From the North Country

学習について 2008年01月19日(土)

  先日の定休日に初めて冬のニセコ比羅夫へ出かけた話を夕べのこの欄に書いていたのに、アップする寸前にマウスが机から落ちた。
拾い上げて画面を見ると下書きどころかインターネット画面すら消えて壁紙の状態に戻っていた。
何度も同じテツを踏む男だとつくづく自分という奴がわかった。
それにしてもアップ寸前にマウスが落ちるか。書き始めに落ちて消えてりゃ「ふぅ〜ん、こんなこともあるんだ。注意しなきゃ」で済んだものを…

さて、ニセコで除雪、帰宅したら夜から雪で今朝また除雪と膝・腰に負担がかかっている。
にもかかわらず除雪後のガーデンにはトンネルを掘るには丁度良い高さの雪山ができていたものだから、ついその気になってしまった。
だがここは過去に膝・腰を痛めた経験があるから同じテツは踏まないよう注意した。
楽な姿勢で掘り進むことが肝心だから、どんな姿勢になっても雪が入り込まないように完全装備で作業開始。
天気も良く、1時間ほどでトンネルは無事開通し疲れたけれど身体を痛めることはなかった。

つまり今夜は『学習』について書いているのだ。

人や犬はもちろん多くの生物は、様々な経験によって自らの行動を変化させている。
例えばお湯の入ったヤカンに触って熱い思いをした幼児は次にヤカンを見たときに以前とは違う感情を抱き行動にも変化があるだろう。
ただし、幼児はそれまで自分にとって不快なことがあれば、泣き叫ぶことで大人が物事を解決してくれることも学習している。
泣けば空腹を満たしてくれるし、オムツを取り替えてくれる。
だから最初ヤカンに触れた時は泣き叫び、この次は『大丈夫何とかなっているはず』と再び触って熱い思いをして泣き叫ぶことを繰り返すであろう。
そのうちに『泣き叫ぶだけでは解決しないことがある』という概念をもつようになり、親がヤカンをどのように扱っているか、熱いヤカンと冷めたヤカンがあることなどを知り、やがてヤカンに問題があるのではなく中身によって状況が変わることを学んで対応を変化させるようになる。

だが、自然界の出来事ならともかく、ヤカンのように文明社会の産物の前では、同じように学習する能力を持つ犬でも鼻をつけて熱い思いをしたらヤカンそのものを長く怖がるようになり、その中身にまで思いを馳せないで一生を終えるかもしれない。

環境を生き抜くための防御・警戒本能の程度がヒトとイヌでは大きく異なっているのだ。

余談になるが、私は子育ても犬育ても最終的には『叱る』ことが必要だと確信している。
子育ての場合は高校生までに叱り終えるし、犬育ての場合なら呼び戻しの最終段階での叱りがピークであろう。

私が相手に物事を教える際に、最も配慮しているのが『相手は何を感じているか』という原点である。
安易な叱る訓練の場合、ヤカンの中身の状態を教えようと人は考えているのかもしれないが、犬には『ヤカンは怖いもの』と映っているかもしれないし、それ以前に『この人が怖い』とパニックになっているかもしれない。
『この人が怖いから』というのは『図に乗った行動』や『ダメだといわれながら習慣的に気に留めなかったり注意を無視した行動』を止めさせるには必要な場合がある。
だが、経験していない事柄を経験させる際に、怖いのはヤカンでも人でもなく『そのこと』だと分からせるような配慮と技術が犬に対しては、学習機会が豊富で取り返しのつく人間以上に求められている。

小さな例だが、ガーデンでウンチをし始めた犬を見て、慌てて便袋を取りにカフェに走ったら、犬は遠ざかる主人を見てウンチを出し切らずに追いかける心理が働くだろう。
ウンチをし始めたら動かずに「ベンベン」と声をかけて、安心してさせることが次に繋がるということでもある。

この欄の書き始めに文章が消去されたら、私のキー操作に対する注意力はそこそこだろうが、書き終える頃に消去された経験があるから今夜は実に注意深くなっている。
逆に今日、雪山のトンネルを掘っている最中に、あの雪山が崩落して生き埋めになるような恐怖を味わったなら、私は二度と雪山には近づかなくなっただろう。
甘い対応では犬は変わらないこともあるし、ひどい対応では要求されたことよりその状況に恐怖し学習の中身は『逃避』か『防御的攻撃』になってしまう。
多くの飼い主は甘く配慮に欠け、私はそのギャップを埋めることに腐心し、厳しいだけの飼い主を見ると怒りに打ち震える。
 

心の準備 2008年01月15日(火)

  『明けまして…』からもう2週間。
今年はうるう年だから1日得しているのか損しているのか人によってまちまちだろうが、1年の4%が過ぎてしまったのは間違いない。
皆さんの新年の滑り出しは如何だろう?

カフェはといえば、まずまずの滑り出しをみせている。
いや、売り上げではなく“出会い”においてだ。

これまでカフェにはいろんなわんこや飼い主の方がやってこられて、中には『困ったクン/ちゃん』がいて、飼い主にもそれを『何とかしたい』と考えている方がおられれば“無頓着”な方もおられる。
でも昨年後半辺りから、カフェに来られる『困ったクン/ちゃん』はそこそこ程度の困ったわんこであり、飼い主の方も柔軟性と変化を素直に求められておられる方が続いているので、私にとってはひどく頭を悩まされることがないどころか楽しい。

やはり犬育ての相談は5ヶ月から10ヶ月くらいからがいいようだ。(パニックや攻撃的な一面がある場合はもっと早い対応が必要)

もちろん社会化やしつけは2ヶ月頃から始めなければならないのだけど、その頃はただただ可愛くて『この犬の行く末』を案じる方は少ないだろうし、トイレ・いたずら・かじりなどの問題に自分なりに苦労したり対処する経験が後に役に立つこともある。
そして成長と共に問題が顕在化してきた頃に私に相談されたとしても、犬はまだ余裕を持って変化させることができる時期だし、飼い主の方の意識やモチベーションもこれまでの苦労や心配の上に立っているのでしっかりしており愛犬の変化も目に見えてわかりやすい。
(もし皆さんが『困ったさん』をカフェに紹介していただけるなら、この早めの時期にお願いします。)

とはいえ今年も難しい相談がこれから舞い込んで来ることだろう。
とりわけ激しい犬には迫真の演技と観察眼が必要であり、自分の血圧と精神の安定を取り戻すのに苦労することもあるが、気を引き締めて怪我無く対処したいし、また私の場合飼い主の暗く思い詰めた表情をみると、その方のそれまでの苦労や悩みを感じ過ぎてひどく落ち込んでしまう傾向があるので、楽天的な自己暗示を意識したいと思っている。

カフェやガーデンでもし不幸にも私のそのような状況に遭遇されたら皆様のご理解とご協力をお願いしたい。
 

諦めれば何かが変わるかも 2008年01月12日(土)

  最高気温がマイナス4度で明日はもっと寒くなるらしい。
灯油はリッター98円70銭。
ガソリンは会員価格で144円。
愛車はリッター5キロしか走らない。
ひどいことになっている。

昔だったらどこかでデモ行進だろうが、今ではその時代の連中も昼間は毛布に包まって灯油代を節約し、病気になって医療費がかさまないように気を使っている。
若者はといえば30近くになっても親元でパラサイトするかフリーターやワーキングプアがフツウになり、団結して国を動かすという発想すら持ち得ていない。

そして、年寄りはともかく若者がそのような状況になっているのを多くの人間はだらしないと感じなくなってきた時代に入っている。
「おまえ、いつまで家にいるつもりだ。いつまで仕事もせずブラブラするつもりだ。はやく定職について働け!」
10年前なら本気でそんな風に怒鳴っていてもそれは親としての正論に近かった。
だが、社会の本当の状況が分かってくると、枯れかけた井戸に放り出して“人に負けずに水を得てこい”とは言えなくなっている。

『枯れたと安易に思うから、子供は甘えてしまうのだ。我々の若い頃だって…』
そんな風に思うのは親の常であるが、そんな精神論や世間体ばかりにとらわれて説教や小言を言い続けると、子供たちは親兄弟を殺したり鬱になったり自らの命を絶つほどに切羽詰っている。

日本社会の状況、地球規模の環境異変、テロによる核の脅威、ウィルスによる人類の危機…
それらすべてが既に情報として『時間の問題である』とインプットされている日本の若者たちは、まるで天変地異を察知した動物たちのように、子供を産まなくなり現実から逃れようともがいているかのようだ。

“もはや手遅れ”だと若者は潜在意識の中で知っているのだろう。

・日本社会は日本だけの思惑で決められなくなっていることを
・地球環境はインドや中国などの驚異的な経済発展が今まさに始まったに過ぎず、これから汚染と破壊が本格化してくることを
・ソ連が崩壊しイラン・パキスタンなどの状況を見れば、既に核は私たちの観念とは違う人々の手に渡っていることを
・鳥インフルウィルスが既に人から人へ感染し、さらに変異を繰り返しながら世界を席巻するカウントダウンが始まっていることを

地球は四十数億年の歴史の中で、生物に対しあるいは自らの変動で何度か『清算』を繰り返してきた。
『一旦チャラにしよう』って。
私たちはそのカウントダウンに立ち会っているのだろうか。
3・2・1、ゼロの瞬間を見るのは我々か子供たちか。
少なくともまだ見ぬ私の孫たちではないような気がしている。

私たちに出来ることなどない。
あるとすれば明日どう生きるかを考え、どう死ぬかに怯えないことだけだ。

親がこんな風にすべてを諦めてしまえば、ひょっとしたら若い子供たちが奮い立ってくれるかもしれない、そんな期待を込めて力一杯弱音を吐く姿をさらしたくなった。
外はマイナス11度5分になっていた。
 

私の正月休暇 2008年01月11日(金)

  この二日間、少し遅めのゆったりとした正月休みを楽しむことができた。

9日の閉店後にはいつもの里塚温泉で酒と食事にゆっくりと時間をかけて心をリフレッシュし、入浴中は左ひざと臀部を走る微妙な筋を伸ばすための、言葉では恥ずかし過ぎて表現できないポーズの温泉ヨガで身体をリフレッシュし、文字通り心身ともにお休みモードに突入した。

10日の午前中は“札幌の奥座敷”と呼ばれる定山渓温泉で、昨年購入したという温泉付きリゾートマンションに住むIさんの招待を受けていたから出かけてきた。
バブル時代に建てられたそのマンションは隣に立つライオンズマンションと比しても外見上全く引けをとらなかった。
「アモ連れてってもいいの?」
「いいんでないかい。管理人は抱っこできればいいって言ってたけど盲導犬だと思うはずだよ」

フロントには『除雪中』という札がぶら下がっていた。

Iさんは現在一人暮らしだから縦長のワンルームは充分な広さだった。
しばらくぶりのお互いの時間を埋める会話をしながら窓の外を見ていると、ちょうど3階のベランダあたりがてっぺんになっているトドマツに大きなカケスが見事な羽色を見せて休みに来た。
その向こうには落葉樹と常緑樹が入り混じった綺麗な山が雪を被っていて、ここで暮らすことの充足感が漂っていた。

「なぁもだ。夏に洗濯物を干したらカメムシが一杯くっつく。白いのが好みなのか、白いシャツはパンパンってほろってからでないと部屋に持ち込めないんだ。」
ニコニコしながらIさんは生活上の問題点を説明してくれた。

「温泉入っといで」
その言葉に促されて階下の共用浴場に入った。
私が現役の頃、定宿にしていた函館湯の川温泉の某宿よりずっと広いし眺望がよいのに驚かされた。
『こんなところにいたら動きたくねぇだろうな』と柔らかな湯に浸かりながら思った。

部屋に戻るとIさんは刺身を出し、ステーキを和風仕込に焼いてくれた。
「好みの焼き加減は?」と話し方は昔のままだった。
「車だから酒は飲めないんだ」
私の一言にずいぶんと落胆されていたのが申し訳なかった。

室内には驚くことに一部屋分の広さの岩風呂まであった。
「あれ、いらないんだよね。掃除するの大変だし、潰してもう一部屋増やしてくれた方がありがたいよ。だってあんな大浴場があるんだし、あそこじゃ3時間入浴してても誰も入ってこないんだよ。」

何と優雅ではないか。
そのリゾートマンションを彼は前に済んでいた単身者用アパートの家賃より安い金額で自己所有しているのだ。
分かりやすく言えば、今後10年間、以前の家賃分以下の金額を払いながらそこで生活すれば自分のものになる…
さらに具体的に言えばローンの返済と管理費・温泉使用料・修繕費その他諸々を含めても月々5万円程度にしかならないのだ。
それで源泉かけ流しの温泉付きリゾートマンションが手に入る。
北海道はいいべ。

「確かに安いけど、しょっちゅう売り出しの看板が立ってるよ」とIさん。
ふぅむ。どこかに受け入れ難い欠点があるんだろうな。
『その先をどう読むか』が必要なのだろうけど、私にはよう分からんことで、ともかくIさんはうまいこと素敵なリゾートマンションに住んでいると私には映った。

さて次に、10日午後と今日の11日は犬たちの為に時間を費やした。
とりわけ今日は年末に遭難した雪に覆われた北広島のレクの森を犬たちと歩き回り、その原因および地形をすべて把握した。

あの時の原因は『踏み入ってはいけない』地域に足を踏み込んだのが原因で、さらに深い原因はその場所の注意書きにあったと思う。
今日出かけてみると『この先進入禁止』という立て看板があり、不覚にも私たちはそれを意識せずその先に進んでしまったようだ。
あの日、私たちの目に飛び込んだのはその看板の隣にある『スズメバチに注意』という看板だったのだ。

看板を設置する人間にとっては『重要だから』と複数並べてしまう気持ちは分からないではないが、時として人はどちらか一方に注意を向けられてしまうと、他方を見逃してしまう傾向があるという心理学の基本を忘れた表示の典型であると思えた。
…なんて仰々しく言っても私たちの単なるドジでございまする。

ともあれ、いい休みだったように思う。
規格にはめられがちな現代の中で“それぞれ”という観点から物事を楽しむことができたから。

今日の午後、50数日間のヨーロッパ一人旅から帰国した娘を千歳空港に迎えに行った。
彼女が車内で私に話すこと以上に彼女は言葉にできない経験をしたことであろう。
それを聞きだすことほど野暮なことはない。
私はただ頷き、そこに娘の姿があることに喜びを感じた。

いい休暇だった。
 

久しぶりの解放感 2008年01月08日(火)

  「このままじゃ終わらないよね」
「ええ、いつかきっとドカ〜ンとね」
「終わってみれば帳尻はあってるってことなんでしょうね」

今年の雪の話題である。
この冬はまだ2〜3回しか降っておらず、道路に雪はなく公園なんかにも30センチ程度しか積もっていない状況だ。
山の方では結構降っているのでスキー場は困ってないようだし、それなら夏に渇水になるようなこともあるまい。
だからつまり誰も迷惑してないから、この冬はこのまま少雪で終わって欲しいけど、そうはいかないのではという懸念を人々は経験上感じているのだ。

『少雪だから雪祭りの雪像の雪を山間部や郊外から輸送しなければならない』とか『暖気で雪像が解け始めた』なんてニュースにも最近では誰も驚かなくなってきた。

ということは、札幌の本格的な降雪は雪祭りが終わった頃からがピークになるというのが最近の庶民感覚における“平年並み”なのでもあろう。
どうやら雪かき勝負は2月のようだ。

さて、カフェのお泊り犬勝負は今夜で無事終了!
年末から続いたお泊りわんこたちの最後の1頭を無事にお返しすることができ、重圧から解放され言いようのない安堵感に浸っている。
『ご苦労様でした』とKとアモそして自分に言葉をかけた。

個人的には残念ながら、経営的には有難いことに(予想どおり)明後日からの定休日にもお泊り犬が入って遊びに行くことはできなくなってしまったが、それは通常のお泊りで年末年始のお泊りとは重圧感覚が違うことに気づかされる。
正月ではないいつもの1年が始まったという感覚だ。

今日のカフェでは切実な相談もあり、そのプロファイルやそれに対する私の考え方・対処法などをこの欄に紹介することが私の使命であると承知しているが、今夜は難しいことは無しにしたい心境を軽く書いてみた。
新潟の酒“お福”純米大吟醸(氷温生貯蔵原酒)が旨い。
 

初夢か 2008年01月06日(日)

  昨日今日とたくさんの皆様にご来店頂きありがとうございました。
カフェでは土日と平日のお客様が違っているので、今週一杯は「あけおめ・ことよろ」の挨拶が飛び交いそうだ。
ありがたいことと感謝しております。

新規の方は僅かに3組だけであったが、それぞれマルチーズ・キャバリア・ボーダーのみんな仔犬たちだった。
『楽しく暮らせる家庭犬』を望まれるならこれから1年程度はカフェに通ってくれるといいのだが…
そんな風に思っていたら、さっそくボーダー2頭の飼い主さんから来週のレッスン依頼があった。

生後5ヶ月に満たないオス・メスの小柄な可愛らしいわんこ達だった。
飼い主の方から「相談がある」というので話を伺っていたら、いつの間にか私の独演会が始まった。

「どういう暮らし方をお望みで?」
「それがまだ、よく…」
「なるほど。ボーダーは普通の家庭犬にするには難しい犬種です。彼らは見事に使役犬としての血を受け継いでいます。本来は牧羊犬ですが現在ではアジリティやフリスビーなんかにその能力を発揮しています。家庭でもボール遊びなんかをすると異常なほど夢中になってませんか?」
「そうなんです。特にオスの方は目が変わるというか…」
「そういう目的でボーダーを選ばれたのですか?」
「いや、そういう訳では…」
「外をご覧なさい」と私はガーデンのボーダー2頭を指差した。
「今は遊んでいるように見えますが、2頭であのビションに対抗しています。まだ仔犬だからあの程度ですが、6ヶ月を過ぎる頃からあの二人には群れとしての意識が顕著になってきて、場合によっては排他的になったり、こういう場所でボール遊びをすると独占欲が出てきて喧嘩になることも考えられます」
「え!そうなんですか?」
「あくまでも可能性です。ところで、繁殖の予定は?」
「いや、まだそんなことまで…」
「もし普通の家庭犬をお望みなら、オス犬の去勢をあと2ヶ月以内にするべきでしょう。もしかかりつけの獣医さんが『1歳過ぎてからのほうが…』などと言われても、去勢をお願いしたほうがいいですよ。」
「え?どうしてですか?」
「犬に育てるつもりがイヌになってしまう確率が高くなるからです。ここにいる避妊・去勢した犬たちは犬として遊んでいるのですが、そこに未去勢のオスが加わるとイヌとしての性的な行動が入り込みトラブルの元になります。もう1頭のメス犬には数ヶ月で生理が始まります。少なくともその前にオス犬の去勢をするべきでしょう」
「なるほど。ところで今、他にすることは?」
「社会経験と社会性を身につけさせることです」
「つまり…具体的には?」
「散歩です。散歩の中で世の中を見せ、怪訝なもの・不安なことを取り除き、良心的に物事を感じ取れるようにすることです。」
「実際どのように対処すれば?」
「言葉での説明が難しいのでまずは何度かレッスンを受けると良いでしょう。犬を訓練するというより、自分がどのようなことをすれば良いかが分かると思います。」
「じゃあ、来週の土曜日からお願いできるでしょうか?」

そんな話をしているうちにクスッと笑いたくなった。
まるで新宿の霊感商法的なキャッチセールスじゃん!
相手の不安を掻き立てて話に興味と不安を抱かせ、まんまと高額の商品を掴ませる…

そうか!
カフェに足りないのは、まんまと掴ませる“高額な商品”なのだ!
『あなたの愛犬の未来には不穏な影がある。この壷にドッグフードを入れて毎日食べさせれば、あなたと愛犬の将来は満たされるぞよ』とやればいいのだ!

3日の夜に麻雀をしながらほとんど飲んでしまったが、頂き物の壷入り焼酎“黒正春”が思い起こされた。
味と香りは抜群だったがそれ以上に壷が立派に見えた。
あれ使えるかも…
そして今夜のお伴も鹿児島の芋焼酎“蔵の宿六”(かめ壷仕込み)
こちらもグーだ。
「うっふっふ。おまえも悪よのぉ、越後屋」
「何を仰いますお代官様。でへ、でへ、ぐぇっへっへ」

新年早々、私は一体何を書いているのだろう!
 

明日から営業! 2008年01月04日(金)

  えぇ〜?もう9連休終わっちゃうの?

夕べのどんちゃん騒ぎを除き、休んだという実感がない。
いろんなお泊り犬に囲まれて面白いとはいえ、そこは預かりの責任があるから、わんこ達の散歩と管理に体力と神経も使うし、それに加えて飲み疲れが溜まった9日間だった。
左の足腰と内臓が痛み、疲れたぁというのが実感だ。

明日5日からカフェは開業。
5日間頑張れば今度は本当に休養できる定休日がくる、はず。
頑張るぞ!

なんていいながら明日からいつもの楽しい日々が始まるから私の体力気力はすぐに回復するのは間違いない。
なにせカフェの仕事は元気の源なのだから。

去年はここ数年になく体調が良かった。
膝や腰の障害を温泉ヨガとS治療院で悲鳴を上げさせられることで未然に防ぐことができたからだ。
今年もそれは継続しようと思う。
我が家の愛犬アモの足の状態も今がベストと考えるべきだろう。
だから今年は去年から徐々にやり始めたアウトドアを思いっきり楽しむ年にしてみたい。

仕事の方では、『暮らしやすい家庭犬』を真摯に模索している人々を積極的に応援していきたいと思っている。
何故か?
この4年の間にたくさんの仲間たちが増えてきて、みんな以前とは違う愛犬との生活を楽しむようになり笑顔が明るいからだ。
そしてそれは、私の犬と飼い主に関する考え方や指導法が誤りではないという自信にもなっている。
だからもっと仲間が増やせそうな気がする。
ため息が出るほどエネルギーが必要なのだが、何とかそこを喜びに繋げていけたら…と思う。

生活を楽しみ仕事を頑張ります。
今年も皆様の
・カフェのご利用
・愛犬美容室のご利用
・ドッグフードの購入
・おやつ、サプリ、首輪リード等物品の購入
そしてそこそこのお泊りをご利用いただいてカフェを応援してください。
本年もよろしくお願い申し上げます。
 

2008年元日 2008年01月01日(火)

  明けましておめでとうございます。

朝から快晴の札幌でした。
パジャマの上にダウンを羽織ってわんこたちを排泄に出すことからいつもの新年がスタートしました。
駐車場からは散歩をさせている人々の姿が見られ、犬飼いには盆も新年もやることは決まっているようですが、気持ちよさが違っているように感じられました。

お泊り犬たちは大晦日からの寝不足もあって、遊んだ後の日中は驚くほど静かに午睡をむさぼっておりました。
目が覚めてから手入れの悪いスケートリンクのような道路を犬たちと散歩しましたが、今日は転びませんでした。
年末宝くじは10万円から3億円まで3枚のくじが4ケタまでは揃っていたのにあと2つが違っていて悔しくもありましたが、年々大当たりに近づいているようです。

Kは夕方から3人の子供たちが揃ってくれたのを心の底から喜んでいたようで、こちらは大当たりだったようです。
明日は私の次男がお年玉を取りに来てくれることになり、長男は東京で『Qさま』の仕事にいそしみ、娘はフランスで新年の様子を楽しんでいるはずです。
それぞれの年が明けました。

夜遅く「起きて!トイレに出すよ」というKの言葉で目が覚めたときは、既にほとんどのワンちゃんたちの排泄はKが済ませてあって、私はMダックスのメリーを抱っこしてガーデンに出ました。
そしてぶったまげて大喜びしたのです。
真っ白な大雪が静かに降り続いておりました。

明日は除雪機ガロアラシ号の初仕事となり、これでみんなが揃い我が家の新年はスタートです。
 

年末のご挨拶 2007年12月31日(月)

  大掃除も終わった。
しめ飾りも、小さいけれど鏡餅も飾った。
夕方の散歩では右手にアモ、左手にサモエドのラブがエスコートしていてくれたのに思いっきり見事に滑って転んでしまった。
尻餅をついたままの私にラブがぺろりとホッペを舐めてくれた。
右手のひらが氷で少し切れたけど、楽しい散歩だった。

食べきれないほどカニも食った。
酒もそこそこに飲んだ。
そしてさっき仕上げの年越しそばもご馳走になった。

周りにはいろんな犬種の犬たちがはべっている。

年越しの準備は整ったようだ。
あとは今年逝ってしまった仲間たちを想い起こし、何故自分が生かされているのかを考えるだけである。

皆様、今年一年大変お世話になり心より感謝申し上げます。
来年もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。よいお年を。
 

酒タバコ犬の三重苦 2007年12月30日(日)

  合法的に酒を飲んでるのに
『この酔っ払い!』
『オヤジ!エロじじい!』
『飲酒運転すんなよ!』と、
ひっそり法にも触れずにまじめに生活している人間が白い目で見られる社会になってきた。

人目を気にしながらタバコを吸えば
『それでも文化人か、人間か!』
と有言・無言の非難を日々感じるようになり、フランス人こそ喫煙者の権利を守ってくれると思っていたのに、来年からかの国でも相当な規制がかかるようだ。
『フランス人にそんな規制が通用するわけがない』と思い込んでいる私には、フランスのその後が気にかかっている。

中途半端なことはするな!と主張したい。
いっそうのこと酒やタバコの販売は違法とすればいいじゃないか。
合法だから販売され、それに惑わされて私はたしなむようになり、その結果において非難する人間たちとの共存を余儀なくされて共に苦しんでいるのだ。

次には京都のある寺が『犬の散歩禁止』を通告したというニュースが入った。
境内にある柱が犬の放尿で変色し、放置便の回収量が棄て置けぬ量になりつつあるからだという。

酒を飲めば人は酔う。
タバコを吸えば煙を出す。
犬を飼えば排泄をする。

『違う!
酒とタバコは必然だけど、犬の排泄問題は人間性の問題でしょ。』
と、主張される方もおられることだろう。

本当に別次元の問題か?
日々の暮らしの中で『まぁ、いいっか』という普通の人間が思い込んでしまう根源においても、それは別次元と断言できるのか?

何も考えず理性を捨て去り、状況に流されてしまうと、人は『酒・タバコ・犬』に代表されるような身近で表現しやすい問題を社会の一大事にすり替えてしまうのではないのだろうか?

ある人は普段堅物であっても、酒が入ると親しみやすくなったり、ここではタバコを吸えないことに気を揉む人を感じたり、愛犬との散歩で周囲に配慮するはたくさんいるのに、それら全部をひっくるめて否定されると人間として反発の感情が起きてくるものである。

飲酒運転はよくないし、喫煙も迷惑だし、犬の排泄をよく思う人はいないことは充分に知っている。
今夜は充分にお酒を頂き、普通にタバコも吸っている。
なのに、なぜこんな風に思ってしまったのだろう。
100年前と100年先そして今を考え、普遍の意味を考えてみたくなった。
 


- Web Diary ver 1.26 -