測定の装置があった。
私が1990年に視覚障害リハビリの研修を受けていた頃、実習で訪れた眼科の先生は「これで自分は視覚障害とウソを言ってる人を見分けることもできるのですよ」とそのしくみと方法を教えてくれた。
だがそれ以前から盲導犬を通じた視覚障害リハビリテーションに携わっていた私は、数時間の面接で相手の実際の視覚を評価する能力を身につけていた。

『視覚障害と判定する』という基礎的課題をひとりの指定眼科医にだけ任せてしまうから今回のような問題が起きたのだ。
もし私がそんな判定の副審の立場になっていたら絶対に“ニセ障害者”を認定しなかっただろう。

ただ、現在は2級の視覚障害であるから『1級でしか盲導犬を取得できる資格がない』という規定のある自治体に住む方で、将来の失明を免れずその苦悩を受け入れた上で自分と家族の為に必死に生きようとし、そのためにも盲導犬と今のうちから暮らし歩行手段を獲得したい…という人とめぐり合ったならちょこっとやりくりして結果的にはウソの1級認定を働きかけたかもしれない。

人をコケにして怒らせ騙す詐欺と、『そんなことってあってもいいよな』というある種の人間的な不正の境目が今の時代はマスコミによって決められるから私は暮らしづらいと感じ、目立たず陰に隠れるようにしてドッグカフェを営んでいる。
 

お利口さんが集まるドッグカフェ? 2008年02月24日(日)

  「今日はみんな除雪で忙しいからヒマだよ」
そんな話をしていたらカフェはそこそこに賑わい始めた。
小型犬同伴の新しいお客様が多かったのでいつもの日曜日とはちょっと違った雰囲気だったがみんなおりこうさんなわんこたちで微笑ましかった。

「このお店は静かで大人しい子ばかりが集まるんでしょう?」
吠えるMダックスの飼い主が申し訳なさそうにそう言われた。
世の愛犬同伴のお店やペンションの経営者が聞いたら『どうすれば大人しいわんちゃんばかりが集まるようにできるのですか?』ときっと羨ましがられることだろう。
そんなノウハウをまとめたら経営コンサルタントにもなれそうだ。
でも実際はそうではなくカフェに通ううちに振る舞い方を身につけたり、『なんとかならないでしょうか、うちのわんこ』との申し出があって静かにさせる術を施しているだけなのだが、世間には私どものカフェについてそんな評判があるらしい。
それはそれでとても気楽でありがたいことだ。

心配されていた飼い主のわんちゃんも前回は吠え立てていたのに今日のちょこっとしたコントロール後は室内での存在を感じさせないほどで、ガーデンでは楽しそうに走り回っていた。
たぶん自宅に戻ればいつもどおりになってしまうのだろうが、“カフェではおりこうさんになれる”のならそれはそれで大したものであり、私たちにとってはそれだけで充分だ!?(悪いけど…)

2時を過ぎた頃からカフェはガランとなり、今日はおしまいかな?と思っていたらドタドタドタッと大型犬がなだれ込んできた。
「全部で9人で〜」
言い終らないうちにカフェを素通りしガーデンに出た複数のラブやフラット、ニュージーランドハンタウェイが駆け回っていた。
常連さんが友人たちとやってきてくれたのだ。

「静かなわんこばかりが集まるカフェ、ね」
私はニンマリしながらつぶやき、楽しくなっていた。

夜の11時を過ぎガーデンに出た。
お泊り犬のMダックスマメジロウがさっさと用足しを済ませた後座り込んでしまった。
前足を交互に上げ下げしている。
夜空には欠け始めた明るい月が輝き、空気は凛としていた。
「ねえねえ、これ見てごらん」
Kが覗き込んだ温度計はなんとマイナス16度を示しているではないか。
私にはアルコールの内燃機関が働いていたがマメジロウの素足は冷たさを通り越して痛さを感じてしまったようだ。
近頃の札幌では滅多にない低温で、果たして最低気温がどこまで下がるのか心配になってきた。
夕べの嵐に続いて今夜は寒波かぁ。
カフェの一日が今日も終わろうとしている。
 

大自然の中で暮らすと問題行動は起きない 2008年02月23日(土)

  この冬一番の暴風雪が吹き荒れている。
先週の土曜日に続いて2週連続の嵐となっているが、先週とは規模が違う大荒れである。
どんな物理の原理が働いているのか知らないけど、思いもよらない場所に吹き溜まりができ、地形がすっかり変わっている。

こんな夜に除雪しても明日の朝にはまた同じように積もっているから、無駄なことをせずじっとしているのが北海道流なのだが、今夜はそんなことは言ってられない状況だ。
なにしろ夜のトイレをさせるガーデンに犬たちを全く出せないほどの積雪なのだ。

大雑把な除雪だったがガロアラシ号は唸りを上げて頑張ってくれた。
車庫前には50センチ以上の積雪があった。
ガーデンはフェンスが埋まるほど訳が分からない吹き溜まりになっていた。
70坪の駐車場にはガロアラシ号抜きには絶対除雪できない重い雪が数十センチ積もり、北西の風が飛ばした雪を舞い上がらせた。

日付が変わった頃、全身雪まみれになって一通りの作業が終わったが、近所の方はまだ手作業で頑張っておられた。
明日のことなんかどうでもいい。
この嵐の後に何事もなかったような犬たちとの明日の生活が送られるとしたらそれだけでいい。
そんな姿をたまにでも犬たちに見せているだけで彼らは
『人間って凄い!』と感じてくれるだろう。
そんな人間から褒められたら有頂天になるだろうし、叱られたら戸惑うことはあっても反抗などできないはずだ。

ぬるま湯の中で過ごしているから、問題行動の余地が生まれるのだ。
 

今夜はキレてみた 2008年02月21日(木)

  今日も北海道のローカル番組で『ワンちゃん特集』というのをやっていた。
ローカルに限らず全国ネットでもワンちゃん番組は定番にもなって人気があるようだ。

そして今日までこれらの番組における制作者のスタンスと視聴者の反応を見ていたら、
『もう降参だな』と私はため息をついてしまった。

この国には“愛犬との暮らし”なんて定着せず、
“日本流イヌとの暮らし方”が精一杯なのかもしれない。

もうどうでもよくなった。

「トイレまでついて来て鳴くものだから、ドアを開けたまま用を足してます。」と視聴者。
あ、そう。一生そうやってろ!
それって困ったように見せかけて自分の優しさを表現したいわけ?
老犬になってあんたがいなくなったり逆に姿を現した時、あんたの犬は興奮しすぎて呼吸困難を起こし苦しむ姿を毎日見ることを含めてそのように接してるんだよね。(吸いすぎに注意しましょう!なんていう注意書きのある代物のレベルではなく、老犬まで生きていれば先ず間違いなくそうなるのに)

「犬ができる能力を理解してあげて、それを超えるような要求をしないことが大切ですね」と専門家。
何を言ってんだ。
犬を宇宙飛行士にさせたいという相談じゃなく、普通に暮らしたいという相談だろ。
愛犬には要求し、教え求め続けるのが飼い主の役目じゃないか。
だからこそ喜びを共有し深い絆で結ばれ、何でも与えたくなるのだ。
見た目の愛らしさと一緒にいた時間がそうさせると思うなら縫いぐるみかプログラムされたロボットと暮らせばいいじゃん。

「そうですね。犬って言葉も分かるし心が通じ合うんですよね」とゲスト。
そんならスタジオのあなたの愛犬、なんでオムツしてんの?
マナーベルト?
なにがマナーだよ。高級レストランでのネクタイじゃあるまいし。
要するにどこでオシッコしてしまうか飼い主すらコントロールできないからまるでサルを飼ってるような意識なのに、言葉上の響きだけ良く見せかけようとして『マナーベルト』なんてうわべだけの美語を使ってんじゃないの?
繰り返すが、もうどうでもよくなった。

今日の定休日は降りしきる雪の中、チワワのらむも連れて家族でレクの森へ出かけてきた。
問題児だったらむの進度を確認するための評価でもあった。
生得的に繊細で警戒心が強く猜疑的で取り乱しやすい性格のらむでも我が家でしばらく暮らせば、かなりの面で信頼でき、誰もいない深い雪の森の中をノーリードで楽しみながら散策し、突如現れた高校生の集団にも取り乱すことなく呼び戻しで抱っこされ、一声も発することなく集団の中を通り抜け、自宅では室内のシーツにも排尿することなく排泄マナーも完璧な状態が続いている。
もちろん我が家の愛犬アモには懸念などひとつもない。

もう、よそう。
「降参した」人間の遠吠えである。
これからはこの先めぐり合う人を含めた同志とだけ“愛犬との暮らし方”について語らい、至極の世界を共有していこう。
 

オキシド−ルの顛末 2008年02月20日(水)

  夜中の1時を回ってもう寝なければならない時間だが、先週の火曜日に飼い主の不注意でカフェでボールを飲み込み、民間療法としてオキシドールを流し込んで無事嘔吐させたCちゃんのその後を報告しなければならないので簡潔に書くことにした。

Cちゃんはその日無事に帰宅したそうだ。
だが翌日になって嘔吐が始まり、それを繰り返すうちに血が混じってきて下痢をし食欲がなくなったので結局は動物病院に連れて行ったとのこと。
先生は「嘔吐させるためにオキシドールを飲ませるのは我々も行いますが、その後に胃腸薬を飲ませましたか?」と問われ、胃腸薬と吐き気止めそれに悪玉細菌が検出されたので抗生物質を処方されたと伺った。

どうやら飲ませたオキシドールの量が多すぎたのか、それとも適量でもそうなったのかははっきりしないが胃(腸)炎を起こしてしまったのは間違いないらしい。

今日はすっかり元気になってレッスンも行ったCちゃんにはあれからの数日ちょっと気の毒だったが、民間療法はこんなことでくじけてはならず、飼い主は次に生かす知恵として今回の結果を蓄積しなければならないと思う。(例えば田舎のキャンプ地で異物接種しても応急処置ができる知恵とするなど。ただし飲み込んだものがオキシドールとの間で化学反応を起こさせるものかどうかのチェックが必要)

教訓
1.市販のオキシドールを飲ませることで人為的に嘔吐させることができ、その量は体重によって決められること。
2.オキシドールは胃腸炎を伴うらしいから、その後に必要な薬を処方すること。
3.必要な胃腸薬として適切な市販されている商品名を確認すること。(例えばゲンノウショウコのような愛犬家として常備している漢方でいいのかどうか)
4.最後には獣医に「何とかしてけれ」と拝み倒す覚悟と気概を持つこと。

ともあれ無事(かどうかは飼い主の意識次第)で終わったけれど、生き物を相手にした人間がそのすべてを専門家に頼るかまずは自分で解決しようとするか、人間の生き方が問われているのだろうと思う。

相手が人間なら法の裁きを受けるような事柄だが、犬と暮らす中で決断することは法を超えた人間としての自分を明らかにする現代のアドベンチャーだと私は思っている。
だから人間は犬に育てられているのだとも感じる。
自分で考えもせず対処法も知らない人間などそこらの石ころと同じで、もし自分は何もせず結果に対してだけ右往左往するなら・・・

それも人間的だな…

どう生きるか(死ぬか)を決められる立場にあることだけでも犬たちとは違っているし、そのことに苦悩もしている。
 

屋根に上るのもいいもんだ 2008年02月18日(月)

  除雪の疲れが二日後にやってきたが、天気も良かったので屋根に上りCSアンテナを覆っている雪を下ろした。
一息ついてとんがり屋根の尖端に腰を下ろすと札幌の街並みが美しく眺望できた。
JRタワーやテレビ塔など町の中心部がそう遠くない場所に見え、藻岩や西区南区の山々もひとつの繋がりとしてとらえられる。
意外だったのは、イメージとしてもっともっと左側にあると思っていた札幌ドームがここからだとほぼ市の中心部方向にあったことで、位置関係に限らず世の中結構そんな思い込みをしてることがあるんだろうなと思った。
空を飛べたらみんな『一目瞭然』で『すぐそこ』の距離にあるのに…

大雪が過ぎ青空が顔を出した今日は鳥たちが賑やかだ。
ヒヨドリやカラの仲間に混じって一昨年『いなくなった』とニュースにもなっていたスズメたちのさえずりが響いている。
道路を隔て百メートルほど先にある大曲川沿いの緑の回廊(東部緑地)からやってきた鳥たちがほとんどだ。
だが、ガーデンのフェンス沿いにある木立は宅地造成でいつ切られるか分からない状況だ。
あの木立がなくなれば今日のような感動は日々の生活からは離れてしまうのかと思うと寂しい。
年末に姿を見せてくれたアカゲラの美しさは格別だったしドラミングの心地よさは郷愁としていつまでも心に残るだろう。
せめて今のうちに鳥たちに安心の場であることを示し、いつでも訪れてもらえるようガーデンにバードテーブルをこしらえようかと話し合った。
カラスがうるさいかもしれないけど時間帯で使い分けをしてくれるだろう。
鳥の糞やスズメたちのエサ蹴散らし行為もあるだろうから犬たちのために囲いが必要かもしれない。

屋根に上るといつもとは違う気分になれる。
雪が解けたらティータイムにKを誘ってみよう。
 


- Web Diary ver 1.26 -