From the North Country

私と犬 2008年02月04日(月)

  私が犬と暮らし始めたのは子供の頃で、親に買って貰ったのではないどころか、親に内緒で近くの空き地にあった小屋で勝手に野良の仔犬を飼ったことに始まる。
その数は14頭ほどにもなったが私が子供だったからか犬に咬まれたことは一度もなかったし『咬まれるかも』という発想すらなかった。

初めて正式に飼う事ができた仔犬は、仕事帰りの母親が拾ってくるように予め私がセッティングしたものだった。
『この可愛さならお母ちゃんは絶対に拾う』と確信させるような犬だったから、あとは母の姿を遠くに見つけて道端を放浪させておけばよかったのである。

親にばれないように気を使っていたそれまでとは違って、奔放に犬と遊べることがうれしくて毎日が夢中だった。
枯れ草の上では童話で見たキツネのように四足揃えてピョンピョン跳ねる姿が今でも忘れられない。

だがその犬が大きくなって犬が他人を咬むという現実と自分の無知を知った。

時を経て盲導犬の世界へ飛び込んだ時も当然犬の訓練技術などは知らなかった。
毎日毎日が訓練とはかけ離れた犬舎での生活で、朝の排泄に始まり掃除・給餌・ベッドメイク・ブラッシング・爪切り・耳掃除・シャンプー・散歩などに明け暮れた。
同時進行で繁殖ボランティアやパピーウォーカーの人々に出会ったり、成長段階の犬たちを見ることができた。

今思えばあの時に私の脳が『犬と暮らすということ』の概念を作り上げたのだと思う。

・犬は人間と同じような感性を持てるし考える動物である
・犬は付き合い方で犬になり、イヌにもなる
・犬の習性の筆頭を挙げるなら観察力であり、彼らとの暮らしの原点がそこにある
・抜け毛以外は人間の生活に支障がないのが当たり前
などなど

あれから30数年、最初の犬から40数年、私は子供時代に犬においての貴重な出会いと最悪の別れを経験し、大人になり職業として犬について学び、考え、実践し経験を積み上げ観念を形成してきた。
だから自分の暮らしに合う犬を選べるし育てることもできる。

食卓に手をかけたり、家族の前で盗み食いしようとしたり、車内で外を見て吠えたりなどが最初にあった時、それを放置することが将来何に繋がるかも知っている。
犬は人がどのような反応を示したかを観察し今後の行動に結びつけている。
たとえ叱られている時でも、いや叱られている時ほど注意深く観察している。

犬をしつけるのは技術や方法もあろうし、今流行の行動学などの知識もあってよいのだが、犬に対する観念というものが最も大切なのではないかと感じている。
『え?あんた犬でしょ。なんでそんなことも解らないの?』が前提で、そのプロセスとして仔犬の頃から育てているのだ。

表現の仕方が下手だからうまくは書けなかった。
この私の『犬に対する観念』というのを今最も理解してくれているのはKだと思う。
私と暮らす中でKはいろんな感想を述べてくれた。
犬のプロでもない彼女だからこそ皆さんに分かりやすい表現をしてくれるかもしれない。
ヒマそうな時にでも尋ねてみてください。

犬との貴重な出会いと最悪の別れを子供時代に経験したが、あの頃の犬たちにすまなさと感謝の気持ちがいつも根底にある。
 

ドグベル 2008年02月03日(日)

  今夜は疑問の箇条書き

1.自転車事故について

@後方から音もなく身体をかすめるように走り去った自転車に驚いて、「気をつけろ!」と怒鳴ったとしたら悪いのはどっち?

A歩行中に肩が凝って腕を回したり、何かを指差したりってたまにあるけど、後方に誰もいないはずだったのが急接近してきた自転車の運転手に当たってしまったら、当てた方が全面的に悪いの?

B自宅から歩道に出ようとした老人が、普通に走ってきた自転車に驚いて転んで怪我をしたら責任はどうなるの?

2.犬に関する事故について

@大人しいわんこと飼い主が、前を歩いてる人を追い越したとき、「わー!ビックリした。気をつけなさいよ!」と怒鳴られたら悪いのはどっち?

A公道ぎりぎりの敷地内に繋がれた犬が突然吠えかかり、驚いた人が転んだり散歩中の犬が道路に飛び出したりして怪我をしたらどうなるの?

B犬嫌いの人が、規則通りにリードで繋がれ大人しく散歩をしている犬と突然出くわしたことにあたふたして転んでしまったらどうなるの?

C同じく規則通りに散歩している時に、犬嫌いの人から聞こえよがしに『嫌ねぇ』って言われたら、多くの愛犬家はどう対応しているのだろう?

判例が出ているのかもしれないが裁判になればそれぞれがケースバイケースなのだろう。
相手や当事者が老人や身体障害者だったらひょっとしたら判断も分かれるかもしれないし、そんなの咄嗟に判断できないと反論もあろう。

ところで皆さんは歩行中の盲導犬に出会ったことがあるだろうか?
多くの盲導犬ユーザーは愛犬の首に鈴や小さなカウベルをつけている。
鈴は自宅での愛犬の動きを知ることができるし、大き目の鈴や小さなカウベルは歩行中に、前方を歩く人に『後ろから接近していますよ』と予め知らせて注意を促したり驚かせることがないようにとの思いが込められている。
喫茶店などに入った時にはカウベルにティッシュを詰めて音が鳴らない配慮もしているのですよ。

中・大型犬の散歩にはオシャレで優しい音の小さなカウベルならぬドグベルっていうのもいいかもしれない。
カフェオリジナルを考えてみよう。
自転車にも使ってもらえればありがたいし…

それでも最後の砦として家族傷害保険への加入をお勧めしたい。
単独での扱いもあるし通常の生命保険などに年額2000円程度特約すれば(不確かなので個人の責任において確認のこと)万が一に備えられる。
私は生命保険を“騙されたと思って”掛けているが、傷害保険だけは愛犬家や子育て中の子供がいる家庭にとっては安心だと感じている。

たしか家族傷害保険は怪我をしたりさせたりした時の保険だが、盲導犬協会でパピーウォーカーに掛けていた傷害保険は年額2000円で物損にも対応していた。
私が対応した事例では
・花屋さんで愛犬の振った尻尾が花瓶に当たって落ちて割れたのを補償
・キャンプで暴走したパピーが隣のテントを破ったのを補償
というのがあった。
金額は間違いないが内容についてはやはり保険会社に確認されたし、ということだ。
 

フードやおやつのローテーション 2008年02月02日(土)

  里塚温泉で飲食する時はまず『若鶏の半身揚げ』の持ち帰りを注文しチェックアウトするまでカウンターで預ってもらっている。
それがいつの頃からか定着した我が家の愛犬アモへのお土産となり、その夜に一切れをKが与え、その後4日間ほどドッグフードのトッピングとなってアモを満足させている。

これまで温泉セットをアモに見せて「里塚温泉行ってくるからね」と言えば『あ、そうですか』とベッドで仕方なさそうな顔をして顎をぺたんと下につけていたが、その表情と仕草は今でも変わらないものの、最近ではきっと内心『しめしめ』と思っているに違いない。
『里塚温泉』といえば舌なめずりすることがあってどうやら半身揚げをイメージしているようだ。

昨年のいつだったか、持ち帰りを忘れたり、売り切れていたりして何度か手ぶらで帰ると
『ウッソー!信じらんない。あんたたち一体何考えてんのぉー』
そんな顔をされて困った経験があった。

どうか勘違いをなされないようご注意願いたい。
メーカー曰く本来、愛犬の食事にトッピングなど不要なのであって、今夜は我が家のたわけた話を書いたまでのことである。

ただ私にもちょっと気がかりなことがある。
アモのおやつにもこのところ鶏のささみが続いており、それが好物になっている。
幸いアモにはアレルギーはないが、アレルギーを未然に防いだり遅らせたりするためにも、食事やおやつにはローテーションが大切であり、繁殖に用いる犬であるならば絶対必要だと思っている。

つまりチキン系の次はビーフとかラムとかダックとかフィッシュとか鹿肉…などのフードに変えたりするほうがアレルギー反応を引き出しにくくなるだろうし、トッピングにそれらや季節の野菜を加えたりすることでも相当の効果があると考えている。
もちろんそれでお腹の調子が変わらない犬の場合のことだが。
アレルギーを含め雑食性の犬にいいのは残飯なのだろうけど、塩分が濃かったり禁忌食材が含まれたりして他の健康問題が持ち上がってしまうのが厄介なところだ。

豚のように犬を肥育して満足するような飼い主に聞かせるつもりはないけど、微妙な栄養バランスというのはフードメーカーに言われるほど今の時代重要ではなく、多少のアンバランスがあったとしても季節に応じた手作りごはんがトータルで見たときには優れているように思う。

手作りの面倒さを受け入れられない我が家では、カフェで販売している安心の食材を用いたドライフードを時々ローテーションし、トッピングやおやつもそのようにしている。

なんせ、我が家の愛犬は健康を考えつつも『美味しく食べさせてあげたい』と思わせるほどいい子なもんで…
 

ミッションステートメント 2008年01月30日(水)

  私は年に何度もこのホームページにある『ショップコンセプト』を読み返している。

今ではそれぞれの企業がその目的と社会的使命を広く社会に明らかにするため『ミッションステートメント』を掲げているが、掲げた旗印が時代によって微妙に変化し、現在の企業の多くが『株主配当重視』といういずれは腐るであろう木の枝に重きを置いているのが情けないと感じる。

あるアイデアや使命感によって事業というものは産まれ、財政的に苦しみながらそれでも歩み始めた創業者の理念に賛同した人々が“株を購入”することによって『私はあなたの理念を支援する』という意思表示の手段が株式の原点だと私は思っている。

それが今では投資家の金儲けの手段として定着し、国も庶民に投資を促す政策をとるようになった。
挙句、庶民は株価に一喜一憂して生活を翻弄され、経営者は枝葉(確かにこれもなくてはならないものだが)であるはずの株主を、栄養吸収源の根であると勘違いし始めた。

根であり幹であるのは『創業理念』であって株主ではなかったはずなのに。

本末転倒の社会構造がそこに産まれ、『お客様は神様です』という、高度経済成長初期に傲慢になりかけた経営者を戒める言葉がその後に訪れたバブル崩壊(ミッションやコンプライアンスを忘れた事業運営)などの時代を越えて続いた結果、いい気になった“モンスターペアレンツ”や“クレーマー”なる人種が増殖し始めた。

そして企業はすっかり形を変えてしまい、『経営の根幹は株主』で『お客様を重視し、その方々からのクレームは宝だ』という大義名分のもとに本来の宝であるはずのミッションを忘れ従業員をストレスにさらし、その人間性や精神構造を変化させ、それに適応できず自殺に追い込まれる人間を『負け組み』という用語に包含して生き延びようとしている。

私はカフェのコンセプトを見失うことはない。
いつ何度読み返してもその中身に同意するから自分の理念を失うことはない。

お客様には『敷居が高く緊張する』と言われることもあるが、それは理念の誤りではなく私の未熟さに起因してると大いに反省し改善しようと日々努力している。
カフェは株式会社ではなく個人事業だが私にとってお客様は株主なのだろうと思う。
『ショップコンセプト』に賛同していただける方々が私の仲間であり支援者だから、皆さんの思いを力にして新しい仲間を増やすべくこれからも歩んでいきたいと思う。
 

時代を生きる 2008年01月28日(月)

  この欄の上に日付が表示されている。
あのミレニアムの大騒ぎからもう8年も経っていて、ついこないだの『あけおめ、ことよろ』から始まった月も終盤になっている。

そんな振り返り方をすると『自分が生まれたのはまだ戦後の流れの中だったのだなぁ』と時の流れの速さと過去というものをしみじみ思う。
子供の頃、親から聞かされた戦争の話は遠い昔の歴史の断片にしか過ぎなかったのに、実は親にも自分にとっても、ついこないだの出来事だったのだなぁ、と。

今の子供たちもそんな風にミレニアムの話を遠い過去と感じながら現代を生き、いずれ、世紀をまたにかけた時代を疾風のごとく生きた自分を振り返るのだろう。

だからこそ『今を生きよ』というテーマがいつの時代にも存在し、観念上では解っていてもその意味を本当に知るのは年をとってからということが繰り返される。
人間ってうまくできているな。

不老不死じゃ傲慢の塊になっちまう。

なんだか哀愁を帯びた話になってしまったが、『死期近し』を感じて懺悔の気持ちが芽生えたわけではない。

人生の儚さを論じるようになると、孫に優しいばかりの祖父母のように『人生は短いのだからそんなに怒鳴るんでない』と若い親を諭しがちだが、祖父母にとっては孫は消え行く自分の化身のように可愛いし、育てる親のような責任がないのだから自分の得た人生論を好き勝手にぶちまけるものなのだ。

教訓もあろうし、たわ言もあることを知らねばならないだろう。
そうやって私たちは固有の文化を引き継いできた。

さて、この時代の犬の話だが…
なんてことを書き出したら止まらなくなってしまうから短かめになるよう自制しよう。

五代将軍綱吉が生類憐みの令を出した遠い時代…
今私たちは一時代の流れの中の現代において愛犬と暮らしているに過ぎないから、何が良くて何が悪いかは歴史に委ねるしかない。
だが、やわに感じる綱吉の功績は綱紀粛正にあったともいえる。
私はジジババのような生の儚さを前面に出した無責任な立場で愛犬を育てることを微笑みながら受け入れつつも敢えて異議を唱える場合があると言わざるを得ないと感じている。
何故ならその無責任な結果において人が犬と暮らさなくなるような空白の時代を作りたくないから。

棄て犬が後を絶たない今のペットブームではあの時代の綱吉の意図とは別問題ではあるが、腐敗大名に対して彼が行ったような綱紀粛正が必要だと思っている。
 

またまた愛犬自慢 2008年01月27日(日)

  アモが我が家の愛犬になってから2年と15日が経過した。
“おりこうになれば待遇が良くなる”という原則に従って、今ではアモには最高の待遇が与えられている。

ホワイトハウスだろうがルーブルだろうが、晩餐会だろうが葬儀場だろうが、もう何処でもOK。
もちろんリードの有り無しなど関係ない。
場所や雰囲気などではなくどんなところでも私たちの意図を感じ取って振舞えるようになったから、というのがその理由だ。
強いて言えば何度も大手術をしている動物病院では緊張があるので少しの配慮が必要だが…

そんなアモに強い不満を抱いていた事柄がある。

いいとこ育ちのアモは我が家にやってきた頃は『食』に対して無関心というか美食家というか(そのせいで42キロにもなっていたが)、自分の食事を見ても唾液を垂らすという下品な反応を示さなかったのに、そのうちにパブロフの犬のように『豆電球がつくと唾液が出る』とまではいかないにしても、私が食事の準備を始めると傍でよだれをこぼすようになった。

ラブやビーグルを飼っている人なら日常のことだろうが、迷惑だったし現在の私には『治せるかも?』との期待があった。

そこで「汚い!よだれ出てるぞ!」とアモをたしなめたりしていた。
「仕方ないでしょ。お腹空いてるんだし」
Kはアモをかばい続けていた。
それでもアモは私の不満と指摘されている内容を彼なりに考えて試行錯誤してくれた。

単純に『叱られてる』と思ったのかもしれないし『傍で物欲しそうに見ていることが悪いのか』とも考えたアモはKの後ろに隠れて、私を覗き見しながらよだれをこぼしたり、わざわざ隣の部屋でよだれをこぼしながら食事の準備が整うのを待っていたりした。

アモが問題意識を感じ取ってくれるようになったので私は次の『よだれ拭き作戦』に出た。
食事準備中にアモがよだれをたらすと「よだれ出てるぞ!」と不満をあらわにしてアモの口と床を拭き「ペロペロしなさい」と声をかけ続けた。

賢いアモはなおも考えたようだ。

よだれが床にこぼれないように布製の縫いぐるみを咥える時期もあったりしたが、ある時何も咥えてないのにまるで人間のように舌をペロリとして溢れそうな唾液をごくりと飲み込んだのだ。
その瞬間を見逃さなかった私は「ペロペロできた。ペロペロできた。」と有頂天になった。(犬を褒めるよりも自分が喜ぶことで犬には伝わる)

以後アモはよだれがこぼれそうになるとペロペロして床をほとんど汚さなくなっている。
食事を期待して唾液が出るのは健康な生理的反射。
それを意識して飲み込むのは学習した社会的行動。

ちょっと自慢になるかもしれないが、私がキーホルダーを床に落とした場合「アモ。取って」って言えばちゃんっと拾って手のひらまで届けてくれるんですよ。
土台がしっかりしているといろんなことが現実にできて楽しいし、だから何処でも何でも一緒に過ごしていける。
 

ハイブリッド除雪機と犬 2008年01月26日(土)

  「やっぱ北海道だよなぁ」と納得の大雪に連日大忙しだ。
幸いカフェは今のところホンダハイブリッド除雪機ガロアラシ号で雪を飛ばせる場所が三方にあるから助かっているが、どうやらそれもこの冬限り。
隣の空き地に今年は家が建ちそうだ。
『そうなれば…』などと今から悲観的に考えるより、『この冬は思いっきりぶっ飛ばすぞ』と豪快にやっちゃおう!

ところで、ご存知だろうか?今時の除雪機のこと。
コンピュータ制御のガロアラシ号は稼働時間や走行距離(もかな?)それに作業中に安全装置として働いた結果にピンが折れた箇所やその回数などなど様々なデータが自動的に記録されているそうだ。
例えば故障した時に「まだほとんど使ってないのに故障した」などといい加減なことを言っても『3000時間稼動』という記録が残っていたらグーの音も出ない。
一方でガロアラシ号のように愛着を込めて大事に使用していると、仮にトラブルが発生したとしても『今後に生かせるデータを提供してくれた』とメーカーに感謝され、様々な優遇措置を講じてもらえる、ハズなのだ。
柴犬宗一郎の父さんが教えてくれたことを有利に理解してみた。

そして『除雪機も犬育ても似たところがあるな』と思った。
1.飼い始めの頃は有頂天になるし、最初は慣らし運転のようにオイルが全体に馴染みエンジンの調子が上がるまで無理をしない(仔犬なら免疫がしっかりするまで注意深く接する)

2.そこそこ調子が出てきても無理をしたり取り扱いを習得しないまま雑に扱うと故障を誘発したりしっぺ返しを受けることがある。

3.使用者の取り扱いがそのままデータとして記録され、取り扱いによっては以後もそのまま動きに反映される場合がある。

4.それまでいろいろあったとしても、調子が良くなり取り扱いにも習熟してきた頃が最高の時期である。

5.ボディーに様々なほころびやエンジン音などに異常があると、相棒としての心配りや細やかな補修・修理を行い、少しでも長く元気でいて欲しいと願う。

うん、なかなか的を得ておりますな。

だが、今時の除雪機は進歩し、犬の飼育環境も昔とは大きく改善されているのに『犬育て』は旧態依然とした観念に囚われていることも少なくないように思う。

除雪機の試運転は昔のように慎重にならなくてもそこそこ短時間で大丈夫なように改良されているのに、『仔犬はワクチネーションプログラムが終了する生後4ヶ月を過ぎるまで散歩をさせてはいけない』などと平気で飼い主に通告する獣医やそれを鵜呑みにして売り渡す人間が多い。
私の知ってる獣医は『生後3週間から外の空気と環境に触れさせる意義とその際の注意事項を飼い主に伝えてくれている』のに。

犬も除雪機も無茶苦茶に扱えばすぐに壊れてしまう。
だからと言って大事に車庫においておくより上手に接した方が性能は発揮できるものだ。
デビュー前の除雪機はいつまでも出番を待っているが、生き物である犬の場合はデビューを遅らせると錆び付いてしまうことがある。

機械の特性を素人なりに知り、時に押したり引いたりしながら友人の形見だと思って大事に使っているガロアラシ号に「よくやった!」と今朝声をかけた。
世界のホンダの機械にねぎらいの言葉をかけているのだ。
そんな想いと小さい時からの冒険じみた中にも注意深い接し方があればどんな無理でも犬やガロアラシ号は私の言うことを聞いてくれる。
 

それでも気持ちのゆとりを優先したい 2008年01月23日(水)

  去年の9月に週休二日にしてから一気に齢を重ねてしまいそうな不安がある。
明日からまた連休?
つい先日ニセコで連泊を楽しんできたばかりなのに、もう休み?
一週間が速い速い!

スタッフや私たちなど働く人間の心理にベストマッチのカフェの定休日設定ができたと感じている。
連休後は土日だから午前中にヒマな日もあるけどそんな時間にはレッスンがこのところ続いていてトータルでカフェもそこそこ楽しく忙しく、あっという間に月曜を迎え一息つく。
おかげさまで火水のどちらか一日が忙しいことがあって、それが終わればまた連休となる。

『優雅ですね』と問われたら、気持ち的には『そうでしょうね』とお答えするが経営的には大間違いだと知っている。
これでスタッフの低賃金がギリギリ支払えて、連休にしたお陰でさらに賃金削減となり高騰している燃料費などの経費削減が可能となっているのが現状だ。
そんな待遇の中でも家計を補助し楽しんでくれているスタッフのおかげで成り立っているだけのことだ。

温泉に行ったり愛犬アモと旅行をしたりと優雅そうに見える我が家が成り立っているのは、私たち自身が『体調維持と愛犬との楽しい生活』に支出を特化し、加えて子育てへの支出が減少しているためだろう。
さらにそのために飲み歩きやパチンコギャンブルなど私の過去の性癖をこれらに転化することで生活は一変したと思っている。

多くの家庭がそうであるように、それ以上よりもそれ以下ではない生活を維持する努力を懸命に続けているだけのことだ。

サブプライム問題で株価暴落・世界経済が破綻?
『そんなの関係ねえ!』と思う。
イチローや松井も言っていた。
「自分でコントロールできない問題に興味はない」と。

庶民には売り買いしかできないのに手数料を払ってそれに参加し、妙な一攫千金を狙ってしまうから振り回されるだけで、そんなことで自分でコントロールできる普通の人生を放棄する博打にでるのは危険であろう。
株なんかは、『消えてもいい金を潤沢に持っているか、自分では価値あるものを創造できない人間が別次元の自分に遭遇して、もうひとつの人生の玉手箱に手を出す行為』だと思い、経済発展重視で人間性軽視の軽薄な手法だと私は思っている。

『おいおい何を言ってるのだ?』
『いや別に。明日からの連休は自宅で楽しむだけのことを…。なにしろ気持ちの上だけでも余裕ができたものですから…』
 

夢ばかり見ている 2008年01月21日(月)

  夢を見ていた。
夢から現へ覚醒し始めた時にも夢の世界へ戻ろうとしていたからきっといい夢だったのだろう。

いい書き出しでしょ?
でも、実はマズイことを書いているのだ。

いつもの里塚温泉で温まり、温泉ヨガを終えた私は満腹感と除雪の疲れそれに幸福感に満たされて風呂べりで横になったまま眠りに落ちてしまった。
目覚めた時はKとの約束の時間をとっくに過ぎていたのに、私はまだ身体も頭も洗っていなかった。
慌てて脱衣ロッカーに戻って、寝ぼけ声でKの携帯に電話したら
「心配してたけど救急車も来てないし、きっとそんなことだろうと思ってた」と鼻声の返事が返ってきた。
すっかり湯冷めさせてしまったKには悪いけど、久しぶりに大満足の時間だった。

『あなたの夢は何ですか?』
そんな質問をされて答える若い人の映像がテレビに流れ、ほのぼのさせられることがあるけれど、多くの年配者には『あなたの夢は何だったのですか?』と考えさせられ、自問自答の末の苦笑に変化してしまうこともある。

たぶん私なんかは昔抱いた夢の範疇で今を生活している幸運な人間なんだろうと思う。

だが自分の中で夢にも思わなかった“視覚障害リハビリテーション”と出会ったことが今の自分を形成してくれていると感謝しているのも偽りない事実だ。

夢をひたすら追うことの中で関わる『夢意外』の事柄も実は夢へ通じるものなのではなかろうか?

それを『試練』と感じる場合もあるだろうし、腐ってしまってせっかくのチャンスを棄てることもあれば、何気なく受け入れて夢へ繋がる結果をもたらす人間もいれば無駄にする人間もいる。

いずれにせよ夢のない人生はつまらんしあってはならない。

風呂べりで寝ていた変な奴には言われたくねぇ!でしょうけど。
最近、そんな若い人に関わることが続いているのでついでしゃばって書いてみた。
 

人間だもの 2008年01月20日(日)

  様々な愛犬相談を受ける中で、相談の中身と犬の状態それに相談者の表情・話し方・書き方で私の対応が変わることを感じている。
それがとても情緒的で非科学的で傲慢無礼な場合があることは重々承知しているが、とことん突き詰めれば最終的にそこに辿りつくのが正解という経験則も同時に持ち合わせている。

「やいやこの子は遊び好きで、どんな犬とも仲良くできるのに、何故か敬遠されちゃうんですよねぇ」
そんな風にニコニコ顔で飼い主に相談されたら私は作り笑いを浮かべるだけか、
「まぁ、相手もあることですしねぇ」と曖昧に答えるか
「ほうっておくと大変なことになりますよぉ」と刺激を与えるか、いずれにせよ相手の出方を見ることになる。
がそれでもノー天気な飼い主だと、心の内では『可哀想に。この犬はいつか痛い目に遭うかもしれないな。恐怖体験や怪我で済めばいいけど…』と考え、続いて『あれから大きな犬に咬まれましてねぇ、それ以来大きな犬が苦手というか、まあ他の犬に対しても唸るようになってしまって…』という飼い主の将来の相談を想像してしまうことがある。

幼いから・悪気はないからと言っても一方的な愛犬の振る舞いは、ある程度成熟した犬にとっては『無礼者!』となるところにまで配慮が至らなかった陽気な飼い主に、あの時点で説明しても理解は得られなかっただろう、と考えてしまうのだ。

「このバカ犬は問題ばかり起こして…先生何とかしてください!」
一方的に犬の悪事を並べ立てる飼い主には『犬は育てたようにしか育たない』ことをそれとなく強調して嫌われ者になることもいとわないだろうが、飼い主の性格と本気度を判断することは怠らないようにしている。

「どうしていいのか教えてください。本当に困っています。」
真顔での切実な相談者には悩みを共感することから始め、状況によっては犬種特性や遺伝の話をして『あなたの責任ではない』という罪悪感を取り除く場合もあれば、同じような事例を話したり犬たちを見てもらったり他の飼い主の方の経験談を聞いてもらってちょっとリラックスしてもらうこともある。
だが最後には問題の根深さや好転までの長い道のりそれに到達目標の限界など、飼い主をプロファイルしながら話さなくてはならないだろう。

まあこれらは特徴的な一部であって、実際には『ちょっと相談したいことが…』というのが一般的で、その際の瞳の奥やお互いの人間的な繋がりそれに相性なんかでその後の関わりが決まってくるのが私の場合普通だ。
最低限、私・飼い主・愛犬が揃って初めて解決に向かって行動できるものであるから、画一的にはいかないだろうし処方箋も違い、いわゆる不平等であったりえこひいきなんかも生まれているのかもしれない。

しゃあないじゃん、人間だもの。

何か問題が起こったわけではなく、『そういえば』と今夜感じたことを書いただけなのでご心配無きよう。
 


- Web Diary ver 1.26 -