From the North Country

冬の終わり 2008年03月17日(月)

  ガーデンの東側フェンス沿いにあるニセアカシアにカラスが巣作りを始めてしまった。
落葉した状態だから丸見えだ。
もしこのまま巣作りを許せば産卵し雛が孵る5月から6月にはガーデンにいるだけで我々と犬たちが被害に遭うことになるし、その時になって巣を撤去するのはとても大変だけではなく気の毒な気分になってしまう。

そこで私は今のうちに強硬手段に出た。
8メートルほどの高さにある作りかけの巣目掛けてフックと紐をつけた塩ビパイプの槍を投げ、集められた枝を落とそうとした。
が、何度目かに槍は途中の枝に引っかかって作戦は失敗に終わった。
次に雪玉を投げて破壊しようと試みた。
徐々にコントロールが良くなったものの命中してもそう簡単には落ちないようにカラスは骨組みをしっかりさせていた。

だがその様子を忌々しく見ていたであろうカラスは賢明な判断をしてくれた。
『こんな安心できない場所でこれ以上巣作りを継続するのは止めにして他を探そう』と。

私の作戦が成功したとはとても思えないが結果的に目的は達成され、カラスは不安を感じて引越し、私は昨日から腰と右肩が辛く、まあお互い“痛み分け”というところで手打ちとなった。

そんな私の意図や状態も知らず、雪玉を投げる姿をカフェから眺めて興奮していた我が家の愛犬アモは
「ねぇねぇ、父ちゃん。昨日みたいに雪玉投げてよ」と何度も目で催促していた。

ところで雪玉が作れるのはガーデンのフェンスを乗り越えた空き地での話であり、ガーデンは『ここだけは春がある』と見違えるほどの状態になっている。
明日は晴れの予報だから奮発してゼオライトを撒けば、きっとワイキキのビーチのような眩しさが味わえるかもしれない。

それとこれは大きな声では言えないが、今度の木曜は旗日なのでカフェはこっそり営業しております。
 

トムとハナ 2008年03月16日(日)

  お陰様で?土日のお客様は大変に少なく、雪解けで心配していたガーデンは日曜日の今日ほぼ使用可能な状態にまでなった。
だが2月末以来積雪がないことに私はどうしても不安が拭いきれず、せっかく春のガーデンが出現したのに手放しで喜びを表現できないでいる。
『きっとまだ20センチ級の雪が降るに違いない』と。

さてもうひとつの心配は今日からお泊りのヨーキー/トム君とハナちゃんで、飼い主のTさんはもとより私までも『大丈夫かなぁ?』と事前から心配していたわんこである。
なにしろトム君はお父さんべったりで何年もカフェに通っているのに他犬や私たちには一切関心を示さず、ひたすら父さんの顔を見つめ続けている。

「留守中ごはんを食べてくれますかねぇ」と私。
「トムかい?トムは食べると思うけどハナがどうかなぁ」とTさん。
20数センチのちっちゃいハナちゃんはカフェではとにかく他犬の口を舐めるのが好きなわんこで、大型犬にもへっちゃらで舐めに行くものだから見ているこちらがヒヤヒヤさせられる。
レオンベルガーの顔の前では一口でパクリのまるで“生エサ”同然の対比なのに懲りずに何度も舐めまわし、うるさがって相手が鼻にしわを寄せると実にいいタイミングでお尻を向けて悪意がないことを伝える。

そんなわんこたちを預けるのだから「俺はハワイなんか行きたくないんだ」と数ヶ月前から本音を漏らしていたTさんは今日、家族で犬たちを連れてきた後、自分だけすぐにカフェから出て行った。
寂しさと辛さが膨らみ、その姿をトムとハナに見せたくなかったのだろう。

ハワイだから日本語のこのホームページも見ることができるはずだ。
その後の二人の様子を今夜はTさんのために紹介しておこう。

トムは息を荒くしてドアの方を見つめていました。
Tさんの車が出た後、駐車場まで3回ほど出入りを繰り返し、もう車がないことを分からせました。
1時間もしないうちに気がついたらトムは敷物の上で丸くなりハナはいつもどおり他犬を気にしていましたよ。
それからというものトムは別犬のように落ち着いています。
辛いのでしょうが『お兄ちゃん(男)らしく振舞わなきゃ』と決め込んでいるのが伝わります。
ハナは逆にしばらくしてから鼻を鳴らし始め、お客さんの膝に抱っこされてあやされていました。

二階に上がってからは今日一日の疲れと寝不足で二人ともすっかり落ち着いていました。
夕食には鹿肉とパンそれにゴートミルクの粉末をトッピングしたらトムはガツガツと食べ、ハナはドッグフードもコリコリ齧りながら完食です。

寝床はハナが柔らかい毛布の方を選び、トムはハナと離れたバスタオルで甘んじています。
残念ながら持参していただいたベッドには入ろうとはしません。(狭いベッドより我が家の広い寝床の方が快適のようです)

トイレの失敗はまだありません。すべて外でOKです。
夜半になって冷たい雨が降り出しましたが、二人ともガーデンでシッコして今(日本時間の1時前)スヤスヤと寝ております。
始めのうちトムの小さないびきが聞こえてました。

Tさん、まだ心配でしょうが、これならなんか大丈夫そうですよ。
少なくとも私は安心しております。

たった今二人が同時に目を覚ましました。
そしてなんと寝床が入れ替わりました。
トムが毛布を引っ掻き回して寝床を作り直しております。
そろそろ私も寝床につきたいと思いますのでお休みなさい。
 

ネガティブでいいではないか 2008年03月12日(水)

  明日からの定休日も気温が高めということもあって、ガーデン補修用に少し残していた雪山も今日すべて吹き飛ばした。
したがって今週末のガーデンはべちゃべちゃぐちゃぐちゃどろどろで使い物にならないことが予想されますので、カフェへのご来店はお控えになられるか、びしょびしょボタボタこてこてなどそれぞれの愛犬の姿をイメージされたうえそれなりの覚悟でお越し下さい。

さて、いよいよ春の雪解けシーズン本番となってきた。
これからの時期に気をつけたいのは、解けた雪の下から出てくる様々な腐敗・発酵した異物が何らかの形で愛犬の口に入って引き起こされる下痢や中毒である。

拾い食いの癖があるわんこは勿論注意が必要だが、そうではない普通に散歩ができるわんちゃんでも歩行中に足の裏に付着し、帰宅後泥んこになったお腹や足を洗う時いい加減な洗い方だとこれらが残留してしまうことがある。
足を洗われたわんこは湿ったその部分を舐める習性があって、飼い主が綺麗に管理しているつもりでも結果的に口に細菌や毒素が入ってしまうことになる。

乾燥した時期であれば特に問題にはならないことだけど、北海道のこの季節にだけはちょっと頭に入れておく必要があろう。
別に神経質になることはない。
仮に口に入った結果としての下痢なんかは生き物としての正常な反応なのだし、毒素が入って愛犬の顔がお岩さんのようにボコボコになることが多い時期であり、たとえそうなったとしても取り乱すことはないですよ、ということだ。

夜中にそういう反応があったとしても、慌てずに症状を観察しその他の異常な状態がなければ一晩看病しながら翌日に動物病院で診てもらえば通常は大丈夫なことが多い。
当然息苦しそうだとかの緊急事態には対応しなければならないけど、何でもかんでも救急車となれば人間社会のように本当に重篤な患者が受け入れられず病院をたらい回しにされるようなことになりかねない。
ある意味で我々は犬を通じて人間の命の緊急事態を予見し対応するための研修を受けさせてもらっているのかもしれない。

犬の一生を暮らした人とそうでない人の救急車出動要請の回数とその結果的な必要性の割合を調査するのは興味ある学術的研究ではないかと思う。

犬への溺愛者が多い日本では動物病院への通院の方が本人と配偶者・家族より多く、犬の飼育方法が適切な人ほど救急車の要請回数が少なく、且つ要請した際の適性度は高く、結論として『犬の飼育者は愛犬には必要以上の医療的注意を払うが、本人と配偶者・家族には適切かあるいは遅すぎるほどの対応をすると思われる』という仮説が成り立つのではないかと述べておこう。

まあ、冒頭に書いた週末のガーデン予想と同じように、私はポジティブに生きるために事前にネガティブな事象を想定内とする性癖を持っている。
すべては取り乱さず自分を傷つけず次の対応を生み出すために。
それが正しいのかどうかより自分が何をしているかを知ることが私の座標となっている。
 

チビの下痢 2008年03月10日(月)

  お泊り犬チワワのチビが3日前から下痢を始めた。
飼い主の元では頻繁に盗み食いをしてそれでもお腹をこわしたことのない丈夫なわんこである。

先週の定休日に野幌の原始林を4キロほど二日続けて歩いてきたので、その時に気づかないうちに拾い食いでもしたのかと考えてみたものの、そんなドジな油断はしていないつもりであるが100%の自信はない。

一日目の土曜日は『すぐに収まるだろう』と高をくくっていたが、その夜2回もトイレに起こされたので2日目の日曜日はまる一日絶食させ常備薬を飲ませた。
ウンチは固まろうとしているのに、やはり最後には粘液便になってしまい、前日と同じように夜中も調子は良くなかった。

嘔吐もなく食欲も元気もあったから重篤な状態ではないものの、通常の食中りではないことが推察された。
恐らく細菌性の(胃)腸炎だろうと素人判断をし、下痢止めを与えることが返って悪い結果をもたらす危惧をもった。
だが手元に抗生剤がなく仮にあったとしてもチワワとなると適性量の判断は出来ないので、3日目の今朝動物病院に連れて行くことにした。

かかりつけの動物病院(AH)は月曜日が休診日だったので、近所のAHに向かった。
車を走らせて5分ほどで『○○動物病院3月10日オープン』という看板を見つけ『10日?…今日じゃん』と野次馬根性も手伝って私は車をUターンしチビを抱えてドアを開けた。

グランドオープンに相応しく、そのAH内は各所から送られた花束で埋め尽くされとてもいい香りが漂って心地よかった。

『もしやカルテナンバーは0001か?』と宝くじでも引き当てるような大きな期待があったが、残念!
先客がいてその栄誉は叶わず0006であった。

私が入った時の先客は吠えまくるパピヨンで、数分後自分の犬に指先を咬まれ血を流した飼い主が診察室から出てきた。
その後も診察室から響く凶暴な声を聞きながら『獣医さんも開業早々大変だな』と心から同情した。

さて、チビの順番がやってきた。
昔なら「先生、腹に悪い細菌が入ったみたいだ。注射一本打ってけれ。それと飲み薬もちょっと余分に出してけれな」という言葉に先生は頷き、熱を測って検便し聴診器をお腹に当てた後「うんだな。一本打っとくから明日からでも滋養にいいものを少しずつ食わせてやれ。ただな、○○のような症状が出たら夜中でもすぐに連れて来いよ」となったものだが、最近では小うるさい飼い主がも多く、医療過誤による訴訟もあるし、動物病院の先生でも慎重にならざるを得なくなっている。

「先生、ダメだった。死んじまった。」
「そうかぁ。すまんなぁ。力不足で悪かったなぁ」
「なぁもだぁ。わしらが気づくのが遅かったんだろうし奴の運命だぁ」
いい飼い主と先生との絆もあったろうし、悪い志の獣医もいなかった時代の話である。

チビは神妙な顔つきでエコーの検査も受け、注射一本と飲み薬それにサンプルの療法食を貰って帰って来た。

夕方からすこぶる元気になったチビのことをオーストリアを旅している飼い主Hさんが、インターネットを通じて知れるならと思い書いてみた。
「チビは回復しとります。いつもどおり普通にやってますから。」
 

“力”の春 2008年03月09日(日)

  駐車場までが一気に解けだした雪で一部水没し始めていた。
この時期に10度を超えるなんて無謀な春の訪れである。

「おう!俺だ」
カフェの閉店後いつもの横柄な挨拶で秋田の盲導犬ユーザー“力”から電話がかかってきた。
「おう、なんした?」と私が答える。
「オスのペキニーズ買ったぞ。真っ白い奴。14万のが7万でいいって言うから買ってきたぁ。」
「ペキニーズか。それなら大丈夫だぁ。」
私は今後の去勢のことなどいくつかの注意事項を説明した後に
「ところでおめぇ、そんな金使って大丈夫か?」と心配になった。

“力”は大工をしていた頃、自損事故で失明し、おまけに年金を滞納していたから、国から何の受給も受けないいわゆる無年金障害者である。
およそ三十年の間、あんまマッサージの腕一本で家族の生活を支えてきたが、休めば収入がなくなる生活と前途の不安と共に暮らし続けていた。
一昨年、失明後初めて施設職員として採用され給料をもらえる身となった。

「期末手当てというのが貰えてよお。その金で買った」
「そういう金は老後の為に貯金しとけ!」
「バカ言うな。誰にも分からねえ先のことなんかにあくせくしてどうなる?」
「そりゃそうだ。」
私も妙に納得してしまった。

「でもよ、ボーナスっていいもんだな。」と力。
「忘れちまった。もう6年も貰ってないし…それに今は給料払うのにあくせくしてる身だから」と私は答えたが、苦労人の“力”が今ちょっと楽しい生活をしているかと思えばうれしくなった。

すると力が図に乗り始めた。
「政光知ってるべ。奴の患者で70過ぎたじいさんが『俺はもう要らないから』とバイアグラをくれたんだと。使ってみたら大したいいもんだからと俺にもくれたんだよ。それでこないだ飲んでみたらどうなったと思う?」
「次の日仕事にならなかった?」
「バカ言え。しばらくしたら鼻の先が熱〜くなってよ、それでおしまい。俺らぁ天狗か?ガァッハッハ!」

53を過ぎてようやく奴の人生は今年の春のような絶頂期を迎えているようだ。
長くボランティアを続け“力”の毒舌に大笑いしてた死んだ眞知子も喜んでいることだろう。
 

関与できる喜び 2008年03月08日(土)

  まる1週間晴天と暖気が続き明日はついに4月の陽気になるそうだ。
ありがたいけどそこまで一気に暖かくなると、道路や駐車場それにガーデンは雪解けで流水と水溜りに悩まされるし、すっかり春だと油断させておいて下旬までにまた大雪を降らせて困らせようとしてるんじゃないか?
それに本当にこのまま春になったらとんでもない暑さの夏がやって来るぞ。

高望みはしない。
北海道らしい丁度の四季でいいから、ひとつずつ少しずつ日々移ろいで欲しい。

愛犬の成長にもそんな思いを描いて毎日を過ごされている方が多いことだろう。
「そうですよね」と同意のお答えをしたいのだが、そうはいかない難しさが子育てや愛犬育てにはついてまわるものだ。

生後2週間頃に目が開いて3週目頃に離乳食を食べ始め、そのうち乳歯が抜けて永久歯が生えるなど、肉体の変化には台風の進路予想程度の誤差しかないが、性格形成においてはいつ何が起きてどう変化していくのか一般の方にはなかなか予想できないもので、ゆっくりのんびりと思っているうちにとんでもないわんこに育ってあたふたしてしまうことがある。

が、それは決して予想できないことではなく、実は犬は持って生まれた遺伝子(稟性)とその後の経験によって育てられたように育っていると言っても過言ではない。

きつい顔の犬を可愛い顔にすることはできないかも知れないが、穏やかな顔にすることはできる。
吠える性格を持った犬の吠えを完全に止めさせるのは難しいかもしれないが、少なくとも吠え続けるのは止めさせることはできる。
殆どの犬はキャンプに連れて行って何の迷惑をかけることもない犬に育てられるけど、そのように育てたら本来のイヌとしての稟性を楽しむことはできなくなる。

高望みはしない。
決して家族を傷つけず反抗せず育って欲しい。
将来出世してお金を稼がなくても、君の一生の面倒はみてあげるよ。
もし家族を信じてくれるならせめて話を理解して従う気持ちを見せて欲しい。
そしたらどんどん待遇が良くなるからね。

逆も真なり。と言う方もおられよう。
人が飼い犬に心から誠意を尽くすことで素晴らしい犬が育つだろうから。
それはそれで素晴らしいことだが、問題はそうならなかった時に
『私たちの愛情が足りなかったから』というのが正しい考えとはどうしても思えない。

季節の変化に対してはどうしても受身になってしまうが、子育て・愛犬育てには関与が出来るしそうすることが必要なのだろうと思う。
 

犬に捧げる新刊書『ひとのきもち』 2008年03月05日(水)

  外で過ごすのが『快適』と感じられる日々が続いている。
今日も札幌は晴れの暖かな一日で雪解けがどんどん進み、先週は180センチのガーデンフェンスギリギリまであった雪がいつの間にか3分の2以下になっていた。
苦手な夏を快適にする為に床下にでも貯蔵しておきたい気分だ。

さて、カフェやレストラン・理美容から病院に至るまで顧客が着席するような店舗等には定期購読の雑誌が数冊置かれているのがフツウだろう。
当カフェにも元々フラワースタンドだった代物を転用した小さな書棚があるが、定期購読の雑誌は恥ずかしながら一誌しかない。
それがお気に入りの雑誌かといえば答えはノーだ。

それは大手出版社の雑誌だからここ10年ほどでメジャーになり、購読者にインパクトを与えるいわゆるペット業界のマスコミとなっているが、その内容は情報提供というより牽引というか誘導というか無知の人々への洗脳に近いものであり、とにかく影響力のあることを知ってか知らずか毎月掲載している記事が、本質ではなく『時代受けするだけの“まやかし”』となっていることが私にとっては反面教材としてとても役立っているので定期購読しているだけのことだ。

今月の記事にもアホなことが正論のようにまことしやかに書かれてあった。
愛犬が室内で粗相をしてしまったら『まずは黙って片付ける』のが正解だと。

こんなウソに翻弄される飼い主以上に、そんな教育を受けた若者がプロの訓練士になり、現実の壁にぶち当たって苦悩する彼らのことが気にかかる。
『叱って教える訓練は誤りで時代遅れ』という根本的に正しい方法が、飛躍したウソで捻じ曲げられて教えられた結果、信じていた観念が現実では通用しないことに行き詰まり、その壁を破ろうとして安易な『強制手法』を弄するという過ちを繰り返さないで欲しいと願う。

意欲ある若いプロの訓練士にいずれ伝える機会を持たなければならないだろう。
悪魔の犬は滅多にいないし、『良かれ』と思いつつ行ったことに対し無念な問題意識を感じ、過ちを繰り返したくないと苦悩する訓練士は多いはずである。
本来なら彼らの心を晴れ晴れとさせ、担当した犬と飼い主の将来に自信を持って対応できる知識と技術それに心を培うべきなのに現実は乱れているはずだ。
それは根本に誤りがある教育をしているからに過ぎない。

綺麗ごとで身を固めるのは受けがいいが、だからと言って汚いごとの良さを主張するのもうさん臭い。
何を求められ何が正しいかは時代によって変わる。
ただ、本質を知る努力をし、そのうえで今自分が何をしているかは知っておくべきであろう。
 

温故知人 2008年03月04日(火)

  今朝のテレビ番組で『いわさきちひろ』をやっていた。
胸がジーンとして息を呑みながら画面に食い入ってしまった。

『ちひろ』の絵を見たことがない人は少ないだろうし、それに感動を覚えない人も少ないだろう。
人の心や自分の気持ちを言葉ではなく“絵に表す”
なんて素晴らしい芸術なのかと感じ入ってしまう。

『ちひろ』の描く子供には邪気がない。
が、『ちひろ』の描く“眼”には『ちひろ』が投影されている。

『相田みつを』も知らない人は少ないし、『みつを』の書を見れば誰しも立ち止まり今の自分を見つめ過去の自分を振り返ってしまうだろう。
例えその後に批評があろうとも、まずは目に留める。
『みつを』は仏教の教えを彼なりに解釈し人間的なありふれた言葉を用いて短い書(文字)で表現している。

私が最も好きな作曲家はフィンランドのシベリウスだ。
隣国ロシアの権力に翻弄されつつも民族自主を貫き通す苦悩を音楽で表現し、強国ロシアでさえ彼の楽曲を消し去ることができなかった底知れぬ音楽の力を示してくれた。

『ちひろ』『みつを』『シベリウス』は何故か私の人生の根底にあり、絵・書・音楽という形で様々な影響力がある。
そして朝日新聞天声人語のコラムニストだった故『深代惇郎』さんこそが私の人生の師でもある。
彼が書いたコラムのテーマは何度かこの欄で“盗用”に近い紹介をさせて貰ったことがある。(雁風呂・龍君の死・フィンランドの戦後賠償など)
もちろん及ぶには至らない表現で。

『ちひろ』『みつを』『シベリウス』『深代惇郎』の描く世界は虚像であり実像でもある。
何故なら子供たちは時にとんでもないことをしでかす悪魔でもあるし、人間は平等ではなく弱肉強食のような政策に翻弄されるし、国家の為と信じて自爆テロが許容される時代もあり、人は言葉や文字で動かされる不安定な存在なのだから。

だからこそ彼らは直接的な主張をせず、ただ淡々と描き・表現し・聴かせ・心に訴える。
人を信じる優しさが根底にあることが大切で、そこに本質としての人間のあるべき姿を訴えたかったのだろう。

さて、『人と犬についての暮らし』の“同志”となるべき私たちは何から始めよう?
 

春先の今日感じたこと 2008年03月03日(月)

  春でしたねぇ。

この時期の陽射しの心地よさは北国に住む生き物には格別だ。
昨日までカフェとガーデンを出たり入ったりと忙しかったレオンベルガーのジェニーも今日はガーデンのデッキで日がな眠りこけ全身の紫外線殺菌もバッチリだ。
記念になると思ってうるう年の29日に設置したバードテーブルに立ち寄るヒヨドリ・シジュウカラ・シメも今日は遊び半分で餌をつついている。
カフェではまったりした時間が流れ、膝にチワワを抱っこしているとうたた寝しそうになった。
あとはこれから1ヵ月半に及ぶ雪解け時期を辛抱強く凌ぐことだ。

今夕はカフェがヒマだったのでいつもより早めに店じまいして散歩に出かけた。
すると、何かが違う。
明るさ?すれ違う人?気温?
いや、違う。
ふと気づいたのは、越冬うんちが昨年より圧倒的に少ないことだった。

3キロほどの散歩で見かけた雪解け出現による放置便は小型犬のが二つあっただけ。
これからさらに雪は解けるからそこ此処に出現する可能性はあるが、ともかく発見した放置便は少なく里塚緑ヶ丘住民の意識はいい方向へ変わりつつあるようだ。

これなら同じ志を持つ犬飼いが小さなショベルを持って一回りすれば、春先の馬糞風(昔、生活道路に普通に放置された馬糞が春先に乾燥し粒子となって風に飛ばされた現象)ならぬ犬糞風から解放されそうだ。

あと少しの啓発でこの街はさらに暮らしやすくなるかもしれない。

とりわけ年配者には“動物の排泄物は自然の恵み”という観念が根強く、ショベルを持って愛犬と散歩しているのでてっきりすくって袋に入れるのかと思っていたら雪の下に埋め込んだりする人もいる。

雪は毎年解けるしその下はアスファルトですぞ。
仮に土に埋めても安物のドッグフードを食べさせてると化学物質や粘土成分が含まれてるから周りの土壌とはいつまでも一体化せず肥料なんぞにはなりません。
昔の発酵された“人間の肥やしや鶏糞”とは違ってそんな犬のウンチは長期間残留する厄介者なのですぞ。

犬の排泄物処理に対して中途半端な知識で食物連鎖や自然環境の話を絡めるのはよして、とりあえず目の前のモノを処理しましょう。
そして処理後の痕跡にまで文句を言う人間に対しては一緒に闘いましょう。
その時にこそ『そんなものは雨や雪解け水が洗い流してくれるし、自然界のバクテリアが処理もしてくれるし、たぶんそれでも知らないうちに人間の口に入ることで免疫機能が高まり我々の健康は保たれているのかも知れませんぞ』と言い放ちましょう。

ともあれ心地よい春の一日だった。
 

ロサンゼルスの決断 2008年03月01日(土)

  今日から3月だというのに横殴りの雪が吹き荒れて体感的には寒い一日だった。
それでも降っては解ける雪が春の近さを感じさせてくれる、なんて感じ入ってたら夕方からの雪はしっかり積もり、お泊り犬チワワのトイレをさせるため夜中にはさらさら雪の除雪をしなければならなかった。
『冬来たりなば春遠からじ』なんて先人はお気楽に詠んでいるが、雪の下でどんなに春の準備が進んでいても、そこに暮らす人間には3月に入ってなお春の遠さが身に染みる。
明日は晴れ間が出る予報。
今月のパスタ“菜の花とキャベツのペペロンチーノ”が似合いそうだ。

さて、各自治体で殺処分する犬猫を減らすために去勢・避妊を勧めているのはご存知だろう。
まあ特段の効果があったという報告はあまり聞かないが…
多くの飼い主は『うちの犬を捨てるなんて考えてもいない』し『健康な犬にメスを入れるのは適当ではない』などと考え、去勢・避妊の話についてはどこか別の不届きな飼育者に対しての啓発なのだろう程度にしか感じていないと思われる。

だが実際には犬が自宅から逃亡して望まぬ妊娠をしてしまったり、外飼いのわんこに種付けをしたり、無知な団塊の世代が安易に犬を飼った挙句手放したりと、処分に困った飼い主が里親探しに管理センターに犬を持ち込むケースは後を絶たない。

そしたらアメリカのロサンゼルスではついに飼い犬の去勢を法律で義務付けてしまったというニュースを目にした。
根拠がどこにあるかわからないが『生後4ヶ月までに』という条件付きでしかも罰金や社会奉仕活動などの罰則規定までついている。(猶予期間が付帯されてもいる)
もちろん繁殖に用いられる犬などは除外されているが、『そこまでやるのか?』と疑問に感じ、「去勢!去勢!」といつも主張している私でさえ今の今まで批判的に捉えていた。

ところがこの欄を書き進めるためニュースを読み返した正に今、私は「そうか!奥深い!」と膝を打った。

ロスでこの法律を定めるに当たって様々な専門家が意見を述べたであろうことは容易に想像できる。
当局は殺処分の頭数やその予算の膨大さおよび行政責任を主張しただろうし、獣医師の間では“生後4ヶ月までに去勢”の根拠や“そもそも去勢の意義”についての論戦があったとも推察される。
狂信的な愛護団体からは批判的な意見も噴出しただろう。
だけどその中で飼い主と家庭犬を熟知した冷静な人間が意見を述べたのだろうと思う。

・処分犬の中には望まぬ出産で捨てられる犬もいるでしょうし、ショップやブリーダーが売れ残った犬を持ち込んだり投棄して捕獲された犬もいるでしょう。
だけど、しつけに困って放棄される犬の数も看過することはできないと考えます。
何故なら引越しなど家庭の事情で放棄を迫られる状況になったとしても“我が家の愛犬”という関係なら飼い主は『放棄』という発想が生まれることはないのですから。
つまり『放棄』される犬と飼い主の間にはお互いが意識しているかどうかは別にして、『放棄』が選択肢になるような何らかの隔たりがあるものと考えられ、その原因のひとつに未去勢であるが故の『犬の本能に根ざした家庭犬としての資質欠如』が挙げられます。
例えば排泄のしつけや他犬とのトラブルあるいは家族との関係などです。

・去勢時期を『生後4ヶ月』と法で定めるのが適当なのかどうか分かりませんが、獣医師の見解を聞きながらこの時期にオス犬の飼い主に一旦警告を与え、その後2ヶ月程度の猶予を与えるのなら、それは『家庭犬とし家族の一員』として愛犬を迎え入れる人々に結果的に資することになり、しつけの土台を築き、家族との隔たりという壁を低くし結果的に捨て犬を減らすことに役立つだけではなくHuman Animal Bond の基礎となることは充分に予見できます。
なにしろしつけや訓練において性的本能から発するどうしようもない部分は排除できるのですから。

家庭犬のオスを結果的に生後6ヶ月頃に去勢させることは、しつけの上で絶妙のタイミングである。
「ロスの10年後を見てみたいものだ。」と興味が湧き、もうすぐ春を迎える北海道で『これまでのしつけが壊れたみたいに排泄の失敗がでてきました。どうしてでしょう?』という相談が増えるのに今から憂いてしまう私であった。
まずは“菜の花とキャベツのペペロンチーノ”を召し上がってから考えましょう。
 


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